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1
シアトル都市圏における地方行政と都市成長管理
著作 カルティエ室橋ミサ 2016年4月
目次
1.	 はじめに  (P. 2)	 	 	 	
2.	 背景解説 - 米国における車移動型郊外開発とニューアーバニズムへの潮流 (P.2)
3.	 ワシントン州の成長管理条例 (P.4)
	 成長管理条例(GMA)と都市成長境界線(UGB) / コンプリヘンシブ・プランと市民参加法規
4.	 ピュージェット・サウンド地域議会 (P.5)
	 ピュージェット・サウンド地域議会  / サウンド・トランジット の拡張とTODへの取り組み
5.	 キング群の物件供給数管理 (P.7)
	 物件供給目標と建築可能件数の計算 / 物件情報の管理
6.	 シアトル市のアーバン・ビレッジ政策と市民参加プログラム (P.8)
	 アーバン・ビレッジ戦略 / 二層の市民参加 – ビジョニングとデザイン・レビュー / ゾーニングと土地利用コード
	 デザイン・ガイドライン
7.	 日本への応用性 (P.11)
2
1.はじめに
 アメリカ合衆国西海岸北部のワシントン州に位置するシア
トル都市圏は、シアトル市、ベルビュー市、タコマ市、エベレッ
ト市などからなる人口約380万人の都市圏である。行政区域
としては、キング(King)郡、スノーミッシュ(Snohomish)郡、ピ
アス(Pierce)郡、キトサップ(Kitsap)郡からなるピュージェット・
サウンド地域(Puget Sound Region)にあたり、4郡合計の地
上面積は約1.6万平米である。人口は、自然増加、他州や国外
からの移住を含めて増加傾向にあり、1970年から2000年ま
での平均年間増加率は1.8%と、全米の1.1%を上回る。ワシ
ントン州政府によれば、2040年までに人口は500万人に達す
るとされている。
 レニア山やオリンピック山脈などの山岳風景、ピュージェ
ット湾やワシントン湖などの水辺に囲まれた美しい周辺環
境から、中心都市であるシアトル市は「エメラルド・シティー」
と呼ばれる。経済面では、ボーイング社を中心とする航空・
宇宙産業、マイクロソフト社、アマゾン社を中心とするハイテ
ク産業の他、軍事、観光、海運、医療関連の産業が集積してお
り、セントラル・ピュージェット地域全体で約200万の雇用を
創出している。スターバックス社やコストコ社の本拠地とし
ても知られる。世帯辺りの年間収入は、4郡の中央値平均で
約6.5万ドル(約715万円(1ドル=110円換算)であり、全米中
央値の5.3万ドルを大きく上回る。
 ワシントン州は、1990年に成長管理条例(The Growth
Management Act)を制定し、特にシアトル都市圏において、
非常に積極的な都市成長管理体制を整えている。その内容
は、人口・経済動向や不動産物件の現状把握をもとに、将来
 アメリカ合衆国の多くの都市圏では、中心都心部を一歩
出ると、車による移動を前提とする郊外開発(Suburb)が広が
る。  無料の高速道路とコネクターと呼ばれる幹線道路が商
業地間をつないでおり、商業地は広い駐車場と箱形店舗か
らなる大型店や、中心部の郊外型ショッピングモールが典型
だ。  商業地を囲むようにコンドミニアムやアパートなどの集
合住宅地域があり、それ以外は広々としたシングル・ファミリ
ー・レジデンス(Single Family Residence)と呼ばれる一戸建
て専用の住宅地域が広がる。  一戸建て専用住宅地域は人為
FIGURE 1 シアトル都市圏の郡と都市成長境界線
1) 第二次世界大戦後、50年代から70年代にかけて、中心都市部に居住していた白人住民の多くが郊外へ移住した現象。その背景には諸々の
説があるが、第二次世界大戦からの帰還兵が静かな生活を求めたこと、そうした白人層への手厚い住宅ローン政策があったこと、自動車の普及に
よって移動範囲が広がったこと、60年代の市民権運動を経て住居所有権が認められるようになった非白人層が近隣へ引っ越してきたことを白人
住民が避けたため、などがあげられている。
の都市成長パターンを戦略的に策定した上で、民間による開
発をそのパターンに乗せるべく、ゾーニングや開発許可制度
などの手段で誘導していくものだ。また、そうした過程におけ
る、積極的な市民参加プログラムが促されている。本文では、
その都市成長管理体制と手法の詳細を、州、地域、郡、市のヒ
エラルキーで解説していきたい。
的なうねり道や、クルドサック(cul-de-sac)と呼ばれる行き止
まり道からなり、住民以外の侵入を可能な限り阻止するつく
りになっている。公共交通機関は乏しく、近隣店舗へも距離
があるため、各家庭は複数の車を持ち、日々の生活の移動に
必ず車が必要になる。
 こうした車移動型の郊外開発は、第二次世界大戦後の自動
車の普及、「ホワイト・フライ1
」と呼ばれる白人住民の中心市
街地からの流出、また当時の都市計画家の「田園都市」嗜好
なども重なり、1950年代から80年代にかけて徐々に定着して
Map by Misa M. Cartier
2.背景解説 - 米国における車移動型郊外開発とニューアーバニズムへの潮流
エベレット
ベルビュー
シアトル
タコマ
スノーミッシュ郡
キング郡
ピアス郡
キトサップ郡
3
FIGURE 2 ベルビュー市南部の典型的な車移動型郊外開発の例
2)ゾーニングとは、自治区内を複数の区域に分け、区域ごとに住宅、店舗、オフィスなどの土地利用の用途を制限したり、建物の高さや建ぺい率
を制限するものであり、一般的に市や郡の条例で定められる。ニューアーバニズムへの潮流から、その手法もかわりつつある。
3)スーパー・ブロック開発とは、既存の古く細い区画をまとめてより大きな区画をつくり大型開発を行うこと。
4)狭義には、ニューアーバニズムを、その思想に基づいた都市デザインの手法の一つとして言い表す場合もある。当文書では、広義にその思想
全般をニューアーバニズムと呼ぶ。
A.  シアトル都市圏の「エッジシティー」であるベルビュー市南部。1970年代に開発されたこ
の地域は、典型的な郊外型開発パターンが見られる。グーグル航空写真に、市のゾーニングを
重ねたもの。広大な戸建て住宅地が広がり、その中ではうねり道やクルドサックがみられる。
B.  広大な駐車場、が箱型の店舗を囲む近隣商業地
C.  車での移動が前提とされるために、車向け出入り口しかない低層集合住宅
D. 広い庭付きの戸建てが並ぶ戸建住宅地
いった。1980年代に入ると、住居のみならずオフィスや商業
用途も郊外移動し、ベットタウンとして出来上がった郊外都
市が、住居、職場、商業施設を兼ね備えて総合都市化した、「
エッジシティ」と呼ばれる郊外都市も形成された。  
 地方行政による都市計画も、こうした車移動型郊外開発を
後押ししてきた。  80年代頃までのゾーニング2
は、一戸建て
専用住宅地の住環境保護に重点を置くもので、地区内の用
途を単一に制限するものであった。すなわち、商業用途、オ
フィス用途、集合住宅などを一戸建て住宅地から締め出すこ
とが大きな目的の一つとされた。  これは、既存の一戸建て住
居保有者を保護する半面、住宅地と商業地を分離し歩行困
難な街並みを形成し、また低密度の住宅地域を保護すること
で新規宅地開発の更なるスプロールへつながった。
 一方で、こうした郊外化に対する疑問も投げかけられる
ようになる。1961年に出版された、ジェイン・ジェイコブズ
(Jane Jacobs)の「アメリカ大都市の死と生(The Death and
Life of Great American Cities)」は、自動車社会、郊外化、中
心都市部の衰退に対する批判の源流である。ジェイコブズ
は、郊外開発やスーパー・ブロック開発3
の、画一的な味気な
さ、人間味あるコミュニケーションが生まれない点を指摘し
た。  そして、用途の混在、細かく小さな区画、新旧さまざまな
築年数の建築物の混在、高い人口密度からなる、多様性ある
都市空間の重要性を唱えて、その後の都市計画に大きな影
響を与えた。1980年代後半に入り、環境問題への認識が高ま
ると、郊外化による都市開発のスプロールが、自然破壊やエ
ネルギー資源の浪費につながると指摘され、健康面でも車
社会と肥満の関係性が指摘されるようになった。
 郊外化への反省をもとに、中心都心部の機能を回復させ、
人口を集約してスプロールを抑制し、コンパクトな街づくり(
コンパクト・シティ)を推進しようという考えがニューアーバニ
ズムであり4
、90年代以降のアメリカ都市計画の潮流になっ
ている。ミックス・ユーズ(用途の混在)、ウォーカビリティ(快
適な歩行移動)、ミックス・インカム(多様な経済層の世帯の
混在)、小区画の保存などが、そのキーワードになる。
 米国内でも地域差はあり、おおざっぱに言えば、リベラル
色の強い西海岸や北東部ではニューアーバニズムを強く押
し出した都市計画が施行され、共和党色が強い南部や中西
部では行政による都市開発への規制や介入は限定的にな
る傾向にある。リベラル志向の都市圏では、不動産の性質か
ら、ゆっくりではあるが、前述の様な郊外開発が是正されはじ
めている。特に、シアトル都市圏では、マーケット要素が重な
り、2000年代後半から著しい変貌を見せている。
B
A
C
D
Pictures By Google Map
戸建住宅地
集合住宅地
商業地
オフィス
4
3.ワシントン州の成長管理条例
成長管理条例と都市成長境界線
The Growth Management Act and Urban Growth Boundary
 ワシントン州政府は、1990年に成長管理条例(The
Growth Management Act)を制定して以降、ニューアーバニ
ズムの思想に基づく都市計画体制を整えてきている。当条
例は、スプロール抑制と、都市計画への市民参加の促進とを
基調として、州内の郡に対して都市計画政策に関連する義務
づけ、もしくは指針提示するものである。ピュージェット・サウ
ンド地域を含む、高人口密度の郡には枠組みを義務づけ、そ
れ以外の郡には指針提示という具合である。また一方では、
郡と市に、新規不動産開発案件に対して、環境税であるイン
パクト・フィー(Impact Fee)の徴収や、開発許可制度を介し
ての案件レビューを行う権限を与えている。
 条例の内容は「13のゴール」に示される通り多岐に
渡るが、都市開発の境界線を引く都市成長境界線(Urban
Growth Boundary)の設置が、スプロール抑制に対しても
っとも強力な手法であり、当条例の核といえるだろう。都市
成長境界線は、郡の行政域内を境界線内の都市成長地域
(Urban Growth Area)と境界線外の田園地域(Rural)に分
け、田園地域については都市開発を禁止し、市による行政サ
ービスやインフラ整備の一切を禁じている。
 境界線は、GMA条例のガイドラインを元にして、郡が市と
協議した上で定められ、郡のコンプリヘンシブ・プランに明示
される。都市成長地域は、20年先の推定人口増加と雇用増
加を吸収する範囲と定められ、その増加推定数はワシントン
州の独立機関であるOffice of Financial Management (OFM)
がコーホート法で割り出す推定数字が、全郡に対して適用さ
れる。州政府の独立機関がコーホート推定数を割り出すこと
で、郡や市が各々の政治的な意図から予測を立てることを防
いでいる。人口増と雇用増の推定数をもとに、郡は群全体と
各市における住宅とオフィスの物件供給目標を立てる。供給
目標と同時に、既存の都市成長地域内で吸収可能な件数も
計算される。この計算については、キング群の役割について
述べる5章で詳しく解説したい。ピュージェット・サウンド地域
の4郡を含む州内の6郡で、こうした計算が義務づけられて
いる。
 都市成長地域内での物件供給が、推定人口・雇用増を吸
収しえないと判断された場合、大抵の場合は都市成長地域
内でのアップ・ゾーン5
が検討されるが、都市成長境界線の変
更が検討される可能性もある。境界線の変更は、毎年の郡コ
ンプリヘンシブ・プラン改定のタイミングで、市が郡に対して
要請することができる。しかし、変更については、市議会の他
にも、複数の郡政府代表が集まるリージョン会議における協
議、綿密な市民への情報開示と議論の義務など、数段階に及
ぶプロセスが課せられている。
TABLE ワシントン州成長管理条例に定められる13のゴール (WA State RCW 36.70a.020)
1. Urban growth 既存の都市成長地域内での効率的な開発を即する
2. Reduce sprawl 未開発地域において低密度の無秩序な開発を抑制する
3. Transportation 効率的な(車以外の)多彩な交通網を促進する
4. Housing あらゆる経済的階層の住民に対して格安な住宅を確保するため、多彩な密度や形態の住宅供
給を促進し、既存の住宅ストックの修繕保存を推奨する
5. Economic development コンプリヘンシブ・プランに沿った経済成長、全市民、特に失業者や障害をもつ市民に対して
の経済成長の機会、既存産業の保護、新規産業の誘致、経済成長の恩恵を受けにくい地域で
の成長を、州内の自然環境資源、公共サービス、公共施設が許容する範囲で促進する
6. Property rights 個人の財産権の保護
7. Permits 開発許可その他の自治体への許可申請が、公正なプロセスを経て許可されること
8. Natural resource industries 林業、農業、漁業などの自然資源にもとずく産業を保護促進し、森林や農業地を保護し不適合
な土地利用を防ぐ
9. Open space & recreation オープンスペースを確保して、魚や野生動物の生態を保護するとともに、市民の自然資源、水
辺、公園、リクリエーション施設へのアクセスを促進する
10. Environment 州内の空気と水の高水準を維持し、また水資源を保護する
11. Citizen participation & coordination 都市計画策定プロセスにおける市民参加を促進し、地方行政とコミュニティーの対立を避ける
12. Public facilities and services 新規不動産開発が、既存の公共施設とサービスの許容範囲内であることを保証し、公共サービ
スの質の低下を防ぐ
13. Historic preservation 歴史的な価値のある区域や建築物を保護する
5)アップ・ゾーンとは、建ぺい率の制限を緩和して、より高密度で高層の不動産開発を許容するゾーニングへ変更すること。
5
コンプリヘンシブ・プランと市民参加法規
Comprehensive Plan and Public Involvement
  都市成長境界線 に加えて、ワシントン州成長管理条例の
もう一つの核は、コンプリヘンシブ・プランの義務づけと指
針提示だろう。郡は毎年、市は7年毎のプラン改定が義務づ
けられ、改定の際には、一連の市民参加プロセスを経ること
が義務付づけられている。プランは、土地利用、公益事業、経
済開発、住宅、交通、公園、公共施設などのそれぞれの項目
で、20年間の計画が策定されることが定められている。
 市民参加のプロセスについても、詳細な内容が定められて
いる。例えば、複数のメディアを使った広範囲に及ぶ情報告
知、市民からの文書による意見の受付、充分な告知期間を経
た後の一般公開会議、会議の公開義務、市民の意見を反映さ
せることなどが、自治体に義務づけられている。市民参加プ
ロセスは、長期計画であるコンプリヘンシブ・プランの制定・
改定の際に加えて、一定規模以上の不動産開発案件の承認
プロセスにおいても義務づけられる。
 2016年現在、ワシントン州内では、約9割の郡と市がコンプ
リヘンシブ・プランを条例義務、もしくは指針提示に従って作
成している。
FIGURE 3イサクア・ハイランド
イサクア市にある、イサクア・ハイランド(Issaquah Highlands)と呼
ばれる開発地区は、ワシントン州成長管理条例の締結後に初めて境
界線の変更を伴って開発された案件だ。そのため、市、郡、州、地域
会議、開発業者とが、10年間という長い期間をかけて協議を重ねた
うえで、開発されている。その開発デザインは、ニューアーバニズム
のデザイン手法を強く押し出したものになっている。
駐車場を裏側に確保しつつ、歩道沿いに店舗を置いて、旧式な市
街地的な雰囲気を出している近隣商業地。
車通路を家の裏側に配置して、住民の歩道へのアクセスを意識し
ているタウン・ホーム Pictures By Google
4.ピュージェット・サウンド地域議会
ピュージェット・サウンド地域議会
Puget Sound Regional Council
 ワシントン州成長管理条例では、郡が、周辺の複数の郡
で集まり、郡の間のプランを調整することと、定められてい
る。シアトル都市圏では、キング(King)郡、スノーミッシュ
(Snohomish)郡、ピアス(Pierce)郡、キトサップ(Kitsap)郡の4
郡からなるピュージェット・サウンド・リージョナル・カウンシル
(Puget Sound Regional Council)がその調整議会の役割を
果たしている。この地域議会は、地域内の郡や市の議員や市
長が集まり、各分野の委員会にわかれて協議をするもので、
法人化はされておらず、郡や市などの地方自治体とは異なっ
ている。  運営予算は、地域内の郡と市からの徴収、州政府お
よび連邦政府からの補助金などからなっている。
 地域議会の主な役割は、成長管理条例に関連する郡間
の調整、地域の公共交通機関であるサウンド・トランジット
(Central Puget Sound Regional Transit Authority)運営を
含む地域交通戦略の策定、地域経済戦略の策定であり、それ
ぞれの分野について定期的にコンプリヘンシブ・プランを協
議の上で公布している。最新の発行物としては、VISION2040
(2008年公布)、TRANSPORTAION2040(2014年改定)
FIGURE 4 ピュージェット・サンド地域の経済戦略書
地域経済戦略書の最新版、Comprehensive Economic
Development Strategy 2012では、国勢調査(Census)や州のOffice
of Financial Management (OFM)の数字、そして議会が独自に採用
したコンサルティング研究機関による分析結果に基づく現状把握が
なされたうえで、地域の戦略的産業クラスターの選定と、各産業分野
における成長戦略が示されている。以下、戦略書から抜粋。
6
、Comprehensive Economic Development Strategy (2012
年公布)があり、それぞれ議会ホームーページ(http://www.
psrc.org/)で全文がダウンロード可能である。これら文書の
内容は、地域内の郡と市のコンプリヘンシブ・プランの根幹と
なり、郡や市のコンプリヘンシブ・プランは、これに準拠する
ことになる。
サウンド・トランジットの拡張とTODへの取り組み
Expanding Sound Transit & Transit Oriented Development
 地域議会が母体となっているサウンド・トランジットは、地
域内の鉄道(Sounder Train)、ライトレール(Light Rail)、高速
バス(ST Express Bus)、そしてパーク&ライド(Park & Ride)
を運営している。ピュージェット・サウンド地域の人口は、ワ
シントン州OFMによって2040年までに100万人以上増加する
と推定されており、こうした人口増加を公共交通機関の促進
によって吸収し、車移動を最低限に抑えることが地域交通戦
略の大きな課題となっている。1996年に法人化され、1999
年からサービスが開始された当機関は、急速にサービス網
を広げている。シアトル市においては、サウンド・トランジット
と、キング郡が運営するメトロ・バスが主な公共交通機関に
なっている。サウンド・トランジットは交通機関運営の他、駅
周辺の不動産開発、すなわちTODの促進も行っている。これ
は、利用者の自宅から駅までのアクセスが車に偏ることを防
ぐためである。実際に、シアトル都市圏では、公共交通利用
者数が年々増加する一方、多くの住宅地域内にあるパーク&
ライドの駐車場が許容範囲を超えてきており、市の都市計画
課や交通課などは、駅周辺の集合住宅開発や、自転車利用の
促進に力を注いでいる。
 郊外型開発が市場の主流となっている不動産開発業界の
中でTODへ促進していくには、様々な課題もある。例えば、駅
前に集合住宅を開発しても、1階部分の商業スペースへのテ
ナント確保が難しいなどの問題があげられる。市側は、駅周
辺住民や駅利用者が歩行範囲内で買い物ができるように、ビ
ルの1階部分に商業スペースを義務づけるゾーニング・コー
ドを採用したりなどするが、一定以上の住居者数や駅利用者
数が形成されるまでは、店舗としては採算をとるマーケット
がないことになる。また、TODには郊外の低利用地域や低所
得世帯地域が充てられることが多く、既存のマーケット規模
が小さかったり、マーケットがあっても周辺に定着している郊
外型大型店舗と競合することになる。特に、居住者が日常的
に必要とするスーパーマーケットなどは、大型店舗倉庫向け
の大型トラックでの物販が定着しているチェーンが多く、TOD
テナントに入りにくいという実情もある。
 シアトル都市圏におけるTODの試みはまだ始まったばか
りであり、実例は少ない。1990年代後半から官営の開発が
行われるようになり、2000年代に入ってから民官共同や、
税制優遇などを得た民間の不動産会社による開発が見ら
れるようになっている。1990年代に開発されたニューホリー
(NewHolly)は、低所得者向け公営住宅地をリニューアルす
る形で行われた、公共投資型のものである。民間投資のTOD
としては、2000年代に入ってから、シアトル市北部のショッ
ピング・モール地区であるノースゲートに開発された、ソー
トン・プレイス(Thornton Place)が初期のものだ。ただし、
これは市とメトロ・バスがお膳立てをする、いわゆる官民コ
ラボレーション型であった。2010年代に入って、完全に民間
主導での開発計画が進んでいるのが、ベルビュー市内のス
プリング・ディストリクト(Spring District)である。2021年拡
張予定ライト・レールの、ベルビュー市街地とマイクロソフト
本社との間に位置する駅周辺に、オフィス、住宅、そしてワシ
ントン大学と中国の清華大学がコラボレーションし、マイク
ロソフトが出資するかたちで設立されるGlobal Innovation
Exchange (GIX)という大学施設が建設予定だ。
 大規模開発以外にも、2008年にライトレールのベルビュ
ー市周辺への拡張、ノースゲート地区への拡張が決定され
た後、また特にリーマンショックからの回復が顕著になった
2010年以降は、駅予定地の周辺に中小の開発が進みつつあ
る。これには、2000年代から市が着々と準備してきた、駅周
辺地区のアップ・ゾーンも大きく影響している。
FIGURE 5 LINKライトレールの拡張
開通済
2021年開通予定
2021年開通予定
East Link Expansion
NorthgateExpansion
ExistingCentralLink
7
Column 公営住宅の移り変わりAffordable Housing
アメリカ合衆国内では、ニューディール政策から自治体による公営
住宅開発が積極的に行われるようになり、1940年代から60年代頃に
かけて、いわゆる団地型の公営住宅が数多く開発された。しかし、低
所得世帯、特にアフリカ系アメリカ人住民を囲い込む形となった公
営住宅は、犯罪、麻薬、貧困が蔓延するようになる。また、アメリカ合
衆国では公立学校運営において、税金以外にも保護者や地域からの
募金が必要になる場合が多く、低所得世帯が集まる区域の公立学校
の教育は乏しくなり、低所得者層の子供たちが充分な教育をうけら
れない結果にもつながった。ミズーリ州セントルイスに1956年に完
成し、1972年には爆破解体されることになったプルーイット・アイゴー
(Pruitt-Igoe)は、その顕著な例として有名である。
 低所得世帯のみを囲い込んだ公営住宅への反省から、1990年代
のクリントン政権時代に可決されたHOPE VIプログラムによって、ミッ
クス・インカム(Mixed Income)と呼ばれる低所得世帯向け住宅と一
般販売住宅とを混在させる手法で公営住宅地域が再開発されるよう
になる。官営TODのニューホリー1998年リニューアルは、Hope VIプ
ログラムから補助金をうけたものであった。リニューアルによって、三
分の一が公営住宅、三分の一が一般賃貸住宅、三分の一が一般販売
住宅という構成で再開発された。
 現在も、住宅価格が高騰するシアトル都市圏では、アフォーダブ
ル・ハウジングと呼ばれる低価格住宅や低所得世帯向け補助付き住
宅の拡充が必要であると認識されている。現在の地方自治体の政策
は、民間の住宅開発に税制優遇を与える手法に主軸を置いている。
通常の住宅開発に混在させたアフォーダブル・ハウジングの戸数の
割合に応じて、税金控除や建ぺい率の上乗せを行うなどの手法だ。
5.キング郡の物件供給数管理
物件供給目標と建築可能件数の計算
Land Capacity Calculation
  ワシントン州成長管理条例の核である、都市成長境界線
の維持と適正な改定判断をする上で、大きな役割を果たして
いるのが建築許容地法規(The Buildable Land Statute)であ
る。これは、成長管理条例の条項の一つで、既存の都市成長
地域内で、その内部のゾーニングや建ぺい率制限から、現存
する物件戸数に加えて何件の追加戸数建設が可能かを計算
する方法が規定されるものだ。ピュージェット・サウンド地域
内4郡とサーストン(Thurston)郡、クラーク( Clark)郡の計
6郡は、この規定に基づいて毎年の数値集計、8年毎の数値
分析と査定をすることが義務づけられている。6郡は、郡内
の市と協力しながら数字を確定していく。この数字と、OFM
がコーホ―ト法で推定する人口及び雇用増加推定に基づく
物件供給目標と照らし合わせて、都市成長地域内での必要な
アップゾーンが検討されることになる。これによって、都市成
長境界線の変更を最低限に抑えるという仕組みである。
 建築可能件数の計算方法は複雑であるが、概略すれば、境
界線内の空き地および規定よりも低い建ぺい率で建設され
ている物件を把握した上で、そこに現行もしくは将来的に計
画されるゾーニング・コードと建ぺい率を重ねて、追加で建
設可能な戸数を計算するものである。現行の開発、もしくは
開発許可申請がなされている開発を把握して、既に見込まれ
る増加戸数も把握される。住宅戸数とオフィスの収容可能労
働者数とが分けられて計算される。市は、当計算を専門にす
る職員や、コンサルティングを雇うことになり、そうした人員
は定期的に集まり、情報交換し、計算方法の必要な改定につ
いて話し合うことになっている。
物件情報の管理
キング郡政府は、上記の物件把握と分析義務から、郡内の
物件を綿密にデータ管理している。物件情報は、パーセル
(Parcel)と呼ばれる区画毎にコード化されて管理されてお
り、住所、所有者、建築年、修繕履歴、売買履歴、土地面積と床
面積、過去から現在に至る毎年の固定資産税評価金額(土地
と建物それぞれ)に加えて、ベッド数、眺めの良さ、建物の状
態、物件の外観写真までが記録され、毎年更新されている。
全データは、キング郡政府の審査部ホームページ上で簡単
に閲覧可能であるうえ、GISによるデータ解析のためのエクセ
ル・ファイルのダウンロードも可能になっている。
FIGURE 6 キング郡の建築可能件数表
2014年の報告書に掲載された、市ごとの、供給目標と建築可能数の
比較表。 
8
アーバン・ビレッジ戦略
Urban Village Strategy
 シアトル市は、州の成長管理政策を積極的に受け入れ、
他市と比べてもより前衛的に市独自の成長管理を推進して
いる。1994年に最初に制定されたコンプリヘンシブ・プラン
から現在のそれに至るまで、そのプランの中核になっている
のがアーバン・ビレッジ戦略だ。都市成長に強弱をつけ、戸
建住宅地区や残る緑地はそのままに、ダウンタウンを中心に
する既存の商業地区に集合住宅開発を推進し、ミックス・ユ
ーズの”アーバン・ビレッジ”を形成していこうという戦略だ。
1994年当時、市は、ダウンタウン、キャピタル・ヒル、ユニバー
シティ・ディストリクト、ノースゲイトなどをアーバン・センター
とし、バラード、フリーモント、ノースレイニア、ウェスト・シアト
ル・ジャンクションなどをアーバン・ビレッジに指定した。ア
ーバン・センターではより高密度のオフィス、集合住宅、1階
部分の商用スペースを推進、アーバン・ビレッジは中密度の
集合住宅と1階部分の商用スペースを推奨し、それを具現す
るためのアップ・ゾーニングを行った。
6.シアトル市 のアーバン・ビレッジ戦略と市民参加プログラム
 昨今のシアトル都市圏での建設ラッシュは、全米的な不動
産バブルというマクロ経済的な要因もあるが、この市のアッ
プ・ゾーニングに寄るところも大きい。逆に言えば、1990年代
から準備されてきた政策が、不動産好況によって、ようやく花
開いたとも言える6
。新規不動産開発はアップゾーンされた
地域に集中するため、シアトル市によれば、ここ20年間の市
内の住宅戸数増加と雇用増加の約75%が、市面積の約11%
であるアーバン・センター及びビレッジに集中している。
 シアトル市のこのアーバン・ビレッジ戦略は、オフィスや商
業用途に偏っていた中心都心部に、若年層やリタイア後の高
齢者層を中心にする居住者を呼び戻していった。この戦略
は、中心市街地の再活性、ミックス・ユーズ、職住近接といっ
たニューアーバニズムの思想に沿い、州や郡から下りてくる
人口増加数と住宅供給目標を効率的に吸収し、なおかつ既
存の一戸建て住宅地区の閑静な環境を守り既存住民の権益
を守るという、諸々の条件を満たすものであった。その後、ベ
ルビューやその他の地域内の市も、シアトル市のアーバン・
ビレッジ戦略を真似ていった。
二層の市民参加 – ビジョニングとデザイン・レビュー
Visioning & Design Review
 上記の通り、アップ・ゾーンにより中心市街地の高密度化と
集合住宅建設の推進を進めてきたシアトル市であるが、高密
度化については周辺住民の賛同を得る必要があった。前述
のとおり、州の成長管理条例で「市民参加プログラム」策定の
義務が市に課せられているが、条例には具体的な手法は示
されておらず、反対住民との調整を踏む中でシアトル市独自
の市民参加プログラムが確立されてきている。
 市民参加のプロセスは、大きく分けて、コンプリヘンシブ・
プラン策定のタイミングでおこなわれるビジョニング、そして
実際に不動産開発案件が生じたタイミングで行われるデザ
イン・レビューに分けられる。
 ビジョニングは、都市計画の初期段階に市民の声を反映さ
せようという趣旨のもので、多くの自治体で採用さている。現
在、シアトル市の都市計画課は、VISION2035を、2016年半ば
での市議会決議に向けて動いている。プログラムは2015年5
 州、地域議会、郡のヒエラルキーで降りてくる決定事項を実際に運営し、市民と直接に向き合い声を代弁し、行政サービス
を提供していくのが市になる。市に含まれていないエリアでは、郡がその役割を担う。
月に、市がEIS(Environmental Impact Statement)を市民に
向けて公表するところから公式展開した。EISは、地域議会で
設定される後20年間の住宅戸数と雇用スペースの増加目標
(2035年までに7万戸の住宅と11.5万人の雇用)を吸収しう
る都市成長をどこに生み出すかを市側が提案するものだ。現
状分析をもとにして、複数パターンの成長シナリオが提案さ
れ、各パターンの成長が実際に起こった場合の住環境、自然
環境、交通量などへの影響が分析されて明示される。
 例えばVISION2035の場合、1)現状維持、2)アーバンセン
ターに成長を集中、3)ライトレールが通るアーバン・ビレッ
ジに成長を集中、4)全アーバン・ビレッジの中でバス交通を
含むトランジット・センターを中心に成長を集中、5)4と同
様だがアーバン・ビレッジの境界を更に広げる、の5パターン
が提案された。当提案を出すに至るプロセスでも、既に各コ
ミュニティーの住民団体などとの協議が行われている。EIS原
案が公表されると、文書やインターネットでの意見受付のほ
6)政策と経済要因に加え、若年層の都心回帰への嗜好という社会的な要素も、都心部の開発ラッシュの要因としてあげられる。ミレニアルズ
(Millennials)と呼ばれる、環境問題への意識が一般化した1990年代に子供時代を過ごし、インターネットが普及した2000年代以降に社会人に
なった若者が、これまでの典型的なアメリカ人の消費者行動と異なることが、特にマーケティングの世界などで注目されている。ミレニアルズの
と特徴として、車離れ、郊外や戸建て住宅への拘りの低さが含まれる。
9
かに、複数の住民会議が、各地区やマイノリティー団体
などの単位で開催される。都市計画課には、アウトリー
チ(Outreach)という市民への情報伝達活動を専門にす
る職員が多くいて、彼らが、媒体、インターネット、コミュ
ニティー団体などを媒介しながら、ターゲットとする住民
グループへ市民参加を促す。住民会議は、ラウンド・テー
ブル式のセミナー、オープン・ハウス、オンライン・ディス
カッションなど様々なプログラムが組まれる。住民会議
を経て、市長がコンプリヘンシブ・プラン原案を公表、そ
こから更に住民会議とプラン再提案と、複数の段階を経
て、1年強をかけて市議会決議されることになる。ビジョ
ニングは、市のコンプリヘンシブ・プランに向けてのもの
が市全体規模のものであるが、その他にもネイバーフッ
ドと呼ばれる市内の地域単位でもしばしば行われる。
 デザイン・レビューは、新規不動産開発案件について
の情報を市民に公示して、意見聴取するプログラムだ。
ビジョニングが長期計画に市民が直接参加するシステ
ムだとすれば、これは開発許可の可否という短期計画に
おいて市民参加を可能にするシステムである。州の成長
管理条例によって、市は、開発許可申請の情報を住民に
公示する義務を持つ。実際に、市のホームページ上で、す
べての開発許可申請案件を、その図面やデザインを含め
て確認することができる。これは、個人による戸建住宅建
設以外の殆どすべての開発案件に適応される。申請案件
FIGURE 7 EISで提案されるアーバン・ビレッジ拡張ケース
既存のアーバン・センター、アーバン・ビレッジに加え、パターン4を採
用した場合のアーバン・ビレッジの拡張範囲が示されている。 
は、市の職員によるコードとの整合性がチェックされた後に、
6地域毎に形成されるデザイン・レビュー・ボードによる会議
での審議にかけられる。ボード・メンバーはボランティアで形
成され、地域住民が直接選挙で選ぶ地域住民1名、地元商業
者1名、そして市長推薦と市議会決議で決められる都市デザ
イン専門家1名、不動産開発専門家1名、市民代表者1名と
ゾーニングと土地利用コード
Zoning & Landuse Code
 シアトル市の一般ゾーニングは、商業地(Commercial)、
工業地(Industrial)、低層住宅地(Low-rise)、一戸建て住宅地
(Single-Family)に大きく分けられ、その中でさらに3~6
程のクラス分けがされている。用途区分に加えて、建物の高
さ制限数が重ねられる。例えば、NC3-65 というゾーンであれ
ば、Neighborhood Commercial 3(近隣商業地)で高さ制限
が65フィード(約6階建て)という具合だ。用途の指定と高さ
制限にとどまらず、建築デザインのパターンも詳しく指定さ
れているのがニューアーバニズム志向のゾーニングの特徴
だ。都市デザインと建築専門家が既存の建築パターンを分析
したうえで、なおかつコンプリヘンシブ・プランで定められた
都市成長のビジョンにもとづいて、あるべき新規開発のパタ
ーンを非常に詳しく定めている。例えば、商業地コードなどで
は、駐車場の位置、歩道から店舗内への見通し、上階の居住
者入口の制限幅などまでが指定されている。これは、フォー
ム・ベース・コード(Form-Based Code)と呼ばれるもので、旧
来の用途制限を主体としたゾーニングへの反省から、用途に
ついては複数用途を積極的に許容し、理想的な都市成長を
即するためのデザイン面を重視したコードである。
 商業地のコードの傾向としては、上階部分の住宅用途開発
の促進、1階部分での歩行者むけの店舗使用の義務づけ、歩
道と建物の間の駐車場の禁止、ストリート・ウォールの義務づ
け、歩道と店舗内の視界を確保するためにガラス窓(その他
いう内訳だ。ボード会議に対して、地域住民は、書面やインタ
ーネット経由で陳述をしたり、会議に参加して意見を述べる
ことができる。メンバーは、開発案件のデザインがデザイン・
ガイドラインに沿っているかを見極め、住民の意見を聞きな
がら、必要なデザインの変更を開発業者に向けて指示してい
くことになる。
10
の透明な素材)の幅広い使用を義務づけるなどがあげられ
る。また、建物の高さについては、ダウンタウン以外は、30フィ
ート(約3階建て)上限から160フィート(約16階だて)上限ま
での中層開発が促進されている。
 戸建住宅地のコードについて、シアトル市が郡内の他
の市と比較しても特徴的なのは、バックヤード・コテージ
(Backyard Cottage)と呼ばれる、別棟増築を許容しているこ
とである。アメリカでは、ほとんどの場合、戸建住宅地内の別
棟増築を禁じている。例えば、日本では使用していない庭の
一部に、別棟増築してアパートとして貸し出すなど一般的で
あるが、アメリカ合衆国内の多くの条例はそうした建築を禁
じている。戸建住宅内の環境を守ることが目的であるが、安
価な住宅供給を制限するもので、また中流以上のファミリー
層が暮らす戸建住宅内に、シングル層や戸建住宅購入がで
きない層の世帯を入れたくないといった階層社会を反映し
てきたものだとの批判がある。シアトル市は、安価な住宅供
給を即する目的で、2000年代後半から市の都市計画課が動
き出し、ここ2、3年の間に大幅なバックヤード・コテージ建設
の制限解除を行ってきている。
 なお、こうした一般ゾーニングの他に、オーバーレイ
(Overlay)と呼ばれる特別ゾーニングが、ダウンタウンや歴
史地域(Historic District)に設定される。ダウンタウン・ゾーニ
ングは主として高層開発を許容する内容だ。歴史地域ゾーニ
ングは歴史的建造物の保存と修繕を即する内容であり、パイ
オニア・スクウェア、チャイナタウン・インターナショナルディス
トリクト、パイク・パインなどに設定されている。
デザイン・ガイドライン
Design Guidelines
 フォーム・ベースの土地利用コードは、条例内に定められ
る法規であり、新規開発の許可申請に対して市職員が照らし
合わすための具体的な数字による規定である。それに対し
て、もうすこし主観的な視点から新規開発のデザインの方針
を定めているのが、デザイン・ガイドラインだ。これは、デザ
イン・レビューにおいて判断基準にされる。市の全地域で共
通に規されるものと、各アーバン・ビレッジなどの地域内で
個別に規されるものがある。既存環境の分析(Context and
Site)、公共性(Public Life)、デザイン・コンセプト(Design
Concept)の三章で構成され、地域内のものはその地域個別
のプライオリティーが明示される。
 キャピタル・ヒルのデザイン・ガイドラインを例にとれば、
昼夜において活気ある、歩行者向けの小規模店舗が並ぶ道
並み、歴史的な細かいグリッドを残す区画、文化的な社交が
促進される場であること、公共交通の車交通に対する優位性
などがプライオリティーとされる。そのプライオリティーに沿
うように詳細のデザイン指針が示される。その内容は多様だ
が、物件内の店舗面積や歩道に接する幅を制限する内容、新
しい建物がコンテンポラリーなデザインで設計されつつも
いかに戦前から残る旧建物と調和をとるかを論じる内容など
が特徴的だ。また、箱型の単調なデザインは許容されず、多
様な素材をつかった凹凸のあるデザインが推奨されている。
これによって、街並みに立体的な深みを出す狙いがある。
 こうした市のデザイン・レビューのシステムは1994年から
始まり、これまで1500件以上の新規開発案件がレビューされ
てきた。プログラムは少しづつ改善を重ねつつ現在に至って
いる。デザイン・レビューは、現在、アメリカ合衆国内の多くの
自治体で実施されているが、シアトルのそれは幅広い適応範
囲と市民参加の度合いの高さが特徴であり、同規模の以上の
都市と比較すれば最大規模と言ってもいいかもしれない。
FIGURE 8 都市計画課がまとめた土地利用コードの概略表
商業地ゾーン 低層集合住宅地ゾーン
11
物件供給コントロールとしての都市成長管理
  シアトルと日本の都市の最大の違いは、人口動向だろう。シ
アトル都市圏の都市計画は、急増加する人口と雇用を吸収しう
る追加物件をどこに建設させていくかという問題であり、その点
は人口減少側面にある多くの日本の都市とは異なる。しかし、物
件供給のコントロールという意味合いからすれば、人口減少側
面にある日本の都市にこそ都市成長境界線と物件供給数管理
の組み合わせは応用されるべきものだ。現在のシアトル都市圏
で続く不動産価格の上昇は、都市成長境界線が供給を抑制して
いるからだという批判が多くなされる。逆説的にとれば、現在の
日本の郊外都市や地方都市では、都市成長境界線の積極的な
管理を行うことで、適切な物件価格を維持し、空き家問題などを
解消する可能性を見いだせるかもしれない。
 ワシントン州都市成長条例の傘化で行われている、客観的な
人口動向推定に基づく物件供給数の設定と、その物件増減を、
どこに、どのように行っていくかをコンプリヘンシブ・プラン策定
によって取り決めていくという、群と市の一連の体制は参考すべ
き部分が多いだろう。そしてその意思決定の過程が、利権では
なく、オープンな市民参加を介して取り決められる体制もしかり
である。
7.日本への応用性
 シアトルと日本の都市は、地理的、歴史的、社会経済的な差異
があり、単純な議論は難しい。しかし、だとしても、市民参加の重
視と都市成長を効率的に集中させてスプロールを抑止しようと
いう思想、そしてその思想を具体的な戦略に落とし込んでいる
手法からは、多くを学べるはずである。
  初頭で述べた通り、シアトル都市圏の成長管理体制は、民間
の不動産開発を、地方自治と市民が決めた成長パターンに誘導
していく形態のものだ。それは、北欧などで典型的にみられる、
自治主導や住民共同体で開発を行う形態と異にしている。アメ
リカン・リベラル型と、欧州社会主義型とも言えるかもしれない。
 一方で、現状の日本の都市成長は、多分にマーケットに委ね
られている。シアトルの都市成長管理モデルは、マーケット主導
の開発が、実際の都市成長の原動力になるという点では、日本
と同様だ。その意味で、北欧型よりも、日本の現状に近しい。日本
の自治体が、シアトル都市圏のモデルをより深く認知して、その
応用可能性を考慮する意義は大きいだろう。
  自由経済が重要視されるアメリカ合衆国にあっても、自治体
による不動産開発への介入が一般的なのは、不動産の公共性、
高い外部性から理解されている。また、不動産は、その耐用性、
供給量の価格による調整に時間がかかる点、売り手と買い手の
情報の差、高い取引コストなどから、一般的な消費財と性質を異
にしている。多くの先進国では、そうした理解から、都市の成長
を形づくる不動産開発に対する積極的な介入が一般的になっ
ている。都市成長管理は、人口変動が著しい際にその必要性が
高まるとされ、人口減少側面にある日本の多くの都市において、
積極的な自治体による都市成長管理が望まれる。
 皮肉にもアメリカからの圧力で、2000年に大規模小売店舗法
が廃止されてから、日本でも大型店舗が小規模店が集まる商店
街のマーケットを奪い、特に郊外や地方都市で中心市街地の退
廃がみられるようになった。また、駅周辺などのスーパー・ブロッ
ク開発が、北米や欧州のトレンドに逆行するかのごとく行われて
いる。今の日本のとって、都市成長の方向性を、自治体が住民の
声を聴きながら策定していくことは、急務だと思われる。
 もちろん、管理が行き過ぎる事による弊害もある。必要以上の
コードとデザインレビューが不動産の効率的な供給を阻害する
点や、街並みが単調になってしまうなどという点は批判を受け
やすい部分だ。バランスは必要であり、そのバランスを調整すべ
く、時代背景にあわせて定期的に改善を重ねているシアトルの
モデルは参考になるはずである。
 健全な都市開発の成長管理は、都市景観や日本の美しい田
園・森林風景を保護するのみでなく、エネルギー問題、貧困問
題、震災への防備、治安維持、市民の心身の健康と、諸々の分野
へ繋がっていく。日本の都市計画がより良い方向へ向かうため、
シアトルの都市計画モデルの紹介が役に立つことを望む。
既存物件の情報管理
 なお、そうした成長管理を適正に行う上で欠かせないのが、
現状の物件情報を正確に認識することだろう。その情報が、キン
グ群データベースのように世帯主名や評価金額に至るまで細か
くインターネット公開されるべきか否かは別として、少なくとも、
地方自治が用途別に現存物件を整理して分析し、その分析結果
を市民と共有するようなことがされて良いだろう。そうした情報
があってこそ、将来の適正な成長を計画することができる。また、
既存物件情報の管理は、中古物件の適正な評価を促し、その健
全な流通を促進するものとも考えられる。
デザイン・レビュー
 新たな不動産開発について、その情報を、より早い段階で、可
能なかぎり詳しく、市民へ告知する地方自治の法的義務につい
て、積極的に検討されるべきである。そして、その開発デザイン
が、市民代表と専門家の審査を受けるデザイン・レビューのシス
テムも検討されるべきだろう。特に、歴史的な建造物や街並みを
残す場所においては、新規建設が、旧建築物にいかに調和して
デザインされるべきかを、デザイン専門家、歴史家、そして市民
代表の協議で熟慮されるプロセスが必要になるだろう。
12
文献
•	 	 Goldfield, D. (2007). Encyclopedia of American urban history (A Sage reference publication). Thousand Oaks: Sage Publications.
•	 	 Jackson, K. (1985). Crabgrass frontier : The suburbanization of the United States. New York: Oxford University Press.
•	 	 Jacobs, J. (1992). The death and life of great American cities (Vintage Books ed.). New York: Vintage Books.
参考資料
•	 	 Washington State Legislature Chapter 36.70A RCW : GROWTH MANAGEMENT
	 http://apps.leg.wa.gov/rcw/default.aspx?cite=36.70A
•	 	 The Washington State Growth Management Act with Application for the Central Puget Sound Region
	 http://www.psrc.org/assets/2428/gma.pdf?processed=true
•	 	 Puget Sound Regional Council - VISION2040 (Adapted April 2008)
	 http://www.psrc.org/growth/vision2040/
•	 	 Puget Sound Regional Council - Transportation 2040 (May 2010)
	 http://www.psrc.org/transportation/t2040/
•	 	 Puget Sound Regional Economic Strategy (July 2012)
	 http://www.psrc.org/econdev/res/
•	 	 The King County Buildable lands Report 2014
	 http://www.kingcounty.gov/~/media/depts/executive/performance-strategy-budget/regional-planning/buildable-lands-report/	
	 king-county-buildable-lands-report-2014.ashx?la=en
•	 	 King County Departmnet of Assessment - eReal Property web site
	 http://blue.kingcounty.com/Assessor/eRealProperty
•	 	 Draft Environmental Impact Statement for The Seattle Comprehensive Update (May 2015)
	 http://www.seattle.gov/dpd/cs/groups/pan/@pan/documents/web_informational/p2273574.pdf
•	 	 City of Seattle A Comprehensive Plan for Managing Growth 2015-2035 (Draft of July 2015)
	 http://www.seattle.gov/dpd/cs/groups/pan/@pan/documents/web_informational/p2294968.pdf
•	 	 City of Seattle Design Guideline (December 2013)
	 http://www.seattle.gov/DPD/cs/groups/pan/@pan/documents/web_informational/p2402708.pdf
•	 	 Capitol Hill Neighborhood Design Guidelines (Revised 2013, Adapted 2005)
	 http://www.seattle.gov/DPD/cs/groups/pan/@pan/documents/web_informational/p2402701.pdf
•	 	 Municipal Research and Services Center (MRSC) web site
	 http://mrsc.org

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