聖書イスラエルの関係まとめ
- 1. 聖書 イスラエルの関係まとめ<br />10v016 木村大樹<br />私はこのイスラエルの民と「主」の関係を今から述べてみたいと思います。<br />神にとってイスラエルの民は、「主の聖なる民」すなわち主従関係にあったのだと思います。それらをさらに選抜し「宝の民」としたとありますが、これは現代でいう正に「試験」の類なのではないかと私は思いました。そこで優れている人々を選んだ、と考えれば大体あっているでしょう。<br />そして万軍の神すなわち「主」は貧しい人々を中心に選んだといいます。これは貧しい人でも慈愛の精神と主に対する愛つまり「忠誠心」の大きさを見て選んだと思います。そして先祖代々の誓いを「守った」事により紙に認められたのも、中世にわたり有名となった制度である「封建制度」の元祖とも言えます。<br />つまり「主」は「王」であり、「民」は「兵士」であると言えます。<br />すなわちどんなに弱くても「忠誠心」があれば、「絶対的服従」も守られるわけです。つまり権力を持つ者(ここでは主)に認められるのです。逆にいえば、「主」<br />の言ったことにはどんなことでも逆らえないのです。すなわち様は「主」の機嫌を損なわないように生活し、かつ平和的に過ごせば何も問題がないことなのです。<br />そして「信頼せよ」というのは遠い言い回しで「私の言うことを聞きなさい」と言っているようなことである。「戒めを守るのは、契約を守る」というのは服従を契約するのと、絶対的存在である「万軍の神」が絶対の忠誠でのみ優遇するとなると、それは現在でも問題視されている「差別化」に当たるのではないかと思いました。病気や災害や人災を守るというのは、貧しい民に絶対的な安全を約束し民を安心させるのが目的ではないかと思いました。<br />人というのは安心や安全という感情に弱いので、「保障」という名の「服従」を付け加えることで、次々に人を手軽に配下に置けると思いました。<br />よく考えてみますと、「主」と「民」の関係は今現在の私たちでいう「上司」と<br />「部下」に大変そっくりな気がしてたまりません。まず上司は部下に「給与」を与えます。これはまさしく「主」の「絶対的安全」です。それを受け取るために部下は頑張ります。これは「民」の神に対する忠誠の誓い、および勤労のことだと思います。働く人とそれを見守る関係はまさにそうです。<br />次に「憎いものには天罰を与える」というのは現代でいう「警察官」の役目も兼ねていると思います。これにより「民」は安全に生活できるわけです。<br />すなわち「戒め」というのは現代の「法律」に値するわけです。<br />しかし鋳像を作ってしまった「民」は立派な戒律違反なので「主の戒めを忘れた者に対する警告」として山火事を起こしました。これは元代でいう法律違反に値し、「刑罰」という形で残っています。昔も今も「罰」は厳しいことがわかります。<br />そして「豊かになっても主のことは忘れるな」と言うのは「豊かになったら人間に必ず欲望という弱い精神が浮き出る」と言う事だと感じました。「自分のおかげでこんなに豊かになった」という独裁の心を捨て去るというメッセージだったと思います。ついでに戦争のときイスラエルの民に対し「相手の国々を業火で焼き尽す」と言うのは今でいう「自衛隊」の役目もしていたと考えられます。そして再び戒めを与える時に2枚の石の板を作らせ「先導して先祖が与える誓った土地に入りなさい」と言うのは「土地相続権の譲渡」とそっくりです。<br />こうして見てみると、現代の社会を支えている法律や施設団体などは昔のイスラエルから元祖があったものだと気づいて驚きました。私たち人間の現在の生活もイスラエルの民から来ているのだなと思うと、自分の生活の歴史があまりにも深く感じられました。「主」は人の感情を読み取ることができる正に「万軍の神」だったと言えます。<br />