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入菩薩行論 第八章 瞑想[4] (現代超訳)
- 1. にゅう
ぼ
さつ
ぎょう
ろん
入 菩 薩 行 論
菩 薩 の 生 き 方 へ の 手 引
(Bodhisattvacharyavatara : A Guide to the Bodhisattva's Way of Life)
寂天菩薩 (Acharya Shantideva) 著 土山仁士 現代超訳
第八品 靜慮
(第八章 瞑想[4])
100.若謂此非理 執我故如此 執自他非理 唯當極力斷
もし、道理にはずれていると言うなら、それは自分に執着しているからであ
り、自分や他人に執着するという非道は、ただ極力断ち切るのが当然です。
【】
101.心續與身聚 假名如軍鬘 本無受苦者 誰復除彼苦
心(意識)は連続体、体は集合体であり、仮の名前は兵士の髪飾りのようなもので、
元々苦しみを受ける者はいないのに、誰がその苦しみを取り除くというのでしょうか?
【意識を始まりと終わりのない時空連続体として、肉体を存在構成の五つの要素
(五蘊:物質的、身体的なものとしての色蘊(しきうん)、感覚作用としての受蘊、表象
作用としての想蘊、意志・欲求などの心作用としての行蘊(ぎょううん)、対象を識別
する作用としての識蘊)の集合体として捉え、自己とは意識と肉体の結合体に単に
名前をつけただけで本質的に無我(Selflessness)だから、苦しみを受ける者を特定
できないという趣旨である。しかし、実際には自分の名前に振り回されて強い自我
を生じさせてしまい、苦しみを受ける基盤を自ら創造してしまうという愚かな人間が
この世に溢れている。自我を無我に戻すことができれば、そもそも苦しみを受ける
対象がなくなる訳だから、苦しみは発生しようがなくなるという論理】
102.既無受苦者 諸苦無差別 是苦即當除 何需強區分
苦しみを受ける者がいない以上、苦しみに差別はありません。苦しみはすぐに取り
除くのが当然なのに、どうして無理やり区分する必要があるでしょうか?
【名前があるから自分と他人を区別するが、人間の本質は時間と空間を超える連
続体である意識と五要素の集合体である肉体の組合せなのだから、自分の苦しみ
か他人の苦しみかの区別は問題ではなく、誰にとっても苦しみは不快なのだから、
すぐに取り除いてあげるべきであると説いている。自我を生じさせる名前は単なる
飾りものであって、本質は無我(単なる肉体と意識の結合体)であることに気付けば、
2013
Copyright © 2013, Hitoshi Tsuchiyama. All rights reserved.
- 3. 108.有情若解脫 心喜如大海 此喜寧不足 云何唯自度
心の動きを有するものがもし解脱したなら、心は大海のごとく喜び、この喜
びによって満足しないことがどうしてあるでしょうか?どうして自分のこと
だけを考えるなんてことを言うのでしょうか?
【】
109.故雖謀他利 然無驕矜氣 一心樂利他 不望得善報
ですから、他の利益を図っていても、驕ったり威張ったりせずに、ひたすら
他を利することを喜び、善行の報いを得ることを望んではいけません。
【】
110.微如言不遜 吾亦慎防護 如是於他苦 當習悲護心
どんなに小さくても不遜を言うことを慎み、他の攻撃から自分を防護するよ
うに、他の苦しみに対してもこれと同様に、哀れみ護る心を習慣づけるべきで
す。
【】
111.如親精卵聚 本非吾自身 串習故執取 受精卵為我
親の精子と卵子が融合するように、もともと私自身の肉体はなく、数珠つな
ぎになった習慣が世を去り、自分の為の受精卵を受け取ったと見なします。
【仏教では意識の連続体が転生し、肉体は転生する度に新しいものに取り替えると
考える。従って、自分が選択した両親の受精卵(新たな肉体と脳)に意識の連続体
が入ることを言っていると想われる。この考え方によると、意識は死なずに生き続
け、肉体と脳は生と死を繰り返すこととなる。それを仏教は輪廻転生と呼んでおり、
悟りを開くまで未来永劫続くと考える】
112.如是於他身 何不執為我 自身換他身 是故亦無難
同様に、他の体をどうして自分と見なさないのでしょうか?自分の体を他の
体と取り替えることもまた、それ故に困難なことではありません。
【古くなった自分の体を新しいものと取り替えるということは、自分の体は他の体へ
転々と移行していくという意味である。そうであるならば、同時期に生きる他人の体
を自分の体と見なすことは容易となり、他人の苦しみを自分の苦しみそのものと捉
えて取り除いてあげることは当然となる】
113.自身過患多 他身功德廣 知已當修習 愛他棄我執
2013 Hitoshi
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- 4. 自分の体による過ちや禍が多く、
他の体による功徳が大きいので、
己を知り、
他を愛し、自分への執着を棄てることを修行し習慣化すべきです。
【】
114.眾人皆認許 手足是身肢 如是何不許 有情眾生分
人は皆、手足を体の四肢と見なしますが、どうして同様に、心の動きを有す
るものを生きとし生けるものの一部と見なさないのでしょうか?
【仏教では、生きものを心の動きの有るもの (sentient beings) と無いものに分け、
動物は前者に含め植物は後者に含める。心の動きを有するものとは、苦しみを感
じる能力がある生きものを意味し、仏教はall sentient beingsの苦しみを取り除き、
幸せへ導く手法を説いている】
115.於此無我軀 串習成我所 如是於他身 何不生我覺
この無我の肉体に於いて、数珠つなぎになった習慣が自我となりますが、同
様に他の肉体に於いては、どうして自我の自覚が生じないのでしょうか?
【無我の肉体とは意識の連続体が未だ入っていない単なる肉体を意味し、意識が
入ると自我が生じると明言している。意識は入った肉体に対してのみ自我を自覚し、
入っていない他の肉体に対しては自我を自覚しないため、他の苦しみを自分の苦
しみと捉えられず、取り除いてあげられないという趣旨。尚、意識は時間と空間を超
える連続体であると位置付けており、認識力 (Cognitive ability) は前世から引き継
がれると仏教は説いている】
<推論>
意識が未だ入っていない受精卵は、精子と卵子が結合した単なる物質であり、そ
の時点では自我は生じていません。受精後いつかの段階で意識が受精卵に入っ
て初めて精神を持つ物質となり、誕生後名付けられて初めて意識が自我になると
考えます。そうすると、まず第一に肉体は両親から受け継いだものですが、意識
という精神は全く別の所からやって来たことになります。果たして、意識はどこか
ら何の目的でやって来たのでしょうか?第二に、肉体だけなら無我ですから、蟻
や蜂のような社会的動物と同一であり、煩悩に苦しむことは有りません。しかし、
意識が入り名前が付けられると自我が生じ、執着、驕り・傲慢、強欲などの自己
中心的な心に苦しみます。そして、苦しみを取り除くために自我を無我に戻す努
力をするのです。そうすると、意識が転生する目的は、新たな肉体を得て何度も
人間の人生を生きながら利他行の修行をするためと言えないでしょうか!?もし、
この推論が正しいなら、昨今のお金、権力、地位、名誉を重んじる物質至上主義
に基づく社会は人間を苦しめる基盤となっており、精神主義(Spiritualism) という
もう一つの重要な社会基盤を一刻も早く取り戻す必要があると言えるのではない
- 5. でしょうか!?その為には、まずは個々人レベルにおける精神革命が不可欠でし
ょう。
116.故雖謀他利 然無驕矜氣 如人自餵食 未曾盼回報
ですから、他の利益を図るとはいえ、驕らず偉ぶらないのが正しく、人が自
分に食事を支給するように、報いが戻ってくることを切望しませんでした。
【】
117.微如言不遜 吾亦慎迴護 如是於眾生 當習悲護心
僅かであっても不遜を言うことを慎み、
自分を護ろうとするのと同様に、
人々
は哀れみ護る心を習慣化するべきです。
【】
118.怙主觀世音 為除眾怖畏 湧現大悲心 加持自聖號
頼れる主の観世音は、人々の恐れを取り除くため、偉大な哀れみの心を湧き
起こし、自分の聖なる呼び名を唱えて加護します。
【】
119.聞名昔喪膽 因久習近故 失彼竟寡歡 知難應莫退
昔、名前を聞いただけで度胸を失い、久しくその習慣にとらわれ、その人は
もういないのに喜べませんが、どんな困難にも退くべきではありません。
【】
120.若人欲速疾 救護自與他 當修自他換 勝妙秘密訣
もし、
人が迅速に自他の救護を望むなら、
自他の交換を修行するべきであり、
そのために巧みで優れた秘密の文句があります。
【】
121.貪著自身故 小怖亦生畏 於此生懼身 誰不似敵瞋
自分自身への執着から、小さな怖れも畏れとなりますので、恐れを生じさせ
る原因のこの体に対して、敵のように目を怒らせない人がいるでしょうか?
【】
122.千般欲療除 飢渴身疾者 捕殺魚鳥獸 伺機劫道途
色々な治療や除去を望んで、飢えや渇きや体の病気がある人は、魚や鳥や獣
を捕まえて殺し、道路で強奪する時機を狙っているかもしれません。
2013
Tsuchiyama.
Copyright © 2013, Hitoshi Tsuchiyama. All rights reserved.
- 6. 【】
123.或為求利敬 乃至殺父母 盜取三寶物 以是焚無間
或いは利益と敬意を求め、更には父母を殺し、三つの宝物を盗み取り、これ
により無間地獄で焼かれるかもしれません。
【】
124.有誰聰智者 欲護供此身 誰不視如仇 誰不輕蔑彼
この様な体を護り、生かすことを望む賢者はいるでしょうか?仇と見なさな
いで、軽蔑しない人がいるでしょうか?
【】
125.若施何能享 自利餓鬼道 自享何所施 利他人天法
もし、施しによって何を享受できるかと考えるなら、自分のみを利する餓鬼
の世界であり、自分が享受したものから何を施せるかと考えるなら、それは
他人を利する天上界の道理です。
【強欲な利己心があるとTakeすることしか考えず、一方相手を思いやる利他心があ
るとGiveすることを考えるという趣旨】
126.為自而害他 將受地獄苦 損己以利人 一切圓滿成
自分の為に他を害すると、まさに地獄の苦しみを受けますが、自分が損を被
って他人を利するなら、全てが円満に収まります。
【】
127.欲求自高者 卑愚墮惡趣 迴此舉薦他 受敬上善道
うぬぼれの欲求がある者は、卑しく愚かで不快な領域に堕落しますが、心を
改め他をもちあげて推薦するなら、尊敬され徳義にかなった道に上昇します。
【】
128.為己役他者 終遭僕役苦 勞自以利他 當封王侯爵
自分の為に他者を利用したら、最終的に隷属の苦しみに遭い、他を利するた
めに貢献するなら、王侯の爵位を授かるのが当然です。
【】
129.所有世間樂 悉從利他生 一切世間苦 咸由自利成
世の中に喜びがあるというなら、全て他を利することから生じ、一切の世の
2013
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