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私のシェアハウス史
- 8. ギークハウス東日本橋時代 2010年頃
● ギークハウスプロジェクト とは、エンジニアやクリエイターなどのためのシ
ェアハウスを作るプロジェクト。たくさんある。勝手に作っていい。
● phaとか小林銅夢のようなTwitter初期有名人の住む家。ドワンゴの若くてす
ごいエンジニアがよく遊びに来ていた。
● 業者が運営。管理人はphaさんに一任。
● twitterのタイムラインのようなゆるいつながりのシェアハウス。
- 10. ギークハウス水道橋時代 2011年頃
● ビル一棟の大規模シェアハウス(15人ぐらい)。
● 二年間は割とうまくいったが、住民同士や客とのトラブル、業者が合わない
人を入れてきて崩壊。
● 大家との入居契約には他の人を泊めてはならないと書いてあったがそこは大
家ともなあなあで、たくさん泊めてたところ、新入居者がそれを大家に問い
詰めてルールが厳密化。退去者が多数出た。悪い人じゃないんだけどな。
● 入退居管理は住民がするべき。
● 業者シェアハウスは脆い。大規模シェアハウスは人間関係荒れる。
- 12. 妖怪ハウス時代 2014年頃
● 自分主催のシェアハウス
● ギークハウス水道橋元メンバー中心で豪邸を借りてたくさんの人(15人ぐら
い)で住んでみた。
● モットーは妖怪のような世間からあぶれた人でも住める家。
● 会計関係は自分が担当。それ以外は多数決による合議制で運用。家賃は光熱
費をこめて割り勘。
● 三年続いて盛り上がったが大家や周辺住民との関係悪化。家賃未払いが常習
化し維持続行不能に。