生命と認識IV(発表用:第二版)[2003]1. 生命と認識
近藤和敬
フーコーの生権力論の争点
本論では、フーコーの「生権力」概念の争点を明らかにすることを目指す。
「生権力」とは、とりわけ 70 年代から開始されるフーコーの一連の研究の中で形成され 、
76 年に出版される『知への意志』(性の歴史第一巻)の中で文字としては初めて登場する概
念である。そこで「生権力」という概念は、次のように規定されている。
「死なせるか生きるに任せる古い権利[君主権的権力[pouvoir souverain]]に代わ
って、生きさせるか死の中に放棄する権力が現れた」(Foucault[1976], p.
181/175)。
「君主権的権力がそこに象徴されていた死に基づく古き権力は、今や身体の行政管理と
生命の計算高い経営によって注意深く覆われてしまった。古典主義時代における様々な
規律制度――学校とか学寮、兵営、工房といったもの――の急速な発展である。同時にま
た、政治の実践や経済の考察の場で、出生率、長寿、公衆衛生、住居、移住といった問題が
生じる。つまり、身体の隷属化と住民の管理を手に入れるための多様かつ無数の技術の
爆発的出現である。こうして『生権力』の時代が始まるのだ」(Foucault[1976], pp.
183-4/p. 177)。
「生権力」 、
とは「身体の隷属化」 「住民の管理」
と という二つの仕方で身体と生命とを管 理・
調整する権力メカニズムを意味している。このような権力は、確かに住民を殺す権利によっ
て支配するというよりも、むしろ住民をよりよく生かすことを可能にすることで、その利益
を求める住民に働きかける権力である。積極的に殺すか、さもなくば生きるに任せるタイプ
の権力から、その権力に参与する者を積極的に生きさせるか、さもなくば勝手に死んでいく
に任せるタイプの権力へと、権力の現実的機能の形態が変化してきたというこのフーコー
の議論は、いったいいかなる含意をもっているのだろうか。
この話そのものは、例えば世界で初めて生存権を認めたドイツのワイマール憲法や戦後
における手厚い社会保証を実現し、その一方で死刑をますます減らしてきた先進諸国の例
を見ることによって、容易に理解することができる。これらの話は、多くの場合、先進諸国に
おける、封建的で抑圧的な支配体制に対する民主主義の勝利の実現として描かれる。民主主
義が実現したから、住民の生命と安全と自由を国家が守るようになったのだ、と。
しかしながら、実のところフーコーの議論は、それが容易に想起させる以上のようなお話
とは全く正反対のものである。
「生権力」という概念について説明するためには、ここでフ ー
コー自身も触れている「君主権的権力」ないし「死に基づく権力」にも触れなければならない
のだが、それは、このような封建的で抑圧的な支配体制が、住民の生存と権利を守ってくれ
る民主主義的権力によって覆されたということを述べるためでは全くない。なぜなら、その
住民の生命と安全と自由、すなわち基本的人権を民主主義的な国家が守ってくれるという
1
2. お話を可能にする出発点としての、いわゆる人間としての権利、主権者としての人間という
設定が、そもそもフーコーにとっては「君主権的権力」によって可能になるものでしかない
からである。したがって「生権力」
、 が徹底される先にあるのは、個人の生命と権利と自由 の
尊重というお話ではなく、それらを可能にする基本概念としての「主権的な人間」という像
の溶解である。
それでは、そもそもこの「生権力」という概念は、いかなる概念であり、どのような分析機
能をもっているのだろうか。そして、なぜフーコーは、そのような「生権力」という概念を提
示しなければならなかったのだろうか。このことを理解するためには、フーコーがどのよう
にこの概念を見出したのかということを考えてみる必要がある。
フーコーは、 「生権力」
この という概念を、 「系譜学」
彼が と呼ぶ分析方法に基づく研究の結
果として見出す。後でみるように、
「生権力」が最初から「生権力」と名指されていたわけで は
なかったという事実が、このことを明瞭に物語っている。フーコーは「系譜学」 、
を「考古学 に
よって記述されたローカルな言説様態をもとに、そこから解き放たれる脱-従属化した諸々
の知[les savoirs désassujettis]を働かせる戦術[tactique]」(Foucault[1997]、p.
11-2/13)と規定している。つまり、一般に真理であると信じられ、またそれを述べる言説主
体や真理としての言説を取り囲み、それを支えている言説体系を失効させ、その機構の歯車
を狂わせるために、彼らがそのような真理としての言説を述べることによって「マイナーな
もの 、
」 つまり「ローカルな言説様態」に仕立て上げてきたものにその本来の姿を取り戻し 、
それらを再び舞台の上に呼び戻すことで、それらを再活性化することである。
それではこの「系譜学」という方法によってフーコーが目指したものは何か。その最も重
要な目標の一つは、とりわけヨーロッパにその発生の起源をもちその後の世界中で発展を
見せた「資本主義」の発生のメカニズムを解明することである(Foucault[1976]、pp.
185-8/178-80)。そしてもう一つの重要な目標は、
「ファシズム」 「スターリン主義」 の
(と )
メカニズムを解明することである(Foucault[1997], pp. 230-4/257-261)。
これら二つの目標の内「ファシズム」
、 について明示的に言及し始めるの が 70 年代に入っ
てからなのに対し、ヨーロッパにおける「資本主義」の成立という主題に関しては、既にフー
コーの初期の代表作である『狂気の歴史』 『言葉と物』
や の中でたびたび触れられている。フ
ーコーは、これらの初期の仕事(60 年代までの一連の仕事)においてはとりわけ、エピステ
モロジーと呼ばれる科学史の哲学の文脈の中で仕事を行っていた。エピステモロジーの分
野には、例えば、物理学史の哲学(コイレ)や化学史の哲学(バシュラール)、数学史の哲
学(カヴァイエス)、生物学史の哲学(カンギレム)があるが、この中にあってフーコーは、
「人間科学」史の哲学を研究テーマとしていた。フーコーが「資本主義」の解明を目的として
「人間科学」のエピステモロジーを選択したのか「人間科学」
、 のエピステモロジーを行う 中
で「資本主義」の解明に向かったのか、そこのところをはっきりさせてくれる資料は見当た
らないように思われるが、フーコーはその初期の仕事から一貫して、この二つのテーマを結
びつけて考えていたことは確かであるように思われる。
2
3. 「人間科学」 「資本主義」
と 70
という組合せに関しては、 年代入ってからも本質的には変化
がないのだが、彼の研究スタイルあるいはその目的に関しては、この 70 年代を境にして明
らかな変化が見られる。すなわち「人間科学」
、 という科学的知の実定性の批判的解明から 、
「人間科学」という科学的知を煽りながらそれを最大限に利用する権力のメカニズムの解明
へと向かうという変化である。
「人間科学」のエピステモロジーとの関連付けることで、 の
こ
変化の理由を次のように推測することが可能であるように思われる。
まずフーコーは、ヨーロッパの「資本主義」の成立と「人間科学」(とりわけ心理学と精神
1
医学)の成立の間に何かしら本質的な連関があったのではないかという予測を立てた 。こ
の予測にしたがって、フーコーは、
「人間科学」の成立とブルジョワジーの成立あるいは近 代
的都市人類の成立が連動することを『狂気の歴史』
、 および『言葉と物』の中で明らかにし よ
うとした。
『狂気の歴史』によれば、狂人は、都市から疎外されるべきものであり、そのよう な
疎外(と同時に過剰な可視性、つまりスペクタクルとしての狂人)によって、都市人類は自
らの中に正常な市民という規範を内面化していく。
『言葉と物』に従えば、この規範化され た
都市人類、すなわち市民の成立によって「人間」
、 という曖昧な、しかし一方で理想的で規 範
的な形象が生み出される。
「人間科学」とは結局、この規範化された「人間」からのズレと偏 差
によってしか自らの実定性を確保できないような、いわば一種の疑似科学であることがそ
2
こで明らかにされる 。つまり「人間科学」 「資本主義」
は の成立を条件とし、それに依存する仕
方でしか成立しない、非常に特異な実定性をもった知の形態なのである。
『知の考古学』 詳
で
細に開示された彼の方法論としての「考古学的分析」 この特異な実定性をもった知(
は、 「人
間科学」)の実定性の形態を分析するためにフーコーが編み出した方法であると言ってよ
い。しかし、この方法は、そのような知の実定性の形態を浮かび上がらせることはできるも
のの、そのような知がなぜ発生したのか、つまりは結局のところ最初の問題であったところ
の、どのようにしてヨーロッパにおいて「資本主義」が成立したのかという問いに十分に答
1
既に述べたように、 この予測そのものの起源を問うことは困難であるが、 1954 年に出版さ
れた彼の最初の作品である 『精神病理と心理学』 において心理学の歴史的実定性について触
れられている。しかし、筆者が明確に述べているような仕方で、初期の作品でフーコーがこ
のことについて言明することはなかった。 そのようにはっきり明言するようになるのは、 も
っぱら 70 年代以降のしかも講義の中においてである。
2
70 年代以降の講義の中では、このことはよりあからさまな仕方で述べられるようになる。
73
たとえば、 年の講義録の中でフーコーは次のように人間科学を規定している箇所がある。
「人間科学の言説は、 まさしく以上のような意味で、 法的個人と規律的個人とを接合し、
連結することをその機能としています。 つまり、人間科学の言説の機能は、 政治的テクノ
ロジーによって規律的個人として切り分けられ構成されたものこそが、 法的個人の具体
的で現実的で自然な内容であると信じ込ませることである、ということです」
(Foucault[2003], p. 59/74)。
つまり、 後で述べるように、 人間科学は 「法=言説的な権力の表象」
、 の働きを 「真理」 の
(と見せかけられた)言説によって補強し、それに対するお墨付きを与える役割を担うこ
とによって、 同時に、 その実定性であるところの 「人間」なるものの形象を獲得しているとフ
ーコーは考えていることになる。
3
4. えるものではなかった。ここから、フーコーは 70 年代以降、そのような特異な実定性をもつ
知を通して、それと共犯関係にある権力を分析する方法を模索し始めることになることが
導かれる。そして、それが先に述べた「系譜学」の方法であり、そのようにして浮かび上がら
せられたのが「生権力」であったのである。つまり、
「資本主義」の成立を、そしてさらには フ
「
ァシズム」の成立を解明するために、フーコーは「系譜学」という方法によって、 「生権力」
この
という概念に行きついたのである。
このように見てみると、フーコーの初期から後期にかけての一貫性は「人間科学」 「 資
、 と
本主義」の関係の中に見出すことができるということが分かる。そして、また後で詳しく述
べることになるが、 「人間科学」 、
この は「生権力」においてもやはり非常に重要な役割を占 め
ていることが明らかになる。それでは、この「ファシズム」 「資本主義」
と を同時に説明する
「生権力」とはいったいどのような概念なのだろうか。引き続き、 「生権力」
この 概念の詳細な
説明を行うことにしたい。
「権力=戦争」仮説
フーコーは 知への意志』
、
『 が書かれ る 76 年 1 月 7 日の講義の中で、次のような問いを提起
していた。
「もしも権力が、それ自体として力関係の働きと展開であるのだとすれば、権力は・ ・・
、
まずなによりも闘争、対決、あるいは戦争といった用語でこそ分析されるべきなのでは
ないか・
。 ・・つまり、権力とは戦争である、他の手段によって継続された戦争である 、
と。このとき、私たちは、クラウゼヴィッツの定式を逆転して、政治とは他の手段によっ
て継続された戦争であると考えることになります」(Foucault[1997]、p. 16/pp.
18-9)。
「ニーチェ仮説」 p. 20)とフーコーによって呼ばれるこの
( 「権力=戦争」仮説(そしても
う一つは「抑圧=仮説」)にしたがって、フーコーは 76 年のコレージュドフランスでの講義
を行うのだが「権力=抑圧」
、 仮説が講義を通して明瞭に否定されるのに対して、 「権 力
この
=戦争」仮説については、この講義の中では最後まで明瞭な答えが提示されなかったように
思われる。むしろそこで探求されたのは、
「誰が最初に、政治とは他の方法によって継続さ れ
た戦争のことだ、と考えたのか」というある種の歴史的事実の問題の解明にとどまっていた。
しかし、その年の 10 月に出版された『知への意志』を見てみると、この問いに対してフーコ
3
ーは、ある意味では半ば肯定によって応えていることが見て取られる 。フーコーはそこで権
3
「ある意味では半ば」 という言い回しが必要になるのは「権力=戦争」
、 仮説を、後に見る よ
うな「戦争的関係」つまり、自らが生きるためには敵を殺さなければならないという関係と
して理解する限りでは、 フーコーは肯定していないからである。 なぜなら、 そのような「戦争
的関係」 むしろ
は、 「君主権的権力」 を指させるための「殺す権利」 を表しているからである。
したがって、 そのように理解された「戦争」とは、結局のところ、
「権力=抑圧」 仮説と同じ 帰
結を、つまり「君主権的権力」 をモデルにした権力概念の考察へと導いていることになる。 こ
の違いを整理するためには 、
「戦争」 「闘争」
と とを区別する必要があるかもしれないが、 こ こ
ではこの点についてこれ以上深追いしないことにする。
4
5. 力を次のように定義している。
「権力という語によってまず理解すべきだと思われるのは、無数の力関係であり、それら
が行使される領域に内在的で、かつそれらの組織の構成要素であるようなものだ。絶え
ざる闘争と衝突によって、それらを変形し、逆転させるゲームである・
。 ・・それは特 定
の社会において、錯綜した戦略的状況に与えられた名称である。それでは言い方を逆に
して、政治とは他の手段によって遂行される戦争であると言うべきなのか。おそらく、戦
争と政治の隔たりを相変わらず維持しようとするのであれば、むしろこの多種多様な力
関係は、あるいは『戦争』の形で、あるいは『政治』の形でコードされるのだと主張しなけ
ればなるまい」(Foucault[1976]p. 121-2 /119)。
「生権力」を理解可能にする権力概念は、単に戦争状態における力関係として捉えられた
権力概念でも、また単に統治状態における抑圧的関係として捉えられた権力概念でもなく、
「戦争」 「政治」
と (あるいはこの後のフーコーの言葉を用いれば「統治」)の区別を越えたと
ころで、あるいはそれを横断するよりミクロな水準で理解されるべきものなのである。つま
り、たとえ平和状態にある国家とは、常に権力関係の準安定状態にあるということであり、
つまり闘争関係の決着を維持するために常に力が働き続け、またそのような力の働きを必
要とするような別の方向の、あるいはむしろ多様な方向の力が常に同時に働きながらその
力関係が常に更新され続けている状態であるということである。一言でいえば、この仮説は、
統治あるいは平和状態を、権力関係の生成プロセスのただ中にあるものとして捉えるとい
うことになるだろう。
このような権力概念の一方で、別の権力概念、つまり統治機関が権力をもち、非統治者は、
権力によって受動的に支配され、そこの間には権力をもつものと持たないものという二項
対立を設定する権力概念が存在し、こちらのほうがより一般的なものとして流通している
ように思われる。これは、君主制における君主と臣民の関係、つまり「君主権的権力」をモデ
ルとした考え方である。そこでは権力関係の生成プロセスが現実を形成しているとみなす
のではなく、例えば王権神授説がそうであるように、ある時一気に権力をもつものと持たな
いものとが分かれ、それが基本的には変化しないということを肯定するものである。これが
「権力=抑圧」仮説と呼ばれる権力概念の基本的な考え方である。
フーコーは、権力の二つの仮説のうち、
「権力=抑圧」仮説は徹底して退ける。フーコーが 、
「権力=抑圧」仮説を退け「権力=戦争」
、 仮説に基づく権力概念を採用することの理由は 、
「君主権的権力」と結びついている権力概念によって権力分析を行ったのでは、現在におい
て機能している「生権力」の働きを抽出できないと考えていたからである。そして、このこと
は実際に、現在まで「生権力」が現実に機能していたにもかかわらず、フーコーによって指摘
されるまでほとんど誰も、その存在に気がつくことがなかったという事実を説明してくれ
るものでもある。
しかし、 、
なぜ「生権力」概念は、このような「君主権的権力」と結びつく「権力=抑圧」 説
仮
に基づいた仕方では理解できないのか。このことを理解するためには、
「権力=抑圧」仮説 と
5
6. 結びつく「君主権的権力」についてより詳しく理解する必要がある。
「君主権的権力」と「法=言説的権力の表象」の関係
フーコーによる「権力=抑圧」仮説あるいはそれと結びつく「君主権的権力」(ここでは
「殺す権利」としての「君主権的権力」については触れない)の解明は、それ自身もかなり複
雑な経緯を経ながら彼の講義の中で展開されており、一言で容易にまとめることができる
ものではない。
「権力=抑圧」仮説とは、単純に述べるならば、
「権力とは抑圧するものである」と規定す る
考え方のことである。つまり「権力とは、本性[自然]、本能、階級、個人を抑圧するものであ
る」(Foucault[1997], p. 15/18)という考え方である。
このような「権力=抑圧」仮説に基づく権力理論として、例えば、マルクス=フロイト主義
的な(あるいはアルチュセール=ラカン的な)権力理論を考えることができる。フーコー
が具体的に名を挙げているのはライヒによる議論であるが、彼は、非明示的にではあるもの
の、明らかにアルチュセール派のマルクス=フロイト的な権力理論およびイデオロギー論
(『再生産と国家のイデオロギー装置』)を攻撃しているように思われる(そしてこのこと
が彼らによっても意識されていたことが、バリバールの証言によって明らかになってい
る)。
しかしながら、 「権力=抑圧」
この 仮説は、フーコーによればフロイトやマルクスよりもず
っと古く、ヨーロッパにおける「君主権的権力」の技術とその理論化、もう少しはっきり述べ
れば「主権についての法=政治理論」に由来するものであるとされる。フーコーは『社会は防
衛しなければならない』の中で、次のように述べている。
「[研究を進めるにつれて出現してくる巨大な歴史的事実とは]主権についての法=政
治理論が、中世に出現したという事実なのです。主権についての法=政治理論[théorie
juridico-politique de la souveraineté]とは、いましがた述べたように今日、権力を分析
しようとするならば、まさしく脱却しなければならない理論ですが、その法=政治理論
は、ローマ法の復活に発し、君主制[monarchie]および君主の問題をめぐって成立し
たのです」(Foucault[1997], p. 31/37)
フーコーは、この君主制をめぐって成立した主権についての法=政治的理論が、現在の権
力分析のための障碍となっていると述べている。しかし、現在の主権国家のほとんど、少な
くともフーコーが問題にするヨーロッパ的な近代国家において、君主制を、少なくとも中世
におけるのと同じ意味での君主制を敷いている国家は存在しない。そうであれば、そのよう
なものが現在における権力分析において障碍となるようなことは起こらないはずではない
のか。
フーコーによれば、現在において機能している権力は、 「君主権的権力」
古い そのものでは
なく、むしろ「生権力」(あるいは「規律権力」)のほうである。しかし、その現実における「生
権力」の働きは、
「法=言説的な権力の表象」によって覆い隠され、表面的には「君主権的権 力」
6
7. が現在においてもなお有効に機能しているように見せかけているとフーコーは考えている
のである。
「権力の分析学は、 『法-言説的』
私が と呼ぶ権力の表象から自由になることを前提にし
てのみ成立しうるものだと思われる」(Foucault[1976], p. 109/108)。
「法=言説的」 juridico-politique]と形容される権力の表象は、
[ 権力そのものではなく、
その「表象」であるとされていることを注意しなければならない。 「表象」
この について、フー
コーは『社会は防衛しなければならない』の中で、よりはっきりと、次のように述べている。
「主権についての理論[théorie de la souveraineté]はいわば法的イデオロギー
[idéologie du droit]として存在し続けただけでなく、19 世紀ヨーロッパがナポレオ
ン法典以来備えることになった諸法規[codes juridiques]を組織し続けたのです」
(Foucault[1997], p. 33/39)
「法=言説的権力の表象」 ここでは
は、 「法的イデオロギー」と具体的な「諸法規」(後で「法
体系」 système de droit]と言い換えられる)として名指されている。
[ この引用によって、
フーコーが述べていた「主権についての法理論が中世において出現したという事実」とは、
現在において「法的イデオロギー」と具体的な「法体系」として機能しているものの起源を指
摘したものだったことが分かる。そして、ここで言うところの「法的イデオロギー」 、 法
とは「
体系」に由来する、あるいは少なくともそれと共犯関係にあるような何かしら強制的な常識
あるいは疑い難い観念体系のことなのである。そして、
「権力=抑圧」仮説とは、 「法的 イ
この
デオロギー」に基づいて権力概念を把握するやり方である。
具体的な「法体系」 、「社会体の主権の原則と、
とは 各人による主権の国家への委譲をめぐ
って分節化された、法制、言説、公法組織」 Foucault[1997]、 33/39)のことであり、法
( p. 「
的イデオロギー」とは、これらが総体で支えている主権者としての法的個人を実在的なもの
として信じさせる論理、すなわち「主権についての理論」の言説全体である。
もう少し具体的に述べれば、民主化された主権あるいは集団的主権のために鋳直された
ホッブズ的なリヴァイアサンを巡る議論である。つまり、権力は最初は自然権として各個人
に与えられていたのだが、公共の利益のために(あるいは「万人による万人に対する闘争」
を終結させるために)それを第三者機関すなわち国家に対して基本的人権を除いて自ら移
譲したのであり、そうすることで、各個人は、国家が定める法を遵守することが義務付けら
れる一方で、法の範囲内での権利と自由を獲得し、また基本的人権と自由の国家による保障
を獲得する、というものである。
このような「法的イデオロギー」に基づく場合、権力は、それをもつ者からもたざる者へと
一方向的に、しかもおそらくは上から下へと向けられるものであると理解されている。また
それに対する抵抗とは、それをもたざるものが現に権力をもっているものからそれを奪取
することとして理解される。したがって、その奪取は抑圧からの解放として描かれ、その解
放の印が抑圧されたものに対して権力の奪取を鼓舞するのである。
この「法的イデオロギー」がイデオロギーであると言われるのは、そのような「主権につい
7
8. ての理論」に基づく「君主権的権力」 現実的な権力としては既に失効しているからである。
が、
しかしその一方でこの「法的イデオロギー」そのものは、現在においても次のように実効的
に機能している。すなわち、
「法的イデオロギー」 、
は「生権力」を偽装するだけでなく 、
「法的
個人」 「規律的個人」
と とを曖昧なままつなぎ合わせ、いわゆる近代の規範化された「人間」と
いう像の形成を可能にするという仕方で機能しているのである(Foucault[2003]、p.
60/74)。
このような「法的イデオロギー」に基づく権力分析(すなわち「権力=抑圧」仮説)が、現
在の権力の分析にとって無効であるとフーコーが考えるのはなぜなのか。第一に、この権力
仮説が、現時点において失効している(フーコーの分析においては 18 世紀の末から 19 世
紀の初頭の間に失効した)権力形態をモデルとしているからであり、第二に、このような理
論に基づいて権力を批判することが、むしろ権力理論の袋小路を導いているからである。し
かし、なぜフーコーは、この権力形態が失効していると述べることができるのだろうか。
君主権的権力から規律権力へ
フーコーは、絶対王政まで続いた「君主権的権力」から、フーコーが「規律権力」と呼ぶもの
への移行あるいは乗り越えを最も象徴的な仕方で示している事例を、既に述べたような「系
譜学」という分析方法によって検討している(「規律権力」 「生権力」
と との一貫性について
は後で詳述する)。
それは、狂気に陥ったイギリスの王ジョージ 3 世を主治医のヴィリスが治療する場面につ
いてのピネルによる記述である(『精神病に関する医学哲学論』[1800 年] 、
Foucault[2003], p. 22/26)。この狂気に陥ったジョージ 3 世は、治療のために、窓と壁が
マットレスで覆われた部屋の中に一人閉じ込められることになる。そして彼の治療を「指導
=監督する者」 王に対して
は、 「もはや君主ではないこと、したがって今後は素直かつ従順に
ならなければならないと宣告」した。そして、王の身の回りの世話は、彼の近侍の中から「ヘ
ラクレスのような体つき」をした二人が選ばれ、
「彼の欲求に留意し、彼の状態が必要とす る
世話をすべて行い 、 「彼が完全に二人の近侍に依存しているということ、
」 また 今後は彼ら に
従わなければならないということを彼に納得させる」という任務が与えられることになる。
「ある日、このアリエネ[ジョージ 3 世]が激しい妄想に陥り、訪ねてきたかつての主治
医を非常にひどいやり方で迎え、彼に汚物を塗りたくるということがあった。するとす
ぐに近侍のうちの一人が無言で部屋に入り、自分自身もひどく汚れた状態の妄想者を取
り押さえ、力ずくでマットレスの山に押し倒し、服を脱がせ、スポンジで洗い、着替えさ
せた。そして、威厳をもって彼を眺めながら、すぐに部屋を出て、自分の持ち場に戻るの
だった。このような教訓が、数カ月の間断続的に繰り返され、他の治療の手段にも助けら
れて、再発の恐れのない確固とした治癒をもたらしたのであった」 Foucault[2003],
(
p. 22/26)
このジョージ 3 世の狂気の治療という舞台の中には、一方には、君主の本質的な機能の解
8
9. 除、あるいは王権の失効作業があり、他方には、それを行うことを可能し、またそれを行うこ
とによって、ある意味で権力として前景化されることになる精神医学が用いた権力、すなわ
ち「規律権力」の登場という二つの場面が同時に存在している。これをもってフーコーは次
のように分析している。
「王の狂気は、王を一つの明確な地点にとどめ置くものであり、そしてとりわけ、王を別
の君主権的権力のもとにではなく、それとは別の権力の下に転落させるものです ・ ・・
。
これは、王の頭を占領した狂気によって断首された君主権的権力、王がもはや君主[主
権者]ではないということを王に告げる一種の儀式によって廃位された君主権的権力
が、別の権力へと移行するということです。このように断首され王位を剥奪された権力
の代わりに、多数多様で生気に乏しく精彩のない匿名の権力が配置されるのであり、私
はこの権力を、規律権力[pouvoir disciplinaire / pouvoir de discipline]と名づけよう
と思います」(Foucault[2003], p. 23/28)。
ここでフーコーが「規律権力」と名づける新たな権力を保証し正当化し、それが効力を発
揮することを可能にしているのは 「君主権的権力」の背後には必ず要請されてきた圧倒 的
、
な暴力(「殺す権利」)による威嚇ではなく、どこにでもあり、かつ誰のものでもないが、し
かし個人の生物学的な身体を介して実現される「規範」の存在である。そして、 「規範」
この に
よって、正確には「規範」に基づく「規律権力」によって、精神医学は、狂気に対する「治療の操
作」を、つまり君主権の屈服を現実的に可能にしたのである。
「ウィリスおよび彼の後にピネルが想定していた治療の操作とは、狂気を、狂気によって
荒れ狂うものであると同時にその内部で狂気が荒れ狂うものとしての君主権[主権]
[souveraineté]から、狂気を屈服させるものとにみなされた一つの規律へと移動させ
る、というものでした」(Foucault[2003], p. 42/52)。
フーコーにとって、君主制を崩壊させ、市民による民主的主権国家の確立を可能にさせた
のは、市民階級による資本の蓄積および商業的自由の希求や彼らの道徳規則ではなく(あ
るいは少なくともそれらだけではなく)、君主権を屈服させることを可能にし、しかもある
意味では特定の個人の身体によっては占有されることのない「規範」に基づく権力技術の発
明である。 「規律権力」 さらには統治に係るコストを削減し(このことは君主制に戻
この は、
らないためには不可欠である)、より効率的かつ生産的にまたより細やかにかつ連続的に
人間個体の統治を遂行することを可能にさえしたのである。
「ブルジョワ革命は、絶対王政[monarchie absolue]によって少しずつ構成されていっ
た国家機構の、新たな社会階級による単なる奪取ではありませんでした。それはまた、一
群の制度の単なる組織化でもありませんでした。18 世紀と 19 世紀初めのブルジョワ革
命、それは規律をその本質的要素とする権力の新たなテクノロジーの発明だったのです」
4
(Foucault[1999]、p. 81/96) 。
4
同様の趣旨の文章は、『知への意志』の中にも見出すことができる 。
「このような『生権力』 疑う余地もなく、
は、 資本主義の発達に不可欠の要因であった。資本主
9
10. そしてフーコーに従えば、 「規律権力」 19 世紀および 20 世紀を通して、
この は、 様々な装置
および法律を植民地化し、拡大しながら現在へと至る。それを象徴的に表しているのが 監
、
『
獄の誕生』で描かれるようなスペクタクルとしての死刑の消滅であり、それに相対して生じ
た死の個人化である。つまりフーコーによれば、死が新たに個人的なことがらとして現代に
再発見されるようになったのは、単に見せしめのための死、威嚇を本質的に伴う「君主権的
権力」の衰退によって、死が権力の活用の対象から外され、再び個人的なものへと返された
だけにすぎないからであると説明される。そして、刑事処罰の場面から死刑が退場し、矯正
のための監獄か治療のための病院かという二者択一へと向かっていく現在は、まさに「規律
権力」の時代として理解することができるだろう。
したがって、君主を権力の座から引きずり降ろし、あるいはそれを無効なものとして(狂
気として)退けることを可能にする全く別の権力メカニズムが支配的である現在において、
既に無効なものとして乗り越えられてしまったこの「君主権的権力」から派生する「法的イ
デオロギー」に基づく権力仮説(「権力=抑圧」仮説)では、現在の権力の働きを分析するこ
とは不可能であり、その働きの水準において構造的に取り逃すことになるだろう。したがっ
て、このような「法的イデオロギー」に従う限り、
「生権力」あるいは「規律権力」の分析は遂 行
できないと結論されるのである。
しかしながら、そのような「規律権力」的な権力メカニズムが現代において支配的である
のならば、なぜそのような「法的イデオロギー」なるものがこれほどまでに一般的な説得力
を獲得しうるのか。このことについて、フーコーは『社会は防衛しなければならない』の中で
5
は明確に二つの解答を与えている 。
「一方で、主権についての理論は 18 世紀においては、さらには 19 世紀においても、君主
[monarchie]に対する、さらには規律社会の進展を妨げようとするあらゆる障碍に対
する、批判の道具としてつねに役だったということがあります。しかし他方では、この主
権についての理論、および、それを中心とした法規の編成が、規律のメカニズムに、法体
系を重ね合わせることを可能にしたのです。この法体系は、規律の諸実践に仮面をかぶ
せ、規律に含まれる支配や支配の諸技術を消し去り、最終的には、個人に対して国家主権
を通して各人それぞれの主権を行使することを保証するものだったのです」
(Foucault[1997]、p. 33/39)。
つまり一方では、
「君主権的権力」に由来する「法的イデオロギー」あるいは「主権につい て
の理論」 一方で君主を引きずり降ろし、
は、 民主的主権を確立させるのに役立ったがゆえに、
実際の「君主権的権力」が失効した後にもイデオロギーとして残存したし、現在においても
なおその効果を継続させている。また他方では、 「法的イデオロギー」 、
この は「規律権力」 に
義が保証されてきたのは、 ただ、 生産関係へと身体を管理された形で組み込むという代価を
払ってのみ、そして人口現象を経済的プロセスにはめ込むという代償によってのみなので
あった」(Foucault[1976], p. 185/178)。
5
ここでの答えは 、『知への意志』の中でも提示されている (Foucault[1976], pp.
113-8/112-6)。
10
11. 含まれる自由の剥奪(規律と調整)という支配の技術を覆い隠し、かつそれを主権者とし
ての市民全体の中で機能させるのに役立っているのである。つまり、
「君主権的権力」に由 来
するこの「法的イデオロギー」 、
は「規律権力」が一般性をもって配備され、その効果を最大 限
にするために必要な装置として、かつて要求されてきたし、また現在においてもなお継続し
て要求されているのである。かくして、
「法的イデオロギー」がぬぐい去りがたいものとし て
現在においても機能していることの理由を理解することができる。
規律権力と生権力の関係
このような「法的イデオロギー」から逃れたところで、権力は具体的にどのようなものと
して分析されるのだろうか。
フーコーの権力論を理解する上で重要なことは、権力というものを何か大きな抽象的な
力として理解することではなく、まずは具体的で実効的な規則的メカニズムのこととして
理解することである。フーコーにとって権力とは、具体的な自然、すなわち身体と生命の中
で機能することが見いだされるような特殊な規則性、すなわちカンギレムの言葉を借りて
フーコーが「規範」と呼ぶものの具体的な抵抗や具体的な効力の中で機能しているものであ
る。ある時点においてどれほど成功をおさめ、普及している権力技術であっても、もともと
は非常に具体的で限定的な場所と文脈で実現していたものにすぎないとフーコーは考えて
いる。
例えば、フーコーは、
「規律権力」とそのコード化の技術の最初の形態を中世の修道院の 中
の生活規範の中に見いだしている。その最初の時点においては全く一般的なものではない
し、またその権力技術が現在のような一般性をもつことになるということをその時点で予
測することは決してできなかっただろう。それは、他の技術や装置の様々な変化の中で、お
そらくはほとんど偶然的に、しかしある意味では(つまり「君主権的権力」を決定的に乗り
越えることのできる一つの方法という意味では)必然的に、権力メカニズムの前景へと躍
り出るのである。
「社会の底辺に位置し、独自の堅固さをもち固有の技術をもったそれらのメカニズムが、
より一般的なメカニズムや全体的な支配の形式によって次第に包囲され、植民地化され、
使用され、屈折させられ、転移され、延長されてきたのか、また現在でもそうなっている
のかを考えるべきだと思うのです」(Foucault[1997]、p. 27/33)。
その際に注目すべきことは、
「いくつかの変化に従って」
、
「何らかの経済的利潤、何らか の
政治的有用性」をその技術が示すようになることで、
「システムを強固なものとし、そのシ ス
テムを制度全体に機能させることになった」という順序である。先に権力があって、その都
合に合わせて技術が生み出されたのではなく、つまり上から下へと同型的な権力が波及し
ていったのではない。そうではなくて、有効な技術がまずは存在するのであり、権力はその
技術を他の技術と連接することによってその効果を最大化し、それが生み出しうる利益を
最大化することしかしないのである。その意味でフーコーは「権力は盲目である」とも言う。
11
12. そして、この権力の具体性あるいは実効性こそが、真の意味で権力の有効性を支えているし、
その行使を可能にしている条件なのである。したがって、権力を分析するということは、こ
のような具体的に機能している装置やその機能の条件を明らかにすることであるだろう。
フーコーは 規律権力」
、
「 が以上のような仕方で 、 世紀末および 19 世紀の初頭にかけて、
18
権力メカニズムの前面へと躍進することになると考えている。フーコーは、 「規律権力」
この
73
を、 年の『精神医学の権力』の時点では、それを特に精神医学の権力との関係で考えていた
こともあって、個人の身体を焦点とする権力であると考えていた。 75
また彼は、 年の出版さ
れる『監獄の誕生』においても、 「規律権力」 、
この を「パノプチコン・システム」の分析を通 じ
て中心的なものとして論じている(「パノプチコン・システム」の分析は既に『精神医学の
権力』の 1973 年 1 月 28 日の講義において行われている)。
76
これに対して、 年の『知への意志』においては、もはやこの「規律権力」という言い方は積
極的には採用されず 「規律を特徴付けている権力の手続き」 [procédures de pouvoir qui
、
caractérisent les disciplines], p. 183/176]としての「人間身体の解剖政治学」 anatomo
[
– politique du corps humain]という言い方が採用されるようになる。そして、それと両極
をなすものとして、やや遅れて 18 世紀中ごろに形成されたとされる「調整する管理」
[contrôles régulateurs]、すなわち「人口の生政治学」 bio-politique de la population]
[
が対置されることになる。そして、これらは等しく「生権力」の両翼を担う「技術」とされるこ
とになり、それぞれ「規律」と「調整」という仕方で横並びに位置づけられることになる。
フーコーが「規律権力」と呼ぶものと「生権力」と呼ぶものの間に一貫性は存在するのだろ
うか。これについてこれまで様々な主張がなされてきたが、筆者は「規範」という概念に訴え
ることによって、フーコーの中で保たれているこれらの間の一貫性を復元することができ
ると考える。
73
フーコーは、 年の講義の段階(つまり「規律権力」しか考えていない段階)から、既に
「規律権力」を「規範」あるいは「規範化」との関係で定義している。
「規律権力は、アノミー化するものである[être anomisant]ということ、つまり常に一
定数の個人を遠ざけて、アノミーや還元不可能なものを出現させるものであるというこ
と。そして次に、それは常に、規範化するものである[être toujours normalisant]とい
うこと、常に新たな回収のシステムを発明し、常に規則を打ち立て直すものであるとい
うこと。規律システムは、アノミーの中で絶えず規範[norme]を扱うというそうした
仕事によって特徴づけられているのです」(Foucault[2003], p. 56/70)。
このようなフーコーによる規律権力の特徴づけにおいて「規範」 [norme]と
、 「規範化」
[normalisation]が、その特徴付けのための基礎概念として機能していることが理解でき
る。では、ここでフーコーはこの「規範」ないし「規範化」をどのようなものとして理解してい
るのだろうか。彼はこの翌年である 74 年度の講義(1975 年 1 月 15 日)の中で、この概念が
カンギレムの『正常と病理』の第二版に収められた「規範と規範化」という論文に由来してい
ることを明かしている。
12
13. 「規範と規範化の問題を扱っているこのテクスト[『規律と規範化』]の中には、歴史的
そして方法論的に見て豊かな一群の発想があります。まずそこには、社会的で政治的か
つ技術的な規範化の一般的プロセスについての言及があります ・
。 ・・同様に重要で あ
、 ・・規範は決して自然法則 [loi naturelle]によって規定
ると思われるものとして ・
されるのではなく、それが適用される領域に対して行使しうる要求[exigence]や強制
[coercition]の役割によって規定されるという発想があります ・
。 ・・[第三に] 規
範は、自らのうちに、価値付与の原理と修正の原理とを供に備えているという発想があ
ります。規範の役割は、排除したり拒絶したりすることではなく、反対に、発明と変容の
。 ・ ・18 世紀が、
ポジティヴな技術、規範の確立という企図に結びついているのです ・
『規範化の効果をもたらす規律』のシステム[système « discipline à effet de
normalisation »]、『規律による規範化』のシステム [système « discipline -
normalisation »]によって確立したもの、それは、抑圧的ではなく生産的な権力である
ように思われます」(Foucault[1999]、pp. 45-8/54-6)。
「規範」という概念そのものが持つ複雑さは、それが生物学的な規範の問題、つまり生命が
生命として維持し、自己生産する際に、自らに課している規範性の問題と結びつていること
による。そしてこれこそが、
「規範」 「法」
を からも通常の「自然法則」からも区別可能にする 唯
一の点であるように思われる。それは、たとえ「社会的で政治的」であったとしても、生命の
自己保存のための努力とそのメカニズム、その生産的なメカニズムを部分的に含んでいな
ければならない。したがって「規範」 何らかの利害関心にのみしたがって恣意的に押 し
、 は、
付けられるものではありえない。そこではある意味で、常に先に存在している生産の流れ
(とドゥルーズであれば言うところのもの)を登録し、調整し、誘い出し、囲い込むことが
必要である。そして、その時に初めて、政治的かつ社会的な歴史的関心が関わってくるので
あり、またそのようなものに対するある種の抵抗が浮かび上がってくる。
そして、そのような抵抗を組み込み、その生産の流れを途絶えさせないように「規範化 」
、
を実現する、つまり、一部のアノミーを生み出しながら、そのアノミーを体系的に回収し、よ
り効果的な手段のために、アノミーを再帰的に利用するプロセスを通じて、
「規範化」を実 現
することが可能になる。したがって、
「規律権力」とは、このような「規範」 「規範化」
と の作 用
を前提し、それを「規律」によって実現するタイプの権力技術であると理解されることにな
る。したがって、
「規律」 「規範化」
とは のための手段であり、
「個人化」ないし「個人の身体」 と
は、 「規律による規範化」
この の権力技術による戦術目標であり、うまく機能している時には
生産される結果であるということになる。
したがって、ここから、
「規律」という概念に対する「規範」ないし「規範化」という概念の 優
位性が導かれる。そして同じことが、
「生政治」ないしそこにおける「人口の調整」という概 念
に対しても確認される。
「身体と人口に適用され、身体の規律的次元と同時に、生物学的多数性が伴う偶発的出来
事を管理することを可能にする要素、一方から他方へと循環していくこの要素とは 規
、
『
13
14. 範』である。規範、これは規律化すべき身体にも、調整すべき人口にも適用されうるもの
です。したがって、このような条件を鑑みれば、規範化の社会とは、至る所に張り巡らさ
れた規律的諸制度によって覆い尽くされたような、いわば規律が全般化したような社会
ではありません――それでは規範化の社会という概念の初歩的な、そして不十分な解釈
にすぎないと思うのです。規範化の社会とは、規律の規範と調整の規範が直角に交差す
19
るようにして連結した社会なのです。 世紀には権力が生命を所有したということ、少
なくとも 19 世紀には権力が生命を引き受けたということは、有機的なものから生物学
的なものへ、身体から人口へと広がる領域を、権力が一方では規律の技術によって、他方
では調整の技術によって、二重に覆い尽くしたということです」 Foucault[1997],p.
(
225/pp. 251-2)。
以上のようにフーコーによって述べられたことの中で 「規範」という概念が、明らか に
、
「人口」 「調整」
を するものとしての「生政治学」 個別の
と、 「身体」を訓育する権力技術という
カテゴリーを越えて、機能していることが見てとられる。そして、フーコーはこの後で「 君
、
主権的権力がだんだん後退していき、反対に規律的で調整的な生権力がますます進展して
くる」(Foucault[1997], p. 226/252)と述べていることを考慮するならば、既に筆者が
見たところの「君主権的権力」 「規律権力」
から へという 73 年の時点でのフーコーの言い方
は、「君主権的権力」から「規律的で調整的な生権力」 [bio-pouvoir disciplinaire ou
régulateur]へという言い方によって上書きされていることが分かる。そして、この言い方
が表しているもう一つの重要な側面は、
「生権力」 しばしば言われるように
を、 、
「人口の調 整」
に関わる権力として定義したのでは狭すぎるということである。まさにここにおいて 「 規
、
範」と結びついた「生命」という概念が「人口」 「身体」
と を横断する上位概念として登場して
いることを理解することができる。
「生権力」 「生命」
の という概念は、
「規律」 「調整」
と とい う
種別を越えて意味をもつものとして理解されなければならない。
そして、この限りにおいて、
「規範」という概念を「生命」という概念と直接結びつけてい た
カンギレムの仕事の重要性が再び現れる。これについては次章でより詳しく論じるが、簡単
に述べるとすれば、人間の精神によって一方的に支配されるだけの身体という理解を可能
にするような死んだものである物質概念から、人間の精神と並行してその秩序とともに、し
かしそれからは因果的に独立して働く、つまりそれ自身の自律性をもって生きる物体とし
ての生命的身体という理解を可能にする別の物質概念、すなわち生きた物質という概念へ
と移行することをカンギレムの「規範」概念は可能にしたことが、その重要な点であるだろ
う。
したがって「生権力」 「規律権力」
、 は から切り離されるべきではなく、またそれは単な る
「人口の調整」の権力技術(「人口の生政治学」)として理解されるべきでもない。
「生権力 」
は、
「規律的で調整的な生権力」として理解しなければならず、そこでの「規律」 「調整」 交
と の
差を可能にする「規範」概念と「生命」概念を基礎とする権力概念として理解されなければな
らない。したがって、 年から 75 年にかけて用いられた
73 「規律権力」という用語は、このよう
14
15. に理解された限りでの「生権力」という概念の、萌芽的概念として理解される必要があると
いうことが導かれるのである。
生権力とそれによる資本主義の成立の説明
「生権力」という概念についての一通りの説明が終わったところで、最初に述べたように、
この概念の説明的価値を確認することにしよう。すなわち「生権力」
、 という概念によって 、
「資本主義」と「ファシズム」の説明が可能であることを確認しなければならない。
「生権力は、疑う余地もなく、資本主義の発達に不可欠の要因であった」
(Foucault[1976]、 185/178)と述べるフーコーは
p. 、
「生権力」 「資本主義」
と の関わり に
ついて、まとまった仕方ではないが、散発的な仕方で何度か説明を試みている。ここではそ
れらをまとめ直しながら、フーコーによる説明を再構成してみよう。フーコーは、以下の文
章の中で、自らの最も基本的なアイデアを比較的明瞭に表しているように思われる。
「資本主義に必要だったのは、力と適応能力と生一般を増大させつつも、しかもそれらの
隷属化[主体化[assujettir]]をより困難にせずにすむような、そういう権力の方法
だったのである」(Foucault[1976]、p. 186/178)。
フーコーはここで、
「資本主義」が成立するための、一見すると相反する二つの要因を述 べ
ている。すなわち、
「力と適応能力と生一般を増大」させることと、
「それらの隷属化をより 困
難にせずにすむ」ことである。これらが同時に機能することによって、搾取によるのでも道
徳によるのでもない仕方で、人間と資本の蓄積、すなわち人口と身体の取り込みと同機した
生産力の爆発的増大が可能になる。しかし、これら相反する要因が同時に機能することを理
解するためには、そのそれぞれの説明を詳しく見ていかなければならないだろう。
まず一つ目の要因を見てみよう。
「力と適応能力と生一般を増大」させることとは、具体 的
には「生産関係へと身体を管理された形で組み込む」
、 ことと「人口現象を経済的プロセ ス
、
にはめ込む」ことの二つからなり、まとめると「身体と人口現象を成長・増大させること」で
ある(Foucault[1976]、 185/178)。
p. これらのそれぞれが、既に見てきたところの「個人
的身体」に焦点を当てる「解剖政治学」 人口現象の
と、 「調整」を行う「生政治学」とに対応して
いることを容易に見て取ることができる。
次に、二つ目の要因を見てみよう。
「それらの隷属化[主体化]をより困難にせずにすむ 」
こととは、すなわち、この規律的で調整的な「生権力」 個人の
に、 「身体」と群衆の「人口」とが
そろって自ら進んで、誰かの命令によってではない仕方で従うようにすることである。
前者は、
「身体」 「人口」
と に積極的に働きかけるという意味で、
「身体」 「人口」
と は受動的 で
あるが、後者は、そのような働きかけに「身体」 「人口」
と が自ら進んで従うようになるという
ことであり、それららは能動的である。別の言い方をすれば、前者は、人間の自由を束縛する
ものであり、後者は人間の自由に基づくものである。この意味で、これらの二つの要因を同
時に満たすということは、相矛盾することを述べているようにも見える。しかし、ここでこ
のような相矛盾するように見える要因を調手しているのが、既に述べたところの「法的イデ
15
16. オロギー」であり、それと結びついた「人間科学」である。
ここで「人間科学」 三つの重要な役割を担っている。
は、 第一に、生産力の拡大という必要
に答えるために、
「規範」に基づいて人間を差別的に配分することである。フーコーは、
「人 間
科学」 「当時発展していた経済の必要性に対応する労働力配分の必要性によって提起され
が
た戦術的問題の出現によって生み出された」 Foucault[2003]、 74/90)と述べている。
( p.
つまり、人間の発達の諸段階を把握し、人間の様々な能力を効率的に教育し、またその状態
を維持し、そのような差異化される労働者(管理職であれ、下働きであれ)を必要な水準で
労働市場に供給し続けることを可能にするための、様々な(心理学的、社会学的、教育学的)
「規範」の設定を行うのが、「人間科学」に与えられた第一の役割である 。
第二に、そのような「規範」についての言説に正当性を与えるために、
「人間科学」 「真理 」
は
を語る言説として機能しなければならない「人間科学」 その実体がどうであれ、
。 は、 方法 論
的には少なくとも科学的手法の体裁をとらなければならない。このことに意味があるのは、
「人間科学」によって述べられる「規範」的言説は、それが流通し、それが実効的に機能を発揮
するためには、何らかの(ここでは学問的真理という)正当性をもたなければならないか
らである。しかし、それは真理でなければならないのではなく、真理効果とでも呼ぶべきも
のを発揮することさえできればよいのである。したがって、
「人間科学」が科学的である度 合
いは、真理効果が実効的に発揮されるために要求される学問的厳密さの水準によって変化
することになる。
「人間科学」にとって重要なのは、
「規範」を機能させること、あるいはあ る
「規範」を失効させ、新たに別の「規範」を機能させることであって、真理をつかむことではな
い。
第三に、「人間科学」は、「法的個人と規律的個人とを接合し、連結すること 」
(Foucault[2003]、 59/74)をその機能としている。
p. このことは、第一に、
「人間科学」に
よって設定される「規範」を社会の中で全般的に機能させるために必要である。このために
「人間科学」 「法的イデオロギー」
は と結びつき、それとの間に、正の相関関係を確立すること
になる。そして第二に、そのことは「生権力」
、 の台頭によってそのままでは機能しなくな っ
ていた暴力によって死を与える「君主権的権力」に修正を加え、君主がかつて持っていた「死
を与える権利」を使用可能にするために必要である。そして、この二つ(つまり「規範」の一
般化と処罰権力の行使)がそろって、初めて、
「資本主義」を可能にするための二つ目の要 因
であった 「身体と人口の隷属化[主体化]をより困難にせずにすむ」ことが実現可能に な
、
る。なぜなら、これによって、人間科学が設定する「規範」が社会全体に配備され、処罰権力を
伴うことで実効的に機能することが可能になり、また「法的イデオロギー」による正当化が
実効的に機能するようになるからである。
しかし、この第二の点(「死を与える権利」を使用可能にすること)が、
「生権力」のメカ ニ
ズムのなぜ可能になるのかということを説明するためには 「人間科学」の対として必要 と
、
される「人種主義」 racism]の説明を行わなければならない。
[ フーコーは『社会は防衛しな
ければならない』の中で、
「人種主義」を規範化の社会において処刑が容認されるための条 件、
16
17. すなわち「殺す権利[droit de tuer]の行使を可能にする条件」(Foucault[1997], p.
228/255)であると述べている。
しかしながら、
「生権力」が機能している社会、あるいは規範化の社会は、生命を保護し、増
大し、調整することを基本としている。したがって、そこにおいても、なお処罰あるいは「殺
す権利」が容認されるようになるためには、
「敵を破壊したいという意志と、本来なら保護 し
調整し増大させるべき者たちを殺しかねない危険」とを調停する必要が生じることになる。
そしてこの調停を行うのが「人種主義」であるとされるのだが、しかしその「人種主義」はど
のようにしてこの調停を行うことができるのだろうか。
フーコーはこの点について、さらに「人種主義」の二つの機能を分析することによって答
えている。 は「生権力が差し向けられる生物学的連続体 [continuum
第一に「人種主義」 、
、
biologique]の内部に区切りを入れること」(Foucault[1997], p. 227/254)をその機能
としている。すなわち、
「人種主義」 、
は「生権力」が用いる「規範」によって、それが対象とす る
生命一般の中に差異化を生じさせる「規範」
。 による差異化は、本来であれば、包摂される 生
命と排除される生命という単純な二項対立図式ではなく、様々な階層へと生命を細分化し、
序列化するものである。これが「人間」という種に対して適用される場合にも、単に自国民を
構成する人種と他国民を構成する人種という二項対立ではなく、自国の中であれ他国の中
であれ、様々な規範(血、相貌、体型、病歴、能力など)に基づいて、種としての「人間」が細分
化・序列化が行われる。そしてその中で、最も高く価値づけられるもの(最も規範に近いも
の)を中心に、それを維持し増大するために、単に必要ないだけではなく、積極的にマイナ
ス要因になるものと評定されたものを排除することが正当化される。
そして、このことが、
「人種主義」の最も重要な機能であり、第二の機能である「戦争的関 係」
を「生権力」的関係に読み換えることを導くのである。
「戦争的関係」とはつまり、
「お前が 生
きたければ他者が死なせなければならない」という言わば「君主権的権力」
、 が前提する 殺
「
す権利」の命令形であるが、
「人種主義」はこれを、
「劣等者が消滅すればするほど、異常な 個
人が抹殺されればされるほど、種に対して退行者が減れば減るほど、私――個人としてでは
なく種としての私――はより生きることになるし、より強く、より活力にあふれ、より繁殖
力をもつことができるだろう」 Foucault[1997], p. 228/254)という
( 「生権力」的な形に、
約めて述べれば「より多くのものが死ねば死ぬほど、おまえはより生きることになる」とい
う約束的な関係に置き換えることを可能にするのである。したがって、そこでは、他者の死
は、それ自体が自身の生を増加させるものとして置き換えられる。
「他者の死は、私の個人的な安全を保障してくれるという意味で、私の生命であるという
だけではありません。他者の死、劣悪種の死、劣等種(あるいは退行者や異常者)の死、
これは生命一般をより健全にしていく、より健全であり純粋なものにしていくのです」
(Foucault[1997], p. 228/254)。
かくして、
「人種主義」 、
は「生権力」的メカニズムの中に、かつての「君主権的権力」が用 い
ていた「殺す権利」を接続することを、しかも仕方なく殺すのではなく、むしろ積極的に殺す
17
18. ものとして反転させて接続することを可能にするのである。
このような「人種主義」 「人間科学」 「法的イデオロギー」
と と は相乗効果の関係におかれる。
「人間科学」がより詳細でより真実らしい「規範」を数多く措定すればするほど、
「法的イデオロギー」 「人種主義」
と はそれに基づいて「身体」 「生命」
と に積極的に、つまり死
と懲罰によって介入し、それを操作することを可能にする。そしてそれが機能すればするほ
ど、
「人間科学」 より堅固な学問的実定性を確保することができるようになる。
は、 なぜなら 、
より多くの人間の個体と生命が規範化され調整されることになるのだから、それについて
述べられる言説のもっともらしさ(蓋然的確実性)は増大することになるからである。そ
して、このことは、
「法的イデオロギー」 「人種主義」
と の機能をより円滑にし、もはやそれ を
逃れた「人間」の姿を想像することさえ困難な状態になるほど「法的イデオロギー」
、 は成 功
を収めることになる。
かくして、
「人間科学」 「人種主義」 「法的イデオロギー」
と と の相互作用によって 「力と適
、
応能力と生一般を増大させつつも、しかもそれらの隷属化をより困難にせずにすむような、
そういう権力の方法」という、
「資本主義」が成立するための二つの相矛盾する条件が実現 さ
れることになる。
これによって、「生きた身体の取り込み、「その価値付与、「その力の配分的経営
」 」 」
6
(Foucault[1976], p. 186/178)が可能になり、 生権力」
「 が多様でかつ全般的な仕方で 機
能することが可能になる。そしてこのことは、結果として「人間の蓄積を資本の蓄積に適合
させ、人間集団の増大を生産力の拡大と組合せ、利潤を差別的に配分する」ことを、つまり、
「人口の増大よりもさらに急速であった生産性と資源の増大」を可能にするのである。
まとめよう。
「人間科学」は主に、
「生権力」 「規範」
に についての科学化された言説という 武
器を与えると同時に、
「生権力」の中にあって、
「規律的個人」 「法的個人」
と を結びつけるこ と
を可能にする。可能にする、とはつまり、この二つが結び付いているものこそが、 「人間」
真の
であるとする科学的言説を実際に述べる(もちろん一定の手続きを踏んだ上で)ことによ
ってそれを行うということである。そして、この言説は「法的イデオロギー」と結びつくこと
によって、「主権的人間」を規律的で法的な個人として形成する 。
それに対して、
「人種主義」 、
は「生権力」と適合する仕方で、かつての「君主権的権力」が用 い
た「殺す権利」を用いることを可能にする。これによって「人間科学」 自らの科学的言説を
は、
規範的言説として、処罰を伴った仕方で実効的に機能させることを可能にし、それを社会全
体に配備することを可能にする。つまり、社会の敵を個人の敵に仕立て上げることを可能に
し、あるいは個人の敵を社会の敵と一致させることを可能にするのが、
「人種主義」の論理 で
6
これら三つの項目はいずれも生産力の向上を目的としている。 この中には「人種主義」 の
、
介入によって初めて機能するような「利潤の差別的配分」つまり、ブルジョワ階級の積極的
な選別が加えられているが、
『精神医学の権力』においては 、
「規律権力」 が資本の蓄積のた め
に働かせる三つの機能として「個人の使用可能性を最大限にまで高めること 「人々を そ
、 」
、
の多数多様性そのものにおいて使用可能なものにすること「力の累積ばかりでなく、
」、 時 間
の累積をも可能にすること」が挙げられている(Foucault[2003], pp. 73-4/88-9)。
18
19. ある。
「人間科学」 、
は「人種主義」からその懲罰的権力の論理を受け取るだけでなく、その返礼 に、
「人種主義」に対して、科学的真理による正当化を与える。そして、そのような正当化のある
ところに、法的言説が上書きされ「法的イデオロギー」
、 が機能することになる。かくして 、
「資本主義」において、
「人間科学」
、
「法的イデオロギー」
、
「人種主義」 三位一体で機能し
は、 、
それが、結果的に「生権力」 「殺す権利」
と の矛盾を調停あるいは隠蔽することを許す。そして、
これらすべての要素が集まっているのが、フーコーが『知への意志』の中で取り扱った「性科
学」であり、
『知への意志』で扱われるのが「性科学」でなければならなかったのは、このた め
である。
そして、この三つがよく機能していればいるほど、二つの権力(「生かす権力」 「殺す権
と
利」)の間の極端な両立が引き起こされ、結果的に「ファシズム」
、 を帰結することが可能 に
なる。
つまり、フーコーにとって、
「ファシズム」 、
とは「資本主義」の成立のために不可欠であ っ
たこれらの機能(「人間科学「法的イデオロギー「人種主義」
」
、 」
、 )をそのまま用い、むし ろ
それを極端に引き延ばした先にあるものであり、その意味で「ファシズム」 近代市民社会
は、
と直接的に連続している。
「ナチズムとは、殺す主権的権利[le droit souverain de tuer]と生権力のメカニズムと
の間の作用を究極まで推し進めた一つの社会なのです。しかしこの作用は実際にはあら
ゆる国家の機能の中に書きこまれています」(Foucault[1997], p. 232/259)。
そうだとすれば、
「ファシズム」のメカニズムを解明するために分析するべき対象は、 る
あ
意味で最も失敗しかつ最も成功した近代社会であるナチス国家ではなく、現在においてな
お十分に機能している近代社会そのものであることになる。フーコーにとって、
「生権力」 に
ついての分析は、その意味で我々現代の人間がなお利用している近代社会そのもののメカ
ニズムを解明するものなのである。
「規範」に基づく権力から生権力へ 生権力の過剰
以上のようなフーコーの「生権力」についての分析は、最終的にどのような希望を我々に
与えてくれるのか、と問うこと自体が既に意味をなさないのかもしれない。そうだとしても、
フーコーはいかなる方向をこの先に見出しているのだろうか。この問題に答えるところは
実際のところ、全く容易ではない。なぜならフーコー自身が、そのわかりやすい答えを一度
も提示しなかったからである。したがって、ここでは筆者が自らの解釈を提示せざるをえな
い。
フーコーは、
『社会は防衛しなければならない』の最後の講義の終わりごろで、明らかに 少
し言い過ぎている印象を与えることを述べている。そこでフーコーは 「生権力が行使さ れ
、
るまさに限界のところに現れる様々な逆説」 Foucault[1997], p. 226/252)を
( 、
「主権 的
権利」 droit souverain](
[ 「殺す権利」)の過剰という形式と「生権力」の過剰という二つ
19
20. の形式で論じている。その内の前者は「原子力的権力」と呼ばれ、この権力は「主権者[君主
[souverain]]として、原始爆弾を使う」権力のことを意味し、これが一つの逆説であるの
は、それによって使用される側の生命そのものを抹消しかねず、その結果、生命を保証する
権力としての自身を抹消しかねないからである。それに対して、しかしそれとは本質的に異
なるものである「生権力」の過剰による逆説について、フーコーは次のように述べている。
「ところがもう一方の極では、反対に過剰が存在しているのです。それはもはや生権力に
対する主権的権利の過剰ではなくて、生権力の主権的権力に対する過剰なのです。この
生権力の過剰が生じるのは、生命を調整するばかりか、生命を繁茂させ、生物を製造し、
怪物を製造し、究極的には管理不可能で普遍的破壊力をもつウィルスを製造することが
技術的にも政治的にも人間にとって可能になる時です。生権力の素晴らしい拡大
[extension formidable du bio-pouvoir]ですが、私がいま原子力的権力について申し
上げたこととは反対に、生権力はあらゆる人間的主権を越え出てしまう[déborder
toute la souveraineté humaine]ことになるでしょう」(Foucault[1997]、p.
226/252)。
こちらの側は「生命」 「人間」
、 が のための場所を奪い「人間」
、 がもはや絶対的に守られ る
「規範」の座から降ろされるということを意味する。これが絶望であるのは、
「人間」的なも の、
つまり「人間的主権」に訴えることが、抵抗のための絶対にして唯一の手段と考えている人
たちにとってである。彼らにとってこの結末は、受け入れられないディストピアであるだろ
う。しかし、そのような彼らの考え方そのものは、既に見たような「人間科学」 「人種主義」
と
と「法的イデオロギー」の三つ組のメカニズムを前提し、それを強化してさえいるのではな
いか。そして、これに対して抵抗すると彼らが言うのであれば、彼らのように考えることは、
そもそも根本的には自己欺瞞あるいは御都合主義なのではないか。そして、もしそうであれ
ば、
「生権力」が過剰になり「人間的主権」をはみ出してしまう方が、いくらかましなのでは な
いか。
フーコーが、実際こう考えているということを確認するための資料は存在しないように
思われる。彼は、この講義の最後で、より穏健な問題提起をしてこれを締めくくっている。
「人種主義を経由せずして、どのようにして生権力を機能させ、同時に戦争の諸権利、殺
人と死の機能を行使することができるのか? これこそが問題だったのであり、これは
常に問題になっていると思います」(Foucault[1997]、p. 234/261)。
フーコーはここでは、少なくともとりあえず「人種主義」を機能させないような「生権力」
と「殺す権利」の関係を可能にすることが問題であるとだけ述べている。しかし「人種主義」
とは、既に見てきたように、
「生権力」 「殺す権利」
と との間の調和、あるいはその間の積極 的
接続を可能にするものであった。これをなくすということは、すなわち、二つの権力の間の
バランスを崩すということであり、
「人種主義」 「人間科学」 「法的イデオロギー」
と と の結 合
が可能にする(「法的個人」でありかつ「規範的個人」でもある)「人間」という表象(主権者
としての人間)を機能不全に陥らせることでしかないのではないか。それは結局のところ、
20
21. 「生権力」の「殺す権利」に対する過剰ということではないのか。
引用文献
引用の頁数は、最初に原典の頁数、/の後に翻訳の頁数となっている。引用に当たって翻訳
を参照しているが、必要と思われた限りにおいて、主に用語の統一などのために、断りなく
いくらかの修正を行っている。
1. Foucault, M.[1972], Histoire de la folie à l’âge classique, Gallimard(田村俶訳)
『狂気の歴史』、新潮社、一九七五 。
2. Foucault, M.[1966], Les mots et les choses, Gallimard(渡辺一民・佐々木明訳)
『言葉と物』、新潮社、一九七四 。
3. Foucault, M.[1969], L’archéologie du savoir, Gallimard(中村雄二郎訳)『知の考
古学』、河出書房新社、一九八一 。
4. Foucault, M.[1975], Surveiller et punir, Gallimard(田村俶訳)『監獄の誕生 、 新
』
潮社、一九七七。
5. Foucault, M.[1976], Histoire de la sexualité I. La volonté de savoir, Gallimard
(渡辺守章訳)『知への意志』、新潮社、一九八六 。
6. Foucault, M. [2003], Le pouvoir psychiatrique. Cours au Collège de France.
1973 - 1974, Seuil/Gallimard(慎改康之訳)『精神医学の権力 、
』 筑摩書房、二〇〇六 。
7. Foucault, M. [1999], Les anormaux. Cours au Collège de France. 1974-1975,
Seuil/Gallimard(慎改康之訳)『異常者たち』、筑摩書房、二〇〇二 。
8. Foucault, M. [1997], Il faut défendre la société. Cours au Collège de France.
1976, Seuil/Gallimard(石田英敬・小野正嗣訳)『社会は防衛しなければならない 、
』
筑摩書房、二〇〇七。
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