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実験音声学 2003
- 5. 過程が正常であることが前提条件であり、逆に統合過程での障害を知るためにはその前の分析段階
が正常であることが必要であると述べている。聴覚の情報処理機構を2段階に分けることの妥当性 、
またその2段階を視床以下と大脳皮質という解剖学的構造に担わせることの妥当性の評価は難しい
が、松崎のいう「物理的分析過程」を研究対象とするときには Marr の第2、第3水準による説明が
主体であり、「精神的統合過程」を研究対象とするときには Marr の第1水準による説明が主体であ
ると考えれば、感覚系を研究対象とするにはその説明の水準に注意すべきであるという視点は Marr
に通じるものがある。すなわち、松崎は種々の聴覚検査法のなかには、その結果の解釈において説
明の水準が異なるものが混在していることを意識している。さらに彼は分析器と統合器のどちらか
一方を単独に診断する困難さを述べている。
純音聴力検査
純音聴力検査では、被験者は一般的に音圧レベルの小さい音よりも、音圧レベルの大きい音を聴
こえたと判断してボタンを押す可能性が高いという前提(第1、第2水準)に基づいて、物質的基
盤が障害されているかどうかを第3水準で説明する。
具体例として、両側聴皮質あるいは両側聴放線損傷の場合には、「音はわかるが言葉は全く聴き
取れない」、「言葉も音楽も聴き取れないが音はわかる」というのが訴えであるが、純音聴力検査
を行うとほとんどの例は正常か軽度の閾値の上昇を示すだけで、上記のような患者の訴えを理解す
る手助けにはならない。片側聴皮質あるいは片側聴放線損傷の場合にも同様である。
言語の認知と語音聴力検査
聴覚障害に関しては、言語、音楽、環境音といった「音の種類」の各々に対応して、「処理する
情報の型が特定のものに限られ」「相互に自立し」「互いに遮蔽性のある」モジュールが存在する
ことを前提とした議論が多い。
言語のモジュール性はあくまで仮説であるが、アイディアを出したのがチョムスキーで、文法は
そういうモジュール性を持っているということを主張している。チョムスキーを中心とする言語学
の理論では、人間の言語能力を、さらに統語論、意味論、音韻論といった言語知識の異なる要素に
対応した「モジュール」に分けている。
言語による聴力検査の場合には言語音の認知の段階までの全過程の障害が投影されてしまう、と
いう松崎の指摘は、言語音認知の障害は純音聴力の物理的基盤(第3水準)が正常という前提の下
で、第1、第2水準の議論をしないと意味がない、と言い換えることができよう。
語音知覚においては、それを発する人の声によって、また同じ人でもそれを発する際の調子や抑
揚によって、音声刺激の物理特性としてはその都度異なった性状を呈するにもかかわらず、知覚は
安定して同一の記号として機能し、その障害も明瞭に出現するという特徴がある。この特徴こそ第
1、第2水準で考察すべきところである。言語の聴覚認知を扱うときは、音声、音韻、語彙、文脈
といった異なるレベルでの考察が行われる。特に語彙以上のレベルを考える際には、前述したよう
に、言語の生物学的機能(第3水準)によって可能になる、差異化と意味作用の機能(第1・第2
水準)に特に着目することになるのである。
標準語音聴力検査では、単音節語音表を用いて語音弁別能(最高受聴明瞭度)を測定し、数字語
音表を用いて50%明瞭度が得られる語音聴取レベルを測定する。単音節語音の認知は音韻を、数
- 6. 字語音の認知は音韻に加えて語彙を対象としている。さらに、言語認知の検査用語一覧表(図3)
や、Token test は文脈の理解までを対象としている。また、標準失語症テストや Western Aphasia Battery な
どの各種失語症検査を用いて、聴覚的理解の判定に加えて、「話す」・「読む」・「書く」といっ
た聴覚認知以外の言語機能の障害を除外することも行われる。
これらの検査の結果はいずれも第1、第2水準上のものであり、生物学的機能(第3水準)を解
明するのを助けるが生物学的機能そのものを示してはいないことに注意が必要である。このように
考えると、例えば古典的失語理論として有名な Wernicke-Lichtheim の図式は、脳構造内にはっきり定義で
きる特定機能の中枢と、中枢間の連絡をになっている連合路を分離しようとして、構造という第3
水準上でのモジュールと、「概念」・「音声」・「文字」といった第1・第2水準上でのモジュー
ルを一致させようとしている点に無理があることが理解できる。
両耳聴検査
両耳合成能現象(binaural integration)とは、両耳の入力情報を1つの情報に統合し、単一の音像を聴
取する現象である。この現象はさらに
① 両耳加重現象(binaural summation):両耳に同時に同一刺激を与えることにより、その閾値 、
loudness、あるいは明瞭度に変化を呈する場合
② 両耳融合現象(binaural fusion):両耳に与えた同種刺激に位相差、時間差があるが両耳聴では単一
音源として感受する場合、および両耳に同時に異なる刺激を与えて単一音源と受け取る場合
の2種に分けられる。両耳融合現象を利用した検査として、方向感検査、両耳歪み語音明瞭度検査
を挙げる。
一方、両耳分離能現象(binaural separation :binaural differentiation, interaural discrimination)とは、左右の耳に
まったく異なる2つの種類の音が入力されたとき(狭義の dichotic listening)に、これらを別々の情報と
して聞き分ける能力のことである。
a)方向感検査
方向感の検査法としては自由音場での diotic の検査(音源定位の検査)と、各耳にイヤホンを挿入
しての dichotic の検査(音像定位の検査)とがある。音源定位の検査は無響室を必要とし、臨床的に検
査することが難しいため音像定位の検査が一般的で、これは左右の耳に達する音の強度差と音の到
達時間の差(純音では位相差)の検出によって行われる。強度差と時間差は互換可能であることを
利用したのが ITD(interaural time differnce)調整装置で、その測定原理は両耳間の強度差を0として、時
間差のみによって音像の偏奇を判定させ、刺激音に対する微細な時間因子の把握能力を検出すると
いうものである。
低周波数帯域では時間差が、高周波数帯域では強度差が方向感に大きく関与するといった第2水
準の研究があり、また、聴覚伝導路損傷例の方向感検査の知見は伝導路のどこの障害かといった第
3水準の議論に成果をあげつつある。しかし、方向感検査で被験者は何を答えるかと問えば(第1
水準の問い)、音の来る方向が右寄りか左寄りかという文字通り「方向」を答えるということであ
り(動物によっては視覚にも匹敵するような聴空間認知能を持つものもある)、この稿で取り上げ
た他の聴力検査とは一線を画すものである。すなわち他の聴力検査は、音が聞こえるか聞こえない
かという「音の存在の有無」のモジュール、あるいは言語音や環境音を認知できるかという「音の
- 7. 種類」によってさらに細分されたモジュールで答えるものである。純音に対する方向感が最も悪く 、
複雑な音の方向感は良好であるという結果があるが、方向感というモジュールは「音の存在の有
無」というモジュールと独立して並列されるべきモジュールであることに注意する必要がある。
c)Dichotic Listening Test
人間は両耳に与えられた異なった情報を別々に感受する能力を持っている。両耳に異なった語音
を与えるのが DLT(dichotic listening test)である。左右の成績を比較して、大脳半球優位側の決定や脳梁
の機能解明といった主としてトップダウン型の研究に用いられている。
例えば、非交叉線維よりも交叉線維の方が数が多いという神経解剖学的検討を背景として、側頭
葉損傷患者における DLT で対側から入力された語音の認知能力が低下したという検査結果から、聴
覚伝導路では非交叉路よりも交叉路のほうがより強く活動していると考えられている。別の例とし
ては、小児では右耳側の語音聴取が左より良好であること、左側頭葉障害患者における右耳の語音
聴取の方が、右障害における左耳の語音聴取の成績よりも悪いこと、音楽や無意味語音を用いた両
耳分離能検査では左耳優位であること、これらの結果から一般に言語音は主として右耳ー左側頭葉
の経路で、非言語音は左耳ー右側頭葉で認知されると推察されている。
音楽の認知検査
音楽の認知的研究のためには、様々な方法を便宜主義的に組み合わせて用いている。例えば音楽
理論は、人間の認知とはひとまず独立に、音楽の Syntax や Semantics を扱ったり、それを利用しつつ特
定の楽曲の構造を分析するものであるが、実はその際、暗に聴き手・演奏者・作曲家の認知を想定
していることが少なくない。こうした暗黙の過程をより明示的にし、しかもそれを心理的に実在性
のあるものに近づけていくことが、音楽の認知的研究の一方法である。
調性音楽に含まれている情報処理過程を考える時に、ある楽曲がいかに人々の心の中に表象され
ていると想定するかが、認知的研究の出発点である。音響的表象がどのように構造化されているか
を考える必要がある。自然言語処理の場合と同様に、われわれが物理的に、あるいは心の中で音の
流れを聴いた時に、その流れは何らかの仕方で区切られ、簡約化され、他の部分と関係づけられる
であろう。その構造がいくつかの水準をもつ階層的なものだと考えることもできる。ここで問題に
なるのは、音楽の場合には単語にあたるような、いわば自然の切れ目がないということである。
音の流れはいくつかの水準でグループ化される。このグループは基本的にはアクセントのある音
(あるいは音群)1つに対して、アクセントのない数個の音(あるいは音群)が結びつけられると
いう形でおこる。アクセントは、拍子がはっきりしている楽曲の場合には、拍子上ないしは小節線
の区切り上からもきまってくるが、それだけでなく、その音が持っている長さとか高さにも依存す
る。さらにまた、進行中だった傾向が停止する、という意味で構造上重要な音もアクセントを持つ 。
これら3種のアクセントが時にかさなったり、時に不一致になったりして、様々な程度の明確さを
もったグループ化が生じると考えられている。
音楽的表象をつくり変えていくもう 1 つの認知過程は、音の流れのなかでいくつかの旋律進行を識
別することである。それぞれの進行は、次にどのような音高がでてくるのかを暗に意味する。聴き
手の側からいえば、ひとつの旋律のなかに、いくつかの進行、原音の連鎖を感じとることができな
くてはならない。このような仕方で、旋律をいくつかの暗意-実現関係の合成体として表象すること