Editor's Notes
- 下町生まれの下町育ち。板金業を営む口数の少なく職人気質の父と人一倍心配性の母との間に生まれた2人兄妹の長男です。
両親は自分のすることを暖かく見守るタイプで、人生で親から怒られた記憶はほとんどありません。
自分でいうのもなんですが、小さいころから、運動も勉強もよくできたほうで、先生のいうことをよく聞く模範的な生徒でした。
運動会では応援団やリレーのアンカーを務めるなど、なかなか活発な一面もありました。
小学校3年から塾に通い、中学受験に合格し、大学付属の私立中学に入学しました。
中学の部活ではバドミントン部に所属し、練習熱心で、きついトレーニングもきっちりやるタイプで、
中3でレギュラー入りを果たし、区大会シングルス準優勝、都大会団体戦ベスト16になったこともあります。
同時に、中学1年の2学期頃から、言葉のいじめにあい、親にも先生にもいえずに一人耐える日々が続きました。
その影響で、周囲の友人を信じられず、人との関わりを避けるようになった時期がありました。
後に仲良くなった友人のおかげで、人に対する不信感は少しずつなくなっていったのですが、
過剰に他人の目を気にしたり、他者配慮が強くなってしまうところは、この出来事が影響しているように感じています。
反抗期なく、中学・高校時代を過ごし、そのまま大学へと進学しました。
就職活動では、職人だった父の影響もあり、手に職を持ちたいという思いで、IT業界に就職。
以来、SEの仕事を続けてきました。
- 下町生まれの下町育ち。板金業を営む口数の少なく職人気質の父と人一倍心配性の母との間に生まれた2人兄妹の長男です。
両親は自分のすることを暖かく見守るタイプで、人生で親から怒られた記憶はほとんどありません。
自分でいうのもなんですが、小さいころから、運動も勉強もよくできたほうで、先生のいうことをよく聞く模範的な生徒でした。
運動会では応援団やリレーのアンカーを務めるなど、なかなか活発な一面もありました。
小学校3年から塾に通い、中学受験に合格し、大学付属の私立中学に入学しました。
中学の部活ではバドミントン部に所属し、練習熱心で、きついトレーニングもきっちりやるタイプで、
中3でレギュラー入りを果たし、区大会シングルス準優勝、都大会団体戦ベスト16になったこともあります。
同時に、中学1年の2学期頃から、言葉のいじめにあい、親にも先生にもいえずに一人耐える日々が続きました。
その影響で、周囲の友人を信じられず、人との関わりを避けるようになった時期がありました。
後に仲良くなった友人のおかげで、人に対する不信感は少しずつなくなっていったのですが、
過剰に他人の目を気にしたり、他者配慮が強くなってしまうところは、この出来事が影響しているように感じています。
反抗期なく、中学・高校時代を過ごし、そのまま大学へと進学しました。
就職活動では、職人だった父の影響もあり、手に職を持ちたいという思いで、IT業界に就職。
以来、SEの仕事を続けてきました。
- 【性格】
・まじめ、几帳面、責任感が強い、完璧主義
・人から頼まれたら断れず、全部自分で背負い込みがちで、
・適当なところで妥協できない不器用なところがあります。
・承認欲求が強く、
他者配慮が過剰になりやすいのも特徴です。
【エゴグラム】N型(Ⅱ)
診断結果によれば、自分は我慢して滅私奉公する傾向があり、葛藤を溜め込みやすいタイプ。
【BSCP(コーピング特性)】
積極的問題解決型
何か問題があった時に、正面突破で問題を解決する事でストレスを解消する傾向が強いです。
たとえば、
・徹夜してでも何とか仕事を間に合わせようと頑張ってしまう
・他人に頼らずに自分でやろうとしてしまう
【基本性格テスト】
きまじめタイプ
仕事第一、細かいところまで完璧にやらないと気がすまない
- 症状が出始めてすぐに休職した事もあり、回復もはやかったというのが、大きな特徴かと思います。
- 一見、ここまでは非常に順調のように思えますが、心身共に結構な負荷がかかっていて、ストレスも蓄積していたように思います。
- 毎朝、気分が悪く、会社に行こうかどうか躊躇する毎日でした。
仕事への責任を感じて、会社にはなんとか行っていた状況でした。
深夜残業は増える一方で、終電がなくなって自腹でタクシーで帰ることも多々ありました。
K氏からのプレッシャーで食欲は減退し、胃の痛みを感じるようになりました。
遅れを取り戻そうと1時間早く出社するが、K氏が出社してくることを想像すると、動悸が激しくなり、落ち着かなくなりました。
そのうち、K氏の話が1度で理解できなくなりました。
極度に身体がこわばって、手や声が震えることもありました。
この時の自分は、生ける屍といった感じで、まさにゾンビのようでした。
- こんな状態が1週間続いた頃、妻に勧められて会社を休み、メンタルクリニックを受診しました。
結果、適応障害と診断され、休職することになりました。
今思うと、あの時、妻から強く勧められていなかったら、会社に行き続け、より悪化していたかもしれません。
- 答えが見つからない原因探しをしては、セミナーにいき、一時的に気分がよくなったりもするものの、
翌日にはまたどん底といったことを続けていました。今思うと、セミナー通いは自分にとって一種のしがみつき行為だったように思います。
セミナーで知り合った人から勧められて怪しい自己啓発セミナーにいってしまった時もありました。
陽気な音楽とともに陽気に踊らされたり、セミナー終了後に1時間にわたって2日で20万円もするセミナーの勧誘を受けた事もありました。
もちろん、断わりましたが。中には本当に参加する人もいて、本当に自己啓発セミナーって怖いなって思いました。
以降、セミナーには行かなくなりました。
【エピソード】怪しい自己啓発セミナー
そんな中、とあるセミナーで知り合った人(上司からのパワハラが原因で退職し、4ケ月の休養後、転職に成功し、成績も順調)から勧められて、
あるセミナーの体験講座を受けることに。妻からは怪しいから絶対いかないでほしいと強く言われていたのですが、
その時の自分には今の辛い状況から抜け出す唯一の道かもしれないという期待があり、
また、解決策は自分で見つけるしかないと考え、反対を押し切って、セミナーへ。
いってみると、そこには、過去に仕事のストレスで病気になり、このセミナーをうけたことをきっかけに病気を克服し、
今は復職や転職をして生き生きとした自分を取り戻したという人たちが10数人とその人たちから誘われて体験講座を受けにきた数名が集まっていた。
とにかく異様な雰囲気で
・タミコと慕われる怪しいおばさんセミナー講師
・ハーイ、とハイタッチをして下の名前で呼び合い、挨拶する
・陽気な音楽とともに陽気に踊らされる
・みんなの前に出て、ハイテンションで近況(仕事での活躍ぶり)を発表する
・セミナーが終わったあと、1時間にわたって2日で20万円もするセミナーへの勧誘を受け、断る...
結果、よりどん底な日々が続く
- 薬は副作用が心配で飲まない・・・
こんな調子なので、体調が良くなるはずもありませんでした。
- 妻は一緒に居たら私までおかしくなっちゃうという不安に駆られ、
離婚して子供と2人で暮らしていく方法を本気で探していたといいます。
たとえば、うそをついてDVシェルターに入れれば、妻の給料だけで子供と二人で暮らしていけるのではないか・・・
ということまで考えたと言っていました。
- ■「人より仕事ができなければならない」と考えてしまう理由
仕事では他の会社よりも単金が高く、お客様や周囲から高度な技術力を期待される。
過去のプロジェクトの成功体験の繰り返す中で「技術力が高い」「プロジェクトが成功する」「評価が上がる」といった固定観念に繋がっていて
「自分は仕事ができなければならない」というように、自分の中のハードルを高くしていたように思います。
- 部署や職種のことは、会社側の判断となるため、自分で決めることはできないが
自分から会社側と定期的に連絡をとったり、面談と通じて、発症した経緯について詳しく説明したり、
帰に向けた自分の希望を伝えて、衛生担当の方に相談に乗ってもらったりするようにしています。
そうすることで、信頼関係を築いている。
また、労働組合にも会社と同様に連絡を取り、復職面談の際、同席してもらえるように段取りをしている。
- アグレッシブな批判・否定は、まともに受け止めずに受け流す。
どうやって?
・いったん、その場を離れて冷静になる。
・事実や状況を客観的に観察し、相手の批判に反証する。
・相手の落度を探し、批判し返す。
- アグレッシブな批判・否定は、まともに受け止めずに受け流す。
どうやって?
・いったん、その場を離れて冷静になる。
・事実や状況を客観的に観察し、相手の批判に反証する。
・相手の落度を探し、批判し返す。
- アグレッシブな批判・否定は、まともに受け止めずに受け流す。
どうやって?
・いったん、その場を離れて冷静になる。
・事実や状況を客観的に観察し、相手の批判に反証する。
・相手の落度を探し、批判し返す。