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Similar to 21seikikentikudamasii (7) 21seikikentikudamasii1. 21 世紀建築魂 - はじまりを予兆する、 6 の対話 Architectural Spirit in 21ct Century : Terunobu Fujimori 藤森照信 著 Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING vol.1 09/12/22 [ 建築のちから ] ① 2. Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING vol.1 09/12/22 [ 建築のちから ] シリーズについて 藤森照信、伊東豊雄、山本理顕が若手建築家と共同 編集協力に mosaki (大西正紀+田中元子) ① 藤森照信 ② 伊東豊雄 ③ 山本理顕 藤本壮介 平田晃久 佐藤淳 藤村龍至 長谷川豪 アトリエ・ワン 阿部仁史 五十嵐淳 岡啓輔 三分一博志 手塚貴晴・由比 3. Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING vol.1 09/12/22 目次 [ 論考 ] 藤森照信 この先に何があるのか [ 写真 ] 藤塚光政 スウェーハウス/菅野美術館/光の矩形/蟻鱒鳶ル/ Base Valley /屋根の家 [ 建築資料 ] [ 対談 ] ・都市のカケラを集めて、建築をつくる 塚本由晴+貝島桃代 ・身体/情報/建築 阿部仁史 ・原野の開拓スピリッツ 五十嵐淳 ・一人でコンクリート製バベルをつくる 岡啓輔 ・建築は地球の一部である 三分一博志 ・建築でライフスタイルをつくる 手塚貴晴+手塚由比 [ 鼎談 ] 伊東豊雄 × 山本理顕 × 藤森照信 二十一世紀建築がはじまる 4. Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING vol.1 09/12/22 目次 [ 論考 ] 藤森照信 この先に何があるのか [ 写真 ] 藤塚光政 スウェーハウス/菅野美術館/光の矩形/蟻鱒鳶ル/ Base Valley /屋根の家 [ 建築資料 ] [ 対談 ] ・都市のカケラを集めて、建築をつくる 塚本由晴+貝島桃代 ・身体/情報/建築 阿部仁史 ・原野の開拓スピリッツ 五十嵐淳 ・一人でコンクリート製バベルをつくる 岡啓輔 ・建築は地球の一部である 三分一博志 ・建築でライフスタイルをつくる 手塚貴晴+手塚由比 [ 鼎談 ] 伊東豊雄 × 山本理顕 × 藤森照信 二十一世紀建築がはじまる 5. Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING vol.1 09/12/22 論考 : この先に何があるのか を、藤森史観的「通史」として読む ゼロ年代に始まる 21 世紀の建築の記述を、伊東豊雄 < 下諏訪町立諏訪湖博物館 > (1993) や山本理顕 < 山川山荘 >(1977) などの野武士世代の建築、さらに 20 世紀初頭に乱立したモダニズム運動、 19 世紀歴史主義、そして原始時代にまで一足飛びに遡行して試みる。 出典: http://www.sou-fujimoto.com/Top/works/Tokyo%20Apartment%20project/index.htm 出典: http://architecturephoto.net/jp/2009/07/architect_tokyo_2009.html 出典: http://www.heiseikensetsu.co.jp/file_22.html 上<東京アパートメント>(藤本壮介、 2008− ) 右下< KAIT 工房>(石上純也、 2008 ) 左下<森山邸>(西沢立衛、 2005 ) 6. Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING vol.1 09/12/22 * 1 モダニズム運動を生命・鉱物・数学という三層から捉える * 2 モダニズム巨匠から 20 世紀建築までを白派&抽象・赤派&存在という特徴から捉える * 3 21 世紀はじめのゼロ年代建築を反転・分離という特徴から捉え、「素空間」という新たな概念を提出する 本論考における枠組み設定 左『日本の近代建築上・下』藤森照信著、岩波書店、 1993 右『人類と建築の歴史』藤森照信著、筑摩書房、 2005 7. Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING vol.1 09/12/22 枠組み① 「生命の層」「鉱物の層」「数学の層」 アール・ヌーヴォー (つる草・女体) ドイツ表現派 イタリア未来派 チェコ・キュビズム アール・デコ バウハウス (ホワイトキューブ) (ミース派生オフィスビル) 「生命の層」 「鉱物の層」 「数学の層」 創作の源泉を歴史や様式にではなく自己の内面に求め、幾層も下っていった。 1890 ー 1920 年代前後という短い期間において、このような急激な変化が達成された。 『人類と建築の歴史』ちくまプリマー新書、 2005 8. Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING vol.1 09/12/22 枠組み② 「白派」「抽象」と「赤派」「存在」 ちなみに「白派」の「白」はホワイトキューブではなく「脳みその色」を指す。 多彩なモダニズム運動の後についての認識。数学の相 ( 層 ) の内側で、生命ー鉱物という流れを引き継ぎより抽象化する流れを正統と捉え、一方で具象的=存在的であろうとする建築を「赤派」として位置づける。 白派=抽象 赤派=存在 グロピウス ミース アアルト ル・コルビュジエ ライト ガウディ 槇文彦 谷口吉生 原広司 伊東豊雄 安藤忠雄 磯崎新 石山修武 9. Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING vol.1 09/12/22 20 世紀建築は「数学の層」のうち「白派」「抽象」に収斂する 〜数学の層に相応しい抽象性を究極まで突き詰めた位置には、建築にひきつけて言うなら、細さ、薄さ、軽さ、透明を突き詰めたところには、0 ( ゼロ ) があるはずだ。位置だけあって質量のないゼロ。数学の層らしく座標軸に例えるならその原点ゼロ。 ( ・・・ ) 漸近線だからゼロ点には至らないが 、ジリジリと少しずつ、まるで 100 メートル走の世界レコードのように間を詰め続ける。漸近線ゆえ、大きな努力を払っても少ししか成果はあがらないが、その少しの成果に世界は拍手を送る。より細く、より薄く、より軽く、そしてより透明に。 ( 本書 22 ー 3 頁 ) 藤森は当初、このようなバウハウスに始まる 20 世紀の主流を、 1990 年代から 21 世紀初頭の「伊東豊雄->妹島和世->西沢立衛->石上純也」という流れにも当てはめていた。 しかし本書鼎談における伊東の発言 ( 「妹島以後には興味はない」 ) などを受け、修正を施し、本論考を著述している。 -> 「漸近線的」とよぶ 10. Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING vol.1 09/12/22 枠組み③ 「反転」と「分離」 伊東のその「反転」は < せんだいメディアテーク > や < 台中オペラハウス > などで、内部と外部の複雑かつ曖昧な関係性を産み出していく。 -> 「空間の未知の質の探求」 もう一方で、山本理顕の < 山川山荘 >(1977) などに起源を見出されるような、居室を分離することで内部と外部の関係を変貌させる試みも顕在化する。 -> 「空間の極小単位の探求」 上<山川山荘>山本理顕、 1977 (出典:『住宅建築』 2009 年 2 月号、建築資料研究所) 下<せんだいメディアテーク模型>伊東豊雄、 2000 出典: http://blog.goo.ne.jp/akatuki-design/e/4a1dce02833e2e6df2b26c1b9666bbaa 11. Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING vol.1 09/12/22 「素空間」と修正された妹島以後の建築 〜 1920 年代のバウハウスから始まった建築における数学の層の探求は、現在、素粒子探求の段階にあると考えたらどうだろう。私たちが日常的に知っているのは、壁によって隔てられた内部空間と外部空間の二つだが、こうした経験的空間の奥には、その素となるような未知の空間があるのではないか。仮にそれを “ 素空間 ” と名付けるなら、“反転”や“分離”から生まれる空間も、“内でも外でもない”や“透明”の空間も、さらに、各種極小単位の空間も、素空間とは考えられないか。 線と面で、薄く、軽く、細く、白く、透明に——こうした試みは、ゼロに収束する単線上に乗っているわけではなく、 ゼロに近いあたりで、未知のさまざまな素空間を探求する試み と考えてはどうだろう。 ( 本書 24 頁 ) 妹島を抽象化(純粋化)の最終地点=ゼロへの漸近運動の終局とする。 そして、妹島以後のゼロ年代建築の特徴をあらたに 「素空間」 と命名する。 これは 20 世紀科学の分子から素粒子へ、という流れと連動させられている。 12. Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING vol.1 09/12/22 旧石器時代・青銅器時代・ 19 世紀 多様性 時間 モダニズム ——— 20 世紀——— … 21 世紀 生命 鉱物 数学 白派の歴史 =ゼロへの漸近線的接近 妹島和世以後 ゼロ近傍での 極小の多様性 妹島和世 20 世紀末ー 21 世紀初頭の建築を、『人類と建築の歴史』から延長する通史として図式化すると、このような、時間軸の歪んだグラフが描ける。 13. Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING vol.1 09/12/22 漸近線から離脱した伊東は、さらに「数学」から「鉱物」「生命」へ U ターンするような動きを見せる。 〜建築家は、 20 世紀建築の中で、数学の層から鉱物そして生命の層へと U ターンをはじめ、歴史家兼建築家は、人類の建築の歩みの中を始原へと U ターンしている。 ( 本書扉 ) *予想する 21 世紀の建築 < MIKIMOTO GINZA 2 >(伊東豊雄、 2005 ) 出典: http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mikimoto_Ginza2.JPG 14. Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING vol.1 09/12/22 *藤森照信の建築 藤森の作品は一見ノスタルジックな佇まいをしているが、実際は年代不詳・国籍不詳の完璧なデラシネ ( 根無し草 ) 的建築である。 あるいはこれはアニメーションやおとぎ話で誰しもが見聞きし体験している建築の具現化とも言え、それによって土着性と普遍性がアクロバティックに同時に獲得されているとも言える。 <神長官守矢史料館>(藤森照信、 1991 ) 出典: http://blog-imgs-23.fc2.com/g/a/k/gakusyuuprivateroom/s8.jpg 15. Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING vol.1 09/12/22 *「アンチ歴史」の歴史家としての藤森照信 中谷礼仁は藤森の擬洋風建築にたいするスタンスを以下のように述べている。 〜藤森の擬洋風論はその後も継続的に続くのであるが、終始変わらないその独自のモチーフとは、擬洋風を単なる他の参照元からの影響関係のみで語ろうとしないことなのである。(・・・)事細かくその影響関係や参照元藤森自身が呈示しているにもかかわらず、そうなのである。 (『ユリイカ 特集:藤森照信』 2004 年 11 月号) 土居義岳は藤森の歴史家としてのスタンスを以下のように述べている。 〜アンチ歴史の歴史家だが、その歴史叙述の魅力はなんといっても、理念ではなく個人に想像の根源を求めている点である。 (『言葉と建築』、 1997 ) 五十嵐太郎はこの土居の言葉を引いて、さらに以下のように述べている。 〜実際、藤森は秩序やシステムがイヤでたまらないという。つまり、社会的な制度や経済原理が支配する世界から上と下にはみ出るもの。それが明治の東京計画であり、路上の近代建築なのだ。 (『ユリイカ 特集:藤森照信』) 上から 『明治の東京計画』(岩波書店、 2004 )『建築探偵の冒険 東京篇』(筑摩書房、 1986 )『日本の近代建築上・下』『人類と建築の歴史』 16. Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING vol.1 09/12/22 *「アンチ歴史」の歴史家としての藤森照信 中谷礼仁は藤森の擬洋風建築にたいする向かい方を以下のように述べている。 〜藤森の擬洋風論はその後も継続的に続くのであるが、終始変わらないその独自のモチーフとは、擬洋風を単なる他の参照元からの影響関係のみで語ろうとしないことなのである。(・・・)事細かくその影響関係や参照元藤森自身が呈示しているにもかかわらず、そうなのである。 (『ユリイカ 特集:藤森照信』 2004 年 11 月号) 土居義岳は藤森の歴史家としてのスタンスを以下のように述べている。 〜アンチ歴史の歴史家だが、その歴史叙述の魅力はなんといっても、理念ではなく個人に想像の根源を求めている点である。 (『言葉と建築』、 1997 ) 五十嵐太郎はこの土居の言葉を引いて、さらに以下のように述べている。 〜実際、藤森は秩序やシステムがイヤでたまらないという。つまり、社会的な制度や経済原理が支配する世界から上と下にはみ出るもの。それが明治の東京計画であり、路上の近代建築なのだ。 (『ユリイカ 特集:藤森照信』) -> システムや時代精神を根拠とせず、年代・国籍不詳なものとして記述しようとする -> さらにその姿勢は『人類と建築の歴史』など後年になるにつれ強くなる 上から 『明治の東京計画』(岩波書店、 2004 )『建築探偵の冒険 東京篇』(筑摩書房、 1986 )『日本の近代建築上・下』『人類と建築の歴史』 17. Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING vol.1 09/12/22 目次 [ 論考 ] 藤森照信 この先に何があるのか [ 写真 ] 藤塚光政 スウェーハウス/菅野美術館/光の矩形/蟻鱒鳶ル/ Base Valley /屋根の家 [ 建築資料 ] [ 対談 ] ・都市のカケラを集めて、建築をつくる 塚本由晴+貝島桃代 ・身体/情報/建築 阿部仁史 ・原野の開拓スピリッツ 五十嵐淳 ・一人でコンクリート製バベルをつくる 岡啓輔 ・建築は地球の一部である 三分一博志 ・建築でライフスタイルをつくる 手塚貴晴+手塚由比 [ 鼎談 ] 伊東豊雄 × 山本理顕 × 藤森照信 二十一世紀建築がはじまる 18. Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING vol.1 09/12/22 目次 [ 論考 ] 藤森照信 この先に何があるのか [ 写真 ] 藤塚光政 スウェーハウス/菅野美術館/光の矩形/蟻鱒鳶ル/ Base Valley /屋根の家 [ 建築資料 ] [ 対談 ] ・都市のカケラを集めて、建築をつくる 塚本由晴+貝島桃代 ・身体/情報/建築 阿部仁史 ・原野の開拓スピリッツ 五十嵐淳 ・一人でコンクリート製バベルをつくる 岡啓輔 ・建築は地球の一部である 三分一博志 ・建築でライフスタイルをつくる 手塚貴晴+手塚由比 [ 鼎談 ] 伊東豊雄 × 山本理顕 × 藤森照信 二十一世紀建築がはじまる -> 正史 白派的なもの -> 偽史 赤派的なもの 19. Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING Reading REDADING vol.1 09/12/22 参考文献 :『人類と建築の歴史』(藤森照信、筑摩プリマー文庫、 2008 ) :『ユリイカ 特集:藤森照信』 2004 年 11 月号(青土社) :『 20XX の建築原理へ』(伊東豊雄監修、 INAX 出版、 2009 ) :『言葉と建築』(土居義岳、建築技術、 1997 ) :『明治の都市計画』 Editor's Notes 藤森照信「 21 世紀建築魂 はじまりを予兆する六の対話」を取り上げます。 本書は 2009 年から「建築のちから」と題されて刊行されるシリーズの第一弾です。 野武士世代にあたる藤森照信、伊東豊雄、山本理顕という三人の建築家による監修で、それぞれが 1960 年代、 70 年代生まれの若手・中堅建築家とコラボレートしてつくられていることが特徴です。 まず本書の構成から見ていきます。 副題に「 6 の対話」とありりますが、内容はそれだけではなく、論考や建築写真、そしてシリーズ監修の三者による鼎談、という、かなり肉厚な内容となっています。 ですので、ここでは様々な読みが可能と思われますが、 今回は、 監修著者である藤森照信の、冒頭に掲載されている「この先に何があるのか」という論考をベースに、本書を考えます。 というのも、この論考はうしろに収録されている対談そして鼎談のあとに完成されたもので、本書の全体を見通せるものとなっているからです。 「この先に何があるのか」は、ゼロ年代に始まる 21 世紀建築をいかに記述するか、という問題を取り扱っています。 30 頁に満たないライトなテキストですが、藤森照信一流の「物語的」とでも言える歴史記述が為されています。 すなわち、かなり個人的な問題設定とその切り方、そして飛躍に満ちています。また野武士の建築を扱ったと思えば、即座に 20 世紀建築、あるいは石器時代といった具合に、時代や地域を自由に横断した書き方が為されています。 本来ならばエッセイとして読むべきとも思われますが、歴史と切り離された「いま、ここ」という感覚しかない現在において、このような個人的な語りこそ歴史の語りの可能性とも言えます。 よって、今回はこのエッセイをあえて「通史」として捉え、藤森照信史観のゼロ年代への延長テキストとして読みたいと思います。 藤森の文章と語りの特徴は、キャッチーな枠組みを設定することにあります。 本論考でもその特徴は現れていて、ここに挙げられた三つが、枠組みとして用意されていると解釈できます。 これらに沿うかたちで、本論考の読解に入ります。 まず最初に 「生命」「鉱物」「数学」という枠組みです。 これは『人類と建築の歴史』において、モダニズム運動をまとめるために生まれた枠組みです。 続いて「白派」と「赤派」という枠組みです。 本書では「抽象」と「存在」、とも言い換えられています。 モダニズム運動が生命ー鉱物ー数学という抽象化した流れのあと、 それを引き継いで正統な歴史を形作るものとしての白派=抽象の組と、 一方で具象的であろうとする異端として「赤派」が設定されます。 20 世紀建築の主流である白派の抽象化を「より細く、薄く、軽く、透明に」する漸近線的運動と、 藤森は呼びます。 藤森は当初、このようなバウハウスに始まる流れを、 90 年代からゼロ年代の「伊東->妹島->西沢->石上」という日本の伊東スクールの系譜にも、当てはめていました。 しかし本書鼎談における伊東の「妹島以後には興味はない」という発言に対応して、 白派の歴史を修正することで、本論考は書かれています。 修正のため、三つ目の枠組みが登場します。 「反転」と「分離」です。 「反転」は伊東の<メディアテーク>などの、内部と外部を曖昧な関係性でむすぶような技法です。 「分離」は森山邸のような内部空間を極小化して外部との関係性を変貌させる技法で、 山本理顕による<山川山荘>をその源流として位置づけています。 両者は「空間の未知の質の探求」と「空間の極小単位の探求」と呼ばれ、 漸近線的な抽象化とは異なる、新たな抽象的空間の試みとして、評価します。 以上から、藤森は妹島を抽象化の臨界点として、 それ以後の「ゼロ年代の白派」を、「素空間派」と修正します。 素空間とは内部でもない外部でもない、そのもととなるような新しい空間原理です。 そしてそれはゼロ地点への漸近線ではなく、むしろゼロ地点の近傍の陣取りゲームをするような、 狭小な世界における多様性が産み出されます。 これまでの内容を、 縦に多様性の軸、横に時間軸をってグラフ化すると、このようになります。 モダニズムをいただきとして、旧石器時代と 21 世紀に裾野を広げるようなグラフとなり、 21 世紀はじめは、漸近線で近づいたゼロ地点近傍という狭小な範囲内における、 奇妙な多様性の乱立が描かれます。 以上のような通史のあとで、藤森はさらにその先の記述を試みています。 たとえば伊東豊雄です。 素空間の源流を作った「反転」を発明してから伊東は、 ぐりんぐりんやみきもとなどで、鉱物的・生命的な建築へとある種の「先祖帰り」を行っていると藤森はいいます。 本書扉において「建築家は、 20 世紀建築の中で、数学の層から鉱物そして生命の層へと U ターンをはじめ」ていると記しているように、藤森は伊東を、とりわけ重要な建築家として位置づけています。 そして歴史家兼建築家である藤森は、自身の「始原へと U ターンし」た石器時代建築を、 この伊東の U ターンと重ね合わせています。 その建築家としての藤森の作品は、一見どこかで誰もが見たことのあるような、 ノスタルジックなものと言えますが、 しかし実際はどの年代、どの場所の建築とも似ていない。 つまり起源が不詳の建築と言えます。 しかしそのような完璧なデラシネ性によって、 逆説的に土着的かつ普遍的な作風を獲得しています。 言うなれば、アニメーションやおとぎ話で誰しもがヴァーチャルに体験している建築を、 具体化している、とも言えます。 建築家としてそのような作品を作る藤森は、その歴史観においても同様のことが言えるのではないでしょうか。 中谷礼仁は、藤森の擬洋風建築に対するスタンスを、参照元を明示しつつも決してそれを根拠としない点に、特異性があると指摘しています。 土居義岳は、理念といった大文字の精神的由来ではなく、個人に建築の根拠を求める「アンチ歴史」としての歴史家像を、藤森に見ています。 五十嵐太郎は、制度・秩序・システムから逸脱するものへの記述が藤森の特長だと述べています。 つまり藤森は、建築を創作すると同じように、建築史に向かっていると言えます。 様式や時代精神といった普通であれば根拠とされるような概念を根拠と想定せず、あくまでも年代や国籍の不詳なものとして、歴史を記述しようと志向している。 そしてそのような手法は、建築家としての活動をはじめてから、より強固に、あからさまになってきているといえます。 最後に、目次に戻って、本書の全体を再度見直します。 論考はゼロ年代の素空間に至る「白派的なもの」、つまり正史を扱ったものと言えますが、 対談する 6 組は、そこに一切登場しません。対談した建築家六名は、それぞれ偏差がありつつも、 伊東ー SANAA 系統の抽象化・素空間化という主流とは外れた、 素材的なもの・ハイブリッドなもの・身体的なもの・土着的なものを主題とする、「赤派的な」建築と言えます。 なぜ対談者に正史には全く登場しない建築家を選んだのか。 正史の最後に「先祖返り」して正史から外れた伊東と、石器時代建築を標榜する自身の建築を位置づけたこと、 そして先に述べた「アンチ歴史」の歴史家というスタンスから考えられるように、 「白派的なもの」を乗り越える今後の建築として「赤派的なもの」を掬い上げようとしたと読み取ることが出来ます。 以上で発表を終わります。