広報は組織体のマネジメント機能として論じられ、企業のコミュニケーション活動と同義で扱われることも多いが、かつては国家および社会運営の方略そのものであった。社会運営の方略としての広報とは、すなわちいかに社会的意思決定を行っていくのかという問題であり、民主的社会の集合的意思決定の技術としての広報のあり方を問うことになる。民主的な社会の意思決定における市民の直接の関与は、間接民主主義の形態においては選挙が中心となる。選挙のための社会的コミュニケーションとしては、選挙における判断材料となる情報提供が重要と考えられており、現在ではマスメディアがその役割を担っているというのが一般的な理解である。しかし、このマスメディアと選挙を通じた社会的意思決定は、本来的な民主主義と呼べるのだろうか。或いはそもそも、本来的な民主的な社会とはどのような社会だろうか。本稿では、1960年代にこの問いに対峙し思考したジャック・エリュールの広報論1)を手がかりに、新しい広報論を検討する。エリュールの描く民主主義は理想的であり、洞察する広報は現実的でグロテスクでもある。理想はつい見捨てられがちであり、現実はつい目をそむけがちである。本稿では、理想的で本来的な民主的社会のかたちを確認し、それに資する広報を実現する方法を考える。