諸葛亮、智を用いて名将周喩を激し、同盟を結ぶ
- 2. 第 31 集 智激周瑜(孔明、智謀によって周瑜を怒らせ、同盟に成功)09.6.07 更新
―「3 時間で~」第 35、36 話参照
チャプター① 孫権、孔明と呉の参謀たちと共に大広間に入る~
チャプター② 孫権の前に張昭ら参謀がやって来て「孔明の策略にはまらないように」と忠告~
チャプター③ 周瑜、夜をついて馬を駆けさせ自宅に戻る。そこへ妻・小喬が出迎えて...
チャプター④ 周瑜、孔明と魯粛を自室に案内する~
チャプター⑤ 周瑜、自宅の亭で水を眺める。そこへ小喬が現れ...
~解説「孔明はその驚異的な智謀によって周瑜を怒らせ、見事曹操との決戦に踏
み切らせたのであった。
」
④曹操の三男・曹植が作った「銅雀台の詩」のなぞ
孔明は「曹操が周瑜の妻・小喬とその姉・大喬を略奪しようとしている」とけしかけて、周瑜
を曹操と戦わすことに成功したが、その論拠はつまり曹植の作った「銅雀台の詩」であった。
ではこの詩は本当に曹操の略奪願望を表していたのか? それともそれは孔明のでまかせな
のか? でまかせだとすれば、どうして周瑜はそれに引っかかったのか? 以下くわしく検討
してみたい。
「銅雀台の詩」全体は長いので、問題の箇所だけ書いてみよう:
…立双台於左右兮、有玉龍与金鳳。攬二喬於東南兮、楽朝夕之与共。…
アンダーラインの箇所をそのまま訳すと「東南で二喬を抱き、朝夕これと楽しむ」となり、こ
れでは周瑜が怒るのも当然である。しかし、本当にこの通りであったのだろうか?
中国語は日本語と違って同音異義語(発音が同じだが形が違う文字)が異様に多い。孔明はこの
詩を口頭で周瑜に披露した為、周瑜もその同音異義語の問題に気がつかなかったのだろう。試
しにアンダーラインの“攬”の字と“喬”の字を完全に同音である“覧”と“橋”に置き換え
てみる:覧二橋於東南兮、楽朝夕之与共。
すると「(銅雀台の)東南にある二本の橋を眺め、朝夕(この橋にある美しい)龍や鳳の彫物を鑑
賞する」といった何のこともない意味になる。中国語の同音異義語には要注意である。