インターネットで情報を検索していると、頻繁にmixiの話題が出てきます。もう誰も彼もがmixiの会員であることが前提となっているかのようで、当然のようにブログなどからmixiの日記などにリンクしていたりするのですが、私のような非会員がリンクをクリックしても、その先に進むことはできません。(バカにされたようで非常に腹が立ちます。)友人からmixiへのお誘いを受けたことはありますが、断りました。外(非会員)からはうかがい知ることのできない閉鎖的な世界というのがどうも好きになれないのです。過去にもそういう世界から散々締め出されてきましたからね。もううんざりなんですよ。先日、ベクターグラフィックスの「剣」を描いたという話をしたかと思いますが、私は自分のことを「剣」のような存在だと思っています。小アルカナの「剣」は神秘学的には四元素の「風」に対応します。閉鎖的で凝り固まった世界に風を吹き込み、変化や革命をもたらす存在です。そういう「風」のような存在は、保守的な人々からは嫌われるんですよ。だから、今の私はすっかり孤立しています。「剣」を持つ者の宿命ですね。(「ハリネズミのジレンマ」などという言葉もありますが……私もさみしがりやであることは否定はしませんよ。)オカルトの世界では必ず秘密結社のようなものが存在します。すぐれた知識や思想を独占し、自分たちだけの利益としようと考えるわけです。あるいは、秘密を公開してしまうと神秘的な効力が失われてしまうということもあります。オカルトは隠されてこそ価値が出てくるのです。あるいは、「村意識」という言葉もあります。自分たちだけの世界に閉じこもることで、変化から自分たちを守ろうとするのです。宗教なども、思想という枠組みに閉じこもることで不安から身を守っているのです。政治などにも同様のことがいえるかもしれません。mixiの流行も、そのようなオカルトや新興宗教に傾倒しやすい人間の心理と似たようなものなのではないでしょうか。人は不安で仕方がない。だから、自分を守ってくれる居場所を求めるのです。無宗教の人が多い日本人は不安から身を守るすべを持たないために、なおのことmixiのような世界を求めるのではないでしょうか。開かれたインターネットの世界は危険に満ちていますしね。mixiはオカルトなんですよ。それが悪いというわけではありません。隠されているものがあるからこそ、開かれた(顕在化された)世界が生きてくる(うまく表現できませんが)ということもあります。ただ、私はそういうのが好きではないというだけのことです。正直に言えば、私はそういうオカルト的な世界に引きこもる人々を軽蔑しています。彼らの、「非会員を見下すような視線」が大っ嫌いなんです。コンピュータの世界でも、最近では「オープンソース」という考え方が広まりつつありますが、それ以前は、企業などでは技術的な情報は「秘密」にしておくことで利益を守ってきました。今ではその「秘密」が非難の対象となっています。かつての長野県知事の田中康夫氏も「開かれた県政」や「ガラス張りの知事室」を実践し、閉鎖的な世界に吹く「風」となりました。オカルトというのは、いつか必ず限界が来ます。いつか破綻するということが分かっているのに、そのよ