にゅう

ぼ

さつ

ぎょう

ろん

入 菩 薩 行 論
菩 薩 の 生 き 方 へ の 手 引
(Bodhisattvacharyavatara : A Guide to the Bodhisattva's Way of Life)
寂天...
5.世人見世俗 分別為真實 而非如幻化 故諍瑜伽師
世の中の人間は俗世を見て、
分別することを真実と見なし、
実体のない事物の
ようなものを非とするので、ヨガ教師と言い争います。
【一般人は感情的に好き嫌いで区別して、それを幻想ではなく真実と思...
10.眾緣聚合已 雖幻亦當生 云何因久住 有情成實有
人々の縁(条件)が集合した後、幻とはいえまた生まれるべきです。久しく定
住することによって、
心を有する生きものは実際に存在する何になると言うの
でしょうか?
【人々は幻であろうと転生人生を...
16.若許無幻境 心識何所緣 所緣異實境 境相即心體
もし、
幻想でない世界を許すなら、
心と意識はどこと縁があるのでしょうか?
縁というものは実際の境界とは異なり、境界の外観は即ち心と体です。
【肉体と心の間に境界があるという趣旨か?】

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22.若識皆不見 則明或不明 猶如石女媚 說彼亦無義
もし、意識が全てを見ないなら、確かに(心が)明るく輝くか否かは、石の女
が美しいことを説くようなものであり、それは無意味です。
【意識が全てを監視しないで機能していない場合は、心が明るく輝く...
28.無實若依實 云何有作用 汝心無助緣 應成獨一體
もし、
真実でないものが真実に依存しているなら、
どのような意図があると言
うのでしょうか?あなたの心は助けるゆかりが無く、
単独の体になるべきです。
【心作用を統括する心の働きである意識と...
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入菩薩行論 第九章 智慧[1](現代超訳)

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入菩薩行論 第九章 智慧[1](現代超訳)

  1. 1. にゅう ぼ さつ ぎょう ろん 入 菩 薩 行 論 菩 薩 の 生 き 方 へ の 手 引 (Bodhisattvacharyavatara : A Guide to the Bodhisattva's Way of Life) 寂天菩薩 (Acharya Shantideva) 著 土山仁士 現代超訳 第九品 智慧 (第九章 智慧[1]) 1. 此前諸要目 佛為智慧說 故欲息苦者 當啟空性慧 ここまでの諸重要項目を、 仏陀は智慧とみなして説きましたが、 憩いを求める 苦しんでいる人は、空性の智慧を開くべきです。 【空性の智慧とは、地球の究極の真理である「相互依存」を理解することである。苦 しみの原因である無知とは、「相互依存」を理解していないこと】 2. 世俗與勝義 許之為二諦 勝義非心境 說心是世俗 俗世は最もすぐれた道理をたたえ、これを推奨し二つの真理(「真諦」:絶対 不変の真理と「俗諦」:世間一般で認められている真実)とみなしますが、最 もすぐれた道理とは気分のことではないにも拘わらず、 俗世は心について語り ます。 【道理には絶対不変である究極の真理と世間の道理の二つがある。道理は機嫌に よって左右されるものではない】 3.世見二種人 瑜伽師一般 一般世間師 前者所論破 世の中でヨガ教師と一般人という、 二種類の人間を目にしますが、 ヨガ教師は 通常の一般人教師を論破します。 【ヨガの教師は一般人教師を論破できるほど優秀であるという趣旨】 4.復因慧差別 層層更超勝 以二同許喻 為果不深察 また、聡明さによる違いは、 (ヨガ教師が)幾重にも重なって一層超越的に勝 っており、 二者を同じだとたとえることを承諾することは、 深く観察していな い結果と見なします。 【ヨガ教師の方が一般人教師よりあらゆる面ではるかに聡明であり、比べものにな らないという趣旨】 2013 Copyright © 2013, Hitoshi Tsuchiyama. All rights reserved.
  2. 2. 5.世人見世俗 分別為真實 而非如幻化 故諍瑜伽師 世の中の人間は俗世を見て、 分別することを真実と見なし、 実体のない事物の ようなものを非とするので、ヨガ教師と言い争います。 【一般人は感情的に好き嫌いで区別して、それを幻想ではなく真実と思い込むが、 ヨガ行者は好きは執着から、嫌いは怒りから生じる幻想であることを見抜くので、両 者の間で意見が対立するという趣旨】 6.色等現量境 共稱非智量 彼等誠虛偽 如垢而謂淨 形を有するもの等に対する直接知覚(無分別の、五感による感覚知)の境は、 全部でぴったりと合い、 物事を認識したり判断したりする知識根拠ではないの で、一般人は本当に虚偽であり、 (汚れがあるのに)汚れがないと言う垢のよ うです。 【一般人は感情による精神投影から生じる幻想や錯覚を通して物事を主観的に見 るので本質を見誤るが、ヨガ行者は精神投影を排してあるがままの本質を見極め ることができるという趣旨】 7.為導世間人 佛說無常法 真實非剎那 豈不違世俗 世の中の人間を導くために、仏陀は真実は瞬間でないという、無常(永遠のも のはないこと) の教えを説きました。 どうして俗世に反さないのでしょうか? 【無意識で瞬間的に生じる感情に基づく認識は真実ではないという趣旨】 8.瑜伽量無過 待世謂見真 否則觀不淨 將違世間見 ヨガ行者の知識根拠は過ちがなく、 世の中に留まって真実を見ると言い、 そう でなければ汚れを見ても、統率指揮者は違う世の中を見ることになります。 【ヨガ行者は感情による幻想がないので、本質を見極めることができるという趣旨】 9.供幻佛生德 如供實有佛 有情若如幻 死已云何生 幻の仏陀に恩恵が生じるようにお供えするのは、 実際に存在する仏陀にお供え をするようなものです。心を有する生きものがもし幻のようなものであれば、 死後に何が生まれると言うのでしょうか? 【仏陀にお供えをしても恩恵を得られるものではなく、幻の生きものから何が生まれ るかという疑問を呈している】 2013 reserved. Copyright © 2013, Hitoshi Tsuchiyama. All rights reserved.
  3. 3. 10.眾緣聚合已 雖幻亦當生 云何因久住 有情成實有 人々の縁(条件)が集合した後、幻とはいえまた生まれるべきです。久しく定 住することによって、 心を有する生きものは実際に存在する何になると言うの でしょうか? 【人々は幻であろうと転生人生を送るべきだが、色々な経験を積んだ後、実在する 何に転生できるのか疑っている】 11.幻人行殺施 無心無罪福 於有幻心者 則生幻罪福 幻の人が殺しや施しを行っても、 心がありませんので苦しみも幸福もありませ ん。幻の心を有する者に対しては、確かに幻の苦しみや幸福が生じます。 【苦しみや幸福は心を有する者にのみ生じるという趣旨】 12.諸咒無情識 不生如幻心 種種因緣生 種種如幻物 諸々の呪文には迷いの心がなく、 幻の心のように生じることはなく、 色々な種 類の心は条件によって生じ、その種類の多さは幻の物のようです。 【多様な心は多様な条件により生じるという趣旨】 13.一緣生一切 畢竟此非有 勝義若涅槃 世俗悉輪迴 一つの条件で全てが生じるなんてことは、結局有り得ません。第一義(最も優 れた道理) が涅槃であるならば、 この世の中はことごとく生ある者が迷妄に満 ちた生死を絶え間なく繰り返すところであり、(14へ続く) 【結果は多くの条件が整った時に生じるという原則に従って、生きものはこの世に何 度も転生してくるという趣旨】 14.則佛亦輪迴 菩提行何用 諸緣若未絕 縱幻亦不滅 仏陀の方はと言えば、 これまた迷妄に満ちた生死を絶え間なく繰り返しており、 悟りの境地の生き方は何の役に立つのでしょうか?もし諸々の条件が未だ絶 えていないなら、よしんば幻もまた同様に滅しないでしょう。 【仏陀も含めて皆輪廻転生を繰り返していることより、全ての条件が根絶できない 限り悟りの境地へは到達できないと主張している】 15.諸緣若斷絕 俗中亦不生 亂識若亦無 以何緣幻境 もし、諸条件が断絶したなら、世俗の中でも幻は生じません。もし、混乱した 意識もまた無ければ、何をもって条件と幻の境界を示すのでしょうか? 【全ての条件を根絶できたら、条件により引き起こされる影響はなくなるという趣旨】 2013 Copyright © 2013, Hitoshi Tsuchiyama. All rights reserved.
  4. 4. 16.若許無幻境 心識何所緣 所緣異實境 境相即心體 もし、 幻想でない世界を許すなら、 心と意識はどこと縁があるのでしょうか? 縁というものは実際の境界とは異なり、境界の外観は即ち心と体です。 【肉体と心の間に境界があるという趣旨か?】 17.幻境若即心 何者見何者 世間主亦言 心不自見心 もし、 幻想の境界が心であるなら、 いかなる人がいかなる人を見るのでしょう か?。世の中の当事者はまた、心は自ら心を見ることはできないと言います。 【自分の心が自分の心を見ることはできないので、心が見る対象は何かと疑問を呈 している。心には種類があり、意識も感情も心であるなら、意識が感情を見ることを 指しているのではないか?】 18.猶如刀劍鋒 不能自割自 若謂如燈火 如實明自身 なお、刀剣の刃先のように、自分で自分を切ることはできません。もし、灯火 のようだと言うなら、実際に自らを明るく照らしています。 【刀剣の刃先のように、心は自らを注視することはできないが、灯火のように、心は 自身をよく知っているという趣旨】 19.燈火非自明 暗不自蔽故 如晶青依他 物青不依他 灯火は自ら明るく輝いているのではなく、 暗闇は自ら故意に遮蔽しているので はありません。例えば、水晶の青は別のものに依存していますが、物の青は別 のものに依存していません。 【心の闇を明るく輝かせるには、別の何かが必要ということか?】 20.如是亦得見 識依不依他 非於非青性 而自成青性 このようにまた見解を得て、 意識は別のものに依存していません。 青ではない 性質を非とすることは、自ずと青の性質になります。 【意識は他に依存せず独立しているということか?二重否定は肯定となる趣旨】 21.若謂識了知 故說燈能明 自心本自明 由何識知耶 もし、 意識がはっきりと知っていると言えば、 それ故に灯火は明るく輝くこと ができると説き、 自分の心はもともと自ら明るく輝いていることを、 何によっ て意識は知ることができるでしょうか? 【意識が心を監視している場合、心が明るく輝くという趣旨。心が自ら明るく輝いて いるのではないと主張している】 2013 Copyright © 2013, Hitoshi Tsuchiyama. All rights reserved.
  5. 5. 22.若識皆不見 則明或不明 猶如石女媚 說彼亦無義 もし、意識が全てを見ないなら、確かに(心が)明るく輝くか否かは、石の女 が美しいことを説くようなものであり、それは無意味です。 【意識が全てを監視しないで機能していない場合は、心が明るく輝くはずがないとい う趣旨】 23.若無自證分 心識怎憶念 心境相連故 能知如鼠毒 もし、自己証明の部分がなければ、心と意識はどうして深く思い、絶えず忘れ ないのでしょうか?気持ちは互いにつながっているので、 ネズミの毒のように 知ることができます。 【ネズミの毒とは、熊が冬眠中にネズミに噛まれたことを、目覚めた後にネズミの毒 による痛みを感知して、肉体が間接的に噛まれた事実を記憶しているという意味。 意識の想起がこれに似ているとの例え】 24.心通遠見他 近故心自明 然塗鍊就藥 見瓶不見藥 心が通じると遠くから他人を見ることができ、 近いが故に心自らが明るく輝き ます。しかし、精製して付け合わせた薬を塗ると、瓶を見て薬を見ません。 【自己認知が存在しないと他の認知も存在しない趣旨か?】 25.見聞與覺知 於此不遮除 此處所遮者 苦因執諦實 見たり聞いたり悟り知ることは、 ここでは排除されていません。 これらの存在 を阻む者は、苦しみの原因である固執がいっぱい詰まっています。 【固執が苦しみの原因であると指摘している】 26.幻境非心外 亦非全無異 若實怎非異 非異則非實 幻想の世界は心とは別に存在するのではなく、 また全く異常がないことはあり ません。 もし、 嘘偽りがなければどうして別ではないのでしょうか?心とは別 ではないのですが真実でもありません。 【幻想は執着や怒りによる精神投影から生じる錯覚が原因であり、真実ではない錯 覚に基づき行動を起こすので問題であるという趣旨】 27.幻境非實有 能見心亦然 輪迴依實法 否則如虛空 幻想の世界は実際には存在せず、心もまたそうであると見ることができます。 輪廻は真実の道理に依存しており、 確かに何もない空間のようではありません。 【幻想は実際に存在しないが、輪廻は幻想ではなく真実であるという趣旨】 2013 Copyright © 2013, Hitoshi Tsuchiyama. All rights reserved.
  6. 6. 28.無實若依實 云何有作用 汝心無助緣 應成獨一體 もし、 真実でないものが真実に依存しているなら、 どのような意図があると言 うのでしょうか?あなたの心は助けるゆかりが無く、 単独の体になるべきです。 【心作用を統括する心の働きである意識と心が一体化すべきという主張か?】 29.若心離所取 眾皆成如來 施設唯識義 究竟有何德 もし、心が(対象への執着や怒りから)離れて(本質を)選びとるなら、生き ものは全て如来になるでしょう。 もし施しが一切の対象は心の本体である意識 によって現し出されたものであり、 意識以外に実在するものはないという意味 ならば、結局のところどのような福徳があるのでしょうか? 【心が執着や怒りによる精神投影によって錯覚を生みだしてしまうので、本質を見 極められずに非現実的な行動をしてしまうのが愚かな人間であると主張している】 30.雖知法如幻 豈能除煩惱 如彼幻變師 亦貪所變女 (全ては) 幻のようであるという道理を知っているとはいえ、 どうやって煩悩 を取り除くことができるでしょうか?この幻が教師を変えるように、 また貪欲 が女を変えます。 【全ては幻であることを知っていても煩悩を取り除くことはできず、むしろ煩悩によっ て人が変えられてしまうという恐るべき現実を述べている。幻の原因が煩悩である ことに気付く必要がある】 2013 年 7 月 15 日 土山仁士 2013 Copyright © 2013, Hitoshi Tsuchiyama. All rights reserved.

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