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がん看護研修
がんの遺伝子異常と新しい治療
滋賀県立総合病院
消化器内科/化学療法部
後藤知之
2018.8.4
1
がんはどこから来るのか?
▪ 四体液説(黒胆汁説)
 ギリシア時代のガレノス(2世紀頃)からウィルヒョウ(1858年頃)まで
▪ ウイルス発がん説
 ラウス肉腫ウイルスの発見(1911年)
▪ 化学発癌説
 パルシヴァル・ポット 〜 煙突掃除夫と陰嚢癌の関係(1785年頃)
 山際勝三 〜 コールタールによるウサギの発がん(1915年)
▪ ウイルス・化学物質・X線などはいずれも変異原として
細胞に遺伝子変異(遺伝子異常)を起こさせる
 ブルーム・エイムズ 〜 発癌物質と遺伝子変異の関係(1975年)
▪ がんは遺伝子異常の積み重ねで起こることが明らかに 2
細胞・DNA・遺伝子のおさらい
細胞
生物の最小単位 染色体
父と母から
1つずつ受け継ぐ
DNA
二重らせん構造と
A・T・C・Gの塩基からなる
遺伝子
ヒトは2万種類の遺伝子を持ち
さまざまな機能をもつ
蛋白質をコードする 3
多段階発がんとは
正常上皮 初期腺腫 中期腺腫 後期腺腫 大腸がん 転移巣
およそ10~30年
KRAS↑ p53↓
その他の
変化?APC↓
▪ 正常な細胞の遺伝子に傷が付くことの積み重ねにより
身体からの指令を無視して増え続けた状態=がん
▪ 1つの遺伝子異常ですぐにがんになるわけではないが
細胞増殖を促進するアクセルや、異常な増殖を抑えるブレーキの
遺伝子に異常が積み重なることで起こる=多段階発がん
4
アクセルとブレーキのバランスが細胞の挙動を決める
▪ がん遺伝子は「車のアクセル」に例えられる
 変異を起こし活性化したがん遺伝子 = 踏みっぱなしのアクセル
▪ がん抑制遺伝子は「車のブレーキ」に例えられる
 がん抑制遺伝子の不活化 = 効かないブレーキ
5
ドライバー変異とパッセンジャー変異
▪ 様々な遺伝子変異はそれぞれ異なる意味合いを持ち、
重要な遺伝子変異もあれば、あまり影響のない異常もある
▪ ドライバー変異=がん細胞の性質を決める遺伝子変異
パッセンジャー変異=がん細胞の性質にあまり影響しない遺伝子変異
6
ゲノム異常の種類が、がん細胞の性質を決める
J Clin Oncol 2010, 1254-1261
▪ 100人の大腸がん患者が抗EGFR抗体薬治療を受けたら?
 治療効果の有り・無しは、がん細胞が持つゲノム異常によって決まる
 ドライバー変異が細胞をがん化させ、その性質を決める
7
抗腫瘍薬はなぜ毒性が強い?
▪ がんは正常細胞と同じく
 核がある
 細胞壁はない
 細胞小器官はある
(ミトコンドリア・ゴルジ体・小胞体)
▪ 細菌はヒト細胞と違って、
 核はない
 細胞壁がある
 細胞小器官はない
細菌だけが持つ
細胞壁の阻害などが有効
(抗菌薬)
がん細胞と正常細胞の
違いは非常に小さい
細菌感染症の場合 がんの場合
8
抗腫瘍薬は一般的な薬よりも毒性が出やすい
▪ 治療効果と毒性(副作用)の曲線が近い
=効果を出そうとすると必然的に副作用も出る宿命
治療効果
毒性(副作用)
血中濃度
一般的な薬
治療効果
毒性(副作用)
血中濃度
抗腫瘍薬
9
▪ がん細胞だけに見られる標的を狙えば
副作用を押さえつつ治療効果を高められる(分子標的治療)
標的分子が過剰発現した腫瘍だけに効果を示す薬
HER2 あり HER2 なし
10
がん薬物療法の中で重要性が高まる分子標的薬
▪ いまや、がん薬物療法において無くてはならない存在
▪ モノクローナル抗体(mAb)
 VEGFを阻害する アバスチン(ベバシズマブ)
 CD20陽性細胞を攻撃する リツキサン(リツキシマブ)
 HER2陽性細胞を攻撃する ハーセプチン(トラスツズマブ)
▪ 少分子化合物(チロシンキナーゼ阻害薬(TKI)が多い)
 EGFRの過剰な活動を抑制 タルセバ(エルロチニブ)
 Bcr-AblやKITの働きを阻害 グリベック(イマチニブ)
 ALK転座阻害 ザーコリ(クリゾチニブ)、アレセンサ(アレクチニブ)
11
がん細胞の性質に応じて治療を決める時代
乳癌
HER2陽性
胃癌 大腸癌
HER2陽性
ハーセプチン
12
Lancet 2010, 687-697
Lancet Oncol 2016, 738-746
肺癌
EGFR変異
EGFR-TKI
KRAS変異
ALK遺伝子
40-55%
3-5%
ROS1遺伝子 3-5%
RET遺伝子 1-2%
HER2増幅 2-3%
BRAF変異 0.5-1%
ALK阻害剤
BRAF阻害剤
HER2抗体
8-10%
RET阻害剤
次々と見つかる ドライバー遺伝子
13
がんと診断されたら
網羅的な遺伝子異常解析
治療A
治療B 治療C
治療D
N Engl J Med 2015, 793-795
▪ 肺癌だから、大腸癌だから、といった臓器別ではなく
個々のがんの遺伝子異常に応じて治療を選ぶ
▪ 個別化治療=プレシジョンメディシン(Precision medicine)
14
悪性
黒色腫
急性骨髄性
白血病
甲状腺癌
膵癌
大腸癌
肺癌
乳
癌
胃
癌
臓器の違いを超えて
複数の腫瘍が共通の治療標的となる変異を持つ
15
▪ 臓器横断的にがんの薬物療法を行う時代へ
がん免疫療法 チェックポイント阻害剤
▪ がん細胞に対する免疫は抑制されている(ブレーキ)
 がん細胞のPD-L1が、Tリンパ球のPD-1受容体に結合して起こる
▪ 抗PD-1抗体がTリンパ球の免疫作用のブレーキをはずす
 がん細胞を異物とみなして排除する免疫機構が回復する
PD-1 PD-L1
腫瘍細胞
Tリンパ球
16
免疫チェックポイント阻害剤特有の問題点も
▪ 効果がある人と無い人の違いが大きい
 効果があるか無いか、治療前に見極めるのは現時点では困難
 バイオマーカー研究が進められているものの、まだまだ発展途上
▪ 免疫チェックポイント阻害剤特有の有害事象
irAE(immune-related adverse events:免疫関連副作用)
 間質性肺炎
 内分泌異常 (劇症1型糖尿病、甲状腺・副腎機能異常、下垂体炎…)
 急性肝炎、(潰瘍性大腸炎様の)大腸炎
 重症筋無力症、筋炎、心筋炎
 皮膚障害 (薬疹、TEN:中毒性表皮壊死症、類天疱瘡…)
▪ 医療費の問題
17
まとめ
1. がんは遺伝子異常の積み重ねで起こる
2. どのようなドライバー変異を持っているかががん細胞の性質を左右する
3. 副作用が少なく、有効性の高い治療を可能とするために
がん細胞が持つ分子だけを標的とする分子標的薬が増えてきている
4. がんの臓器別だけでなく、がん細胞が持つ遺伝子異常に応じて
臓器横断的・診療科横断的に治療を行う時代
5. 新しい治療の候補としての免疫チェックポイント阻害薬
18

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Editor's Notes

  1. 画像引用 pixabay.com
  2. 非小細胞肺癌のうちに占める割合は国・人種によって全く異なる ALKは間野先生が2007年に発見し、2012年にクリゾチニブが発売
  3. 2015年1月20日のオバマアメリカ合衆国大統領の一般教書演説において、“Precision Medicine Initiative”が発表され、世界的にも注目されている。