25.楚の伍子胥、呉へ亡命す
- 1. 春秋篇 第 25 集
逃出昭関(楚の伍子胥、呉へ亡命す)
楚の国境にある昭関(関所)
ここにお尋ね者・伍子胥の似顔絵が貼られている
- 2. 第 25 集 逃出昭関(楚の伍子胥、呉へ亡命す) -春秋篇-
-はじめに-
本第 25 集~30 集までは続き物である。そして、その出発点は楚の王室の内乱に始まる。が、内乱
が収まった後、楚の佞臣にたぶらかされた楚平王によって、楚の忠臣・伍奢(ごしゃ)が殺される。
そして伍奢の子・伍子胥(ごししょ)は呉に亡命。その後、伍子胥は呉を舞台に、楚に対する壮絶
な復讐劇を展開する…
-あらすじー
楚王の系譜(春秋後期)
時代は、あの覇者であった楚・荘王の孫の代になっていた。当時、荘王の曾孫にあたる郟敖(こ
うごう)を殺して自ら王位についた霊王は、近隣の小国を併合。その君主や太子を虐殺するなど残
虐な政治を行い、諸侯や民衆の信頼を失っていた。
その不満を上手く利用し、併合された小国の軍をまとめ、霊王の留守に宮廷を襲撃したのが霊王
の末弟・公子棄疾(きしつ)である。彼は一緒に挙兵した兄達(公子比・黒肱)を出し抜き、王位
に就いた。これが平王である。
平王は、巧みな戦術で兄の比と黒肱を自殺に追い込む。しかし、一方、霊王の行方は依然として
分からなかったため、彼は軍を動員し、霊王の遺体と彼が所持していた伝家の璧(平円形で中央に
孔(あな)のある玉器)を捜させていた。 物語はここから始まる。
ふとした偶然から霊王の遺体を見つけ、遺体の懐にあった壁を手に入れた費無極、
霊王の遺体(前)から壁を盗み出す費無極
- 4. は、太子の嫁を娶られたばかりか、太子を戦場に追いやろうとなさる。これは一体どういうお積り
ですか!?」と詰め寄る。
「王たる者、つねに国民のお手本に
なるべきです」と伍奢
その言葉にカッときた平王、剣に手をかけ「無礼者!お前など殺してくれるわ」と言うが、傍らに
いた費無極はそれを止め「とりあえず牢屋にぶち込みましょう」と言う。
そして後から費無極は平王に言う:
「伍奢には二人の息子がおり、生かしておけば呉の災いとなり
ます。今、伍奢に手紙を書かせて二人を呼び寄せ、伍奢もろとも殺してしまいましょう」
「なるほど」と思った平王は、牢屋の伍奢に甘い言葉かける:「伍奢よ、お前は、太子をそそのか
し、謀反を企てた罪で死刑にするつもりであったが、伍家の代々の功績に免じて許すことにしよう。
だだ、お前にはそろそろ引退してもらい、二人の子供たちに官職を授けようと思う。彼らに手紙を
書いて、こちらに参内させよ」
それに対して伍奢は言う:「長男の伍尚(ごしょう)は、温厚で情け深い性質なので、呼べば来る
でしょう。しかし次男の伍子胥(ごししょ)は、恥を耐え忍び大事をなす男です。あれは多分来な
いでしょう」 「つべこべ言わず、とにかく書くがよい。来るか来ないかは、お前の知ったことでは
ない」と平王。
すると伍奢は言う:「二人を呼び寄せた後、我ら三人を処刑なさるお積りなのでしょう。でも、そ
れを恐れて手紙を書かなければ、私だけが殺され、二人は逃げるでしょう。そして二人は将来きっ
と、仇を討ちに戻って来ます。そうなれば楚の人々は塗炭の苦しみをなめるでしょう。それでは私
は、死んでも死にきれません。ですから一家断絶を覚悟で手紙を書くつもりです」
こうして書かれた手紙が、伍尚・伍子胥のもとに届けられた。
伍尚、伍子胥兄弟は、この手紙が自分達をおびき寄せるための罠だと気づく。が、兄の伍尚は言
う:
「父が呼んでいるのに、子として行かない訳にはいくまい」すると弟の伍子胥が言う:
「しかし、
我々がこうして遠方におり、朝廷の手が届かないからこそ、父は生かされているのです。もし行け
ば、逆に父の死期を早めましょう」
伍尚はため息をつき「それは分かっている。だが、私は父に会いたいのだ。それで殺されても悔
いはない。伍子胥、お前は敵討ちをすればよい。私は父と共に死のう。お互い思うところをやれば
- 5. よい」と言う。
弟・伍子胥との今生の別れだと悟った兄・
伍尚(写真)、伍子胥(右端/髪だけ)を見な
がら涙を流す
「分かりました。兄さんにとって死ぬことが孝行なのですね。でも私は、仇を討つことこそ孝行
だと思います。お名残は尽きませんが、ここでお別れします」と伍子胥は言う。そして手紙を届け
た使者に向っては「帰ってあの暴君に伝えろ:『父と兄に手を出すな。言うことを聞かなければ、オ
レは楚国を滅ぼし、お前(平王)の体を切り刻んでやる』とな」と言い、その場を立ち去った。
平王の使
者に向か
い、「父と
兄を殺せ
ば、報復に、
オレは楚
国を滅ぼ
すぞ!」と
宣言する
伍子胥
使者からその話を聞いた平王、大いに怒り、伍奢・伍尚父子を五馬分屍の刑(両手、両足、首を
一匹ずつの馬に結びつけて体を引き裂く刑-次頁の写真参照)に処するよう命じる。が、それでも
怒りが収まらない。
- 6. 五 馬 分 屍
すると費無極がまた入れ知恵する:
「先ず伍子胥の似顔絵を描かせ、それを各関所に貼らせるので
す。そして伍子胥を捕らえた者には粟 5 万石を与え、大夫に取り立てるが、かくまった者は一族も
ろとも処刑するとふれ回らせます。また各国には使者を出し、伍子胥を入れぬよう伝えます。そう
すれば奴も進退窮まり、早晩とらわれの身となるでしょう」
一方、伍子胥は先に逃げた太子・建の後を追い、宋国に行った。しかし、宋で内乱が起こったた
め、太子と共に今度は西北の鄭に逃げ、鄭の定公から歓待を受けた。そこで太子は定公に鄭軍を借
りて楚に戻りたいと告げる。が、定公は「鄭は小国ですのでお力になれません。軍を借りるなら晋
に頼めばよいでしょう」と言う。
太子はそこで晋に向った。だが、晋の頃公から逆に「我々と組んで鄭を滅ぼすことができれば、
その後で軍をお貸ししよう」と言われ、同意する。しかし、その事が、鄭の定公の知るところとな
り、太子は定公に殺され、伍子胥も鄭におれなくなる。そこで伍子胥は、再度楚に潜入し、楚と呉
の国境にある昭関(しょうかん)から呉に亡命しようと企てた。
ところが昭関に来てみると、そこには彼の似顔絵が張り出され、関所を出る人は全員チェックを
受けている。
- 7. 関所に張られた伍子胥の似顔絵
左右の兵士は、通行人をチェックし
ている。
このまま通れば捕まるに違いない。伍子胥は困って立ち往生していると、そこへ一人の老人が通り
かかった。そしてその老人は伍子胥をマジマジと見つめ、「お前は伍子胥だな」と言う。
慌てて逃げ出そうとする伍子胥。だが、老人は言う:「ワシは扁鵲(へんじゃく/伝説的な名医)
の弟子で東皋公(とうこうこう)という者だ。ワシは医術、つまり人を生かす術を行なうだけで、
人殺しはしない。だから安心してワシのあばら家に来るがよい。いくらでも滞在してよいぞ。ただ
し昭関は、監視の目が厳しいので行ってはならん」
こうして伍子胥は東皋公の家にやっかいになる。そして東皋公は伍子胥のために昭関を突破する
方法を考えてくれると言う。それから 1 週間経った。しかし東皋公は昭関のことを口にしない。伍
子胥は次第に焦りはじめ、夜な夜な眠れぬ日が続いた。
焦燥のあまり夜も眠れぬ伍子胥
夜な夜な外を徘徊する。狼の遠鳴き
も聞こえる寂しい夜。
ある朝、東皋公は一人の客を連れて来た。そして伍子胥の顔を見るなり驚いて言う:
「一体どうした
のだ、その顔は?」
- 8. その言葉に伍子胥も驚いた。そして慌てて鏡を取り出し眺めると、黒かった髪の毛に沢山の白髪
が混じり、三十も老けて見えた。仇を取れない焦りが、伍子胥の容姿を激変させてしまったのだ。
一夜のうちに、白髪の老人になってしまった伍
子胥
あまりのことに伍子胥は泣き出し、天を恨んだ。が、東皋公は逆に喜んで言う:
「これは良い兆候だ。
これであの昭関の似顔絵と、似ても似つかなくなった。」
そして傍らの客人を紹介した。その客は皇甫訥(こうほとつ)と言い、背格好から顔つきまで、
かつての伍子胥にそっくりだった。が、白髪頭になった今の伍子胥とは全く別人に見える。東皋公
は言った:
「ワシの計画はこうじゃ。先ず皇甫訥が伍子胥殿の身なりをする。そして伍子胥殿はその
家来に扮するのじゃ。そうして何食わぬ顔で昭関に行けば、関守たちはきっと間違えて皇甫訥を捕
らえるじゃろう。その隙に伍子胥殿は関を突破するのじゃ」
こうして二人並んで昭関に行くと、本当に関守たちは皇甫訥を捕らえた。
並んで関所を
通過しようと
する皇甫訥(中
央/小豆色の
服)と伍子胥
(グレーの服)