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18.趙朔の遺児、晴れて名誉回復
- 1. 春秋篇 第 18 集
趙氏孤児(趙朔の遺児、晴れて名誉回復)
生き延び、成長した趙朔の遺児・趙武(左)、
自分の一族を滅ぼした屠岸賈(右)に敵討ちする
- 2. 第 18 集 趙氏孤児(趙朔の遺児、晴れて名誉回復) -春秋篇-
―あらすじ―
趙朔(ちょうさく)の妻・荘姫が妊娠していると知った屠岸賈(とがんか)、なんと荘姫の実家
である宮廷にまで乗り込んでくる。それに腹を立てる晋侯・景公。
しかし、屠岸賈に「もし、荘姫様のお子が男なら、将来、族滅された恨みを晴らそうと乱を起
こすでしょう」と言われた景公、屠岸賈に「生まれてくる子が男子なら殺してよい」との許可を
与えてしまう。
さて、荘姫の方は、月満ちて男児を出産した。しかし、それを屠岸賈に知られるのを恐れ、
「女
児が生まれたが、間もなく亡くなり、埋葬した」との噂を流す。
「殺されるはずもない女児を、何故わざわざ埋めたのか?」と屠岸賈は不審がる。そして、同
じ様な疑問を抱いた者がいた。それは趙朔の食客である程嬰(ていえい)と公孫杵臼(こうそん
しょきゅう)である。
不審に感じた公孫杵臼は、医者に扮して産後間もない荘姫を診察するふりをし、何とか真相を
探ろうとする。しかし、荘姫の周囲には、屠岸賈が軍隊を従えて張り込んでおり、ろくろく荘姫
と話をすることもできない。
出産後の荘姫(手
前)
医者に扮した公孫
杵臼(右端/横向)
晋・景公(右から二
番目)
その他は屠岸賈と
兵士たち
- 5. 打ち合わせ通り
趙朔の赤ちゃん
を抱き取ったも
のの、自分の子を
見殺しにするこ
とになるため、悲
しくてならない
程嬰の妻(右)
その様子をジッ
と観察する屠岸
賈(中/奥)
それを見届けた屠岸賈、残った赤ん坊(偽趙朔の息子=程嬰の息子)の方を地面に投げ捨てて
殺してしまう。
ギャ~! 程嬰の妻の悲鳴が響く。それと同時に、赤ん坊を庇おうとした公孫杵臼も屠岸賈の手
にかかって殺される。
後に残された程嬰とその妻。彼女は自分の息子が殺されたため、涙が止まらない。と、そんな
彼女の気持ちを知ってか知らずか、屠岸賈は突然振り向き、残された赤ん坊(趙朔の子)をあや
し始める。
そして、「この子はなかなか可愛い。よし、ワシの養子にしよう」と言う。慌てた程嬰、「何も
今養子にしなくても、この子が大きくなってから養子にされたら如何でしょう」と言うが、屠岸
賈はもうすっかりその気になっている。そして、
「養子の生みの親なのだから、お前達夫婦もワシ
の屋敷に来るがよい」と言う。
断わりたいのは山々だが、ここで断われば、屠岸賈から疑惑の目を向けられる。程嬰夫婦は趙
朔の子(趙武)を連れ、しぶしぶ屠岸賈の屋敷に住み着くことになる。
- 6. それから 17 年の歳月が流れた。趙朔の子・趙武は武芸に秀でた逞しい若者になっていた。
武術の稽古をする趙朔の
子(趙武)
そして義父・屠岸賈には実の子以上に可愛がられるが、その義父が自分の父や一族を殺した憎い
仇であるとは夢にも知らない。
一方、程嬰夫婦はどうかと言えば、屠岸賈に疑われぬ様、自分の子供を守るために主君の子を
見殺しにした振りを続けていたため、世間から冷たい目で見られていた。そしてその目を避ける
ため、常に顔を布で隠して生活していた。
ちょうどその頃、晋侯に即位した悼公(とうこう)は、屠岸賈の勢力の拡大を恐れていた。す
ると韓厥(かんけつ)が悼公に言う:
「趙氏は代々、晋室に忠誠を誓い、晋室の発展に大いに貢献
してきました。それを屠岸賈によって無実の罪に陥れられ、族滅させられたのです。この趙氏の
冤罪を晴らすという名目で、いっそのこと屠岸賈を始末してみては如何ですか」
そして韓厥が「実は、趙朔の子はまだ生きております」と告げると、悼公は喜び、早速、趙武
を宮廷に呼び寄せ、何も知らない趙武に事の真相を話して聞かせるのであった。
一方、屠岸賈は、そんな事とはつゆしらず、いつもの様に宮廷に参内する。すると悼公は、集
まった大夫たちに向ってかつての趙氏族滅事件をもち出す。それを聞いた屠岸賈、慌てて「自分
は当時の晋侯・景公様のご命令に従ったまでです」と弁明するが、悼公の追及は厳しかった。
そして、悼公は最後に趙武を登場させるが、趙武のことを程嬰の子(自分の養子)だとばかり
思い込んでいる屠岸賈は、状況が自分に不利に傾いていることに気づかない。そして嬉しそうに
- 7. 趙武に声をかけるが、真相を知らされた趙武はソッポを向いて屠岸賈を無視する。
そこを韓厥が、
「この若者こそ、趙朔の子・趙武です」と説明する。唖然とする屠岸賈。それに
追い討ちをかけるように、悼公、 功績のある趙氏を族滅させたのは、
「 すべて屠岸賈の責任である。
屠岸賈および一族を処刑せよ」と命じる。
こうして屠岸賈とその一族は滅ぼされ、悼公は趙武に趙氏代々の官職と領地を与えた。そして
趙武を長年育て上げた程嬰夫婦に褒美を取らせるため、彼らを宮中に呼ぶが、程嬰は逆に「趙武
の名誉が回復された今、先に亡くなった同志・公孫杵臼にその事を報告するため、あの世に旅立
ちたいと思います」と言う。
その程嬰をなだめるように悼公は「おふたりは、
(主君の子を見殺しにしたという)無実の罪で
世間からつまはじきにされ、さぞかし苦労されただろう。もう冤罪が晴れたのだから、頭を覆う
その布をお取りなさい」と言う。
そこで二人は頭にかぶっていた白布を取ると、横で控えていた趙武は、思わず二人のもとに駆
け寄り「父上、母上、20 年も同じ屋根の下におりながら、初めてお顔を拝見しました~!」と言
ってむせび泣くのであった。
官職につい
た趙武(左/
手前/背中)
と
年老いた養
父母(程嬰夫
妻)
- 8. ―感想―
この劇的な「趙氏孤児」のストーリー、果たして歴史上本当にあった話なのか、気になる読者
もおられるだろう。
そこで今回は、この点について少し解説してみようと思う。
結論から言えば、この話は一応史実である。その原形が「史記・趙世家」と「史記・晋世家」
にある。
しかし、同じ「史記」と言っても、
「晋世家」の記載はごくごく簡単で:
「…景公 17 年、趙同、趙括を誅し、その一族を族滅した。韓厥が『趙衰、趙盾の功労を忘れてよ
いものでしょうか?…』と言ったため、趙氏の庶子・武を趙氏の後嗣とし、再び領土を与えた」
と、たったこれだけである。しかも、趙氏族滅から一年以内に趙氏を復活させているため、あの
劇的な趙氏孤児の出来事は起こりようもない。
一方、
「趙世家」の方は、かなり本ストーリーに近い。趙朔の食客である公孫杵臼や程嬰も登場
するし、趙氏族滅から趙氏復活まで、15 年の歳月を設定している。
強いて違いを言うならば、趙武の身代わりとして殺された赤ちゃんは、程嬰の子ではなく、全
くの他人の子であるということ。
昔は、飢饉など来ると、すぐ食べれなくなるから、子供の売買など当たり前だったのだろう。
だから、何も程嬰が自分の子供を犠牲にしなくても、お金さえ出せば、いくらでも身代わりは見
つかるだろう。
「趙世家」の記載どおり、本当は他人の子が犠牲になったけれど、この「東周列国志」の作者
が、劇的効果を上げるため、「程嬰の子」としたのだと私は思う。