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15.重耳(ちょうじ)、覇者となる
- 1.
春秋篇 第 15集
ちょうじ
文公成覇(重耳、覇者となる)
春秋最大の戦い・城濮之戦に臨む重耳(文公)
- 2.
第 15 集 文公成覇(重耳、覇者となる) -春秋篇-
―あらすじ―
重耳が晋文公として即位して間もなく、周王朝では周襄王の庶弟・帯が謀反を起こした。そこ
で、襄王は鄭に出奔し、鄭軍の力を借りて周に帰ろうとするが、あいにく鄭にはそれだけの力が
ない。そこで襄王は仕方なく、鄭に留まり、もっと強い諸侯国の救援を待つことにする。
周王室の内乱を知った秦の穆公は、さっそく軍を率いて襄王を助けるべく鄭に向う。途中、晋
の土地を横切るが、先年重耳を助けて晋侯に即位させた経緯もあり、重耳を見下していた穆公は、
そこを無断で通過しようとする。
「天子(周 襄王)を助ける
・
という大事をなすのに、
誰かに一々ことわる必要
などあるものか!」と強
気で晋の領土を横断しよ
うとする秦・穆公
一方、その情報をキャッチした晋側では、秦軍にどう対処すべきかの議論がなされていた。確
かに秦には恩がある。しかし、秦が周襄公を助ければ、覇者の地位を穆公に奪われてしまう。そ
こで文公(重耳)は腹心の趙衰に向かって「晋軍を伴わず、舌先三寸で秦軍を退却させるように」
と命じる。
文公の命を受けた趙衰、穆公のところへ行き、一礼して言う:
「周王室と我が晋国は、ともに姫
姓の国です(注)。ですから王室での内乱は、同姓である我が晋が収めるべきで、貴国(秦)の軍隊
を煩わすまでもありません。どうかお引取り下さいますように」
(注)晋は周王室と親戚筋に当たるので姫姓。一方、秦は贏姓。
- 3.
「晋も周も姫姓の末裔、つまり同姓であります!」
とまくし立てる趙衰
その言葉に穆公も家臣たちも内心不満であったが、結局、趙衰に押し切られた形で、穆公は晋
に周襄王を助ける役目を譲ることになる。そこで晋文公は謀反を起こした帯を殺し、周襄王の王
位を復活させる。こうして文公は覇者としての第一歩を歩みだすのである。
晋文公はかつて亡命中に、衛の城門から閉め出され、曹の共公に入浴姿を見られるという屈辱
を受けた。そこでこの仇を雪ぐべく、衛と曹を攻撃。先ず衛の文公を捕らえた。すると彼は自分
の娘を南の大国・楚の成王に嫁がせた事を理由に、楚の力を盾にとって釈放を要求。晋文公を激
怒させる。
また無礼な曹共公も捕らえたが、その家臣である僖負羈(きふき)は、かつて亡命中の文公に食
事と玉壁を送ってくれた事を鑑み、僖負羈の家を存続できるように取り計らう。
ところで衛・文公が晋に捕らえられた話は、楚にも伝わり、楚成王に嫁いだ衛文公の娘(衛姫)
は、成王に父・文公を助けてくれるよう頼む。
「成王様、どうか父を助けてあ
げて下さい」と頼む衛姫
- 4.
- 5.
晋の武将・胥臣(しょしん)は自軍の馬に虎の皮をかぶせて楚軍の右側にいる陳 蔡連合軍に突入。
・
すると陳・蔡両軍は恐れて逃げ、楚の右軍は崩壊する。
また晋の狐毛は退却するふりをし、同じく晋の欒枝(らんし)も兵に柴を引きずらせて土ぼこり
を揚げさせ、あたかも敗走しているように見せかけた。楚軍がこれを追うと、横から晋の先軫(せ
んしん)、郤湊(げきしん)が突撃。また一旦退却していた狐毛、狐偃も引きかえしたため、楚の左
軍も崩れ、楚軍は大敗を喫する。
晋文公はその後、践土(鄭の地名)に周王のための王宮を築き、この時捕らえた楚の兵士 4 千人、
軍馬 400 頭を周襄王に献上したため、襄王は喜び、文公を侯伯(諸侯の長)に定めた。こうして、
ついに文公は覇者になれたのである。
一方、戦いに敗れて楚成王のもとに戻った子玉将軍は、成王から責任を追及され、剣を首にあ
てて自害する。
自害する子玉
(→「第 16 集 罪哭崤山」につづく)
―感想―
上記、青文字で書いた楚王に対する文公のセリフ:「自軍を三舎(90 里)撤退させましょう」と
いう言葉は、後に「退避三舎」という故事成語となり、他人に対する謙譲や尊重を表す意味にな
る。
- 6.
ところで本 DVD で晋軍が三舎退却する時、面白い場面があった。それは、退却させられている
晋の兵士たちが、不平を漏らし、それを鎮めるべく晋の司馬・趙衰が一席演説をぶつのである。
以下にそれを挙げてみよう:
晋兵1:楚軍と戦うなら戦う、降参するなら降参する、どっちかにしてほしいよね。楚軍に追わ
れて逃げまくる(退避三舎のこと)なんて、嫌なこった!
晋兵2:そうさ、周りにいる百姓どもからは笑われるし、面子丸つぶれだ!
それを聞きつけた趙衰、乗っていた戦車から立ち上がると兵士達に呼びかける:
趙衰「皆の衆、よく聞け!我々晋の人間が楚の奴らに背を向けて逃げるなんて事ができるか?!」
兵士の前に立ち、いき
なり演説をはじめる
趙衰
晋兵達「できるものか!」
趙衰「我々の君主は、苦難をなめ尽くし天下にその名をとどろかせた重耳であるぞ。この様な君
主が南蛮・楚の子玉に背中を見せて逃げる訳がない。だが、皆の衆、我が君主はかつて楚王に対
して退避三舎の約束をした。信義を重んじる君主としてはそれを守らねばならぬ。しかし、我々
が三舎引いた後も楚軍が追ってくるようなら、その時こそ思い切り打ちのめしてやろうではない
か。それでもまだ子玉を怖がっていると言えようか?!」
晋兵達「怖がってなんかないぞ!」
趙衰「我々が三舎退くのは、『楚軍に対する挑発』と言えるのではないだろうか?!」
- 7.
晋兵達「そうだ!そうだ!」
趙衰の話をじっと聞き
入る晋兵たち
こうして趙衰は、すっかり兵士達にやる気を起こさせ、晋軍は見事、楚軍を打ち破るのである。