神馬は今 2013
- 2. 一方、「祈願や雨乞いなどのために神に奉納される馬」
は、当初は生きている馬であったが、小規模の神社で
はその世話などが重荷となること、献納する側にも大
きな負担となることなどから、木馬・土馬・板立馬・
石像・銅像・絵馬などに置き換わっていったのである。
図 1 様々な神馬(2013 年)
私たち日本人にとって、神社は身近で特別な存在で
あり、その神社と馬には深い繋がりがある。生きてい
る(生馬の)神馬はお参りをする際に、馬を尊く感じ
ることが出来る大きな存在である。しかしながら現在、
昔と比べると生馬の神馬が少なくなっている。
そこで、生馬の神馬に焦点を当て、その神馬が奉ら
れている神社の現状を視察・調査したので、その内容
について報告する。
生馬の『神馬』がいる神社( 図 2 )
2013 年現在、インターネット等で調査した結果、少
なくともここに示す 13 社の神社に生馬の神馬(以下
「神馬」と省略する)がいることが確認出来た。
図 2 生馬の神馬がいる神社(2013 年)
これらの内、「神馬」を取り巻く環境が整っていると
思われる 2 社(歴史が古く由緒ある「伊勢神宮」と相
馬野馬追祭りで有名な「相馬中村神社」)を除く 11 社
について取材を行ったので、それについて報告する。
① 日光東照宮(図 3-1,2 )
図 3-1 日光東照宮
神馬は 2 頭おり、サラブレッドの福勇(騸・芦毛・
13 歳)とサラブレッドとストックホースの中半血の光
徳(騸・芦毛・17 歳)である。
福勇は平成 23 年に JRA から、光徳は平成 17 年に
ニュージーランド政府と国民から奉納された。外国か
ら神馬が奉納されるのは大変珍しく、今回の取材でも
この一頭のみであった。
これは、1964 年の東京オリンピック終了後に日本馬
術連盟に寄贈した白馬を、1972 年に奉納したことがき
っかけである。その後に来日したニュージーランド首
相が、新たな神馬の寄贈を約束し、現在に至っている。
神馬は二頭が毎日交代で厩舎から神馬舎に出ている。
管理は世話をする人(調教師)一人であり、サポート
として神職の職員が数人程手伝っている。
先代の馬達までは 5 月と 10 月の年 2 回ある百物揃
千人武者行列(千人行列)で神様(日光東照宮では徳
川家康のこと。)を乗せていた。
図 3-2 日光東照宮の光徳
- 3. ② 神田明神( 図 4-1,2 )
図 4-1 神田明神
神馬はミニチュアホースの明(牝・芦毛・3 歳)で
ある。
宮司さんが馬を持つのが長年の夢で、2 年前に実現
した(長野県のスエトシ牧場から購入した。)。神馬が
新しく来たことにより、神社の顔の1つとも言える存
在になっている。馬の存在自体の癒しの効果もあり、
神馬が来てから毎日見に来る人もいるとのことである。
世話や調教は元 JRA 職員の神職の方が一人で行っ
ており、他の神職の方たちがサポートしている。
都会では夏は非常に暑くなる為、この期間(約一か
月半)は千葉の成田に避暑させているとのことである。
この神職の方は、ミニチュアホースやポニーならで
はの大きさや性格が、新しく神馬を導入する(神社に
神馬を復活させる。)には一番可能性が高いとお話にな
られており、現在の神馬を取り巻く環境を考えると、
筆者もその意見に強く共感を覚えました。
神馬は、5 月の神田祭の神幸祭で初めて祭事に参加
した。日本橋から神田の間を花籠馬車を引き、周囲の
注目を集めて活躍した。
図 4-2 神田明神の明と巫女さん
③ 立石熊野神社( 図 5-1,2 )
図 5-1 立石熊野神社
神馬は 2 頭おり、シェトランドポニーのきらら(牝・
栗毛・19 歳)とポニー(シェットランドポニーとアメ
リカンミニポニー)のちょこ(牝・栗毛・2 歳)であ
る。
それぞれ、15 年前と 2 年前に未調教で神社に来て、
それから馴致を行った。
神社の境内と幼稚園が隣接しており、その中間に厩
舎兼馬場がある。神馬は神社が購入し、前述の神田明
神の神職の方が兼任で奥様と二人で世話や調教を行っ
ている。
この神職の方は、神田明神の神馬の復活や立石熊野
神社の神馬と園児との交流等、神馬の一般の方への発
信や認知に積極的に活動されている。
神馬は、園児を乗せたりすることもあり、いつでも
触れ合える環境にある。園児たちにとっては神馬とい
うより、お友達という感覚とのことである。また、ボ
ロは近くの畑の肥料に使われており、園児たちの自然
学習の一環にもなっている。
図 5-2 立石熊野神社のきららとちょこ
- 4. ④ 小室浅間神社( 図 6-1,2 )
図 6-1 小室浅間神社
神馬は 2 頭おり、アラブのアレックス(騸・芦毛・
20 歳)とサラブレッドのトキン(牡・栗毛・3 歳)で
ある。
最初に神馬が奉納されたきっかけは、20 年程前であ
り、祭りを維持するためであった。昔は、祭りには町
の人が所有する馬が使われていたが、それらの馬は
段々と減っていった為である。
それ以降、途切れることなく 6 代目まで神馬が奉納
されている。アレックスは 3 代目、トキンは 6 代目で
ある。5 代目までは JRA から奉納されており、6 代目
は馬主からの奉納である。
神馬としての条件は、元々お祭りで農耕馬を使って
いた為、毛色は白でなくても良いとのことである(性
別は牡馬か騸馬とのことである。)。
神馬の世話や調教は、総代の方たちに協力してもら
いながら、宮司さんが主に一人でされている。
神馬は、5 月の馬祭り(子供達の体験乗馬等がある。)
と 9 月の流鏑馬(農耕信仰および村の人々に密接した
神事で、馬の足跡によって吉凶を占う。)で活躍してい
る。
図 6-2 小室浅間神社のアレックスとトキン
⑤ 多度大社( 図 7-1,2 )
図 7-1 多度大社
神馬はサラブレッドの錦山(牡・芦毛・18 歳)であ
る。
JRA の競走馬であり、平成 11 年 12 月に神馬会より
神社に奉納された。
多度大社の神馬会は会費制であり、愛知県を中心に
全国に 550 人もの会員がおり、神馬をサポートしてい
る。 一般の多くの人々が参加して神馬を維持する会
は珍しく、今回の取材では多度大社のみであった。
また、神馬会が呼び掛け、名古屋競馬場でこの神馬
の名を冠したレース(多度大社神馬会錦山号)も行わ
れている。(会員達で集まり、観戦するとのことである。)
神馬の世話や調教は、神馬会の馬に詳しい 2 人が交
代で行っている。名古屋競馬場が近いこともあり、獣
医師や装蹄師などとの連携は非常にスムーズに行われ
ている。
神馬舎は新しく清潔であり、そのすぐ横に小馬場が
あり、近くには大馬場もあり、神馬の為の環境が整え
られている。
図 7-2 多度大社の錦山
- 5. ⑥ 上賀茂神社(賀茂別雷神社)( 図 8-1,2 )
図 8-1 上賀茂神社
神馬はサラブレッドの神山(騸・芦毛・9 歳)であ
る。
平成 23 年 9 月に JRA から奉納された。戦前や江戸
時代には神馬がおり、一度途絶えたが、神社関係者の
努力で昭和 40 年代から復活し、現在 6 代目である。
神馬は、20 歳ぐらいまでで交代を考えており、5 代目
の先代は保養地にいる。
普段は京都産業大学の馬術部に委託しており、世話
や調教をしてもらっている。日曜日と月の一日に境内
の神厩舎に滞在している。
大学の厩舎から神社までの距離が公道で 2 時間かか
るため、公道の馴致が非常に重要である。しかしなが
ら、近年は馬のことをよく知らない人達も多い為、突
然走って近付いて来たり、ペットの犬と一緒に近付い
て来たりと危険になる場面も多い為、馬運車の導入も
検討しているとのことである。
神馬は 1 月の白馬奏覧神事、5 月の葵祭の神事で活
躍し、参拝者や観光客など、多くの人々の注目を浴び
ている。
図 8-2 上賀茂神社の神山
⑦ 大和国鹿島香取本宮( 図 9-1,2 )
図 9-1 大和国鹿島香取本宮
神馬は 2 頭おり、サラブレッドの鹿島(牡・芦毛・
8 歳)と香取(騸・芦毛・18 歳)である。
約 50 年前より途切れることなく神馬がおり、神馬
は奉納されることは少なく、神社が購入することがほ
とんどである。鹿島は平成 24 年 6 月、香取は平成 25
年 8 月に購入された。
神馬の世話や調教は、宮司さんとその家族が行って
いる。
大和国鹿島香取本宮は、神馬がいる他の多くの神社
の様な規模や知名度の大きな神社ではないにもかかわ
らず、2 頭の神馬を維持・管理し、これら神馬が神事
において活躍していることは、本来ならば非常に難し
く大変なことである。神馬が、約 50 年前より途切れ
ることなく続いている事に、神社の神馬に対する強い
思いを感じることが出来る。
祭事の七五三参りで、その歳の子供を神馬に乗せる
記念撮影を行っており、最近では、子供の頃自分が撮
ってもらったので、是非自分の子供や孫にもと、二世
代・三世代に渡って記念撮影をされる参拝者が増えて
来ている。
図 9-2 大和国鹿島香取本宮の香取
- 6. ⑧ 丹生川上神社下社( 図 10-1,2 )
図 10-1 丹生川上神社下社
神馬は 2 頭おり、北海道和種の白龍(騸・月毛・7
歳)とミニチュアホースの黒龍(騸・黒毛・8 歳)で
ある。昨年の 2012 年に室町時代以来 562 年ぶりに復
活した。
丹生川上神社三社(上社・中社・下社)は、水神を
祀る神社であり、一昨年の東日本大震災と紀伊半島大
水害からの日本の復興として神馬献上祭を復活させる
声があがり(被災地の崇敬者からの申し入れ)、神馬が
復活したのである。
これにより、戦後に宗教法人法の下でそれぞれが独
立し、交流が薄れていた三社が一体となって日本の復
興を祈っていくこととなり、三社の丹生川上神馬講も
設立された。
普段は下社で飼育されており、宮司夫妻が二人で世
話をしている。
神馬は、丹生川上神社三社(上社・中社・下社)で
のそれぞれの献上祭(黒馬・白馬と黒馬・白馬)で活
躍している(炎旱(ひでり)の時には黒馬を献じて雨
乞いを、霖雨(ながあめ)の時は白馬を献じて雨止み
を祈願したことにちなんでいる。)。
図 10-2 丹生川上神社下社の白龍
⑨ 石切劔箭神社( 図 11-1,2 )
図 11-1 石切劔箭神社
神馬は 3 頭おり、サラブレッドのリュウ(騸・芦毛・
30 歳)と白風(騸・芦毛・11 歳)、中半血のスルース
(騸・芦毛・28 歳)である。
それぞれ、リュウとスルースは 4 年以上前に、白風
は 2 年前に奉納された。
3 頭は、専属の職員二人が世話と管理(調教)を行
っている。
大きな厩舎周辺は静かで、厩舎の目の前に馬場(下
図)があるほか、近くには大馬場もあり、馬にとって
非常に環境が良い。このことは、高齢の馬 2 頭が元気
に活躍していることが示している。
これら馬にとって非常に恵まれた人的・場所的環境
は、石切神社への多くの崇敬者の信仰心と石切神社の
神馬に対する強い理解によって守られていると著者は
実感した。
神馬は、5 月のこどもの日には記念の写真撮影や餌
の人参やりで活躍し、8 月の夏祭り(大幣神事)では
神輿と共に行列に参加して活躍しており、近所の住民
たちに親しまれている。
図 11-2 石切劔箭神社の白風
- 7. ⑩ 住吉大社( 図 12-1,2 )
図 12-1 住吉大社
神馬は北海道和種の白雪(牡・佐目毛・9 歳)であ
る。赤い目を持つ珍しい神馬である。
平成 23 年 5 月に神馬講より奉納された。神馬は純
血の道産子(北海道和種)と決められている。神馬の
世代が変わる頃になると不思議と新しい神馬との縁が
あり、引き継がれていくとのことである。
住吉大社では、以前は境内の厩舎に常に神馬がいた
とのことであるが、世話をする方が高齢の為に辞めて
からは、祭事の前後に境内の厩舎に滞在する形になっ
た。
現在は、普段は杉谷乗馬クラブで飼育されており、
神事の前後に境内の神馬舎に滞在する(7 月 20 日頃~
8 月 1 日と 12 月 20 日頃から 1 月 10 日頃)。
神馬は、8 月 1 日の住吉祭神輿渡御、1 月 7 日の白
馬(あおうま)神事の祭事・神事で活躍しており、一
般の方や参拝者の衆目を集めて活躍している。特に白
馬神事では、神馬を一年の初めに見ると、その年は無
病息災となり大変縁起が良いとされており、さらに神
馬に触ることも可能である為、多くの参拝者が祭事に
参加している。
図 12-2 住吉大社の白雪
⑪ 金刀比羅宮( 図 13-1,2 )
図 13-1 金刀比羅宮
神馬は北海道和種とリピッツアの中半血の月琴
(騸・月毛・8 歳)である。
最初に神馬が奉納されたのは大正 10 年であり、そ
れ以来神馬は途切れずに続いており、現在の月琴で 14
代目である。
戦時中に神馬が途切れてしまった神社が多い中、金
刀比羅宮は途切れずに続いており、その資料が残って
いる数少ない神社の一つである。
金刀比羅宮は山の中腹に鎮座する神社であり、自然
の静かな環境の中に厩舎がある。厩舎から 15 分ほど
離れた所に昔の草野球場跡の馬場があり、非常に広く
て快適な環境が整っている。
また、神馬と共にサラブレッドのトウカイスタント
(騸・黒鹿毛・21 歳)も飼育されており、両馬にとっ
て環境の良い状態となっている。
神馬の世話や調教は、専属の調教師が行っており、
一人で上記 2 頭の世話をしている。
神馬は年に一度の神事である例大祭に参加し、活躍
している。
図 13-2 金刀比羅宮の月琴
- 8. 「神馬」が各神社にいつ頃から存在したかは、明確
でないところもあるが、1960 年以降の約 50 年の間に、
「神馬」が復活あるいは飼い始められた神社は、昭和
40 年代に復活した上賀茂神社・日光東照宮を含め、大
和国鹿島香取本宮・小室浅間神社・立石熊野神社・神
田明神・丹生川上神社の7ヶ所もあり、現在「神馬」
がいる神社のかなりの割合を占めている(図 14)。
そして新たに、ここ数年で2ヶ所の神社(丹生川上
神社・神田明神)が「神馬」を復活させている。
しかし一方では、ここ 10 年近くで、少なくとも4
ヶ所の神社(駒宮神社・鹽竈神社・石清水八幡宮・宇
佐神宮)の「神馬」が途絶えてしまっている。
図 14 生馬の神馬がいる神社
このような『生きている』「神馬」の復活や途絶えは
「神馬」が存在できる環境の変化が原因であると考え
られる。それでは、神社に「神馬」が存在できる環境
とは、どのようなものであろうか?(図 15)
○ 明るく清潔な厩舎や十分な広さがある馬場など
の場所的な環境
○ 調教師・獣医師・装蹄師など神馬の世話をする人
がいる環境
○ 「神馬」を奉納する人や「神馬」に対する理解が
ある崇敬者・参拝者などが存在する環境
○ 「神馬」への深い理解を持った神社の神職が存在
する環境
などがある。
これらの環境が整っているからこそ、神社に『生き
ている』「神馬」が存在できるのである。
図 15 神社に生馬の神馬が存在できる環境
しかし、この様な恵まれた環境の維持は必ずしも容
易なことではない。各神社では、少しでも環境が良く
なるように様々な工夫がされていた。(図 16)
ガレージや鳥小屋を厩舎として利用したり、近くの
公園を運動馬場として利用したりすることで場所的環
境を確保していた。また、複数頭の馬を飼育すること
で馬が精神的に安定できる精神的環境を考慮していた。
さらに、「神馬」に対する理解者が神職や崇敬者ある
いは神馬会などに存在し、その人たちによって「神馬」
と人が交流できる環境と機会が維持されてきた。
(馬の知識がない人からのクレーム等にも根気よく対
応し、神馬に対する理解を求めている。)
図 16 神馬の環境への工夫
「神馬」は理解ある人々によって維持されている一
方で、「神馬」は人々の住む地域への貢献を果たしてい
る(図 17)。