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Similar to 26.伍子胥の盟友・専諸、呉王僚を刺殺す (8) 26.伍子胥の盟友・専諸、呉王僚を刺殺す1. 春秋篇 第 26 集
専諸刺僚(伍子胥の盟友・専諸、呉王僚を刺殺す)
専諸(後ろ向き)に、ヨロイを着けていない背中を刺され
苦しむ呉王・僚
2. 第 26 集 専諸刺僚(伍子胥の盟友・専諸、呉王僚を刺殺す) -春秋篇-
―あらすじ―
東皋公(とうこうこう)の計らいで何とか昭関を突破した伍子胥(ごししょ)
、長江を前にして
再び追っ手に捕まりそうになるが、親切な漁夫に、向こう岸まで渡してもらい、無事、呉国に着
く。
危ない所を
漁師(右)に
助けてもら
い、何とか
追っ手を振
りきった伍
子胥(左)
ところで当時の呉王朝では、王位をめぐる争いの火種がくすぶっていた。
つまり、先代の 19 代呉王・寿夢(じゅぼう)には四人の公子がいたが、その中で末子の季札(き
さつ)が最も賢明であったため、寿夢は季札に王位を継がそうと考えていた。しかし、寿夢の歿
後、季札は王位を受けることを断わったので、結局、長男の諸樊(しょはん)が継いだ。そして
諸樊が亡くなる時、彼は自分の子を世継ぎとせず、次弟の余祭(よさい)に後を継がせ、最後に
王位が季札に巡るように遺言した。
ところが、余祭の弟・余昧(よまい)が亡くなった後、季札はまた王位を断わった。そこで、
結局、余昧の子・僚が第 23 代呉王の位を継ぐことになった。ところが、第 20 代呉王・諸樊(し
ょはん)の子である光は「季札が継がないのなら、もとに戻って自分が継ぐべきだ」と考え、不
満であった。が、僚が王位を手放そうとしないため、光はひそかに僚を殺害しようと企んでいた
のであった。
3. 呉王朝末期の系図
寿夢(19 代)―――諸樊(20 代)―公子・光 〈…→ 闔廬(24 代)〉
|
―余祭(21 代)
|
―余昧(22 代)―呉王・僚 (23 代)
|
―季札
その様な状況を知らぬ伍子胥は、当時の呉王・僚に近づき、呉の軍を借りて楚の平王を攻め殺
そうと考えていた。そこで、乞食に身をやつし、呉王の馬車が通る道端で簫(しょう/笛の一種)
を吹いて王の注意を引こうとした。
ところがその時、王が来るのを待ち構えていたのは伍子胥一人ではなかった。光とその部下・
被離が僚を殺そうと弓を片手に近くに潜んでいたのだ。
弓を構えて呉王僚を射殺そうと狙う光(奥)と被離(手
前)→
それに気づいた伍子胥は、王の馬車が来ると、持って
いた簫を転がして馬車を止め、王に合図を送った。そ
のため、被離の放った矢は急所をはずれ、王は殺されずにすんだ。
そして、王と同行していた太子・慶忌(けいき/呉王僚の子)は、たちどころに光たちの居る建
物に駆け上がり、そこにいた光の部下を斬りすてる。が、光と被離は、とっさに物陰に隠れたた
め、見逃してしまった。その後、伍子胥が共犯者だと思い込んだ慶忌は、伍子胥に近づき、斬ろ
うとした。と、そこへ専諸(せんしょ)という男が近づき、
「こいつは只の乞食です。斬ったとこ
ろで何もなりません」と弁明する。慶忌も、その言葉に納得。その場を立ち去った。
慶忌が去った後、専諸は伍子胥を家に連れ帰り、あれこれ尋ねるが伍子胥は答えようとしない。
ところが、伍子胥の身元は、既に呉王僚に調べられたらしく、専諸の家に王の使者がやって来て、
伍子胥に「王と謁見せよ」と言う。
一方、呉王暗殺に失敗した光の方も、あの乞食が楚の有名な伍子胥だと気づき、被離をやって
5. その会話を傍らで聞いていた専諸の母は、専諸に向かって言う:
「伍子胥殿に呉王を殺させては
ダメ。伍子胥殿が呉王を殺せば、王を殺した罪で、光から逆に処刑されてしまう。…(専諸に)お
前が代わりにやるんだよ。そして伍子胥殿には仇討ちをさせておあげ。」
こうして呉王暗殺の仲間となった専諸は、伍子胥らと暗殺計画を練っていく。伍子胥は光に尋
ねる:
「呉王には何か好きな食べ物がありますか?」それを傍らで聞いていた被離は言う「呉王様
は魚がお好きです。『天下の名料理人の作った魚を全て食べてみたい』と常々仰せなのですから」
それを聞いた伍子胥、呉王に近づける唯一の方法として、専諸に魚料理を習わせた。
こうして専諸は魚料理の名人になった。そこで伍子胥は光に言う 「すでに専諸の腕前は上がり、
:
いつ呉王の前に出しても恥ずかしくない。それなのにグズグズと呉王を討たず、楚攻撃もしなけ
れば、そのうち楚の平王は死んでしまうぞ」
それに対して光は言う:
「分かっている。だが、呉王の護衛が厳しいのだ。先ず、太子の慶忌が
片時も離れず付き添っているし、母方の叔父に当たる掩余(えんよ)と燭庸(しょくよう)が軍
を掌握しているのだ。だから、この三人を除かねば、たとえ僚を殺せたとしても、王位を保つこ
とができない」
と光が言っている間に、家来が入って来て言う:
「伍子胥様、朗報です。楚の平王が病死しまし
た」それを聞いた光は驚き、また伍子胥のために喜んだ。そして祝いの酒盛りをせよと家来に命
じたのだが、当の伍子胥は、逆に泣き出した。曰く:
「父上~!兄上~、どうして私は、こんなところでグズグズと指をくわえて待っていたのでしょ
う!? お陰で私が楚を倒す前にあの暴君は天寿を全うしてしまった。この恨みを晴らす機会のな
いままに…。ああ、天よ~、あぁ-----!!」
天に向かって絶叫する伍子胥→
6. それから三日というもの、伍子胥は父と兄の位牌の前に座り続けた。心配した光がやって来た。
伍子胥は言う:
「私は、平王を鞭打とうと、鞭を用意していた。が、もうこうなっては、平王の墓
を暴いて屍(しかばね)を打つしかない」 驚いた光は聞く:「と言うことは、伍子胥殿はまだ楚
を討つことを諦めていないのですね」
伍子胥は言う:
「当たり前だ。私は、この 3 日間、無駄に座っていた訳ではない。今、楚王が死
に、新王はまだ幼い。しかも楚には賢臣や良将がいない。だから、呉王僚にこう言えばよい:
『楚
が葬儀にかまけている間に出兵すれば、たちまち楚を滅ぼし、呉王様は覇者になれます』と。そ
して光殿は『馬車から落ちて足を挫いた』ことにすれば、僚も光殿を出陣させないだろう。その
代わり掩余と燭庸を出陣させ、太子・慶忌には鄭と衛の二国と軍事同盟を結ばせるよう仕向けれ
ば、呉国内に邪魔者がいなくなり、事を起こせるだろう」
この伍子胥の計略が当たり、呉王は掩余と燭庸に命じて楚に出兵した。そして光は魚腸剣と
いう鋭利な短剣を専諸に託し、呉王を宴会に招待する。
ところが宴会の当日、光の殺意を感じたのか、呉王は護衛を更に徹底させてやって来た。しか
も肝心の専諸がまだ現れない。光は焦りながら呉王を出迎え、途中で「足がまだ痛むので、包帯
を巻いてきます」と言って中座し、厨房に駆け込んだ。
一方、専諸は、親孝行で、呉王を刺殺した後、自分が死ねば、老いた母親の面倒を見る者がな
くなるのを心配。もう一度母親に刺殺の可否を尋ねていたのだ。母親は、自分の存在が専諸の行
動を鈍らせていることに気づき、専諸が目を離した隙に首を吊って死んでしまった。それを知っ
た専諸、心配して駆けつけてきた伍子胥に向かって、涙ながらに言う:
「母は、死をもって、私の
意志を貫かせようとしている…」
その後、厨房に駆けつけた専諸は、呉王僚のために大きな魚を料理する。そしてその魚を宴席
に運ぼうとすると、たちまち王の護衛が専諸の懐を探ってボディチェック。何も見つからなかっ
たため呉王の前に行く専諸。実は、その魚の腹に短剣を潜ませていたのだ。
魚好きの呉王のために魚の身をほぐしてやる専諸。その作業の途中で、彼はいきなり魚の腹を
裂き、中にあった短剣ですばやく呉王を突いた。
7. 魚腸剣で呉王僚の胸を突く専諸
ところが、呉王はビクともせずにニヤリと笑って言う:
「ワシが着けている鎧(よろい)が見た
いか?」
はっと気がつく専諸。次の瞬間、その短剣は呉王の背中を突き刺していた。うめき声を上げて
倒れる呉王。だが、専諸自身も、呉王の護衛たちによってめった突きにされ、呉王と共に亡くな
るのであった。
-感想-
今回の画像を見ていて「えっ!? なんて野蛮な…」と感じたことがある。それは、公子光や呉王
僚まで、焼き魚を手でむしり、ムシャムシャと食べていたことだ。
光が、手で魚の身をむしっ
て食べようとしていると
ころ
立派な衣装や冠を着けた王様が、箸も使わず手づかみで食べるとは…と呆れずにはおれなかった。
8. 呉王僚も、光同様、手
で魚をむしって食べよ
うとする。
箸で魚の身をほぐしな
がら食べる現代人には
ちょっと考えれられな
い行為だが…
しかし、よくよく考えてみれば、これは BC 515 年に起こった出来事である。この BC 515 年と
は、日本で言えばまだ縄文時代。稲作もせずに狩猟と採集によって食物を確保していた、いわば
原始時代だ。だから、中国だって、箸を使わずに食べたって不思議ではない。
でも、このドラマの内容は、そんなに古い話とは思えない現実味がある。だから、知らず知ら
ずのうちに、江戸時代(AD1600~1800 年頃)の感覚で見てしまっていたのだ。
人間の生き様って、2500 年位経っても大して変わらないものだなぁ~ 感無量!