陸遜の火攻め、劉備軍夷陵に敗れる
- 2. 第 63 集 火焼連営(陸遜、劉備の陣を焼く)2009.9.19 更新
―「3 時間で」第 66、67 話参照
チャプター① 呉から送り返された范彊と張達を殺し、父の仇を討つ張苞~
チャプター② 程秉が孫権に「劉備は和睦に応じようとしません」と告げる~
チャプター③ 呉のベテラン武将・韓当、大都督になったのが陸遜だと聞き、馬鹿にする~
チャプター④ 劉備の陣形を馬良から伝え聞いた孔明、陣形を変えるよう馬良を急ぎ彛陵に戻らせ
る~
チャプター⑤ 呉の攻撃によって焼き尽くされる劉備陣営~
~「陛下!」と口々に叫びながらひざまずく人々の中、白帝城に敗走する劉備と兵
士たち。
本第 63 集のあらすじは以下の通り(1→6):
1破竹の勢いで呉に攻め込もうとする劉備軍に恐れをなした孫権、和睦を結ぼうと、「張飛を殺し
た范彊と張達および張飛自身の首」を差し出し、しかも荊州の土地と連れ戻した孫夫人も返すと
劉備に伝える。しかし、劉備の孫権に対する怒りは収まらず、徹底交戦を主張。
2劉備軍に対抗するため、孫権は「学者肌であるが謀略に長けた陸遜」を大都督に起用。陸遜は持
久戦に持ち込むことにより劉備軍の士気を衰えさせ、その機に乗じて総攻撃をかける作戦を考え
る。が、部下のベテラン武将たちは戦闘意欲旺盛で、持久策が気に入らない。そして陸遜の都督
としての器量に疑いを抱き、ことごとく反対する。しかし、ある時陸遜が劉備の伏兵の居場所を
発見。それにより少し陸遜を見直すようになる。
3一方、劉備も知名度の低い陸遜を馬鹿にするが、呉軍が陸遜の指令通り陣に篭もり、戦闘が中断
されたことに苛立ちをおぼえる。そうしているうちに夏が来て、飲み水の確保が難しくなったた
め、劉備は自陣を川辺の木陰に移動させる。
4陣の位置と形に不安を覚えた劉備の参謀・馬良は、その時漢中にいた孔明にその事を告げに行く。
馬良が孔明に見せた劉備陣の地図
(小さな半円が劉備陣のテントか?)
- 4. 6陸遜は白帝城に逃げた劉備を追撃。しかしその道中、魚腹浦という所で孔明のしいた石陣(八陣
図)に翻弄され、
孔 明
が 作
っ た
石陣
野垂れ死にする寸前に孔明の舅である黄承彦に救われる。結局、陸遜はそれ以上追撃せずに呉に
引き返す。
今回の対呉戦(彛陵の戦い)で劉備は陸遜軍に敗れた。その敗因は何か?
ひとつには高齢(62才)の劉備が遠征に疲れ、陸遜の持久戦により士気も衰えさせられたこと。も
う一つは、孔明が指摘する通り、劉備の陣(戦時に野宿するためのテント)を張る位置に問題があっ
たことだ。
孔明曰く“包原隰険阻而結営、此乃兵家之大忌(草木の茂る場所、高所、低湿地、崖に陣を張るの
は兵法ではタブーである)”
劉備はこのタブーの第一である“包(草木の茂る場所)”に陣を張ってしまったのだ。まさに火攻
めを企む陸遜の罠にはまったと言えよう。