82.Romance of the Three Kingdoms
- 2. 第 82 集 九伐中原(姜維、9 度目の北征に出る)2009.11.25 更新
―「3 時間で~」第 85 話参照
チャプター① 解説「九度目の北征に出た姜維は、鄧艾に策を見破られ、敗れる。が、引き続き
洮陽で鄧艾と対峙する一方、張翼に兵を与え、祁山の魏本陣に奇襲をかけさせた」
~
チャプター② 祁山。張翼ら奇襲をかけるが、ジワジワと負けていく~
チャプター③ 劉禅から相次いで出される「漢中に撤退せよ」との詔に苦悩する姜維~
チャプター④ 成都に戻って劉禅に謁見する姜維、
「宦官・黄皓を除くように」と散々説くが...
チャプター⑤ 解説「司馬昭は鍾会を鎮西将軍に任じ、征西将軍である鄧艾と共に蜀討伐に向う
よう命じた」~
~部下を処罰されて怒った鄧艾、漢中の鍾会の陣に向う。対する鍾会、300 人の
兵に周りを固めさせて迎える。
本第 82 集のあらすじは以下の通り(1→4):
1鄧艾が姜維と洮陽で戦っている間に、祁山にある鄧艾本営に奇襲をかけようとした張翼、鄧艾
の部下・師纂と戦うが、なかなか勝負がつかない。そのうち、張翼の奇襲を察した鄧艾が自ら
救援に駆けつけたため、張翼は益々劣勢。ところがその時、やはり鄧艾の追撃を予想した姜維
が現れ、蜀軍は劣勢を挽回。鄧艾軍の息の根を止めるのもあと一息という状況になった。とこ
ろがその時、成都から蜀主・劉禅の詔が届き「早く漢中に撤退せよ」と言う。
バカ君主・劉禅
からの詔を読み
あげる勅使
- 3. 馬鹿げた内容と知りな
がら、臣下として謹ん
で詔を拝聴する姜維
(中央)
しかもその詔が、日に何度も届くため、姜維と蜀兵たちは泣く泣く漢中に撤退。
2軍を漢中で休ませた姜維は、蜀都・成都に戻って劉禅に謁見しようとする。が、劉禅は十日も
参内せず、宮女たちや宦官・黄皓とたわむれ、姜維と会おうともしない。
真昼間か
ら酒宴を
開くバカ
殿・劉禅
仕方なく姜維は、郤正に漢中撤退の理由を尋ねたところ「黄皓が、自分に賄賂を贈る右将軍・
閻宇を出世させるため、閻宇を姜維に代わって大将軍にさせようとした」結果であると分かる。
- 5. 厳 し
い 山
の 頂
に あ
る 剣
閣城
4一方、漢中を制圧した鍾会は、鄧艾の部下である諸葛緒に姜維の退路を断つよう命じていたが、
諸葛緒は姜維の策にはまり、守備を命じられていた場所を守りきれず、惨敗をきす。かねてよ
り厳罰主義に徹してきた鍾会、この諸葛緒の命令違反に腹を立て、斬首の刑を命じる。
諸葛緒の負け
戦に対し、怒り
を爆発させる
魏 の 若 き 参
謀・鐘会
- 6. 諸将の頼みで処刑だけは免れたものの、諸葛緒は囚人車に乗せられ洛陽に送り返されることと
なる。
これを伝え聞いた鄧艾、もともと「姜維との戦いで功労のある自分をさしおき、鍾会は漢中占
拠の栄誉を独り占めしている」と不満を抱いていたが、今度は自分の部下を勝手に処分された
ため、カンカンに怒る。そして、何か一言いってやろうとばかりに、息子・鄧忠らを伴なって
鍾会の陣に乗り込む。
蜀主・劉禅が宦官に丸め込まれて、北征軍に撤退の命令を出したのは、今回が初めてではない。
孔明の存命中、つまり第四回北征の際、兵糧調達が遅れて孔明から棒打ちの刑に処せられた苟安
が、劉禅お気に入りの宦官に「孔明が帝位を狙っている」と入れ知恵。劉禅を不安がらせ、帰還
命令を出させた(本ブログ第 74 集参照)。
こうして孔明を呼び戻したものの、劉禅はその後自分の行為を反省。孔明に言われるままに、そ
の宦官を処刑する。そしてそれ以降、二度と孔明を北征から呼び戻すことはなかった。
ところが、今回はどうだ? 宦官・黄皓に言われて日に何度も撤退の詔を出し、姜維がそれに従
って帰還しても、会おうともしない。自分の本来の仕事である政務を見ることですら、十日も休
んで平気な顔。堕落のきわみである。
孔明の時となぜここまで違うのか? 思うに年齢の差が大きく関与しているのではないか。孔明
と劉禅の年の差は26才、親子ほどの開きがある。一方、姜維とはわずか5才。これでは、ほぼ
同年輩だ。また、劉禅が初めて天子の位についた時、彼は弱冠17才、それに対し孔明は43才
の働き盛り。また孔明は、劉備からの信任が厚く、劉禅は劉備から「孔明を父親並みに待遇せよ」
と遺言されている。劉禅にとって孔明は、どう考えても頭の上がらぬ存在。それに比べて姜維の
方は、孔明の後継者とは言っても譜代の家臣ではない。しかも、劉禅自身、年とともに権勢を拡
大させ、後見役は不要になる。だから、劉禅にとって姜維など家臣の一人、自分が自由に動かせ
るコマに過ぎないとの思いがあったのだろう。
ちなみに本第 82 集での劉禅と姜維の推定年齢は 57 才と 63 才(↓次ページの写真参照)