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120319 haifu anti_naturalism_Mori_Ogai
- 1. 2012/3/19
反自然主義と 1900年代
(明治30~40年代)
森 鷗外もり おうがい
自然主義の
2012年3月12日 文学活動盛さかん
日本では
1906年 島崎藤村しまざき とうそん 自然主義
(明治39年) 『破戒はかい』
=
1907年 田山花袋たやま かたい
(明治40年) 『蒲団ふとん』 個人的な経験を
そのまま書く
1
- 2. 2012/3/19
個人的な経験をそのまま書く
嫌悪感
けんおかん
醜 みにく いugly部分ばかりを
追求ついきゅう purse
反自然主義 耽美派
たんびは estheticism
森 鷗外
もり おうがい 白樺派
夏目漱石
美、個性の発見
しらかばは
なつめ そうせき
フィクション fiction 新思潮派
としての小説 しんしちょうは
2
- 3. 2012/3/19
森 鷗外もり おうがい 1873年 東京大学医学部予科
(1862-1922) (明治6年) 入学
島根しまね生まれ 1881年 東京大学医学部卒業
中国の書物しょもつ、オランダ語 (明治14年) 陸軍省りくぐんしょう入省
にゅうしょう
を学ぶ 軍医ぐんいになる
9歳で15歳ぐらいの学力
1884(明治17)年~1888(明治21)年 1885(明治18)年
陸軍省りくぐんしょう派遣はけん留学生 坪内逍遥つぼうち しょうよう
としてドイツに留学
『当世書生気質』
とうせいしょせいかたぎ
ヨーロッパの芸術げいじゅつ・文学に 『小説神髄』
影響えいきょうされる しょうせつしんずい
3
- 5. 2012/3/19
1890年 『舞姫まいひめ』 このときは…
~1891年 『うたかたの記』
(明治23年 『文ふみづかい』
~24年)
ドイツが舞台ぶたい
擬古典主義
1892年 『即興そっきょう詩人』翻訳 ぎこてんしゅぎ
(明治25年)
1896年 『めさまし草紙そうし』 尾崎紅葉おざき こうよう
(明治29年) (1867-1903)
樋口一葉を高く評価
1888年 『我楽多文庫がらくたぶんこ』 1897年~
(明治21年) 公売 (明治30年)
1889年 『二人比丘尼色懺悔
(明治22年) ににんびくにいろざんげ』 金色夜叉 こんじきやしゃ
雅俗折衷体がぞくせっちゅうたい
大人気になる
小説家としての地位を確立
5
- 6. 2012/3/19
1893年 『五重塔ごじゅうのとう』
(明治26年)
擬古典主義 小説家としての地位を確立かくりつ
ぎこてんしゅぎ する
幸田露伴こうだ ろはん 鷗外おうがいとともに『めさまし
(1867-1947) 草子ぞうし』に参加
鷗外おうがいは… 1904年~1906年(明治37年~39年)
日露戦争にちろせんそうへ
1899年~1902年(明治32年~35年) 1907年(明治40年)
軍医監ぐんいかんとして
軍医総監ぐんいそうかんに昇進しょうしん
九州きゅうしゅうの小倉こくらへ行く
1902年(明治35年)
文学活動ができなかった…
東京へ転勤てんきん
6
- 7. 2012/3/19
そのころの文学界は?
夏目漱石なつめそうせきの
自然主義naturalism 登場とうじょう
島崎藤村しまざき とうそん 1905(明治38)年
『破戒はかい』1906(明治39)年 『吾輩わがはいは猫ねこである』
田山花袋たやま かたい 1906(明治39年)
『蒲団ふとん』1907(明治40)年 『坊ぼっちゃん』
鷗外おうがいは… 雑誌『スバル』に…
1909年 「ヰイタ・セクスアリ
夏目漱石なつめそうせきに
(明治42年) ス」発表
影響される
1910年 「青年」
文学活動再開さいかい (明治43年) 連載れんさい開始
反自然主義 1911年 「雁がん」
(明治44年) 連載れんさい開始
7
- 8. 2012/3/19
鷗外おうがいの考え方
豊熟 ほうじゅく の時代 レジグナチオン
諦念ていねん resignation
レジグナチオン 陸軍医りくぐんいとして出世しゅっせ
諦念ていねん resignation しなければならないの自分
自分が置かれた立場を見つめ 家長としての自分
て受け入れることで心の安定 受け入れる
を得る。
諦 あきら め ヨーロッパの“自由と美” “恋愛”
諦あきらめる
8
- 9. 2012/3/19
長女の話 エリスの真相しんそう
「父は死ぬときまで再びヨーロッパへ
行くことを願っていた」 1888年 『舞姫まいひめ』エリスの
(明治26年) モデルと思われる女性
次女の話 の来日
「亡なき父がドイツ留学時代の恋人を
1ヶ月後 帰国
生涯しょうがいどうしても忘れることの
できないほど深く愛していたという事
実に心づいたのは…」
アンナ・ベルタ・ 1912年 明治天皇てんのう
(明治45年) 崩御ほうぎょ
ルイーゼ・ヴィーゲルト 陸軍りくぐん乃木のぎ大将
たいしょうの殉死じゅんし
次女の名前: 杏奴あんぬ
三男の名前: 類るい
9
- 10. 2012/3/19
尊敬していた人の死と 歴史 れきし 小説を書き始める
その死に方にショック
1912年 「興津弥五右衛門おきつ
(明治45年) やごえもんの遺書いしょ」
エゴ ego を捨てる 1913年 「阿部一族あべいちぞく」
人間の死 (大正2年)
他人のための自己じこ犠牲ぎせい
satisfaction
1915年 「山椒大夫さんしょうだゆ 1916年 「渋江抽斎
(大正4年) う」 (大正5年) しぶえ ちゅうさい 」
1916年 「高瀬舟たかせぶね」 「伊沢蘭軒
(大正5年) いざわ らんけん」
1922年 死去
史伝しでんへ (大正11年)
10