ゼミ研究成果物
- 1. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
20101208 現在
明治 以来 100 年を はるかに 越える期 間、日本 における 「公(お おやけ= 大きな
家)」を担っていたのは官や政治家、あるいは公的な機関であると考えられてきた。
しかし、懇意地そういった考え方に対して批判がなされ「公」
、 とみなされていた も
のがそのまま公共性を体現するものとされていた状況が揺らいでいる。こういった
状況において、一方では「公」 「私」
と の境界線を再び明確にし、従来の「公」の権威の
復権を目指す国家的公共性論を提唱する者もいる。彼らは「公共性」
、 は第二次世 界
大戦後の 日本社会 において 個人主義 や私生活 主義の進 展によっ て破壊さ れたと考
えるため 公共性」
、
「 の空洞化に対抗するためには「祖国のために死ぬ」覚悟を核心 に
含んだ市 民=公民 としての 徳性が国 家によっ て啓蒙的 に作り出 されるべ きである
と主張する。(上からの公共性論)
90
他方では、 年代からボランティア団体、NGO (非政府組織)、NPO( 非営利組
織 ) などの自発的に結成される団体の「新しい社会運動」が注目を集め「私」
、 から の
公共性論が注目を浴びている。こういった公私二元論ではない下からの新しい公共
性論が提唱され、これに実体を与えるものとして討議デモクラシーの理論と制度が
注目を浴びている。
日本においては「公」 「公共」
= と混同されがちであるが 公共」
、
「 とは本来は「公」と
「私」の中間領域に位置するものである。このディスカッションでは、討議デモクラ
1
- 4. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
●参考文献 29~30 ページ
~討議デモクラシー 理論~
【用語説明】
共通善
共通善の概念や特徴は主に三つあると考えられる。
第一にはすべての実態主義的定義から解放され、現実政治の批判基準ないしは現在
と将来の目標であるという定義である。つまり、共通善は現実の政治を批判し鼓舞し方向
付けるものとして理解される必要のあるものであり、決して完全な実現には到達しえな
い、常に前方に横たわる地平やフロンティアである。
第二には共通善とは、歴史的に政治社会の成員たちによってそのつど定義され、必
要であれば是正されていくもの として、つまり歴史の中で変化し続けるものとして捉
え返されるべきものである。共通善は問題が生じた際のおりおりに提示され、政治の試案
的な基準及び目標として措定される。そしてそれぞれの地点で共通善に照らして、様々な
具体的な立法や政策が採用され実施に移されていく。たとえば、現代日本社会の当面の共
通善として、人権尊重主義の拡充、エコロジカルに持続可能な発展や災害防備の拡充、社会
的に困難な立場にある人々への優先的な福祉などの選択肢が議論されることになる。
第三には、従来のように単一的な「共通善」(the common good)として捉えられるので
4
- 5. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
はなく、むしろ複数形で種々の「共通善」 common goods )として多元的価値の共存
(
として認識されていく必要がある。
『ラディカルデモクラシーの地平 自由・差異・共通善』 千葉眞
市民
明確な定義はないが市民とはアメリカの政治学者ダールの言う「それなりの市民」を指す
場合が多い 古代の良き市民」 「近代の良き市民」
。
「 とも とも違う。なぜなら、現代社会は複 雑
で規模も大きい。その上、マスコミの操作性も考えると、完全な判断のできる市民を期待し
ても無理であるからだ。民主社会においては「それなりの市民」
、 が増えていけばよいの で
あって、完全な市民というイメージを想定したら、市民などは存在しなくなってしまう。
「それなりの市民」 問題が発生したときに政治に参加し、
は、 継続しなくても、パートタイム
的であればよいともされる。
『市民の政治学 討議デモクラシーとは何か』 篠原一
市民
「庶民」は政治的に表現すれば、支配権力―それが君主、天皇、政治体制のそれであれ―に
従順かつ受動的な「臣民」という側面を色濃く付帯してきた歴史的経緯がある。現代におい
て「庶民」 必要な時には支配の過剰権力や不当な権力行使に異議申し立てをする
は、 「市民」
たらざるを得ない。環境危機等の地球規模の焦眉の問題郡は、日本の一般民衆をして「庶民」
にとどまることを許さず、自ずと世界の人々と連帯を模索する「市民」たるべく促さずには
おかないからである。こうして
「市民」とは個人の私的関心を追求するとともに公共的
関心をないがしろにできない公的人間のことを言う。その意味で「市民」とは、各人のお
かれた職位や役割やアイデンティティに忠実でありつつも、公的世界への責任を回避する
ことのない21世紀の「歴史的実存」の主体となるべき存在であるといえよう。こうして
「市民」とは、私民でありつつも、同時に公民でもあるような二重の性格を背負った
存在であることになる。1970 年代以降の「新しい社会運動」(トレーヌ)を構成するとさ
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- 6. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
れる環境問題、少数民族のアイデンティティ承認の問題、フェミニズム運動、核軍備反対運
動等は、実際に私民と公民という二重の社会的役割を自分のものとした「市民」によって担
われてきたことは、しばしば指摘されるところである。こうして「市民」 今日的状況にお
は、
いては私的かつ同時に公的な存在として規定できるであろう。というのも 市民」 自 分
、
「 は、
自身の歴史的及び社会的アイデンティティ、役割、仕事、課題に忠実でありつつも、公的世
界への責任を無視することのできない存在だからである。
千葉眞「市民社会・市民・公共性」佐々木毅・金泰昌編『公と私の社会科学』東京大学出版
会 2001
市民参加
従来、政治家や官僚、少数の専門家、産業界代表者に占められてきた政策決定の場に、そ
れ以外の様々な立場の市民が参加すること。度重なる政策の失敗による政府の信頼低下や、
社会問題の複雑化が背景にある。行政・企業と市民の批判的だが協働的な関係を目指すも
のでもある。高度な専門性を要する科学技術が関連する分野でも 1990 年代半ば頃から、コ
ンセンサス会議など参加型テクノロジーアセスメントを中心に、世界的に取り組みが進ん
でいる。その意義は三つある。第一に、政治参加は民主主義社会における市民の当然の権利
だという規範的意義(normative rationale)、第二に、多様な立場の人々が参加すること
は対立を減らし、参加者間の合意や信頼を得やすいという道具的意義( instrumental
rationale)、政策決定に必要な知識は科学技術の専門知識に限られず、市民の様々な知識、
経験、価値観が加わることによって決定の質が高まるという実質的意義( substantive
rationale)である。
『歴史政治学とデモクラシー』 篠原一
【討議デモクラシーとは何か】
討議デモクラシーとは、人々の間の理性的な討議を通じて自己の利益だけでなく
他者の利益をも認識し、自己の選好を変容させることで合意を志向する。そして、 々
人
の意見が対立し、しかも社会全体として統一した決定が要求される問題、つまり集
合的問題の解決を目指し、代議制における政策過程に影響力を行使しようとするも
のであり、ここでの正当性根拠は討議の過程に求められる。討議デモクラシーは科学
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- 7. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
技術の脅威に対して専門家を交えて討議するコンセンサス会議や、少人数グループの討議
を繰り返す計画細胞といった形で実際に試みられており、もはや理論にとどまらない。
(1) (2)
討議デモクラシー論の特徴は、 人々の選好が討議の過程で変容しうること、 討議の
過程で人々が合意を形成していると考える点で、単なるバラバラの個人の選好の集計とは
異なること、(3) 民主主義的決定の正統性は、討議の過程を経たという手続き的な正
当性に依拠することだとされている。
『歴史政治学とデモクラシー、『市民の政治学 討議デモクラシーとは何か』篠原 一
』
『熟議の理由 民主主義の政治理論』 田村哲樹
【討議デモクラシーの主張・拡大・応用】
① 国境を越える
独立した複数の国家と様々な民間組織や市民運動が入り乱れる国際社会においては、法
的拘束力を持つような主権者が存在しないため紛争の解決はそれらの勢力の間の熟議/
討議によって図られなければならない。 EU はその典型例であり、討議デモクラシーは
「トランスナショナル・デモクラシー」の様相を帯びる。
『歴史政治学とデモクラシー』 篠原一
② アソシエーティブデモクラシーとの接合
様々なアソシエーションの中には各種の原理主義団体やカルト宗教団体などの他の組
織との共生に関心を持たない排他的、閉鎖的組織である可能性が高いので、熟議/討議デ
モクラシ ーの制度 を適用す ることで アソシエ ーション の質的区 別やアソ シエーシ
ョン間の水平的な関係の調整を図ることができる。
『熟議の理由 民主主義の政治理論』 田村哲樹
③ 人々への教育的効果
一般市民の経験や実践の機会を保障しながら、それ以外では習得しえない思慮や実践知
の体得を討議によって目指す。
『市民の政治学 討議デモクラシーとは何か』 篠原一
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- 8. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
④ 二回路モデルの構築
二回路モデルが必要になる理由をハーバーマスは「核軍拡競争への懸念、原子力発電の
リスク、ゲノムなどの先端科学技術の問題点、諸々のエコロジー的危機などの社会争点は
ほとんどどれひとつとして、国家組織、社会的機能組織などの指導者の側から最初
に持ち出されることはなかった」からであると主張する。
『市民の政治学 討議デモクラシーとは何か』 篠原一
⑤ 選好の変容
「選好の変容」の前提は,自己利益に基づく「私的選好」とそうではない「公的選好」とを区
別することである 私的選好」
。
「 とは,自己利益を表現する選好である。したがって,「公 的
選好」とは,自己の利益以外の要素を考慮に入れた選好ということになる。換言すれば,
それは,他者あるいは複数の観点を考慮に入れた選好である。このような2種類の選好を
持つ諸個人を,公・私二元論的個人と呼んでいる。公・私二元論的個人といっても,多く
の人びとは,通常,「私的選好」に基づいて生活している。その場合,各人の「公的選好」
は潜在的には存在するが,顕在化していない状態にあると考えられる 。とりわけ,
自己利益の肯定を特徴とする現代に生きる私たちにとって,日常の生活において「公的選
好」を表出することは容易ではない。しかし,討議デモクラシーが行われる場においては,
状況は変化する。他の討議参加者からの意見や討議の場で提供される情報は,自らの意見・
考えを反省的に問い直すための契機となる。ジェームス・ボーマンは,討議において,各
参加者は,互いにより応答的になり,他者の観点を自分自身の観点に組み込んだり,自
分自身の観点から他者の観点を再解釈したりするようになると述べる。その結果として,
討議参加者達は,次第に,以前は用いなかったような表現を用いたり,かつてならば支
持しなかったような発言を自ら行うことも見られるようになるのである。このように述べ
ると,元々は「私的選好」のみしか有していなかった諸個人が討議の過程で「公的選好」を
持つようになる,といった印象を与えるかもしれない。しかし,そのような説明は不十分
である。なぜなら,他者の観点を組み込んだり,再解釈したりすることができるためには,
そのような志向性が当該個人に(少なくとも潜在的に)備わっていることが前提となる
からである 公的選好」
。
「 には,あらかじめ諸個人に(少なくとも潜在的に)備わってい る,
自己利益追求ではない志向性あるいは判断の基準といった次元も含まれる。以上を踏まえ
ると,討議における「選好の変容」とは,おおむね次のような2段階のプロセスであると
言えよう。まず,討議への参加によって,諸個人が(潜在的に)有している自己利益追求
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- 10. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
を人々の私的な選考が多数決によって集計されるプロセスとしてとらえる。ここでは 人 々
が討議を 行う過程 が抜け落 ちている ため自己 の選好を 変容させ る機会を 与えられ
ず、集合的問題に関心を持てず私的な「生の声」が政策決定に影響を及ぼしてしまう。
『ポストリベラリズムの対抗軸』 有賀誠
『市民の政治学 討議デモクラシーとは何か』 篠原一
④ デモクラシーのラディカル化への志向
現 在 の政 党 制 を中 心 と する デ モ クラ シ ー は自 己 統 治と い う 原則 か ら 外れ て い る
ものであるため直接民主主義へと回帰するべきとするものである。
『ラディカルデモクラシーの地平 自由・差異・共通善』 千葉眞
⑤ ポストモダン社会という時代診断
ポストモダン社会とは従来「伝統「当然」
、 」 と思われていたことについても様々 な
情報に基づいて選択、判断、意思決定をする必要があり、 「理由」
その の提示を求めら
れる社会である。そのため、この社会は共通基盤が解体した社会であり紛争が多発する。
この社会においては紛争解決のためのあらかじめ定められた共通基盤は存在しないため、
自明のものに頼らないで、諸個人の意思決定間の調整を試みねばならない。また、自明性の
解体の中、人々が前提とする共通の事柄への関心が薄れ、各自の私的な利益追求と
して政治を理解する政治の私化が問題になっている。政治の私化に対抗するものとし
て、所与の自明性に頼らず共通の事柄への関心を喚起し、合意を形成しようとする討議デ
モクラシーが注目されている。そのため討議に重点を置く調停方法が必要とされるように
なった。それ以外の方法(「神学 権威 全体主義 専門技術」
」
「 」
「 」
「 )では自明性への依存度 が
高すぎるか、あるいは新たな自明性を確立しようとする志向性が強すぎて、自明性に合意
できないものへの排除をもたらす。従って政党制も例外ではなく問い直され続けなければ
存在できなくなってしまう。この時代診断は単なる仮定ではなく、市民陪審制、知る権利の
制定、パブリックコメント制、インフォームドコンセントの導入といった社会の流れを汲
み取っている。
田村哲樹「熟議民主主義とベーシック・インカム 福祉国家「以後」における「公共性」とい
う観点から」2004 年
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- 11. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
『熟議の理由 民主主義の政治理論』 田村哲樹
『市民の政治学 討議デモクラシーとは何か』 篠原一
⑥ リベラルデモクラシーの正統性の危機
マックスウェーバーは支配の形態として、伝統的支配、カリスマ的支配、合法性的支配の
三つの類型をあげた。政治的支配は物理的強制力の行使によってのみ維持しうるものでは
なく、市民の側の服従あるいは支配を容認する姿勢を必要とする。これを支配の正当性根
拠という。これら支配の諸形態は必ずしも排他的なものではないが、デモクラシーは主と
して合法性に基づく。しかし、デモクラシーの場合、ある場合は合法的だが、しかし正
統性を欠くということはしばしばある。政党制を中心とするリベラルデモクラシー
についても実質的な討議を欠いた多数決、市民を無視した政治家の決定は合法性の
形をとっても、市民からは正統とは認められない。
『ポストリベラリズムの対抗軸』 有賀誠
⑦ 代議制デモクラシーの危機
代表制が人々の意見を代表できなくなったのではないかという問題提起である。代表制
が発達した時代は 18 世紀から 20 世紀前半までの産業化の時代と重なっている。そこでは
産業化の恩恵に与れる層とそうでない階層とで不均衡が生じ、階層闘争的な対立軸が生ま
れやすく政党も人々の利害を意識しやすかった。しかし、産業化がさらに推し進められ
ていくと、以前の対立軸そのものが一元的であった時代から、対立軸そのものが多元化す
る時代となった。つまり、ある対立軸では一致する人々が別の対立軸では交差してし
まうのである。こうした事態に従来の政党が対応しようとすれば分裂し、断片化す
るか、すべての対立軸を収集しようとして政党間に差異を見出せなくなってしまう 。
『政治学』 久米郁夫、川出良枝、古城佳子、田中愛治、真淵勝
⑧ 市民社会の復興に伴う市民への期待の高まり
11
- 12. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
きっかけは、1980 年代から 90 年代初めに起きた東欧諸国の民主化であるここでの民主
化の推進役は協会や自主管理労働組合、自発的な市民の組織といった集団であり、これら
の集団は 56 年のハンガリーや 68 年のチェコスロバキアのように党や国家権力自体の
打倒や変革を目指すのではなく、党や国家の支配から自由な組織として交渉を行っ
た。ここに市民社会への注目が集まり、それと同時に市民が政治に参加することを
肯定的に捕らえる論説が登場し始めた。こういった市民の能力への肯定的な意見は
ボランティアや NGO の増加といった傾向とも重なり合う。
『市民の政治学 討議デモクラシーとは何か』 篠原一
⑨ 情報化社会の到来による情報の氾濫
個人が情報を得ることは容易になっている一方で、情報の氾濫によって、獲得した情
報を吟味する時間を確保できないという問題点が浮上しているというものである。
こういった状況では討議の要素が含まれることはなく、従って自分以外の利害を認識する
ことなく判断を下さざるを得ない。
⑩ 利益集団リベラリズムへの批判
政治を自己利益の追求、達成と見る政治像は、集合的なニードや目標に取り組む
こと、およびその課題を共に実行する他者の存在を考慮しないという意味において、
政治の「私化」に外ならない。これに対して討議デモクラシーは政治を「公的なものを創出
する過程」と見る。つまり、自己利益中心の政治像を批判し、共通善の実現としての政治
像を提起するのだ。
『熟議の理由 民主主義の政治理論』 田村哲樹
⑪ 参加デモクラシーの克服
単に政策決定過程への市民の直接参加やパブリックコメント制度の普及を重視する「参
加型民主主義(participatory democracy)」では、そうしたメカニズムで集められた見解が
果たして公共的な利益(公益)を代表するものなのかどうか、またそれを反映した政
策が、果たして公益を実現するものなのかどうかという問題が棚上げにされている
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- 13. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
と考えられている。そのため「参加」
、 の要素に加えて「討議」の要素に焦点を当て公益 の
実現を目指そうとする。
『ポスト代表性の比較政治 熟議と参加のデモクラシー』 小川有美
【代議制の問題点】
① 大衆民主主義の到来
20 世紀には普通選挙が実現をして、マス・デモクラシー(大衆デモクラシー)と言わ
れる時代に入った。その結果、たとえば 20 歳以上の成人が全員投票できることになり、こ
れ自体は望ましいことであるが、逆にいえば政治について関心が無い人、情報を持ってい
ない人たちも、投票できることになった。そのため政治的決定の基礎を成す投票が、普段
は政治に関心を持っていない人たちの一時的な動向によって左右されてしまう、と
いう危険性が指摘されるようになる。たとえば第二次大戦の原因となった、ナチズムなど
のファシズムにおいては、この問題点が最悪の形態であらわれて、カリスマ的な力を持っ
たデマゴーグが、非常に巧妙に人々を扇動する。人々の方は十分な情報を持って理性的に
投票するのではなく、その時のムードとかカリスマ的指導者の扇動によって投票してしま
い、それがファシズムの台頭になってしまったという経験がある。
『政治学』 久米郁夫、川出良枝、古城佳子、田中愛治、真淵勝
② 選挙の問題
小選挙区制の導入をはじめとする選挙制度改革による二大 政党化に よって政 策が相
手陣営の 票の獲得 をねらっ てマニフ ェスト作 成に挑む ためほと んど政策 間の差が
あいまいになり、インターネットの普及によって情報が得られても、判断しかねるという
状況がある。
『政治学』 久米郁夫、川出良枝、古城佳子、田中愛治、真淵勝
③ 選挙の問題
小選挙区制導入によって選挙区で一人しか当選しないので、死票が増える。つまり、様々
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- 14. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
な民意が反映されなくなり、二大政党が重視しない争点が選挙で表出されにくくなり、
政府の問題解決能力に対して問題視される。 『政治学』 久米郁夫
~討議デモクラシー 実践~
【合意の類型】
① 紛争的合意
「あなたの思想には反対だがあなたの考えは尊重する」という思考方法をとり、進行し
ている対決過程における一時停止。
『都市政府とガバナンス』 武智秀行
② 紛争の次元に関する合意
人びとは,結論レベルにおける同意にいたることができなくても(あるいはこの意味
での同意が望ましいものではないとしても),紛争の次元,すなわち「何が争われている
のか?「何が問題なのか?」
」 といった次元については同意することができる。この次元 に
ついての同意は,結論レベルにおける同意と比較するならば,穏当なものである。しかし,
その効果は,想像以上に大きいと考えられる。深刻な意見対立は,しばしばこの紛争の次
元についての見解の相違に由来することが多いからである。
田村哲樹「熟議民主主義とベーシック・インカム 福祉国家「以後」における「公共性」とい
う観点から」2004 年
③ 不合意に対する合意
不合意のありかを顕在化させる。不合意という現状の維持を決定とする。
『都市政府とガバナンス
④ 支配による合意
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- 15. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
何らかの資源による一方の他方に対する勝利である。説得による合意を目指し、多数
派は選好を変更しないが少数派は変更する。
『都市政府とガバナンス』 武智秀行
⑤ 妥協による合意
差異の解決として日常利用する少しずつ譲歩し獲得する方法であり是認されている取
引による妥協を目指し、したがって参加者の選好を変更するもの。
『都市政府とガバナンス』 武智秀行
⑥ 統合による合意
当事者の意図を二者択一的な状況にあるとは考えずに第三 の方法を 発見しよ うとす
ることである 。第三の方法によって変更されるがそれが当初の選好を実現するなら変更
されないもの。
『都市政府とガバナンス』 武智秀行
⑦ 異なる理由に基づく合意
討議デモクラシー論者の中には,妥当な同意理由は1つでなければならないとする見
解も存在する。しかし,討議を踏まえた上での,結論レベルにおいて複数の「異なる理由
に基づく同意」というものが可能である。それは,熟議によって吟味された複数の理由に
基づくという点において,単なる「妥協」とは区別される。
一例としてメルボルン郊外の製紙工場における有害な廃棄レベルの規制の事例がある。
この規制は、健康や美観に関心を持つ反対運動、廃棄レベルの提言を興味深い技術的挑戦
という観点から支持する工場の技術者、および善き法人市民としての企業イメージをアピ
ールしたい広報スタッフなどの、異なる理由に基づいて廃棄レベルの規制に賛成する諸ア
クターの行動によって実現した。有害な廃棄レベルの規制という結論レベルの合意での合
意は健康や美観(反対運動)、技術的挑戦の機会(工場の技術者)、およびイメージの向上
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- 16. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
に役立つ(広報スタッフ)といった、異なる理由によって達成された。
田村哲樹「熟議民主主義とベーシック・インカム 福祉国家「以後」における「公共性」と
いう観点から」2004 年
『都市政府とガバナンス』 武智秀行
~公共性~
【公共圏の変容】
ハーバーマスが最初に議論の素材に乗せる公共圏は、17 世紀後半から 18 世紀にかけて
登場した文芸的な公共圏である。イギリスでのコーヒーハウス、フランスでのサロン、ドイ
ツでの読書サークルで展開された、文化や芸術に関する討論としての文芸的公共性を現代
社会における公共性の原点とみなす。これらの場への参加は身分を問わない。とくに、コー
ヒーハウスはそうで、コーヒー一杯のお金さえ払えば、いかなる身分の人も参加すること
ができ、文化の在り方や芸術に関して様々な議論を行うことができた。これらの公共圏は
市民社会が国家から分離する過程で形成されたのであり、国家権力と対置された形で政治
世論を形成する場である。この文化的公共性は資本主義経済の領域が拡大するにつれて、
議論の主題が政治性を帯びるようになる。そこでハーバーマスは、公衆や公論による、市民
欲求の国家への媒介機能としての公共性を「政治的公共性」と呼んで文芸的公共性から区
別する。公論を通じた政治的公共性の重要性は、1960 年代から 70 年代にかけて市民社会
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- 19. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
公共的問題
私たちは日々の生活の中で数多くの問題や困難に直面するが、それらは以下の三つに大
別できよう。
第一は、私たちが個人(あるいは家族)として対処するほかなく、またそれが不可能で
も不適切でもないような、純然たる私的関心ごとである。
第二はさまざまな営利あるいは非営利の個別的団体に固有の、当該団体の構成員にとっ
てのみ共通であるにすぎないような問題である。
第三は、個々人や個別的団体の努力ではどうすることもできなかったり、彼らにその処
理をすべて委ねることが必ずしも適切でないと考えられる したがって、その適切な処理
のためには、個々人や個別的団体を超えたより包括的な社会単位における集合的検討と、
その社会単位を構成するすべての個人や団体を拘束する取り決めが必要な問題である。
足立幸男「公共政策の理念としての公共哲学」佐々木毅 金泰昌 21 世紀公共哲学の地
『
平』東京大学出版会 2002 年
活私開公
戦前の日本では、個人を犠牲にして公に尽くすという意味の「滅私奉公」が叫ばれました。
このような精神は、戦後のキャッチアップポリシー(追いつき追い越せ政策)においても
企業戦士などの形で残存したと思います。過労死、過労自殺などは滅私奉公が引き起こし
た現代的悲劇といってもいいでしょう。その一方で、自分ひとりの世界に閉じこもり、他者
感覚を喪失した人間が(若者だけでなく大人も含めて)増加してきているとの実態を、多
くの方が抱いているのではないでしょうか。そのようなライフスタイルは「滅公奉私」と呼
ぶことができます。
こうした事態を打開すべく、個人を活かしつつ公共性を開花させる新しい思考への要請
を「活私開公」(金泰昌の造語)と呼び、個々人の「自己理解」 「他者」
が への理解を導くとい
う考え方があります。
山脇直司 『公共哲学とは何か』 筑摩書房 2004 年
19
- 20. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
【「私」の分析 】
日本社会において日本人は過剰に権利を主張しているのか。私はそうではないと思いま
す。日本の場合、世の中に溢れかえっている自己主張というのは権利の要求ではなくて、む
しろ特権の要求であると私は考えています。権利とは、憲法によって保障された人間にと
って不可欠なものであり、多数決によっても奪うことはできません。これに対して特権と
は、政策によって付与された様々な権益、利益のことです。その時時の多数派が法律や予算
を作ることによってこの種の権益を設定します。具体的には特定の地域や業界のための補
助金、租税の減免などです。こうした利益、権益を要求、維持するという動きは大変活発で
あります。活発どころか戦後はそういった政策によって付与された特権の配分を最大の支
持調達の原動力にしてきたということが言えるのではないかと思います。
したがって、日本の保守派が唱える権利の概念は非常に矛盾しているということができま
す。自己中心主義を甘やかすことをしながら、他方で市民に対して権利の過剰を批判する
という矛盾を犯していました。
山口二郎「戦後民主主義の政策形成における公共性」西尾勝、小林正弥、金泰昌『自治から考
える公共性』 東京大学出版会 2004 年
最近例えば、住民基本台帳ネットワークで個人のプライバシーが侵害されるのではない
かといったような議論がありました。あるいは 1999 年の通常国会では国旗国歌法、通信傍
受法、住民基本台帳法など、基本的人権を制約しかねない法律が通されました。こうした法
律はまさに権力対個人いう対立の軸にかかわる争点です。この対立軸において個人の権利
を擁護する議論は実に弱体でありました。これらの法律の審議過程においても、小規模な
デモが起こる程度で、法案は楽々と国会を通過したわけであります。これ以外にも、リスト
ラの名のもとに労働者がいとも簡単に解雇されるという雇用の問題、女性差別やマイノリ
ティの権利の問題など、様々な人権問題が世の中には存在していますが、それらの問題に
ついて人々が自分の権利を守れているかといえば、全然そんなことはないと思います。
山口二郎「戦後民主主義の政策形成における公共性」西尾勝、小林正弥、金泰昌『自治から考
える公共性』 東京大学出版会 2004 年
20
- 22. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
いのである。 EU
にもかかわらず、 調査委員会への調査協力を拒否した。この理由はいまだ
に農水省から明確に説明されていないが、EU 調査委員会の報告書草案が、日本の牛にも
感染の可能性が高いと予測していたため畜産業や飼料メーカーへの打撃を恐れて、協力を
拒否したのが真相のようだ。
②2002 年の東京電力による原子力発電所の検査結果の「偽造」「虚偽 」
東京電力は、福島第一、第二原子力発電所と柏崎刈羽原発の 9 基におよぶ原子炉の自主な
らびに法定検査結果を偽造ないしは隠ぺいしていた。そして冷却水の再循環系やシュラウ
ド(炉心隔壁)にヒビなどの損傷があるにもかかわらず運転を続けてきた。一方、経済産
業省原子力安全・保安院の前身である通産省資源エネルギー庁は、2000 年 10 月に東電の
損傷隠しについての内部告発文書を受け取りながらも、積極的に検査に立ちあがろうとし
てこなかった。それどころか、内部告発者の氏名と内容を東電に通告していた。経済産業省
原子力安全・保安院は、メディアの大規模な報道を受けて重い腰をようやくあげたにすぎ
ない。
これらの事態は昨今の典型的病理にすぎない。近代化のベールの陰では、政官業の複合体
が絶えず再生産され、「公共圏」は「私的利益空間」に変質してしまったとみてよい 。
新藤宗幸 =
「公 「行政官僚制」批判」西尾勝、小林正弥、金泰昌『自治から考える公共性』 東京
大学出版会 2004 年
滅私奉公の残存
第二次世界大戦後の日本においても「滅私奉公」の精神は残存しているように思えます。
それは過労死や過労自殺などの多さといった、公の対象が国家から会社に変わっただけと
いう現状が物語っています。また、森前首相が在任中に自分の好きな言葉として「滅私奉公」
を挙げました。以外と今も公共性というとこの言葉を連想する人が少なくないかもしれま
せん。
山脇直司『公共哲学とは何か』筑摩書房 2007 年
【公私二元論への批判】
公私二元論の限界とは、何よりもまず、経済や宗教や家庭を私領域にだけ閉じこめて論
じることはできないという基本認識から生じます。たとえば、市場経済を動かす私企業の
活動といえども、独占禁止法や経済系法の存在が示すように、公共的ルールの枠内にある
22
- 24. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
第一に、
「私」性を、経済学の「消費者(主権)」概念に合せうるかたちで「消費者」として も
規定しつつ、それを否定して端的に「公」の復権が説かれている。
1) 「エゴだけの個人」と「公共心のある個人」がいる
2) 日本の個人はまるで消費者なのだ
佐伯啓思「国家・国民・公共性」佐々木毅、金泰昌『国家と人間と公共性』東京大学出版会
2002 年
第二に、「公」という関係態として「国家」が想定される 。
3) 現在 「国民でなく市民の時代だ」と政治家やマスコミは言うが、これは間違いであって、
「公」とは「国」のことなのだと説かれる。
佐伯啓思「国家・国民・公共性」佐々木毅、金泰昌『国家と人間と公共性』東京大学出版会
2002 年
第三に、「共和主義」的側面をもって「国家のための死」が説かれる 。
4) 祖国のために死ぬ覚悟のない現代の人々など“私民”にすぎない
5) 自己犠牲の崇高さを知り/英雄の出現に感動することができた
佐伯啓思「国家・国民・公共性」佐々木毅、金泰昌『国家と人間と公共性』東京大学出版会
2002 年
第四に、「共同体主義」的主張がなされている 。
6)「少年事件」などは戦後日本が「国家」を否定し「公」の基準を見つけられぬままにあらゆ
る共同体を否定して個人主義に向かっていった帰結である。大人から子供までの徹底した
「公共性」の喪失だ
佐伯啓思「国家・国民・公共性」佐々木毅、金泰昌『国家と人間と公共性』東京大学出版会
2002 年
24
- 25. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
同時に、その系列として以下の発言がなされている。
7) ヨーロッパ人は プライバシーの観念が強く 個を強烈に持っているが 国家や共同体
への帰属意識は強い。この点では日本人と比較してよきものである「ヨーロッパ人」のこの
「帰属意識」の核心として 公」
、
「 の範囲は歴史の共有で決まるとして「共有の歴史」が強調 さ
れる。因みに 新しい歴史教科書」
、
「 運動が行われてもいるのである。小林の「理論的」支柱 の
一人に西部邁がいる。彼は、主体の側に即して「公共性」 、
を「私的欲望」との対比におい て
「公的欲望」と規定しつつ、共同体主義を明示して次のように説いている。
8) 私的欲望は自分のうちにある「私人的」な性格にもとづき、したがって主に感情的種類
のものである。それにたいし公的欲望は自分のうちにある「公人的」な性格にもとづき、し
たがってそれは、公人として掲げるべき価値や守るべき規範にかかわるのである以上、ど
ちらかというと、論理的に組み立てられる。
9)公的欲望の根底には、……集団の歴史が、歴史によってつくり出された集団の慣習が、
そして慣習の示唆する(ルール意識をはじめとする)集団の伝統が横たわっている。それ
らは……自分が何者であるかを規定してくれる根本的な価値意識であり規範感覚である。
公的欲望に関する意見とは、その根本的な(それゆえ潜在的な)価値・規範を 自分」 、
、
「 が
現実の状況に合わせて、顕在的に表現したものにすぎない。
佐伯啓思「国家・国民・公共性」佐々木毅、金泰昌『国家と人間と公共性』東京大学出版会
2002 年
25
- 26. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
仮に「国家」を外して 市民社会」
、
「 の中で「公共性」を定義しようとすると、どうしても 私」
「
から出発するので、全体の利益・関心とはならない 公共性」 「私」
。
「 は である個々人と、 合
集
的な国家をつなぐものであり、その具体的な主体を「国家を背負った市民」と考えたい。国
際舞台で握手するにせよ配慮するにせよ、そこには国家という「主体」がなければならない
として、いわば第一に対内的に、第二に対外的に「国家」に即して「公共性」を考える。また同
様に「なぜ市民が
、 「祖国のために死ぬ」べきなのか……そもそも社会の成立の発端にた ち
かえってみれば、彼らの生命や財産を共同で防衛し、安全にするということであろう。とし
て 国家のための死」
、
「 の側面から共和主義を 国家は、
、
「 確かに、その核に「公共性」をもっ て
いると言うべきであろう。そして、それが可能なのは……まさに国家の基底に「共同性」が
あり、それが「公共性」を支えるからである。エルシュタインは、デモクラシーが機能するた
めには、人々の間に何らかの「共通の文化」がなければならないことを強調している 」 し
。と
て共同体主義を説いている。
佐伯啓思「国家・国民・公共性」佐々木毅、金泰昌『国家と人間と公共性』東京大学出版会
2002 年
佐伯啓思『「市民」とはだれか 』PHP 新書、2004 年
「公共性」とは国家の背後にはグローバリズムやコスモポリタリズムなどがあるが、そう
いったものから国家を内から支え、かつ国家を引き裂こうとしているものに対して国家が
どのようにバランスを取るかを認識し、議論することで「共通の関心」を明らかにすること
である。
佐伯啓思「国家・国民・公共性」佐々木毅、金泰昌
「『国家と人間と公共性』東京大学出版 会
2002 年
【ハーバーマス批判】
ハーバーマスは市民社会の中で「公共性」を定義しようとする。しかし、そうするとどう
しても「私」から出発するので、全体の利益、関心とはならない。そこで、事項の内容ではな
く、ある部分的な関心、利益を調整する制度的なメカニズム、自由な言論や討論を保証する
メカニズムそのものを公共性という他ないが、この形式的合理性に基づく制度的条件では
やはり「公共性」としては力が弱い。討論が保証されたからといって共通の問題意識や理解
が形成されるとは限らないからだ。
佐伯啓思「国家・国民・公共性」佐々木毅、金泰昌『国家と人間と公共性』東京大学出版会
2002 年
26
- 28. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
【様々な角度から見る下からの新しい公共性論】
【利益から見る公共性】
日本語の「公共性」は利益という意味を内包し 特定の個人に与える利益ではなく、 特
、
「 不
定多数の人々におよぶ利益、あるいは国家という団体にもたらされる利益、要するにある
ものの与える利益が広範囲におよぶとき、そのものは公共性をもつといわれる 」
。 この意 味
での公共性は公共の利益の名の下に少数者の利益を損なう可能性を含んでいる。これに対
して、ドイツ語の O¨ ffentlichkeit の訳語としての公共性は、内部に秘匿されていたもの
が外部にあらわになること、公開性を意味する。利益についての公共性は狭い・広いとい
う量的広がりに関するものであったが、この公共性は内と外という二つの領域の関係に関
わる。
間宮陽介 」 山口定・神野直彦編『2025 年日本の
「グローバリゼイションと公共空間の創設 、
構想』2000 年
【民法学から見る公共性】
法律学においては、伝統的に公法と私法が峻別され、私法を扱う民法学は国家の公共性
から自らを遮断することによって、自律性を確保しようとしてきたが、いまは国家的公共
性でなく、市民的公共性を確立し「国家に多くを依存しない、
、 市民社会の自律的な秩序 形
成とその維持・確保」を図ることが求められている。その具体例として、市場における公正
な競争秩序を維持することは、国家による規制を規定する独占禁止法などによってのみ実
現されるべき価値ではなく、市場秩序を民法上の公序(90 条)に取り込み、これに違反す
る取引の効力を否定することが必要になる、というケースがある。
28
- 29. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
吉田克己「民法学と<公共性>の再構成」『創文 』444 号 創文社 2002 年
【「支援」から見る公共性 】
社会学者の今田高俊は「支援」
、 をキーワードにして新しい公共性の成立を論じている 。
彼によれば、ボランティアや NPO などによる支援活動は、自己実現という私的性格をも
つが、配慮という形で他者性とつながっている点で、新しい公共性を開く契機となる。この
ような市民主体の公共性は、国家による管理としての公共性が行き詰まっている現在にお
いて、特に重要になっているとされる。
今田高俊「社会学の観点から見た公私問題」 佐々木毅・金泰昌編『公と私の社会科学』東
京大学出版会 2001 年
【環境問題から見る公共性】
現在の環境問題は、1960 年代の公害問題と比較すると多元化しているが、それらはまっ
たくバラバラではなく いずれも現代の政治経済システムから生まれるもので、
、
「 連続し 共
通する性格をもっている 」
。 ところが「日本の環境政策は深刻な公害を発生し国内で大 き
、
な社会問題となった有害物質の規制についてはすすんでいる。つまり対症療法主義である。
しかし、事件にならない環境問題については、先見的な予防や総合的な地域計画を
つくる力がない 」
。 これを改めるには、環境アセスメントに環境政策に関するアセスメ ン
トを含めることが必要であり、国土・地域開発計画、公共事業、産業政策において、環境政
策を最優先させ、この政策決定に責任をもつ行政の仕組みをつくらねばならない。また、
「これまでの環境政策は市民の公害反対や環境保全の世論と運動に支えられた公共的介入
の成果である」 近年は市民主体の運動そのものに停滞が見られる。
が、 これは日本の保守化
の傾向にもよるが 環境問題の多元化とともに市民運動も多元化し、
、
「 相互の連帯と全体 的
な前進ができていない」ことにもよる。日本では、活動的な市民組織が政府と協働するのは
難しいが、前述のように、分権化と自治体の民主化がすすめば、自治体と市民組織との協働
が可能になるのではないか。
宮本憲一『日本社会の可能性』岩波書店、2000 年
29
- 31. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
2003 年 9 月 9 日みんなの問題はワタシの問題ではない!?――「公民」教育――寿卓三
(愛媛大学)
【ヒューム 道徳感情と公共性】
ヒュームは、利己心のほかにもさまざまな情念をもつ人間という前提から出発し、人々
の利害や快苦といった経験的事実に基づいて社会や道徳を説明している。その際、共感の
原理がきわめて重要な役割を担う。それは私的利害をもった人々の間に共感を介して
成立する公共性である。ただし、共感は原理上偏りのあるものなので、それ自体では「社会
全体に開かれている」という公共性の要素を満たさないが、人々が共通の観点にともに立
( )
つこと「一般的観点」 によって共感はある種の公共性を成立させうる。もちろん、一般的
観点に立つ動機は何か、利己心が公共性を破ることをいかに防ぐかといった実践上
の問題は
残されている。
2003 年 9 月 9 日社会をつくる人間とはどのようなものか――イギリス経験論に即して
奥田太郎(南山大学社会倫理研究所)
【制度構想用紙】
討議デモクラシーが政治理論にとどまらず、現実的意味を持つものとなるためには、理論
の完結性を求めるだけではなく、具体的実践ないし制度化が行われなければならない。デモ
クラシーは常に未完の過程であって、この過程において実践と理論が相互に作用しあいな
がら、ともに向上していかなければならない。
31
- 34. 『討議デモクラシーの挑戦~下からの公共圏へ向けて~』
【参考文献】
・田村哲樹「熟議民主主義とベーシック・インカム 福祉国家「以後」における「公共性」と
いう観点から」2004 年
・田村哲樹『熟議の理由 民主主義の政治理論』勁草書房、2008 年
・篠原一『歴史政治学とデモクラシー』岩波書店、2007 年
・篠原一『市民の政治学 討議デモクラシーとは何か』岩波新書、2004 年
・小川有美『ポスト代表性の比較政治 熟議と参加のデモクラシー 、2007 年
』
・有賀誠『ポストリベラリズムの対抗軸』ナカニシヤ出版、2007 年
・泰松範行『現代市民社会における討論集会の試み 討論民主主義 熟慮の重要性を検証す
る 、1999 年
』
・若尾信也『討論民主主義理論の実証分析 「熟慮」過程の政策選好への影響』一藝社、2000 年
・佐伯啓思『「市民」とはだれか 』PHP 新書、2004 年
・佐伯啓思「国家・国民・公共性」佐々木毅、金泰昌『国家と人間と公共性』東京大学出版会
2002 年
・佐伯啓思『現代民主主義の病理』NHK ブックス、1999 年
・久米郁夫、川出良枝、古城佳子、田中愛治、真淵勝『政治学』有斐閣、2007 年
・杉田敦『デモクラシーの論じ方~論争の政治』ちくま新書、2007 年
・川崎修、杉田敦『現代政治理論』有斐閣アルマ、2007 年
・千葉眞『ラディカルデモクラシーの地平 自由・差異・共通善』新評論、1995 年
・千葉眞『デモクラシー』岩波書店、2000 年
・齊藤純一『政治と複数性 民主的な公共性に向けて』岩波書店、2008 年
・齊藤純一『親密圏のポリティクス』ナカニシヤ出版、2003 年
・齊藤純一『公共性』岩波書店、2000 年
・佐々木毅、金泰昌『日本における公と私』東京大学出版会、2002 年
・山口定『新しい公共性』有斐閣、2003 年
・山口定『市民社会論 歴史的遺産と新展開』有斐閣、2004 年
・武智秀行『都市政府とガバナンス』中央大学出版部、2004 年
・宮本憲一『日本社会の可能性』岩波書店、2000 年
34