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7.尊王攘夷の御旗を掲げて
- 1. 春秋篇 第 7 集
尊王攘夷(尊王攘夷の御旗を掲げて)
周になり代わり桓公(背中/一段上)は、異民族の山戎を討って燕国を助けたため、
BC651 年、周襄王は大臣・宰孔(背中/左)を斉に遣わしてその業績を讃え、
諸侯たち(こちら向き)は祝儀に集まる。
- 2. 第7集 尊王攘夷(尊王攘夷の御旗を掲げて) -春秋篇-
―あらすじ―
斉の桓公が管仲を宰相に起用したと聞いた魯の荘公はショックを受ける。そしてその場にいた
将軍・曹沫に八つ当たりし、乾時の戦いで斉軍に敗れたことを当てこする。頭にきた曹沫、乾時
の仇を打つべく魯軍 500 輌を率いて斉との戦いに挑む。
対する斉では、血気盛んな桓公は曹沫の挑戦に受けて立つ気満々。しかし宰相・管仲は「即位
して間もないこの時期、国力の充実に専心すべきです」と応戦しないよう勧める。
結局桓公は、はやる気持ちを押さえきれず、管仲に国政を押し付け、鮑叔牙を対魯戦の大将に
任命してしまう。そして鮑叔牙はその後、順調に勝ち進み、長勺の地に駐屯。
一方、魯の荘公は斉軍に負け続ける曹沫に激怒し、大声で罵倒。しょげ返る曹沫に参謀・施伯
は言う「心配しなくても大丈夫。斉に勝つ方策があります」そして田舎に隠居している曹劌(そう
けい)という老人を紹介した。
斉軍に対抗する
ための戦略など
てんで頭にない
様子で、ひたす
らご馳走を食べ
る曹劌
この曹劌、魯の荘公が「斉に打ち勝つ良い方策はあるか?」と尋ねても、ぶっきらぼうに「いや、
特にありません」と答え、荘公を憤慨させてしまう。が、最後には荘公の参謀として斉軍と戦うた
めに長勺へ向う。
長勺に着いた曹劌は一計を案じる。それは、斉軍が三度、攻撃開始の太鼓を鳴らすのに対し、
ひたすら守りに徹することである。
- 3. 戦場では一転、
魯荘公が太鼓を鳴らすよ
う命じる手を押さえ、毅然
とした態度で、
「一切の物音を立てるな。
騒ぐ物は斬る!」
と命令する曹劌
そして三度目の太鼓が鳴る頃には、斉軍は気が抜けてしまい、士気も低下。その時を狙って一斉
攻撃をかけると、油断していた斉軍は雲の子を散らすように敗走。魯は勝利を収める。
逃げる斉の戦車
勢い余って転倒
する
魯の荘公は曹劌にその勝因を尋ねると、曹劌曰く「戦いの勝敗は、気を如何に奮い立たせるか
にかかっています。そしてその気は、陣太鼓を叩くことによって操作できるのです。つまり、最
初に打つ太鼓の音で(士)気は高まり、次に打つ太鼓で気が弱まり、三度目に打つ太鼓で気は尽き
てしまう。だから、相手は三度も太鼓を打って気が衰えているのに対し、こちらは初めての太鼓
- 4. で士気が大いに盛り上がったのです。つまり、これこそが斉軍に勝てた理由です」
陣太鼓を打つタイミングが勝敗を分け
た!
一方、長勺の戦いに敗れた斉の桓公はふさぎ込み、宮殿にこもって竪刁や易牙といったおべっ
か使い達に囲まれて日々を過ごしていた。
「このままだと桓公は堕落してしまうのではないか」と
心配した鮑叔牙、さっそく管仲と相談し二人で桓公を諌める。
ハッと目が覚めた桓公、それからはまた政治に対する関心を取り戻し、管仲の案に従って尊王
攘夷(周の王室を尊び、周に逆らう異民族を討伐する)という大義名分を掲げて覇者になる道を歩
み始める。
BC 681 年、桓公は宋の内乱を鎮める。そして周に忠誠を誓い合う同盟を結ぶため北杏の地に集
合するように宋、魯、陳、蔡、衛、鄭、曹、邾の八国の召集をかける。が、結局集まったのは宋、
陳、蔡、邾の四国だけ。弱気になった桓公は開催を延期しようかと考えるが、管仲は期日どおり
に開催すべきだと主張。そして滞りなく会を開き、桓公は無事、諸侯に号令をかける全権を有す
る盟主(同盟の主催者)に選ばれる。
ところが、宋の桓公は、宋の方が斉より爵位が上である(注)のに斉が盟主の座を射止めたこと
に不満を抱き、会なかばで帰国してしまう。
(注)昔時の爵位は、公・侯・伯・子・男の5等に分かれており、宋は公爵であるのに対し、斉は
侯爵であった。
それを知った斉の桓公は怒り、宋の桓公を連れ戻すべく追いかけようとする。すると管仲はそ
れを止めて次のように言う:
「確かに会を抜け出した宋は討伐に値しますが、もっと討伐しなければいけない国があります。
それはこの北杏に来ることもしなかった魯、衛、鄭、曹の四国であり、中でも魯はここ北杏に最
も近い位置にありながら来ようとしない。ですから魯を真っ先に討伐すべきです」
- 6. 曹沫(左)と土地返
還の誓いをたてる
桓公(右)
曹沫が持つ甕の中
にある牛の血を唇
の下に塗るのが、
誓いの儀式
その様子を驚異の
まなざしで見つめ
る魯荘公(中)
このアクシデントにより斉は魯から奪った土地を失ってしまうが、そのことがかえって評判と
なり、各国の諸侯の信望を得ることになる。
その後、斉は尊王攘夷のスローガン通り、西の戎、北の狄と言った異民族を討ち、周王室をは
じめ燕、衛、邢などの諸侯国を助け、ついに春秋時代の最初の覇者として君臨することになる。
春秋時代最初の覇者となり、
まんざらでもない様子であ
たりを見渡す斉桓公
(→第8集「覇主斉桓」につづく)
- 7. ―感想―
尊王攘夷については以前もコメントを書いたが、今回の DVD を通じて尊王攘夷という言葉は思
ったより意味が広いのではないかという気がする。たとえば管仲のセリフに次のようなものがあ
る:
「…桓公殿は周王に使者を送り、周王の詔を奉じて諸侯を招集なさいませ。そして尊王攘夷とい
うスローガンのもと、諸侯に号令されては如何でしょう。また諸侯の中の弱きを助け、強きを挫
き、王命に従わぬ者には他の諸侯と共に討伐を加えるべきです。そうすれば、諸侯達も我が斉の
公平無私を知り、斉を諸侯の長と認めるでしょう。これで覇業が成るはずです」
このセリフを見てみると、管仲の真の狙いは桓公を覇者にすることであり、尊王攘夷はその目
的を達成するための手段または、お題目である。そして覇者になるための本当の手段は、実は異
民族を押さえつけることではなく、諸侯達を押さえつけ、諸侯の長として君臨することである。
ただ当時、諸侯国の数は多く、その長になるのは至難の技であった。そのため尊王攘夷という言
葉を上手く利用し、周王室の権威を借りて諸侯を束ね、自らの力をカムフラージュすることによ
って覇業を成し遂げたと言えよう。 管仲の辣腕ぶりには頭が下がる。