2013.9.16最終更新

浜口雄幸と金解禁

浜口内閣成立から浜口死去まで
1929(昭和4)年7月~1931(昭和6)年9月

1
現在の財政状況
2013年度予算(一般会計)は……
○ 歳入: 約92.6兆円
  (税収約43兆円+国債等借金約48兆円)
○ 国債残高は約750兆円
(短期国債や借入金を含めると1000兆円超)

2
なぜこんな財政になったのか?
財政法第4条
「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入をもって、
その財源としなければならない。
ただし、公共事業費、出資金及び貸付金の
財源については……公債を発行し又は借入金を
なすことができる」
⇒ 建設国債はOKだが赤字国債は禁止している
3
しかし・・・

1965年補正予算に関し、特例公債法を制定
(財政法第4条をくつがえす法律)
⇒ 2600億円の赤字国債発行(戦後初)

4
その後も・・・
田中角栄~麻生太郎の自民党政治
「バラマキ」「オールドケインジアン」
などと揶揄されながら、
赤字国債を発行し続けた……
※ 一定の成果を上げてきたものの
   財政状況は徐々に悪化
5
財政の健全化に向けた取組
鈴木善幸「増税なき財政再建」
橋本龍太郎「財政構造改革」

ことごとく失敗し、先延ばし……

6
今回のテーマ

現在の財政状況は、
昭和初期と似ている……
⇒ 昭和初期の財政状況と
  その立て直しの取組を概観してみよう

7
序章 財政再建への挑戦
序章  財政再建への挑戦
第1章 二大政党の対立軸
第2章 金解禁
第3章 ロンドン海軍軍縮条約
第4章 テロルと死
終章  浜口政治とは何だったのか
8
明治末期~昭和初期の財政
日露戦争の戦費調達のため、
高橋日銀副総裁が
次々と外国向け国債を発行
高橋是清

⇒日露戦争終結後、高橋は蔵相となり、
  景気刺激のため国債発行による公共事業を継続
⇒高橋財政は一定の成果を上げたが、
  溜まったツケをいつかは払わなければならない

9
1929年度当初予算

年度予算額:17億7355万円
国債発行額: 1億9800万円(建設国債)
※ 累計赤字は10億近く

10
 この財政赤字に
 荒療治を図った政治家がいた…

11
今回の主役
第27代内閣総理大臣 浜口雄幸

・憲政会所属の政党政治家
・寡黙、無趣味、真面目一徹、頑固
・「男はやたらに笑うべきではない」

12
「ライオン宰相」
その風貌から「ライオン宰相」というニックネームも・・・

13
浜口の取り組んだ課題
緊縮財政による財政健全化
   緊縮のためには・・・
⇒ 大規模な軍縮 そのためには・・・
⇒ 協調外交

14
立ちはだかる壁
 軍縮について   : 軍部の壁
 協調外交について: 枢密院の壁
⇒ これらに立ち向かうには、
   政党政治の枠組みは
  あまりに脆弱だった……
15
政党政治の弱み
浜口内閣以前・・・
若槻内閣は
枢密院の前に倒れ・・・

若槻礼次郎

田中内閣は
軍部の前に倒れた・・・

田中義一

浜口は、軍部と枢密院と戦わねばならなかった・・・
16
主題

○ 浜口の考えた財政再建の方策とは
○ 浜口はどのようにして
   軍部と枢密院に立ち向かったのか

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第1章 二大政党の対立軸
序章  財政再建への挑戦
第1章 二大政党の対立軸
第2章 金解禁
第3章 ロンドン海軍軍縮条約
第4章 テロルと死
終章  浜口政治とは何だったのか
18
当時の二大政党
浜口が首相に就く直前の1929年6月時点では・・・

与党・立憲政友会(田中義一): 218議席
野党・立憲民政党(浜口雄幸): 216議席
その他:        
32議席
※ 与野党が伯仲

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二大政党の対立軸
立憲民政党

立憲政友会

外交

協調外交
(幣原喜重郎)

強硬外交
(田中義一)

財政

緊縮財政
(井上準之助)

積極財政
(高橋是清)

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立憲民政党の党是
立憲民政党成立(1927.6.1)

○憲政会と政友本党が合併して成立
○党要綱
1 民意を反映した議会中心政治
2 国際正義に基づく協調主義
3 国民の自由の保護
⇒ ハト派・リベラルな思想が見てとれる

初代総裁・浜口雄幸
21
一方、田中内閣は・・・・・・

浜口ら立憲民政党がハト派である一方……
田中ら立憲政友会はタカ派だった

22
田中内閣の政治 ①高橋財政
高橋是清蔵相
○公共投資を増額
 ⇒ 景気刺激

問題の先送りだ
放漫財政だ
23
田中内閣の政治 ②田中外交
田中義一首相・外相

○内乱中の中国に出兵
  (1927.5.28山東出兵)

⇒ 済南で戦闘になり中国人3600名が死亡
   中国政府を硬化させる

○東方会議を開催(1927.6.27)

⇒ 満州における権益を保護するため、
   中国内地と満州を分離させる方針が決定

中国への
内政干渉である
24
田中内閣の政治 ③鈴木内政
鈴木喜三郎内相
○初めての普通選挙(1928.2.20)で
  大規模な選挙干渉
⇒三・一五事件(1928.3.15):
  共産党員千数百名を検挙
⇒治安維持法改正(1928.6.25):
  最高刑を死刑に
国民の自由は
どこへ行ったのか
25
田中内閣総辞職(1929.6.28)
張作霖爆殺事件の対応をめぐる失敗のため、
田中、辞表を提出

立憲民政党の浜口に組閣の大命が下る

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第2章 金解禁
序章  財政再建への挑戦
第1章 二大政党の対立軸
第2章 金解禁
第3章 ロンドン海軍軍縮条約
第4章 テロルと死
終章  浜口政治とは何だったのか
27
2-1 金解禁とは

28
浜口雄幸のプロフィール
第27代内閣総理大臣
1870年 高知県生まれ
1891年 第三高等学校卒(幣原と同輩)
1895年 東京帝国大学卒 大蔵省入省
      大臣経費を削減しようとして
      秘書官と衝突し、左遷される
1907年 専売局長官に就任。塩田整理を担当
1915年 後藤新平に請われ、政界入り

29
浜口の政治目標
金解禁をやる!

「金解禁」とは・・・
金の輸出を解禁して、
金本位制に移行すること

30
金本位制とは
○兌換紙幣
   紙幣を銀行に持ち込むと、「金」と交換できる
 ⇒ ・日本銀行は、金保有量以上の紙幣を発行できない
     ・各国が兌換紙幣を発行することで為替レートは固定

○輸出入の決済を「金」で行う
  日本の輸入業者は、支払いの際に、
   日本円を銀行で金に換え、金を相手に渡す
  ⇒日本の銀行の金保有量と日本国内に出回る紙幣の量が比例 

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金本位制の利点
○輸入超過→金の保有量も市場の紙幣も減る
 →商品価格下がる→輸出促進
○輸出超過→金の保有量も市場の紙幣も増える
 →商品価格上がる→輸出抑制
国際収支を均衡させることが可能
金本位制は「人類の英知」
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金輸出禁止と金本位制への復帰
第一次世界大戦時、世界各国は対外支払が増大し、
金を政府管理する必要が生じた
⇒ 法令によって、金の国外流出を禁止し、金兌換を停止
   為替相場が変動制となり、不安定に
1919年 アメリカ金本位制に復帰
1920年 スウェーデン、イギリス、オランダ復帰
1922年 ゼノア会議で各国に金本位制への復帰を勧告
※ 主要国で残っているのは日本とスペインのみ

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金兌換停止中の積極財政
金兌換を停止中、景気刺激のために次々と紙幣を増刷
(主として高橋是清の積極財政政策)
    円の価値、徐々に低下
    国際的に円への信頼性が低下
    浜口、「高橋財政は無責任な問題の先送り」と非難

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金解禁の必要性

○ 国債発行に歯止めをかけるためには、
  早く金本位制に復帰しなければならない
○ このままでは各国から
  「通貨不安定国」とみなされてしまう

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金解禁の効果は?
   当時、貿易収支は赤字
⇒ 一時的には金が流出し、デフレが加速し、不況が深刻化
⇒ 長期的には、価格が安くなり、国際競争力が高まり、
   貿易収支が黒字になるはず
 つまり、金解禁はすぐに不況を脱出できる方法ではなく、
 一旦はより一層の不況を招く「荒療治」だった
※ 浜口らは、「財政破綻を防ぐためには
   荒療治もやむを得ない」と考えた
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旧平価解禁か新平価解禁か

金輸出禁止直前の法定レート: 1ドル=約2円
          (旧平価)
浜口内閣成立時の実質レート: 1ドル=2円15銭
           (新平価)

37
旧平価のまま解禁すると・・・
100円の商品が、実質レートで換算すると
本来46.46ドルの値打ちしかないのに・・・
法定レートに従って49.85ドルで売ることになる
     
      価格が高くなって国際競争力が落ち、
      日本の輸出業者にとって痛手

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では新平価解禁の方が良いのか?

○ 新平価解禁は、円を切り下げることとなるため、
   国際的に円の信用が落ちる
○ 法改正が必要となり、野党の協力が不可欠

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まとめ
旧平価解禁

メリット

○大蔵省令改正のみで済む。
  (野党が反対しても強行可)

新平価解禁

○日本の輸出業者に損失なし

○国際的に円の信用を傷つけない

○国際的に円の信用が傷つく

デメリット ○日本の輸出業者にとって痛手

○貨幣法改正が必要
(野党と枢密院を説得する必要有)

東洋経済新聞社の石橋湛山、
新平価解禁を主張
40
浜口の方針
旧平価解禁で行くべきだ!
一時的には日本の輸出業者にダメージを
与えることになっても、円の信用を
傷つけない方が、将来的には得だ
徹底的な緊縮(デフレ政策)により円高を誘導
⇒ 旧レートに近づけてから金本位制に移行
※ 金解禁自体が
「短期的利益を犠牲にして長期的利益を優先する」
   という施策であり、これは浜口の思想そのものだった。
そのため、浜口は短期的利益を求める新平価解禁よりも、
長期的利益につながる旧平価解禁にこだわった。
41
2-2 緊縮財政と金解禁

42
浜口内閣組閣(1929.7.2)
首相

外相

蔵相

陸相

海相

浜口雄幸

幣原喜重郎
(協調外交)

井上準之助
(緊縮財政)

宇垣一成
(軍縮派)

財部彪
(軍縮派)

43
井上抜擢で物議をかもす・・・
閣僚は党員から
選ぶべきだ

※ 井上は貴族院議員で、
  民政党員ではなかった・・・
逓信大臣・小泉又次郎

44
井上準之助のプロフィール
日銀総裁、大蔵大臣を歴任
1869年 大分県生まれ
1896年 東京帝大を卒業し、日本銀行に入社
1908年 松尾総裁と衝突し、ニューヨーク支店に左遷
1919年 日銀総裁に就任
1923年 第二次山本内閣の大蔵大臣に就任
      関東大震災の処理に辣腕を振るう
1929年 浜口に請われ浜口内閣の大蔵大臣に就任

45
井上準之助の性格

・多弁、頑固
・歯に衣着せぬ物言い。すぐ人を怒らせる
・「予算を取るなら力で来い!」

46
浜口・井上のコンビ

伝記作家の城山三郎は
  「静の浜口、動の井上」
  「一言足りぬ浜口、一言多い井上」
と表現している
47
浜口・井上の覚悟
途中何事か起こって中道で
倒れるようなことがあっても、
もとより男子の本懐である

今度の大蔵大臣役は、
ちょっと命が危ないかもしれん
48
徹底した緊縮

○組閣パーティでも粗末な食事
○井上蔵相、各省の公用自動車を削減
  (1929.7.16)

49
官吏減俸案の波紋(1929.10.15)

○公務員給与を6~10%削減
○大臣は12%削減
○首相は16%削減
民間への飛び火を恐れ、マスコミは大反対

50
野党からの批判
犬養毅・政友会総裁

浜口や井上は、今の役人が
どのくらい苦しい生活をして
いるかを実際知らんのだろう

司法官僚ら、裁判所構成法を盾に
         「減俸は違法」と抗議
51
官吏減俸案 断念
井上、「絶対に退かない」と言っていたものの・・・
総理の裁断にお任せする

浜口、世論の反対を知り、撤回を決意
         
 減俸案を撤回(1929.10.22)
52
予算折衝の混乱
井上、各省予算を大幅に削減

予算をとるなら力で来い!

役人たちの恨みを買う・・・
53
世界恐慌始まる(1929.10.24)

当初は「影響は僅かだろう・・・」
との見方が支配的

54
金解禁(1930.1.11)
1930年1月11日 金解禁
解禁当初は大きな影響はなかった……

55
国民の支持
明日伸びんがために、
今日縮むのであります!

浜口・井上の講演は大盛況
痛みを強いるデフレ政策にもかかわらず
国民から圧倒的な支持を受けた
56
衆議院総選挙(1930.2.20)

 立憲民政党: 216→273議席
 立憲政友会: 218→174議席
※ デフレ政策を採ったのに民政党大勝利

57
しかしその後・・・
輸出生糸の価格暴落
(繭の販売価格は60%下落)
  養蚕を副業とする農家が多く、
  農村部の生活困窮化
  浜口・井上を恨む者が増え始める

58
第3章 ロンドン海軍軍縮条約
序章  財政再建への挑戦
第1章 二大政党の対立軸
第2章 金解禁
第3章 ロンドン海軍軍縮条約
第4章 テロルと死
終章  浜口政治とは何だったのか
59
3-1 若槻の交渉

60
ロンドン海軍軍縮会議への参加
緊縮派の浜口にとって、軍縮は必然
  ※ 1928年の歳出中約29%が軍事費

時折しも
イギリス政府から、
ロンドン海軍軍縮会議への参加要請

61
軍縮の流れ
ワシントン海軍軍縮条約(1921)
主力艦の保有量が決定
 (英:米:日:仏:伊=5:5:3:1.67:1.67)
補助艦の保有量については、
 ジュネーブ会議(1927)で決裂・・・
    改めて補助艦の保有量について
    ロンドンで会議を行うことに
62
全権団派遣
 海軍大臣の財部彪、もちろん全権団に参加
しかし
 浜口は、盟友・若槻礼次郎を
 首席全権に指名

若槻礼次郎

※ 大蔵官僚出身の若槻は、
   外交経験なし、海軍軍人でもない
63
日米それぞれの主張

○日本側  「米:日=10:7でなければ」
○アメリカ側「米:日=10:6が妥当」

64
若槻の交渉
会議は難航
  若槻、会議後にアメリカ全権スチムソンの
  宿泊先ホテルにまで赴いて交渉
  「対米6.975割」

65
日本政府の対応
調印してよろしいか

○海軍省は賛成
首席全権
若槻礼次郎

○海軍軍令部が反対
 「総比率はいいとして、
  巡洋艦と潜水艦が足りないではないか」

66
海軍の組織構成
国務

統帥

天皇

政府(内閣)

外 大
務 蔵
省 省

・・・

陸 海
軍 軍
省 省

軍部

参
謀
本
部

海
軍
軍
令
部

海軍省……軍政(組織編成、予算、人事等)を担当。国務大臣たる海軍大臣が統括。
海軍軍令部……軍令(作戦立案、作戦実施)を担当。海軍軍令部長が統括。
海軍省は内閣の一部であるが、海軍軍令部は内閣から独立している
 ⇒  軍政には議会のコントロールが及ぶが、軍令には及ばない
67
陸軍の組織構成(参考)
国務

統帥

天皇

政府(内閣)

外 大
務 蔵
省 省

・・・

陸 海
軍 軍
省 省

軍部
教
育
総
監
部

参
謀
本
部

海
軍
軍
令
部

陸軍省……軍政を担当。陸軍大臣が統括。
参謀本部……軍令を担当。参謀総長が統括。
教育総監部……陸軍学校における教育を担当。教育総監が統括。
※ 陸軍大臣、参謀総長、教育総監を「陸軍3長官」という。
68
浜口首相VS加藤軍令部長
海軍軍令部長・加藤寛治

調印すべきでない
会議決裂を招いてもいい
首相・浜口雄幸

国民生活上必要な政策を犠牲に
してまで建艦競争はできない
69
決裂

○浜口、軍令部の承認のないまま閣議決定
  (1930.4.1) 
○加藤軍令部長、「軍令部は反対です」と上奏
  (1930.4.2)

70
3-2 統帥権干犯問題

71
調印はしたものの・・・
議論沸騰
「軍令部が反対したまま調印したのは
統帥権干犯ではないか?」

72
統帥権とは
・大日本帝国憲法第11条「天皇は陸海軍を統帥す」
・「海軍軍令部条例」により、天皇が海軍を統帥するに
 当たっては海軍軍令部長がこれを補佐することが
 規定されている
     統帥は海軍軍令部長の権限であって、     
     首相や海軍省は口出しできない
     加藤ら「浜口内閣は統帥権を干犯した」と非難

73
浜口と海軍省の反論
大日本帝国憲法第12条
 「天皇は陸海軍の編制及び常備兵額を定む」
   第11条とは別個の条文が設けられているので、
   編制を定めることは「統帥」でなく「国務」だ
※ 第55条「国務各大臣は天皇を輔弼し其の責に任ず」とあり、
   国務については海軍大臣に権限がある

74
国務か統帥か
補助艦の比率を定めることは国務か統帥か?
海軍は「条約派(条約賛成)」と「艦隊派(条約反対)」に分裂
     「喧嘩両成敗」の人事により、
     財部海相と加藤軍令部長、ともに辞任
       ※ 国民は圧倒的に浜口を支持

75
枢密院の審議
条約調印後、枢密院の審議を経なければ
批准できず、効力を発することができない
枢密院とは
衆議院・貴族院とは別個に設けられた天皇の諮問機関

保守的・国家主義的な傾向が強く、
立憲民政党に批判的
76
枢密院との対立

枢密院は以前、第一次若槻内閣を倒閣
⇒ その後、立憲民政党は衆議院に
   「枢密院弾劾決議案」を提出し、
   賛成多数で可決させていた経緯があった・・・

77
浜口VS枢密院
枢密院審議に当たって・・・
○ 浜口、枢密院の資料要求を拒否
  「次年度予算編成の資料はまだ出せない」
○ 立憲民政党の若手議員ら
  「枢密院は旧体制の遺物。廃止すべき」
⇒ 枢密院「審議休止する」
   浜口「最悪、枢密院の諮詢がなくても
      批准案を上奏する」

78
浜口の勝利

新聞各紙、「浜口内閣VS枢密院」を
センセーショナルに報じる
※ ほとんどが浜口に味方する論調
⇒ 枢密院、「無条件でご批准しかるべし」との結論
⇒ 右翼や海軍強硬派の間で、浜口恨まれる

79
第4章 テロルと死
序章  財政再建への挑戦
第1章 二大政党の対立軸
第2章 金解禁
第3章 ロンドン海軍軍縮条約
第4章 テロルと死
終章  浜口政治とは何だったのか
80
4-1 浜口遭難

81
浜口遭難事件(1930.11.14)
浜口、岡山で開催中の陸軍大演習に
陪席するため、東京駅へ
(幣原外相、駐ソ大使として赴任する
広田弘毅を見送るため、同時刻に東京駅へ)

82
「男子の本懐」

東海道線ホームで浜口の腹部に一発の銃弾
→ 東大病院へ搬送
※浜口「かかることは男子の本懐」
※ 犯人の右翼青年「統帥権を干犯した浜口が許せなかった」
  → 取調べで「統帥権干犯」の意味を理解していなかったことが判明
83
浜口遭難現場
現在の東京駅の東海道新幹線改札口の前

84
幣原、臨時首相代理に就任
政友会から緊急動議
首相自身が予算の説明を
できないなら、総辞職すべき

首相代理・幣原喜重郎

政友会・鳩山一郎議員
85
幣原の失言(1931.2.2)
現にロンドン条約はご批准になっているということ
をもって、このロンドン条約が国防を危うくするもの
ではないということが明らかであります

首相代理・幣原喜重郎

「陛下に責任を転嫁するのか」と大乱闘

86
予算委員会、大乱闘(1931.2.6)
幣原の回顧録
「その者が後ろから私のズボンを引っ張った。……
私は即座に振り向きざま、足をあげて、靴のかかとで、
その男の額をガーンと蹴った。額のところから血が
流れて、その男はヨロヨロと後ろへ倒れた」

87
桜会のクーデター計画
三月事件
桜会の橋本欣五郎、
「政党はもはや機能しない」と見て
クーデターを計画
⇒ 宇垣陸相の賛同が得られず、中止

橋本欣五郎中佐

88
浜口、登院を決意

  浜口、議会の乱闘を新聞で知る
     「やはり私が登院しなければ」
   医師ら「命の保障ができない」と反対

89
浜口、登院にかける思い
自分は死んでもいい。
議政壇上で死ぬとしても、
責任をまっとうしたい。
自分が決心して安心立命を
得ようとするのを、妨げないでくれ!

90
浜口登院(1931.3.10)

浜口、体内に弾丸が入ったまま
衆議院本会議場へ
痛み止めの注射が効かず、顔面蒼白

91
野党からの洗礼(1931.3.11)
政友会・島田俊雄議員

「かかる健康状態で議会に臨まれることは、
野党としては甚だ迷惑である」

92
質問攻め(1931.3.18)
    浜口の声に力はなく、野党から
    「聞こえないぞ!」
    とヤジが飛んだ・・・
※ 若槻の回顧録
「こういう人間を議会へ引っ張り出すということは、
こんな残酷なことがあるものかと、痛憤にたえなかった」
     
         浜口、再度入院

93
浜口内閣総辞職(1931.4.13)
再手術の経過が悪く、総辞職を決意
  浜口、若槻に後継内閣を依頼
  第二次若槻内閣成立
  ※ その後、浜口の容態は
     悪化の一途をたどる

94
浜口の死(1931.8.26)

「みんなの顔がまだ見えるぞ」が最期の言葉
かけつけた井上蔵相、号泣

95
4-2 井上の死

96
その後の歴史
○満州事変勃発(1931.9.18)  
○イギリス、金本位制から離脱(1931.9.21)
○野党・立憲政友会
  「金輸出を再禁止すべき」と決議
              (1931.11.10)

97
三井財閥のドル買い
三井銀行常務の池田成彬、
「金輸出再禁止は近い・・・」
と大量ドル買い
池田成彬

  ※ 再禁止すると円が暴落する
98
井上蔵相の決意
「財閥によるドル買いを制限しては?」
との意見に……

やらせておけ
金輸出再禁止は絶対にしない

井上準之助

99
ところが・・・
第二次若槻内閣、
閣内不一致により総辞職(1931.12.11)
 
  立憲政友会総裁の犬養毅による
  犬養内閣成立(1931.12.13)

100
金輸出再禁止(1931.12.17)
高橋蔵相
犬養内閣の蔵相に就任した高橋、
すぐに金輸出を再禁止
三井・三菱財閥、莫大な差益を手にする
三井銀行の池田成彬、マスコミに叩かれ
「何が悪いのか分からない」

101
貴族院本会議(1932.1.21)
高橋蔵相の財政演説
浜口内閣の金解禁政策に触れ、

これがために我が国経済界は
日に月に不況に沈淪し、産業は
衰退し、物価は暴落し……

ほぼ井上財政への弾劾演説
102
高橋VS井上 新旧蔵相対決
高橋演説を聞いた井上、発言を求める・・・
(高橋は)とにかく国民に非常に
重大たる関係の金本位という制度を、
一朝にして努力もせず破壊し、
一方に不当の利益を与えて壊した!

金再禁止でドル買いの憎むべき
所作を国が助けた、というが、
その所作をなさしめたのは、これ即ち
井上大蔵大臣だ!
103
その直後・・・
   衆議院解散
   総選挙へ・・・
この対決が、井上最後の登院となった…

104
井上準之助の死(1932.2.9)
選挙演説のため本郷の駒本小学校に赴く
  車を降りたところに3発の銃弾を浴び、即死
※ 犯人は右翼結社・血盟団の団員
「井上が大蔵大臣当時にとった緊縮政策のため、農村は
壊滅状態に陥った。井上を殺して農村を救うためにやった」

105
団琢磨の死(1932.3.5)
ドル買いで儲け、恨みを買っていた三井財閥…
 日本橋の三井銀行前で、
 三井合名会社の理事長・団琢磨が射殺される
※ 犯人は右翼結社・血盟団の団員

団琢磨
106
終章 浜口政治とは何だったのか
序章  財政再建への挑戦
第1章 二大政党の対立軸
第2章 政党の敗北
第3章 浜口内閣の軌跡
第4章 テロルと死
終章  浜口政治とは何だったのか
107
まとめ
戦前において、    
軍部や枢密院の反対を押し切り、
政治目標を達成した首相は
浜口だけ

戦前の政党政治を象徴する人物

108
浜口の政策とは

・ 国民に痛みを強いる「緊縮政策」
・ 国民に安易に短期的利益を与えるのではなく、
  一旦は血を流してでも財政を健全化させようとした

109
軍部・枢密院との戦い

  軍部と枢密院は、
  政党内閣を倒閣してきた「権威」
⇒ 浜口は、世論の圧倒的な支持を背景に、
   それらを屈服させた

110
浜口を賛美する声
・ 安易な大衆迎合主義に陥らず、
  真に必要な政策を実行する政治家
・ 未来への明確なビジョン、
  長期的視野を持った政治家

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浜口を賛美する声
・ 安易な大衆迎合主義に陥らず、
  真に必要な政策を実行する政治家
・ 未来への明確なビジョン、
  長期的視野を持った政治家

112
浜口を批判する声
○ ロンドン海軍軍縮条約について
 ・ 海軍の有力者を味方に付けて
  根回しを行うだけの巧妙さがなかった
  ⇒ 理念はあったがテクニックに欠けていた
○ 金解禁について
・ 金解禁直後に世界恐慌が起こり、
  不運なタイミングだった
  ⇒ 必要があれば見直しを行うといった
     柔軟さに欠けていた
113
浜口が残したもの
戦前期といえば・・・
「軍部に牛耳られた時代」
「議会には何の力もなかった」
といったイメージが流布している・・・
しかし
浜口の時代には、衆議院に基礎を置く
政党内閣が軍部をコントロールする態勢が
徐々に整えられつつあった・・・
114
なぜそれが続かなかったのか
軍部や枢密院を屈服させたものの、
その力は浜口一人のパーソナリティに
よるところが大きかった・・・
⇒ 浜口入院によって政党の力不足が露呈
  
⇒ 二大政党が醜い抗争に陥り
   人心が政党から離れてしまった・・・
※ 浜口へのテロが起こらなかったら、
   浜口以外にも政党内に人材がいたら、
   帝国議会を中心とした政党政治が根付いた可能性も
115
現在の財政赤字にどう対処する?
未だ有効な解決策が提示されていない・・・
いま必要なのは、短期的利益によって
国民に迎合するポピュリストではなく、
中長期的視野を国民に語る政治家ではないか

⇒ いま浜口から学ぶべきことは多い・・・
116
書籍紹介
城山三郎「男子の本懐」
新潮文庫刊
本体670円+税
おすすめ度 ★★★★★

浜口雄幸と井上準之助。
性格も境遇も正反対の二人の男が、
いかにして一つの政策に生命を賭けたか……
「落日燃ゆ」と並ぶ城山文学の最高傑作
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参考文献
●浜口関係全般
浜口雄幸「随想録」講談社学術文庫
城山三郎「男子の本懐」新潮文庫
川田稔「浜口雄幸と永田鉄山」講談社選書メチエ
川田稔「浜口雄幸」ミネルヴァ書房
波多野勝「浜口雄幸」中公新書
若槻礼次郎「明治・大正・昭和政界秘史」講談社学術文庫
幣原喜重郎「外交五十年」日本図書センター
●ロンドン海軍軍縮条約関係
宮野澄「海軍の逸材 堀悌吉」光人社NF文庫
岡田啓介「回顧録」中公文庫
佐野眞一「枢密院議長の日記」講談社現代新書
●金解禁関係
鈴木隆「高橋是清と井上準之助」文春新書
高橋義夫「高橋是清と井上準之助」学陽書房
大島清「高橋是清」中公新書
秋田博「凛の人 井上準之助」講談社
小島直記「富と銃剣 池田成彬」人物往来社
松元崇「恐慌に立ち向かった男 高橋是清」中公文庫

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1929年7月~1931年9月:浜口雄幸と金解禁(130916更新)