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44 ゲーム
- 2. 今回読んだ本
『ゲームの父・横井軍平
伝』
任天堂のDNAを創造した男
著者 牧野 武文
出版社 角川書店(2010)
日本のゲームの歴史はこの人から始まった、と言うべき偉人。
1997年に出版された『横井軍平ゲーム館』をベースに再編集した一冊。
ゲームが好きなら一度は読むべし!!
2012/2/18
- 3. 覚えておきたい言葉
『枯れた技術の水平思
考』 時代遅れとなった技術でも、水平思考して新たな使い道を考えれば
今までに無かったオンリーワンの商品が出来あがる
2012/2/18
- 4. ウルトラなデビュー!
任天堂へ入社(1965)
同志社大学電子工学科を卒業後、任天堂に入社
当時はまだ花札、トランプが主力だった。
ウルトラハンド(1967)
遊びで作った仕掛けが社長の目にとまり、商品化
これが大ヒット!いわゆるマジックハンドの元祖。
ウルトラマシン(1968)
ピッチングマシンの元祖。これもヒットした。
ラブテスター(1969)
男女が手を繋いで親密度を測る、というドキドキ装置。
実体は単なる検流計。
2012/2/18
- 5. 任天堂ゲームのルーツここにあり!
光線銃シリーズ(1970~)
太陽電池やストロボを用いて光線銃の的にした。
かなり本格的な作りで人気を呼びシリーズ化。
この技術が他にも応用されていく。
テンビリオン(1980)
ルービックキューブ全盛期に登場。
作った本人が解法を知らなかった。
名前は100億通りの組み合わせから。
ゲーム&ウォッチ(1980)
携帯ゲーム機の元祖!元々はサラリーマンが
電車内で暇つぶし出来るようにデザインされた。
シャープの液晶がこれで発展した。
ここから任天堂のイメージが大きく変わる。
2012/2/18
- 6. ゲーム黄金時代の幕開けに
ファミリーコンピュータ(1983)
横井本人が関わったのは『十字キー』と
『イジェクター』の部分。
光線銃(1984)・ロボット(1985)
各種ソフト(1984~)
光線銃の技術をファミコンに応用。
ロボットはアメリカで好評だった。
ソフトはマリオブラザーズ・バルーンファイト
・メトロイド・ファミコンウォーズ・ファイヤー
エンブレム・ドクターマリオなど
ゲームボーイ(1989)
開発時に液晶の可視角度の調整を誤り、自殺を考える
程に凹んだ。携帯機は据え置き機に性能で勝負しない
事を明確に打ち出した。
2012/2/18
- 7. そして。夢、見果てたり…
バーチャルボーイ(1995)
知る人ぞ知る、早すぎた3Dゲーム。
ゲームボーイポケット(1996)
ゲームボーイを安く、小さくした。ポケットモンスターの
人気が売れ行きを支え、多くの後継機へと繋がる。
任天堂退社・株式会社コト設立(1996)
北陸自動車道での事故で死亡(1997)
享年56歳。正にこれからという時の早すぎる最期…
ワンダースワン発売(1999)
発売はバンダイから。横井の名を冠したパズルゲーム
「GUNPEY」などがリリースされた。
縦横どちらでも使える特徴的なデザイン。
2012/2/18
- 8. 感想
・こぼれ話がまだまだある!
■1979年に掃除ロボット「ルンバ」の元祖が作られていた!
■オイルショックが無ければレーザークレー射撃場が沢山出来
ていた
■マリオとドンキーコングはポパイとブルートだった!
■マリオの産みの親は宮本茂、というより横井だった
■DSの原型は2画面型ゲーム&ウォッチにあり
■ゲームボーイは世界で1億1800万台売れた
・存命だったら、きっと何かが変わっていたに違いない
・GUNPEYはハマる!
・今ならバーチャルボーイを評価できる、はず
・この人にはノーベル娯楽賞をあげるべき
2012/2/18