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80.Romance of the Three Kingdoms
- 2. 第 80 集 兵困鉄籠山(司馬昭、鉄籠山で孤軍奮闘)2009.11.15 更新
―「3 時間で~」第 82、83 話参照
チャプター① 鉄籠山の頂上にいる司馬昭ら魏軍、それを下から包囲する姜維ら蜀軍~
チャプター② 以前にまして朝廷で権力をふるう司馬師、曹芳の玉座に更に近い位置(斜め後ろ)
に座る~
チャプター③ 司馬師に玉座にすえられ、百官からの拝礼を受ける新皇帝・曹髦~
~若き魏の参謀・鍾会から「祁山での対蜀計略」を聞く司馬昭。
本第 80 集のあらすじは以下の通り(1→5):
1魏将・郭淮は、姜維によって鉄籠山に包囲された司馬昭の救援に向おうとする。が、部下の陳
泰は、策を用いて包囲を解くことを勧める。陳泰の策とは、「蜀軍と同盟を結んだ羌族の陣に
出向き、偽りの投降をして羌王を捕らえて仲間に引き入れ、今度は羌軍と共に蜀陣を襲う」と
いうものである。この策はまんまと当たり、羌軍を仲間に入れることに成功。
2一方、鉄籠山に封じ込められた司馬昭軍、飲み水が足りなくなり、下山して蜀に投降する兵士
が相次ぐ。残った兵士も渇きに苦しみ士気が低下する。司馬昭はこの急場を乗り切るため、兵
士らを集め、彼らをここまで追い詰めた責任をとって飛び降り自殺をするふりをする。これを
見た兵士ら、司馬昭のもくろみ通り、大感激。
司 馬 昭
(兵士ら
に支えら
れている
後向き)
のわざと
らしい演
技を真に
受けた魏
兵たち、
彼を取り
囲んで飛
び降りを
阻止しよ
うとする
- 4. 曹芳を廃して曹丕の孫にあたる曹髦(14 才)を皇帝に立てる。
慣れない皇帝の座に着き、居心地
悪そうな様子を見せる新帝 曹髦
・
4司馬師は、もともと左目にできものがあり、ある時それを切開し、療養していた。ところがそ
の頃、淮南で反乱が起きたため、司馬師は傷をおして征伐に出かけたところ、傷口が裂け、重
体に陥る。そこで洛陽の都にいた弟・司馬昭を呼び寄せ、後事を託して亡くなる。
死期を悟り、大将
軍の印を弟・司馬
昭(右/背中)に譲
り渡そうとする
司馬師(目に包帯
を巻いた人)
司馬昭は、兄亡き後、兄を継いで大将軍となり、魏朝廷の一切の権力を手に入れる。
5一方、蜀の姜維は司馬師死亡の知らせを受け、魏の混乱に乗じて北征を成功させようと考える。
しかし、魏軍には武勇と知略に長けた鄧艾という武将がおり、なかなか勝ち進めない。ある時、
姜維が祁山に陣を張ると、既にその地は鄧艾によって地下道が掘られており、地下道を通って
- 5. 来た魏兵の襲撃を受ける。
地下道
を通り、
蜀陣の
すぐ側
に出て
きた魏
兵ら
姜維はそれを知って悔しがるが、取り乱さず、その翌日、正式に鄧艾と勝負しようと考える。
司馬昭の「水乞い祈願」はなぜ削られたか?
司馬昭が鉄籠山に封じ込められ、兵士たちが渇きに苦しんでいる時、司馬昭は兵士たちの前で自
殺をはかるという大芝居をうち、何とか急場をしのいでいる(あらすじ2のアンダーラインの部
分)。ところが、演義の原文では、
「司馬昭は、山頂にある(小さな)泉の辺に立ち、天に向って祈
りを奉げると、その泉からコンコンと水が湧き出し、六千人の兵士たちは渇くことがなかった」
とある。
なぜ、こんなに変えてしまったのだろう?
たぶん一つには、この DVD が製作されたのが 90 年代初頭で、77 年まで続いた文化大革命の影響
もあり、「天に祈って泉を湧かす」といった非科学的なことは、迷信として極力排除したかった
のだろう。そしてもう一つには、これは私の想像だが、司馬昭という人物を悪者として描くとい
う演出の意図があったのではないか。天に祈ってその願いが叶えられた場合、「その人物が善人
である」という証拠になってしまう。司馬昭はこの次の第 81 集で天子を殺害するという悪行を
やってのける。こんな人物の願いを天は絶対、聞き届けるはずがないのである。