2.Spring and Autumn Period -Later Years of the Zhou Dynasty
- 1. 春秋篇 第 2 集
黄泉認母(鄭の荘公、あの世?で母に会う)
愛憎交錯する 鄭荘公と母・武姜
- 2. 第2集 黄泉認母(鄭の荘公、あの世?で母に会う) -春秋篇-
―あらすじ―
周の幽王が殺された後、太子が都を洛陽に移して東周の平王として即位する。平王即位
に当たって功労のあった鄭の武公は東周の重臣となって王朝の政務を補佐する。
ご せ い
ところで鄭の武公には二人の息子があった。長男の名は寤生、逆子(さかご)で生まれ難
産だったため母・武姜から疎んじられていた。一方、次男の段は、武姜が溺愛していた。
物語はこの寤生と段の兄弟が両親の見守る中、弓術を競う場面から始まる。
最初に標的を射止めた弟の段、余裕綽々で兄・寤生に弓を手渡す。すると寤生は何を思
ったか標的を射らずに弓を弟に返し、両親に黙礼してその場を退出。驚いた父・武公が後
から訳を問い正すと、寤生曰く「弟の方が弓術に優れているのは既に明白。今さら競い合
う必要はありません。それにこの事で兄弟が仲違いして隣国に付け入る隙でも与えたらそ
れこそ一大事です」
寤生の度量の大きさに感心した武公は寤生こそ世継ぎに相応しいとの確信を深める。が、
段を猛愛する妻の武姜はそれが気に入らない。武術が得意であることを理由に何とか段を
世継ぎにしてほしいと武公に迫るが、武公は首を縦に振らず、そのままついに亡くなって
しまう。
武公亡き後、予定通り寤生が鄭公の位に付く(鄭・荘公)。そして父と同様、東周の重臣
として王朝の政務に携わることになる。ところがある日、寤生は母・武姜に呼び出される。
武姜曰く「お前は鄭公になって鄭国すべてを領有しているが、お前の弟ときたら辺鄙な共
の土地しか与えられていない。可哀想だと思わないのかい?」親孝行な寤生は「それでは
母上のご要望の土地を段に与えましょう」と約束する。すると武姜は、最初は要害の地・
制を要求し、それがダメだと分かると首都・新鄭と同格の京の土地を要求する。そして寤
生がそれを渋ると、「分かりました、それなら段を国外に追放すればよい…」と言って泣き
出す始末。ついに負けた寤生は母の要求通り京の地を段に与えることになる。
母・武姜(左)のわがままな要求を呑んでしま
う鄭荘公・寤生(右)
- 4. 息子・荘公の初めての
反撃に会い、今までの
優位な立場が逆転。
全てをお見通しだった
荘公の話に、返す言葉
もなく、へたへたとし
ゃがみ込む母・武姜
「(兵士に向って)さあ、こいつ(武姜)を潁に連れて行き潁考叔に見張らせろ。(武姜に)
母上、アンタとはあの世に行くまで絶対に会わんぞ!」
「黄泉の国(あの世)に行くまで、絶
対に会わんぞ!」と絶叫する荘公
こうして武姜は潁に連れていかれ、歳月が経った。この頃になると寤生(鄭荘公)は後悔
しはじめ、母を連れ戻そうかと思ったが、例の「あの世に行くまで絶対に会わん」との言
葉の手前それもできない。そこへ潁から潁考叔がやって来た。潁考叔は荘公に「あなた様
のお名前の由来をご存知ですか?」と尋ねる。「いや、知らない。」と答える荘公に潁考叔
は「寤生の寤とは『逆らう』とか『不孝』と言った意味です。出産の際、赤ちゃんは頭か
ら先に出るのが普通ですが、あなた様の場合は足から先に出たため難産で、御母上の武姜
様は生死の淵をさまよわれたのです。そういう訳で武姜様はあなた様をお嫌いになり、弟
君を溺愛なされたのです」