諸葛亮、周喩、火花散る智の攻防
- 2. 第 32 集 周瑜空設計(周瑜の計略、ことごとく失敗)2009.6.10 更新
―「3 時間で~」第 37 話参照
チャプター① 孫権と諸参謀たち、先ず大広間に入る~
チャプター② 皆が座った後、周瑜が入ってくる~
チャプター③ 周瑜、魯粛を伴って孔明の宿舎を訪ねる~
チャプター④ 周瑜の招きを受けた劉備、関羽を伴って船で周瑜のもとへ~
~孔明に見送られ、関羽と共に船に乗る劉備。手を振る孔明。
③孔明の読みの深さに驚愕する周瑜。今は曹操という共通の敵を有する味方だからよいも
のの、将来敵に回れば勝ち目はない。そうふんだ周瑜は、曹操の手を借りて孔明を討とう
と、孔明に曹操の兵糧置き場襲撃を命じる。それに対し孔明は一旦承知したふりをし、そ
の後、孔明の身を案じてやってきた魯粛を巧みに利用し、その話を無かったものにしてし
まうという筋書き。
さて、ここで孔明が利用したものが、江南で歌われていた歌謡(楽器伴奏を伴わない民謡)
である。内容は次の通り:
伏路把関饒子敬、臨江水戦有周郎(関所を守るは魯粛殿、水上戦には周瑜あり)
日本語に訳してしまえば何のこともない意味。なぜこれが歌謡(一種の詩歌)になったかと
言えば、この歌の一部が同じ音程でそろえられており、テンポがよいのである。具体的に
言えば、第一句 5 文字目の饒と第二句 5 文字目の有が、発音はそれぞれ、ラオとヨウで全
然違うのだが、音の高低(中国語では声調という)が共に低く抑えられた音声(第3声)なの
だ。だから日本語に訳して面白くなくても、中国音で発音すればそれなりの価値がある。