堀尟 貞治  Horio       
Sadaharu
  1939 幎 -
  出身囜 兵庫県、神戞垂生たれ歳

  掻動拠点日本 、兵庫県神戞垂。

< 䜜家玹介 >  珟代矎術䜜家
 
堀尟貞治 1939 幎神戞垂生たれ・圚䜏
は、 1965 幎具䜓矎術協䌚䌚員ずなり
、 72 幎の解散たで参加。
1965 幎から関西を拠点に日本の戊埌矎
術界 をリヌドした具䜓矎術協䌚のメン
バヌずしお掻動したした。 1972 幎の具
䜓矎術協䌚の解散埌、 1985 幎頃から珟
圚においおは「䜜品は、生掻から出おく
る もの」ずいう蚀葉の通りに、「あた
りたえのこず」ずいう䞀貫したテヌマ
のもず、パフォヌマンスや䜜品の制䜜を
粟力的に展開しおいたす。
 
堀尟氏が掲げるテヌマ
「あたりたえのこず」ず
は

「癟均絵画」ずは
 具䜓ずは


この点を䞭心に、
堀尟貞治氏の魅力に迫り
たいず思いたす。
< 略歎 >    幎  月日 兵庫県神戞垂 生たれ。

小孊生時代   5 幎生のずき攟課埌、かくれんがで図工宀に隠れ、その時、図工の担圓の
           喜岡先生にみ぀かった。たたたたそれがきっかけで先生に印象掟などの画集
を
           芋せおもらったりしお、いろんなこずを話すようになった小孊生時代。

 䞭孊生時代   図工郚に入郚。で䞭 1 の倏䌑みに喜岡先生に絵を芋せに行った垰りに、
          運動堎を暪切っおいる途䞭で「䞀生絵を描いおいこう」ずなぜか思ったの
が、
         䜜家になろうず思ったきっかけ。

䞉菱重工の    状況が蚱さなかったこずずかあるけど、やりきれないものがあった。
逊成校時代    それでも、なんずか続けお頑匵っおいこうず思う逊成所時代。
1955        䞉菱重工神戞造船所に入瀟。サラリヌマン生掻を続けながら旺盛な䜜家
掻動を展開。

1957   2 ぀の団䜓の公募展に出品し、どちらも入遞。だが、団䜓がどんなものか事情を知
らず、
           隣でやっおいる公募展にも入遞したずいう事を喋っおしたい酷く叱られ、吊
し䞊げにあい
         それからは、その手の団䜓ずかかわりをも぀こずは二床ずありたせんでした
。
 
   1975   束谷歊刀氏の誘いで、坂本昌也氏ずパリぞ行く。日本だず、雑誌などの論評に䜜
品が
           圱響されたりしたが、パリに行くず、ミニマル、フォヌノなど各々を専門ずす
る画廊が分
           かれおいお、驚く。それをみお、自分の生き方を貫く事を決意する。
           パリから垰囜し、個展を行う。そこに、菅井汲さんに、
           「君のやっおいるこずはそれでいいんだ」ず蚀われ、自信になる。
 
   1979    東門画廊を創蚭、
   1985   六間画廊を偎面から支揎、
  1987   画廊ポルティコの運営を任される。神戞における実隓的な発衚の堎づくりに尜力し
おきた。

   1985      「あたりたえのこず」ずいうコンセプトのもずに、パフォヌマンスず平面や立
䜓䜜品による
             コンセプトの具珟化
             を続ける。様々なオブゞェに毎日特定の色を䞀色塗り重ねる行為を開始、珟圚
も継続䞭。
        幎間 100 回近い個展、グルヌプ展、むベントなどをこなす
        超人的な掻動ぶりは、個々の䜜品の完成床よりも「生きる」こずず「矎術
」ずを同䞀芖する、
        独特な哲孊に 裏づけられおいる。

 芊屋垂立矎術博物通における個展 2002 幎、 38 日間、暪浜トリ゚ンナヌレ
2005  2005 幎、 82 日間では、
 いずれも䌚期䞭毎日日替わりでパフォヌマンスを行ない話題ずなった。
  
   1995       阪神淡路倧震灜にお、神戞で被灜。九死に䞀生を埗る。
具䜓ずは
具䜓矎術協䌚 ( 略称具䜓 ) ずは、戊埌たもない 1954( 昭和 29) 幎、関西の抜象
  矎術の先駆者・吉原治良ず阪神圚䜏の若い矎術家たちで結成されたグルヌプで
  す。
• グルヌプ名の具䜓には、われわれの粟神が自由であるずいう蚌を具䜓的に
  提瀺したい ( 機関誌『具䜓』創刊号より ) ずいう思いが蟌められおいたす。


リヌダヌの吉原治良よしはらじろうが掲げたグルヌプのモットヌはただひず぀、
「これたでにないものを぀くれ」 ずいうものでした。吉原はたた、
  野倖公園や舞台、空䞭を䜿った䜜品発衚など奇想倩倖な䌁画を次々ず打ち出し
  、実珟させたした。吉原の厳しい指導ず、これたでの垞識をく぀がえす斬新な
  発衚の堎に刺激され、メンバヌはさたざたな方法を駆䜿し、他に䟋のないナニ
  ヌクな䜜品を生み出したした。
•  「われわれは、われわれの粟神が自由であるずいう蚌を具䜓的に提瀺
  したい」ず願う吉原治良ぞ堀尟貞治は垫事しお、「絵を描くずいう行為そ
  のものにこそ絵を描く意味がある」ず制䜜掻動を今日たで続けおいる。

『具䜓矎術宣蚀』 吉原治良 
幎、『具䜓矎術宣蚀』吉原治良

今日の意識に斌いおは、埓来の矎術は抂しお意味あり気な颚貌を呈する停物に芋
  える。

芞術は創造の堎ではあるけれど、未だか぀お粟神は物資を創造したためしはない
  。
粟神は粟神を創造したにすぎない。粟神はあらゆる時代に芞術䞊の生呜を
産み出した。しかしその生呜は倉貌を遂げ死滅しおしたう。
「具䜓矎術に斌いおは、人間粟神ず物質ずが察立したたた、握手しおいる。」
ベネチアに「具䜓」旋颚 ビ゚ンナヌレ展 朝日新
              聞より
• むタリア・ベネチア垂で開催䞭の「第回ベネチア・ビ゚ンナヌレ」は、同時代
  矎術の囜際的な祭兞だ。囜別参加郚門にはカ囜、䌁画展瀺郚門には人を超
  すアヌティストが集う。では、日本はずいうず、日本通ず金獅子賞のオノ・ペヌコ
  をのぞけば、展瀺は関西発で半䞖玀前に発足した「具䜓矎術協䌚」具䜓のみ。
  ベテランたちが気を吐いおいる。
     
    ■関西での発足から半䞖玀
    具䜓は幎に芊屋垂で結成された矎術集団。䞻導した吉原治良の「人のたね
  をする
    な」 を教えに、前衛的な䜜品を数倚く生み出した。海倖にも進出、吉原が亡
  くなる幎
    たで続いた。

•    具䜓はすでに幎に、ベネチア・ビ゚ンナヌレで倧々的に取り䞊げられた。
    幎代半ばからは、欧州での個展や展瀺が繰り返され、驚くほど知られおいる。
    「グタむ」ず喜ぶ鑑賞者も目立った。

•    滋賀県立近代矎術通の山本淳倫孊芞員は「具䜓の䜜品はあっけらかんずしお
    いお、芋れば笑いが起きるほど。メッセヌゞ性の高いほかの䜜品ずの萜差が
    人気の理由では」 ず話す。

•    祭兞䞭は公匏行事のほか、垂内で倚くの展芧䌚が開かれる。ベネチア垂の矎術通
    財団などが垂内の邞宅で開いた「無限」展もその䞀぀。叀矎術ず珟代矎術の䜜品を
    䞊べお芋せる展瀺が話題を集め、長い行列ができた。ここでも具䜓は目立った。
•   吉原、癜髪、村䞊の絵画がかけられ、具䜓では若手の堀尟貞治の䜜品
    が最䞊階に眮かれた。堀尟は毎日のように䜜品を発衚する「あたりたえのこ
    ず」ずいうシリヌズで知られる。ここでは、廃材に毎日絵の具を塗り重ねお
    「無限絵画」ずしたり、぀るした筆を床に眮いた玙にぶ぀けたり。堀尟は
    「日本より反応が党然いいので驚いた」 ず話す。

•    兵庫県立矎術通の河厎晃䞀孊芞員は「戊埌、矎術の䞭心を米囜にずられた欧州に
    ずっお、米囜倖で独自性を持っお出おきた具䜓は評䟡すべき存圚。癜髪や田䞭を筆
    頭ずする具䜓の䜜品は、欧州の矎術垂堎で盛んに取匕されるようになっおいる。今
吉原 治良よしはら じろう
•   1905 幎 1 月 1 日 - 1972 幎 2 月 10 日は、日本の抜象画家、および実業家。
    吉原補油瀟長。倧阪府生たれ。衚珟のオリゞナリティを求め続けたほか、
    若い画家たちず具䜓矎術協䌚を立ち䞊げた。
•   シュヌルレアリスム、抜象衚珟䞻矩などの時代を経お、晩幎の吉原は悟り
    の境地を思わせる円を繰り返し描くようになりたした。黒を塗り蟌み、癜
    地を塗り残す手法で癜い円を浮かび䞊がらせた本䜜品は、そうした連䜜の
    䞀぀です。吉原は自身の「円」に぀いお、その圢態ぞの远求の深さを瀺す
    かのように、「䞀぀の円も満足に描けない」ず語りたしたが、実際、それ
    らの「円」には、䞀぀ずしお同じものはないのです」

•   「論理から培底的に離れようずした吉原の考えは犅的なものに近いかもし
    れない」
束谷歊刀た぀たに たけ
•
         さだ
  1937 月日倧阪垂に生たれる。
• 1954 倧阪垂立工芞高校日本画科に入孊。
  幎埌病気のため䞭退。
• 1960 具䜓矎術展に初出展。
• 1963 具䜓矎術協䌚々員に掚挙される。
• 僕が具䜓矎術協䌚の䌚員になれたのは , 朚
  工甚のボンドを画材ずしお取り入れおか
  らです。
• 1966 フランス政府留孊生遞抜第回毎日
  矎術コンクヌルでグランプリ受賞。
• 1967 S.W. ヘむタヌの版画工房アトリ゚
  に入門。、幎助手を務める。
• 1970 アトリ゚を蟞し、モンパルナス
  にシルクスクリヌン版画工房を造る。
• 1974  癜ず黒に芖点を合せ鉛筆で描き重
  ねお黒の線、面を構築し珟圚に至る。
• ※10 メヌトルのキャンバスを鉛筆で塗
  り぀ぶす。
   2002 珟代矎術の普及・振興に貢献
   西宮垂民文化賞を受賞。
• 珟圚、パリず西宮䞞橋町に䜏たい
• 工房を持ち創䜜掻動に励む。
坂本昌也さかもずたさや
• 鳥居本圚䜏
菅井汲すがいくみ 本名は、貞䞉。
1919 幎 3 月 13 日 - 1996 幎 5 月 14 日
•掋画家、版画家。囜際的に最も高く評䟡されおいる日
本人画家の䞀人である。
• 1919 幎、神戞垂東灘区に生たれる。倧阪矎術工芞孊校
に孊んだ埌病気の為に䞭退、 1937 幎から阪急電鉄
宣䌝課で商業デザむンの仕事に就く。
• 952 幎枡仏。日本画を孊んだこずもある菅井の䜜品は
、東掋的な゚キゟティシズムをたたえたものずしお、パ
リの矎術界で高い評䟡を䞎えられた。圓初はアンフォル
メルの圱響を受けた、象圢文字のような圢態を描いおい
たが、 1962 幎頃から䜜颚は䞀倉し、幟䜕孊的な圢態を
明快な色圩で描いた「オヌトルヌト」のシリヌズを制䜜
するようになる。

• 1970 幎代からは、ほずんど円ず盎線の組み合わせから
成る、より単玔化され、無駄を省いた䜜品を描くよう
になった。モチヌフはほずんど機械的に組み合わされ、
䞀぀ひず぀のモチヌフは正確に描かれる。
 
• 圌の「無駄を省く」姿勢は実生掻にも及び、朝食、
昌食、倕食のメニュヌはそれぞれ決たっおいおたずえ
ば朝食はコヌヒヌずチヌズ、昌食はスパゲッティ・トマ
ト゜ヌスず゜フトサラミなど、同じメニュヌを 1 幎
365 日、 20 幎間食べ続けたずいう。

• 菅井は「なぜ同じ絵を描き続けおはいけないのか
」ず問い、同じパタヌンを描き続けるこず行為自䜓に
個性があるず考えた。リトグラフやシルクスクリヌンの
䜜品も倚く残した。
朚村昭子堀尟昭子堀尟貞治氏の奥さ
        ん

            • 「具䜓」の矎術家
            • 貞治氏ず正反察にも
              芋える緻密な䜜品を
              䜜る。
            • 「結婚しお子䟛がう
              たれお、圓時圌の兄
              匟もただ独身で、圌
              等の結婚ずか芪のこ
              ずやらいろいろ倧倉
              で。十幎間は矎術を
              するこずはできなか
              ったの。でもね、私
              の祖母も母もそうし
              おきたし、圓然のこ
              ずだず思っおいたの
「芪戚のさだはるさん」 䜜品
           集
• 代矎術䜜家の堀尟貞治さんは、䌚瀟員時代か
  ら数十幎にわたり幎間 100 回以䞊もの展瀺・
  パフォヌマンスを続けおおり、ゆえに䜜品の
  数は莫倧です。
•  それらの氷山の䞀角ずしお、貞治さんの芪
  戚にあたる、朚村家および束田家が所蔵する
  䜜品をご玹介したす朚村家は貞治さんの
  劻・昭子さんの実家、束田家は昭子さん
  の効で私の母にあたる和子の嫁ぎ先です
  。
•  本䜜品集は、 1960 幎代から 2000 幎代たで
  、叀い䜜品を優先し、手玙を含めた平面䜜品
  を䞭心に蚈 120 点を掲茉したした。その倧
  郚分は、折々に昭子さんが遞んで送っお
  くれたものです。猫の䜜品の数が比范的
  倚いのは、芪戚内に猫奜きが倚いずいう
  理由によりたす。このように芪戚の家にご
  瞁あっお集たった䜜品を䞊べるこずによっお
  、貞治さんの掻動の䞀端やお人柄が䌝わる䞀
  冊になれば幞いです。
                     
       束田陜子
展瀺先の矎術通ぞ向かう朝
のパフォヌマンス颚景です
。

きっず嬉しすぎお街に抱き
぀きたくなったんでしょう
ね。
いいなぁヌ。

堀尟氏の息子さんが曞いおいるブログ「オフィス
」より
䜜品玹介「あたりたえのこず」
          1977 幎急性癜内障になり、
          79 幎頃にノむロヌれ気味で䞍眠症
          になり、ずおも粟神的に぀らい時
          期があり、䌚瀟の同僚の進めでワ
          ラをも぀かむ思いで新興宗教にも
          行き、そこで神様に頌れば倧䞈倫
          ずいう話をされ、信甚できなかっ
          たので、「信者を食いものにしお
          るんだろ」ず蚀った。そしたら、
          君は神様はいないずいうのなら
          、この空気は芋えるかず。「芋
          えない」ず蚀ったら、君は空気
          がないずいうのなら、錻ず口぀
          たんで 1 時間寝おろず蚀われた
          のがきっかけで、空気を芋えるよ
          うにするにはどうしたらええのか
          、ずいうこずで色塗りを始めた。
          色を塗るずいう行為そのものは単
          玔やからできるけど、コンセプト
          がなければ続かない。぀たり哲孊
          がないずこんなバカなこずできぞ
          んわけですよ。だから色を塗るず
あたりたえのこず

( 囲む ) 堎にあわせお ) 色のポゞション
堎、物、時間境界玙 ATSUKAN 五
぀のお願い聞いおよね黒パンによる
同時空間四角連動ピカ゜でなくヒ゜カに
ピカ゜ ( めを぀ぶっお 1234567) トラドシハ
䜕がなんでもトラマヌク 12 枚リヌズ
等量絵画倧阪の街ストラむプのこず
癟塗れば癟の衚情スヌパヌボヌル五千


など、展芧䌚のサブタむトル
あたりたえのこず
「あたりたえのこず」ずいうテヌマでいろいろず䜜品づ
くりをしおきたした。
 あたりたえずは、空気を吞わないず死んでしたいたす。
その空気の問題をずっずやっおいお、その空気の存圚を
芖芚の䞊で楜しむような事をしおおりたす。

今回は、境界で空気感が倉化するのをみるずいうか、圢
にするようなこずを考えおおりたす。山があっお空があ
る、その山の皜線のあり方をみるずいうようなこずです
が、日垞の䞭に䞇ずあるので今からいろいろ考え぀づけ
るような個展になりそうです。
2011 幎 10 月 4 日朝 堀尟貞治 あたりたえのこず境界玙より
あ




堀尟貞治展
  あたりたえの
こず
スヌパヌボヌル五千
あたりたえのこず
• あたりたえのこず空気色。僕の䞭のあた
  りたえずいうのは、空気のこずを衚珟しおいお
  、その空気ずいうのはみえない。
• それを色でみせようずするこの衚珟は、森矅䞇
  象そのものが空気ずかかわっおいないものがな
  いので、いろいろのオブゞェはそのたた蚀葉や
  衚情を持っおいる。色を塗るずいう行為は衚珟
  であるず同時に衚情も持っおいるず考えおいる
  。
•           あたりたえのこず癟塗れば癟の
  衚情 より
あたりたえのこず
• あたりたえのこず、䟋えば日々の食事は誰でも
  がしおいるこずです。たた空気も目にみえたせ
  んが、それでも吞っおいないずいけないのです
  。
• こうした日々のなんでもない、あたりたえのこ
  ずを意識の䞭に持ち蟌むこずで、いろいろの堎
  面や状況に、新鮮な茝きを持たしおくれるのが
  矎術ではないかず思っおいたす。
                あたりたえの
  こず に぀いお
あたりえのこず「本ず蚘録」より

あたりたえのこずずいうこずから
 い぀も始たりたす。
 あたりたえのこずずいうのは、
 僕にずっお空気の問題です。
 そのこずを色々な方法で圢にしお
 自分なりの䞖界を創っおいるのです
が、
 今回も本ずいうスタむルず蚘録ずい
う
 方法の䞭で、自分なりに面癜いず
 感じおいるこずを圢に出来ればず
 思っおいたす。
 本に぀いお、ペヌゞを開く時の
 期埅感を楜しみたいず思っおおりた
す。
 蚘録に぀いおは、今自分が感じおい
る
 ものず、その時に決定された時間の
差、
 又は自分の思考の圚り方をみたいず
あたりたえのこず
• 「あたりたえののこず」ず「空気」が根底意識
  であり哲孊的呜題ずいっおいい。
• 空気は存圚を意識しないが生存のために必須な
  もの。堀尟氏は「䜜る」「行う」は必須なもの
  ずしお貫き通しおみせおいる。
  
 堀尟貞治展に関しお
堀尟にずっお生きるこずは、「日々、創造」である。

展芧䌚のタむトル「あたりたえのこず」ずは「日々、劂可に創造しおいる
か」
ずいうこずを堀尟に皆が問われおいる 、ずいうこずではないか。

「毎日、あなたたちは䜕を創造しおいたすか」
    すなわち、それが堀尟の蚀う「アヌト」である。
堀尟は矎術通ですべおのものに魂をぶ぀けおいる。
それもほが毎日・・・。
子䟛たちは、喜々ずしお参加しお喜んでいるが倧人になったら、この展芧䌚の
意味が
刀るずきが来るであろう。

堀尟はパフォヌマンスの時にしきりにメッセヌゞを発信する。

「あたりたえのこず」
    それ以䞊は口には出さないが、圌は、こう蚀いたいのだろう。

「あたりたえやん。生きおるんやろ」

 文䞭敬称略
graf 増地 孝泰
   堀尟貞治日蚘より 

•「日々のこず」  11/  /2007
•   1985 幎頃から意識的に毎日䜕かをするずいうような圢にしお、単玔に色を塗る
ずいうようなこずを矩務づけおやっおいた。色ずいうのは空気のこずで、空気を芋
るみたいに色ずいう意識づけをしおいる。それがい぀の間にか、日々飯を食べる
ようなこずになっおいたす。それに関連しお、゚スキヌス 日々の䞭で、個展ずか
グルヌプ展等のプランを曞いおいたのですが、そのたた幎皋続いおいたす。
•  もずもず絵を描くのが奜きで、最初は出来るだけ自分の感情や思い入れをなくし
たいずいう考えで分間くらいで絵を描くのを続けおいたした。今もそれを日々お
や぀を食べるようやっおいたす。それを分打法ず名づけおいたす。これは、王
貞治 今は゜フトバンクの監督の䞀本足打法をこじ぀けおいたす。僕も貞治ずいう
名前ですので、 䞀本足打法王貞治䞀分打法堀尟貞治 このような意識の䞭
で、䜜品぀くりを日々の仕事にしおいたす。
 




• 阪神淡路倧震灜の図  90×90  垃・アク
  リル
 




• 堀尟貞治「震灜のあず、生きおいおよかった ゞ
  ワッず実感がわいお来た。」 神戞垂兵庫区の震
  灜のたっただ䞭、火の䞭で九死に䞀生を埗た䜜者
  が綎る震灜の絵。震灜をテヌマに倚数の展芧䌚を
  行う。
                                       
     幎 月
䜜品玹介 暪浜トリ゚ンナヌレ 2005  「癟均絵画」
 堀尟貞治珟堎芞術集団「空気」  83 日間連続パフォヌマンス暪浜
                
        䌚期䞭、玄䞇枚の䜜品を描かれた。
珟堎芞術集団「空気」
珟堎芞術集団「空気」げんばげいじゅ぀しゅうだん・くうき

2002 幎の「堀尟貞治展 あたりたえのこず」芊屋垂立矎術博
物通の䌚期䞭、堀尟の掻動に共感する䞻に阪神間圚䜏の䞍特
定倚数によっお自然発生したグルヌプ。
 翌幎の空気矎術通神戞の兵庫運河で玄 1 幎間にわたり展開さ
れた野倖展においお堀尟によっお正匏に「空気」ず呜名され
た。
 以来、堀尟ず掻動を共にし続けおいる。
 メンバヌ構成はフレキシブルであり、

 ほずんどが神戞の居酒屋「がんくら」での
月に䞀床の䌚合の参加者でもある。


メンバヌは、 友井隆之、山䞋克圊、原口研二、枅氎公明 な
ど

•   圌は、癟円でコミュニケヌションしおいる。
•   コラム的連茉 芞術はゎミか

 
•

•
      堀尟貞治 IN 暪浜トリ゚ンナヌレ 

      絵らしい絵、ビシャビシャの絵、これでも絵
    か、本日のおすすめ絵画、音の出る絵、
    ずか、たあいいかげんな十䞀の絵画商品名が曞き
    ぀けられおいる。
•     興味ある人は、先ず癟円を穎に入れる。癟円
    コむンは箱の䞭の床に萜ちる。床には鉄板が眮か
    れおいお、チャリンず音がする。それから、ペッ
    トボトルを切断した䌝声管みたいな口に、話しか
    ければ良い。䞀番䞋さい。四番。ずか十䞀皮の倉
    なカタログから、たったの癟円で買いたいモノの
    番号を箱の䞭に話せば良い。
•     朚補の箱の䞭には堀尟貞治が座り蟌んでいお
    、オヌダヌに応じお、絵を描いおしたう。䞀点䞉
    十秒くらいかな。もう少しかかるのもある。音の
    する絵を泚文したら、ガンガンず箱の䞭で音がし
    お、たがねで玙に穎があけられたモノが、䜜品出
    口の穎から出おくる趣向も甚意されおいる。
•     䜕ずも蚀い様がないくらいに銬鹿銬鹿しい。
    しかし、人がどんどん集たっおくる。そしお実に
    倚くの人が癟円を箱に入れる。䞋の穎から぀るり
    ず䜜品がすべり出おくる。䌝声管に小声でしゃべ
    り掛ける人がいるず、箱から堀尟さんが飛び出し
    おくる。
•    「倧きい声で蚀っお、聎こえないから。」
•    又、出おきおは、
•    「癟円入れおから、話さにゃヌ。同時にしたら
    聞きずれたぞん。」
•    アッずいう間に䞉十名くらいの人が癟円を入れ
    お、堀尟さんの䜜品を入手しおしたった。箱をの
幎間 100 回以䞊の展瀺・パフォヌマンスを行っおいる。

堀尟氏の搬入は、乱暎ずいえるほどの早業。
1 幎に 100 回を超える展芧䌚ずいう経隓は、圌にスピヌド
ず咄嗟の刀断を䞎えたした。

倚䜜がいいずは蚀えたせん。しかし、考えおいるこずほど
愚かなこずはなく、行動するこずによっお初めお䜕かが埗
られるように感じたす。
堀尟氏の䜜品は、圌自身を含め䜜品である
         。
䜜品を展瀺するずいうこず。
• 「神奈川県民センタヌずかいうずころだっ
  たず思うで、倧きな郚屋のたんなかに小さ
  くたるめた玙を䞀぀眮くずいう䜜品を展瀺し
  たずき、芪戚の人が芋にいっおくれたのはい
  いけれど、䜕もなかったっお蚀われおね。た
  いったよね。でもね、もし展芧䌚をやっお、
  誰も芋にこなかったずしおも、その時、その
  堎所に確かに䜜品があったずいうこずは、歎
  史の目が芋おいるんだよ。だから、もしそう
  でも萜胆したらいけないし、展瀺する以䞊、
  絶察手を抜いおはいけないんだ。」
堀尟貞治氏にずっお、芞術ずは
「毎日が楜しいこずは芞術」
  人から誉められたり、売ったりするこずがワむの芞術ではない。
  「毎日が楜しいこずは芞術」であるず考えお「即行動」する。そうするず忙し
くなる。「忙しいこずは幞せ」であるず堀尟は蚀うのである。
「即行動」
 “考えたらアカン、即行動するこずや ” ず蚀う。朝五時に起床したら、畳䞀枚皋
の土間前は道に立っお、朚片に䞀日䞀色の色を塗る。朚片は、倧䞭小、壁に掛けお
あるのを手に取っお塗る。お経を唱えるように、毎朝塗る䜜業から䞀日が始たる。
 「倚忙は幞せ」
  堀尟は、䞀月に数本の個展をか぀いで忙しい毎日を送っおいる。倧阪、神戞、京郜
の展芧 䌚ぞもために足を運ぶ。実に忙しい毎日を朝から晩たで過ごしおいる。
  近堎は自転車、遠くは電車ず埒歩でどこでも行く。
  「家の䞭を走っおたっせ」ず蚀うのが堀尟の口ぐせだ。
  二階がアトリ゚になっおいお、ざぶずんの右偎に墚汁ず筆ず玙ずえのぐなど、い぀
でも取りか
  かれる準備がしおある。
  勿論ハガキも眮いおある。
  倚忙な人は几垳面である。
あ
    芞術はやりすぎるずいう
    こずはありたせん。
    やればやる皋
    神が力をかしおくれたす
    。
    そしお楜しくうれしいこ
    ず
    ばかりになりたす。
               
    堀尟貞治
パフォヌマンス「氎圢」




               
             氎を
       撒き、チョヌクで
       型を取る。だが氎
       は、型をはみ出し
Horio sadaharu

Horio sadaharu

  • 1.
                                                堀尟 貞治 Horio   Sadaharu   1939 幎 -   出身囜 兵庫県、神戞垂生たれ歳    掻動拠点日本 、兵庫県神戞垂。 < 䜜家玹介 >  珟代矎術䜜家   堀尟貞治 1939 幎神戞垂生たれ・圚䜏 は、 1965 幎具䜓矎術協䌚䌚員ずなり 、 72 幎の解散たで参加。 1965 幎から関西を拠点に日本の戊埌矎 術界 をリヌドした具䜓矎術協䌚のメン バヌずしお掻動したした。 1972 幎の具 䜓矎術協䌚の解散埌、 1985 幎頃から珟 圚においおは「䜜品は、生掻から出おく る もの」ずいう蚀葉の通りに、「あた りたえのこず」ずいう䞀貫したテヌマ のもず、パフォヌマンスや䜜品の制䜜を 粟力的に展開しおいたす。
  • 2.
  • 3.
    < 略歎 >   幎  月日 兵庫県神戞垂 生たれ。 小孊生時代   5 幎生のずき攟課埌、かくれんがで図工宀に隠れ、その時、図工の担圓の          喜岡先生にみ぀かった。たたたたそれがきっかけで先生に印象掟などの画集 を 芋せおもらったりしお、いろんなこずを話すようになった小孊生時代。 䞭孊生時代 図工郚に入郚。で䞭 1 の倏䌑みに喜岡先生に絵を芋せに行った垰りに、        運動堎を暪切っおいる途䞭で「䞀生絵を描いおいこう」ずなぜか思ったの が、 䜜家になろうず思ったきっかけ。 䞉菱重工の    状況が蚱さなかったこずずかあるけど、やりきれないものがあった。 逊成校時代    それでも、なんずか続けお頑匵っおいこうず思う逊成所時代。 1955     䞉菱重工神戞造船所に入瀟。サラリヌマン生掻を続けながら旺盛な䜜家 掻動を展開。 1957 2 ぀の団䜓の公募展に出品し、どちらも入遞。だが、団䜓がどんなものか事情を知 らず、         隣でやっおいる公募展にも入遞したずいう事を喋っおしたい酷く叱られ、吊 し䞊げにあい          それからは、その手の団䜓ずかかわりをも぀こずは二床ずありたせんでした 。
  • 4.
         1975 束谷歊刀氏の誘いで、坂本昌也氏ずパリぞ行く。日本だず、雑誌などの論評に䜜 品が        圱響されたりしたが、パリに行くず、ミニマル、フォヌノなど各々を専門ずす る画廊が分        かれおいお、驚く。それをみお、自分の生き方を貫く事を決意する。        パリから垰囜し、個展を行う。そこに、菅井汲さんに、        「君のやっおいるこずはそれでいいんだ」ず蚀われ、自信になる。      1979    東門画廊を創蚭、   1985 六間画廊を偎面から支揎、 1987 画廊ポルティコの運営を任される。神戞における実隓的な発衚の堎づくりに尜力し おきた。    1985    「あたりたえのこず」ずいうコンセプトのもずに、パフォヌマンスず平面や立 䜓䜜品による コンセプトの具珟化         を続ける。様々なオブゞェに毎日特定の色を䞀色塗り重ねる行為を開始、珟圚 も継続䞭。         幎間 100 回近い個展、グルヌプ展、むベントなどをこなす         超人的な掻動ぶりは、個々の䜜品の完成床よりも「生きる」こずず「矎術 」ずを同䞀芖する、 独特な哲孊に 裏づけられおいる。 芊屋垂立矎術博物通における個展 2002 幎、 38 日間、暪浜トリ゚ンナヌレ 2005  2005 幎、 82 日間では、 いずれも䌚期䞭毎日日替わりでパフォヌマンスを行ない話題ずなった。    1995   阪神淡路倧震灜にお、神戞で被灜。九死に䞀生を埗る。
  • 5.
    具䜓ずは 具䜓矎術協䌚 ( 略称具䜓) ずは、戊埌たもない 1954( 昭和 29) 幎、関西の抜象 矎術の先駆者・吉原治良ず阪神圚䜏の若い矎術家たちで結成されたグルヌプで す。 • グルヌプ名の具䜓には、われわれの粟神が自由であるずいう蚌を具䜓的に 提瀺したい ( 機関誌『具䜓』創刊号より ) ずいう思いが蟌められおいたす。 リヌダヌの吉原治良よしはらじろうが掲げたグルヌプのモットヌはただひず぀、 「これたでにないものを぀くれ」 ずいうものでした。吉原はたた、 野倖公園や舞台、空䞭を䜿った䜜品発衚など奇想倩倖な䌁画を次々ず打ち出し 、実珟させたした。吉原の厳しい指導ず、これたでの垞識をく぀がえす斬新な 発衚の堎に刺激され、メンバヌはさたざたな方法を駆䜿し、他に䟋のないナニ ヌクな䜜品を生み出したした。 • 「われわれは、われわれの粟神が自由であるずいう蚌を具䜓的に提瀺 したい」ず願う吉原治良ぞ堀尟貞治は垫事しお、「絵を描くずいう行為そ のものにこそ絵を描く意味がある」ず制䜜掻動を今日たで続けおいる。 『具䜓矎術宣蚀』 吉原治良  幎、『具䜓矎術宣蚀』吉原治良 今日の意識に斌いおは、埓来の矎術は抂しお意味あり気な颚貌を呈する停物に芋 える。 芞術は創造の堎ではあるけれど、未だか぀お粟神は物資を創造したためしはない 。 粟神は粟神を創造したにすぎない。粟神はあらゆる時代に芞術䞊の生呜を 産み出した。しかしその生呜は倉貌を遂げ死滅しおしたう。 「具䜓矎術に斌いおは、人間粟神ず物質ずが察立したたた、握手しおいる。」
  • 6.
    ベネチアに「具䜓」旋颚 ビ゚ンナヌレ展 朝日新 聞より • むタリア・ベネチア垂で開催䞭の「第回ベネチア・ビ゚ンナヌレ」は、同時代 矎術の囜際的な祭兞だ。囜別参加郚門にはカ囜、䌁画展瀺郚門には人を超 すアヌティストが集う。では、日本はずいうず、日本通ず金獅子賞のオノ・ペヌコ をのぞけば、展瀺は関西発で半䞖玀前に発足した「具䜓矎術協䌚」具䜓のみ。 ベテランたちが気を吐いおいる。           ■関西での発足から半䞖玀     具䜓は幎に芊屋垂で結成された矎術集団。䞻導した吉原治良の「人のたね をする     な」 を教えに、前衛的な䜜品を数倚く生み出した。海倖にも進出、吉原が亡 くなる幎     たで続いた。 •  具䜓はすでに幎に、ベネチア・ビ゚ンナヌレで倧々的に取り䞊げられた。 幎代半ばからは、欧州での個展や展瀺が繰り返され、驚くほど知られおいる。 「グタむ」ず喜ぶ鑑賞者も目立った。 •  滋賀県立近代矎術通の山本淳倫孊芞員は「具䜓の䜜品はあっけらかんずしお いお、芋れば笑いが起きるほど。メッセヌゞ性の高いほかの䜜品ずの萜差が 人気の理由では」 ず話す。 •  祭兞䞭は公匏行事のほか、垂内で倚くの展芧䌚が開かれる。ベネチア垂の矎術通 財団などが垂内の邞宅で開いた「無限」展もその䞀぀。叀矎術ず珟代矎術の䜜品を 䞊べお芋せる展瀺が話題を集め、長い行列ができた。ここでも具䜓は目立った。 • 吉原、癜髪、村䞊の絵画がかけられ、具䜓では若手の堀尟貞治の䜜品 が最䞊階に眮かれた。堀尟は毎日のように䜜品を発衚する「あたりたえのこ ず」ずいうシリヌズで知られる。ここでは、廃材に毎日絵の具を塗り重ねお 「無限絵画」ずしたり、぀るした筆を床に眮いた玙にぶ぀けたり。堀尟は 「日本より反応が党然いいので驚いた」 ず話す。 •  兵庫県立矎術通の河厎晃䞀孊芞員は「戊埌、矎術の䞭心を米囜にずられた欧州に ずっお、米囜倖で独自性を持っお出おきた具䜓は評䟡すべき存圚。癜髪や田䞭を筆 頭ずする具䜓の䜜品は、欧州の矎術垂堎で盛んに取匕されるようになっおいる。今
  • 7.
    吉原 治良よしはら じろう • 1905 幎 1 月 1 日 - 1972 幎 2 月 10 日は、日本の抜象画家、および実業家。 吉原補油瀟長。倧阪府生たれ。衚珟のオリゞナリティを求め続けたほか、 若い画家たちず具䜓矎術協䌚を立ち䞊げた。 • シュヌルレアリスム、抜象衚珟䞻矩などの時代を経お、晩幎の吉原は悟り の境地を思わせる円を繰り返し描くようになりたした。黒を塗り蟌み、癜 地を塗り残す手法で癜い円を浮かび䞊がらせた本䜜品は、そうした連䜜の 䞀぀です。吉原は自身の「円」に぀いお、その圢態ぞの远求の深さを瀺す かのように、「䞀぀の円も満足に描けない」ず語りたしたが、実際、それ らの「円」には、䞀぀ずしお同じものはないのです」 • 「論理から培底的に離れようずした吉原の考えは犅的なものに近いかもし れない」
  • 8.
    束谷歊刀た぀たに たけ • さだ 1937 月日倧阪垂に生たれる。 • 1954 倧阪垂立工芞高校日本画科に入孊。 幎埌病気のため䞭退。 • 1960 具䜓矎術展に初出展。 • 1963 具䜓矎術協䌚々員に掚挙される。 • 僕が具䜓矎術協䌚の䌚員になれたのは , 朚 工甚のボンドを画材ずしお取り入れおか らです。 • 1966 フランス政府留孊生遞抜第回毎日 矎術コンクヌルでグランプリ受賞。 • 1967 S.W. ヘむタヌの版画工房アトリ゚ に入門。、幎助手を務める。 • 1970 アトリ゚を蟞し、モンパルナス にシルクスクリヌン版画工房を造る。 • 1974  癜ず黒に芖点を合せ鉛筆で描き重 ねお黒の線、面を構築し珟圚に至る。 • ※10 メヌトルのキャンバスを鉛筆で塗 り぀ぶす。    2002 珟代矎術の普及・振興に貢献 西宮垂民文化賞を受賞。 • 珟圚、パリず西宮䞞橋町に䜏たい • 工房を持ち創䜜掻動に励む。
  • 9.
  • 10.
    菅井汲すがいくみ 本名は、貞䞉。 1919 幎 3月 13 日 - 1996 幎 5 月 14 日 •掋画家、版画家。囜際的に最も高く評䟡されおいる日 本人画家の䞀人である。 • 1919 幎、神戞垂東灘区に生たれる。倧阪矎術工芞孊校 に孊んだ埌病気の為に䞭退、 1937 幎から阪急電鉄 宣䌝課で商業デザむンの仕事に就く。 • 952 幎枡仏。日本画を孊んだこずもある菅井の䜜品は 、東掋的な゚キゟティシズムをたたえたものずしお、パ リの矎術界で高い評䟡を䞎えられた。圓初はアンフォル メルの圱響を受けた、象圢文字のような圢態を描いおい たが、 1962 幎頃から䜜颚は䞀倉し、幟䜕孊的な圢態を 明快な色圩で描いた「オヌトルヌト」のシリヌズを制䜜 するようになる。 • 1970 幎代からは、ほずんど円ず盎線の組み合わせから 成る、より単玔化され、無駄を省いた䜜品を描くよう になった。モチヌフはほずんど機械的に組み合わされ、 䞀぀ひず぀のモチヌフは正確に描かれる。   • 圌の「無駄を省く」姿勢は実生掻にも及び、朝食、 昌食、倕食のメニュヌはそれぞれ決たっおいおたずえ ば朝食はコヌヒヌずチヌズ、昌食はスパゲッティ・トマ ト゜ヌスず゜フトサラミなど、同じメニュヌを 1 幎 365 日、 20 幎間食べ続けたずいう。 • 菅井は「なぜ同じ絵を描き続けおはいけないのか 」ず問い、同じパタヌンを描き続けるこず行為自䜓に 個性があるず考えた。リトグラフやシルクスクリヌンの 䜜品も倚く残した。
  • 11.
    朚村昭子堀尟昭子堀尟貞治氏の奥さ ん • 「具䜓」の矎術家 • 貞治氏ず正反察にも 芋える緻密な䜜品を 䜜る。 • 「結婚しお子䟛がう たれお、圓時圌の兄 匟もただ独身で、圌 等の結婚ずか芪のこ ずやらいろいろ倧倉 で。十幎間は矎術を するこずはできなか ったの。でもね、私 の祖母も母もそうし おきたし、圓然のこ ずだず思っおいたの
  • 12.
    「芪戚のさだはるさん」 䜜品 集 • 代矎術䜜家の堀尟貞治さんは、䌚瀟員時代か ら数十幎にわたり幎間 100 回以䞊もの展瀺・ パフォヌマンスを続けおおり、ゆえに䜜品の 数は莫倧です。 • それらの氷山の䞀角ずしお、貞治さんの芪 戚にあたる、朚村家および束田家が所蔵する 䜜品をご玹介したす朚村家は貞治さんの 劻・昭子さんの実家、束田家は昭子さん の効で私の母にあたる和子の嫁ぎ先です 。 • 本䜜品集は、 1960 幎代から 2000 幎代たで 、叀い䜜品を優先し、手玙を含めた平面䜜品 を䞭心に蚈 120 点を掲茉したした。その倧 郚分は、折々に昭子さんが遞んで送っお くれたものです。猫の䜜品の数が比范的 倚いのは、芪戚内に猫奜きが倚いずいう 理由によりたす。このように芪戚の家にご 瞁あっお集たった䜜品を䞊べるこずによっお 、貞治さんの掻動の䞀端やお人柄が䌝わる䞀 冊になれば幞いです。                            束田陜子
  • 13.
  • 14.
    䜜品玹介「あたりたえのこず」 1977 幎急性癜内障になり、 79 幎頃にノむロヌれ気味で䞍眠症 になり、ずおも粟神的に぀らい時 期があり、䌚瀟の同僚の進めでワ ラをも぀かむ思いで新興宗教にも 行き、そこで神様に頌れば倧䞈倫 ずいう話をされ、信甚できなかっ たので、「信者を食いものにしお るんだろ」ず蚀った。そしたら、 君は神様はいないずいうのなら 、この空気は芋えるかず。「芋 えない」ず蚀ったら、君は空気 がないずいうのなら、錻ず口぀ たんで 1 時間寝おろず蚀われた のがきっかけで、空気を芋えるよ うにするにはどうしたらええのか 、ずいうこずで色塗りを始めた。 色を塗るずいう行為そのものは単 玔やからできるけど、コンセプト がなければ続かない。぀たり哲孊 がないずこんなバカなこずできぞ んわけですよ。だから色を塗るず
  • 15.
    あたりたえのこず ( 囲む )堎にあわせお ) 色のポゞション 堎、物、時間境界玙 ATSUKAN 五 ぀のお願い聞いおよね黒パンによる 同時空間四角連動ピカ゜でなくヒ゜カに ピカ゜ ( めを぀ぶっお 1234567) トラドシハ 䜕がなんでもトラマヌク 12 枚リヌズ 等量絵画倧阪の街ストラむプのこず 癟塗れば癟の衚情スヌパヌボヌル五千  など、展芧䌚のサブタむトル
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    あたりたえのこず 「あたりたえのこず」ずいうテヌマでいろいろず䜜品づ くりをしおきたした。 あたりたえずは、空気を吞わないず死んでしたいたす。 その空気の問題をずっずやっおいお、その空気の存圚を 芖芚の䞊で楜しむような事をしおおりたす。 今回は、境界で空気感が倉化するのをみるずいうか、圢 にするようなこずを考えおおりたす。山があっお空があ る、その山の皜線のあり方をみるずいうようなこずです が、日垞の䞭に䞇ずあるので今からいろいろ考え぀づけ るような個展になりそうです。 2011 幎10 月 4 日朝 堀尟貞治 あたりたえのこず境界玙より
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    あたりたえのこず • あたりたえのこず空気色。僕の䞭のあた りたえずいうのは、空気のこずを衚珟しおいお 、その空気ずいうのはみえない。 • それを色でみせようずするこの衚珟は、森矅䞇 象そのものが空気ずかかわっおいないものがな いので、いろいろのオブゞェはそのたた蚀葉や 衚情を持っおいる。色を塗るずいう行為は衚珟 であるず同時に衚情も持っおいるず考えおいる 。 •           あたりたえのこず癟塗れば癟の 衚情 より
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    あたりたえのこず • あたりたえのこず、䟋えば日々の食事は誰でも がしおいるこずです。たた空気も目にみえたせ んが、それでも吞っおいないずいけないのです 。 • こうした日々のなんでもない、あたりたえのこ ずを意識の䞭に持ち蟌むこずで、いろいろの堎 面や状況に、新鮮な茝きを持たしおくれるのが 矎術ではないかず思っおいたす。                 あたりたえの こず に぀いお
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    あたりえのこず「本ず蚘録」より あたりたえのこずずいうこずから い぀も始たりたす。 あたりたえのこずずいうのは、 僕にずっお空気の問題です。 そのこずを色々な方法で圢にしお 自分なりの䞖界を創っおいるのです が、 今回も本ずいうスタむルず蚘録ずい う 方法の䞭で、自分なりに面癜いず 感じおいるこずを圢に出来ればず 思っおいたす。 本に぀いお、ペヌゞを開く時の 期埅感を楜しみたいず思っおおりた す。 蚘録に぀いおは、今自分が感じおい る ものず、その時に決定された時間の 差、 又は自分の思考の圚り方をみたいず
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    あたりたえのこず • 「あたりたえののこず」ず「空気」が根底意識 であり哲孊的呜題ずいっおいい。 • 空気は存圚を意識しないが生存のために必須な もの。堀尟氏は「䜜る」「行う」は必須なもの ずしお貫き通しおみせおいる。
  • 22.
       堀尟貞治展に関しお 堀尟にずっお生きるこずは、「日々、創造」である。 展芧䌚のタむトル「あたりたえのこず」ずは「日々、劂可に創造しおいる か」 ずいうこずを堀尟に皆が問われおいる 、ずいうこずではないか。 「毎日、あなたたちは䜕を創造しおいたすか」     すなわち、それが堀尟の蚀う「アヌト」である。 堀尟は矎術通ですべおのものに魂をぶ぀けおいる。 それもほが毎日・・・。 子䟛たちは、喜々ずしお参加しお喜んでいるが倧人になったら、この展芧䌚の 意味が 刀るずきが来るであろう。 堀尟はパフォヌマンスの時にしきりにメッセヌゞを発信する。 「あたりたえのこず」     それ以䞊は口には出さないが、圌は、こう蚀いたいのだろう。 「あたりたえやん。生きおるんやろ」 文䞭敬称略 graf 増地 孝泰
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       堀尟貞治日蚘より  •「日々のこず」  11/ /2007 •   1985 幎頃から意識的に毎日䜕かをするずいうような圢にしお、単玔に色を塗る ずいうようなこずを矩務づけおやっおいた。色ずいうのは空気のこずで、空気を芋 るみたいに色ずいう意識づけをしおいる。それがい぀の間にか、日々飯を食べる ようなこずになっおいたす。それに関連しお、゚スキヌス 日々の䞭で、個展ずか グルヌプ展等のプランを曞いおいたのですが、そのたた幎皋続いおいたす。 •  もずもず絵を描くのが奜きで、最初は出来るだけ自分の感情や思い入れをなくし たいずいう考えで分間くらいで絵を描くのを続けおいたした。今もそれを日々お や぀を食べるようやっおいたす。それを分打法ず名づけおいたす。これは、王 貞治 今は゜フトバンクの監督の䞀本足打法をこじ぀けおいたす。僕も貞治ずいう 名前ですので、 䞀本足打法王貞治䞀分打法堀尟貞治 このような意識の䞭 で、䜜品぀くりを日々の仕事にしおいたす。
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      • 堀尟貞治「震灜のあず、生きおいおよかった ゞ ワッず実感がわいお来た。」 神戞垂兵庫区の震 灜のたっただ䞭、火の䞭で九死に䞀生を埗た䜜者 が綎る震灜の絵。震灜をテヌマに倚数の展芧䌚を 行う。                                            幎 月
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    䜜品玹介 暪浜トリ゚ンナヌレ 2005  「癟均絵画」  堀尟貞治珟堎芞術集団「空気」 83 日間連続パフォヌマンス暪浜  䌚期䞭、玄䞇枚の䜜品を描かれた。
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    珟堎芞術集団「空気」 珟堎芞術集団「空気」げんばげいじゅ぀しゅうだん・くうき  2002 幎の「堀尟貞治展 あたりたえのこず」芊屋垂立矎術博 物通の䌚期䞭、堀尟の掻動に共感する䞻に阪神間圚䜏の䞍特 定倚数によっお自然発生したグルヌプ。 翌幎の空気矎術通神戞の兵庫運河で玄1 幎間にわたり展開さ れた野倖展においお堀尟によっお正匏に「空気」ず呜名され た。 以来、堀尟ず掻動を共にし続けおいる。 メンバヌ構成はフレキシブルであり、 ほずんどが神戞の居酒屋「がんくら」での 月に䞀床の䌚合の参加者でもある。 メンバヌは、 友井隆之、山䞋克圊、原口研二、枅氎公明 な ど
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    • 圌は、癟円でコミュニケヌションしおいる。 • コラム的連茉 芞術はゎミか   • •  堀尟貞治 IN 暪浜トリ゚ンナヌレ   絵らしい絵、ビシャビシャの絵、これでも絵 か、本日のおすすめ絵画、音の出る絵、 ずか、たあいいかげんな十䞀の絵画商品名が曞き ぀けられおいる。 •  興味ある人は、先ず癟円を穎に入れる。癟円 コむンは箱の䞭の床に萜ちる。床には鉄板が眮か れおいお、チャリンず音がする。それから、ペッ トボトルを切断した䌝声管みたいな口に、話しか ければ良い。䞀番䞋さい。四番。ずか十䞀皮の倉 なカタログから、たったの癟円で買いたいモノの 番号を箱の䞭に話せば良い。 •  朚補の箱の䞭には堀尟貞治が座り蟌んでいお 、オヌダヌに応じお、絵を描いおしたう。䞀点䞉 十秒くらいかな。もう少しかかるのもある。音の する絵を泚文したら、ガンガンず箱の䞭で音がし お、たがねで玙に穎があけられたモノが、䜜品出 口の穎から出おくる趣向も甚意されおいる。 •  䜕ずも蚀い様がないくらいに銬鹿銬鹿しい。 しかし、人がどんどん集たっおくる。そしお実に 倚くの人が癟円を箱に入れる。䞋の穎から぀るり ず䜜品がすべり出おくる。䌝声管に小声でしゃべ り掛ける人がいるず、箱から堀尟さんが飛び出し おくる。 • 「倧きい声で蚀っお、聎こえないから。」 • 又、出おきおは、 • 「癟円入れおから、話さにゃヌ。同時にしたら 聞きずれたぞん。」 • アッずいう間に䞉十名くらいの人が癟円を入れ お、堀尟さんの䜜品を入手しおしたった。箱をの
  • 30.
    幎間 100 回以䞊の展瀺・パフォヌマンスを行っおいる。 堀尟氏の搬入は、乱暎ずいえるほどの早業。 1幎に 100 回を超える展芧䌚ずいう経隓は、圌にスピヌド ず咄嗟の刀断を䞎えたした。 倚䜜がいいずは蚀えたせん。しかし、考えおいるこずほど 愚かなこずはなく、行動するこずによっお初めお䜕かが埗 られるように感じたす。
  • 31.
  • 32.
    䜜品を展瀺するずいうこず。 • 「神奈川県民センタヌずかいうずころだっ たず思うで、倧きな郚屋のたんなかに小さ くたるめた玙を䞀぀眮くずいう䜜品を展瀺し たずき、芪戚の人が芋にいっおくれたのはい いけれど、䜕もなかったっお蚀われおね。た いったよね。でもね、もし展芧䌚をやっお、 誰も芋にこなかったずしおも、その時、その 堎所に確かに䜜品があったずいうこずは、歎 史の目が芋おいるんだよ。だから、もしそう でも萜胆したらいけないし、展瀺する以䞊、 絶察手を抜いおはいけないんだ。」
  • 33.
    堀尟貞治氏にずっお、芞術ずは 「毎日が楜しいこずは芞術」  人から誉められたり、売ったりするこずがワむの芞術ではない。  「毎日が楜しいこずは芞術」であるず考えお「即行動」する。そうするず忙し くなる。「忙しいこずは幞せ」であるず堀尟は蚀うのである。 「即行動」  “考えたらアカン、即行動するこずや” ず蚀う。朝五時に起床したら、畳䞀枚皋 の土間前は道に立っお、朚片に䞀日䞀色の色を塗る。朚片は、倧䞭小、壁に掛けお あるのを手に取っお塗る。お経を唱えるように、毎朝塗る䜜業から䞀日が始たる。 「倚忙は幞せ」  堀尟は、䞀月に数本の個展をか぀いで忙しい毎日を送っおいる。倧阪、神戞、京郜 の展芧 䌚ぞもために足を運ぶ。実に忙しい毎日を朝から晩たで過ごしおいる。  近堎は自転車、遠くは電車ず埒歩でどこでも行く。  「家の䞭を走っおたっせ」ず蚀うのが堀尟の口ぐせだ。  二階がアトリ゚になっおいお、ざぶずんの右偎に墚汁ず筆ず玙ずえのぐなど、い぀ でも取りか   かれる準備がしおある。  勿論ハガキも眮いおある。  倚忙な人は几垳面である。
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    あ 芞術はやりすぎるずいう こずはありたせん。 やればやる皋 神が力をかしおくれたす 。 そしお楜しくうれしいこ ず ばかりになりたす。             堀尟貞治
  • 35.
    パフォヌマンス「氎圢」                氎を 撒き、チョヌクで 型を取る。だが氎 は、型をはみ出し