5.Spring and Autumn Period -Later Year of the Zhou Dynasty
- 1. 春秋篇 第 5 集
諸児文姜(斉襄公、妹の文姜と密通する)
里帰りした妹・文姜を見て満面の笑みをたたえる斉襄公
- 2. 第5集 諸児文姜(斉襄公、妹の文姜と密通する) -春秋篇-
―あらすじ―
衛宣公と結ばれた宣姜(斉侯の娘)には文姜という妹がいた。彼女は魯の桓公に嫁いでいたが、
嫁ぐ前から異母兄の諸児と不倫関係にあった。
その後、父・僖公が亡くなると、長男である諸児が後を継ぎ、斉襄公となった。好色な襄公は、
連妃という妃に飽き足らず、魯に嫁いだ妹・文姜が忘れられない。そこで周王の妹を娶る(注1)
際、魯の桓公にその仲人となってもらい、婚礼の打合せと称して桓公夫妻を斉に招待し、夫人で
ある文姜に会おうと考えた。
(注1)当時は一夫多妻制であった上、連妃は正妻ではなかった。そこで襄公は周王の妹を正妻と
して迎え入れようとしたのである
招待を受けた魯では、桓公の家臣である申繻が、文姜と襄公のかつての不倫関係を考慮し、文
姜の斉行きを反対した。が、文姜に頭の上がらない桓公は、結局文姜に押し切られ、共に斉に向
う。そして文姜の斉入りを聞いた襄公は、はやる気持ちを抑えきれず、自ら出迎え、文姜を宮中
に招くのだった。
久しぶりの兄妹再会を
喜ぶ斉襄公(右・背中)と
文姜(中)
過去のスキャンダルを
思い出して渋い顔をす
る文姜の夫・魯桓公(左)
その夜、斉の宿舎で一人文姜を待つ桓公のもと、文姜からの伝言があった:
「昔の侍女との積もる
話があるので今夜は戻りません」
それを聞いた桓公、さすがに申繻の話が思い出され、居ても立ってもおれず、ついに宮門まで
出迎えに行く。が、肝心の文姜は襄公とともに雲隠れ。ついに朝になり、やっと宮門から出てき
- 3. た文姜をつかまえ桓公は詰問する:
「一体、どこで寝ていたのだ?!」
「結婚前に居た部屋ですわ」
「誰かと一緒だったろう」
「ええ、侍
女と一緒に」
「ところでお兄さん(襄公)はどこで寝られておられたのかな?」「あら、兄の寝場所
まで分かりませんわ」「でも、兄さんの方は妹(文姜)の寝場所に興味があるだろう」
「それって、
一体どういう意味ですの!?」「声が大きい。皆に聞こえるじゃないか!」「あなたの方から言い出
したのですよ! じゃあ、今から宮廷に戻って、兄の前でケリをつけましょう!」
「襄公に話すっ
て?! 斉と魯の君主同士でそんな話ができるか!? まったく話にならん…」
宿舎に帰る馬車の中、
前夜の外泊場所をめぐって
口論する文姜と魯桓公
この一件に懲りた桓公、文姜を連れて早々に魯へ帰ることにする。それを知った襄公、文姜と再
び会えなくなることを恐れ、部下の彭生にそれを阻止する方法を打診する。襄公の意を汲み取っ
た彭生、密かに桓公を亡き者にする計画を立てる。そして桓公が魯に帰国するに当たって送別の
宴を開く襄公。それにしぶしぶ応じる桓公、出かける前に文姜に言う:
「魯に一緒に帰り二度とこ
ちらに戻らないと約束してくれるなら、昨夜のことは水に流そう。宴会から戻ったら直ぐに出発
だ。さあ、涙を拭いて…」
「魯に戻ってくれさえすれば…」と文
姜に語りかける桓公
- 4. 襄公の隣でまずい酒を飲む桓公。思わず二人の関係を疑った言葉が口をつく。ムッとする襄公。
と、間もなく桓公は酔いつぶれてしまう。襄公、彭生を呼び出し、意味ありげに目くばせ。彭生、
承知したとばかりに、桓公を馬車に乗せ宿舎に向うが、途中で桓公の首をへし折り、
酔って馬車で寝込ん
でしまった桓公の頭
を捕らえ、首をひねろ
うとする彭生
馬車から突き落とした上で「大変だ~!桓公殿が馬車から落ちられたぞ~!」と叫ぶ。
ぐったりと倒れた状態で宿舎に運び込まれる桓公、文姜はそれを見て「あなた!どうしたの!?」
と泣き叫ぶ。その横で呆然とたたずむ襄公。
桓公が亡くなったため魯から遺体を引き取る使者が来る。使者は襄公に尋ねる:
「ところで、わ
が君(桓公)はどのようにして亡くなったのです?」「全く突然の事故に遭われまして…」「聞くと
ころによると、わが君が事故に遭う前、襄公殿が『桓公殿を十分お世話するように』と申された
とか」
「その通り。そこに居る彭生にも聞いてください」 すると彭生曰く:
「はい、私はその様に
申し付かりました」 それを聞いた魯の使者、声を荒げて言う:
「その結果、わが君は事故に遭われたのですぞ!それなのに彭生殿は、まるで何事もなかった様
に平然としておられる。襄公殿、魯はこの件で斉を責めるつもりはありませんが、せめて当事者(彭
生)の処罰をお願い致します」これに対して急に押し黙る襄公。それを見た使者は大声を張り上げ
「桓公夫人の、おな~り~!」と言う。
白い喪服に身を包み、うなだれてやって来る文姜。その姿を見た襄公、驚いてヘナヘナとその
場に座り込む。そこへすかさず魯の使者「公平なるお裁きをお願いします!」。
文姜の目を意識した襄公、急に手のひらを返したように彭生を罵倒し始める:
- 5. 「ワシが酔われた桓公殿をちゃんとお世話しろと申したのに、お前はそれを聞かずに賓客を死な
せてしまった。(兵士に向って)首を斬れ!」
兵士に引かれていく彭生、引かれながら大声で叫ぶ:
「諸児(襄公の幼名)!義理も人情もない奴
め!お前の方こそ他人に顔向けできないことやっておきならが、俺に罪をなすりつけるとは!こ
んなことで殺されてたまるか!フン、死んだら化けて出て、お前の命をもらってやる!」
喪服を着けて使者と共に魯に向かう文姜。途中で馬車を止め、使者にその地名を尋ねる。使者
が「ここは斉と魯の境界線です」と答えると文姜は「では、ここで下ろしてください」と言う。
驚いた使者は「先君はお亡くなりになられましたが、お世継ぎの同様が新しい魯公になられます。
もしあなた様が魯に帰らず、こんな所におられたら、同様は国を治めることができなくなります」
と言って反対するが、文姜は涙ぐみながら「お願い、もう言わないで。私はどこにも行きません。
もし誰かが私に会いたければ、こちらに来てもらって下さい。私は死ぬまでここに居ます」と言
う。
一方、襄公の方は、斉の国内で「淫乱が窮まって魯公を殺した」と噂され、立場をなくしてい
た。そこで国民の不満をそらすため、斉に亡命している衛公朔(「築台納媳」で兄・急子を殺した
人物)を擁立し、他の諸侯国と組んで衛に攻め寄せることにした。
こうして斉は衛に打ち勝ち、朔を衛公として返り咲かせるが、周の天子の不興を買い、周に討
伐される不安を抱えることになる。そこで襄公は部下の連称らを葵丘に駐屯させ、周軍の来襲を
備えさせた。ところで葵丘は遠方にある(注2)ため、連称は長期駐留を厭い、交代時期を尋ねた。
すると襄公は「今、ちょうど瓜が熟れている時期だから、来年また瓜が熟れたら交代要員を出す
ことにしよう(一年後に交代)」と約束。ところが、次の年の瓜が熟れる時期になっても全然交代
要員が送られてこない。堪りかねた連称は、交代の催促の使者を斉都に送るが、襄公はなんと「次
の年の瓜が熟れるまで(もう一年)そこにおれ」と言う。怒り心頭に発した連称、ついに謀反を起
こそうと考えるようになる。
(注2) 葵丘の位置は「東周列国志」によると現在の山東省淄博と書かれている。淄博は当時の
斉都・臨淄の西郊外で、臨淄からそれ程遠い距離ではない。なのに、なぜ連称は駐屯を嫌がった
のか? 不思議に思い「中国史稿地図集」で調べてみると、なんと葵丘の位置は現在の河南省の開
封に近い場所にある。これは当時で言えば、斉の国から遥か離れた宋、鄭、衛に囲まれた土地。
外国もいいところである。つまり連称の立場を現代風に言えば、イラクに無期限で駐屯させられ
るようなもの。う~ん、連称の気持ちが分かる!
ところで襄公には公孫無知という従兄弟がおり、襄公の父・僖公に可愛がられていた。そして
- 7. ところが襄公はその言葉をあざ笑って言う:「確かにわしはバカ殿だ。だが、お前は大臣だとい
うのに今までわしに諫言したことがあったか? フン、お前は単に交代させてもらえなかった恨み
を晴らすため、やっているのだろう。屁理屈を言うな!」
それを聞いた連称も笑って言う:「分かった。じゃあ、本当の理由を教えてやろう。お前のため
に斉と魯の境界線で一人孤独に暮らしている あの文姜様の無念を晴らすためにやっているの
だ!」と言うが早いか襄公に刀を突き刺す連称。
「文姜」という言葉を聞いた途端ギクッとして息
をのみ、そのまま倒れ伏す襄公。
血を流して死ぬ襄公→
(「第 6 集 管仲拝相」につづく)
―感想―
この「諸児文姜」のテーマは斉襄公による近親相姦と義弟(文姜の夫・桓公)殺しである。これ
は前集「築台納媳」のテーマ:衛宣公による継母(夷姜)と嫁(宣姜)との私通と息子(急子)の暗殺
に比べれば、まだマシだと思っていた。なぜなら、前者の被害者は魯桓公、彭生、文姜?の3人だ
が、後者の方は急子、寿、夷姜、邢氏、宣姜と5人に及ぶからだ。
ところで DVD 諸児文姜 を見ていると、襄公は妹・文姜にゾッコンなのに対し、文姜は襄公を
兄として好ましく想っている程度で、それ以上の恋愛感情が感じられない。そして当然、二人の
ラブシーンもない。また後半の場面では、夫を殺された文姜が(桓公の喪に服するため?)一人寂し
く暮らす決意を語るシーンがある。だから、見ている方としては「本当にこの二人は怪しい関係
なのだろうか?」と疑ってしまう。
ところが原作「東周列国志」を見てみると、実際「斉の宮廷の密室で二人は私通した」となっ
ているし、歴史書「史記」にも同じ様なことが書かれている。
そして、さらに驚くべきことがある。それは、桓公が殺された後、文姜はなんと襄公と6回も
逢引を重ねたらしい。この話は孔子が著したといわれる歴史書「春秋(左氏伝)」に書かれている
ことなので、たぶん事実だろう。
ひぇー! と言うことは、文姜も襄公と同じ穴のムジナだったのだ…。これはヒドイ! これで
は殺された桓公も浮かばれまい。う~ん、やっぱりこちらの方がスキャンダル度ワースト1かも?