SlideShare a Scribd company logo
広報の基礎的命題についての考察
鈴木幹久
1. はじめに
 本稿では広報の基礎的命題について検討する。広報の基礎的命題とは、政治学における権力
とは何か、経済学における富とは何かに相当するような広報研究における根本問題の特定を試
みることである 1)
。検討にあたっては、まず、佐藤(2000)の指摘する広報研究における「断
層」の解決を図る。断層とは第二次世界大戦の敗戦を機に我が国において寸断された、戦前・
戦中と戦後の広報研究の非連続性のことである。断層考察の基点として 2 点、戦争との関連が
大きかった国際広報の分野と、戦前の広報研究の中心として小山栄三(1954)の思想を設定する。
国際広報に対しては、国際関係論の新しい理論であるコンストラクティビズムからアプローチ
し、結果として主観主義という世紀的な思想的潮流の有用性を確認する。小山の思想について
は科学志向と機能主義をその特徴として指摘し、その規範論の欠如に伴う問題点を確認した上
で、コンストラクディビズムと同様の主観重視の思想であるプラグマティズムと科学社会論か
ら広報の規範に関わる考察を深め小山の広報論を更新し、市民的公共性と広報の連関を確認す
る。さらに、主観主義を一層哲学的に深めた議論である実存論から、時間性や創造性に関する
広報研究の可能性について言及する。最後に、以上の検討を踏まえて、広報の基礎的命題につ
いて一旦の結論を記す。
2. 断層考察の 2 つの基点
2-1 .国際広報論
 国際広報は、断層の切れ目が明確な分野として、断層考察に適している。第二次世界大戦中
に心理戦や宣伝戦の研究というかたちで発展した広報研究は、終戦を機に寸断し、戦後それま
での蓄積をないものとして新たな研究が再開された。戦中、広報の実務は対外向けの国際広報
が多かったが、戦争の終結とともにその実務の様相は大きく変わり、それにともなって広報研
究も大きく様変わりした 2)
。断層の生じた大きな要因は前述のとおり、終戦により対外広報が
必要でなくなったことにあるが、同時に敗戦に伴う戦勝国による我が国への強烈な広報戦略の
実施があったことを挙げることができる。マスコミ・政治家・文化人など多層的な心理戦が展
開され、戦後の国際広報は他国への活動というよりもむしろ、他国によって国内で大々的に展
開させたのである(有馬, 2009など)。
 国際広報とはこうした意味において、典型的な断層が生じている領域である。大戦下におい
て、国際広報はいったいどのような位置づけにあったのだろうか。国際関係論の先駆者である
カー(Carr, 1939)は国際政治を動かす力を、軍事の力・経済の力・世論を支配する力の 3 つに大
別した。この世論を支配する力こそ、国際広報に相当するものである。国際広報は、第一次大
戦から第二次大戦にかけて、明示的に対外戦略の柱の 1 つとされていた 3)
。このフレームワー
クは、少なくとも学術上は戦後も踏襲されており、例えば高坂 (1966, p.19) は、国家の 3 つの
体系として、力の体系・
利益の体系・価値の体系に整理している。この 3 分類を学問体系に言い換えれば、政治学・経
済学・社会学のそれぞれ領域とみることもできる。我が国は、 1945 年の敗戦を境に、 3 領域
すべての活動を停止することになった。経済領域についてはその後活動がほぼ完全に再開され、
軍事においては条件付の再開がなされた。一方、この社会学領域の活動については、明示的な
再開は極めて限定的な状況にある 4)
。
 我が国の国際広報の戦後の停滞に対し、戦勝国である米国や英国からは次々と新規軸が打ち
出されている。パブリック・ディプロマシー論、ソフトパワー論、国家ブランディング論、さ
らにはストラテジック・コミュニケーション論などである 5)
。パブリック・ディプロマシー論
は、 1960 年代に米国で使われ始めた言葉で、我が国では広報文化外交が定訳となっている。
文字通り、広報 ( ニュース ) と文化 ( 交換留学等の人的交流等 ) を通じた外交の展開を示す言
葉で、広報の対象を他国政府に限らず、他国市民まで含めていることがこの概念の肝である
6)
。ソフトパワー論は 1990 年代にナイが主張した考えで、他国民を自国に惹きつける魅力戦
略とも呼ぶべきものであるとしている。物質的なハードパワー ( 主として軍事力 ) に対向する
概念として、国家の魅力をうまく国外に伝え軍事的紛争や経済摩擦を解消し、優位に外交政策
を展開しようという構想である 7)
。国家ブランディング論は、アンホルトが 2000 年頃から提
唱している概念で、商業セクターで発達したブランド理論のフレームワークや調査手法を国家
の広報活動に当てはめ、その実行と評価を行っていこうという一つの運動である 8)
。戦後の広
報の実務や研究が、商業セクターになだれ込んでいったという経緯を考えると、国家ブランデ
ィング論の興隆は回帰的な潮流とみることもできる 9)
。
 今日、周辺環境の変化に伴って、断層の亀裂はさらに明確になりつつある。東アジアの秩序
の変化にともない、外交・安全保障への関心が高まり、結果として中国や韓国の激しい国際広
報活動に伴う国際世論の形成に注目が集まるようになった。また、戦後の米国による対日世論
形成活動が明らかにされつつあり ( 例えばアレック・松井、 1994 や Haynes 、 2000 )、我が
国に対する戦後の国際広報がいかなるものであったか、新たな視点からの考察が増えたことも、
断層顕在化の要因として指摘できる。
2-2.  小山栄三の思想
2-2-1. 科学を志向する広報テクノクラート
 断層考察のもう 1 つの基点は、戦前・戦中と我が国の広報研究の中心に位置した小山栄三の
思想である。小山の広報研究の特徴として、徹底した科学志向と機能主義を挙げることができ
る。小山は、当時広報研究の最先端にあったドイツの学術的進展を把握し、科学的志向を重ん
じて心理学・生理学・社会心理学・社会学など複数分野にまたがる学際領域として、広報学の
樹立を目指した。科学志向とは、言いかえれば普遍性の追求である。すなわち、小山の議論は、
常に広報の領域をより広範に捉えようと姿勢が顕著である。例えば、小山 (1954, pp.237-243)
の想定するマスメディアは新聞にとどまらず、書籍・雑誌・パンフレット・ダイレクトメー
ル・ビラといった印刷メディア、会話・討論・演説・販売応対などの対面機会、国歌・賛美
歌・軍歌・校歌・民謡などの音楽、パレード・ショー・シンポジウム・デモ・式典などのイベ
ント、彫刻・建築物・製品などの実物まで、広報メディアの範囲を広く捉えた。広告、啓蒙は
もちろんのこと、教育までをも含めた幅広い概念として広報を考えた。また小山は時間軸も押
し拡げ、広報の歴史は人類の歴史と同様に古いとして、人間の集団や社会の発生とともに広報
は必要とされてきたと主張した。ローマ・インド・中国などの古代王朝時代にもそれを見出す
ことができ、かつての「ふれびと」や「広目屋」は、今日のニュースや商業 PR と同様のもの
であると歴史的な普遍性を見出している ( 小山, 1954, pp.54-55)。
 さらに小山は、広報に関連する用語の錯綜に関して、広報 / 宣伝 / 教育 / 強化 / 感化 / ニュ
ース / 情報 / 広告 /PR/ 心理戦略は密接に関係する類語であり、時代によって混用されるが、
広報として総括されるべきものだと明快な整理を行っている。広告については広報の一部門で
あるとみなし、宣伝についてはマスコミを支配することと同義であると述べ、その広報一元論
には澱みがない(小山 , 1954, p.29, p.47 )。広報の歴史を有史以来とする普遍主義に立ち、歴
史的経緯と今日的趨勢を踏まえながらも用語の変遷にとらわれず、民衆への情報提供や行動操
作といった業務の全般を指して広報と呼んだのである。小山は、第一次大戦までは宣伝 ( プロ
パガンダ ) という言葉使われていたが、戦後、うそをつく技術との意味合いが強まったために
マス・コミュニケーションという言葉が代用されるようになったことや、宣伝という言葉が広
報という言葉に言い換えられていった歴史的経緯などを記録している10)
。
 戦後の広報研究には、敗戦国のプロパガンダが悪質なもので、戦勝国の PR は民主主義を促
進し国を励まし、ついに勝利を得たかのような認識が散見されることがある。戦中の宣伝と戦
後の広報、プロパガンダとパブリック・リレーションズといった用語の使い分けなどもある。
小山の冷静な視座は、ドイツ・ヒトラーも米国・ルーズベルトも広報研究上において同一線上
に捉えるものであり、イデオロギーや、戦前 / 戦後、戦勝 / 戦敗による対立の構図を無効にす
るものである。
2-2-2.  情報発信者視点に立つ機能主義
 小山広報論のもう 1 つの特徴は機能主義であるが、その源泉は、小山の視点が一貫して情報
発信者、主として政府のパースペクティブに置かれていることにある。メディアやジャーナリ
ズムなどの議論はあくまで媒介者という限定的な地位にとどめる。また、情報受容側に対して
は、広報実務の対象として十分な調査と配慮なしに広報施策の成功はないとしながらも、「指
導されるべき大衆」との見方は揺ぎない。
 情報発信者として科学を志向する小山は、必然的に規範論に消極的であり、広報はあくまで
機能である。広報による社会変革が社会にとって有意義であるか否かは広報研究の範疇になく、
いかに有効に機能するかが広報研究の関心事であると機能主義論を主張する。規範的議論を排
し、科学的により確かな施策を体系的・理論的に選択し実施するという、広報テクノクラート
的理想が小山の思想の基礎をなしている。つまり、広報実務の結果に伴う倫理的評価は、その
主たる実施主体が負うべき責任であり、広報はあくまで外在する社会的価値を実現する手法に
すぎないのである。広報技術者としての立場を徹底した主張ではあるが、規範論を徹底的に回
避した小山の見解は、終戦に伴う広報研究の見直しのなかで、戦後少なからず批判を招くこと
となった。民衆の愚昧を前提とするエリート主義的態度や、倫理的議論を回避し施策の効果に
のみ責任を負うとする広報テクノクラート的態度に対してバランス感覚の欠如を指摘されたの
である。小山にとって人々とは、選民によって作られた政策を理解するために情報を受容し理
解するだけをする存在であり、民主主義に関する思考は目立って少なかった。小山が回避した
規範に関わる議論こそが、断層修正のポイントである11)
。
 小山は戦中、対外広報の一環として民俗学を研究し、それは激動の時代にあってバランスの
取れた考察だったが、結果的に民族同化政策を推進する立場をとった ( 佐藤 , 1996) 。ここに
修正すべき断層のもう 1 つのポイントがある。先にも述べたとおり、小山は、広報の社会的機
能の源泉は世論を形成する力にあり、広報の成功によって世論や社会はより統一的になるべき
と考えていた。抽象的な観念は、人々を把握して組織して民衆の行動を拘束するうえで重要と
考えており、広報をそうした特定の思想や観念を人々の行動において実現する必須の手段と捉
えていた。小山にとっての広報は、人々の批判的能力を発達させるというよりはむしろ鈍らせ
るものであり ( 小山 , 1954, p.69 )、集団反応の操縦方法だったのである ( 小山 , 1954,
p.73)。このような観点から、国内向けにはエリートによる民衆指導を、国外に対しては諸民
族の同化を是とし、それほど明確ではないにして優生学的民俗研究に傾斜したのである。民族
同化政策をある程度支持した優性思想は、広報研究の進展を図る上で乗り越えるべきもう 1 つ
の断層修正のポイントである。
3. 広報論の刷新
3-1.  コンストラクティビズム・アプローチが照らす世界
3-1-1.国際関係論からみる国際広報論
 断層考察の第 1 の基点である国際広報について具体的に考えてみよう。国際広報を考察する
新たな方法論として、国際関係論においてリアリズムとリベラリズムで説明できない事象を説
明しようと社会学から導入された比較的新しいアプローチであるコンストラクティビズムが有
用である。コンストラクティビズムの有用性に触れる前に、まずは国際関係論における伝統的
なアプローチであるリアリズムとリベラリズムについて、その概観に言及する。
 国際関係論はここ 50 年の間に多くの理論的展開をみせているが、その根幹をなす理論がリ
アリズムとリベラリズムである ( 吉川・野口 , 2006) 。リアリズムは国際社会の無政府状態を
前提に、自国の戦争による勝利を志向する。控えめに言っても自国の存続や安全保障の確立を
目指す立場であり、覇権あるいは力の均衡を目的とする考え方である。軍事力を主な手段とし
て考え、副次的に経済力を活用する。目的においても手段においても物質的・物理的な世界観
に立ち、過去の経験や客観的な見地で分析しようという立場である。トゥキュディデス、マキ
ャベリ、ホッブスにその典型を、モーゲンソーにその基礎をみることができる。これに対し、
リベラリズムは戦争の回避を目的とする。国際協調による平和の維持を最優先に考え、集団的
な安全保障に加え、国際法や国際組織による民主的なグローバルガバナンスを人道主義に基づ
いて志向する。リアリズムが国際政治のアクターを国家のみに限定するのに対し、リベラリズ
ムは国際組織や NGO など国家以外の主体も重視する。ネオリアリズムの主唱者であるウォル
ツは、国際システムという国家を内包する、限定的だが外部的な構造を導入し、バランス・オ
フ・パワーの理論を発展させた。一方、ネオリベラリストであるコヘインは軍事以外の争点領
域の多様性、非国家的主体の重要性を主張し、複合的相互依存を重視し、ゲーム理論を取り入
れて発展させている ( 信夫, 2004)。まとめると、リアリズムは国家による軍事力による安全
保障の実現を語る政治学的な力の理論であり、リベラリズムは国家以外のアクターも含めるか
たちで、主として経済力による国際秩序の維持を目指す理論である。
 さて、これら 2 つの理論に対し、コンストラクティビズムは軍事力や経済力よりも、理念や
規範、アイデンティティといった観念を重視する。存在論というよりも認識論的立場であり、
間主観性を基礎に論理を展開する。客観的な物質的現象そのものではなく、その意味をいかに
捉え、他者とのやり取りを通じてその観念を共有していくかを重視する社会学的アプローチで
ある。コンストラクティビズムの手法は、冷戦後の世界秩序を説明する手法として社会学から
国際関係論に導入されたという経緯があるが、間主観性を重視するこのアプローチは、当然な
がら国際関係におけるコミュニケーションに関する事象を分析するのに有用な手段となる。実
際、アパルトヘイトと国際規範、ユネスコと技官主義の高まり、戦争と規範に関する赤十字を
中心した分析、世界銀行と国際開発規範など、新たな視座で国際関係における事象を説明する
ことに成功している(Finnemore, 1996 )。これらの研究は、既に国際関係論においては第 3 のア
プローチとして認識されているが、今後は国際広報の研究や広報研究においても注目すべきも
のだろう。
 コンストラクティビズムは、社会学における社会構築主義に由来する。バーガーとルックマ
ンは、『現実の社会的構成』(1967)でその書名が示すとおり、日常世界における現実や知識が、
社会のなかで創生され、発展し変化し、また伝承されていく現象を記述した。現象学的に知識
社会学を再定義して社会構築主義を創始したのである。ここでいう知識とは、客観的な事実と
いったものではなく、人々が日常生活のなかで常識としている「現実」やそれを構成する知識
を指す。人々は日常生活の前提となっている常識を当然の事実として受け入れているが、実際
にはそうした現実は人々が日常生活を送る上で社会的に構成したものであるとして、その過程
を分析する必要性を 2 人は指摘した。この考え方は、例えばガーフィンケルのエスノメソドロ
ジーに引き継がれ、参与観察や会話分析手法の開発などで具体的な研究に役立てられている。
バーガーとルックマンの着想の原点は、シュッツの現象学的社会学 (Schütz, 1932) であり、シュ
ッツの思想的源泉はフッサールの現象学である。フッサールはデカルトの懐疑主義に立ち、あ
らゆる認識を疑って判断を停止し(エポケー)、客観的真理の存在をギリシャ以来の理念に過
ぎないとして客観的・科学主義を批判しつつ、生活世界の解析についても同様の批判的態度を
適用すべきであると論じた。シュッツはこれを発展させ、主観性を強調した生活世界の理解を
目指し、相互主観的な現実についての考察を深めた。バーガーとルックマンは、シュッツに立
脚して、相互主観的な問題として、日常的な現実と捉えられている知識や意味、アイデンティ
ティを考察したのである。コンストラクティビズムは、この主観性を強調した社会学的アプロ
ーチを国際関係論に持ち込んだものであり、すなわち、国際関係における価値・意味・相互主
観・コミュニケーションといった分析に役立つものなのである 12)
。コストラクティビズムはウ
ェント (Wendt, 1992) に始まりすでに 20 年の時間が経過しているが、今後さらなる進捗が期待
される発展途上の領域である13)
。
3-1-2.  背景にある主観主義という世紀的潮流
 コンストラクティビズが国際関係論において社会学的アプローチとされているものの、いう
までもなく社会構築主義=社会学ではない。社会学はコントを始祖とする 19 世紀前半以来の
学問だが、コントは社会学を数学・天文学・物理学・科学、・生物学につぐ第 6 の基礎的科学
と位置づけ、数学を先頭とする諸科学のように、社会学における実証的研究を志向した( 清水,
1970, pp.24-25 )。社会構築主義を含む新しい社会学の潮流は、その後生まれたものである。
ところで、社会学創生期、西周らは society を相生養道や俗間などと訳していた点には留意して
おきたい。社会とはすなわち、人々がとともに生きる俗世界であり、それを研究する Sociology
は人間学 / 生態学 / 交際学などとも訳されていた ( 河村望,1973, pp.34-47)。物理学、化学など
の研究対象と比較して社会学は、人間の生々しい生活臭、人々の間の矛盾や軋轢といった人間
らしさを研究対象としていることは、社会学的アプローチから広報の基礎的命題を考える上で
重要な基礎となる。さて、コント社会学に替わる新たな社会学の潮流とは主観主義なのである
が、これは 20 世紀初頭にウェーバーの理解社会学、デュルタイ (Dilthey, 1900) の解釈学などの
試みが、前述のフッサールとともに相互に影響を与えながら進展したものである。解釈学はシ
ェーラー、マンハイムらによって知識社会学として引き継がれたが、マンハイム (Mannheim,
1929) はイデオロギー研究を行い、前述のカー(Carr, 1939)の論考に影響を与えている。また、
知識社会学という名称は前述のバーガーとルックマンが踏襲し、その系譜を自認している。こ
のような思想的潮流のなかで社会構築主義が国際関係論に援用されているのである14)
。
 こうした主観重視の思想的潮流は、 19 世紀末以降に出現した社会学だけに限らない世紀的
傾向である。例えば、マッハ (Mach, 1897) は物理学が専門で生理学、心理学、哲学においても
大きな業績を残しているが、その思想がアインシュタインの相対性理論の先駆的研究となった
ことは有名である。その世界観は一義的な世界観をとらない要素一元論であり、ここでいう要
素とは一般に感覚と言われている色、音、圧覚、空間感覚などの感覚を構成する基礎的要素の
ことをいう。マッハの空間概念を理解するは非ユークリッド幾何学と連関しており、当時数学
者の妄想とされた非ユークリッド幾何学を物理空間の構想として見出し、絶対的空間に対して、
感覚が物体に対する位置を決定する相対的空間論を展開したのである。主観重視はこのように
社会学に限らず、社会学や心理学を含む全体的な傾向である。経済学における主観的価値論や
絵画や音楽における印象派も含め、西洋における独立・自由・平等感の成熟と重ねてみること
もできる(水田洋 , 2006, pp.245-249 )。
激動の 20 世紀前半の大戦下では、こうした主観主義の流れは、広報研究にも広報実務にも反
映されることはなかった。小山の広報論に限らず、今日の代表的な広報理論であるエクセレン
ス理論においても機能主義への偏重は多く指摘されており ( 例えば Botan and Hazleton, 2006 や
Ihlen, Ruler, and Fredrilssom, 2009 、Heath,, Toth, Waymer, 2009 など)、機能主義的広報論は 1 世紀
遅れながらいよいよ刷新すべき時に来ている。先にみたコンストラクティビズムを含め、この
後述べる幾つかの 20 世紀後半の思想的展開を受け止めることで、 21 世紀の広報研究は機能
主義からの脱却へと向かう。
3-2.  プラグマティズムとその真理観
3-2-1 . プラグマティズムが広報論に与える規範性
 それでは次に、コンストラクティビズムと同様に客観性に対して懐疑を抱き主観性を重んじ
るアプローチとしてプラグマティズムを取り上げ、断層考察の第 2 の基点である小山栄三の思
想を再考してみよう。これも前述の主観主義の系譜に位置するが、こちらは洋を隔てて主とし
て米国で発展したパース~ジェームズ~デューイと連なる哲学である 15)
。プラグマティズムは、
主観と客観、事実と価値といった二分法に対して、客観性や事実といったものが必ずしも主観
や価値に優先しないと考える。プラグマティズムは時に実用主義と訳されるように、実践的・
実務的性質を帯びており、広報という実務を考察するうえで援用するには親和性が高いといえ
る。また、デューイは、先駆的な広報実務家であり研究者だったリップマンの『世論』
(Lippmann, 1922)に対抗するかたちで『公衆とその問題』 (Dewey, 1927) を発表している。広報と
プラグマティズムはすでに 20 世紀前半の時点で、第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期
において交錯していたのである。ここでは、デューイの影響を受けプラグマティズムをさらに
発展させたネオプラグマティストであるパトナムやローティの論考をヒントに広報について考
える。
 パトナム (Putnam, 2002) は原則的に、価値や規範性はすべての経験に優先すると主張する。
すなわち、価値は主観的であり、科学は客観的であるとの前提を誤りと考え、科学の客観性は
唯一性・単純性・一貫性といったある種の規範に上に成り立つものとし、事実の知識は価値の
知識を前提とすると考える (Putnam, 2002, p.182) 。世界の正しい記述は客観性にあるとの考え
を離れ、認識的価値を認め、現象学を重んじる。このとき、世界は相対的であり事物は流動的
な存在だから、あらゆる物事の確定的な事実の存在は否定される。すなわち、可謬主義が導き
出される。可謬主義は、判断の誤りを受け入れるから(というよりも正確な判断というものを
認めないから)、集団的な意思決定に関しては、協力的で民主主義的な志向を採ることになる
(Putnam, 2002, p.54) 。プラグマティズムは、現象学とほど近い思考ながら、エポケー(判断停
止)ではなく、積極的な議論と、その後の判断、そして修正を志向することになる。まさにプ
ラグマティズムの実践的・実務的性質その真骨頂である。つまりプラグマティストは、「真理
は客観的で硬く普遍であり、ついに誤謬に勝利する。真理が人々の外にあってどこかで我々を
待っており、いつか発見される」と考えない。「真理は収斂しない。むしろ議論を経てその複
雑が鮮明になる」と考える。その真理観は、探求の末についに発見される普遍の真理ではなく、
議論を通じてその複雑さが鮮明になる真理なのである。
 ローティ(1999)も同様に真理を自然や科学と同一視せず、人文学だけが主観的で相対的であ
るとする見解は否定して、客観性とは間主観性のことであると考える。この世界観は言い換え
れば、人生の活動の目的を「真理を獲得した後の休息」に置かずに、「継続的で共同的な人間
の探索作業そのもの」に見出すことになる。客観性への願望を棄て去って、自分がいる共同体
を超えるような実在に触れてみたいという願望を、連帯への願望に置き換える。プラグマティ
ストは探求の目標を、強制によらない合意と、容認しうる見解の相違との適当な混合物を獲得
することにあると考えるのである。
 先にみたとおり、科学主義・実証主義の前提には客観的事実の存在があり、機能主義的広報
論も同様に科学的に真なる事実や理論が存在するとの前提のもと、最善の実務を設計しようと
いうものである。機能主義的広報論者は、社会心理学的に正しい広報施策は社会がいかにある
べきかという社会的規範論とは無関係だと考えた。このとき、保留された社会的正義や規範と
いったものは別途設定されることになり、広報実務者はその実務の効果や円滑さのみに責任を
負うことになる。広報実務の正しさと、社会的な正しさは明確に切り分けられた。これに対し
てプラグマティストの立場は、事実に先立つ規範の存在を認めるから、社会がいかにあるべき
かという規範的な議論なしに広報は存在しえない。社会的厚生の増大と広報の成功は不可分な
のである。例えば、サブリミナル効果を用いた広報は、その効果が高ければ機能主義的広報論
者にとって是となる。原発の拡大キャンペーンは、その広報により人々の支持を大いに集めた
ので、望ましい成功という評価になる。これに対してプラグマティストの広報論は、規範と理
論を切り分けないため、人々を蒙昧のうちに導こうとするサブリミナル効果を用いた広報はよ
くないと判断する。原発キャンペーンは原発拡大の目的やその結果、キャンペーンの手法など
を含めて評価されることになる。
 プラグマティズムは、真理は収斂せず、複雑に鮮明になると考える柔らかい真理観に立ち、
可謬主義を導き出す。議論を勧奨し、民主主義に基づく議論の拡大を志向する。そして、その
後の中庸による選択を説く。つまり、このとき広報は、新たな語彙を増殖して際限のない議論
を促進する民主主義実現の一機能を担う存在となる。プラグマティズムの哲学からの検討は、
広報研究に民主主義との接点や公共性に関わる議論を与える一つの経路となる。
3-2-2. 天道思想にみる我が国のプラグマティズム
 プラグマティズムは米国に根付く当地固有の思想であるが、その抽象性の高い概念は我が国
においても類似するものを確認することができる。プラグマティズムの本邦への紹介は、デュ
ーイの薫陶を直接受けた田中王堂とされているが、中野 (2012)は日本のプラグマティズムの源
泉を我が国の古学、特に伊藤仁斎 (1627-1705) に見出している(pp.58-85)。伊藤は、天下 ( 世
界 ) には理が予めあって、それに準じるかたちで人々の行いがあると説く朱子学の天理思想を
徹底的に批判した。伊藤は天理よりも天道を強調し、天道の道とは人々が往来する路のような
ものだと論じた。伊藤が考える社会とは、人々の間の往来、やり取りによって成立するもので
あり、さらに踏み込んでコミュニケーションによって成立するものであると中野は読み解く。
社会とは相互連関やコミュニケーションそのものなのであると考えるこの社会観は、単独で孤
立した個人の集合としての社会像とは相容れない。経済学が前提とするような単独で経済合理
的に判断する理性の人の存在を認めないのである。
 また、伊藤は「下学上達」を説き、身近なものから学習を重んじ、その後に高遠な真理に至
ると日常の実践を重んじた。純粋で高邁な真実の存在を否定し、生活世界における日常実践に
真理があるとし、判断の基礎となる良識として中庸を強調した。中野はそこに、動態的思想、
ディルケムの解釈学や生の哲学といったものとの重なりを見出している。それは、丸山 (1952,
pp.52-53)が伊藤の宇宙論を生命力に溢れて活動的と評したもののことでもある。伊藤の考察に
は社会学的なコミュニケーションの志向と、常に動き変化する生き物としての社会像を見るこ
とができる。そしてその端緒は、普遍的で固定的な理ではなく、人々が織り成し生き生きと変
化する社会像に由来するのである。
3-3.  自然相対主義からみた「自然と社会」
 ここまで、実証主義の持つ客観性や、科学の絶対性に疑問を投げかけ論を進めてきた。これ
は自然科学の発展に伴う、行き過ぎた思考傾向への反動とみることもできる。本稿は自然は科
学によって普遍性が見出されるかのような命題には疑問の余地は残ることを確認し、社会や文
化の研究は自然科学のように普遍性を志向する方向で発展するべきだという考えに、必ずしも
説得力がないことをみてきた。
 ラトゥール(Latour, 1993) の科学社会学は、こうした自然と社会の関係性を新たに整理しよう
という先駆的な試みである。ラトゥールはまず、西洋という特殊な文化が他の文化に優先する
かたちで自然の一般的な枠組みを決定し、他の文化はそれに準じるという西洋主義の存在を指
摘し、それを特殊な普遍主義と呼ぶ。そのうえで文化相対主義は、唯一の自然に対し、西洋も
含めた種々の文化はそれぞれ自然を捉える視点を持っていることを主張する概念であると整理
する。ラトゥールはこの文化相対主義にも疑問を投げかけ、自然も相対化してその唯一性を認
めず、自然も社会も同じように構成される存在として規定する 16)
。ある社会はある自然と、別
の社会は別の自然と、それぞれ社会と自然が対称的に存在する構図を描き、文化相対主義から
自然相対主義への移行を構想する。ラトゥールは、人とモノを同等のアクターとして同様の役
割を与え、その相互作用とネットワーク活動によって物事を説明するアクター・ネットワーク
理論を提唱する。自然と社会の間にあるものは準客体であり、それは間主観性の構成者として、
さまざまな主体の間を目まぐるしく動きまわり主体に意味を与え、主体間を相互的にネットワ
ークを張ると考える。
 ラトゥールは西洋における特殊な時期に、自然と文化が分化し、自然科学に絶対性を認める
考えが広まったと主張する。自然科学が急速に発展した西洋では、自然が文化や社会に対して
優位に立ち、また西洋社会は他の社会に対して優位に立つとの思考が広まったと考える。同時
に、他の文化は自然と文化が連関した未熟な世界であると蔑視したと振り返る。特殊な普遍主
義から文化相対主義、そして自然相対主義に移行したとき、特定の文化がその他の文化に対し
て特権的な地位を持つことはできない。唯一的な自然観も消失するから、自然科学や実証主義、
機能主義が持っていた強い説得力は、かつてと比べ相対的に弱いものになる。小山を限定的で
はあるが巻き込んだ教化的な民族主義は、このような思考的手続きによってようやく退けるこ
とができる。自然を相対化して、自然を様々な文化・規範・社会とそれぞれに連関する存在に
位置づけたとき、自民族への歪んだ優性感は止み、他民族を尊重することができるのである
17)
。ちなみに、時間の流れに関して、自然科学の優位性を語る西洋主義は、かつて自然と文化
が連関していた時期をこれまでの時代と区別して、古代、中世と名づけ、今日を現代という特
権的地位に設定する。新しい思考の枠組みは、特殊な今日という意味での現代を認めず一次元
の一般的な時間的観念を必ずしも採用しないから、マルクス主義的発展段階説は認めず、現代
の後を論じるポストモダンの思想も支持しないことになる ( ラトゥール , 2008, p.68) 。
4.  21 世紀広報論に向けて
4-1.  広報論のなかで市民的公共性を語る
 本稿は、小山の機能主義的広報論に対向するかたちで、事実と規範を分離させず、真理は
我々による発見を待つ存在ではなく、規範とともに変化する相対的な存在であるとの見地を導
入した。このとき、あらゆる真理は主観的な存在になるから、人々の判断においても決して確
たる正しさを得られることができなくなる。可謬主義に立つことになり、収斂する存在として
の真理ではなく、複雑さが鮮明になる真理観を採ることになる。この真理観のもとでは、当然
ながら多様な意見の受容がなされるべきこととされるから、すなわち民主主義が是認されるこ
とになる。小山が仮定する選民による衆愚指導の思想は、このようなかたちで科学主義に立つ
機能主義への懐疑から克服される。広報研究における公共性の検討はかねてよりその必要性が
指摘されていたが(佐藤, 2000)、広報と民主主義の連関がさらに明確化になれば、21 世紀
の広報研究が検討すべき熟議民主主義や計画細胞など市民的公共性に関するテーマへの近接は、
一層現実的なものとなるだろう18)
。
 また、小山に部分的ではあるが見られる優性思想については、自然科学への偏重に遠因があ
ることを確認した。人々にとって自然は、社会の向こう側に存在し、人々や社会にとっての意
味を通して存在しているが、自然科学偏重主義は自然科学を社会に対して優位に位置づけ、そ
のような認識がない世界、すなわち西洋以外の地域や中世の西洋は現代の西洋に対して劣って
いるとの結論に達していた。他民族への侮蔑はこのような誤った科学信奉が根底にあり、小山
の優性思想はこうした西洋にみられる驕りを受け継いだ考えであるとみることができる。この
ような自然科学への偏重に距離を置く文化相対主義、さらには自然相対主義といった視点を通
じて、自文化至上主義は克服される。
 今後の広報論において広報実務家は、民主主義の担い手として複雑化する真理をさらに鮮明
にする言論の促進が担うべき存在である。実務に際しては高邁な理の蓄積を勧奨しつつも、客
観性への願望を捨てる必要がある。単純さや統一性は科学の持つ規範に過ぎないと考え、必ず
しも美しい理論や正しさへの収斂は目指さず、可謬を認めて、生の実務の思想として修正主義
をとる。議論を拡大して視界を広く偏狭へと広げた上で、中道を得ようという中庸の精神が勧
奨される。本稿では不十分であったが、言語学派の議論や、科学社会学から科学技術社会論
( STS) やサイエンス・コミュニケーションを含めた広報の考察を深めることで、さらに具体
的な実務的な示唆を得ることができるだろう。
4-2.  実存論の含意を受け止める
4-2-1. 実在論を基礎づける相互依存の概念 
 パトナムやローティにおいても、伊藤においても、プラグマティズムの大前提には、主観と
客観の両立、或いは分離という問題であった。この議論を少し発展させ、主観・客観のいかん
にとらわれずに存在の問題を取り扱う実存論から広報を考えてみよう。実存論はハイデガーが
著名であるが、本稿はすでに文化相対主義から自然相対主義にまで到達しているから、ここで
はまず東洋哲学から考察してみる。具体的には、時間をはるかにさかのぼって龍樹 ( ナーガー
ルジュナ ) の実存論を取り上げる19)
。龍樹は大乗仏教の大成者にして、インド仏教における釈
尊につぐ最大の論師であり、実存論を含め釈尊の残した幾つかの未達の議論を克服したとされ
ている人物である ( 中村 , 2002) 。
 龍樹はあらゆる物事は相互依存によって生起すると考える。先の主観・客観問題についてい
えば、主観がなければ客観という概念は生じないことになり、また客観がなければ主観も生起
しないと考える。あるかないかといった問いについても同様に、「ある」がなければ「ない」
は生じず、「ない」がないなら、「ある」は生じないと考える。あらゆるものは、相互依存関
係によって初めて生起すると考える。ちなみに、相互依存関係と因果関係は異なる。相互依存
関係は同時的な関係であるのに対し、因果関係は原因と結果の関係であるから時間の前後が存
在することになり、時間の存在を認めることになる。つまり、相互依存関係においては、一般
的な時間の概念がない ( 中村 , 2002, pp.365-366) 。事物が相互依存関係で生起するとき、事物
それ自体は自性がないので(独立には存在しないので)、空ろな存在である。ただし、空ろで
あることは無とは異なるので虚無主義にはならない。むしろ、この空ろなものは、あらゆる物
事の基底をなし構築していく拡張性を帯びている。構築され膨れ上がったものの中が空( くう)
なのである。この相互依存関係は略されて相依性、または衆因縁生法、英語では dependent origin
と称されるが、縁起 ( 縁 ( つながり ) によって生起する)が一般的な呼称である。龍樹はまた、
真理を真諦と俗諦に分ける ( 瓜生津隆真 , 2004, pp.251-262 )。真諦とは最高善であり、絶対
の真理であるが、言葉で表現できないとされる。俗諦はその名の通り世俗の世界の真理であり、
互いのつながりによって相互依存により成立する世界であり、先にみた空の世界である。言説
表現はすべて俗諦となる。相互依存関係から生起する世界は、現実の生活世界と同一であり、
また言葉で成り立つ世界なのである。この世界において、龍樹は中庸を勧奨する。対立的に相
互依存関係によって生起した世界にあっては、一方への偏重よりも中庸であることが正しいの
である。
 
4-2-2. 被本来的な時間の想定を停止する 
 龍樹の実存論には一般的な時間の概念がない。同じ実存論においてハイデガーは、西洋哲学
全体における非本来的な時間性について指摘している。こうした時間に関する考察を、広報研
究においても検討することは有意義なものになるだろう。例えば、時間の概念を含めた広報の
議論として、早いメディアと遅いメディアを巡る国際広報の論争がある。早いメディアとはテ
レビ、新聞などのニュース報道の影響力を指し、具体的には英国のBBC、アメリカの CNN 、
カタールのアルジャジーラ、南米のテレスール、中国の中国中央電視台などの国際放送が研究
対象となる20)
。遅いメディアとは交換留学プログラムなど教育など、前者と比較して時間のか
かる広報メディアを指す。我が国の JET プログラムや、米国のフルブライト奨学金制度などが
それである。米国では、時に両メディアの陣営がそれぞれの有効性を主張し予算を取り合う議
論が活発となる21)
。新たな時間の概念に関する議論をここに導入すると、早いメディアと遅い
メディアという速度の違いに関する議論はなくなってしまう。しかし、メディア自体の差異は
依然として存在するから、相互依存論の議論にさかのぼって、それぞれのメディアが相互に影
響を与え合っている点に着眼することになる。つまり、ニュースの影響力がいかに教育を形成
するのか、教科書の影響力がどのようにニュースを形成するかが重要な論点になる。
4-2-3. 世界制作の方法としての広報
 ハイデガーはアリストテレス以前の存在論への回帰を志向したが、彼の考えるアリストテレ
ス以前の存在論では、自然( フュシス ) は物質的な自然を意味せず、万物の本性、真のあり方
を意味していたと指摘した。存在の被制作性はアリストテレス以降の通念であるとして、存在
は被制作的に与えられるのでははく、生起させるものであると改めた。ハイデガーは、アリス
トテレス以前のヘラクレイトスやパルメニデスにあった叡智とは「いちなるもの(存在)がす
べてのものを存在者としてあらしめる( ヘン・パンタ)」( 木田, 2000, p.218)であったと論じ、
生起させる存在論を展開した22)
。
 このような存在概念は、主体的な創造を支持し制作的実践としての広報の意味をもたらして
くれる。龍樹の相互依存論が持っていた拡張性をこれと重ねることもできる。これらは広報の
創造性に関する議論の始点を示すものになるだろう。Krippendorff ( 2006 )は、サピアとウォ
ーフ(言語相対論)、ユクスキュル(意味の環境世界)など本稿を支えた思想的背景とほぼ重
なる思想的源泉に依拠してデザインにおける意味論的展開を提唱したが、これにならったかた
ちで広報論が展開できれば、世界制作の技法(Goodman, 1978)としての広報論が、かつてのプロ
パガンダ論と異なるかたちで実現するだろう。
5. まとめにかえて
 以上を踏まえて広報研究の基礎的考察をまとめると、広報とは相互依存関係により物事や
人々など我々の世界の存在を規定し、言論・表現・議論を促進して、真理の複雑さをさらに鮮
明にしていく作業だということができる。人々がその複雑さに矛盾や不可解、不可知を感じな
がら生きる生活世界において、事実と価値、自然と社会を複雑に交錯させながら相互主観的に
世界を構成し創造していく活動である。このとき、広報の基礎的命題とは、連関にあるという
ことができる。この連関は絶えず変化する繊維状の複雑な存在である23)
。
注
1) 「日本広報学会 パブリック・リレーションズの理論研究部会」( 2012/8/25 )での伊藤直哉の発言に基づく。また、和
田( 2013 )は、この問題を広報のアイデンティティ問題と称している。
2) 断続されたかに見えた広報研究は、同じ調査手法を使って戦後に世論調査などのかたちで援用されており寸断していないと
の指摘もある ( 吉見 , 1999, pp.61-68) 。
3) 第一次世界大戦期においても敵国への宣伝は国際法上、違法ではないかとの議論が出たほどであった。実際に協定が結ばれ
たとの記載もある。また、空襲や砲撃の目的も、実物的な破壊よりも敵国民の士気低下が主な狙いであったとしている。国際
政治の大衆化が宣伝活動の活発化を招いた、というのがカーの観測である。
4) 近年、国際広報強化連絡会議の設置や外務省の組織再編など積極的な動きは見られつつある。
5) 広報に関する名称は移り変わりが激しいが、特に気にする必要はンあい。名称の変化に伴う本質的な違いが全くないという
わけではないが、ここで言えば総じて同じく国際広報を指していると理解して問題ない。このような用語に関する示唆は、
「日本広報学会 パブリック・リレーションズの理論研究部会」での剣持隆( 2011/07/14, 2012/04/11, 2013/02/23 )の発表
に依る。
6) パブリック・ディプロマシーの始まりは、タフツ大学フレッチャー法律外交大学院が国際コミュニケーションに関する研究
所( 1965 年設立)を、ケネディ政権下の USIA長官マローの功績を称えて、その名をエドワード・ R ・マロー・センタ
ー・オブ・パブリック・ディプロマシーとしたことにはじまる。マローセンターでは、パブリック・ディプロマシーを「外交
政策の形成や実行にあたって世論の影響力と上手に付き合うこと」と定義している。我が国にパブリック・ディプロマシーと
いう言葉が初めて登場したのは、外交青書の平成 16 年度版( 2004 年 5 月発行)である。外務省はパブリック・ディプ
ロマシーについて、「伝統的な政府対政府の外交とは異なり、広報や文化交流を通じて、民間とも連携しながら、外国の国民
や世論に直接働きかける外交活動のことで、日本語では「対市民外交」や「広報外交」と訳されることが多い言葉」と説明し
ている。
7) ナイはソフトパワーの源泉を文化、価値感、外交政策に分類している。このうち、価値はナイがもっとも重要視しているソ
フトパワーの根源である。価値は「イデオロギーや政治・経済体制、外交政策、国際秩序、繁栄や開発、したがって国造り
( ネイション・ビルディング ) に関係するのみならず、テロや核不拡散、環境を含む新しい安全保障の諸課題にも関連す
るからである」 ( 星山、 2008 )。ソフトパワーの活用のメリットについては、平和時の勝利の獲得に重要な役割を果た
す点や、それが外交政策の十分条件であり、外交目標達成のコスト下げる点が指摘されている。
8) アンホルト自体、民間のマーケティング会社の出身である。アンホルトは国家と企業では類似点よりも差異の方が多いこと
を認めたうえで、ブランド・マネージメントの理論と技法には、国の評判を高める上で有効な示唆に富むものが多いと指摘し
ている。国家ブランドのマネージメントを外交政策、貿易、投資、観光などの領域それぞれにおけるプロモーション活動を総
合したものとして、「競争力のある国家アイデンティティ (Competitive Identity)」と呼んでいる。国家のブランディングはマー
ケティングの大家コトラーらによっても、 2002 年にすでになされており (Kotler and Gertner, 2002 )、また『 Place Blanding
and Public Diplomacy 』が 2004 年に発刊され、パブリック・ディプロマシーと経営学を結びつけようという学術的な試みは
盛んになっている。英国の「 Cool Britannia 」、マレーシアの「 Malaysia Truly Asia 」などが有名。我が国はクールジャパン
( 経済産業省 ) やビジットジャパン ( 観光庁 ) などを展開している。
9) 終戦を機に、広報の人材は公的部門から商業部門に編入していった。ポスター制作からイデオロギーの発信まで広範な意味
をなした広報研究は、企業の広報活動でかつ広告事業を含まない、主としてプレス対応を示す言葉に矮小化されていった。
10) また、官庁のマスコミに対応する部門の名称は、宣伝 / 普及 / 弘報 / 情報 / 公聴 / 連絡 / 公渉 / 広報 /
公報 / 報道 / 啓発など多様だったが、しだいに広報に統一されたことも記している ( 小山 , 1954, p .74 )。
11) 小山の特徴的な主張として例えば、真実と虚偽とに明確な線引きを引かずに、その如何を宣伝実務の結果によるもので
あると考えている点にみることができる。宣伝はその内容が虚偽であっても成功すれば真実に転化することになり、逆に真実
であっても失敗したならばそれは虚偽となるのであり、真実とした虚偽は一定時間が経過すれば、その虚偽性の暴露に実質的
な効果は生まれないと、「虚偽の時効」説を展開している(小山 , 1954, pp.110-113 )。
12) 広報研究における社会構築主義の援用は、既に幾つかみられるようになってきている ( 例えば Tsetsura, 2010 や
Heide, 2009 )。商業広報の実務家にとっては、国際関係論のリアリズムとコンストラクティビムの対比を、商品自体の成功と
プロモーションの成功の対比に対応させると分かりやすい。
13) 代表的なコンストラクティビストであるウェントの間主観の主体は国家間のみである。また、その関係性はわずか 3
つに分類のみでで、論法として整理はされているものの粗さは否めない。
14) マンハイムは相対主義でなく、相関主義 (relationalism) を提唱している点、留意する必要がある。
15) ジェームズ (James, 1907) の多元的世界観はシュッツの現象学的社会学にも取り入れられており、プラグマティズムだ
けを単純に切り出すことはもちろん正確さを欠くが、ここでは便宜上、プラグマティズムに集中にして論を進める。
16) 実際、ラトゥールは実験室への参与観察を通じて、科学的真理が実験室において社会的に構成されていく様子を記述し
ている( Latour, 1987)。
17) ちなみに広報研究において自然科学の絶対性を主張することは、技術革新がコミュニケーションを変え、広報のあり方
を変えるという技術中心主義や技術決定論的主張につながる。しかし、自然相対主義的立場は、科学技術を社会と相互に連関
した存在として捉えるから、一方的な技術主導的構図を認めないことになる。
18) 「日本広報学会パブリック・リレーションズの理論研究部会」での猪狩誠也(2011/08/20, 2012/04/11, 2013/02/23)、櫻
井光行 (2011/11/24, 2012/08/25, 2013/08/03)の発表は、既にこうした広報の公共性を正面から取り上げている。
19) 言うまでもなく、こうした仏教の思想は、我が国の伝統と密接な関わりを持つ。最初期に影響を受けた聖徳太子の思想
は、直接に龍樹の影響を受けたものではないが、これまでに述べた思考様式との重なりをみることができる。例えば十七条憲
法 ( 聖徳太子 , 604)( 岡野 , 2003) は、「人にはみなそれぞれ心がある。その心には各々こだわるところがある。彼が
正しいと考えることを、私は間違っていると考え、私が正しいと考えることを、彼は間違っていると考える。・・・正しいか
間違っているのかの道理を、誰が絶対的に判定できるのだろうか」と絶対主義を否定し、相対主義の視点と誤謬可能性を指摘
する見地に立っている。また、「そもそも事は独断で決めるべきではない。皆と一緒に議論すべきである。・・・それゆえに
皆と互いに是非を検証し合えば、その命題が理にかなうであろう」、「上も下も和らいで睦まじく問題を話し合えるなら、自
然に事実と真理が一致する」と、民主主義の必然性とそれに基づく事理の一致、すなわち物質と意味、自然と社会の一致を説
いている。この思想こそが「和をもって尊しと為す」の含意であるが、よく知られているように近代日本の礎となった五箇条
の御誓文や大日本国帝国憲法の思想的源泉は、こうした思想に依る。
冒頭述べたとおり国際広報とは国際世論を支配する力であり、価値の体系の訴求であるとすると、その成功の鍵は、価値の体
系の基礎を固めることにあることが明らかである。本稿で考察した相対主義や民主主義、プラグマティズム、相互依存などの
思想は、我が国の伝統と絡めて対外的に打ち出し共感を獲得する基礎的思想になり得るだろう。我が国においては、目下のと
ころ価値観外交が提唱されており、価値観を主軸とした外交の展開は明察といえる。しかし、そのなかで 5 つの普遍的価値
として強調されている自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済がいかに普遍的な価値たりえるのか、その基礎的な
議論は不明である。
エポケーと可謬主義で取り扱った判断についても、我が国の伝統的思想の観点から若干言及しておく。神皇正統記(北畠親房
1339 )は統治の源泉である三種の神器について、和辻 (2011, pp.258-268) は鏡を正直、玉を慈悲の象徴とした上で、剣を
「剛利決断を徳とす。知恵の本源也」と決断の象徴として解釈した。統治という実務の原理に関して、剣を武力ではなく決断
と捉え、その上で決断は勇気によってでななく、分別判断を為す知恵によるものと考えた。すなわち、知識や知恵といったも
のは何らかの規範性をもって我々を判断に導くのである。判断を停止する知識などは論外なわけである。
20) 国際ニュース研究としては Kim and Yang(2008) のほか、伊藤・河野 (2008) が近年における報道レベルでのパブリッ
ク・ディプロマシーを研究している。また、どういった観点でニュースの題材が取捨選択されるかについてのニュース制作に
関する検討は、大里 (2001) の第 2 章に詳しい。
21) 米国議会は 1948 年の情報・教育交流法 ( スミス=ムント法 ) を成立させたが、このときは、広報 ( 情報、宣
伝 ) と文化 ( 教育・文化交流 ) をめぐって、激しい議論が展開された ( 渡辺、 2008 )。
22) アリストテレスのいう主観は基体 ( それ自体で存在しているもの ) であり、客観は心に投射された事物の姿、観念
のようなものを意味していたという。主観と客観が対をなし、その意味が逆転するようになったのは中世から近代への思考様
式の変更があったためとハイデガーは指摘している ( 木田 , 2000, pp.159-160) 。
23) 繊維状と修辞的に表現したのは、本稿で引用した論考で度々「編む」という表現に出くわしたことによる ( パトナム、
2002 、 p.13)( ローティ , 1999,p.14)(ラトゥール、 p.79) 。編むとはラテン語の texō 、英語の textile( 織物 ) 、
text( 文章)の原語であり、編むとは「互い違いに組み合わせること」である。龍樹の相互依存関係(relationality) 、関係性によ
って生起する存在論と重なる。また、アクター・ネットワーク理論が用いるネットワークとはすなわち網であり、編まれたも
のである。伊藤の天道も、互い違いに組み合わさって相互に交流しているもののことをいっている。この複雑な相互交流の総
称こそが社会であり、コミュニケーションであると理解した。
 また、編むという自動詞は、存在を生起させようという存在の基底に関わる実務として広報を位置づけるとき、主体的な態
度という点で近しいものになる。また、織物の複雑に入り組んだ構造から生まれる柔らかさは、プラグマティズムの真理観と
重なる。織物は生活に密接に関わるものであり生活そのものでもある。このことは世俗的で社会的な世界観や、人間的な生臭
さを帯びた人々の集まりのなかで機能する広報と重なる。広報という実務・実践も人間や生活と絶対に切り離して考えること
ができないものである。
文 献:
有馬哲夫 , 『昭和史を動かしたアメリカ情報機関』 , 平凡社 , 2009.
アレック・デュブロ・松井道男 , 「初めてヴェールを脱ぐアメリカ対日洗脳工作の全貌 第 1 ~ 7 回」 , 『ヴュー
ズ』 , 講談社 , 1994 年 11 月~ 1995 年 5 月 .
伊藤陽一・河野武司編著 , 『ニュース報道と市民の対外国意識』 , 慶應義塾大学出版会 , 2008.
Ihlen, Ø., Ruler, B. V., and Fredrilssom, M.(Eds.),   Public Relations and Social Theory: Key Figures and Concept, Routledge, 2009.
Webdt, A., Anarchy is what states make of it: the social construction of power politics, International Organization, vol. 46, no. 2, 1992, pp. 391-425.
Webdt, A., Social Theory of International Politics, Cambridge University Press, 1999. 第 1 章邦訳:「国際政治における 4 つの社会学――ア
レクサンダー・ウェント著『国際政治の社会理論』第 1 章」 , 『修道法学』 25巻 1 号 , 三上貴教訳 , 2002.
瓜生津隆真 , 『龍樹 : 空の論理と菩薩の道』 , 大法輪閣 , 2004.
大里巖 , 『マス・コミュニケーション理論と社会的現実』 , 溪水社 , 2001.
岡野守也 , 『聖徳太子『十七条憲法』を読む : 日本の理想』 , 大法輪閣 , 2003.
Carr, E. H., The Twenty Years' Crisis, 1919-1939: An Introduction to the Study of International Relations, Macmillan, 1939. 邦訳: E.H. カ
ー , 『危機の二十年――理想と現実』 , 原彬久訳 , 岩波書店 , 2011.
金子将史・北野充編著・小川忠・横江公美・マイケル・ユー・ 井出敬二 , 『パブリック・ディプロマシー : 「世論の時
代」の外交戦略』 PHP 研究所 , 2007.
河村望 , 『日本社会学史研究 . 上』 , 人間の科学社 , 1973.
木田元編著 , 『ハイデガー『存在と時間』の構築』 , 岩波書店 , 2000.
Kim, J. Y. and Yang, S., Effects of government public relations on international news coverage, Public Relations Review,
Volume 34, Issue 1, March 2008, pp.51–53.
Goodman, N., Ways of Worldmaking. Indianapolis, Hackett, 1978. 邦訳:ネルソン・グッドマン , 『世界制作の方法』 , 菅野盾樹訳 ,
筑摩書房 , 2008.
Krippendorff, k., the semantic turn: a new foundation for design, Taylor & Francis Group, 2006, 邦訳:クラウス・クリッペンドルフ , 『意
味論的展開 デザインの新しい基礎理論』 , 小林昭世・西澤弘行・川間 哲夫・氏良樹・國澤好衛・小口裕史・蓮池公威訳 ,
エスアイビーアクセス , 2009.
高坂正尭 , 『国際政治 : 恐怖と希望』 , 中央公論社 ,1966.
Kotler, P., and Gertner, Country as brand, product, and beyond: A place marketing and brand management perspective,
Journal of Brand Management (2002) 9, pp.249–261.
小山栄三 , 『広報学 : マス・コンミュニケーションの構造と機能』 , 有斐閣 ,1954.
佐藤卓己 , 「ドイツ広報史のアポリア―ナチ宣伝からナチ広報へ」 , 日本広報学会 , 『広報研究』第 4 号 , 2000,
pp.17-27.
佐藤正晴 , 「戦時下日本の宣伝研究 -- 小山栄三の宣伝論をめぐって」 , メディア史研究会編 , 『メディア史研究』 ,
ゆまに書房 , pp.98-114, 1996.
James, W., Pragmatism: A New Name for Some Old Ways of Thinking. New York, Longman Green and Co. 1907. 邦訳: W. ジェイムズ ,
『プラグマティズム』 , 桝田啓三郎訳 , 岩波書店 , 1957.
信夫隆司 , 『国際政治理論の系譜 : ウォルツ、コヘイン、ウェントを中心として』 , 信山社 , 2004.
清水幾太郎 , 「コントとスペンサー」 , 清水幾太郎編 , 『世界の名著 . 36 』 , 中央公論社 , 1970.
Schütz, A., Der sinnhafte Aufbau der sozialen Welt. Eine Einleitung in die verstehende Soziologie. Springer, Wien 1932. 邦訳:アルフレッド・シュ
ッツ , 『社会的世界の意味構成 : 理解社会学入門』 , 佐藤嘉一訳 , 木鐸社 , 2006.
Tsetsura, K., Social Construction and Public Relations, Heath, L.R (Ed.), The SAGE Handbook of Public Relations, California, SAGE. 2010, pp.163-
176.
Dewey, J., The Public and Its Problems, New York, Holt Publishers, 1927. 邦訳:ジョン・デューイ , 『公衆とその諸問題』 , 植木
豊訳 , ハーベスト社 , 2010.
Dilthey, W. C. L., Die Entstehung der Hermeneutik,1900. 邦訳:デュルタイ , 『解釈学の成立』 , 久野昭訳 , 以文社 ,
1981.
Nye, J. S., Soft Power: The Means to Success in World Politics. New York, Public Affaris, 2004. 邦訳: ジョセフ・ S ・ナイ , 『ソフ
ト・パワー 21 世紀国際政治を制する見えざる力』 , 山岡洋一訳 , 日本経済新聞社 , 2004.
中野剛志 , 『日本思想史新論 : プラグマティズムからナショナリズムへ』 , 筑摩書房 , 2012.
中村元 , 『龍樹』 , 講談社 , 2002.
Berger, P. L., & Luckmann, T., The Social Construction of Reality : A Treatise in the Sociology of Knowledge, Anchor, 1967. 邦訳:ピーター・
L. バーガー・トーマス・ルックマン , 『現実の社会的構成 : 知識社会学論考 新版』 , 山口節郎訳 , 新曜社 , 2003.
Heath, R. L., Toth, E. L., Waymer, D.(Eds.), Rhetorical and Critical Approaches to Public Relations II, Routledge, 2009.
Heide, M., On Berger: A Social Constructonist Perspective on Public Relations and Crisis Communicaiton, Ihlen, O., Ruller, V. B., and Fredriksson, M.
(Eds.), Public Relations and Social Theory, New York, Routledge. 2009, pp.43-61.
Putnam, Hilary, The Collapse Of the Fact/Value Dictomy. Harvard University Press , 2002. 邦訳: 藤田晋吾・中村正利 訳 , 『事実 /
価値二分法の崩壊』 , 法政大学出版局 , 2011.
Botan, C. H., Hazleton, V.(Eds.), Public Relations Theory II, Routledge, 2006.
Finnemore, Martha, National Interests in International Society, Cornell University Press, 1996.
Husserl, E., Die Krisis der europäischen Wissenschaften und die transzendentale Phänomenologie, 1936. 邦訳: エドムント・フッサール , 『ヨー
ロッパ諸学の危機と超越論的現象学』 , 細谷恒夫・木田元訳 , 中央公論社 , 1995.
Haynes, J. E., & Klehr, H., Venona: Decoding Soviet Espionage in America. Yale University Press, 2000. 邦訳:ジョン・アール・ヘインズ・ハー
ヴェイ・クレア , 『ヴェノナ』 , 中西輝政・佐々木太郎・山添博史・金自成訳 , PHP研究所 , 2010 .
星山隆 , 「日本外交とパブリック・ディプロマシー . ―ソフトパワーの活用と対外発信の強化に向けて―」 , 世界平和研究
所 , IIPS Policy Paper 』 334J, 2008.
Mach, E., The Analysis of Sensations, 1897. 邦訳:エルンスト・マッハ、『感覚の分析』 , 須藤吾之助・廣松渉訳、法政大学出
版局 , 1971.
丸山真男 , 『日本政治思想史研究』東京大学出版会 , 1983.
Mannheim, K., Ideologie und Utopie. Bonn, 1929. 邦訳: マンハイム , 『イデオロギーとユートピア』 , 高橋徹・徳永恂訳 ,
中央公論新社 , 2006.
水田洋 , 『新稿社会思想小史』 , ミネルヴァ書房 , 2006.
吉川直人・野口和彦編 , 『国際関係理論』 , 勁草書房 , 2006.
吉見俊哉 , 「東京帝大新聞研究室と初期新聞学的知の形成をめぐって 」 , 東京大学社会情報研究所 編『東京大学社会情
報研究所紀要』 58号 , pp.45-71, 1999.
Latour, B., Science In Action: How to Follow Scientists and Engineers Through Society, Harvard University Press, Cambridge Mass, 1987. 邦訳 :
ブルーノ・ラトゥール , 『科学がつくられているとき――人類学的考察』 , 川崎勝・高田紀代志訳 , 産業図書 , 1999.
Latour, B., We Have Never Been Modern (tr. by Catherine Porter), Harvard University Press, Cambridge Mass, 1993. 邦訳: ブルーノ・ラトゥー
ル , 『虚構の「近代」 : 科学人類学は警告する』 , 川村久美子訳 , 新評論 , 2008.
Lippmann, W., Public Opinion 、 New York, Harcourt, 1922. 邦訳: ウォルター・リップマン , 『世論 上・下』 , 岩波書店 ,
掛川トミ子訳 , 1987.
リチャード・ローティ , 冨田恭彦訳 , 『連帯と自由の哲学 : 二元論の幻想を越えて』 , 岩波書店 , 1999.
和田仁 , 「批判的 PR 理論の系譜に関する一考察―メディア研究とカルチュラル・スタディーズを踏まえて―」, 『広
報研究』 , 第 17 号 , 2013, pp.12-27.
和辻哲郎 , 『日本倫理思想史 . 2』 , 岩波書店 , 2011.
参考サイト
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kokusaikouhou/  ( 国際広報強化連絡会議 , 2013 年 4 月 26日)
要旨
 本稿では広報の基礎的命題について検討する。政治学における権力とは何か、経済学におけ
る富とは何かに相当するような広報研究における根本問題の特定を試みる。検討にあたっては、
まず広報研究における「断層」の解決を図る。断層考察の基点としては、戦争との関連が大き
かった国際広報の分野と、戦前の広報研究の中心として小山栄三の思想を設定する。
 国際広報に対しては、国際関係論の新しい理論であるコンストラクティビズムからアプロー
チし、結果として主観主義という世紀的な思想的潮流の有用性を確認する。同様の主観的思想
であるプラグマティズムと科学社会論から広報の規範に関わる考察を深め小山の広報論を更新
し、市民的公共性と広報の連関を確認する。さらに、主観主義をさらに進めた哲学的議論であ
る実存論から、時間性や創造性に関する広報研究の可能性について言及する。最後に、以上の
検討を踏まえて、広報の基礎的命題について一旦の結論を記す。
Abstract
This paper aims to add new public relations theory to the managerial, instrumental perspective through some new
philosophical ways, for example, constructivism, pragmatism, sociology of science, and existentialism. Every perspective
venerates intersubjectivity from subjectivism which is far from the existing methods. Constructivism is a good tool for
research on public diplomacy. Pragmatism argue necessary relationship between public relations and democracy. Sociology
of science help us to overcome old propaganda view which is strongly related to functionalism. Existentialism of Heidegger
and N g rjunaā ā will provide new idea regarding time to public relations study.

More Related Content

More from mikihisa suzuki

パブリック・ディプロマシーの政策評価に基づく重点領域の考察 ― 米中露による対日パブリック・ディプロマシーの検証から
パブリック・ディプロマシーの政策評価に基づく重点領域の考察 ― 米中露による対日パブリック・ディプロマシーの検証からパブリック・ディプロマシーの政策評価に基づく重点領域の考察 ― 米中露による対日パブリック・ディプロマシーの検証から
パブリック・ディプロマシーの政策評価に基づく重点領域の考察 ― 米中露による対日パブリック・ディプロマシーの検証から
mikihisa suzuki
 
自治体住民意識のブランド理論適用に関する 構造方程式モデルによる検証 ―静岡県と京都府の比較―
自治体住民意識のブランド理論適用に関する 構造方程式モデルによる検証 ―静岡県と京都府の比較―自治体住民意識のブランド理論適用に関する 構造方程式モデルによる検証 ―静岡県と京都府の比較―
自治体住民意識のブランド理論適用に関する 構造方程式モデルによる検証 ―静岡県と京都府の比較―
mikihisa suzuki
 
ジャック・エリュール「プロパガンダ」
ジャック・エリュール「プロパガンダ」ジャック・エリュール「プロパガンダ」
ジャック・エリュール「プロパガンダ」
mikihisa suzuki
 
広報理論に関する若干考察
広報理論に関する若干考察広報理論に関する若干考察
広報理論に関する若干考察
mikihisa suzuki
 
新しい広報論について ―ジャック・エリュール「プロパガンダ」論を起点に
新しい広報論について ―ジャック・エリュール「プロパガンダ」論を起点に新しい広報論について ―ジャック・エリュール「プロパガンダ」論を起点に
新しい広報論について ―ジャック・エリュール「プロパガンダ」論を起点に
mikihisa suzuki
 
パブリック・ディプロマシーに関する研究計画
パブリック・ディプロマシーに関する研究計画パブリック・ディプロマシーに関する研究計画
パブリック・ディプロマシーに関する研究計画
mikihisa suzuki
 
情報技術を活用した理想的な公共関係実現に向けた具体的な提案
情報技術を活用した理想的な公共関係実現に向けた具体的な提案情報技術を活用した理想的な公共関係実現に向けた具体的な提案
情報技術を活用した理想的な公共関係実現に向けた具体的な提案
mikihisa suzuki
 
パブリック・リレーションズと公共哲学
パブリック・リレーションズと公共哲学パブリック・リレーションズと公共哲学
パブリック・リレーションズと公共哲学
mikihisa suzuki
 
Stop TB Partnershipのアドボカシー・コミュニケーション活動について
Stop TB Partnershipのアドボカシー・コミュニケーション活動についてStop TB Partnershipのアドボカシー・コミュニケーション活動について
Stop TB Partnershipのアドボカシー・コミュニケーション活動について
mikihisa suzuki
 
Introduction to ico promotion in japan
Introduction to ico promotion in japanIntroduction to ico promotion in japan
Introduction to ico promotion in japan
mikihisa suzuki
 
ICO-PRの基本戦略
ICO-PRの基本戦略ICO-PRの基本戦略
ICO-PRの基本戦略
mikihisa suzuki
 

More from mikihisa suzuki (11)

パブリック・ディプロマシーの政策評価に基づく重点領域の考察 ― 米中露による対日パブリック・ディプロマシーの検証から
パブリック・ディプロマシーの政策評価に基づく重点領域の考察 ― 米中露による対日パブリック・ディプロマシーの検証からパブリック・ディプロマシーの政策評価に基づく重点領域の考察 ― 米中露による対日パブリック・ディプロマシーの検証から
パブリック・ディプロマシーの政策評価に基づく重点領域の考察 ― 米中露による対日パブリック・ディプロマシーの検証から
 
自治体住民意識のブランド理論適用に関する 構造方程式モデルによる検証 ―静岡県と京都府の比較―
自治体住民意識のブランド理論適用に関する 構造方程式モデルによる検証 ―静岡県と京都府の比較―自治体住民意識のブランド理論適用に関する 構造方程式モデルによる検証 ―静岡県と京都府の比較―
自治体住民意識のブランド理論適用に関する 構造方程式モデルによる検証 ―静岡県と京都府の比較―
 
ジャック・エリュール「プロパガンダ」
ジャック・エリュール「プロパガンダ」ジャック・エリュール「プロパガンダ」
ジャック・エリュール「プロパガンダ」
 
広報理論に関する若干考察
広報理論に関する若干考察広報理論に関する若干考察
広報理論に関する若干考察
 
新しい広報論について ―ジャック・エリュール「プロパガンダ」論を起点に
新しい広報論について ―ジャック・エリュール「プロパガンダ」論を起点に新しい広報論について ―ジャック・エリュール「プロパガンダ」論を起点に
新しい広報論について ―ジャック・エリュール「プロパガンダ」論を起点に
 
パブリック・ディプロマシーに関する研究計画
パブリック・ディプロマシーに関する研究計画パブリック・ディプロマシーに関する研究計画
パブリック・ディプロマシーに関する研究計画
 
情報技術を活用した理想的な公共関係実現に向けた具体的な提案
情報技術を活用した理想的な公共関係実現に向けた具体的な提案情報技術を活用した理想的な公共関係実現に向けた具体的な提案
情報技術を活用した理想的な公共関係実現に向けた具体的な提案
 
パブリック・リレーションズと公共哲学
パブリック・リレーションズと公共哲学パブリック・リレーションズと公共哲学
パブリック・リレーションズと公共哲学
 
Stop TB Partnershipのアドボカシー・コミュニケーション活動について
Stop TB Partnershipのアドボカシー・コミュニケーション活動についてStop TB Partnershipのアドボカシー・コミュニケーション活動について
Stop TB Partnershipのアドボカシー・コミュニケーション活動について
 
Introduction to ico promotion in japan
Introduction to ico promotion in japanIntroduction to ico promotion in japan
Introduction to ico promotion in japan
 
ICO-PRの基本戦略
ICO-PRの基本戦略ICO-PRの基本戦略
ICO-PRの基本戦略
 

広報の基礎的命題についての考察