バルチック海運取引所が公表しているBDIなど各種のドライバルク市況指標(以下バルチック指標と呼称)は、営業日ごとに算出されていることや全世界の単一市場を対象としていることから市況の時系列分析の題材として非常に取り扱いやすく、多くの研究で取り上げられている。だがバルチック指標は実際には複雑な過程を経て作成されており、その性質を理解せずに何らかの分析、特に因果関係を推定するような分析の素材とした場合、その分析が不適切なものになりうる可能性がある。 本発表では、バルチック指標の作成のされ方を説明すると共に、それを分析の素材として扱う際に意識しておくべき注意点を3点解説する。1点目は、バルチック指標は運賃ではなく傭船料を元に算出されていること、2点目は、バルチック指標は公表時点ではなく未来の船積みに対して算出されたものであること、3点目は、バルチック指標の作成には実際に成立した契約の情報だけではなく作成者の市況もが含まれていることである。 まず第1点に関して。バルチック指標はスポット傭船料を元に算出される。スポット傭船料は乗組員込みで船を借りる時に支払う金額であり、貨物を輸送するためには燃料費と港湾利用料が別途必要になる。スポット傭船料と運賃の間には以下のような関係が存在する。 運賃(ドル/トン) × 輸送数量(トン) = スポット傭船料(ドル/日) × 航海日数 + 燃料費 + 港湾・運河利用料金 特に影響が大きいのは燃料費で、ケープサイズの2020年年初来の実績では燃料費はスポット傭船料の平均1.8倍とスポット傭船料より運賃に占める比率が高い。加えて週ごとに見ると最大で5.4倍、最小で0.3倍と大きな変動がある。これは燃料費と比べてスポット傭船料の変動が大きいことによる。 これがドライバルク市況分析で意味する点は2つある。一つは、短期的に見ると燃料費の変動はスポット傭船料の変動より緩やかであるため、運賃の変動はスポット傭船料の変動より小さくなるということ。もう一つは、中長期的には燃料費の水準は大きく変化するため、運賃とスポット傭船料の関係が燃料費の変化により変わってくることである。 続いて第2点に関して。バルチック指標のベースとなるスポット傭船契約が結ばれるのはおおむね揚げ地での荷役を終えてバラスト航海が始まる前であり、主要航路の多くでは積み荷役の2~3週間前になるが極東-ブラジル航路などでは1ヶ月半~2ヶ月前になるなど例外も多い。また、契約締結のタイミングは市況によって変化し、市況が強い(船が足りない)時には早く決まり、市況が弱い(船が余っている)時にはギリギリまで決まらないことが多い。 これがドライバルク市況分析で意味することは、ある日のバルチック指標の値はその日に船積みされた貨物との需給関係をベースにしているのではないということである。これは週単位、日単位などで船積み(あるいは代理指標)と市況の比較を行おうとする場合に問題となる可能性がある。加えて契約締結のタイミングが市況に応じて変動することは、市況が強弱の間で変動する期間で需給関係との比較を行おうとする場合には、問題が更に複雑になる可能性がある。 最後に第3点に関して。バルチック指標は締結されたスポット傭船契約から機械的に計算されるわけではなく、パネリストの市況感を含んだ数字になっている。その理由の1つは、指標の前提となる標準貨物・標準船型は仮想の存在であり実際の契約での貨物や船との違いとの補正を行う必要があり、この補正作業には専門家の解釈が必要とされること。また、荷動きの少ない航路や市況が極端に強い/弱い時期には充分な契約数が存在しない場合があるが、そのような場合でも指標を毎日公開する必要があることも理由になっている。 バルチック海運取引所が採用しているバルチック指標の算出方法はパネリストによる推計である。指標の作成に関わるパネリストは大手ブローカーに在籍している。これらパネリストは傭船業務や市況に精通しているだけではなく、所属ブローカーが取り扱う非公開情報(最終的に契約に至らなかった契約交渉など)にアクセスすることができる。各パネリストは公開された契約情報に加えてこれら非公開情報を評価し、それらを標準船型と標準貨物に置き換えた場合に各船型・航路ごとにどのようなスポット傭船料になるかを判断してバルチック海運取引所に報告する。バルチック海運取引所ではパネリストの報告数値を平均して船型・航路別の平均スポット傭船料を算出し、それらを荷重平均したものをバルチック指標として公表する。 これがドライバルク市況分析で意味することは、バルチック指標が示すドライバルク市況は、現実に成立した契約に基づく価格が先にありそれが市況感を生むという株式や為替のような市場の市況とは異なり、公表された指標そのものが市況感を反映しているということである。これは特に契約が少ない、あるいは存在しない状況で大きな影響を与える。例えば市況が極端に高い/低い水準にあるときの指標の挙動を分析する際には、このような性質を考慮に入れないと正しい結果が得られない可能性がある。