Touch(ed) digital images1. デジタル イメ
・ ージに
触れ/られる
(仮)
2012.07.21
修論構想発表会
坂井辰司
37. Thomas Lamarre
• The Anime Machine (2009)
• アニメの理論 (アニメの固有性)
• レイヤー への注目
(層)
• 隔たりinterval /gap
• アニメはどのようにテク ロジーを思考するのか
ノ
40. 章立て(案)
• 序章
• 第一章 アニメの歴史とニューメディア
• 第二章 平面的なデジタル・イメージ
• 第三章 OP・ED
• 第四章 レイヤーの間 を埋める
• 終章
Editor's Notes それでは発表を始めたいと思います。タイトルは見ての通りで、副題はお配りした資料に書いてあります。仮題というのを奥ゆかしい感じで主張しておきます。\n さて、本題に入る前に、2011年の12月に公開され、19億円の興行収入(2012年上半期14位)を得た映画があります。時間もあんまりないので、さくさく言っちゃいますが、(クリック)映画『けいおん』です。この作品は確かに一部では人気もあって有名な作品でした。しかし、この映画が公開される際、様々な雑誌の表紙を飾っています。アニメ雑誌はもちろんですが、映画雑誌Screenの増刊号や、カルチャー誌CUTだったり、日経エンターテイメントや、Financial Japanのような広義のビジネス誌なんかの表紙も飾りました。しかし個人的にもっとも驚いたのは、女性誌であるSpoonの表紙にもなっていたということです。(クリック)\n さて、本題に入る前に、2011年の12月に公開され、19億円の興行収入(2012年上半期14位)を得た映画があります。時間もあんまりないので、さくさく言っちゃいますが、(クリック)映画『けいおん』です。この作品は確かに一部では人気もあって有名な作品でした。しかし、この映画が公開される際、様々な雑誌の表紙を飾っています。アニメ雑誌はもちろんですが、映画雑誌Screenの増刊号や、カルチャー誌CUTだったり、日経エンターテイメントや、Financial Japanのような広義のビジネス誌なんかの表紙も飾りました。しかし個人的にもっとも驚いたのは、女性誌であるSpoonの表紙にもなっていたということです。(クリック)\n さて、本題に入る前に、2011年の12月に公開され、19億円の興行収入(2012年上半期14位)を得た映画があります。時間もあんまりないので、さくさく言っちゃいますが、(クリック)映画『けいおん』です。この作品は確かに一部では人気もあって有名な作品でした。しかし、この映画が公開される際、様々な雑誌の表紙を飾っています。アニメ雑誌はもちろんですが、映画雑誌Screenの増刊号や、カルチャー誌CUTだったり、日経エンターテイメントや、Financial Japanのような広義のビジネス誌なんかの表紙も飾りました。しかし個人的にもっとも驚いたのは、女性誌であるSpoonの表紙にもなっていたということです。(クリック)\n さて、本題に入る前に、2011年の12月に公開され、19億円の興行収入(2012年上半期14位)を得た映画があります。時間もあんまりないので、さくさく言っちゃいますが、(クリック)映画『けいおん』です。この作品は確かに一部では人気もあって有名な作品でした。しかし、この映画が公開される際、様々な雑誌の表紙を飾っています。アニメ雑誌はもちろんですが、映画雑誌Screenの増刊号や、カルチャー誌CUTだったり、日経エンターテイメントや、Financial Japanのような広義のビジネス誌なんかの表紙も飾りました。しかし個人的にもっとも驚いたのは、女性誌であるSpoonの表紙にもなっていたということです。(クリック)\n さて、本題に入る前に、2011年の12月に公開され、19億円の興行収入(2012年上半期14位)を得た映画があります。時間もあんまりないので、さくさく言っちゃいますが、(クリック)映画『けいおん』です。この作品は確かに一部では人気もあって有名な作品でした。しかし、この映画が公開される際、様々な雑誌の表紙を飾っています。アニメ雑誌はもちろんですが、映画雑誌Screenの増刊号や、カルチャー誌CUTだったり、日経エンターテイメントや、Financial Japanのような広義のビジネス誌なんかの表紙も飾りました。しかし個人的にもっとも驚いたのは、女性誌であるSpoonの表紙にもなっていたということです。(クリック)\n さて、本題に入る前に、2011年の12月に公開され、19億円の興行収入(2012年上半期14位)を得た映画があります。時間もあんまりないので、さくさく言っちゃいますが、(クリック)映画『けいおん』です。この作品は確かに一部では人気もあって有名な作品でした。しかし、この映画が公開される際、様々な雑誌の表紙を飾っています。アニメ雑誌はもちろんですが、映画雑誌Screenの増刊号や、カルチャー誌CUTだったり、日経エンターテイメントや、Financial Japanのような広義のビジネス誌なんかの表紙も飾りました。しかし個人的にもっとも驚いたのは、女性誌であるSpoonの表紙にもなっていたということです。(クリック)\n さて、本題に入る前に、2011年の12月に公開され、19億円の興行収入(2012年上半期14位)を得た映画があります。時間もあんまりないので、さくさく言っちゃいますが、(クリック)映画『けいおん』です。この作品は確かに一部では人気もあって有名な作品でした。しかし、この映画が公開される際、様々な雑誌の表紙を飾っています。アニメ雑誌はもちろんですが、映画雑誌Screenの増刊号や、カルチャー誌CUTだったり、日経エンターテイメントや、Financial Japanのような広義のビジネス誌なんかの表紙も飾りました。しかし個人的にもっとも驚いたのは、女性誌であるSpoonの表紙にもなっていたということです。(クリック)\n さて、本題に入る前に、2011年の12月に公開され、19億円の興行収入(2012年上半期14位)を得た映画があります。時間もあんまりないので、さくさく言っちゃいますが、(クリック)映画『けいおん』です。この作品は確かに一部では人気もあって有名な作品でした。しかし、この映画が公開される際、様々な雑誌の表紙を飾っています。アニメ雑誌はもちろんですが、映画雑誌Screenの増刊号や、カルチャー誌CUTだったり、日経エンターテイメントや、Financial Japanのような広義のビジネス誌なんかの表紙も飾りました。しかし個人的にもっとも驚いたのは、女性誌であるSpoonの表紙にもなっていたということです。(クリック)\n さて、本題に入る前に、2011年の12月に公開され、19億円の興行収入(2012年上半期14位)を得た映画があります。時間もあんまりないので、さくさく言っちゃいますが、(クリック)映画『けいおん』です。この作品は確かに一部では人気もあって有名な作品でした。しかし、この映画が公開される際、様々な雑誌の表紙を飾っています。アニメ雑誌はもちろんですが、映画雑誌Screenの増刊号や、カルチャー誌CUTだったり、日経エンターテイメントや、Financial Japanのような広義のビジネス誌なんかの表紙も飾りました。しかし個人的にもっとも驚いたのは、女性誌であるSpoonの表紙にもなっていたということです。(クリック)\n 実は、これは映画『けいおん』に限ったことではありません。テレビシリーズのときにも、CUTなどの表紙になっていますし、他の作品も、ユリイカや、SWITCHといった、いわゆるアニメ雑誌ではない雑誌に、そしてここがぼくにとって重要なんですが、深夜アニメが表紙を飾っている、という状況が起こってきています。これ以上例をあげるのはやめておきますが、加えていっておきたいのは、例えばSWITCHでは、アニメとインターネットで活躍するクリエイターが、このような形で同時に特集されている、ということです。このような傾向は、美術手帖などといった雑誌にも見られます。深夜アニメとニューメディアは、ある程度無意識的に結びつけられているようです。\n 実は、これは映画『けいおん』に限ったことではありません。テレビシリーズのときにも、CUTなどの表紙になっていますし、他の作品も、ユリイカや、SWITCHといった、いわゆるアニメ雑誌ではない雑誌に、そしてここがぼくにとって重要なんですが、深夜アニメが表紙を飾っている、という状況が起こってきています。これ以上例をあげるのはやめておきますが、加えていっておきたいのは、例えばSWITCHでは、アニメとインターネットで活躍するクリエイターが、このような形で同時に特集されている、ということです。このような傾向は、美術手帖などといった雑誌にも見られます。深夜アニメとニューメディアは、ある程度無意識的に結びつけられているようです。\n 実は、これは映画『けいおん』に限ったことではありません。テレビシリーズのときにも、CUTなどの表紙になっていますし、他の作品も、ユリイカや、SWITCHといった、いわゆるアニメ雑誌ではない雑誌に、そしてここがぼくにとって重要なんですが、深夜アニメが表紙を飾っている、という状況が起こってきています。これ以上例をあげるのはやめておきますが、加えていっておきたいのは、例えばSWITCHでは、アニメとインターネットで活躍するクリエイターが、このような形で同時に特集されている、ということです。このような傾向は、美術手帖などといった雑誌にも見られます。深夜アニメとニューメディアは、ある程度無意識的に結びつけられているようです。\n 実は、これは映画『けいおん』に限ったことではありません。テレビシリーズのときにも、CUTなどの表紙になっていますし、他の作品も、ユリイカや、SWITCHといった、いわゆるアニメ雑誌ではない雑誌に、そしてここがぼくにとって重要なんですが、深夜アニメが表紙を飾っている、という状況が起こってきています。これ以上例をあげるのはやめておきますが、加えていっておきたいのは、例えばSWITCHでは、アニメとインターネットで活躍するクリエイターが、このような形で同時に特集されている、ということです。このような傾向は、美術手帖などといった雑誌にも見られます。深夜アニメとニューメディアは、ある程度無意識的に結びつけられているようです。\n ぼくの修論では、このふたつの大きなキーワード、日本のテレビアニメーション、すなわち、テレビアニメと、ニューメディアと呼ばれる、インターネットやデジタル技術などを対象にしたいと考えています。これらふたつを通して考えていこうとしているのは、(クリック)両者がどのような関係を持っているのか、ということです。\n ぼくの修論では、このふたつの大きなキーワード、日本のテレビアニメーション、すなわち、テレビアニメと、ニューメディアと呼ばれる、インターネットやデジタル技術などを対象にしたいと考えています。これらふたつを通して考えていこうとしているのは、(クリック)両者がどのような関係を持っているのか、ということです。\n つまり、次のような問いになります。(クリック)まず、アニメはニューメディアの影響によってどのような変化を被ったのだろうか、ということ。そして、(クリック)アニメはどのようにニューメディアを思考するのか、ということ。(クリック)ニューメディアはアニメに何をもたらしたのか、ということになると思います。さくさくいきます。\n つまり、次のような問いになります。(クリック)まず、アニメはニューメディアの影響によってどのような変化を被ったのだろうか、ということ。そして、(クリック)アニメはどのようにニューメディアを思考するのか、ということ。(クリック)ニューメディアはアニメに何をもたらしたのか、ということになると思います。さくさくいきます。\n つまり、次のような問いになります。(クリック)まず、アニメはニューメディアの影響によってどのような変化を被ったのだろうか、ということ。そして、(クリック)アニメはどのようにニューメディアを思考するのか、ということ。(クリック)ニューメディアはアニメに何をもたらしたのか、ということになると思います。さくさくいきます。\n では先ほどのような問いがなぜ出てくるのか。また、副題にあるように本論文は、2005年以降のテレビアニメを対象としています。しかしそれはなぜなのか、という疑問に応えておこうと思います。まず、もっとも重要なこととして、アニメの制作現場にデジタル技術がもはや一般化されている、ということ。実はアニメの現場にデジタル技術が導入されはじめたのは、最近のことではありません。その準備ができたのがもっとも早いところで90sの終わり頃です。このような歴史的な流れを考えてみると、デジタルが頻繁に用いられるようになったのは、2000年代以降ということになるでしょう。それと同時並行的に、アニメの制作本数のピークが2006年にやってきます。以後作品本数は減少傾向ですが、この時期、アニメ放映時間がかなり改変されます。それまでゴールデンタイムにアニメが流されることも多かったのですが、その後は、朝か深夜かに大きく二分されていきます。もっとも例外もありますが、アニメ雑誌の表紙なども、それと並行するようにほとんどが深夜アニメになっていきます。これが2000年代後半のアニメをとりまく状況の変化です。同じ頃、ティム・オライリーと言う人が、Web2.0という概念を提唱します。これはものすごく簡単に言えば、これまで送信者と受信者がはっきりとわかれていたインターネットの環境が、双方向的なものに変わった、ということを言い表そうとしたワードです。更に、youtubeやニコニコ動画などといった動画投稿サイトが次々に登場してきます。ユーザーが能動的に動画の素材の抽出、編集を行うようになっていきます。このような状況の日常化は、最後のポスト・インターネットという状況とパラレルです。ポスト・インターネットというのは、もはやインターネットの世界が当り前になりすぎて現実の世界と区別できなくなっているような状況を指しています。このような背景を踏まえ、先のような問題意識が生まれています。\n では先ほどのような問いがなぜ出てくるのか。また、副題にあるように本論文は、2005年以降のテレビアニメを対象としています。しかしそれはなぜなのか、という疑問に応えておこうと思います。まず、もっとも重要なこととして、アニメの制作現場にデジタル技術がもはや一般化されている、ということ。実はアニメの現場にデジタル技術が導入されはじめたのは、最近のことではありません。その準備ができたのがもっとも早いところで90sの終わり頃です。このような歴史的な流れを考えてみると、デジタルが頻繁に用いられるようになったのは、2000年代以降ということになるでしょう。それと同時並行的に、アニメの制作本数のピークが2006年にやってきます。以後作品本数は減少傾向ですが、この時期、アニメ放映時間がかなり改変されます。それまでゴールデンタイムにアニメが流されることも多かったのですが、その後は、朝か深夜かに大きく二分されていきます。もっとも例外もありますが、アニメ雑誌の表紙なども、それと並行するようにほとんどが深夜アニメになっていきます。これが2000年代後半のアニメをとりまく状況の変化です。同じ頃、ティム・オライリーと言う人が、Web2.0という概念を提唱します。これはものすごく簡単に言えば、これまで送信者と受信者がはっきりとわかれていたインターネットの環境が、双方向的なものに変わった、ということを言い表そうとしたワードです。更に、youtubeやニコニコ動画などといった動画投稿サイトが次々に登場してきます。ユーザーが能動的に動画の素材の抽出、編集を行うようになっていきます。このような状況の日常化は、最後のポスト・インターネットという状況とパラレルです。ポスト・インターネットというのは、もはやインターネットの世界が当り前になりすぎて現実の世界と区別できなくなっているような状況を指しています。このような背景を踏まえ、先のような問題意識が生まれています。\n では先ほどのような問いがなぜ出てくるのか。また、副題にあるように本論文は、2005年以降のテレビアニメを対象としています。しかしそれはなぜなのか、という疑問に応えておこうと思います。まず、もっとも重要なこととして、アニメの制作現場にデジタル技術がもはや一般化されている、ということ。実はアニメの現場にデジタル技術が導入されはじめたのは、最近のことではありません。その準備ができたのがもっとも早いところで90sの終わり頃です。このような歴史的な流れを考えてみると、デジタルが頻繁に用いられるようになったのは、2000年代以降ということになるでしょう。それと同時並行的に、アニメの制作本数のピークが2006年にやってきます。以後作品本数は減少傾向ですが、この時期、アニメ放映時間がかなり改変されます。それまでゴールデンタイムにアニメが流されることも多かったのですが、その後は、朝か深夜かに大きく二分されていきます。もっとも例外もありますが、アニメ雑誌の表紙なども、それと並行するようにほとんどが深夜アニメになっていきます。これが2000年代後半のアニメをとりまく状況の変化です。同じ頃、ティム・オライリーと言う人が、Web2.0という概念を提唱します。これはものすごく簡単に言えば、これまで送信者と受信者がはっきりとわかれていたインターネットの環境が、双方向的なものに変わった、ということを言い表そうとしたワードです。更に、youtubeやニコニコ動画などといった動画投稿サイトが次々に登場してきます。ユーザーが能動的に動画の素材の抽出、編集を行うようになっていきます。このような状況の日常化は、最後のポスト・インターネットという状況とパラレルです。ポスト・インターネットというのは、もはやインターネットの世界が当り前になりすぎて現実の世界と区別できなくなっているような状況を指しています。このような背景を踏まえ、先のような問題意識が生まれています。\n では先ほどのような問いがなぜ出てくるのか。また、副題にあるように本論文は、2005年以降のテレビアニメを対象としています。しかしそれはなぜなのか、という疑問に応えておこうと思います。まず、もっとも重要なこととして、アニメの制作現場にデジタル技術がもはや一般化されている、ということ。実はアニメの現場にデジタル技術が導入されはじめたのは、最近のことではありません。その準備ができたのがもっとも早いところで90sの終わり頃です。このような歴史的な流れを考えてみると、デジタルが頻繁に用いられるようになったのは、2000年代以降ということになるでしょう。それと同時並行的に、アニメの制作本数のピークが2006年にやってきます。以後作品本数は減少傾向ですが、この時期、アニメ放映時間がかなり改変されます。それまでゴールデンタイムにアニメが流されることも多かったのですが、その後は、朝か深夜かに大きく二分されていきます。もっとも例外もありますが、アニメ雑誌の表紙なども、それと並行するようにほとんどが深夜アニメになっていきます。これが2000年代後半のアニメをとりまく状況の変化です。同じ頃、ティム・オライリーと言う人が、Web2.0という概念を提唱します。これはものすごく簡単に言えば、これまで送信者と受信者がはっきりとわかれていたインターネットの環境が、双方向的なものに変わった、ということを言い表そうとしたワードです。更に、youtubeやニコニコ動画などといった動画投稿サイトが次々に登場してきます。ユーザーが能動的に動画の素材の抽出、編集を行うようになっていきます。このような状況の日常化は、最後のポスト・インターネットという状況とパラレルです。ポスト・インターネットというのは、もはやインターネットの世界が当り前になりすぎて現実の世界と区別できなくなっているような状況を指しています。このような背景を踏まえ、先のような問題意識が生まれています。\n では先ほどのような問いがなぜ出てくるのか。また、副題にあるように本論文は、2005年以降のテレビアニメを対象としています。しかしそれはなぜなのか、という疑問に応えておこうと思います。まず、もっとも重要なこととして、アニメの制作現場にデジタル技術がもはや一般化されている、ということ。実はアニメの現場にデジタル技術が導入されはじめたのは、最近のことではありません。その準備ができたのがもっとも早いところで90sの終わり頃です。このような歴史的な流れを考えてみると、デジタルが頻繁に用いられるようになったのは、2000年代以降ということになるでしょう。それと同時並行的に、アニメの制作本数のピークが2006年にやってきます。以後作品本数は減少傾向ですが、この時期、アニメ放映時間がかなり改変されます。それまでゴールデンタイムにアニメが流されることも多かったのですが、その後は、朝か深夜かに大きく二分されていきます。もっとも例外もありますが、アニメ雑誌の表紙なども、それと並行するようにほとんどが深夜アニメになっていきます。これが2000年代後半のアニメをとりまく状況の変化です。同じ頃、ティム・オライリーと言う人が、Web2.0という概念を提唱します。これはものすごく簡単に言えば、これまで送信者と受信者がはっきりとわかれていたインターネットの環境が、双方向的なものに変わった、ということを言い表そうとしたワードです。更に、youtubeやニコニコ動画などといった動画投稿サイトが次々に登場してきます。ユーザーが能動的に動画の素材の抽出、編集を行うようになっていきます。このような状況の日常化は、最後のポスト・インターネットという状況とパラレルです。ポスト・インターネットというのは、もはやインターネットの世界が当り前になりすぎて現実の世界と区別できなくなっているような状況を指しています。このような背景を踏まえ、先のような問題意識が生まれています。\n もちろん、アニメに関しては、これまでも少なからず研究がなされたり、批評が書かれたりしてきました。その潮流を大きく分けると次のようなものになります。まず、アニメの歴史研究があります。資料を探して、アニメ史を作っていく、といった作業です。次にオタク男のセクシュアリティや欲望をアニメを用いて分析するものがあります。続いて、社会反映論的作品分析があります。最後に、これは北米の研究に多い傾向ですが、日本文化としてのアニメが、アメリカで受け入れられるときにどのような交渉が起こっていたのかをファン分析などから検証する方向があります。\n もちろん、アニメに関しては、これまでも少なからず研究がなされたり、批評が書かれたりしてきました。その潮流を大きく分けると次のようなものになります。まず、アニメの歴史研究があります。資料を探して、アニメ史を作っていく、といった作業です。次にオタク男のセクシュアリティや欲望をアニメを用いて分析するものがあります。続いて、社会反映論的作品分析があります。最後に、これは北米の研究に多い傾向ですが、日本文化としてのアニメが、アメリカで受け入れられるときにどのような交渉が起こっていたのかをファン分析などから検証する方向があります。\n もちろん、アニメに関しては、これまでも少なからず研究がなされたり、批評が書かれたりしてきました。その潮流を大きく分けると次のようなものになります。まず、アニメの歴史研究があります。資料を探して、アニメ史を作っていく、といった作業です。次にオタク男のセクシュアリティや欲望をアニメを用いて分析するものがあります。続いて、社会反映論的作品分析があります。最後に、これは北米の研究に多い傾向ですが、日本文化としてのアニメが、アメリカで受け入れられるときにどのような交渉が起こっていたのかをファン分析などから検証する方向があります。\n もちろん、アニメに関しては、これまでも少なからず研究がなされたり、批評が書かれたりしてきました。その潮流を大きく分けると次のようなものになります。まず、アニメの歴史研究があります。資料を探して、アニメ史を作っていく、といった作業です。次にオタク男のセクシュアリティや欲望をアニメを用いて分析するものがあります。続いて、社会反映論的作品分析があります。最後に、これは北米の研究に多い傾向ですが、日本文化としてのアニメが、アメリカで受け入れられるときにどのような交渉が起こっていたのかをファン分析などから検証する方向があります。\n これらの先行研究の問題点は、以下のようなものになるかとおもいます。まず、全体的に言えることですが、ストーリーや、物語構造の分析に重点が置かれていることが多いと言うことです。ぼくは、イメージの分析をむしろ中心的に扱おうと考えています。これは次の男性による受容といった一元的な見方を避けたいという気持ちからも来ています。齋藤環の仕事や、東浩紀の一部の仕事は、受容者が基本的に男性であることを前提として成り立っています。しかし最初に見たように、女性の受容者も多くいますので、受容者のセクシュアリティを男性/女性などと決めるのではなく、もう少し根源的なレベルで考えたいと思っています。あとは、日本文化の特殊性が言われる傾向もありますが、これは避けたい。加えて、扱われる作品が、劇場版アニメやマスターピース中心になっていることもよいことだとは思っていません。\n 具体的にどういった考えをもっているのかを、ぼくにとって重要なふたつの先行研究から少しだけ説明しようと思います。まずなんといっても重要なのがラマールの仕事で、彼のThe Anime Machineにぼくの研究はかなり依拠することになりそうです。ラマールはレイヤーに注目し、そこにアニメ的な固有性を見出そうとしています。レイヤーの操作や、その間隙、すなわちレイヤー同士の隔たりを考えることを通して、アニメはどのようにテクノロジーを思考するのかを説明しようとしています。ただ、彼の研究は、理論的な研究であるということもあり、同時代のメディア状況などはあまり考慮されていませんし、デジタルの問題についてもほとんど触れられていません。\n つぎにマーク・スタインバーグです。Anime’s Media Mixで指摘される重要な点は、アニメはその誕生からすでにメディア・ミックス的な性格を持っていた、ということです。それは、例えばアニメの画面そのままをステッカーなどに転用する、といったことです。これは、アニメのデジタルにおいても連続した傾向として考えることが出来ると思います。彼の他の論文では、デジタル・イメージについての考察が行われます。ここでは、ラマールの指摘した隔たりの概念を拡張するものとして、ふたつの隔たりを考えています。ひとつは3DCGIとセルイメージの隔たり、もうひとつはデジタルのテクスチャがキャラクターのデザイン(特に衣装など)に使われるときに現れる違和感としての隔たりです。しかしぼくは、このように隔たりを指摘していくだけではあまり意味がないと思っています。むしろその隔たりがどのように埋まったり、開いたりするのかを具体的に作品を分析しながら見ていく必要があると考えます。\n 以上のことから、ぼくの研究の意義は次のようなものになるかと思います。まず、これまで見てきたように、現状ではニューメディアとテレビアニメの関係について書かれたものはほとんどないということ。つぎに、有名な作品に囚われずに、ある程度包括的な形でアニメ研究を行おうと考えていること。そして、ラマールやスタインバーグの研究を発展させていくということ。具体的には、レイヤーに注目し、その隔たりを考えようとは思っていますが、それがデジタル技術やニューメディアの環境の中で、どのように変容しているのかや、どのような可能性が新たに生まれているのかを考察することになります。\n 章立ては配布した資料の通りです。第一章は外観的な章。つづく第二章はデジタル技術を利用した平面的なレイヤー操作の顕著な例として、シャフトという制作会社の作ったアニメを横断的に分析します。つづく第三章では、op/edの分析を行います。これはたくさんの作品を出来るだけ論じておきたいと言うことと、第四章につなぐために、二章とのブリッジを行おうと考えています。二章で扱うイメージと、四章で扱うイメージは、対極を為している感じなので、その間を埋めようと考えています。第四章では、特にデジタルとセルの隔たりを持ちながらも、それを埋めていく作品として、ギルティクラウンと言う作品を分析することにしたいと考えています。\n