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28.伍子胥、楚平王の屍を鞭打つ
- 1. 春秋篇 第 28 集
掘墓鞭屍(伍子胥、楚平王の屍を鞭打つ)
ついに楚平王の墓を掘り当て、王の遺体を
めった打ちにする伍子胥
- 2. 第 28 集 掘墓鞭屍(伍子胥、楚平王の屍を鞭打つ) -春秋篇-
―あらすじ―
BC 506 年、呉王・闔閭(こうろ)は、孫武や伍子胥(ごししょ)を用いて、楚を攻めた。楚の
大将軍は、令尹(宰相)である嚢瓦(どうが)である。
嚢瓦は楚が大国であるため傲慢になり、当時即位したばかりの呉王・闔閭を見下していた。ま
た「呉軍は漢水の下流から流れに逆らって攻め上ってくるので、なかなか自陣に到着しないだろ
う」と安心しきっていた。
ところが、呉の軍師・孫武は、そんな嚢瓦の心理を読み取り、漢水の下流にあった船を捨て、
陸路から楚陣に攻め寄せてきた。その知らせを聞いた嚢瓦は大慌て。
しかし、その時、楚の大夫・申包胥(しんほうしょ)がやって来て、嚢瓦に策を授ける。その
策とは、下流に放置された呉の船を全て焼き払うことによって呉軍の帰路を絶つと同時に、呉の
兵士達を動揺させるというものであった。
呉の船が楚軍に焼き払われたとの報告を受けた呉王・闔閭は大いに怒り、船を捨てる作戦を立
てた孫武を責める。が、孫武は平気な顔で言う:
「呉王様、ご心配には及びません。我が軍の船を焼き払わせたのは、たぶん嚢瓦ではなく、申包
胥でしょう。一方、嚢瓦は度量の狭い人ですので、申包胥に手柄を取らないよう、先回りして我
が軍に奇襲をかけてきます。ですから我が軍は、この奇襲に備えておけば、必ず勝てるでしょう」
こうして孫武の予測通り、嚢瓦は抜け駆けして呉陣に奇襲をかけ、散々に打ち破られる結果と
なる。そして呉軍の士気は益々高まり、その後の四回の戦でも連戦連勝。ついに楚の首都・郢を
陥落させる。
楚の昭王は、呉軍の郢都入城を知るや、都から脱出する。そして呉王・闔閭は、豪華な財宝や
美しい宮女達のいる楚の宮殿に入り、狂喜する。
闔閭は、宮女達を我が物にした後もまだ満足せず、昭王の母・伯贏(第 25 集に登場した“孟贏”
と同一人物/楚の元の太子・建の妻となるべく秦から来たが、平王に見初められ、後に昭王を生ん
だ)をも我が物にしようと考える。
しかし、伯贏は元々秦の哀公の妹であり、楚の昭王の生母でもある。
- 3. 美貌のため、舅である楚平王にみ
そめられた伯贏
彼女のプライドは、征服者である闔閭の女になるなど堪えられない。そこで、伯贏は、短刀を帯
にひそませ、闔閭の目の前で自害して果てるのだった。
一方、伍子胥は、父や兄を殺された恨みを晴らすため、楚の昭王を捕らえようとするが、結局、
逃がしてしまう。そこで、父や兄を殺した張本人である平王の墓を捜し出し、その墓をあばこう
と考えた。しかし、墓をあばかれることを恐れた平王は、自分の墓の所在を分からなくするため、
偽の墓をいくつも用意していた。
むなしく偽墓を掘り続ける伍子胥の兵士達。
- 4. 墓を掘り続ける
呉の兵士達
左端、小高い所
でその様子を見
守る伍子胥
終に伍子胥は怒り出し、傍に控えていた楚の宦官たちに八つ当たり。彼らに 鞭(注)を振るい、
めった打ちにする。
(注)鞭-当時の鞭と、現代の革の鞭とは別のもの。武器の一種だが、剣や刀のような刃はなく、
竹のような節がいくつもある、棒状のもの。
と、その時、笑い声がする。怒った伍子胥は笑った人間の側に駆け寄り、又めった打ちにする。
その人物は、あの費無極(ひむきょく)の執事で、実は平王の墓の在り処を知っていた。そして
伍子胥の仇討ちにかける凄まじい執念を知ると、ため息をつき、ついに平王の墓を伍子胥に教え
る。
こうしてやっと平王の墓を見つけ、その遺体を手に入れた伍子胥。彼は、鞭を握りしめ、満身
の力を込め、その屍にめがけて振り下ろすのだった。
「忠孝心の厚い兄をよくも殺してくれたな…(ビシッ!)…オレの家を滅ぼしやがって…(バシ
ッ!)…お前のお陰でオレはもう少しで野たれ死にするところだったぞ…(ビシッ!)…」鞭打つこ
と300回、平王の屍は、もう見る影もない。
見かねた孫武が言う:
「もう止めろよ。やり過ぎだ!」しかし、復讐の鬼と化した伍子胥は聞く
耳を持たない。孫武は又言う:
「よく見てみろ。同郷の者たちが来て、お前の一挙一動を見ている
ぞ。それでも平気なのか?」
- 5. ハッと気づいて周りを見渡す伍子胥。確かに楚の国人に取り囲まれている。そしてその中には
幼馴染で、自分が楚を脱出する際に手を貸してくれた申包胥もいるではないか。
申包胥は言う:
「伍子胥よ、お前は楚人でありながら、国を思わず、親兄弟の仇を討つことばか
り考えている。それでは、あまりにも度量が小さいぞ!」それを聞いた伍子胥は怒って「うるさ
い、お前など殺してやる~!」と叫ぶ。そして結局、申包胥は牢につながれる事になる。
その夜、思うところあって牢屋を訪れる伍子胥。そこには、楚の重臣たちが大勢捕らえられ、
悲惨な拷問を受けていた。物思いにふけりながら申包胥の牢に行き、そこの鍵を外して立ち去ろ
うとする伍子胥。以前、楚から呉へ亡命する伍子胥を見送ったのが申包胥だった。が、今度は、
楚の牢から脱出する申包胥を、伍子胥が見送る番なのだ。立場は全く逆転している。
しかし、申包胥は決して卑屈にならない。彼は言う:
「伍子胥よ。お前が楚から亡命する際、オ
レが『お前が楚を滅亡させるつもりなら、オレは必ず楚を復興させてみせる』と言った事を覚え
ているか? オレは楚を、絶対に滅亡させやしないぞ~!」
こうして脱獄した申包胥は、北の秦に向って苦しい旅を続ける。そしてやっとの思いで秦の宮
殿の広場に来ると、跪き、泣きながら秦の哀公へのメッセージを語りだした:
雨が降っても、ひたすら秦の宮
殿前の広場に座り続け、秦哀公
に向かって訴える申包胥
「哀公様、哀公様、かつて晋の献公は、虢(かく)国を滅ぼした直後に虞(ぐ)国を滅ぼしまし
た。同様に、今、呉は楚を滅ぼし、次は秦を狙っています。虢と虞が隣国同士だったように、楚
と秦も隣国です。今、楚に援軍を出さなければ、秦も虞と同様、滅ぼされてしまいます。どうか、
私の話をお聞きになり、兵をお貸し下さい。お貸し下さるまで、ここを動きません。哀公様、ど
- 7. (→「第 29 集 会稽之恥」につづく)
-感想-
伍子胥が死者に鞭打つ場面は衝撃的だが、この話はかなり有名であるし、たぶん、これについ
て述べた本も多いだろう。だから、今回は、伍子胥と申包胥との友情について述べてみたい。
中国の諺に「君子の交わりは水のように淡々としているが、小人の交わりは蜜のように甘い(君
主之交淡如水、小人之交甜如蜜)」という言葉がある。
これはもともと「礼記・表記」の中の孔子の言葉で、全体の主旨を言うと:
「君子とは、無駄なお喋り(自分の欲望を達成する為のおべっか等)にエネルギーを費やさず、
(道を行うために)行動することにエネルギーを使う。だから、君子同士の友情は、
(自分の損得
を考えないから)淡々としており、それでいて長続きする。だが、小人同士の友情は、ベタベタ
しているが、
(利害が衝突すると)アッという間に崩れ去るものだ」
思うに伍子胥と申包胥の友情はまさしくこの「君子之交」ではないだろうか。
伍子胥が呉へ逃亡する際、申包胥は次のように言う:
「伍子胥よ、お前の気持ち(復讐心)は分かった。だが、楚への報復を手伝うことは不忠になる。
でも、報復を阻止すれば、お前を不孝者にすることになる。だから、お前のやりたいようにすれ
ばよい。友人として、この事を決して漏らしはしない。だが、楚の国人として、ひとこと忠告し
ておく:お前が楚を滅ぼすつもりなら、オレは必ず楚を復興させてみせる!」
そして実際、伍子胥が楚を滅ぼすと、申包胥は秦の哀公に兵を出させて反撃、みごと楚を復興
させたのである。伍子胥は、楚を滅ぼすことによって“孝”という志を成就させ、一方、申包胥
は楚を復興させることによって“忠”という志を全うした。
この二人は、やったことは正反対であったが、一つの志を立て、それに向って全力を投入した
点で全く同じである。そして友達が、自分の志と全く反対の行動をとっても、それを諌めること
はあっても、干渉まではしない。友達は友達、自分は自分である。とは言うものの、お互い、あ
る意味では、共通の価値観をもっている。
伍子胥が平王の死体を鞭打った際、申包胥は「元々楚の家臣だった者(伍子胥)がその君(平
王)の屍を辱めるなんてひど過ぎる」と非難した。すると伍子胥は「忠と孝はもともと両立しな