土方歳三の防衛戦略
〜考古学が読み解く二股台場〜
箱館戦争戦跡調査プロジェクト 石井淳平
土方歳三の防衛戦略
〜考古学が読み解く二股台場〜
箱館戦争戦跡調査プロジェクト 石井淳平
4月9日 
新政府軍乙部上陸
4月9日以降 
大野川右岸から
陣地転換
二股口
第一次会戦
4月13日〜14日
4月13日15時頃 
天狗岳前線基地へ新政府軍襲来
松前藩  50名
長州藩 250名
福山藩 250名
総兵力 550名
衝鋒隊 70名
伝習隊 40名
工兵隊・砲兵隊 20名
総兵力 130名
4月13日夕刻 
新政府軍、二股台場へ到達
伝習歩兵隊
衝鋒隊衝鋒隊
別働隊による
奇襲攻撃
伝習歩兵隊
衝鋒隊衝鋒隊
夜明けとともに
新政府軍撤退
伝習歩兵隊
衝鋒隊衝鋒隊
伝習歩兵隊
6小隊200名
衝鋒隊+三国隊
100名
衝鋒隊
松前藩  80名 
長州藩 180名
福山藩 200名
岡山藩  80名
徳山藩 160名
弘前藩  80名
薩摩藩  80名
総兵力 860名
伝習歩兵隊
6小隊200名
衝鋒隊+三国隊
100名
衝鋒隊
松前藩  80名 
長州藩 180名
福山藩 200名
岡山藩  80名
徳山藩 160名
弘前藩  80名
薩摩藩  80名
総兵力 860名
二股口
第二次会戦
4月23日〜25日
増強された両軍兵力が
再度激突する
伝習歩兵隊
6小隊200名
衝鋒隊+三国隊
100名
衝鋒隊
長州藩を主力とし、左翼
に岡山藩、右翼に福山藩
が配置された
長州藩
岡山藩
福山藩
4月23日夕刻
伝習歩兵隊
衝鋒隊衝鋒隊
滝川充太郎率いる
伝習士官隊の増援。
滝川の独断で
敵主力への突撃を敢行
長州藩
岡山藩
福山藩
4月24日10時頃
君は何の作戦もなく突撃したのか。無駄に
兵を消耗させて、士気にかかわる!!
・・・・・・
大川君の言うことは筋が通っている。
しかし、滝川君の勇気も感心すべきものだよ。
大川(伝習歩兵隊隊長)
滝川(伝習士官隊隊長)
土方(「総督」)
伝習歩兵隊
衝鋒隊衝鋒隊
薩摩藩及び
松前藩の増援
夕刻には徳山藩到着
長州藩
岡山藩
福山藩
4月24日午後
徳山藩
薩摩藩
松前藩
伝習士官隊
伝習歩兵隊
衝鋒隊衝鋒隊
長州藩
岡山藩
福山藩
4月24日深夜
徳山藩
薩摩藩
伝習士官隊
伝習歩兵隊
衝鋒隊衝鋒隊
長州藩
岡山藩
福山藩
4月25日早暁
徳山藩
薩摩藩
伝習士官隊
新政府軍全線に
撤退命令
土方歳三の防衛戦略
〜考古学が読み解く二股台場〜
箱館戦争戦跡調査プロジェクト 石井淳平
4月29日 
大鳥圭介率いる主力が
矢不来で敗走
二股口からの
撤 退
4月30日
戦略的価値を失った
二股台場を放棄
五稜郭へ撤退
なぜ少ない人数で
新政府軍を
撃退できたのか
二股台場の
防衛構想を探る
防衛構想1
二股台場の
防衛構想を探る
長くけわしい
短
く
平
ら
『維新戦争実録』(長州藩士)
 第一次会戦(4月13日の退却の様子)
■雨は降るし、非常な困難で食料も来ない。昼飯を食
うたきりで夜12時まで何も食うことができぬ。
■山の絶頂でけが人が出てそれを運搬するのに、はな
はだ困りました。
■途中でどうも疲れて動くことができぬ。首を取られ
ても仕方がないから戦友を先に行かせて寝てから、
稲倉石まで帰ったことがあります。
『維新戦争実録』(長州藩士)
 第二次会戦(4月23日の様子)
■(援軍に出たところ)我が官軍の監督をしていた駒
井政五郎という人に会いました。「なに、わずかな怪
我だよ、一刻も早く出て盛り返してくれなければいか
ぬ」と言われた(駒井は後に戦死)。
負傷兵の後送に大きな困難
防衛構想2
あえて
攻めさせる
川岸を守らない
川岸には
わずかな塹壕のみ
新政府側 幕府側
新政府側
新政府軍
幕府軍
二股川
川をわたったところを
叩く
鶉山道
2020年9月7日放映所ジャパン
世紀の大発見!!
防衛構想3
罠をかける
新政府軍 幕府軍急斜面
南側の尾根を
回り込む敵を狙う
南側の尾根の
正面を守る
鶉山道の突破を
許さない!!
鶉山道に
十字砲火をかける
渡河する敵を
狙い撃つ
立ちはだかる塹壕群立ちはだかる塹壕群
塹壕がグループで機能する
 ・回り込まれないように
 ・十字砲火
 ・対岸の敵をけん制
ライフル銃の性能を活かす
 ・長い射程きょり
 ・高い命中率
軍事技術の結晶
当時のまま残る塹壕
二股台場とは

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