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• 札幌出身
• 引っ越しばかりの小学校時代
• YOSAKOIソーランと阪神淡路大震
災でのボランティアの大学時代
• 8年目になったソフトバンク生活
• 人生観が変わった復興支援活動
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5. いま、主にやっていること
地域
• 東北復興の御手伝い(東日本大震災復興支援財団 専務理事)
• 地域プロデュース(さとふる株式会社 取締役、SBプレイヤーズ 取締役)
• 芸術祭の御手伝い(越後妻有 大地の芸術祭 オフィシャルサポーター)
教育
• 子供と本(公益財団法人東京子ども図書館 評議員)
• 双葉郡の教育支援(福島県双葉郡教育復興ビジョン推進協議会 委員)
• 南相馬の教育方針策定(南相馬教育振興基本計画策定委員会 有識者)
• 新しい教育の在り方実践(地方創生OECDイノベーションスクール ボードメン
バー)
7. 奥尻町の教訓
1993年 北海道南西沖地震
1998年 完全復興を宣言
2013年 震災20年後
■過疎化、財政行き詰まり
約764億円の復旧・復興事業費
約190億円の義援金
「産業や若者の育成など将来のために義
援金の一部を基金にして残そう」
との意見もあったが、
「あの時は町が潰れるかどうかの瀬戸際
だった。何十年か先まで見越す余裕はな
かった」。
地震前に約4700人いた町民は3千人
を切った。高台の住宅街は空き家が目立
つ。
朝日新聞2013年7月13日より
Editor's Notes ■過疎化、財政行き詰まり 町には約764億円の復旧・復興事業費が投じられ、約190億円の義援金も集まった。住宅再建に最高1250万円、商店は最高4500万円という被災者支援で、移転先の高台は1戸あたり約240平方メートルを基本に整備され、一軒家が並ぶ住宅街が生まれた。約2300人が津波から避難できるという「望海橋」も、約27億円をかけて2000年に完成した。 防災施設や住宅の建設を急いだのは、人口流出を食い止めるためだ。町災害復興対策室で復興計画づくりに携わった元町職員の織戸清さん(70)は「あの時は町が潰れるかどうかの瀬戸際だった。何十年か先まで見越す余裕はなかった」。
■避難路看板、壊れたまま 奥尻島には津波に備え、高台への避難路入り口42カ所に太陽光システムの避難路表示看板が立つ。地震の4年後に義援金で置かれた。夜になると点灯するはずが、町によると、全部壊れている。「塩害や雷の影響」と説明する。すべて修理するには5千万円ほどかかるが、財源がない。 島南端の青苗地区には地震の翌年、鉄筋コンクリート2階建ての「新生ホール・青苗」が、募金など約2億2千万円で建てられた。町は避難所に指定していたが、「内壁は湿気でボロボロ。補修どころか解体しないと」。 地震による崖崩れで旅館の泊まり客ら約30人が亡くなった奥尻港フェリーターミナル前。町が復興シンボルとして義援金2千万円をかけて、山の斜面に設けた大壁画は09年に撤去された。風でパネルが外れやすく、修繕に数百万円がかかるためと町は説明する。
町幹部には「産業や若者の育成など将来のために義援金の一部を基金にして残そう」との意見もあった。しかし、「義援金は被災者へ」という声が強かったうえ、時の町長も建設事業の拡大に積極的だった。
(中略) しかし、漁業資源は思うように回復せず、高齢化や後継者難もあって漁業者は減り、漁獲高は地震前の5~7割の水準で低迷。観光客も03年度の5万7千人がピークで、不況が響いて昨年度は3万2千人台だった。公共事業削減で島に来る作業員も減った。地震前に約4700人いた町民は3千人を切った。高台の住宅街は空き家が目立つ。
執着(しゅうじゃく) カリフォルニア大学リバーサイド校のソニア・リュボミルスキ教授の「The way of Happiness」
幸せ研究の第一人者。
1.全般にあなたは幸せな人ですか?
2.周りの人に比べて、自分のことを幸せだと思いますか?
(1~7で回答する)
また、一卵性双生児の研究で、幸せの半分は遺伝的に決まっていることが明らかになっている。