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〈右派論壇の詭弁を暴く〉
右派論壇に蔓延する
「挺身隊」という言葉に対する無知
『韓国が危ない』(豊田有恒著)の間違い
「挺身隊」という言葉に対する無知から生じる誤解が右翼論壇には蔓延している。
例えば、豊田有恒氏が 2005 年に出版した『韓国が危ない』(PHP)P27~P28には、こう書か
れている。
70 年代には、いわいる従軍慰安婦問題なる問題も、まったく存在しなかった。なぜならこれは
そもそも発端からして100パーセント捏造だからである。
それで豊田氏にとって何が100パーセント捏造なのかというと
1990 年代の初め韓国のさる新聞が、挺身隊なるものに関して報道した。これは、第二次世界
大戦の時代のことで、勤労挺身隊という制度があったことを意味している。これ自体は正し
い。私の 9 歳年上の姉も、当時の女学生だったが、近所の中島飛行機の工場に通い、働いて
いた。第二次大戦末期である。・・・・・(中略)・・・ところが、この勤労挺身隊、略して挺身隊が
韓国の若い新聞記者の誤解から、とんでもない騒動を引き起こすことになった。・・・・・・(中
略)・・・・・・・実際、挺身隊は内地では早くから行われていたが、朝鮮では 1944 年になってか
らだった。・・・・・朝鮮に関しては、勤労挺身隊に徴用することに多少の遠慮があったのだろ
う。そのため、内地より遅れて始まったのである。
だが、そうした史実も知らずに、韓国では挺身隊が一人歩きをしてしまった。現在も「挺対協
(チョンテヒョブ)」と言う団体が活躍しているそうである。挺身隊問題対策協議会の略だとい
う。伊貞玉(ユンチョンオク)という人が、初代の責任者で、ソウルの日本大使館には数百回も
デモを敢行したそうである。いまだに誤解が続いているのだ。
と言う事らしいが、ここで豊田氏の勘違いの一つは、「挺身隊」=「勤労挺身隊」という勘違い
である。
韓国では慰安婦の事を「挺身隊」と呼んだが、一時混同されたにしてもこれは必ずしも「女子
勤労挺身隊」とイコールではない。それはこの後で述べた尹明淑氏の論考からも理解可能で
あろう。
戦前、日本社会においての「挺身隊」という言葉
韓国における「挺身隊」を取り上げる前に日本社会における「挺身隊」という言葉について調
べてみよう。
戦前の右傾化した日本社会では、「挺身隊」という言葉はポピュラーであり、1933 年頃にはす
でに使われていた。これはもちろん、1944 年から始まった「女子勤労挺身隊」の事ではない。
戦前、日本社会においては、「挺身隊」という言葉はポピュラーであった。
以下いくつかの例を「アジア歴史資料センター」資料 http://www.jacar.go.jp/から抜き出し、書
いて置こう。
*(1)【 レファレンスコード 】A04010508400 1救
1933年には右翼団体救国埼玉挺身隊事件が記録されている。
38年には内閣情報局関係出版物に書かれており
*(2)【 レファレンスコード 】A06031027200
1938年の内閣情報局関係出版物週報 第110号においても第百十号 われらは銃後の挺身
隊 道挺身隊」という使われ方をしている。
*(3)【 レファレンスコード 】A06031060300
写真週報 8号にすでに、「挺身隊」「鉄道挺身隊」という使われ方をしている。
*(4)【 レファレンスコード 】A0603250530039年の台湾総督府刊行
物39年の台湾総督府刊行物には「挺身隊」と書かれている。
軍隊名としても使用されており、
*(5)【 レファレンスコード 】C11111425800
38年徐州を占領した「横山挺身隊」は、いくつかの陸軍文書にその名前が発見できる。る。
*(6)38年の第104師団戦闘経過及教訓集 には「南進シ我捜索隊特ニ安民挺身隊
ヲ攻撃スルノ」と書かれ、
*(7)【 レファレンスコード 】C13031867400 陣中日誌 甲第8号 自昭和15年6月1日至昭和15
年6月30日には岡本支隊挺身隊の名前が見られる
*(8)41年には帰徳陸軍特務機関に「青年挺身隊組織」があった事が書かれている。
*(9)【 レファレンスコード 】A06030107600 44年自11月~12月 の新聞検閲係の勤務日誌 に
は「六輸送船を撃沈破 わが魚雷挺身隊奪戦」と書かれている。
外国の軍隊も「挺身隊」と呼ぶ事があったらしく、
*(10)【 レファレンスコード 】A03024836200 「独挺身隊米本土に潜入 ニューヨークUP二十八日」
という記事
*(11)【 レファレンスコード 】A03024658100 部報 第78号重慶UP新聞電報放送(十三日)には
「支那軍はなほ宜昌東北方の漢口―宜昌公路を通ずる主戦線を防衛している。しかしこの一万五千の
挺身隊は六月八日に沙市を出発し・・・・」と書かれている。
*(12)【 レファレンスコード 】A06031080100 42年(昭和 17 年)の写真週報 206号には「お嬢さん軍属第六百十号
陸軍被服本廠の女子挺身隊」と書かれている。
つまり、陸軍の被服本廠で職員や 職工をする女性たちがいた事を意味している。
以上から分かるように「挺身隊」という言葉は、戦前日本では非常にポピュラーな言葉だった
のである。かならずしも、「女子勤労挺身隊」の事だけを指しているのではない。これは例えば、
紅白歌合戦の「赤組」と日比谷中学の運動会の「赤組」が同じ言葉であっても、違う存在であ
るようなものだ。
「挺身」という言葉自体の意味は「自ら進み出ること、自分の身を投げ出して物事をすること」
である。
(『広辞苑 第四版』(岩波書店、1995 年)
ここから転用され「愛国行動」を表す言葉としての「挺身」という言葉は、右翼団体が好んで使
った言葉であり、1932 年の満州事変以降、急激に右傾化する中で軍事に関連して日本国中
に氾濫するようになったのである。大政翼賛会の規約第 4 条にも使われており、戦後も花王
石鹸株主総会事件で報道された「防共挺身隊」などの右翼団体の組織名に使用されている
(『右翼辞典』P86)。
朝鮮半島での「女子勤労挺身隊」以外の使われ方
日本の右派と仲がいいニューライトと呼ばれる韓国右派がいる。このニューライトの旗手の一人
であるイ・ヨンフン氏は『時代精神』第 28 号の『国史教科書に書かれた日帝の収奪性とその神
話性』(http://www.zeitgeist.co.kr/2005html/sub/popup/28/2811.htm)という論文の中で「挺身隊と
いう言葉が最初に出たのは 1943 年 9 月の日本政府の次官会議においてであり・・・」と書いて
いるが、これがまったくのデタラメである事は、先の例からも分かるはずである。イ・ヨンフン
氏は続けて「植民地で挺身隊が組職された最初の事例は、1943 年 11 月、ソウル市内の接客業
店に従事した男女のうち 3,349 人(うち朝鮮人 2,454 人)の女たちだった」と書いている。しかし
朝鮮半島でも必ずしも「女子勤労挺身隊」のみを「挺身隊」という訳ではなく、余舜珠氏は、
「1940 年 11 月 13 日付け『毎日新報』に「農村挺身隊」の結成が報じられた記事」について書いている
(余舜珠『日帝末期の朝鮮人女子勤労挺身隊に関する実態研究』)(尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と
朝鮮人軍慰安婦』明石書店、2003 年 P295)。
「女子挺身隊勤労令」など影も形も無いような 1940 年の時点ですでに朝鮮半島でも「挺身隊」という言
葉が使われていた事を我々は理解しておく必要がある。
豊田氏は「実際、挺身隊は内地では早くから行われていたが、朝鮮では 1944 年になってからだ
った。」と書いているが、秦郁彦氏さえ書いているように「女子挺身隊勤労令」によらない女子
への動員がなされており(『慰安婦と戦場の性』P368)、「女子挺身隊勤労令」は朝鮮半島で
は施行されなかった。朝鮮半島では、民間業者による募集と官斡旋が 44 年以降もなされており、
教師に「勉強ができる」「お腹いっぱい食べられる」などの嘘で動員された例などが報告されて
いる。
43 年に沼津工場 に行った裵甲先さんの証言もあり、44 年以降に限る話しではない。
http://www16.ocn.ne.jp/~pacohama/kyosei/touasa.html。
この豊田氏の勘違いは大師堂経慰氏の『慰安婦強制連行は無かった 河野談話の放置は許されな
い』や秦郁彦氏の『慰安婦と戦場の性』に共有されており、どちらも「韓国(や朝日新聞)が、慰安婦と挺
身隊を混同させている」というような意見を書いているが、それ以前に「挺身隊」という言葉を無条件に
「女子勤労挺身隊」の事だと思い、これを混同させてしまったのは自分達なのである。この点について
は、後でさらに詳しく論じてみよう。
日本国内で「挺身」という言葉が頻繁に使われるようになると、朝鮮半島にも伝播し使われるようになっ
た。
そこで、軍の依頼を受けた遊郭業者たちが、朝鮮の女衒を雇い入れると彼らは、純情な農村の娘達を
騙くらかすために「お国のために役に立つ」とか「○○挺身隊の仕事」「○○奉仕隊の仕事」「○○報国
隊の仕事」「兵隊の被服の仕事」「兵隊の食事の世話」「看護婦の仕事」とか言い募ったのである。
その具体例をいくつか書いておこう。
こんな風にして騙した
■『従軍慰安婦 110 番 - 電話の向こうから歴史の声が』明石書店,1992 年,p.54
陸軍パイロットの証言、場所:マレー
マレーの場合、飛行場は町外れにあったので、町にある慰安所までは、一、二里あります。そこで慰
安所に行くときはトラックにギッシリ乗って行きました。中隊ごとに 200 人ぐらいが外出しました。……「ト
ミコ」という源氏名の朝鮮人慰安婦がいましたが、彼女が「私たちは軍属募集され、お国のためと志願
してきたのに、裏切られて…もう、国には帰れない」と話していました。この慰安所の経営者は、年配の
日本人でした。
「お国のために」というのが、純情ないなか娘を騙すためにはそれなりに有効なアイテムだったのだと
いう事が分かる。
山口彦三氏の『落日の賦』も
「対馬の陸軍病院で雑役婦を募集しているから行かないか」という話を聞き、紹介人が朝鮮人の産婆
で信用できる人なので応募したら、約一〇〇名の女性と一緒に海南島の軍慰安所に送り込まれた
という話を書いている。(吉見義明『従軍慰安婦』P.91)
友清高志氏の『ルソン死闘記』 にも
1942年の春、満ソ国境の近くの小城子という町で独立守備中隊が駐屯し、軍専用慰安所があり、そ
こに「又春」と言う名の朝鮮人慰安婦がいたという。 彼女の育った家は、別に貧しくもなかったが、町の
世話人のすすめで、満州女子奉仕隊の応じたという。その時彼女は19才(満18) であった。仕事は
日本兵の衣類の繕い物から洗濯などで、月給は住居つきで100円、支度金の欲しいものには30円の
前渡しという触れ込みであった 。・・・・・
『ルソン死闘記』 友清高志著 1973年
「女子勤労挺身隊」として動員された朴良徳(パク・ヤンドク)さんが、自分が行った三菱の工場につい
て「日本人は”報国隊”という名前で働きに来ていました」と述べているように(『証言従軍慰安婦・女子
勤労挺身隊』伊藤孝司、P30)、当時の日本では「挺身隊」「奉仕隊」「報国隊」は同じような意味を持っ
ていたのである。
「挺身隊」が 慰安婦徴集に使われたという元兵士の話
■憲兵だった土金冨之助氏は『シンガポールへの道〈下〉- ある近衛兵の記録』(創芸社,1977 年)の
中で次のように述べている。
(土金冨之助氏はスマトラのパレンバンで憲兵軍曹として慰安所に関わった)
(慰安所に)巡回で出入りしているうちに、私は K 子と Y 子という朝鮮の女性(この建物は全部朝鮮出
身)とよく話をするようになった。……K 子は年もまだ一八とか一九歳といっていた。……
私が一人で行ったある日、彼女は「私達は好き好んで、こんな商売に入ったのではないのです。」と、
述懐するように溜息を吐きながら語った。「私達は、朝鮮で従軍看護婦、女子挺身隊、女子勤労奉仕
隊という名目で狩り出されたのです。だからまさか慰安婦になんかさせられるとは、誰も思っていなかっ
た。外地へ輸送されてから、初めて慰安婦であることを聞かさた。」
彼女等が、初めてこういう商売をするのだと知った時、どんなに驚き、嘆いたことだろうと考えると気の
毒でならない。……彼女の頬には、小さな雫が光っていた。……
将兵達はこのような事情を知っているのだろうか、いや知る必要はなかった。なまじ知っては楽しく遊
べなくなるだろう。金儲けに来ているんだぐらいにしか理解していない者が多いと思う。
(場所:インドネシア・スマトラ島)
この回想記の重要な点は、出版されたのが、1977 年であるという事である。
韓国で慰安婦の研究がなされ始めたのが 80 年代後半であり、尹明淑氏が「ハンギョレ新聞」に『挺身
隊取材記』を書いたのが、1990 年 1 月である。「挺身隊問題対策協議会」(1990年)が造られる 10 年
以上も前に「挺身隊という名目で集められた」という証言が書かれているのである。
「慰安婦110番」でも
通信教育隊 1992年73才
黒龍江省富錦で一人の朝鮮人慰安婦から聞いたもので、「『関東軍戦時特別挺身隊』という事でした
が、実際に来てみたら慰安婦だったと言って泣いておりました。・・・・朝鮮人女性は、京城の駅に2000
人が集められ、列車に乗せられて、満州の新京に下ろされました。そこで、20人から30人に分けら
れ、また列車に乗せられ、各地に送られて行きました。
〔従軍慰安婦 110 番―電話の向こうから歴史の声が〕
という話が掲載されている。この話はおそらく「関特演」の際の徴集だろう。
ところでついでに書いておきたいが 豊田有恒氏が書いている「勘違いした若い新聞記者」は 1992 年の
話であり、豊田氏は「慰安婦と挺身隊の混同の、これが発端」みたいに書いているが、すでにその時に
は「挺身隊問題対策協議会」が存在しており、発端でも何でもない。千田夏光氏の著作も読んでいない
ようだが、紛らわしい書き方はやめて欲しいものである。
「挺身隊」とそれに類する誘い文句でだまされた 元慰安婦たちの証言1
挺身隊という誘い文句でだまされて慰安婦にさせられた証言者として、金福童さんがいる。
慶尚南道梁山に暮らしていたが、区長と班長、日本人が来て、「挺身隊に娘を送れ」と言われた。下関
→台湾→関東に行き、慰安婦をさせられた。
(『証言ー強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』明石書店
P84~88)
ここで重要なのは、「区長と班長、日本人が来て、「挺身隊に娘を送れ」と言われた」部分であり、これ
は業者と公的機関が結託していた事を示している。法令がなくても当時、警官や役人が企業と結託す
る事があったのは、慰安婦ではなく男性が炭坑の”たこ部屋”などに送られた「強制動員」の事例にもみ
る事ができる。軍の許可書を持った慰安所の業者は、警察官や面事務所の人間にとって、協力すべき
相手に見えたのかも知れない。あるいは他の「動員」に紛れ、警察官や面事務所の人間も騙されてい
た可能性がある。当時の朝鮮半島には*「愛国班」などの組織が全国に張り巡らされていた。朝鮮総
督府の御用新聞であった「毎日新報」1944 年の慰安婦募集記事は、読者である愛国班員や面長(町
長)、警察に向けてのメッセージであっただろう。少なくとも、慰安婦の徴集は、御用新聞に広告が掲載
されるほど彼らの間では市民権を持った行為だったのである。
高崎宗司氏の論文『「半島女子勤労挺身隊」について』では、金福童さんの他朴スニさん、金ウンジン
さん、李在○さんの話が書かれている。
『女性のためのアジア平和国民基金編『「慰安婦」問題調査報告・1999』
高崎宗司『「半島女子勤労挺身隊」について』
http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p041_060.pdf
朴スニさんは、1944 年 9 月、担任に勧められて富山の工場に行くはずだったが、先輩女性に「挺身隊
というけれど軍人たちの相手をする慰安婦だ」と告げられた。(『強制連行された朝鮮人軍慰安婦達』P
225~231)
金ウンジンさんは、富士の不二越の工場に行ったが 2 月ころ爆弾が落ち、青森に行き慰安婦にされ
た。(『強制連行された朝鮮人軍慰安婦達』P238~243)
李在○さんは、姉の代わりに「挺身隊」に行き、東京につれて行かれ 20 人ぐらいの女性が「満州」や「南
洋」に行けと言われていたと証言している。(『証言 従軍慰安婦 女子勤労挺身隊』P66,67)
高崎氏はこの論文の最後に「女子勤労挺身隊」として動員されたとすれば、それはだまされたという事
であり・・・」と書いているので「騙し=就業詐欺」について少し書いておきたい。
*「愛国班」:(愛国班は日本の隣組にあたる組織。約 10 戸から成り,宮城遥拝,勤労貯蓄,日の丸
掲揚,神社参拝,日本語常用,〈皇国臣民の誓詞〉の斉唱,勤労奉仕,国民服と戦闘帽の着用などの
神社崇拝と軍国主義に朝鮮人を動員したシステムの一つである。その結果、江戸時代の5人組のよ
うな管視に朝鮮民衆もさらされるようになった。)
騙して連れて行くのも「拉致」である
「騙された」という事について少し書いておこう。朝鮮半島においての慰安婦徴集のほとんどは、業者
に「軍での被服の仕事」「食事を造る」「工場の仕事」「看護婦の仕事」「おいしいものをお腹いっぱい食
べられる」などと騙されて連れて行かれたのである。しかし騙して連れて行った事も、「拉致」に違いな
い。北朝鮮による拉致被害者である田中実さんや有本恵子さん、石岡亨さんの例と同様である。
慰安婦問題で慰安婦の強制連行を否定している人々には、安倍首相や古屋圭司国務大臣のように北
朝鮮による拉致に憤慨する人達もたくさんいるが、慰安婦も「拉致だ」と言えば認めるのだろうか?拉
致事件では「公文による命令書」が見つかっていなくても「北朝鮮による国家犯罪だ」と認定しているの
に、なぜ「慰安婦問題」では公文の命令書のような証拠が必要だと言うのだろうか?
そこには極めて”自己中心的な””ものの観方”が存在しており、被害者になった時には、公文による命
令書など発見されていなくてもそれを国家犯罪として非難するが、自分が加害者になるととたんにトー
ンを下げ、「公文による証拠がないから認めない」などと見苦しい言い訳を始めるのである。そうした自
己中心的な情念を「国益」「愛国」と彼らは呼んでいるが、それは「愛国」でも何でもない。ただの自己中
である。それゆえに「国益」にもかなっていない。
こうした「民族自己中精神」がドイツのネオナチと実によく似ている。
田中実さんは、勤めていた飲食店の店主に騙されたが、すると犯人はその店主だけなのであろうか?
もちろん、そうではない。ところで北朝鮮政府が命令したという公文命令書はすでに見つかったのであ
ろうか?
同様に慰安婦を集めるのは軍の意向であり、朝鮮半島や台湾ではその依頼・命令下に女性を集めた
のである。当時、戦争のためには全ての国民(臣民と言った)が、軍に協力しなければならないという総
動員法下にあって、軍の意向に逆らえる人間などいないのである。国会議員でさえ軍部批判をすれば、
非国民扱いされ失脚するような世情の中で、何の権力もない一般国民(臣民)がどうして逆らえるだろ
うか?もし一般国民が軍の意向に逆らったとしたら、日本人であっても暴力をふるわれるか投獄される
かであろう。ゆえに軍関係の要求は、一見「依頼」「要望」という形であっても総動員下では強い強制を
伴っていたのである。とりわけ、総督府が支配する警察国家であった朝鮮半島では、警察は実に簡単
に「不逞鮮人」の名目で投獄し、時には拷問さえ加えたのであり、厳しい監視の中で朝鮮民衆は警察に
従順であることを余儀なくされたのであった。このような社会では「軍の依頼である」という事が強力な
指向性として、面事務所や警察を女衒の協力者とし、さらに愛国班などの戦争協力組織を通じて募集
がなされたと考えるのが妥当であろう。1940 年代になると朝鮮半島ではそれまで多かった悪徳女衒の
逮捕記事がほとんど無くなってしまうのは、その証左である。
慰安婦は「公文の命令書が無いと認めない」が、「北の拉致は命令書がなくても認める」とい態度は、
明らかにダブル・スタンダードであり、世界の国々に自己中な判断としか映らないだろう。
秤を公正にして、同じ秤で測るべきであろう。
話を戻す。
「挺身隊」とそれに類する誘い文句でだまされた 元慰安婦たちの証言2
『中国に連行された朝鮮人慰安婦』と言う証言集がある。韓国挺身隊問題対策協議会が主に中
国の湖北省武漢を調査し、9 名のハルモニから証言を得ているのだが、その中の一人である朴ピ
リョンさんは、16 歳から近所の紡績工場で働いたが、その後紡績工場の主人の家で子守をするよ
うになり、その紡績工場の主人に「よそで子守の仕事をしないか」と言われ、「何百人かの女の子
と共に天津につれて行かれ慰安婦にさせられた」(P134)。『脱帝国のフェミニズム』で宋 連玉
(ソンヨノク)氏が例に挙げた郭金女さんもまた 16 歳から光州の製紙工場で働いたというから、こ
の手の募集には 16 歳が相場だったのかも知れない。郭金女さんも工場の監督と警官らしき日本
人に「より条件のよい工場に転職できる」と騙され、満州の牡丹江の慰安所に送られた(『脱帝国
のフェミニズム』P226)。また、易英蘭(ヨクヨンナン)さんや(『中国に連行された朝鮮人慰安婦』P
148)河君子さんは最初から「工場に行く」と騙されて慰安所に連れて行かれた。(『中国に連行さ
れた朝鮮人慰安婦』P69)
李在允(イ・ジュエン)さんは、だまされて「慰安婦」にされそうになったものの、背が
あまりにも低かったのでまぬがれた。そして朝鮮内の軍需工場へ連れていかれたという
(伊藤孝司『証言 従軍慰安婦・女子勤労挺身隊』、風媒社、1992 年)。この話は、慰安婦を徴集す
る周旋業者が軍需工場に派遣する業者が同一であったか、もしくは繋がっていた可能性を示して
いる。
朴莫達(パクマクタル)さんは、郷里を出る時にはご飯炊きの仕事だと思っていたが、土煉瓦つくり
の軍の建物の中で、ご飯もつくり服や洗濯をさせられながら、軍人たちは女たちを捕まえて慰安さ
せられたという(『中国に連行された朝鮮人慰安婦』P157)。これについて伊貞玉(ユンジョンオク)
氏はP17で、「朴莫達ハルモニの経験は、旧日本軍「慰安婦」をわが国ではなぜ今日まで「挺身
隊」と呼んでいるかその理由を明らかにするものと言えよう」と考察している。同じような話は崔一
礼さんの体験にもあり、崔さんは野戦病院につれて行かれたがここで、「軍人が望む時にはどこで
もいつでも応じなければならなかった」と証言している(同書P17)。ゆえに伊貞玉氏は「戦争当時”
挺身隊”に出て行って、助手になれば、軍隊の洗濯や食事の仕事をしながら金儲けができると言
われたが、実際は性奴隷とされたという話はこのような場合を指しているのである。」と結論を述
べている(同書P18)
こうした元慰安婦たちの被害体験は、当地にいた日本人(軍人、軍属、記者など)の回想記によっ
て裏付けられている。すでに挙げた山口彦三氏、友清高志氏や土金冨之助氏の著作の他にも「軍の
仕事」「看護婦の仕事」などという名目で集められた例として、河東三郎氏は『ある軍属の物語 - 草津
の墓碑銘』の中で「戦地に行くと無試験で看護婦になれるとだまされ、わかって彼女らは泣きわ
めいた」という話しを記録しており、伊藤桂一氏は『戦旅の手帳』の中で「騙すのは、看護婦に
する、というのと、食堂の給仕にする、というのとつまり肉体的供与を条件とせず連れて行って、
現場に着いたら因果を含めたものである。逃げる方法はない。」と書いている。須藤友三郎氏は
「インドネシアで見た侵略戦争の実態」(『こんな日々があった戦争の記録』)の中で「“日本
本土の工場労働者になってもらいたい”と親をダマし、徴用された」という話しを書いており、
読売新聞の記者であった小俣行男氏は『戦場と記者 - 日華事変、太平洋戦争従軍記』で被害女
性が「私たちはだまされたのです。東京の軍需工場へ行くという話しで募集がありました。」と
述べたという。
こうした元軍人、軍属、従軍記者たちの証言は、元慰安婦・被害女性たちの証言を裏付けている
と言えよう。
挺身隊と慰安婦の関係=尹明淑氏の論文から
これまで述べて来た内容の中に、「挺身隊」または「挺身隊と呼んでよいような」事例が多く含まれてい
ることを考証して来た。そしてこのような証言は被害女性のみならず、多くの日本人の回想記によって
裏付けられている。
この点に関して尹明淑氏の一橋大学博士論文は、挺身隊と慰安婦の関係を分かり易く説明しているの
で以下、掲載しておこう。
(引用)~
官憲や警察による徴集は、強制や暴力をともなう場合が多かった。同時に軍隊慰安婦であることは知
らせず、「挺身隊」、女工募集や軍需工場への職業斡旋であるかのように詐欺を働いていた。「挺身隊」
は、様々な労務動員の歳に用いられた言葉であり、班長や区長の「介入」による徴集の場合、より強い
強制力を発揮したであろう。
・・・人員動員のための様々な戦時政策が公布されていく時代状況は、官憲の「介入」による軍隊慰安
婦の徴集のみならず、民間人徴集業者による徴集にも巧みに利用された。日中戦争後、朝鮮民衆の
あいだでは、官憲が戦争のために未婚女性の体を犠牲にしているという「流言」が流布していた。民衆
の「流言」は、マスコミとはほとんど無縁の生活をしていた朝鮮の大多数の民衆にとって、もっとも身近
な情報源であった。また、「流言蜚語」「造言飛語」「不隠言動」という名で呼ばれた民衆相互の口コミは、
生活実感からの「驚くほど鋭敏で、積極的な反応を示した」ものであった*1。民衆は、未婚女性の動員
に対して強い不安や反感を持っていたのであり、徴集業者はこのような民衆の心理を巧みに利用した
のである。
当時の新聞には「徴用」の同意語として「供出」という用語が用いられており、一般民衆は未婚女性の
動員を「処女供出」と表現していた。朝鮮語で「処女」は未婚女性を指す総称であり、「供出」は官憲に
よる強制的な動員を意味する言葉である。また、「挺身」という言葉自体の意味は「自ら進み出ること、
自分の身を投げ出して物事をすること」であり、「挺身隊」という用語は、男女の区別なく用いられ、特
定団体を示す語ではなかった。「挺身隊」という用語が使用され始めたのは、1940 年 11 月 13 日付け
『毎日新報』に「農村挺身隊」の結成が報じられた記事のようである*2。また「挺身隊」は、「婦人農業
挺身隊」、医師や看護婦を対象にした「仁術報国の挺身隊」、「漁業挺身隊」、文化、商工、報道、運輸、
金融、産業などの32 団体で結成されたという「半島功報挺身隊」というふうに、女性動員を含む、さまざ
まな人的動員に対して用いられていた。
「女子勤労挺身隊」、「女子挺身隊」、「勤労挺身隊」、「挺身隊」、「処女供出」という言葉がそく軍隊慰
安婦を指す言葉ではない。しかし、朝鮮の解放以降、軍隊慰安婦問題が社会的問題として表面化した
1990 年代初めでも、一般民衆が「挺身隊」を軍隊慰安婦の同義語として認識していたことは事実であ
る*3。朝鮮人のこのような認識がどこから由来したか確かではない。しかし少なくとも、当時の民衆に
とって、「挺身隊」や「処女供出」は「徴用」と同義語であった。そして、「処女供出」を避けるため、家や
村を離れて隠れたり、親たちは年頃の娘の結婚を急がせた。
<表 5 - 1 >の「処女供出」という言葉から察せられるように、一般民衆の中に未婚女性の動員に
関する情報が流れており、既婚女性なら「徴用」されずに済むと認識されていた。
同表の「官憲介入」と「処女供出」欄にあるように、「国のため」の勤労動員や「挺身隊」であると脅迫さ
れて徴集されたり、逆に、「挺身隊」を逃れることができるという詐欺で徴集されたりした。軍慰安婦の
徴集は「挺身隊」の名の下で行なわれたのである。
~(引用)
(以下の注釈は、本文の作者によって省略した部分がある)
*1 宮田節子『朝鮮民衆と「皇民化」政策』11~49 頁(未来社、1985 年)
*2 余舜珠「日帝末期の朝鮮人女子勤労挺身隊に関する実態研究」2 頁
*3 「女子挺身勤労令」の資料が一般にも広く知られるようになった 90 年代初頭には、同法令が
軍隊慰安婦の徴用のための法令として認識されることさえあった。(1)姜萬吉「日本軍『慰安婦』
の概念と呼称問題」13頁(韓国挺身隊問題対策協議会真相調査研究委員会編『日本軍「慰安婦」
の真相』歴史批評社、1997 年)、(2)余舜珠「日帝末期の朝鮮人女子勤労挺身隊に関する実態研
究」2 頁、(3)韓百興『実録女子挺身隊、その真相』(芸術文化社、1982 年)、(4)韓国史辞典編纂
委員会編『韓国近現代史辞典』(カラム企画、1990 年)、(5)李炫煕「今年度の韓国近現代史の争
点・1992 年 4 月~9 月」199~204 頁(韓国近現代史研究所『争点韓国近現代史』第 1 号、1992
年、(6)伊藤孝司編著『証言従軍慰安婦・女子勤労挺身隊』10~72 頁(風媒社、1992 年)
(尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍慰安婦』(明石書店、2003 年)P295~P298 より)
以上の話しから、慰安婦を「挺身隊」と呼んで来た韓国の事情は十分に理解できるであろ
う。
大師堂経慰の『慰安婦強制連行はなかった』の問題点
作家の豊田の著作『韓国が危ない』を取り上げて来たが、「挺身隊」=「女子勤労挺身隊」の勘違いを
している著作として、大師堂経慰氏の『慰安婦強制連行はなかった』がある。サブタイトルに「河野談
話の放置は許されない」と書いており、河野談話攻撃のために 1996 年に書いた論文を基に加筆したよ
うだ。
大師堂経慰氏は、大正 6 年生まれ。京都帝大から 1942 年、末期の朝鮮総督府の役人になり、江原道
地方課長を経て、総督府農商局事務官になる。引き上げ後、経済企画庁に。(後略)
という経歴である(同著者紹介より)。
当時、朝鮮半島に駐在した日本人には珍しく韓国語も話せたようだし、韓国人の友人もいたらしい(P9
8~P110)。
大師堂氏は、この本の”あとがき”にこう書いている。
最近では日本人との交流、交際も随分広がって来ている。韓国の人達と個人的な交際を続けている日
本人も多い。その人達は韓国の人達の民族性の良い側面に気づいていると思う。秀れた知性、相手に
対する細やかな気遣い、心配り、そして相手の困難には、自分を犠牲にしてでも援助の手を差し伸べ
る温かい心情、義理堅く友情を大切にする美しい気質。韓国の人達を相手にこのような体験をした人も
多いのではないだろうか。
個人対個人ではこんなに信頼しあい、親しくできるのにどうして国民対国民では反日、嫌韓なのだろう
と考え込む日本人は多いと思う。
そこで私が答えを書いてあげよう。
日韓の国家関係が破壊されているのは、大師堂氏のように、自分が大きな”勘違い”をしておきながら、
相手が間違っているのだと思い込んでいる自称”愛国者”がたくさんいるからである。歴史観の問題、と
りわけ慰安婦問題では、右派の妄想としか言いようのない慰安婦論が蔓延しており、その結果韓国ど
ころか、アジア諸国やアメリカ、国連との関係さえ狂って来ているのが今日である。
ゆえに本論文の目的はその迷妄を解く事にある。
さて、大師堂氏の著作で扱っている「挺身隊」はもろに勘違いが書かれている。
まず大師堂氏はP27で朝日新聞の記事の「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名
で強制連行した。その人数は 8 万とか 20 万とか言われる。」は「間違いである」としてこう書いている。
女子の挺身隊とは、勤労奉仕か、戦争末期に国民徴用令によって徴用されたもので、日本内地でも軍
需工場や被服工場に動員されている。徴用対象は総動員法に基ずく総動員業務であり、総動員法 2
条や 3 条に列挙されている。国民徴用令による徴用である以上、正規の行政機関を通じて行われるも
のであり、従軍慰安婦が徴用の対象になりえない事は、前述の答弁からも明らかである。(P27)
もし朝日が「女子勤労挺身隊の名で」と書いていたら問題だが、そんな事は書いていない。「挺身隊の
名で」と書いてもすでに見て来たようにそれ自体大きな間違いではないのである。正確な表現とは言え
ないが「挺身隊」を名目にしたり、「お国のために」とか、軍への奉士を名目にして慰安婦にした例が実
際にあるからである。
面白いのは、大師堂氏が韓国政府の「日帝下軍慰安婦実態調査中間報告」をちゃんと読んでいる点で
ある(P27)(P42~45)。読めば分かる通り、韓国政府は 1992 年に調査発表した『日帝下軍慰安婦
実態調査中間報告』の中で、「勤労挺身隊と慰安婦」という項目をわざわざ設けて、「女子勤労挺身隊
(国民学生勤労挺身隊)は慰安婦とは基本的に関係無い」と両者が別のものである事を報告している
のである。
それを読んでいるのだから、韓国の教科書を読んでも「これは1944年以降の女子勤労挺身隊の事で
はなく、女衒が”挺身隊”の名目で騙して徴集された事を書いているのだな」と気づきそうなそうなもの
だが、先入観というものは怖いもので、「挺身隊」と見るとそれは「女子勤労挺身隊」の事だと思い込ん
でしまう。そこで「挺身隊と書くのは間違いだ」と文句をつける訳だが、勘違いしているのは自分達の方
である。
かいつまんで書いて置こう。
1997年から使われる韓国の教科書には、「女性まで”挺身隊”という名でひいていかれ、日本軍の慰
安婦として犠牲になった」と書かれていた。ここでいう「挺身隊」とは尹明淑氏が書いているように「様々
な労務動員の歳に用いられた言葉であり」それはすでに書いてきた通りである。
しかし大師堂氏は、韓国の教科書に記されている「女性まで”挺身隊”という名でひいていかれ、日本
軍の慰安婦として犠牲になった」という記述の訂正させるように書いている(P98)。これは小山孝雄議
員の主張と同一である。
小山孝雄議員は1997年3月12日の参議院予算委員会で、既述の勘違いをしながら、「韓国の教科
書に抗議しろ」と政府に要求した。
以下、一部を抜粋しよう。
小山孝雄議員、1997年の困りものの答弁
参議院予算委員会 - 8 号 平成 09 年 03 月 12 日
○小山孝雄君 お隣の韓国でも今年度、この三月から新学期が始まっているようでございますけれど
も、歴史教科書に、あそこは国定教科書でありますから一つであります、慰安婦の問題について記述
が入ったと、こう聞いておりますが、外務省は手に入れていらっしゃいますか。
○政府委員(加藤良三君) 九七年三月から使用される韓国の中学校それから高校用の国定歴史教
科書、いわゆる従軍慰安婦に関しまして、これは日本語の翻訳でございますけれども、次のような記述
があると承知いたしております。
まず、中学校の教科書でございますが、「女性までも挺身隊という名でひいていかれ、日本軍の慰、
安婦として犠牲にもなった。」。次は高等学校の教科書でございますが、「女性たちまで挺身隊という名
でひいていかれ、日本軍の慰安婦として犠牲にもなった。」。以上でございます。
○小山孝雄君 私が調べて皆様に配付したのと同じでございますけれども、ここではもうまさに挺身隊
というのと慰安婦とイコールに受け取られるわけであります。外政審議室にお尋ねしますが、そういう
制度でありましたか、調査した結果。
○政府委員(平林博君) 慰安婦と女子挺身隊とは全く異なるものでございます。女子挺身隊の方は
日本の制度として存在しましたが、慰安婦というものは政府ないし軍の制度として存在したということで
は、法令に基づく制度ということでございますが、ないのではないかと理解しております。
韓国の教科書に今外務省から紹介しましたような記述がございまして、そういう記述にあったような
例があるいは当時あったかもしれませんが、今申し上げましたように、女子挺身隊と慰安婦が混同さ
れ、これが一般化された形で読む人に受け取られるということがないようにというふうに考えたいと思い
ます。
○小山孝雄君 今御答弁ありましたように全く別のものでありまして、こういったことが混同して韓国の
少国民に教えられるということは、これは問題だと思います。外務大臣、この訂正方を申し入れいたし
ますか。
○政府委員(加藤良三君) 韓国との関係におきましては、今御指摘のような問題もあるわけでござい
ますが、これを全体として未来志向の関係に持っていくという点をも踏まえまして、いろいろな分野にお
いて非常に緊密な対話というものが行われている状況にございます。そのような視点を踏まえて、御指
摘の問題につきましても、我が方の考え方というものは韓国の方にも周知させるように努力しているつ
もりでございます。
○小山孝雄君 努力しているつもりって、この問題について訂正を申し入れしないんですか。
○政府委員(加藤良三君) 従軍慰安婦問題に関する我が国の調査結果とか認識というものについて
は韓国側に外交ルートを通じて通報してきているということでございまして、このような対話というものを
今後も引き続き行ってまいりたいと考えております。
○小山孝雄君 外務省組織令第二十四条三項には何と書いてありますか。
「外国の教育資料等における日本に関する事項の調査及び是正に関すること。」と、こう明記されて
おります。間違いないですか。
○政府委員(加藤良三君) 今読み上げていただきましたところ、確認はできませんけれども、そのよう
なことかと存じます。
(以下略)
外務省組織令第二十四条三まで持ち出して、韓国に抗議しろと述べている小山議員だが、適当にはぐ
らかされている。多分、政府委員は、小山議員の勘違いが分かっているのであろう。しかし、議員のプ
ライドを傷つけると後が怖いので、できるだけ上手く誤魔化して受け流そうとしているのが、この応答だ
と思われる。
確かに「慰安婦と女子挺身隊とは全く異なるもの」なのだが、同時に「(勤労動員としての)女子挺身隊
と挺身隊」も言葉の意味が異なるのである。前者の「勘違い」は92年には韓国政府や伊藤孝司氏に
も指摘されていたが、後者の「勘違い」は誰にも訂正されないまま右派論壇にえんえんと続いている。
豊田有恒氏が『韓国が危ない』を出したのは2005年の12月である。論壇で頻繁に発言している歴史
家は秦郁彦氏だが、頼りの秦郁彦自体が大きな勘違いに生きているので、いつまで経っても修正され
ないまま勘違いが続いている。こうした右派論壇による“慰安婦問題”に対する勘違いが日韓関係どこ
ろか他のアジア各国や国連や米国との関係まで破壊しつつあるのが今日の日本の状況であると言え
るだろう。右派論壇にはこの他にも「河野談話」に書かれている「強制」という言葉を、書かれてもいな
い「強制連行」という言葉に言い換えて非難するという、1997 年1 月の片山虎之助議員質疑以来ポピュ
ラーになった詭弁の非難法が存在しており、これを大師堂氏の著作でも踏襲してしまっている。
自分が隙だらけなのに 刀を大上段に振りかざし、他人を斬ろうとする西岡力
西岡力氏は、『闇に挑む』p253~p304において慰安婦問題について書いており、既述し
たような考え違いを露呈しているので指摘しておこう。1997 年の韓国教科書の「女性までも挺
身隊という名で連れて行かれ・・」という記述を示しながら、
ここで問題なのは、「挺身隊という名で慰安婦にされた」というあまりにも明白な事実無根の主張が出
ている事だ。(P254)
と書いている。「あまりにも明白な事実無根の主張」だそうだ。しかし既に述べたように、「工場
で働く」「軍への奉仕」「看護婦として」などという名目で女性たちが就業詐欺に遭い、連れ出さ
れたのは事実である。これを称して当時の人は「挺身隊」と呼んでいたのであり、それは必ずし
も「女子勤労挺身隊」を意味していないのである。
西岡氏はまたこうも書いている。
97 年の1月、筆者も出演した「朝まで生テレビ」での討論で、伊健次・神奈川大学教授が挺身隊として
慰安婦が動員されたという発言をして不勉強ぶりを自ら示したように、いまだに挺身隊制度を慰安婦と
関連づけて考えている者も多い。(P262)
伊健次神奈川大学教授が正確にどのような発言をしたのかは知らないが「挺身隊として慰安婦が
動員された」という発言だったなら、何も西岡氏が糾弾するような”不勉強ぶり”とは言えない。
事実だからである。むしろ「挺身隊」と聞くと「挺身隊制度」とのみ考えている西岡氏の認識不
足が問題である。
刀を大上段に振りかざしているが、自分の間違いには気づかないという恥ずかしい行為をしてい
る。西岡氏のこうした書き方は上から目線でやけに偉そうなので、なおさらミジメである。
P260~P261では、朝日新聞の 91 年 8 月11日の記事で「金学順氏を『女子挺身隊』の
名で戦場に連行され」という文章に文句をつけている。確かにこの朝日新聞の記事はいろんな意
味で正しくない。金さんはそんな証言をしていないし、「『女子挺身隊』の名で」と書いてしまっ
たのは、誤りであると言える。しかし、西岡氏は朝日新聞ばかり、糾弾するが、どうして同じよ
うに「『女子挺身隊』の名で」と書いて大きな間違いを犯している秦郁彦氏を糾弾しないのだろ
うか?いつも引用したり、引用されたりする”お仲間”だからだろうか?
正しい歴史認識をリードすべき近現代専門の歴史学者が間違いを犯しているのだから、専門家で
も何でもない朝日新聞の記者がミスを犯すのも当然だろうと思うのだが、西岡氏はそうは考えて
いないらしい。
秦氏の記述はこんなものだ。
秦郁彦の描く「女子挺身隊」について
右派論壇に勘違い論説が、蔓延するようになった責任の一端は秦郁彦氏にある。秦氏にはフアン
が多く、右派論壇が大幅に信頼を置く歴史学者だからである。
ところが、本来なら論壇に蔓延するこの手の間違いを指摘し修正すべき秦氏自身がさらにそれを
上回る、次のようなデタラメを書いている。
その後も軍服まがいの服装に軍刀をぶらさげて「軍命令」をちらつかせたり、「いずれ女子挺身隊で徴
用されるぐらいなら」と言葉巧みに持ちかける業者や周旋人が横行した。ところが、1941年夏の関特
演あたりから朝鮮半島で官斡旋 の募集方式が導入されたようだ。
(『昭和史の謎を追う(下)』 第41章「従軍慰安婦たちの春秋」文春、P495~P496)
これまで読まれた読者の方々には、もう何が問題なのか?理解されているはずである。
指摘しておこう。
秦氏によると、1941 年までは「いずれ女子挺身隊で徴用されるぐらいなら」と言葉巧みに持
ちかける業者がいたというのである。つまり、1941 年以前に朝鮮半島では、女子挺身隊の徴用
がなされていたという事になる。
見苦しい言い訳をしそうなので、まず逃げ道をふさいでおこう。
ここで、秦氏が述べている「女子挺身隊」とは、日本が国策として集めた「女子勤労挺身隊」を
意味している。なぜなら
① 「・・・で徴用されるぐらいなら」という事はその頃には政府が女性を「女子挺身隊」を
集めていた事が前提となっている。「徴用」という言葉は、政府による強制を意味してい
る。
② 秦氏は1999年に出版した『慰安婦と戦場の性』の中でも「女子挺身隊」という言葉を多
用している。『慰安婦と戦場の性』P187、およびにP366~P375では、合計でお
よそ 11 か所で「女子挺身隊」という言葉を使っているが、その全てが「女子勤労挺身隊」
という意味で使っている。
ゆえに秦氏が書いている「女子挺身隊」は「女子勤労挺身隊」の事であると言える。
このデタラメが書いてある『昭和史の謎を追う』がなぜか第 41 回菊池寛賞 を受賞している。
選考委員には歴史無知が揃っているらしい。歴史に関する著作を評価する場合は、他の歴史学者
の意見も聞いてみるべきである。そうしないと間違った記述に”お墨付き”を与える事になる。
実証史家?
ここでさらに苦言をしておこう。
右派によると秦氏は「実証史家」だそうだ。しかしここに書かれている間違いは複合的である。
まず「「いずれ女子挺身隊で徴用されるぐらいなら」と言葉巧みに持ちかける業者」が居たのだ
そうだが、どのような根拠があるのか?
1941 年以前というと、未だ「女子勤労挺身隊」なんて始まってもいない。女子勤労挺身隊が始
まったのは、1944 年である。1941 年ころからおもに「勤労報国隊」などと呼ばれていた「挺身
隊」がいたとしてもここでよく読んで欲しい。秦氏がいう「女子挺身隊」は 1941 年の”関特演”
以前のものである。1941 年以前に朝鮮半島では「いずれ女子挺身隊で徴用されるぐらいなら」
と言葉巧みに持ちかける業者」が居たというのが秦氏の考えなのである。
これは新説である。いや「新説」というより「珍説」だろう。秦氏はこの記述に対して、根拠を
まったく示していない。ぜひ第一次史料の提示をお願いしたいものだ。もし第一次史料の提示が
できないとしたら、”当てずっぽ”で書いたという事だろう。
どうしてこんな記述が生まれるのか?
それは秦氏が一次史料に髄拠して歴史を語っていないからである。一次史料を提示しないまま、
適当な事柄を書いてある事が秦の著作には多くある。
例えば慰安婦問題に関する代表作である『慰安婦と戦場の性』P147では米国の婦人部隊やナ
ースがまるで娼婦の役割をしていたような事が、それを裏付ける一次史料を提示しないまま書か
れていたり、P147とP164では「・・・ニューギニア戦線の夫は気が気でなかったという」
などと書いているが、出典としているらしい『リンドバーク第二次大戦日記』(新潮、P499)
には、日本軍が宣伝ビラを蒔いた事は書かれていても、兵士たちが気が気でない様子など書かれ
ていない。当然こんな事を書く以上は、元豪兵の自伝なり戦記なりに「自分の妻が休暇中の米軍
兵士に誘惑されているのではないかと気が気でなかった」と述べているような出典があるのだと
信じたいが。
P136には「神埼清は400人近い慰安婦の内生還したのは70人と書いているが、やや過大
だろう」と書いているが、この文章の前後には、この数字を「過大」とする理由がまったく見当
たらない。理由は無いがとにかく「過大だ」と言いたいらしい。
P208では「(トウミナは)・・・・職業的売春婦の出身という点で、韓国の第一号と似ている」
と書いて、韓国の第一号=金学順さんを何の証拠もなく、「職業的売春婦」にしてしまっている。
このような事を書く場合は、 髄拠する一次史料の提示をぜひ、お願いしたいものだ。
秦は、2008 の著作で「できるだけ第一次史料に基づいて書くものだと米国留学で学んだ」と自
慢げに書いている(『現代史の虚実』P327)。また「実証史家のレッテルが張られている」と
書いているが、安心していただきたい。少なくとも私は実証史家だなんて思っていないからであ
る。そして秦の『慰安婦と戦場の性』に高い評価を与える近現代専門の歴史学者を見たこともな
い。
西岡の朝日新聞は糾弾するが、秦を糾弾しないという偏ったやり方
朝日は 1991 年 8 月に「女子挺身隊の名で」と書いているが、その後 92 年には韓国政府による
調査発表や伊藤孝司氏の著作が「慰安婦と女子勤労挺身隊は同じではない」と明らかにしたので、
「女子挺身隊」とは書かなくなった。しかし秦郁彦氏がこれを出版したのは、1993 年である。
すでに「慰安婦と女子勤労挺身隊」を混同する風潮が終わった頃でも、こんな事を書いているわ
けだ。
すでに述べたように、専門家として秦氏には、専門家ではない新聞記者などが、間違いを書かな
いように検証する役割があったはずである。ところが検証どころか、自分がデタラメを記述して
しまい論壇をミスリードしている。
それにしても西岡力氏は朝日は糾弾するが、秦郁彦氏は糾弾しないという偏ったやり方をしてい
る。彼らは互いに互いの著作を引用しあっており仲間意識があるからだろうが、このようなやり
方を続けるので、彼らの著作をまるで信用できないのである。自浄能力が無い事おびただしい。
『慰安婦と戦場の性』における秦の変節ぶり
93 年には「「いずれ女子挺身隊で徴用されるぐらいなら」と言葉巧みに持ちかける」と書いてい
た秦氏だが、99 年の著作 『慰安婦と戦場の性』 では、西岡氏や大師堂氏の意見を取り入れ、
さらに調べたたらしく大きく変節している。
日本女子が女子挺身隊の名で強制動員されたのは・・・1944 年からで・・・・・(P366)
と書いている。
すると『昭和史の謎を追う(下)』 で
(41 年までに)「いずれ女子挺身隊で徴用されるぐらいなら」と言葉巧みに持ちかける業者
と書いていたのは、何なのだろう?と思うが、それはさておきP366~P376では、「7つ
の焦点Q&A」の中で「女子挺身隊と慰安婦の混同」と題しており、この題名だけで「挺身隊」
という言葉を「女子勤労挺身隊」と混同している事が分かる。内容を読むと一目瞭然で、西岡氏
の著作を引用しながら、97 年の韓国の教科書を取り上げその後で長々と女子挺身勤労令につい
て書いて批判している。P375では”締め”として、挺身隊と慰安婦の「両者の混同は続いてい
るようである」と書いているが、他者の混同を指摘する前に自分達の混同を訂正して欲しいもの
である。
P374の表の内、『国史大辞典』(1988)や『日本史大辞典』(1993)、『朝鮮を知る辞
典』(1986)の記述は批判すべきではあるが、秦郁彦氏にそんな資格があるとは到底思えな
い。
他人の間違いには口を揃えて文句をたれるが、自分達の間違いには、どう対処するのだろ
うか?見ものである。
BY 掘家康弘
この論文は、慰安婦問題研究家の掘家康弘が右派論壇に蔓延する捏造と歪曲を指摘するた
めに書いたモノである。この他にも多くの歪曲と捏造が右派論壇には存在しており、暫時
指摘するつもりである。おそらく多くの雑音が引き起こされるだろうが、ここで指摘した
方々が自ら反論すべきである。

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