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第5回        2013年


伊万里コンシェルジェ検定


     問題用紙



          【主催】
   特定非営利活動法人 まちづくり伊萬里



            【後援】
      伊万里市・伊万里市教育委員会
    伊万里商工会議所・伊万里市観光協会
  伊万里商店連合会・伊万里商工会議所青年部
        (社)伊万里青年会議所

             【実施日】
       平成 25 年 3 月 10 日(日)
  伊萬里まちなか一番館 2階イベントスペース
次の1.~45.の答えを解答用紙に①~④の番号で記入してください。



1.伊万里市域を流れる川(源流や河口が他市町村にあるものを含む)で全長が1番長
  い川は次のうちどれでしょうか。
  ①伊万里川 ②有田川 ③松浦川 ④志佐川(しさがわ)



2.伊万里市東山代町浦川内(うらがわち)にある佐賀県天然記念物に指定されている
  桜の名木は次のうちどれでしょうか。
  ①日清桜 ②名月桜 ③明星桜(みょうじょうざくら) ④うば桜



3.中世に伊万里地方を治めていた武士団は次のうちどれでしょうか。
  ①民主党(みんしゅとう)   ②悪党(あくとう)
  ③渡辺党(わたなべとう)   ④松浦党(まつらとう)



4.伊万里市山代町の久原(くばら)工業団地内で佐賀大学が研究を行っている環境負
  荷(かんきょうふか)が小さいとされる発電方法は次のうちどれでしょうか。
  ①波力発電 ②海洋温度差発電 ③風力発電 ④人力発電



5.全国150以上あるといわれる銘柄(めいがら)のうちでもトップレベルの肉質の
  評価を受け農林水産大臣賞などを受賞している伊万里市の畜産物は次のうちどれ
  でしょうか。
  ①伊万里牛 ②伊万里豚 ③伊万里地鶏 ④伊万里ダチョウ



6.伊万里市大川内町大川内山(おおかわちやま)で毎年11月1日から5日に行われ
   ている行事は次のうちどれでしょうか。
  ①伊万里陶器市             ②伊万里窯元市(かまもといち)
  ③鍋島藩窯(なべしまはんよう)秋祭り ④伊万里焼秋祭り



7.雑誌『じゃらん』の第2回九州ご当地グルメグランプリ2010で食べてみたい
  第1位に選ばれた伊万里市のご当地グルメは次のうちどれでしょうか。
  ①伊万里牛ハンバーガー ②伊万里牛ハンバーグ
  ③伊万里牛丼      ④伊万里牛みそ汁
8.創業(そうぎょう)明治五年(1872)という伊万里市内の老舗(しにせ)のみ
  そ、しょうゆ屋、西岡醤油(しょうゆ)醸造元(じょうぞうもと)で製造、販売し
  ている、伊万里市の特産品をつかった食品は次のうちどれでしょうか。
  ①伊万里牛ハンバーガー  ②伊万里牛ハンバーグ
  ③伊万里牛丼       ④伊万里牛みそ汁



9.昭和12年(1937)に伊万里市と唐津市の山本との間をむすぶ路線が開通し伊
  万里駅と博多駅が鉄道で結ばれました。現在JR九州に引き継がれているこの路線
  名は次のうちどれでしょうか。
  ①肥前線(ひぜんせん) ②唐伊線(とういせん)
  ③松浦線        ④筑肥線(ちくひせん)



10.伊万里湾を東西に結ぶアーチ橋は次のうちどれでしょうか。
   ①伊万里湾大橋   ②伊萬里津大橋   ③川東橋   ④二里大橋



11.伊万里市街地を運行しているコミュニティバスの愛称は次のうちどれでしょうか。
   ①いまりんバス ②ぶっくん ③いまり号 ④高原バス



12.平成3年(1991)、伊万里市黒川町福田にオープンした人工海水浴場は次の
   うちどれでしょうか。
   ①七つ島ビーチ ②ハチマルビーチ ③イマリンビーチ ④ぎぎが浜



13.伊万里市民の活発な利用にささえられ、市民とともに育っていると市内外の評価
   が高い、平成7年(1995)7月7日に開館した文化施設は次のうちどれでし
   ょうか。
   ①伊万里市歴史民俗資料館  ②伊万里市民会館
   ③伊万里市民センター    ④伊万里市民図書館



14.「うそ」を意味する伊万里地方の方言は次のうちどれでしょうか。
    ①うっさごと ②ぞうたん ③ぞうぐり ④ふーけもん



15.「マムシ」を意味する伊万里地方の方言は次のうちどれでしょうか。
    ①くちなわ ②ひらくち ③びきとい ④からすくちなわ
16.伊万里市の農村部を中心に伝承されている雨乞(あまご)いの民俗(みんぞく)
   芸能は次のうちどれでしょうか。
   ①浮立(ふりゅう)  ②荒踊り(あらおどり)
   ③曳き山(ひきやま) ④龍踊り(じゃおどり)



17.伊万里市は玄海灘につきだした2つの半島にまたがっています。その2つの半島
   とは次のうちどれでしょうか。
   ①東松浦半島と西松浦半島   ②南松浦半島と北松浦半島
   ③東松浦半島と北松浦半島   ④唐津半島と松浦半島



18.伊万里市大川町と松浦町、武雄市にまたがる山で、八幡岳(はちまんだけ)の前
   にあることから名づけられたと考えられる秀麗(しゅうれい)な山は次のうちど
   れでしょうか。
   ①大陣岳(おおじんだけ)   ②眉山(まゆやま)
   ③前山(まえやま)      ④黒岳(くろだけ)



19.江戸時代後期の安永(あんえい)年間ごろに築かれた伊万里湾内で最も広い干拓
   (かんたく)地は次のうちどれでしょうか。
   ①八谷搦(はちやがらみ)    ②幸兵衛搦(こうべえがらみ)
   ③川副新田(かわそえしんでん) ④長浜干拓地(ながはまかんたくち)



20.江戸時代に唐津藩が農家の農閑期(のうかんき)の副業として奨励(しょうれい)
   した特産品は次のうちどれでしょうか。
   ①唐津和紙     ②唐津和ろうそく
   ③唐津和だんす   ④唐津紅花(べにばな)



21.伊万里市内で江戸時代後期に天領(てんりょう、幕府の直轄地ちょっかつち)に
   なった場所は次のうちどれでしょうか。
   ①大川町の全域と南波多町の一部  ②大川町の全域と波多津町の一部
   ③大川町             ④大川内山
22. 戦後、伊万里町付近では、大雨で、たびたび伊万里川の水があふれる水害があ
   りました。水害を防ぐため、川幅拡張工事が行われ、伊万里町付近の伊万里川は、
   昭和40年以前のおよそ2倍の川幅になりました。そのきっかけとなった水害は、
   次のうち何年の水害でしょう。
   ①昭和40年 ②昭和42年 ③昭和44年 ④昭和46年



23.伊万里市内の就業者数がもっとも多い業種は次のうちどれでしょうか。(平成 22
   年度国勢調査)
   ①農業  ②建設業  ③製造業  ④卸売小売業



24.生ごみや廃食油の資源化などを行っている伊万里市内のNPO法人は次のうちど
   れでしょうか。
   ①牧島のカブトガニとホタルを育てる会 ②伊万里はちがめプラン
  ③クリーン伊万里市民協議会       ④いまり菜の花プロジェクト



25.平成22年度の伊万里港の貿易額で輸出額が最も大きいのは次のうちどれでしょ
   うか。
   ①陶磁器  ②船舶  ③中古自動車  ④自動車の部分品



26.平成22年度の伊万里港の貿易額で輸入額が最も大きいのは次のうちどれでしょ
   うか。
   ①合板  ②家具  ③飼料  ④衣類



27.伊万里市大川内町大川内山にある、「伊万里焼」や「有田焼」の振興を目的とし
   た施設は次のうちどれでしょうか。
   ①伊万里焼会館       ②伊万里・有田焼伝統産業会館
   ③伊万里・鍋島ギャラリー  ④伊万里陶磁美術館



28.腰岳の自然の中で楽しく遊びながら木工芸品の製作が体験できる施設は次のうち
   どれでしょうか。
   ①ピーターパンの森        ②ピノキオの家
   ③都川内(みやこがわち)森林公園 ④大川内山(おおかわちやま)キャンプ場
29.伊万里市の「立花町(たちばなちょう) 」の地名の由来として、もっとも確から
   しいと考えられているのは次のうちどれでしょうか。
   ①垂仁(すいにん)天皇に仕えた田道間守(たじまもり)が常世(とこよ)から
    不老不死の妙薬(みょうやく)とされた「橘(たちばな)」の実を伊万里に持ち
    帰って植えたという伝説があるから。
   ②伊万里地方では室町時代に華道の前身である「立花(りっか) 」が盛んに行わ
    れていたから。
   ③筑後の戦国武将の立花道雪(たちばなどうせつ)が伊万里地方を攻めたとき、
    撃退することができた記念に名づけられた。
   ④遣唐使(けんとうし)の橘諸兄(たちばなのもろえ)が日本に帰りついた場所
    が伊万里だったので名づけられた。



30.毎年10月22日夜から24日にかけて、伊万里市街地で行われている伊万里ト
   ンテントン祭りですが、祭の名前の由来は太鼓(たいこ)を叩く音から名付けら
   れています。さてその太鼓のたたき方、何種類あるでしょうか。
   ①7種類 ②8種類 ③9種類 ④10種類



31.伊万里市の一般会計の歳入の市税収入額のうち最も大きいのは次のうちどれでし
   ょうか。(平成22年度決算額)
   ①市民税(個人) ②市民税(法人) ③固定資産税 ④市たばこ税



32.伊万里市木須町(きすちょう)多々良(たたら)海岸では、毎年6月から8月の
   大潮の時期に、カブトガニの産卵が見られます。では、カブトガニの 1 回あたり
   の産卵数はどれくらいでしょうか。
   ①20~40粒    ②50~100粒
   ③200~300粒  ④500~800粒



33.伊万里地方の基盤層(きばんそう)の堆積(たいせき)によってできた植物遺体
   (いたい)などの化石は次のうちどれでしょうか。
   ①陶石(とうせき) ②黒曜石(こくようせき) ③石炭 ④輝石(きせき)
34.松浦党の一族が力を合わせるために結んでいた約束が記された文書は次のうちど
   れでしょうか。
   ①合力証文(ごうりきしょうもん)
   ②一族約定書(いちぞくやくじょうしょ)
   ③一揆契諾状(いっきけいだくじょう)
   ④朱印状(しゅいんじょう)



35.伊万里牛(伊万里産佐賀牛)の農業産出額は次のうちどれでしょうか。
   (平成21年度)
   ①約31億円 ②約25億円 ③約21億円 ④約15億円



36.伊万里ふるさと村のマスコットキャラクターは次のうちどれでしょうか。
   ①梨万里(なしまり)くんと梨里(りりー)ちゃん
   ②梨丸(なしまる)くんと梨里(りりー)ちゃん
   ③梨万里(なしまり)くんと房美(ふさみ)ちゃん
   ④梨丸(なしまる)くんと房美(ふさみ)ちゃん



37.新鮮な魚介類などのバーベキューが評判を呼んでいる伊万里市波多津町(はたつ
   ちょう)の農産物の定期市は次のうちどれでしょうか。
   ①はたつふれあい広場 ②松浦の里 ③海の駅 ④おさかな村



38.有田川カワニバルや観竹(かんたけ)まつりを行っている伊万里市二里町(にり
   ちょう)の若者を中心とした町おこしグループは次のうちどれでしょうか。
   ①二里町をなんとかすっと会 ②二里町をなんとかしゅう会
   ③二里町をどげんかせんば会 ④二里町をどげんかすっと会



39.平成21年度の伊万里駅の年間乗降者数は次のうちどれでしょうか。
   ①約60万人 ②約50万人 ③約40万人 ④約30万人



40.伊万里湾の安全を守るため、伊万里市山代町久原(くばら)の伊万里海上保安署
   に配備されている巡視艇の名前は次のうちどれでしょうか。
   ①玄海丸 ②ゆきかぜ ③ゆみかぜ ④さよひめ
41.伊万里市出身の「愛郷(あいきょう)の詩人」といえば、次のうちだれでしょう
   か。
   ①片岡繁男           ②犬塚 堯(いぬつかぎょう)
   ③森永杉洞(もりながさんどう) ④種田山頭火(たねださんとうか)



42.伊万里市民図書館の蔵書数(AV資料を含む。平成21年3月末現在)は次のう
   ちどれでしょうか。
   ①約10万点 ②約14万点 ③約24万点 ④約34万点



43.伊万里市の「二里町(にりちょう)」の地名の由来として、もっとも確からしい
   と考えられているのは次のうちどれでしょうか。
   ①江戸時代は有田郷の「二里村」で、有田皿山代官所から二里(約8km)の距
    離だったから。
  ②江戸時代は有田郷の「二里村」で、伊万里津を治めた伊万里役屋敷から二里(約
   8km)の距離だったから。
  ③江戸時代は有田郷の「二里村」で、村の南北の長さが二里(約8km)だった
   から。
  ④明治時代に、大里村(おおざとむら)と中里村(なかざとむら)の二つ里をと
   ってできた「二里村(にりむら)」がもとになったから。



44.伊万里地方の結婚式では、飴(あめ)でつくった鯛(たい)などで飾った砂糖菓
   子を据えて祝いました。その飾り物は次のうちどれでしょうか。
   ①万代 ②寿賀台(すがだい) ③てかけ(三宝) ④盃台(はいだい)



45.ほぐしてお茶漬けなどに入れる伊万里地方の郷土食は次のうちどれでしょうか。
   ①いっこっこう ②とうこう ③とうしろう ④ういろう
以下46.~50.は、次のページの伊万里津年表を見て解答用紙

に答えを記入してください。


46.伊万里津年表の中の[                       A        ]~[        E       ]に入る人物を下の①~⑧から選び
   番号で答えなさい。


                                                                  り さんぺい       かな が   え さん べ    え
        ①波多氏               ②松浦氏                               ③李三平(金ヶ江三兵衛)
          ぎ ざ      え もん     かき   え もん                          いまいずみ い ま え も ん
        ④喜三右衛門(初代、柿右衛門)                                       ⑤今泉今右衛門
         りゅう ぞ う じ た か の ぶ   なべしまなおしげ                          なべしまなおまさ
        ⑥ 龍 造寺隆信           ⑦鍋島直茂                              ⑧鍋島直正



47. 伊万里津年表の中の【  あ                                】~【          お         】に入る出来事を下の①~⑤
    から選び、番号で答えなさい。


                                   ぎ じゅつ    すい     あつ        おおかわ ち やま     なべしまはんよう         ひら                   さい
       ①このころ伊万里焼の技 術 の粋を集めて、 川内山に鍋島藩窯が開かれ、
                            大             世界最
       こうほう
       高峰の磁器、鍋島がつくられる。

                  まち や        やく            けん   かぞ         せんげんざいしょ       よ                    さか
   ②伊万里町の町屋は約800軒を数え、 軒在所」
                    「千    と呼ばれるほど栄える。
                                    (『伊
    万里歳時記』)
                         やき                                       つ                                          ひがし じ ま
   ③このころ伊万里焼       (肥前磁器) が伊万里から積み出され始める。伊万里の 東 島
    とく ざ え もん いわながでん え もん と あつか
    徳左衛門や岩永伝右衛門らが取り 扱 う。
            ばんこくはくらんかい                                       しゅっ ぴ ん     めい じ
   ④パリ万国博覧会に伊万里焼(有田焼)が 出 品され明治時代には海外への輸出
    が、ふたたびさかんになる。
                きしだけ     から つ      し きた は   た    お う ち ちょう    しゅう へ ん                   は   た   し    ほ   ご
   ⑤このころ岸岳(唐津市北波多・相知 町 ) 周 辺で、松浦党の波多氏に保護され
       ちょうせん とうこう    から つ やき
    ていた朝鮮半島の陶工たちによって唐津焼がつくられはじめる。



48.【    か      】に入る年号を答えなさい。(西暦、元号どちらでも可)



49.【    き      】に入る年号を答えなさい。(西暦、元号どちらでも可)



50.【    く      】に入る人物名を漢字で答えなさい。
い      ま       り   つ   か ん け い ね ん ぴょう

   伊万里津関係年表                                                   (伊万里津は伊萬里津とも書きます。)


げんきゅう                                    まつ ら とう                                                   おお かわ ち               みなもとのしげ ひら じ とう
元 久 2年(1205)                     水軍、松浦党の有力家、伊万里氏の一族、大河内氏の『 源 重平地頭
                                 しき ぶ にんじょうあん                                    もん じょ
                                 識補任 状 案 写し(大河内家文書)』に「伊万里浦」と記される。伊万
                                 里のあたりが漁村であったことがわかる。

けん ぽう                                                 みなもとのひらくゆずりじょうあん
建保6年(1218)                       伊万里氏の『 源 披 譲 状 案(伊万里文書)』に「伊万里浦」と記さ
                                 れる。

てんしょう                                             あり た    し        やま しろ し                               せ                 こう ふく
天 正 4年(1576)                     伊万里氏や有田氏、山代氏が、[                                               A    ]に攻められて降伏する。

てんしょう                                                 ぼっ                   はん そ                                               おさ
天 正 12年(1584)                    [       A        ]が没し、佐賀藩祖の[                                  B       ]が伊万里地方を治める。


              ねん だい
1580年代                           【            あ               】

ぶん ろく がん                         ぶん ろく      けいちょう     えき
文禄元年(1592)                       文禄・慶 長 の役(1592~98)で伊万里浦が[                                                               B         ]などの
                                                  き   ち                      せい び                   もと         いな り しゃ       くす
                                 軍船の出兵基地となり港の整備がすすむ。元町の稲荷社の楠に
                                                                   くに よし まる
                                 [       B        ]の軍船、国吉丸のともづなを結んだという。

ぶん ろく                                                              とよ とみ ひで よし       ほろ                                                 ひ
文禄2年(1593)                       岸岳の[             C           ]が豊臣秀吉に滅ぼされ、岸岳周辺の陶工たちが肥
                                 ぜん                                          ち
                                 前(佐賀・長崎)の各地に散らばり、伊万里地方でもさかんに唐津焼
                                 がつくられはじめる。

ぶん ろく       けいちょう     えき                                                                           つ     かえ
文禄・慶 長 の役                        このころ[                B            ]が朝鮮半島の陶工を連れ帰る。
(1592~98)

けいちょう                            なか の じん       え もん きよ あき                    だい かん にし め ひと とお          こころづか     さかい め             やく
慶 長 19年(1614)                    中野神右衛門清明が[伊万里代官西目一通り 心 遣い 境 目おさえ役]に
                                 なり、伊万里地方を治める。

げん わ (げんな)                                                                                                          いずみやま     とう せき
元和 2 年 (1616)                    朝鮮半島から来た[                             D          ]が有田にうつりすみ、 泉 山で陶石を発
                                                  さい しょ       じ    き
                                 見し、日本最初の磁器をつくったといわれる。

かん えい ねん かん
寛永年間(1624~43) 【                               い               】

かん えい                            あらいきり       ほん                            こう こ さき         に   り                ど    い     てい ぼう
寛永6年(1629)                        洗 切(本町4丁目)から江湖崎(二里町)まで、土井(堤防のこと。
                                 げんざい                     な かい び             きず                           し      き
                                 現在の土井町や中井樋)が築かれ、伊万里浦が閉め切られて伊万里町
                                 のもとができた。

かん えい                            きょう と       まつ え しげ より                          け ふき ぐさ                                       いま り
寛永15年(1638)                       京 都の松江重頼が書いた『毛吹草』という本の中に、「唐津今利ノ
                                 やき もの                        しる                                          とう き                          かん
                                 焼物」とはじめて記されており、唐津焼(肥前陶器)や伊万里焼が関
                                 さい ほう めん
                                 西方面へ広まっていたことがわかる。
みん           しん        おうちょう    こう たい                        ない らん                        ようぎょう ち
1644~61年                    中国では明から清へ王 朝 が交代し、その内乱で中国国内の窯 業 地が
                            こう はい                                          ざん とう         たい わん                               てい せい こう せい けん
                            荒廃した。また清は、明の残党で台湾にたてこもった鄭成功政権と中
                                ほん ど                                 た                                  こう えき        きん
                            国本土とのつながりを絶つために、海外交易を禁じたので、中国から
                                                              ゆ しゅつ
                            海外へ中国磁器が輸 出 されなくなる。

しょうほう                       やま もと じん        え もん しげ ずみ                   さら やま
正 保4年(1647)                 山本神右衛門重澄が[初代皿山代官]になり、伊万里地方を治める。

                                ひ ぜん いっ こく え         ず
                            『肥前一国絵図』にはじめて「伊万里町」「伊万里津」と記される。
                            このころまでに町や港が整備されていた。


                                            ひがしじま とく ざ         え もん                                 いろ え       つ
                            このころ 東 島徳左衛門が、中国人から色絵付けの技法を学び有田の
                            [       E            ]に教え、色絵磁器がつくられ始めたという。

                                                                               なが さき               とう なん
                            このころ伊万里焼が中国船で長崎から東南アジアへ積み出されはじ
                            める。


じょうおう                           よろずおん こ もの なり かた さん ようちょう                                                    ぜい きん    ちょう ぼ
承 応2年(1653)                 『 萬 御小物成方算用 帳 』という佐賀藩の税金の 帳 簿を見ると伊万
                                       ぜいしゅう
                            里津の税 収 が、藩内のほかの津にくらべてとびぬけて多く、藩内で
                                            じゅうよう
                            もっとも 重 要な港であったことがわかる。

まん じ                        なが さき       で じま                         れん ごうひがし                  がい しゃ          ブイ     オー      シー               じ   き
万治2年(1659)                  長崎の出島のオランダ連合 東 インド会社(V.O.C.
                                                      )が中国磁器
                                か                い   ま   り やき                                      ほん かく てき          ゆ しゅつ
                            の代わりに伊万里焼を、ヨーロッパへ本格的に輸 出 するようになる。

かん ぶん                                                    い    ま    り やき もの み     せ   ご    や              お
寛文2年(1662)                  長崎の出島に「伊万里焼物見世小屋」が置かれる。

かん ぶん                                       え    ど                           ご   ろ   べ     え            あり た                          か
寛文8年(1668)                  このころ江戸から[伊万里屋五郎兵衛]が有田に伊万里焼を買いつけに
                            来て、江戸方面へも伊万里焼が広まったという。

えん ぽう
延宝3年(1675)                  【               う                 】

げん ろく                                   つ        たび びと        おお               じゅうよう               ば しょ
元禄3年(1690)                  伊万里津は旅人が多く集まる 重 要な場所なので、佐賀藩が伊万里津
                                と       し                                                          ごころづかいやく                   やく にん               かみ
                            の取り締まりのため、このころ伊万里 心 遣 役という役人を置く。上
                            くろ お       やく や しき
                            黒尾に役屋敷があった。

        せい き すえ                                                                                                    とう なん
17世紀末                       中国磁器の海外への輸出がふたたびはじまり、 南アジア方面へ伊万
                                                 東
                                        う
                            里焼が売れなくなってくる。

                                                 せいりょく        つよ                               れん ごうひがし                    がい しゃ   あっ ぱく
                            イギリスの勢 力 が強まり、オランダ連合 東 インド会社を圧迫するよ
                                                                                                   あたま う
                            うになり、ヨーロッパへの磁器輸出も 頭 打ちになる。

        せい き すえ   せい き はじ           じゅ よう                                        む             は    さ    み                 そ せい
17世紀末~18世紀初め                海外需要が減ったため、国内向けに波佐見などで、粗製の磁器「くわ
                                       ぢゃ わん             たいりょうせい さん
                            らんか茶碗」が大 量 生産されるようになる。
きょうほう ねん かん                                           ごうしょう     まえ かわ ぜん ざ      え もん きよ ひで                       こく             て ぶね
享 保年間(1716~35) このころ伊万里の豪 商 、[前川善左衛門清英]が、二百石積みの手船2
                     そう     おお さか         とう じ    き
                     艘で大坂へ陶磁器を積み出す。

ほう えい                                たい か                 よし もち ねん ぷ
宝永3年(1706)           伊万里町大火(『鍋島吉茂年譜』。
                                    )

ほう れき                                             た   く ゆう        お    や かた にっ き
宝暦4年(1754)           伊万里町大火(多久邑藩『御屋形日記』。
                                       )

めい わ                                      きゅう き おぼえがき                                                        ふ けい き
明和7年(1770)           『皿山代官 旧 記 覚 書』に、オランダへの輸出が不景気だと書かれて
                     おり、伊万里焼がヨーロッパへは売れなくなっていたことがわかる。

あん えい ねん かん                                               にし かめ ぞう      ちょうせん                 とう じ       き               はじ
安永年間(1772~80) このころ伊万里津の[西亀蔵]が 朝 鮮向けの陶磁器の輸出を始める。

                                                  わん さい だい     かん たく ち        めん せき やく                   ちょう ぶ    はち や がらみ        はち
                     このころ伊万里湾最大の干拓地で面積約160 町 歩の八谷 搦 は八
                     や ぜん べ      え        ぶ ぎょう                           に    り                    ごうしょう        ごう のう
                     谷善兵衛が奉 行 し、伊万里町や二里町などの豪 商 や豪農の力ででき
                     あがった。

てん めい                                     おとず                 さい しょ    どう はん が     か          し    ば こう かん        さい ゆう りょ たん
天明9年(1789)           伊万里津を 訪 れた日本最初の銅版画家、司馬江漢が『西遊旅譚』
                                                   (1
                                                                               セト モノ
                     794)という本の中で「焼き出す陶器、日本国中に広まる」と記し、
                                          ぜん こく
                     伊万里焼が全国に広まっていたことがわかる。

かん せい                            さん かい めい さん ず        え         ヤキ モノ         こう        しょしゅうすうひんあるなか                    ひ ぜんのくに
寛政11年(1799)          『日本山海名産図絵』 「陶器」
                               の    の項に「諸 州 数 品有中にも肥 前 国伊
                                     いう     ほんちょうだい いち
                     万里焼と云を本 朝 第一とす」と記されている。

        せい き ぜん はん                                                       びん     さけ      しょう ゆ            よう き
19世紀前半ごろ             このころから波佐見のコンプラ瓶(酒や 醤 油の容器)が東南アジア
                     などへ輸出される。

きょう わ                                     しら かべ ど ぞうづくり         いえ                                               さい じ    き
享 和3年(1803)          伊万里町に白壁土蔵 造 の家がたちはじめる。
                                          『伊万里歳時記』

ぶん か                 と    と しま                                          き しゅう       わ   か やま                      かね とう ろう       いしちょう
文化11年(1814)          戸渡島神社(伊万里神社)に、 州(和歌山県)
                                   紀       商人が金灯籠と石 手
                     ず ばち        き しん            ちく ぜん                   ふな こし うら         く       が うら    いと しま ぐん
                     水鉢を寄進し、筑前(福岡県)船越浦・久家浦(糸島郡)の商人が石
                            いっ つい
                     灯籠一対を寄進する。

ぶん せい                                                                    い ずも       しま ね             まつ え                    いし こま いぬ
文政3年(1820)           戸渡島神社(伊万里神社)に、出雲(島根県)松江の商人が石狛犬一
                     対を寄進する。

ぶん せい
文政7年(1824)           【               え                】


てん ぽう                あり た        ちょうにん がく しゃ          しょう じ こう き           けん ぽう ふ きょうろく                       とうこく           こく さんすくな
天保3年(1832)           有田の 町 人学者、正 司考祺は『倹法冨 強 録』に「当国ハ・・・国産 寡
                                                   べい か じゅうまんりょうあま                 とう き
                     シトイヘドモ・・・米価 十 万 両 余リ、陶器八万両・・・。
                                                  」

てん ぽう                                                          びょう                                        つ
天保6年(1835)           伊万里津から年間31万 俵 のやきものが全国に積み出される。伊万
                                          しょう か
                     里津の陶器 商 家は80軒。『伊万里歳時記』
                                   (      )

てん ぽう                ちく ぜん あし や                                      おかみなと                                                        いし どう
天保10年(1839)          筑前芦屋(福岡県芦屋町)の岡 湊 神社に伊万里津の町人73名が石灯
                     ろう     き しん
                     籠を寄進する。
か えい            ちく ぜん あし や          じん む てん のう しゃ                               いし どう ろう     き しん
嘉永2年(1849)      筑前芦屋の神武天皇社に伊万里津の商人が石灯籠を寄進。

か えい            い    よ さくら い        え ひめ けん いま ばり し            つな しき てん まん ぐう                                    いし どう
嘉永5年(1852)      伊予 桜 井(愛媛県今治市)の綱敷天満宮に伊万里津の陶器商人が石灯
                ろう       き しん
                籠を寄進する。

まん えん                               え   ず                                 くら          なら              よう す       えが
万延元年(1860)      『伊万里津絵図』に白壁土蔵造の家と蔵がたち並んでいる様子が描か
                れる。

けい おう
慶応3年(1867)      【               お             】


                             はい はん ち けん
【       か   】   7月 廃藩置県によって佐賀藩は佐賀県になる。

                                            いず はら       つ しま         あ                                    けんちょう
                9月 佐賀県と厳原県(対馬)が合わさって伊万里県になり、 庁 が
                                            県
                                                    まつ しま      えん つう じ    かりちょうしゃ                  しょ だい ごん れい
                伊万里に置かれる。松島町の円通寺が仮 庁 舎になる。初代権令(仮
                     ち   じ              かつ かいしゅう                ばく まつ さんしゅう
                県知事)は、勝海 舟 とならぶ幕末三 舟 の一人、
                                        【                                                            く            】
                である。

めい じ
明治5年(1872)      5月 ふたたび佐賀県になり、県庁が佐賀にうつる。

めい じ                                ゆうりょくしゃ                                           し りつ ぎん こう
明治15年(1882)     伊万里町の有 力 者が力を合わせ、県内最初の私立銀行、伊萬里銀行
                                                               せつ りつ
                (現在の佐賀銀行のもと)が設立される。

                も    じ       きたきゅうしゅう し                     さ    せ   ぼ          てつ どう      かい つう
【       き   】   門司(北 九 州 市)・有田・佐世保間に九州鉄道が開通すると陶磁器
                                                はこ
                は、船よりも鉄道で運ぶことが、しだいにさかんになる。伊万里焼と
                よ                                                                 は    さ   み やき     み かわ ち やき
                呼ばれた肥前の磁器は、有田焼や伊万里焼、波佐見焼、三川内焼など
                     さん ち               な まえ
                の産地ごとの名前で呼ばれるようになる。
【時事問題】次の51.~55.の答えを解答用紙に①~④の番号で
記入してください。

51.平成25年(2013)1月11日、黒川町七ツ島の伊万里港国際物流ターミナ
  ルに、佐賀県で初めて設置された設備は次のうちどれでしょうか。
  ①カントリーエレベータ  ②カントリーロード
  ③ガントリークレーン   ④ガントバクレンネ



52.平成24年(2012)12月24日から26日にかけて神奈川県相模原市で行
  われたスポーツ競技の大会で、団体の部で全国優勝するという快挙をなしとげたの
  は次のうちどれでしょうか。
  ①伊万里高校弓道部  ②伊万里高校アーチェリー部
  ③伊万里高校射撃部   ④伊万里高校馬術部



53.平成24年(2012)は、日本史的に有名な人物が、伊万里市内を訪れて20
  0年になります。その有名な人物の名前は次のうちどれでしょうか。
  ①紀伊国屋文左衛門(きのくにや ぶんざえもん) ②フランシスコ・ザビエル
  ③坂本龍馬(さかもと りょうま)   ④伊能忠敬(いのう ただたか)



54.平成24年(2012)9月に亡くなられた市内の陶磁器コレクターの伊万里市
  への寄贈品を展示する展覧会が平成24年10月30日から平成25年(201
  3)1月14日まで、伊万里駅ビル2階の伊万里・鍋島ギャラリーで行われました。
  その展示されたコレクションの名前は次のうちどれでしょうか。
  ①徳永水滴コレクション   ②徳永天目茶碗コレクション
  ③徳永徳利コレクション   ④徳永ぐい呑みコレクション



55.2012年3月発行の最も権威があるフランスのレストランガイドブック、通称
  「ミシュランガイド」フランス版で、フランスのパリ5区にあるフレンチレストラ
  ン「SOLA」が、開店からわずか1年少しで、一つ星を獲得しました。そのシェ
  フは日本人で、伊万里市山代町出身です。2013年3月8日から10日まで、福
  岡市のホテルニューオータニ博多で、初の凱旋フェアが開かれます。そのシェフの
  名前は次のうちどれでしょうか。
  ①石鍋 裕(いしなべ ゆたか)  ②坂井宏行(さかい ひろゆき)
  ③吉武広樹(よしたけ ひろき)  ④川越達也(かわごえ たつや)
第5回 伊万里コンシェルジェ検定試験

                             答 え
受験番号                      番
                                       得
 お名前                                   点
                                                                  点
No.   答え   No.   答え   No.   答え   No.   答え   No.   答え

 1    ③    12    ③    23    ③    34    ③    45    ②
                                                  A   B   C   D   E
 2    ③    13    ④    24    ②    35    ①    46
                                                  ⑥⑦①③④
                                                  あ   い   う   え   お
 3    ④    14    ①    25    ②    36    ①    47
                                                  ⑤③①②④
                                                       明治4年
 4    ②    15    ②    26    ③    37    ①    48
                                                      又は1871年
                                                       明治30年
 5    ①    16    ①    27    ②    38    ②    49
                                                      又は1897年
                                                山岡鉄舟・山岡鐵舟
 6    ③    17    ③    28    ②    39    ①    50 山岡鉄太郎・山岡鐵太郎
                                                  山岡高歩

 7    ②    18    ②    29    ①    40    ③    51    ③
 8    ④    19    ①    30    ②    41    ①    52    ①
 9    ④    20    ①    31    ③    42    ④    53    ④
10    ①    21    ①    32    ③    43    ④    54    ①
11    ①    22    ②    33    ③    44    ②    55    ③

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第5回伊万里コンシェルジェ検定【問題と答え】

  • 1. 第5回 2013年 伊万里コンシェルジェ検定 問題用紙 【主催】 特定非営利活動法人 まちづくり伊萬里 【後援】 伊万里市・伊万里市教育委員会 伊万里商工会議所・伊万里市観光協会 伊万里商店連合会・伊万里商工会議所青年部 (社)伊万里青年会議所 【実施日】 平成 25 年 3 月 10 日(日) 伊萬里まちなか一番館 2階イベントスペース
  • 2. 次の1.~45.の答えを解答用紙に①~④の番号で記入してください。 1.伊万里市域を流れる川(源流や河口が他市町村にあるものを含む)で全長が1番長 い川は次のうちどれでしょうか。 ①伊万里川 ②有田川 ③松浦川 ④志佐川(しさがわ) 2.伊万里市東山代町浦川内(うらがわち)にある佐賀県天然記念物に指定されている 桜の名木は次のうちどれでしょうか。 ①日清桜 ②名月桜 ③明星桜(みょうじょうざくら) ④うば桜 3.中世に伊万里地方を治めていた武士団は次のうちどれでしょうか。 ①民主党(みんしゅとう) ②悪党(あくとう) ③渡辺党(わたなべとう) ④松浦党(まつらとう) 4.伊万里市山代町の久原(くばら)工業団地内で佐賀大学が研究を行っている環境負 荷(かんきょうふか)が小さいとされる発電方法は次のうちどれでしょうか。 ①波力発電 ②海洋温度差発電 ③風力発電 ④人力発電 5.全国150以上あるといわれる銘柄(めいがら)のうちでもトップレベルの肉質の 評価を受け農林水産大臣賞などを受賞している伊万里市の畜産物は次のうちどれ でしょうか。 ①伊万里牛 ②伊万里豚 ③伊万里地鶏 ④伊万里ダチョウ 6.伊万里市大川内町大川内山(おおかわちやま)で毎年11月1日から5日に行われ ている行事は次のうちどれでしょうか。 ①伊万里陶器市 ②伊万里窯元市(かまもといち) ③鍋島藩窯(なべしまはんよう)秋祭り ④伊万里焼秋祭り 7.雑誌『じゃらん』の第2回九州ご当地グルメグランプリ2010で食べてみたい 第1位に選ばれた伊万里市のご当地グルメは次のうちどれでしょうか。 ①伊万里牛ハンバーガー ②伊万里牛ハンバーグ ③伊万里牛丼 ④伊万里牛みそ汁
  • 3. 8.創業(そうぎょう)明治五年(1872)という伊万里市内の老舗(しにせ)のみ そ、しょうゆ屋、西岡醤油(しょうゆ)醸造元(じょうぞうもと)で製造、販売し ている、伊万里市の特産品をつかった食品は次のうちどれでしょうか。 ①伊万里牛ハンバーガー ②伊万里牛ハンバーグ ③伊万里牛丼 ④伊万里牛みそ汁 9.昭和12年(1937)に伊万里市と唐津市の山本との間をむすぶ路線が開通し伊 万里駅と博多駅が鉄道で結ばれました。現在JR九州に引き継がれているこの路線 名は次のうちどれでしょうか。 ①肥前線(ひぜんせん) ②唐伊線(とういせん) ③松浦線 ④筑肥線(ちくひせん) 10.伊万里湾を東西に結ぶアーチ橋は次のうちどれでしょうか。 ①伊万里湾大橋 ②伊萬里津大橋 ③川東橋 ④二里大橋 11.伊万里市街地を運行しているコミュニティバスの愛称は次のうちどれでしょうか。 ①いまりんバス ②ぶっくん ③いまり号 ④高原バス 12.平成3年(1991)、伊万里市黒川町福田にオープンした人工海水浴場は次の うちどれでしょうか。 ①七つ島ビーチ ②ハチマルビーチ ③イマリンビーチ ④ぎぎが浜 13.伊万里市民の活発な利用にささえられ、市民とともに育っていると市内外の評価 が高い、平成7年(1995)7月7日に開館した文化施設は次のうちどれでし ょうか。 ①伊万里市歴史民俗資料館 ②伊万里市民会館 ③伊万里市民センター ④伊万里市民図書館 14.「うそ」を意味する伊万里地方の方言は次のうちどれでしょうか。 ①うっさごと ②ぞうたん ③ぞうぐり ④ふーけもん 15.「マムシ」を意味する伊万里地方の方言は次のうちどれでしょうか。 ①くちなわ ②ひらくち ③びきとい ④からすくちなわ
  • 4. 16.伊万里市の農村部を中心に伝承されている雨乞(あまご)いの民俗(みんぞく) 芸能は次のうちどれでしょうか。 ①浮立(ふりゅう) ②荒踊り(あらおどり) ③曳き山(ひきやま) ④龍踊り(じゃおどり) 17.伊万里市は玄海灘につきだした2つの半島にまたがっています。その2つの半島 とは次のうちどれでしょうか。 ①東松浦半島と西松浦半島 ②南松浦半島と北松浦半島 ③東松浦半島と北松浦半島 ④唐津半島と松浦半島 18.伊万里市大川町と松浦町、武雄市にまたがる山で、八幡岳(はちまんだけ)の前 にあることから名づけられたと考えられる秀麗(しゅうれい)な山は次のうちど れでしょうか。 ①大陣岳(おおじんだけ) ②眉山(まゆやま) ③前山(まえやま) ④黒岳(くろだけ) 19.江戸時代後期の安永(あんえい)年間ごろに築かれた伊万里湾内で最も広い干拓 (かんたく)地は次のうちどれでしょうか。 ①八谷搦(はちやがらみ) ②幸兵衛搦(こうべえがらみ) ③川副新田(かわそえしんでん) ④長浜干拓地(ながはまかんたくち) 20.江戸時代に唐津藩が農家の農閑期(のうかんき)の副業として奨励(しょうれい) した特産品は次のうちどれでしょうか。 ①唐津和紙 ②唐津和ろうそく ③唐津和だんす ④唐津紅花(べにばな) 21.伊万里市内で江戸時代後期に天領(てんりょう、幕府の直轄地ちょっかつち)に なった場所は次のうちどれでしょうか。 ①大川町の全域と南波多町の一部 ②大川町の全域と波多津町の一部 ③大川町 ④大川内山
  • 5. 22. 戦後、伊万里町付近では、大雨で、たびたび伊万里川の水があふれる水害があ りました。水害を防ぐため、川幅拡張工事が行われ、伊万里町付近の伊万里川は、 昭和40年以前のおよそ2倍の川幅になりました。そのきっかけとなった水害は、 次のうち何年の水害でしょう。 ①昭和40年 ②昭和42年 ③昭和44年 ④昭和46年 23.伊万里市内の就業者数がもっとも多い業種は次のうちどれでしょうか。(平成 22 年度国勢調査) ①農業 ②建設業 ③製造業 ④卸売小売業 24.生ごみや廃食油の資源化などを行っている伊万里市内のNPO法人は次のうちど れでしょうか。 ①牧島のカブトガニとホタルを育てる会 ②伊万里はちがめプラン ③クリーン伊万里市民協議会 ④いまり菜の花プロジェクト 25.平成22年度の伊万里港の貿易額で輸出額が最も大きいのは次のうちどれでしょ うか。 ①陶磁器 ②船舶 ③中古自動車 ④自動車の部分品 26.平成22年度の伊万里港の貿易額で輸入額が最も大きいのは次のうちどれでしょ うか。 ①合板 ②家具 ③飼料 ④衣類 27.伊万里市大川内町大川内山にある、「伊万里焼」や「有田焼」の振興を目的とし た施設は次のうちどれでしょうか。 ①伊万里焼会館 ②伊万里・有田焼伝統産業会館 ③伊万里・鍋島ギャラリー ④伊万里陶磁美術館 28.腰岳の自然の中で楽しく遊びながら木工芸品の製作が体験できる施設は次のうち どれでしょうか。 ①ピーターパンの森 ②ピノキオの家 ③都川内(みやこがわち)森林公園 ④大川内山(おおかわちやま)キャンプ場
  • 6. 29.伊万里市の「立花町(たちばなちょう) 」の地名の由来として、もっとも確から しいと考えられているのは次のうちどれでしょうか。 ①垂仁(すいにん)天皇に仕えた田道間守(たじまもり)が常世(とこよ)から 不老不死の妙薬(みょうやく)とされた「橘(たちばな)」の実を伊万里に持ち 帰って植えたという伝説があるから。 ②伊万里地方では室町時代に華道の前身である「立花(りっか) 」が盛んに行わ れていたから。 ③筑後の戦国武将の立花道雪(たちばなどうせつ)が伊万里地方を攻めたとき、 撃退することができた記念に名づけられた。 ④遣唐使(けんとうし)の橘諸兄(たちばなのもろえ)が日本に帰りついた場所 が伊万里だったので名づけられた。 30.毎年10月22日夜から24日にかけて、伊万里市街地で行われている伊万里ト ンテントン祭りですが、祭の名前の由来は太鼓(たいこ)を叩く音から名付けら れています。さてその太鼓のたたき方、何種類あるでしょうか。 ①7種類 ②8種類 ③9種類 ④10種類 31.伊万里市の一般会計の歳入の市税収入額のうち最も大きいのは次のうちどれでし ょうか。(平成22年度決算額) ①市民税(個人) ②市民税(法人) ③固定資産税 ④市たばこ税 32.伊万里市木須町(きすちょう)多々良(たたら)海岸では、毎年6月から8月の 大潮の時期に、カブトガニの産卵が見られます。では、カブトガニの 1 回あたり の産卵数はどれくらいでしょうか。 ①20~40粒 ②50~100粒 ③200~300粒 ④500~800粒 33.伊万里地方の基盤層(きばんそう)の堆積(たいせき)によってできた植物遺体 (いたい)などの化石は次のうちどれでしょうか。 ①陶石(とうせき) ②黒曜石(こくようせき) ③石炭 ④輝石(きせき)
  • 7. 34.松浦党の一族が力を合わせるために結んでいた約束が記された文書は次のうちど れでしょうか。 ①合力証文(ごうりきしょうもん) ②一族約定書(いちぞくやくじょうしょ) ③一揆契諾状(いっきけいだくじょう) ④朱印状(しゅいんじょう) 35.伊万里牛(伊万里産佐賀牛)の農業産出額は次のうちどれでしょうか。 (平成21年度) ①約31億円 ②約25億円 ③約21億円 ④約15億円 36.伊万里ふるさと村のマスコットキャラクターは次のうちどれでしょうか。 ①梨万里(なしまり)くんと梨里(りりー)ちゃん ②梨丸(なしまる)くんと梨里(りりー)ちゃん ③梨万里(なしまり)くんと房美(ふさみ)ちゃん ④梨丸(なしまる)くんと房美(ふさみ)ちゃん 37.新鮮な魚介類などのバーベキューが評判を呼んでいる伊万里市波多津町(はたつ ちょう)の農産物の定期市は次のうちどれでしょうか。 ①はたつふれあい広場 ②松浦の里 ③海の駅 ④おさかな村 38.有田川カワニバルや観竹(かんたけ)まつりを行っている伊万里市二里町(にり ちょう)の若者を中心とした町おこしグループは次のうちどれでしょうか。 ①二里町をなんとかすっと会 ②二里町をなんとかしゅう会 ③二里町をどげんかせんば会 ④二里町をどげんかすっと会 39.平成21年度の伊万里駅の年間乗降者数は次のうちどれでしょうか。 ①約60万人 ②約50万人 ③約40万人 ④約30万人 40.伊万里湾の安全を守るため、伊万里市山代町久原(くばら)の伊万里海上保安署 に配備されている巡視艇の名前は次のうちどれでしょうか。 ①玄海丸 ②ゆきかぜ ③ゆみかぜ ④さよひめ
  • 8. 41.伊万里市出身の「愛郷(あいきょう)の詩人」といえば、次のうちだれでしょう か。 ①片岡繁男 ②犬塚 堯(いぬつかぎょう) ③森永杉洞(もりながさんどう) ④種田山頭火(たねださんとうか) 42.伊万里市民図書館の蔵書数(AV資料を含む。平成21年3月末現在)は次のう ちどれでしょうか。 ①約10万点 ②約14万点 ③約24万点 ④約34万点 43.伊万里市の「二里町(にりちょう)」の地名の由来として、もっとも確からしい と考えられているのは次のうちどれでしょうか。 ①江戸時代は有田郷の「二里村」で、有田皿山代官所から二里(約8km)の距 離だったから。 ②江戸時代は有田郷の「二里村」で、伊万里津を治めた伊万里役屋敷から二里(約 8km)の距離だったから。 ③江戸時代は有田郷の「二里村」で、村の南北の長さが二里(約8km)だった から。 ④明治時代に、大里村(おおざとむら)と中里村(なかざとむら)の二つ里をと ってできた「二里村(にりむら)」がもとになったから。 44.伊万里地方の結婚式では、飴(あめ)でつくった鯛(たい)などで飾った砂糖菓 子を据えて祝いました。その飾り物は次のうちどれでしょうか。 ①万代 ②寿賀台(すがだい) ③てかけ(三宝) ④盃台(はいだい) 45.ほぐしてお茶漬けなどに入れる伊万里地方の郷土食は次のうちどれでしょうか。 ①いっこっこう ②とうこう ③とうしろう ④ういろう
  • 9. 以下46.~50.は、次のページの伊万里津年表を見て解答用紙 に答えを記入してください。 46.伊万里津年表の中の[ A ]~[ E ]に入る人物を下の①~⑧から選び 番号で答えなさい。 り さんぺい かな が え さん べ え ①波多氏 ②松浦氏 ③李三平(金ヶ江三兵衛) ぎ ざ え もん かき え もん いまいずみ い ま え も ん ④喜三右衛門(初代、柿右衛門) ⑤今泉今右衛門 りゅう ぞ う じ た か の ぶ なべしまなおしげ なべしまなおまさ ⑥ 龍 造寺隆信 ⑦鍋島直茂 ⑧鍋島直正 47. 伊万里津年表の中の【 あ 】~【 お 】に入る出来事を下の①~⑤ から選び、番号で答えなさい。 ぎ じゅつ すい あつ おおかわ ち やま なべしまはんよう ひら さい ①このころ伊万里焼の技 術 の粋を集めて、 川内山に鍋島藩窯が開かれ、 大 世界最 こうほう 高峰の磁器、鍋島がつくられる。 まち や やく けん かぞ せんげんざいしょ よ さか ②伊万里町の町屋は約800軒を数え、 軒在所」 「千 と呼ばれるほど栄える。 (『伊 万里歳時記』) やき つ ひがし じ ま ③このころ伊万里焼 (肥前磁器) が伊万里から積み出され始める。伊万里の 東 島 とく ざ え もん いわながでん え もん と あつか 徳左衛門や岩永伝右衛門らが取り 扱 う。 ばんこくはくらんかい しゅっ ぴ ん めい じ ④パリ万国博覧会に伊万里焼(有田焼)が 出 品され明治時代には海外への輸出 が、ふたたびさかんになる。 きしだけ から つ し きた は た お う ち ちょう しゅう へ ん は た し ほ ご ⑤このころ岸岳(唐津市北波多・相知 町 ) 周 辺で、松浦党の波多氏に保護され ちょうせん とうこう から つ やき ていた朝鮮半島の陶工たちによって唐津焼がつくられはじめる。 48.【 か 】に入る年号を答えなさい。(西暦、元号どちらでも可) 49.【 き 】に入る年号を答えなさい。(西暦、元号どちらでも可) 50.【 く 】に入る人物名を漢字で答えなさい。
  • 10. ま り つ か ん け い ね ん ぴょう 伊万里津関係年表 (伊万里津は伊萬里津とも書きます。) げんきゅう まつ ら とう おお かわ ち みなもとのしげ ひら じ とう 元 久 2年(1205) 水軍、松浦党の有力家、伊万里氏の一族、大河内氏の『 源 重平地頭 しき ぶ にんじょうあん もん じょ 識補任 状 案 写し(大河内家文書)』に「伊万里浦」と記される。伊万 里のあたりが漁村であったことがわかる。 けん ぽう みなもとのひらくゆずりじょうあん 建保6年(1218) 伊万里氏の『 源 披 譲 状 案(伊万里文書)』に「伊万里浦」と記さ れる。 てんしょう あり た し やま しろ し せ こう ふく 天 正 4年(1576) 伊万里氏や有田氏、山代氏が、[ A ]に攻められて降伏する。 てんしょう ぼっ はん そ おさ 天 正 12年(1584) [ A ]が没し、佐賀藩祖の[ B ]が伊万里地方を治める。 ねん だい 1580年代 【 あ 】 ぶん ろく がん ぶん ろく けいちょう えき 文禄元年(1592) 文禄・慶 長 の役(1592~98)で伊万里浦が[ B ]などの き ち せい び もと いな り しゃ くす 軍船の出兵基地となり港の整備がすすむ。元町の稲荷社の楠に くに よし まる [ B ]の軍船、国吉丸のともづなを結んだという。 ぶん ろく とよ とみ ひで よし ほろ ひ 文禄2年(1593) 岸岳の[ C ]が豊臣秀吉に滅ぼされ、岸岳周辺の陶工たちが肥 ぜん ち 前(佐賀・長崎)の各地に散らばり、伊万里地方でもさかんに唐津焼 がつくられはじめる。 ぶん ろく けいちょう えき つ かえ 文禄・慶 長 の役 このころ[ B ]が朝鮮半島の陶工を連れ帰る。 (1592~98) けいちょう なか の じん え もん きよ あき だい かん にし め ひと とお こころづか さかい め やく 慶 長 19年(1614) 中野神右衛門清明が[伊万里代官西目一通り 心 遣い 境 目おさえ役]に なり、伊万里地方を治める。 げん わ (げんな) いずみやま とう せき 元和 2 年 (1616) 朝鮮半島から来た[ D ]が有田にうつりすみ、 泉 山で陶石を発 さい しょ じ き 見し、日本最初の磁器をつくったといわれる。 かん えい ねん かん 寛永年間(1624~43) 【 い 】 かん えい あらいきり ほん こう こ さき に り ど い てい ぼう 寛永6年(1629) 洗 切(本町4丁目)から江湖崎(二里町)まで、土井(堤防のこと。 げんざい な かい び きず し き 現在の土井町や中井樋)が築かれ、伊万里浦が閉め切られて伊万里町 のもとができた。 かん えい きょう と まつ え しげ より け ふき ぐさ いま り 寛永15年(1638) 京 都の松江重頼が書いた『毛吹草』という本の中に、「唐津今利ノ やき もの しる とう き かん 焼物」とはじめて記されており、唐津焼(肥前陶器)や伊万里焼が関 さい ほう めん 西方面へ広まっていたことがわかる。
  • 11. みん しん おうちょう こう たい ない らん ようぎょう ち 1644~61年 中国では明から清へ王 朝 が交代し、その内乱で中国国内の窯 業 地が こう はい ざん とう たい わん てい せい こう せい けん 荒廃した。また清は、明の残党で台湾にたてこもった鄭成功政権と中 ほん ど た こう えき きん 国本土とのつながりを絶つために、海外交易を禁じたので、中国から ゆ しゅつ 海外へ中国磁器が輸 出 されなくなる。 しょうほう やま もと じん え もん しげ ずみ さら やま 正 保4年(1647) 山本神右衛門重澄が[初代皿山代官]になり、伊万里地方を治める。 ひ ぜん いっ こく え ず 『肥前一国絵図』にはじめて「伊万里町」「伊万里津」と記される。 このころまでに町や港が整備されていた。 ひがしじま とく ざ え もん いろ え つ このころ 東 島徳左衛門が、中国人から色絵付けの技法を学び有田の [ E ]に教え、色絵磁器がつくられ始めたという。 なが さき とう なん このころ伊万里焼が中国船で長崎から東南アジアへ積み出されはじ める。 じょうおう よろずおん こ もの なり かた さん ようちょう ぜい きん ちょう ぼ 承 応2年(1653) 『 萬 御小物成方算用 帳 』という佐賀藩の税金の 帳 簿を見ると伊万 ぜいしゅう 里津の税 収 が、藩内のほかの津にくらべてとびぬけて多く、藩内で じゅうよう もっとも 重 要な港であったことがわかる。 まん じ なが さき で じま れん ごうひがし がい しゃ ブイ オー シー じ き 万治2年(1659) 長崎の出島のオランダ連合 東 インド会社(V.O.C. )が中国磁器 か い ま り やき ほん かく てき ゆ しゅつ の代わりに伊万里焼を、ヨーロッパへ本格的に輸 出 するようになる。 かん ぶん い ま り やき もの み せ ご や お 寛文2年(1662) 長崎の出島に「伊万里焼物見世小屋」が置かれる。 かん ぶん え ど ご ろ べ え あり た か 寛文8年(1668) このころ江戸から[伊万里屋五郎兵衛]が有田に伊万里焼を買いつけに 来て、江戸方面へも伊万里焼が広まったという。 えん ぽう 延宝3年(1675) 【 う 】 げん ろく つ たび びと おお じゅうよう ば しょ 元禄3年(1690) 伊万里津は旅人が多く集まる 重 要な場所なので、佐賀藩が伊万里津 と し ごころづかいやく やく にん かみ の取り締まりのため、このころ伊万里 心 遣 役という役人を置く。上 くろ お やく や しき 黒尾に役屋敷があった。 せい き すえ とう なん 17世紀末 中国磁器の海外への輸出がふたたびはじまり、 南アジア方面へ伊万 東 う 里焼が売れなくなってくる。 せいりょく つよ れん ごうひがし がい しゃ あっ ぱく イギリスの勢 力 が強まり、オランダ連合 東 インド会社を圧迫するよ あたま う うになり、ヨーロッパへの磁器輸出も 頭 打ちになる。 せい き すえ せい き はじ じゅ よう む は さ み そ せい 17世紀末~18世紀初め 海外需要が減ったため、国内向けに波佐見などで、粗製の磁器「くわ ぢゃ わん たいりょうせい さん らんか茶碗」が大 量 生産されるようになる。
  • 12. きょうほう ねん かん ごうしょう まえ かわ ぜん ざ え もん きよ ひで こく て ぶね 享 保年間(1716~35) このころ伊万里の豪 商 、[前川善左衛門清英]が、二百石積みの手船2 そう おお さか とう じ き 艘で大坂へ陶磁器を積み出す。 ほう えい たい か よし もち ねん ぷ 宝永3年(1706) 伊万里町大火(『鍋島吉茂年譜』。 ) ほう れき た く ゆう お や かた にっ き 宝暦4年(1754) 伊万里町大火(多久邑藩『御屋形日記』。 ) めい わ きゅう き おぼえがき ふ けい き 明和7年(1770) 『皿山代官 旧 記 覚 書』に、オランダへの輸出が不景気だと書かれて おり、伊万里焼がヨーロッパへは売れなくなっていたことがわかる。 あん えい ねん かん にし かめ ぞう ちょうせん とう じ き はじ 安永年間(1772~80) このころ伊万里津の[西亀蔵]が 朝 鮮向けの陶磁器の輸出を始める。 わん さい だい かん たく ち めん せき やく ちょう ぶ はち や がらみ はち このころ伊万里湾最大の干拓地で面積約160 町 歩の八谷 搦 は八 や ぜん べ え ぶ ぎょう に り ごうしょう ごう のう 谷善兵衛が奉 行 し、伊万里町や二里町などの豪 商 や豪農の力ででき あがった。 てん めい おとず さい しょ どう はん が か し ば こう かん さい ゆう りょ たん 天明9年(1789) 伊万里津を 訪 れた日本最初の銅版画家、司馬江漢が『西遊旅譚』 (1 セト モノ 794)という本の中で「焼き出す陶器、日本国中に広まる」と記し、 ぜん こく 伊万里焼が全国に広まっていたことがわかる。 かん せい さん かい めい さん ず え ヤキ モノ こう しょしゅうすうひんあるなか ひ ぜんのくに 寛政11年(1799) 『日本山海名産図絵』 「陶器」 の の項に「諸 州 数 品有中にも肥 前 国伊 いう ほんちょうだい いち 万里焼と云を本 朝 第一とす」と記されている。 せい き ぜん はん びん さけ しょう ゆ よう き 19世紀前半ごろ このころから波佐見のコンプラ瓶(酒や 醤 油の容器)が東南アジア などへ輸出される。 きょう わ しら かべ ど ぞうづくり いえ さい じ き 享 和3年(1803) 伊万里町に白壁土蔵 造 の家がたちはじめる。 『伊万里歳時記』 ぶん か と と しま き しゅう わ か やま かね とう ろう いしちょう 文化11年(1814) 戸渡島神社(伊万里神社)に、 州(和歌山県) 紀 商人が金灯籠と石 手 ず ばち き しん ちく ぜん ふな こし うら く が うら いと しま ぐん 水鉢を寄進し、筑前(福岡県)船越浦・久家浦(糸島郡)の商人が石 いっ つい 灯籠一対を寄進する。 ぶん せい い ずも しま ね まつ え いし こま いぬ 文政3年(1820) 戸渡島神社(伊万里神社)に、出雲(島根県)松江の商人が石狛犬一 対を寄進する。 ぶん せい 文政7年(1824) 【 え 】 てん ぽう あり た ちょうにん がく しゃ しょう じ こう き けん ぽう ふ きょうろく とうこく こく さんすくな 天保3年(1832) 有田の 町 人学者、正 司考祺は『倹法冨 強 録』に「当国ハ・・・国産 寡 べい か じゅうまんりょうあま とう き シトイヘドモ・・・米価 十 万 両 余リ、陶器八万両・・・。 」 てん ぽう びょう つ 天保6年(1835) 伊万里津から年間31万 俵 のやきものが全国に積み出される。伊万 しょう か 里津の陶器 商 家は80軒。『伊万里歳時記』 ( ) てん ぽう ちく ぜん あし や おかみなと いし どう 天保10年(1839) 筑前芦屋(福岡県芦屋町)の岡 湊 神社に伊万里津の町人73名が石灯 ろう き しん 籠を寄進する。
  • 13. か えい ちく ぜん あし や じん む てん のう しゃ いし どう ろう き しん 嘉永2年(1849) 筑前芦屋の神武天皇社に伊万里津の商人が石灯籠を寄進。 か えい い よ さくら い え ひめ けん いま ばり し つな しき てん まん ぐう いし どう 嘉永5年(1852) 伊予 桜 井(愛媛県今治市)の綱敷天満宮に伊万里津の陶器商人が石灯 ろう き しん 籠を寄進する。 まん えん え ず くら なら よう す えが 万延元年(1860) 『伊万里津絵図』に白壁土蔵造の家と蔵がたち並んでいる様子が描か れる。 けい おう 慶応3年(1867) 【 お 】 はい はん ち けん 【 か 】 7月 廃藩置県によって佐賀藩は佐賀県になる。 いず はら つ しま あ けんちょう 9月 佐賀県と厳原県(対馬)が合わさって伊万里県になり、 庁 が 県 まつ しま えん つう じ かりちょうしゃ しょ だい ごん れい 伊万里に置かれる。松島町の円通寺が仮 庁 舎になる。初代権令(仮 ち じ かつ かいしゅう ばく まつ さんしゅう 県知事)は、勝海 舟 とならぶ幕末三 舟 の一人、 【 く 】 である。 めい じ 明治5年(1872) 5月 ふたたび佐賀県になり、県庁が佐賀にうつる。 めい じ ゆうりょくしゃ し りつ ぎん こう 明治15年(1882) 伊万里町の有 力 者が力を合わせ、県内最初の私立銀行、伊萬里銀行 せつ りつ (現在の佐賀銀行のもと)が設立される。 も じ きたきゅうしゅう し さ せ ぼ てつ どう かい つう 【 き 】 門司(北 九 州 市)・有田・佐世保間に九州鉄道が開通すると陶磁器 はこ は、船よりも鉄道で運ぶことが、しだいにさかんになる。伊万里焼と よ は さ み やき み かわ ち やき 呼ばれた肥前の磁器は、有田焼や伊万里焼、波佐見焼、三川内焼など さん ち な まえ の産地ごとの名前で呼ばれるようになる。
  • 14. 【時事問題】次の51.~55.の答えを解答用紙に①~④の番号で 記入してください。 51.平成25年(2013)1月11日、黒川町七ツ島の伊万里港国際物流ターミナ ルに、佐賀県で初めて設置された設備は次のうちどれでしょうか。 ①カントリーエレベータ ②カントリーロード ③ガントリークレーン ④ガントバクレンネ 52.平成24年(2012)12月24日から26日にかけて神奈川県相模原市で行 われたスポーツ競技の大会で、団体の部で全国優勝するという快挙をなしとげたの は次のうちどれでしょうか。 ①伊万里高校弓道部 ②伊万里高校アーチェリー部 ③伊万里高校射撃部 ④伊万里高校馬術部 53.平成24年(2012)は、日本史的に有名な人物が、伊万里市内を訪れて20 0年になります。その有名な人物の名前は次のうちどれでしょうか。 ①紀伊国屋文左衛門(きのくにや ぶんざえもん) ②フランシスコ・ザビエル ③坂本龍馬(さかもと りょうま) ④伊能忠敬(いのう ただたか) 54.平成24年(2012)9月に亡くなられた市内の陶磁器コレクターの伊万里市 への寄贈品を展示する展覧会が平成24年10月30日から平成25年(201 3)1月14日まで、伊万里駅ビル2階の伊万里・鍋島ギャラリーで行われました。 その展示されたコレクションの名前は次のうちどれでしょうか。 ①徳永水滴コレクション ②徳永天目茶碗コレクション ③徳永徳利コレクション ④徳永ぐい呑みコレクション 55.2012年3月発行の最も権威があるフランスのレストランガイドブック、通称 「ミシュランガイド」フランス版で、フランスのパリ5区にあるフレンチレストラ ン「SOLA」が、開店からわずか1年少しで、一つ星を獲得しました。そのシェ フは日本人で、伊万里市山代町出身です。2013年3月8日から10日まで、福 岡市のホテルニューオータニ博多で、初の凱旋フェアが開かれます。そのシェフの 名前は次のうちどれでしょうか。 ①石鍋 裕(いしなべ ゆたか) ②坂井宏行(さかい ひろゆき) ③吉武広樹(よしたけ ひろき) ④川越達也(かわごえ たつや)
  • 15. 第5回 伊万里コンシェルジェ検定試験 答 え 受験番号          番 得 お名前 点 点 No. 答え No. 答え No. 答え No. 答え No. 答え 1 ③ 12 ③ 23 ③ 34 ③ 45 ② A B C D E 2 ③ 13 ④ 24 ② 35 ① 46 ⑥⑦①③④ あ い う え お 3 ④ 14 ① 25 ② 36 ① 47 ⑤③①②④ 明治4年 4 ② 15 ② 26 ③ 37 ① 48 又は1871年 明治30年 5 ① 16 ① 27 ② 38 ② 49 又は1897年 山岡鉄舟・山岡鐵舟 6 ③ 17 ③ 28 ② 39 ① 50 山岡鉄太郎・山岡鐵太郎 山岡高歩 7 ② 18 ② 29 ① 40 ③ 51 ③ 8 ④ 19 ① 30 ② 41 ① 52 ① 9 ④ 20 ① 31 ③ 42 ④ 53 ④ 10 ① 21 ① 32 ③ 43 ④ 54 ① 11 ① 22 ② 33 ③ 44 ② 55 ③