孫権、合肥を攻めて張遼に大敗を喫す
- 2. 第 54 集 合肥会戦(孫権と曹操、合肥で会戦す)2009.08.16 更新
―「3時間で~」では省略
チャプター① 覆いのついた馬車に乗り、漢中に進軍する曹操~
チャプター② 曹操の命で合肥を守る張遼のもと、伝令が「孫権軍が逍遥津に軍を進めています」
と告げる~
チャプター③ 張遼軍に惨敗を喫する孫権軍~
チャプター④ 百騎で曹操陣営に乗り込んだ甘寧ら、暴れまわる~
チャプター⑤ 孫権を守るため傷を負った周泰を、孫権は暖かくねぎらう~
~62 歳になり、後継者を誰にしようか迷う曹操。
本第 54 集は、孫権(呉)と曹操(魏)の戦いがメイン。
ただ、事の発端は、成都を取った劉備に対抗すべく曹操が漢中を取ったことに始まる。
「まだ蜀(成
都一帯)を完全に掌握しきれていないこの時期に、曹操に攻められてはたまらぬ」と考えた孔明は
「荊州三郡を呉に返すので、合肥の曹操軍(つまり張遼・李典・楽進ら)を攻めてほしい」と孫権に
依頼。この孔明の戦略に乗った孫権は合肥を攻め、最終的には合肥における孫権 VS 曹操の対決と
なる。
話が難しいのは、呉と魏の戦いと同時に、呉内部と魏内部で武将たちの内輪もめも描かれているこ
とだ。呉内部では甘寧と凌統、魏内部では張遼と李典。結局のところ、この 2 つの内輪もめは丸く
収まるのだが、本場面、地理的にも「成都/漢中~合肥」と広範囲にわたることもあって、結構、
見る人の頭を混乱させる。
以下、面白いと思った場面を1つ挙げる:
①呉の内部で反目しあう甘寧と凌統。なぜ二人が不仲かと言えば、甘寧はもともと江夏の黄祖の部
下で、黄祖は孫権と敵対していた。そして甘寧は黄祖の部下として凌統の父・凌操と戦い、凌操
を切り殺してしまった。そういう訳で、後に甘寧が孫権の部下になると、凌統は彼を父の敵とし
て付け狙うことになる。
今回の合肥攻めで、甘寧が第一の手柄を立てたため、孫権は彼の功をねぎらうため祝宴を開く。
と、その祝宴に同席していた凌統、敵が散々褒められるのを見て面白くない。そこで「宴会には
余興がありませんので、私が剣舞を舞ってお見せしましょう」とやった。まさにこれは鴻門の会、
もっと近くで言えば、第 49 集 劉備入川の劉璋を招いた宴会の場面と同じだ。この凌統の殺気を
機敏に感じ取った甘寧は、自分も二本の戟を取り、対抗すべく舞い始める。
今回、凌統が舞った剣舞は今までの人(孔明、周瑜、孫夫人、劉備、魏延、劉封 etc)の中でも