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情報技術思想論 赤尾③
『未来世紀ブラジル』
――明るくシュールな,
もう一つの「1984」
年金記録問題
2007年に発覚。社会保険庁の年金
記録データベースで,5000万件以上
の「持ち主が分からない“宙に浮いた”
年金記録」が発覚
国家が保管する「私に関する個人情報」が
必ずしも正確ではないことが判明
情報がどこかで/誰かによって勝手に操作さ
れ,思いもしない災厄に見舞われたら……
1985年製作 イギリス映画
テリー・ギリアム監督。142分
主人公サム・ラウリーは情報省記録局
(閑職)に勤務
情報省はすべての人々のデータを捕捉・
記録・管理し,“個性”を許さない
“ブラジル世界”の監視社会イメージはコミカ
ル・軽妙・戯画的・シュールレアリスティッ
ク。『1984』の陰鬱イメージを打破した
※タイトルは音楽の「Aquarelle do Brasil」(ブラジルの水彩画)に起因している
サントリー プレミアム モルツ
主人公の日常
サムの母親は,亡き夫のコネを利用し,サムの
昇進(情報検索局行き)を画策する(サムはそれを
嫌悪していたが,ジルを捜すために受け入れる)
だが,サム本人は出世の野心を微塵も持ってい
ない。情報局での仕事は退屈なものでしかない
のに
サムの「夢」は,毎晩のように見る夢の中に出
てくる女性(ジル)を「救出」すること
うつつ
ジル(女性)は,階下の隣人(バトル)が
誤認逮捕されたことに抗議するために
情報省に現れた
バトルは死亡したこと,逮捕すべき
テロリストは「タトル」だったことをサムも知る
(データの入力ミスだった)が,ミスを糊塗しようとし
て,サムはますます窮地に追いやられる
“秘密”を知ったジルも情報省から危険人物視される。
その結果,サムも逮捕される。
官僚制
情報省=巨大かつ強力な国家機関で,文書
と規則に縛られた文書業務(paper works)が
すべてに優先する
文書の不備で,窓口をたらい回しにされる
硬直した側面がある
職員の労働倫理の欠如(モラールの破綻)
いい加減な官僚制なるがゆえに,際限のな
い暴力を生むようになる
表象としてのダクト
建物に張り巡らされたダクトが
“監視”の表象
各家庭のダクトは,情報省(上)に
集められる
ヘビのように曲がりくねった「フレックス・ダ
クト」と監督は呼ぶ
テロリストとの闘い
『未来世紀ブラジル』の“予言”の一つが,「監
視社会はテロリズム招き,情報省は“テロとの不
断の闘い”を余儀なくされる悪循環を招く」とい
うこと
人々の日常生活(食事・買い物)のさまざまな局面
で,テロリストが無差別に(ときには対象を限定
して)攻撃を仕掛ける
人々はテロリズムをもはや特別なものと感じず
に,共存している
母とその友人母娘との昼食
局長の尻ぬぐい
ジルとの出会い
死体の不在
死はデータの書き換えだけで表象される
「死体はどうした」「亡骸を返して!」と主人公
が糾弾されても,そこに死体はない
一方で,整形手術により,永遠の若さと美しさ
を求める(むろん不老不死ではない)
監視社会では「人として死ぬ」ことも不可能に
なるのか?
「愛」も「死」と引き換えでしか手に入らな
い?
サムは情報検索局に“昇進”し,ジルを探索
友人“ジャック”が事件の担当だった
ついにジルと出会い,トラックで逃避行
テロに遭ったデパートで……
職場での立場が悪化するサム
家に帰ると……
デリート
サムはジルの個人データファイルを操作し
「Delete=死亡」したことにする。データ上
でジルは存在しなくなった(はずだった)
サムとジルは結ばれる
だが,情報省は二人を急襲する
そして,サムは尋問され,自己アイデンティ
ティーが崩壊する
安全と見られた実家にジルを残し,サムは情報省へ
エンディング
公開時は,サムとジルが幸せに暮らすハッピーエ
ンディング
その後,サムが施術椅子に拘束された状態でのエ
ンディングに変更された。「ラストの数シークェ
ンスは“サムの夢の世界”だった」という位置付け
に(死体/亡骸はさらに不在に)
では,サムの「夢」はどこから始まっていたの
か?
ラストシーンの解釈
主人公を追い詰め,人間から自由を奪う,どん
な監視社会であっても,人の心や“夢”までは束
縛できない
最後の主人公の微笑みは,「社会は,人間とい
う存在すべてを奪うことはできない」(一種の
“魂の救済”)という,監督からのメッセージなの
か?
まとめ:監視社会の実相
あからさまな暴力や恐怖が社会にはびこっている
しかし,人々は「善く生きる」ことも「善く死
ぬ」ことも禁じられて,「夢とうつつの狭間の世
界」で生きざるをえない
監視社会に抵抗することは難しく,それを試みる
者も窮地に陥る。監視システムは「穴だらけ」に
すぎないのに

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