More Related Content
Similar to 孫龐闘智③(孫臏、龐涓に勝利す)
Similar to 孫龐闘智③(孫臏、龐涓に勝利す) (9)
孫龐闘智③(孫臏、龐涓に勝利す)
- 1. 戦国篇 第 12 集
孫龐闘智③(孫臏、龐涓に勝利す)
孫臏の戦術に敗れ、馬陵で戦死する龐涓
- 2. 第 12 集 孫龐闘智③(孫臏、龐涓に勝利す) -戦国篇-
―あらすじ―
田忌(でんき)に連れられて魏を脱出した孫臏(そんびん)は、斉に着くと、将来の対龐
涓(ほうけん)戦に備え、一心不乱に布陣の研究にいそしんだ。
一方、龐涓は魏・恵王(けいおう)の命をうけ魏の領土を拡大すべく北の隣国・趙の都・
邯鄲(かんたん)を攻めようとしていた。
趙王は危機感を募らせ、ただちに斉に救援を要請する。が、斉の威王(いおう)は、強い
魏軍によって斉が被害を受ける事を恐れ、なかなか決意が固まらない。
そこへ孫臏が進み出て言う:
「確かに今、我が斉軍が趙に向かい魏軍と対峙すれば、意気盛
んな魏軍に打ち破られてしまいます。ですから、我が軍は、一旦趙に入ると見せかけ、実際
は魏の大梁(たいりょう)を目指すのです。そうすれば、その噂を聞いた魏軍は趙から撤退
しますし、我が軍は、慌てて戻ってくる魏軍を待ち伏せして撃つことができます」
斉・威王はこの孫臏の策(囲魏救趙)が気に入り、早速、田忌を大将軍に、孫臏を軍師に
命じ、10 万の軍を率いて魏の大梁を目指させた。そしてその噂を聞いた龐涓は、案の定、魏
軍を趙から撤退させ、自国の救援に向かおうとする。
龐涓が自軍を桂陵(けいりょう)まで撤退させた時、斉軍がその前に立ちはだかった。そ
してその先頭には天蓋つきの車があり、そこに乗っているのは孫臏その人である。斉軍に囲
まれた龐涓は、多くの魏兵の犠牲を出しながら、何とか包囲を突破。命からがら魏に逃げ戻
る。
こうして、この桂陵での戦いでは、あと一歩というところで龐涓に逃げられ、沈み込む孫
臏。そんな彼のところへ龐英(ほうえい)が訪ねてくる。彼女は孫臏に「兄の罪を償うため
に来たわ」と言い、孫臏に自分の全てを捧げようとする。が、その「兄(=龐涓)」という言葉
を聞いた途端、
「龐涓との対決」という現実に引き戻された孫臏は、龐英を突き飛ばし、また
布陣の研究に没頭するのであった。
そんな彼の姿に失望した龐英は、孫臏のことを「復讐鬼!」となじり、立ち去ろうとする。
が、孫臏は龐英に向かって言う:
「もし龐涓に、官を辞して和解する気があるなら、自分も隠
居して鬼谷へ行き、和解に応じよう」と。
その話を妹の龐英から聞いた龐涓は、早速、魏・恵王に面会を求める。だが、実際、龐涓
- 3. は辞職を願い出たのではなく、孫臏が斉軍の軍師のポストを退いた隙に、また一戦争始めよ
うと恵王に持ちかけたのである。
龐涓は言う:
「斉は今、他国に出兵する余裕はないでしょう。ですから我が魏軍は先ず韓を
攻めましょう。そして韓を破ったあかつきには、軍を東に向け、斉も撃ちましょう」 その意
見に同意した恵王は、さっそく龐涓を大将軍に命じ、韓に向けて出発させる。
魏の攻撃を受けた韓は、危機を感じ、斉に救援を求めた。一方、斉では威王が亡くなり、
子の宣王が即位していた。そしてその宣王の傍らには、相変わらず孫臏が軍師として控えて
いた。実は、龐涓が辞職しなかったのと同様、孫臏も隠居しなかったのだ。
孫臏は斉・宣王に言う:
「ひとまず韓の救援要請を承諾した振りをし、韓と魏を戦わせまし
ょう。そして両国が力尽きた時を見計らって我が斉軍を派遣すれば、簡単に勝利を収められ
ます」
斉の宣王に向か
って対魏戦の戦
術を提示する孫
臏
そして前回と同様、魏の大梁を攻撃したため、龐涓もまた韓から引き上げ、大梁にいる斉軍
を追った。
龐涓率いる魏軍の追撃を知った孫臏は、龐涓を油断させる巧妙な方法を考えた:
それは、斉軍の兵士が食事をする際、初日は煮炊き用の穴を普通に掘らせ(10 万個) 日目
、2
にはその半分(5 万個) 日目には更に三分の一(3 万個)に減らさせたのだ。そうする事
、3
によって、後から来た龐涓は、斉の兵士は逃亡して、人数が激減したものと思い込んでしま
- 4. う。
案の定、龐涓は「激減した斉軍に対して、少数の精鋭部隊で対抗できる」と考え、歩兵を
残し、騎兵だけで追撃する。こうして龐涓ら魏軍は、斉の馬陵(ばりょう)と呼ばれる土地
までやって来る。馬陵は、断崖絶壁と、うっそうと茂った林に囲まれた道が続く場所である。
←現在の馬陵?
(断崖は有るものの、
うっそうと茂った林
はない。うち続く戦
争で木が焼き払われ
てしまったのか?)
龐涓らがそこを通り抜けようとすると、両側の崖に潜んでいた斉軍が、一斉に大石や丸太を
落とし、魏軍は大きな被害をこうむる。
夜になった。斉・魏両軍は、それぞれの陣地に引き上げた。龐涓は少なくなった魏軍を補
給するため、魏都・安邑(あんゆう)に居る恵王に援軍依頼の使者を出す。一方、孫臏の方
も、「今後どの様に魏軍を攻めるか」について田忌と意見を戦わせていた。と、そこへ突然、
孫臏の弟弟子である蘇秦(そしん)が尋ねてくる。
実は、龐涓と孫臏との争いに絶望した龐英は、鬼谷に駆け込み、彼らの師匠である鬼谷子
(きこくし)に、彼らの和解を助けてくれるよう懇願したのであった。そこで鬼谷子は、別
の弟子である蘇秦と張儀(ちょうぎ)を使って仲裁に当たらせようと考え、蘇秦を孫臏のも
とへ、張儀を龐涓のもとへそれぞれ派遣したのであった。
鬼谷子のもとで遊説術を学んだ蘇秦と張儀の二人は、言葉巧みに孫臏と龐涓を説得し、つ
いに二人が戦場で面会するようにしむける。そして孫臏と龐涓の二人は、谷一つ隔てた場所
でお互い対面し、言葉を交わす。
- 6. 敵兵の屍の
中から龐涓
を探し出そ
うと戦場を
はい回る孫
臏
龐涓の旗が見つかった。が、結局、彼の遺体は見つからない。
ふと、勝利の喜びが消え、虚脱感に襲われる孫臏。 彼は「龐涓~!龐涓~!」と声が涸れ
るまで叫び続けるのであった。 (“孫龐闘智”完!)
- 感 想 -
今回の「DVD 孫龐闘智」の内容は、原作の「東周列国志」にヒロイン龐英を加え、最後に
遊説家の蘇秦と張儀を登場させている。また、龐涓が亡くなる場面も、原作および司馬遷の
「史記」とは趣を異にしている。
ちなみに「史記・孫子呉起列伝」の該当箇所を見てみると以下のようになる:
孫臏は、…(馬陵に生えている)大木の皮を剥ぎ、中から白木が露出すると、その上に「龐
涓、この木の下に死せり」と書かせた。そして一万人の射手に「夜、あの木の下に明かりが
見えたら、一斉に射撃せよ」と命じた。 その夜、龐涓はその木の下に至り、白木に何か文字
が書かれているのを見、それを読もうと火を点けた。が、まだ読み終わらぬうちに斉軍の矢
が一斉に発射され、魏軍は大混乱に陥った。…龐涓は、もやはこれまでと自害したが、死ぬ
前に「とうとう、あの小僧(孫臏)の名を上げるのを助けてしまった…」と言った。