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福島県におけるリスクコミュニケーションの課題について
〜小児科医の立場から見た福島県の現状〜
いちかわクリニック 小児科 市川陽子
1.これまでの経過
国・県・東電から出される原発事故による放射性物質拡散地域及びその線量に関する情報開示が
遅れ、事故当初は、放射線に関する知識を持っている医師でさえも混乱した。
さらに、放射線被ばくの情報に対する解釈が、識者や報道機関によって異なり、また、県内にお
ける放射線被ばくが健康に与える影響に関しては医師の間にも見解の相違があり、このために住民
の混乱と不安が増大した。放射線被ばくの健康影響について、正しい情報を発信する者は御用学者
と烙印を押され誹謗中傷の対象となり、このために口をつぐむ医療者もいると思われる。
2.福島市医師会母子保健委員会・福島市健康推進課としての取り組み
平成 23 年 10 月から、福島市母子保健委員会として、福島市健康推進課の保健師達との協力のも
と、福島市内の各学習センター等で、「放射線と子どもの健康」と題する講演会を開催してきた。各
開催地域の担当保健師がスケジュールを組み、講師は母子保健委員長他委員の計 2 名で分担した。
講演会の参加者の殆どは子育て中の母親や孫のいる祖母の他、幼稚園、学校教諭・保育士などで、
講演会を聴いた学校・保育園・幼稚園関係者からその後個別に依頼され、これもできる限り引き受
けてきた。(資料)
3.講演会を開催した結果
開始当時は「何が本当なのかを知りたい」という参加者の思いが伝わってきた。
放射線に関する誤解をしている方々が予想以上に多かった。これは報道の在り方にも一因がある
と感じる。参加者からの講演会後の感想の多くは、よく理解できた、不安がかなり解消された、と
いうものであったが、中には理解はできても感情的には不安が残るという感想も見られた。
平成 23 年度当初は参加者も多く、ひとつの会場で 50〜100 人程度集まったが、平成 24 年度後半
は 10〜20 人ぐらいと少なくなってきた。
参加者の少ない講演会を座談会形式にしてみたところ、放射線に対する質問よりも、福島で今後
も生活する工夫などの質問が多く寄せられることが多かった。参加者同士が自らの体験や思いを語
ることで、お互いに助け合い励まし合えるという連帯感も生まれた。
このことから、現在福島市内に留まって生活している市民の多くは、放射線に関する基本的な認
識はほぼできていると捉えることもできるが、将来の我が子の健康に対しての不安が全て払拭され
た訳ではなく、感情としては受け入れられないという市民もまだ多い印象がある。
また、市が開催する講演会そのものを知らない、あるいは、震災当時に不安を煽る講演会を聴い
てしまったり、TV・新聞・週刊誌等の偏った情報によって放射線恐怖症のような状態になり、それ
以降は放射線に関する情報収集を自ら拒んでいる市民もいる。
第14回原子力委員会
資料 1 - 3 - 1
4.被災地として「福島県」を一括りにはできない
○1 震災・津波による被害を受けた地域、及び原発事故により避難を余儀なくされている住民
○2 実際に被災はしていないが、放射線被ばくを恐れ県外に自主避難している住民
○3 県内に留まって暮らしている住民
これらの3通りの捉え方が必要であり、それぞれの住民に対しては、同じ支援は当てはまらない。
それぞれの立場に添った支援が必要と感じる。特にメンタル・ケアが今後は重要である。
また、○2 ○3 の住民同士が感情的に対立することは、子どもの心身にとって悪影響である。
5.県内での健康調査とその解釈
県内各自治体で行ったガラスバッジによる外部被ばく検査では、殆どの住民が年間1mSv 未満で
あり、県で行った内部被ばく検査についても、99.9%が預託実効線量で1mSv 未満であった。
預託実効線量とは、成人なら 50 年間、小児なら 70 年間に受ける累積線量を計算したものであり、
毎年数 mSv 内部被ばくし続ける訳ではない。また、外部被ばく、内部被ばく共に、Sv の数値が同
じであれば、人体に対する影響も同じである。
甲状腺エコーについては、平成 25 年 2 月 13 日日現在で 90%以上が A 判定(異常なし)であっ
た。B判定、C判定(1名)の精検の結果、3名にがんが認められ、7名にがんの疑いがあった。
A 判定のうちの A2(5mm 以下の結節又は 20mm 以下の嚢胞)の割合は、青森県・山梨県での
検査でも同等であり、原発事故による放射線ひばくの影響とは考えにくいと思われる。
がん又はがん疑いの 10 名に関しては、「がん細胞」が発見されたということである。このことと
「がんを発症」したこととは臨床医学的に異なることを理解しておく必要がある。ただし、「がんを
発症」していなくても放置していいという訳ではない。
6.これからの課題
○1 放射線が人体に及ぼす影響への正しい理解
「放射線被ばくはわずかでも健康に有害である」という認識は誤りであることを、全ての国民が
理解する必要性を強く感じている。勿論これは放射線を浴びてもいいという理論ではない。また、
これをもって原子力エネルギーは推進すべきであるという理論も誤りである。特に、東電福島原発
事故による放射線被ばくと、今後我が国の原子力エネルギー政策をどうするかを、同じ土俵で論じ
るべきではないと考える。
「低線量被ばくの影響はわからない」という文言も多くの誤解を生んでいる。これは、将来健康
被害がおきるかどうかわからないのではなく、喫煙や飲酒・ストレス・生活習慣などの要因にまぎ
れて証明できない、即ち医学的に捉えればリスクは低いということである。見方を変えれば、現在
人が居住している地域の住民は、放射線被ばく以外の健康に与えるリスクを少なくする生活を心が
けることで、今後も健康な暮らしを保つことは十分に可能であるといえる。
これら放射線医学的情報を、今後も機会ある毎に伝え続けていくことが医師の役割と考える。
そのためには、国・県・医学会・生物学会からの正式な見解も必要と感じる。
○2 「安心」と「安全」の狭間をどう埋めていくか
現在の県内居住地域が「安全」であることは理解できても「安心」できない住民がまだ多いこ
とは現実であり、個々の状況によっては情報提供よりも相手の心情に配慮する工夫も必要である。
そのためにもメンタル・ケアは必要不可欠であるが、人材が不足していること、ケア・支援する
組織同士の連携がとれていない現状がある。さらに、支援者側の放射線被ばくに関する認識も最
低限統一される必要があり、今後は立場を越えた情報交換も必要と考える。
福島県小児科医会では、平成 23 年、24 年に「福島県小児科医会声明」を出している。(資料)
具体的には小児医療の充実を図る施策のひとつとして任意予防接種の無料化、保育園等の費用
補助・子育てのサポートなど、安心して県内で子育てができる環境が整えられ、元気に外で遊ぶ
子ども達の笑顔が増えてようやく、県内で暮らすことが安全であることを理解してもらえるよう
に感じている。

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