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こもゆうチーム活動報告書Vol.2
- 2. ごあいさつ
はじ め に
日本中に大きなダメージを与えた東日本大震災から10カ月が経ちました。4月頭にスター した、
ト こもゆうチー
ムの活動も9カ月経過したことになります。その間、40人のメンバーが石巻を訪れ、 のボランティ
多く ア仲間と協
力しながら泥出し、瓦礫撤去等を行ってきました。
GW以降はチームの活動拠点を宮城県石巻市牡鹿半島の大原浜地区に定め、月2、3回ペースで訪れてい
ます。いつも地域の方に温かく受け入れていただき、共同での作業や夜の宴会など楽しく交流させていただい
ています。10月に新宿で開催した「こもゆうチーム 第2回交流会」には、牡鹿半島の3人の若者が参加して会
を盛り上げてく した。
れま
夏以降、原発・放射能関連を除けば、震災に関する報道は極端に少なく ま
なり した。東京にいると、震災は遠
い国のどこかで、遠い昔に起こったもののように感じてしまいます。しかし、被災された地域に行くと復興にはま
だ遠く 決して震災は終わったわけではないことを実感します。
、 そんな被災地の現状、被災された方の声を身近
にいる人たちに伝えていくことは、毎週のように現地を訪れている私たちの責任であると感じています。
この活動報告書は、 の方に
多く 「大原浜の今」を知ってもらいたい、という思いから作成したものです。活動
レポートでは、実際に石巻を訪れたメンバーが感じた思いを綴っています。この報告書を手にした方が3・11の
気持ちを思い出し、もう一度被災地に思いを馳せていただけれ
ば、こんなに嬉しいことはありません。
最後になり したが、
ま この報告書の発行にあたりご協力頂きま
した吉村さん、やっさん、てきやさん、ちせちゃん。そして、石森
区長様、阿部副区長様はじめ大原浜地区のみなさん。さらに、
今までこもゆうチームと一緒に活動してくださった全ての方に、こ
の場を借りて心より御礼申し上げます。
も くじ
ごあいさつ 2
ご紹介 4
こもゆうチーム 活動記録(2011年7月〜12月) 6
活動レポー (一部チーム掲示板より抜粋)
ト 8
つながる絆・広がる活動の場 12
今後の展望 13
ご支援のお願い・お問い合わせ 14
2
- 3. こもゆうチームとは…
4月最初の週、災害ボランティアのために石巻に踏み入った小森・倉島夫妻。
「人手が足りない」と痛感したふた
りが友人・知人へと呼びかけたところから、こもゆうチームは始ま ま
り した。
夫妻の呼びかけを受けて「東北のために何かしたい」と手をあげた仲間たちは、 ミ
口コ で徐々に増え始め、9カ月
経った現在ではのべ120人を超すグループとなっています。吉村誠司さん*1やヒューマンシールド神戸サポートチー
ム*2のご指導のもと、リーダー小森を中心に、メンバーが代わる代わる月2、3回ペースで石巻に入り、活動を継続
してきました。
メンバーは災害ボランティア初心者がほとんど。技術や資格を持つ人も少なく、瓦礫の撤去に重要な重機も動か
すことはできません。しかし、現地では人の手でなければできないことがたくさんあります。これまでに、家屋や庭の
泥出しや清掃、家具の搬出、家財整理、漁具の回収、狭い場所の瓦礫の撤去、救援物資の仕分けなど、人の手を
必要とする場所で作業を続けてきました。
5 り継続的に訪問している牡鹿半島大原浜では、
月よ 現地の方とともに作業を行い、夜はともに卓を囲んで、 り
よ
親しい交流を続けさせていただいています。泥出しや瓦礫撤去だけでなく、地元で大切にされている神社の修復の
お手伝いなど、貴重な経験をさせていただいています。地元の方の温かい人柄に触れるにつけ「また大原浜を訪
れたい」と次の活動を心待ちにしているメンバーも多く、大原浜との出会いがチームの継続的活動の大きな励みと
なっています。地区災害対策本部長である石森区長様をはじめ、大原浜のみなさんの寛大な受け入れに感謝し、
今後も変わらぬ交流を続けさせていただきたいと考えています。
「自分にできることを、自分にできる範囲で」というのがこもゆうチームの基本的なスタンスです。行ける人が行
けるときに現地に赴き、自分の力でできることを行う。私たちにできることは本当にわずかなことばかりで、復興に直
接つながるような大きなプロジェク を動か
ト
◀チームの愛車は「グランビア号」
すことはできません。しかし、チーム員ひとり
▼こ う
もゆ チームのロゴマーク
ひとりの小さな積み重ねが、微小ながらも
現地の方々の元気につながることを願い、
活動を続けています。
*1、*2はP.4を参照ください。
こもゆうチームの 活 動 の 流 れ 例 )
(
基本的には金曜の夜、仕事が終わった後に集合。車で現地に向かい、土日で活動をします。
1日目 21 00
: 2日目 朝方 8 30
: 16 00
: 18 00
:
(金曜日) 三鷹集合 出発
・ (土曜日) 現地着 仮眠
・ 作業開始 作業終了 食事 交流会
・
3日目 7 00
: 8 30
: 10 00
: 18 00
:
(日曜日) 起床 作業 掃除
・ 現地出発 三鷹着 解散
・
3
- 4. ご紹介
吉村誠司さんとは…(*1)
ューマンシール
「ヒ ド神戸」
「ボランティア支援ベース絆」など、災害支援団体を立ち上げて活動を り広げる吉村さん。
く 阪神
大震災や中越地震、四川大地震など、災害が起これば国内外問わず現地に駆けつけて支援活動を最前線で行う、災害支援
のプロフ ッ ョ
ェ シ ナルです。東日本大震災の当日夜には現地に出動し、現在も石巻周辺でパワフルに活動を続けています。牡鹿
半島の支援にもいち早く ミ ト 現地の人々からは
コ ッ し、 「お助けマンの“助さん” と親しみをこめて呼ばれています。
」
吉村さんはこもゆうチーム発起人の倉島ひろみの大学の先輩でもあり、彼の呼びかけにより小森・倉島夫妻が現地入りしま
した。 り こ
つま は、 もゆうチーム結成のそもそものきっかけとなった人物といえます。
吉村誠司氏ブログ 「ヒューマンシール
: ド神戸」Just another WordPress.com▶▶ http://williamseiji.wordpress.com/
吉 村 誠 司さんより ヒューマンシールド神戸・ボランティア支援ベース絆 両代表
「こもゆうチームへの思い…」 鹿半島の大原浜に通い続けて、今は週
3月11日後、いつの間にか、常に最前線の現場に入って れ
く 末にチームがいるのが“自然”
と思われ、
ていた もゆうチーム」 娘を亡く
「こ 。 した石巻市職員の方の家で 信頼される存在となっている。今後、大原の曳き起された神社
の泥だし作業は、特に心に残っている。不眠不休で動き続けて の再建や古民家、蔵の再生へ住民と共に作業できることを夢
いた市職員や社協の方々の家々は、取り残されるように泥や瓦 見ている。また、7月の新潟福島豪雨災害でも泥に埋まった金
礫が残されていて、その方も娘を亡くした悲しみと共に、放心状 山町に応援に入って大汗で作業して れたこ も印象深い。
く と
態だった。チームはその現場に入ってくれて、完璧に作業を終 現場を重ねるこもゆうの体型がキン肉マンになっている事実
え、その後も「元気ですか 」
? と訪ねてくれている。その後、牡 がこの9か月の苦労の証明だろ あ がとう こ
う。 り ! もゆうチーム!
ヒューマンシールド神戸サポートチームとは…(*2)
吉村誠司氏の活動のサポー や被災地の復興支援を目的と
ト して発足したチームで、彼が大学在籍中に設立した「Asia Open
Eyes 以下AOE) というサークルのOBを中心に構成されています。
( 」 AOEの活動はワークキャンプ型の国際交流サークルで、
フリ
ィ ピンやマレーシア、 リ
ス ランカでのホームステイを通して、現地の人々と交流するこ を目的と
と していました。残念ながら現在
サークルは活動していませんが、OBは世代を越えて未だに連絡を取り合う仲です。倉島ひろみを始め、 もゆうチームにもAOE
こ
出身者が多くいます。AOE出身者のつながりは強く NPOなど大きな団体に所属しない吉村さんをAOEのOBたちは金銭や人
、
力でサポー し続けています。
ト 今回の震災時にも翌日から被災地に入り活動を始めた彼から、AOEに応援要請があったことから
「ヒューマンシールド神戸サポー チーム」
ト が始ま ま
り した。現在、AOE創設時のメンバーの一人である
安岡裕高さんが中心とな 吉村さんの活動サポー
り、 トのほか、災害や復興に関する情報の発信を続け
ています。 「ヒューマンシールド神戸サポートチーム」ブログ ▶▶ http://aoesupport.exblog.jp/
やっさん(安岡 裕高さん)より ヒューマンシールド神戸サポートチーム事務局
「い・ ・つ・づ・ ・ ・ ・
き け る こ と」 ムが早朝に到着する事を待っている人がいます。こもゆうチー
3月11日の震災の被害の収束も見えない4月の初めから「こ ムが被災地に行き続けるこ ただそれだけの事が石巻大原の
と、
もゆうチーム」は毎週のように石巻に行き続けています。 もゆ
こ 人たちに生き続ける思いを与えているかもしれません。You'll
うチームのメンバーは災害ボランテ アの経験も少な 、
ィ く 特別な never walk alone.人は決して一人では生きているのではな
作業技術も持っていません。ただ、何か力にな たいという思い
り い。この言葉の意味する事を、あなた達が成しえている事に感
だけで、
自費を使い車をシ して、
ェア この12月まで週末休日限定 謝しています。
で石巻に向かって れています。
く 手作業でできる範囲の活動と この先は、生活のための復興支援という難しいステージに向
夜の懇親宴会をしているだけのようにも見えますが、被災地に かいます。こもゆうチームに参加している個人個人にはそれぞ
行き続けて れる事が、
く どれだけ石巻大原の人々の心に力を与 れの考え方があるとは思いますが、みんなは会わなくてもすん
えているか、
その報告を見ていれば良く り
わか ます。 だ人達に大原で会って った事である種の使命を感じてほ
しま し
冬を迎えた今、被災地に漂っているのは、自分達は忘れ去ら いと思います。なぜ自分がここにいて、何をするべきなのか。そ
れて ったのではないかという寂寥感だと思います。
しま かつては れを忘れずに考えるためには、あの人たちの笑顔に会いに、大
生活の場であった所の瓦礫が片付き、何もな なって った更
く しま 原に行き続けて ださい。
く そのために、何か必要な事があ ま
り し
地に寒い冬の風が吹きすさぶ中、車に乗り込んだこもゆうチー たら、サポー チームは全力で手助け
ト します。
4
- 5. 牡鹿半島・大原浜
■ 大原浜の風土
大原浜は宮城県から太平洋に向かって突き出した牡
鹿半島(石巻市)の南西部にあります。集落の西側は太
平洋に面し、東側は山に囲まれた自然豊かな場所で内
陸の山中には鷹や鹿が棲息しています。
昔から豊かな漁場で知られ、交通の要所だったことも
▲震災後の大原浜全景(2011年7月撮影)
あって古くから栄えていたそうです。歴史的に縁のある
場所も多く 伊達政宗が鹿狩りのための御仮屋
、 (別荘) インが断絶したなか、残った消火栓を使って山から沢の
を大原に置いたという記録があります。ほかにも石森城 水を引き、食料や衣類、布団や暖房器具は津波を免れ
や中沢館などの史跡が残っています。 た家や瓦礫のなかから探し出し、みなで分け合って使っ
震災直前は70世帯あまりが暮らすこじんま と
り した集 たそうです。
落で、 ・ 日顔が見えない住民がいると心配になるよう
23 避難所は 月に解散し、
4 8月になって仮設住宅が建設
な、集落全体がひと されましたが、市街地や石巻市外に避難した方も多く、
牡
鹿
つの家族のように暮 大原浜に留まった家庭は震災前の半分の35世帯。集落
半
島 らしていました。住民 存続の危機に面しています。
のみなさんの温かな
宮 大原浜
城 人柄があらわれた、 ■ 復興に向けて
県
のんびりとした雰囲 陸の孤島と化した半島の復旧が遅れるなか、住民の
気が魅力です。 みなさんは大原浜で生活するために懸命に闘いを続け
ています。大原浜地区災害対策本部を生活センター
(集
■ 震災の被害 会所)に設置し、ボランティアや救援物資の受け入れを
3月11日の東日本大震災によ 大原浜は深刻な被害
り、 行いながら、残った家屋の瓦礫撤去や修復、道や防波
を受けました。大きな揺れに昔ながらの家屋は崩壊、何 堤の応急処置などを行ってきました。
度も引いては襲ってくる津波に約50軒の家屋や建物が なかでも、 から大原浜の守り神と
古く して心の拠り所し
流出、波にのまれて2人の方が亡く り した。
な ま てきた三熊野神社の再建には、大原浜の復興の大きな
住民のみなさんは高台にある小学校とお寺に避難し、 一歩として、夏の祭開催に向けて地道な修復作業を続
身を寄せ合って カ月間共同生活を送り した。
1 ま ライフラ けています。
石森 彦一さん・大原浜地区長(写真左) 阿部 武和さん・副区長(写真右)より
月の最終週にな 初めて吉村誠司さん達ボランテ ア
4 り、 ィ のインフラの復旧が
が入るようにな ま
り した。現在では何度も訪れてくれる方が されていないところ
増え、大原浜も少しずつ活気を取り戻してお ます。
り も多く目立ちます。
しかしながら、震災前から大原浜は過疎の問題を抱えて 側溝掃除や路地
お ます。
り 豊富な資源に恵まれているのにも関わらず、大原 のがれき撤去など、
浜には漁師が少なく跡を継ぐ若者もいません。そこに今回 細かい作業もた さんあ ます。 もゆうチームをは
く り こ じめボラ
の震災で、漁業だけでな 水産加工業や林業まで大打撃を
く ンテ アの皆さんのお力をお貸しいただければと思います。
ィ
受けました。被災した住民の集団移転の問題や、道路など これから ご支援のほど宜し お願い申
も く し上げます。
※この記事は石森区長・阿部副区長へのイ ビュー
ンタ を元に作成 ま
し した。 取材編集協力・写真提供 堀越千世
:
5
- 6. こもゆうチーム 活動記録(2011年7月〜12月)
主な活動場所と内容
5 り継続的に訪れている大原浜を拠点と
月よ して活動しています。現地では、人の手でないと作業のむずかし
い側溝の泥出し・清掃や個人宅の家財道具の運搬などを行いました。また、大原浜で大切にされている三熊野
神社や大原浜の方と縁も深い谷川浜・洞福寺での作業なども経験させていただきました。
8月の大豪雨で被害のあった福島県金山町に救援に向かうなど、活動の場を広げているメンバーもいます。
※期間/活動場所/参加人数/活動内容の順
7月8日~7月10日
大原浜
5人
側溝の瓦礫撤去・清掃
7月15〜7月18日
5人
大原浜・谷川浜・小渕浜
個人宅の瓦礫撤去・片付け、洞福寺敷地内の
池の泥出し、沢の浚渫
7月29日~7月31日
6人
谷川浜
洞福寺敷地内で仮設テント倉庫内の片付け・
清掃、池の泥出し、側溝の泥出し
8月5日~8月7日
2人
福島県金山町
大豪雨被害のあった金山町にて、個人宅の泥出し
8月19日~8月21日
6人
大原浜
浜の清掃、三熊野神社石段修復作業
9月2日~9月4日
4人
大原浜
側溝の泥出し・清掃、郵便局内家財撤去・運搬
9月9日~9月11日
5人
大原浜
個人敷地内の瓦礫撤去・清掃
6
- 7. チーム員のバックグラウンド ※現地活動参加者31名より集計
性別 出身地 年齢 職業
30∼34歳 12人
女性 その他 会社員 13人
男性 20人 東京 23人 35∼39歳 7人
11人 8人 自営業 8人
40∼44歳 4人
宮城 秋田 長野 神奈川 千葉 山梨
・ ・ ・ ・ ・ 学生 5人
20∼24歳 3人
結婚 所在地 45∼49歳 2人 その他 3人
25∼29歳 1人
派遣社員 1人
既婚 その他 50∼54歳 1人
未婚 23人 東京 25人
8人 6人 60∼64歳 1人 アルバイト 1人
宮城 神奈川 埼玉 千葉 山梨 海外
・ ・ ・ ・ ・
9月22日~9月25日
4人
大原浜
個人敷地内側溝の泥出し・清掃
10月7日~10月10日
4人
大原浜
側溝の泥出し・清掃
10月21日~10月23日
6人
大原浜
側溝の泥出し・清掃、仮設住宅訪問
10月28日~10月30日
3人
大原浜
個人宅の屋根瓦降ろし・運搬
11月11日~11月13日
4人
築館
個人宅の家財道具運び出し・清掃
11月18日~11月20日
6人
築館
個人宅の家財道具運び出し・清掃
9月16〜9月18日
1人
大原浜
学区民合同運動会参加
● 7月〜12月の参加のべ人数 61人
: (内女性38人)
● 4月からの参加のべ人数 124人
: (内女性69人)
7
- 8. 活動レポー (一部チーム掲示板より抜粋)
ト
故郷の悲劇に思うこと——こもゆうチームに参加して
期間 2011年7月15日〜 18日
: 場所 谷川浜・大原浜・小渕浜
: 活動内容:沢の浚渫、池の掃除、個人宅の瓦礫撤去など
今も昨日のことのように思い出します。3月11日、仕事 うチーム最大の利点は、継続して大原に入り続けること
中に起こった大きな揺れに混乱しながらも、誰かの「震 で地元の方との絆が生まれていること、また、参加者を
源地、東北だって」という声に、背筋が凍りつくのが分か 幅広く受け入れているため、様々な立場や考えの人が参
り した。
ま 東京の揺れから考えて、ただ事ではない。急い 加しやすいことだと思っています。
でテレビをつけると、現実とは信じがたい、街中が津波に 震災から9か月。日々風化が進むなか、被災地を思い
飲まれていく映像が流れていました。私が高校卒業まで 続けられる人を増やすことが、数回だけでも現地で作業
の18年間を過ごしてきた宮城には、両親や親戚、友達 をした私の責任である気がしています。足を運ばなけれ
などが暮らしています。幸い私の大切な人たちの命は助 ば気づけなかった風景、被災された方から直接聞いたお
かり したが、
ま 故郷の目もあてられない状況に、ただ戸惑 話を伝え続け、
「まだ終わっていない」と1人でも多くの
い、 どか
も しさを募らせる日々が続きました。 人に知ってもらうことで、 で
遠く
自分は、 したらいいのか。
何を その答えが分からないま 苦しんでいる人たちを思いやれ
ま、分からないからこそ、私は現地で何か作業がしたい る人が少しでも増えればと思い
と思いました。 ・6月に個人で岩沼に入り、
5月 7月にこも ます。そんな小さな力でも、復
ゆうチームとして大原に入り した。
ま 個人、集団で動くそ 興に向けての光になるはずだと
れぞれのメ ッ デメ ッ はあるかと思いますが、
リ ト、 リ ト こもゆ 信じています。 (吉田麻衣子)
「素人集団」としてのひとつの在り方
期間 2011年7月29日〜 31日
: 場所 大原浜 谷川浜
: ・ 活動内容 側溝の泥出し 清掃
: ・
今回の遠征で一番驚いたことは、大原の方たちとこも 人の力が絶対に必要」「縛られた ない、
、 く 自由がいい」、
ゆうチームとの間に完全に信頼関係が出来ていることで 「素人集団でいい」等のコメン と、
ト これらのことに対し
した。大原の方たちにあまりにも良くしてもらって申し訳 て「甘いのかなぁ」と書かれていましたが、 ゃあ、
そり プ
ないくらいでしたが、でもそれって、チームの皆さんひとり ロの集団から見たら甘いんでし う。
ょ でも別に甘くていい
ひとりが、大原の方たちにとって確かな力になっている証 じゃん。こんなに多くのメンバーが集ま 継続して現地
り、
なんだろうと思います。 に入れるのも、また、大原の方たちの信頼を得ているの
それと、大原の青年が震災発生時とその後の事を赤 も、そういう風にリーダーやサブリーダーをはじめ、メン
裸々に語ってくれたことがとても心に残っています。地元 バーひとりひとりがこのチームを作ってきてくれたおかげ
には同年代の人がおらず、思いの丈を打ち明ける相手も でし う。 からには、
ょ 行く ほんの少しであれ現地の力にな
いないとのことでした。彼に限らず、地元の方の話に耳 りたい。どうせ行くのであれば、我々を必要としてくれる
を傾ける、共感するってだけで、何かの助けに繋がるん 人のために何かしたい。自分たちの出来る範囲で継続的
じゃないかなぁ…っていうとさすがに甘すぎですかね。 に活動することを考えたとき、 ういいよ」
「も って言われる
最後に、こもゆうチームの今後の事について、私なり まで、とことん大原にコ ッ
ミ トするというのも、ひとつの在
の考えを僭越ながら。 り方として絶対に間違いないと、そう思います。
今までのリーダーの投稿に、
「重機も必要だが、結局 (成田裕樹)
8
- 9. 大好きな大原浜との“縁”を大切にしていきたい
期間 2011年8月19日〜 21日
: 場所 大原浜
: 活動内容 浜の清掃 三熊野神社石段修復
: ・
大原浜の地元の方たちと、浜の清掃と三熊野神社の 「鎮守様 修復へ住民一丸」 地元の皆様の心のよ ど
。 り
石段の修復のお手伝いを致しました。遠めで見るときれ ころである神社の復旧作業に少し携わり、来年の7月の
いな海でしたが、浜におりると布団や衣類が木にぶら下 お祭りにはなんとかしたいという言葉に、これからもお手
がっていたり、お店の看板や生活雑貨、たたみが転がっ 伝いすることがあればしたい、そしてお祭りの開催を実
たりしていました。それらを回収してまとめて燃やしてい 際にこの目で見たいと強く思うようにな ま
り した。
きました。 また、単なる活動場所や地元の方たちではなく「好き
、
午後は三熊野神社の石段の修復のお手伝いを致し になった大原浜と大
ました。みんな一緒に汗をかき、休憩中も冗談を交えな 原の皆さん」になりま
がらお話していました。一日の作業を通して、 と地元
ずっ した。3ヶ月経った今
の方と一緒だったことで、作業の経過と成果も大切です ではより一 層の親し
が、地元の方との交流ができたことがとても嬉し 心に残
く みを感じています。こ
り した。
ま の縁を大 切にし、今
神社の作業中に聞きました「神輿を担いで海へ飛 後もつなげていこうと
び込む夏のお祭り。今年はできなかったけど来年でき 思います。
たら」 それから3ヶ月近く
。 経って讀賣新聞に掲載された (三谷倫子)
地元の方との温かい交流と共同作業の楽しさ
期間 2011年10月7日〜 10日
: 場所 大原浜
: 活動内容 側溝の泥出し 清掃
: ・
今回の活動は連休2日間、側溝三昧でした。地元のO をしたのですが、逆にそれ以上の感謝をされてしまい、
さんの力を借り 側溝の蓋をガンガン開けても
て、 らい、台 電話でお話する度にお礼を言われて っています。
しま
風によりみっちり埋まった側溝の泥出しをどんどんやりま 先日、Oさんが電話で、
「今度はこんなことをやりたい」
した。Oさんはいつも「一緒にやるのが楽しいんだ」と率 と提案してく した。
れま 今後もずっと一緒にやっていきた
先して作業に参加してくれています。しかも、今回は二日 いという気持ちが伝わってきて、じんわりと感動してしま
目に、Oさんの長男Kちゃんまで来てく した。
れま Kちゃん いました。ここまで深く交流ができるようになったのは、
は側溝の泥出し作業をやるのは初めてだったそうです。 チームがずっと大原に行き続けたからこそなのかな、と
Kちゃんもものすごく楽しそうに、作業に加わってく し
れま 思います。
た。Kちゃんは新宿でやったこもゆうチームの交流会にも 大原の方たちと一緒に飲んで話すのはとても楽しいの
参加して れま
く した。誘ったら、
「行きたい」と二つ返事で ですが、それ以上に一緒に
快諾して れたんです。
く 作業するのが楽しいです。こ
Oさんご一家には日頃本 れは別格です。これからも大
当にお世話になっているの 原の方たちと楽しみながら、
で、後日、感謝の気持ちを込 作業を続けていけたらな、と
めてOさんの還暦のお祝い 思っています。(丸山麗子)
9
- 10. 活動レポー (一部チーム掲示板より抜粋)
ト
念願のこもゆうチームの活動に参加して
期間 2011年10月21日〜 15日
: 場所 大原浜
: 活動内容 側溝の泥出し 清掃、
: ・ 仮設住宅訪問
私はこもゆうチームのリーダー・小森の中学校時代か と一緒に回ったため、スムースに回ることができました。
らの友人で、小森が活動を始めて以来、参加したい意 これもチームが築いてきたものがあってこそで ょ
し う。
思は持ちつつ、ラオス在住ということからそれも叶わず、 一点強く感じたのが、
「若い人が来るって本当にいい
10月22、23日に初参加を果たした、という経緯がありま んだろうな」ということでした。30代など、一般的に見て
す。それまでML
(掲示板)で活動を追っていたわけです とても若い、というわけではない人でも、大原のような過
が、どんどんと個性的なキャラクターの人たちが登場し、 疎の村からみたら若者であり、やはり賑やかだ 華やか
し、
そして活動の様子も、作業の報告から飲み会での様々 だ 活気づく
し、 のだと思います。そういうわけで、特に若
な出来事や、現地の人々との交流に重点がシフ してい
ト い人たちに、
「大原に行こう あなたが来るだけで、
! 大
くのを逐一見守りつつ、撤退はどうするのだろうか、など 原は少し明る なる 」
く ! と呼びかけたい感じです。
色々なことを考えてもいました。
ただ、作業については、語弊を恐れずに言えばそれほ
以下は、実際に参加した際の感想です。 ど期待されていないという感があります。こもゆうチーム
当日は見送りの方が4名いて、チームの結束を感じま が来ることを楽しみにしており、切実に「ここでこういう
した。到着しての作業は側溝の掃除でしたが、雨もあり 作業をしてく という感じではないでし う。 し、
れ」 ょ ただ も
作業量(時間)はあまり多くなかったのですが、けっこう ちろんやることは沢山ありますし、
「作業に行く」という
きつかったです。普段ラオスで運動はしているのですが、 基本は変わりませんが。
腰を落として側溝を持ち 最後に、今後について。私から見ると、なるようになる
上げる作業は日常の運動 だけだと思います。いつかチームの足も遠のき寂しく思
で経験するものではなく、 う日も来るかも知れませんが、大原のみなさんは人生経
帰京後もしばらく太ももが 験豊かな大人たちですから、そういうことはきっと分かっ
張っていました。雨の中作 ているで ょ 「だったら初めから来ないほうが良かった
し う。
業をしていると、地元の方 のか 」
? と聞かれれば、
「そんなことはない、 く
来て れて良
に「ボランティアに風邪ひ かった」と言ってもらえるだけの関係になっていると思い
かせたら、大原の笑いも ます。そしてその関係は、作業を一生懸命やる、という
のになる」と言われ、撤収 基本は持ちながら、その後の人間関係の変化などは自
しました。元々区長さんなども「今日は作業はいいんじゃ 然の流れに任せ、
「行きたいから行く というある意味ボ
」
ない」と言っており、私たちは「これくらいの雨大丈夫で ランティアの大原則に忠実に則って活動してきたことに
すよ」と繰り出したという経緯でした。別にその方が本 あるのではないかと思います。 (平野将人)
当に怒っていたわけではなく 私たちを心配して言ってく
、
れのだと思いますが、
「あーでも田舎ではそういう周りの
目って本当に気にするのかもなー」 都会育ちの私に
と、
はち っ
ょ と勉強になった ? 一件でした。
( ) それはそれとし
て、雨の中もみなさんよ 働いており、
く イキイキとしていま
した。
台湾の子どもたちが書いた励ましのメッセージを仮設
住宅に届けに行く ということ
、 もやり したが、
ま 地元の方
10
- 11. “繋がり”を行動に移すきっかけに
期間 2011年11月18日〜 20日
: 場所 築館 大原浜
: ・ 活動内容 個人宅の家財運び出し 清掃
: ・
3月11日以降、当時開講していたヨガクラスを通して 日の終わりを迎えるこ
の赤十字への寄付の協力等、日常の中で、
「被災された とが出来ました。
方達のお役に立ち得ること」を僅かながらに行いながら 一方、個人的には、
生活していました。震災直後よ お稽古事を共に
り、 してい 今回の参加は、私が
た友人から、石巻でのこもゆうチームの活動についての これまで続けてきたヨ
話を聞き、
「いつか、私も…」という思いを抱きつつその ガについて、改めて
機会を窺い、11月18〜20日に初めて活動に参加させ 考える機会にもな ま
り した。
「ヨガ」という言葉は、本来は、
て頂くことに した。
しま 「繋がり」という意味を持ちます。
「チーム」 そして
、 「私
現地での作業は、個人宅の片付けでした。倒壊した建 の日常生活」 「石巻」
と というように…。今後ともチーム
物の様子は、 レビ等で見慣れたつも で
テ り したが、実際、 の一員として石巻での活動に参加させて頂きたいと思い
取り壊しが決まった家屋やその室内の様子にシ ックを
ョ ますが、合わせて、個人としては「行いのヨガ」 して、
と
覚えずにいられませんでした。 し、
しか 家主の方や他のメ 人とのご縁や日々の暮らしと被災地との繋がりに感謝し、
ンバーが気丈に、そして、手慣れた様子で片付けを進め 例えば、被災地の産物を購入するなど、小さな事でも
ているのについて行こ とするうちに、
う 私自身も次第に前 betterを目指して、具体的に行動を重ねて行ければと感
向きに作業に取り組むことが出来、充実した気持ちで一 じました。 (吉江奈緒美)
の
こもゆうチーム チームには粒ぞろいの個性豊かなメンバーたちばかり。ユニークさの相乗効果でふしぎな
間より
ゆかい? な仲 チームワークが発揮されます。そんなメンバー同士の出会いも、かけがえのない経験です。
「つながり ——“へんたいくん”と呼ばれる男の呟き」 クも顧みることなく開催とな ます。
り
「被災地にて、素人でも泥だしや片付けなど出来る 自分に出来ることが有るならば、是非またとの思い
ことが沢山。復旧に向けてとにかく人手が必要」という が活動を続けるきっかけかもしれんの。リーダーはじめ
こもゆう ~ダ~の誘い言葉が支えとなり、
リ 「各人仕事 毎回温かいメンバーがいてくれることが、へんたいくん
は有るから、出来ることを出来る範囲で行っていこう」 らしくのびのびと作業をやらせてくれたのでし う。
ょ 参
とタイ ングが合えば足を運ぶよ
ミ うになっていました。 加の度に、新たなチームメイ との出会いや共に作業
ト
たわしは5月のGWから5回程、仕事の合間を縫っ をすることで、つながりや関係が深まっていくこと。大
て参加しました。 たびに、時系列で津波で破壊さ
行く 原浜の方々についても同様、 り深い関係が出来上が
よ
れた街が徐々に片付いていく様を感じることが出来まし りつつあることが自分にとっても喜びなので ょ この
し う。
た。昼間に現場作業を精一杯頑張った後は、現地の 活動をする上でKey Man吉村せいちゃんと再会でき
大原の皆さんがお酒でもてなして下さった。その温か たこと、AOEの方と再びつながりが出来たこともこの
な雰囲気に触発されて、宴 上ない喜びです。今後も細く と
長く もこの活動通じ、つ
会芸のノリが頭を出します。 ながりつくりそれを育んでいきたいと願っています。
ヒト笑いさせてやろう 受け
! きみがいて、 がいる
ぼく
るか、スベるかといったリス へんたいくん(^3^)
11
- 12. つながる絆 広がる活動の場
・
人と人との結びつきをつくるチームとして
会いとなり した。
ま また、大原浜で出会ったカメラマンの
小西さんには、現場での作業だけでな 遺留品の写真修
く
復作業のお手伝いなどの機会を与えていただきました。
■ 広がる活動の場
こ して築かれたつながり り、
う によ チームの活動の場は
大き 広がり した。
く ま
8月には、記録的な大豪雨で被害を受けた福島県金
■“仲間”との出会い 山町へ、9月には巨大台風の打撃を受けた和歌山へ。て
石巻や牡鹿半島での活動を通して、こもゆうチームは きやさんや小西さんと もに、
と 有志が緊急支援部隊を結
さまざまな出会いに恵まれました。特に同じボランティア 成して現地へと向かいました。
をする仲間たちとの出会いは、チームが活動を続ける大 石巻や牡鹿半島で仲間とともに培ったノウハウを、別
きな原動力となっています。 の環境で応用し実践していく それは実作業を伴わなく
。
チーム結成のきっかけとなった吉村さんには、大原浜 ても、日常生活においてできること――例えば、外国で起
との大切なつながりをつくっていただきました。吉村さん きた災害を悼み募金活動をするなど、大小の行動を起こ
がいち早く駆けつけ開拓した場所だからこそ、素人集団 すきっかけになっていくのではないかと思います。
のチームでも安全に活動ができています。 ューマンシー
ヒ 実際に、チーム員として現地活動をしなく 「自分に
ても
ルド神戸サポートチーム事務局のやっさんには、チーム できること」を考え、ボランティアで得たネ ト
ッ ワークを広
結成当初からさまざまなアドバイスやサポートでバック げて独自に動いているメンバーもいます。石巻・牡鹿半
アップをいただいています。AOEつながりで4月に石巻で 島での経験やチームの活動を通して、現地の方々との交
出会ったてきやさんとは、その後も助け合い、 連帯し
深く 流、 ンバー同士のつながり、
メ ボランテ ア仲間との出会
ィ
ながら活動を共にさせていただきました。同じように有志 い……。 した人と人との結びつきをつく 「場」 して、
そう る と
で結成される“てきやチーム”のみなさんと 貴重な出
も、 こもゆうチームが機能し続けていく と
こ を願っています。
てきやさん(清田 和男さん)より
こもゆうチームから学んだこと、それは……個性を生か だけではとてもつらく
しあい、 りひと
ひと りの力と心を合わせることの大切さとよ 大変なことを思い知
ろこびです。 り した。
ま
私も吉村誠ちゃんの後輩として、AOEの「てきや」 し
と 仲間が仲間を呼
て活動を続けて来ました。たまたま週末、自分が動ける状 び、チームとな 作
り、
態にあり「ひとりでもいい、少しでも役に立てれば……」と 業をしながら縁ある人たちに寄り添ってゆく……それを具
いうおもいからはじめたこの活動でしたが、石巻でこもゆう 現化したこもゆうチームの存在は、今の日本には、希望に
チームに出逢い、仲間として、福島・和歌山でも一緒に活 と らず、 っ
どま き と必要で必然だったのだと思っています。
動を行うことができました。 これからも、心と力を合わせてひとつの場所でひとつの
残念ながら、これからも災害は起こってしまうでし う。
ょ ことを共に行っていく そういう仲間を増やしていきたいで
、
石巻、福島、和歌山で、一瞬のうちに家が崩れ、床が泥で すね。
埋まる光景を目の当た に
り して、当事者や家族、地域の力 これからも一緒にやって行きま ょ
し う。
12
- 13. 今後の展望
これからも「自分にできること」を一歩ずつ
2011年は東日本大震災以外でも、日本各地で大規模な自然災害が発生しました。夏に活動報告書Vol.1を
発行して以降も、新潟・福島で、紀伊半島で、また牡鹿半島においても、大雨・巨大台風による堤防の決壊・河
川の氾濫で、その地域の方々に甚大な被害をもたら した。
しま
まだ瓦礫が残る東北地方では、 厳しい冬を迎えています。
長く そんななか、自分たちに、自分に何ができるのか
いつも考えています。
これまで40人、のべ120人あまりのメンバーが石巻で作業を行ってきました。福島県や和歌山県に復興支援に
訪れた仲間もいます。
でも、 もゆうチームは、
こ 「週末だけ(実質作業は1日) 重機も使えず」
、 そんなグループです。リーダーである私
自身は重機はおろか、 ト ッ
軽 ラ クを運転することすらできません。大原浜地区においても、瓦礫の撤去や、側溝の泥
出しなどをやらせていただきましたが、他のボランテ アグループのよ
ィ うな大きなことができるわけではありません。
こもゆうチームは、これまでに大原浜地区にどれだけの貢献ができたので ょ ?
し うか そもそも もゆうチームに
こ
は何ができるので ょ ?
し うか
正直、何もできません。
私たちにできることは、大原浜地区の、石巻の現状を多くの人たちに伝えるこ そ
と。 して、今後も時間がある時
に大原を訪ねて、大原の方たちと一緒にお酒を飲むこ それだけなのかも
と。 しれません。
チームのメンバーは性別や年齢も、職業も、過去の経歴などもバラバラです。バラエテ に富んだ仲間が、
ィ それ
ぞれの目的を持って集まっています。そんなこもゆうチームを、石森区長様をはじめ大原浜の方たちは、とても温
かく迎え入れて ださ チームのメ
く り、 ンバーはいつも楽し 活動をさせていただいています。
く
私は大原浜が、大原浜で生活されているみなさんが大好きです。 もゆうチームでは、
こ 泥出しや瓦礫の撤去の
ためではなく 何かの縁で知り合えた大原の方々
、 との交流を続けるためにこれからも大原浜地区を訪れたいと考
えています。 して、
そ 少しずつ変わっていく大原浜の「いま」 大原浜で暮ら
を、 している方々の「声」 東京に住
を、
む家族や友人に伝えていきます。
大きなことはできな ても。
く 今後も「自分にできること
を、自分にできる範囲で」
「楽しく」取り組んでいきま
す。焦るこ く 自分たちのペースで、 く と。
とな 、 ゆっ り
でも、決して忘れるこ く ずっ
とな 、 とずっと。
2012年1月
こもゆうチームリーダー 小森 裕史
13
- 14. ご支援のお願い お問い合わせ
・
活 動 支 援 金 のご 協 力をお 願 いします
こもゆうチームへご支援・ご協力をいただき、誠にありがとうございます。 ンバー一同いつも感謝の気持ちを
メ
胸に活動させていただいています。
これまで月3回ペースで石巻を訪れることができたのも、みなさまのサポー があるからこそです。 く 活動
ト と に、
スター と同時にグランビア号という車を購入して定期的に人を送り出す仕組みをつく
ト ることができたのは、活動
を続ける上で重要な要素とな ま
り した。
継続して同じ地域を訪れることで現地の方との信頼関係も り深ま 10月に新宿で開催したチーム交流会
よ り、
には大原の方を招待するまでの関係を築くことができました。
こもゆうチームではこれから 現地を直接訪れて作業する形の復興支援だけではなく 「人」
も、 、 の交流をメイン
とした活動を考えています。震災から10カ月近くが経ちましたが、まだ復興には程遠い状態です。 もゆうチーム
こ
ではこれからも継続した活動を行えるよう取り組んでいきたいと思います。
私たちの活動に対する引き続きのご支援を、どうぞよろ く
し お願い申し上げます。
■ お振込先口座
ゆうちょ銀行 記号 10090 番号 12863101 名義 小森裕史
: : : (こもりゆうじ)
※領収書等の発行はしておりません。予めご了承ください。
お問い合わせ・メンバーに対するメッセージ等はこちらまで ▶▶ yukomtokyo@yahoo.co.jp
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