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授乳婦への薬剤処方
多摩ガーデンクリニック小児科 IBCLC. FABM 髙橋有紀子
母乳育児支援と私
• 2007年、上司の鞄もちで米国の学会に参加
• Academy of breastfeeding Medicine(ABM)
「母乳育児を支援する医師だけのための学会」
• 2008年、国際認定ラクテーション・コンサルタント(IBCLC)資格を取得
• その後、ABMにてポスター発表3回・口演1回
• 東日本大震災の支援の話題で、国際学会@チェンマイにも呼んで戴く
• 2013年にはABMのフェロー認定
TAKE HOME MESSAGE
• 妊産婦・授乳婦への薬剤処方は従来避けるべきと言われてきたが、
投与可能なケースも数多く存在する。
• 投与に際し、様々なデータベースが利用可能である。
• 昨今「今日の治療薬」にも情報呈示されるようになった。
必要に応じた慎重かつ積極的な投薬が望まれる。
こんな経験はありませんか?
• 35歳女性。咽頭痛と38℃の発熱を主訴に来院。迅速検査にて溶連菌陽性。
• 「抗菌剤を処方しておきますね」と話したら「授乳中です」
• 「では、その間は母乳を止めて、ミルクだけにして下さい」
• 「赤ちゃんに伝染するといけないので、治るまではなるべく近づかずに」
・・・母乳は、水道の蛇口とは違います・・・
くすりの適正使用協議会が、妊産婦にアンケート
→「妊娠・授乳とくすり」の小冊子を配付
https://www.rad-ar.or.jp/information/pdf/nr16-161018.pdf
母乳への移行に影響する薬剤因子
〜薬剤の特性因子
• 脂溶性
• 分子量
• 母親の血中濃度とM/P比(milk/plasma ratio)
• 蛋白結合度
• 生体利用率 Bioavailability
• 半減期
• pKa
• Vd (Volume of distribution)
授乳中の女性に対する薬物治療(AAP, 2001)
1. 必要な薬だけを使用する。
2. できるだけ安全な薬を使用する。
3. 児に対するリスクがあれば、血中濃度を測定する。
4. 授乳直後に使用したり、児が眠る時間の直前に使用する。
添付文書について
• 日本の薬事法により医薬品への添付が義務づけられている(薬事法52条)
• 臨床治験の段階で、母乳への移行に関するデータがほとんどない。(動物
実験のデータが、ヒトにそのまま当てはまるかどうか分からない。)
• 「特段の合理的理由がないかぎり」従わなければならない。
実際の臨床の場では・・・
• 母乳育児をやめて、人工栄養にした場合のデメリットについて。
• その薬剤を使用して授乳した場合の、児に対する有害事象が起こった
報告があるかどうか。
• その有害事象が薬剤のためであるという因果関係が証明できているか
(児の血中濃度が測定されているか)。
最新の情報に基づき、十分な説明の上で、
インフォームド・チョイスがなされるべき
• アレルギーや湿疹が2〜7倍
• 中耳炎が3倍
• 胃腸炎が3倍
• 髄膜炎が3.8倍
• 尿路感染症が2.6〜5.5倍
• 1型糖尿病が2.4倍
• 乳幼児突然死症候群(SIDS)が2倍
• 肺炎・下気道感染が1.7〜5倍
• 炎症性腸疾患が1.5〜1.9倍
• ホジキン病が1〜6.7倍 (米国小児科学会)
もし母乳育児をやめて、人工栄養にしたら
(AAP: New Mother’s Guide to Breastfeedingより)
母乳への移行に影響する薬剤因子
〜母親側の因子
薬剤の投与量・投与方法
・薬用量(通常量か、大量投与か)
・吸収速度(急速に吸収されるか、徐放性か)
・投与間隔、回数、期間(頓用か、長期投与か)
・剤型(内服、舌下錠、静脈注射、皮下注射、筋肉注射、
貼付、座薬、腟坐薬、吸入、点鼻、外用など)
乳児への影響に関係する因子
• 月齢:新生児か月齢の進んだ児か
• 健康状態:児の基礎疾患、早産児か
• 乳児自身の薬剤使用:相互作用に注意
• 鎮静効果のある薬剤:鎮静効果のある薬剤、第一世代の抗ヒスタミン剤
など、中枢神経に作用し眠気を催す薬剤は使用を避ける。
• 市販薬:強い眠気を催す薬剤、コデインに注意
• 臨床症状:児の徴候に注意し、有害作用の可能性があったら、母親の服薬
を中止する。児の薬剤血中濃度を測定する。
閑話休題。Dr. Thomas Hale
Texas Tech Univ. の薬理学の教授。
Medications and Mothers’ Milk(邦題「母乳と薬剤」)を
2年毎に改訂出版し、Hale publishingという個人の出版社で販売。
最近では”Infant Risk center” というサイトを立ち上げている。
よく使用される薬剤について(1)
• 解熱鎮痛剤
小児にも適応のあるアセトアミノフェンが第一選択だが、乳腺炎などには抗炎症作用
の強いイブプロフェンがよい。ジクロフェナク(ボルタレン)は蛋白結合度が高く、母
乳への移行が少ない。
• 抗ヒスタミン薬・抗アレルギー薬
第一世代で強い眠気を催すものは避ける。なるべく中枢神経への移行の少ないものが
望ましい。第二世代のロラタジン(クラリチン)や第三世代のフェキソフェナジン(ア
レグラ)などは乳汁中への移行が少ない。
よく使用される薬剤について(2)
• 抗菌薬
小児にも適応のあるものや、経口での吸収の悪いものが望ましい。
• 抗ウイルス薬
アシクロビル、バラシクロビルはRIDが小さい。抗インフルエンザ薬のザナミビル
(リレンザ)はほとんど血中濃度が上がらないので、母乳中への移行もほとんどない。
• 降圧剤
ほとんどのものが使用できるが、アテノロール(テノーミン)は、母乳中へ高濃度
に移行するので避ける。
よく使用される薬剤について(3)
• ステロイド
プレドニンのRIDは10%を越えることはない。パルスのときは数時間あけて授乳する。
• 甲状腺薬と抗甲状腺薬
レボチロキシンは母乳中への移行がほとんどない。PTUもMMIも授乳可。
• 精神神経薬
ほとんどのものが使用できる。SSRIのうちではパロキセチンとセルトラリンのRIDが
小さい。母の精神状態のコントロールが重要。
よく使用される薬剤について(4)
• 放射性医薬品と造影剤
I131は授乳禁忌。診断用造影剤は、一時的な中断ですむ。有機ヨード造影剤は、消化管
からの吸収が悪い。MRI造影剤のガドリニウムも母乳移行は少ない。
• タバコ
禁煙(授乳していてもいなくても)が原則だが、授乳をやめる必要はない。
• アルコール
M/P比は1.0、半減期は30分。飲酒の後、2時間あけて授乳するとよい。
母乳分泌を抑制する薬剤
• ドーパミン作動作用をもつ薬剤は、プロラクチンを抑制する。
ブロモクリプチン(パーロデル)は不整脈・脳出血などの副作用が知られるので、母乳を
止めなければならない場合、カベルゴリン(カバサール)が望ましい。
• エストロゲンには母乳分泌抑制作用があるので、授乳中はプロゲステロン単体のピルが
望ましい。
• アルコール、ニコチンも母乳産生を抑制する。
母乳分泌を促進する薬剤
• ドーパミン拮抗作用を持つ薬剤は、母乳分泌促進作用を持つ。
• メトクロプラミドやドンペリドンは、乳汁分泌促進剤として使用されることがある。
(日本では保険適応はない)
• ドンペリドンの方が、血液脳関門を通過しにくく、錐体外路症状などの副作用が
出にくい。
授乳禁忌となる薬剤
• 抗癌剤
• 放射性同位元素
しかし、投与量、母乳への移行しやすさ、半減期、生体利用率など個々の
薬剤の特性と母親の状況により、一時的な中断か、授乳を永久に中止する
かは個別に判断する。
(Medications and mothers’ milkには詳しいデータが記載されている)
授乳を中止する場合の母親へのケア
• 母親の選択を尊重する。
• 母親の気持ちに共感する。
• 乳房トラブルへの具体的な対処方法を情報提供する。
• 必要なら治療を行う(乳腺炎や病的緊満を起こすことがある)。
• 一時的な中断の場合は、母乳分泌を維持する方法と、再開の時期に
ついて情報提供する。
• 急な断乳により母親がホルモンのバランスを崩し、うつ状態になる
ことがある。
国内の代表的な情報源
• 国立成育医療センター(妊娠と薬情報センター)
http://www.ncchd.go.jp/kusuri/about.html
• 愛知県薬剤師会「妊娠・授乳と薬」対応基本手引き
http://www.apha.jp/archives/002/ninpu/tebiki.pdf
• 大分県医師会 「母乳とくすりハンドブック」改訂3版を頒布中
http://www.oita.med.or.jp/information/232-2012-06-28-02-
23-21
参考書籍一覧
(絶版)
Textbook of Human Lactation
(Hale ,Hartmann 2008)
Medications and Mothers’ Milk
Clinical Therapy in Breastfeeding
Patients
(Hale, Barens 2002)
海外の代表的な情報源
• Texas Tec Univ.のDr. Haleによる Infant Risk Center
http://www.infantrisk.com/
• 米国NIHと国立図書館のデータベース
Drugs and Lactation Database (Lact_Med)
https://toxnet.nlm.nih.gov/newtoxnet/lactmed.htm アプリも→
英国のNHS(National Health Service)の授乳と薬剤のサイト
http://www.ukmi.nhs.uk/activities/specialistServices/default.asp?pageRef=2
母乳育児を支援する医師として
• 母親の母乳育児に対する気持ちを傾聴する。
• 母乳と薬剤についての適切な情報を提供する。
• 母親が自己決定できるよう援助する。
• 母親が疾患の治療と母乳育児について納得した上で、適切な薬物療法を
受けられるよう援助する。(アドヒアランスを高める)
• 他科の医師に情報提供する。
• 薬剤師にも情報を提供する。
• 一般にも母乳と薬剤についての情報を提供する。
災害時の備蓄量の差・1W分
Gribble, International Breastfeeding Journal 2011, 6:16
母乳栄養児 人工栄養児
TAKE HOME MESSAGE
• 妊産婦・授乳婦への薬剤処方は従来避けるべきと言われてきたが、
投与可能なケースも数多く存在する。
• 投与に際し、様々なデータベースが利用可能である。
• 昨今「今日の治療薬」にも情報呈示されるようになった。
必要に応じた慎重かつ積極的な投薬が望まれる。
謝辞
• このスライドを作るにあたって、瀬川雅史先生より貴重なスライドを
お借りしました。篤く御礼申し上げます。
• 今回、拙い話をお聞き下さって有難うございます。今後、何か御質問
などありましたら、下記までご連絡くださいませ。
yukikotakahashi@me.com
RUTH A.LAWRENCE
2012年のAAPの方針宣言について
BREASTFEEDING MEDICINE,2012
母乳育児はあらゆる人のための公衆衛生学的課題であり、
母親の個人的選択の問題ではない
The most dramatic message is that the AAP states that breastfeeding is
about public health and not just lifestyle. That is to say breastfeeding is
a public issue for all and not just a personal choice for the mother.
母乳育児は乳児栄養の問題ではない。
母乳育児の意義は母子相互作用である。
AUDREY NAYLOR
1983年、米国で母乳育児支援の教育機関 WELLSTART INTERNATIONALを創設
1987年、UNICEFのスタッフが Wellstart にやってきて、経験則による母乳育児の方
法論を使用しGlobal Statementが作成できないかという話になり、2年間の様々な議
論を経て10カ条ができあがった
その経験則のおおもとは実は1979年、カリフォルニア大学サンディエゴ校でLLLIの
方法論を参考に作られたもの。10カ条はその応用編。
だから「10カ条」には「参考文献」がない。「10カ条」のエビデンス「10カ条」が
できた後から膨大なものが示された!
The Ten Steps: Ten Keys to Breastfeeding Success, Pediatrics, 2010
From Experience-Based to Evidence-Based
出生数及び合計特殊出生率の年次推移

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