Decade 20081226
- 2. 自己紹介
工藤 拓也 / KUDOU Takuya
1983年3月5日生まれ。多摩大学経営情報学部卒。
2001年、矢島小林工業入社、2002年退社。
2002年から2006年まで多摩大学経営情報学
部で学ぶ。2006年、イーアクセス入社、テクニカ
ルサポート関係の業務を務める。
2006年よりITmediaオルタナティブブログにて
「一人シリコンバレー男」として、Webサービス、
ブログマーケティングなどのイベントに参加し、イ
ベントレポート、Webサービスのレビューなどの記
事を書く。
2
- 4. 2001年
矢島小林工業入社
高校卒業しての地元企業就職
• うちの高校の7割は高卒就職2割が専門短大、1割が大学だった。
配属部署は、プレハブ小屋の「システム課」
• VBAのちっちゃいことをやったり、名刺を刷ったり。
• 看板にカッティングシートも張ったりしてた。
• システム課でありながらシステム触ってない。
入社後試用期間(3ヶ月)すぎての会社傾き宣言
• 退職金2ヶ月の希望退職を募ってた。
• 入社時1000人くらいいたのに人が700人ぐらいになった。
• システム課も解体→積層チップの品質管理部へ移動。
• なんだかよくわからないまま、不景気を知った気がする。
4
- 8. 2002年
会社を辞めて大学進学した
会社を辞めた理由と、大学に行った理由
• 東京の給料の水準をインターネットで知った。
• 大卒ってすごいって思った。学校では大学に行けば給料が
上がりますなんて教えなかった。
• 12月から入学願書を出せる大学を調べられた。
• インターネットは楽チン、2校あった。
多摩大学に行った訳
知ってしまったら動きたくなった。
• 学費とか仕事とかどうでもよくなったので、一人で取
り寄せ一人で願書を書いて提出。
• 親も通ると思っておらず、ドン引きだった。
8
- 13. 2004年
あっという間の大学3年生
インターンしてた
• 小さなPR会社で、日当1000円で。
• インターン斡旋は気をつけたほうがいい、中間搾取は
良くない。
社長に怒りのメールを送ったりしてた。
• 給料が人間のモチベーションに半分ぐらいダイレクト
につながるとおもった。
• いい経験だった。お仕事は裏切るものだもの。
父が死んだ
葬式でみんなが「しょうがない人だった」と笑った。
そんな生き方も悪くない。
13
- 15. 2005年
怒涛の就職活動
リクナビってすごい。
• でも履歴書は手書きじゃないと駄目らしい。
• 効率化しなきゃならない部分としちゃ駄目な部分がある。
紆余曲折を経て、イーアクセスに内定を頂いた。
• 5月ぐらいに決まった、それなりに早いほうだったと思
う。
ドリームゲートインターンをした。
本作りを手伝った。
• 本の体裁やら内容を考えた
• 著者挨拶で名前が出た
15
- 20. 2007年
社会人生活2年目
振り返ると迷走していた感がある。
• 仕事とブログの両立。
• 私生活もうまく行かず・・・
なんだかんだ札幌へ軽く飛ばされる。
真冬の3ヶ月間札幌暮らし
• 大学時代から数えて6年目にしてまた違う場所での
生活。慣れない暮らしに四苦八苦。
• いやいやだったが、サラリーマンだって自覚が持てた。
• お金をもらっている以上がんばるしかない。
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- 23. 2008年
河野さんとの出会い
縁があって河野さんのアシスタントへ
• なんとなくと言うのは禁止!考えるのを停止させるな。
• 仕事というよりは遊びから色々学ばされる
• 世界はインターネットを中心に回ってない。
• スピード!人より多くをやり、失敗をする。
• たくさん学んだ上に結構怒られた。
ユニークな生き方
• 会社員、アシスタント、ブロガー3足のわらじ
• 今は変かもしれないけど、常識になる世界が来る。
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