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私たち慶應義塾大学医事振興会は今回長野県小海町を拠点とし、佐久地域の活動に参加させていただ
きました。日ごろ大学の実習では大学病院など、大規模な病院や施設での医療をみる機会が多く設けられ
ている私たちにとって、今回の佐久地域での活動は、非常に多くの刺激があり、活動に参加したことに大
きな意義を感じることができたというのが、率直な感想です。
学部・学年の違いによって感じ考えたことは様々でしたが、それぞれの学生にとって、とても貴重な
機会になったように思います。その率直な意見・感想を含め、各々が活動報告することで、何か還元でき
ることが尐しでもあればと思い、ここに活動報告書を作成させていただきました。学生の身分であり、至
らない部分もあったとは思いますが、本活動報告を私たちの活動の成果のひとつとして受け止めていただ
ければ幸いです。
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3. ○医事振興会の沿革
慶應義塾大学医学部医事振興会は戦前、本土のみならず旧満州や朝鮮で診療活動を行っていた海外医
事振興会を母体とし、1952 年に学生団体として再発足した。
当時、戦後の社会的混乱、各種物資の不足を背景として、国民の栄養状態と生活環境の不全に起因し
たであろう害虫、寄生虫の蔓延や感染症の流行は、殊に地方、農村地域において見過ごせない問題であっ
た。医事振興会ではそうした地域の住民を対象に、医学・医療関係者による講演会を企画、開催した。し
かしながらその講演対象が比較的恵まれた土地の有力者に限られていたため、 1957 年からは地方の無医地
区に遠征して、奉仕診療活動を開始した。この年の活動が現在に至るまでの活動の基盤になっているとし
て、本会ではこの 1957 年を第1回活動年度と規定している。当時の活動内容は学生と医師、看護婦によ
る医療奉仕団を結成し、休暇中の約 2 週間を活動期間に当てて地方に赴き、臨時の診療所を開設するとい
うものであった。
第1回活動の対象地区は岩手県岩手郡岩手町川口北山形、南山形で、以降 1963 年までは毎年対象地
区を替えつつ、岩手県、秋田県、青森県の各地で無医地区診療奉仕活動が継続された。しかし 2 週間の診
療では治癒に至らしめる様な徹底的な診療を行うことができないという反省が出され、それ以降は予防医
学的な側面にも目が向けられるようになった。第 3 回の活動報告書には「病気にならない健康的な生活を
送ることが出来るようにする医学的指導、換言すれば、衛生思想の啓蒙も、我々の無医村診療の存在を意
義づける大きなものである」という記載がある。また第 7 回活動報告書では単なる診療活動だけでなく、
アフターケアも含めた広い社会的アプローチの必要性が言われている。
この流れを受けて、 1964 年(第8回)より同一の町村にて 5 から 6 年間持続的に活動していくようにな
った。これによって 2 週間という短期の診療活動がなし得なかった長期的な住民の健康状態の管理が可能
となり、それと同時に対象となる疾患の性質も変化した。当時我が国では高度経済成長が起こり、飛躍的
に衛生環境、栄養状態が改善した。また医療体制の拡充も進み、脳血管障がい、心疾患、悪性新生物など
をはじめとする長期、慢性的な疾患が増加した。これら生活習慣病に対するアプローチは罹患後の医療従
事者からの一方的な治療のみでは不十分であり、罹患以前の段階から自律的な生活改善、予防措置が非常
に重要である。この頃より自主的健康管理が本会の活動の柱となっていったが、これは必然的な推移とい
えるだろう。
1965 年(第9回)からは公衆衛生思想の普及に努めるべく、活発な活動が展開された。それまでは、1
年間を通じて夏期のみに限られていた活動を冬季にも行うようになり、活動内容も従来の集団検診だけで
なく、家庭訪問や座談会などが行われ、栄養調査、母子衛生調査に基づいて日常生活改善の為の働きかけ
も行われるようになった。1968 年(第 12 回)の山形県最上郡大蔵村、鮭川村における活動では、集団の健
康状態の把握が出来るような健康台帳を完成させ、これによって住民だけでなく行政に対しても働きかけ
が可能となった。この健康台帳の作成は、それ以降しばらく本会の活動の柱となった。それと同時に、地
元青年団との連携を活かしての地区啓蒙活動も行われるようになった。
1970 年代に入ると医療体制の確立が進み、 無医地区が次々と姿を消していった。 医事振興会では当時
流行した「地域包括医療」の名の下に、地域医療における住民、行政、医療の三位一体化を目指した住民
の自主的組織活動の推進に努めることになった。具体的には検診や家庭訪問を軸として、住民が自己健康
管理から早期診断、治療、病後のリハビリテーションまでの医療サービスをより良い形で受けられるよう
にサポートした。 1988 年より始まった秋田県南秋田郡若美町における活動では、 それまで以上に家庭訪問
の比重を大きくし、検診の充実した同町の保健活動をサポートすることに主眼がおかれた。そして検診結
果の説明を中心に検診後のフォーローアップを行った。さらにこの頃より山梨県北巨摩郡高根町にある障
がい者の自活施設「あさひ福祉作業所」においての春期活動を開始し、障がい者福祉に関して学ぶ機会を
得た。この春期活動は現在も継続している。夏期活動に於いては 1994 年(第 38 回)より長野県上水内郡
小川村における活動を開始した。活動当初は家庭訪問が活動の柱と規定していたが、3 年目にはその意義
に時期尚早性を見出し、中断することとなる。のち地域包括医療の実際を学ぶことに加え、村民の方々と
の交流を通じ、 くらしと医療との何たるかを学ぶことが活動の中心となった。 また 2002 年(第 46 回)には、
本会の同村への浸透を鑑み、家庭訪問を再開した。
そして平成 16 年度よりさらなる活動の発展を試み、プライマリケアを重点的に行っている山梨県塩
山診療所古屋医師(現山梨市立牧丘病院)のご指導の基、春期、夏期活動を展開した。
(第 41 回報告書沿革より;第 43、45、47、48 回補筆)
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4. ○活動の理念
本会第1回活動報告書には「私共の無医村診療はあくまで『恵まれない僻地の人々に
現代医学の恩恵を分かち、医学知識・衛生思想の向上を促す事』が目的」であると記され
ている。
社会・医療情勢の変化に伴い、我々の活動は往事とは全く様相を異にするものとなっ
たが、この理念は今なお我々の行うべき活動の方向性を明らかに照らし出している。則ち、
第 45 回報告書に記されるように、
「医事振興会というのは、如何に微々たるものでも人々
に貢献したいという志から、時に診療活動、啓蒙活動などを行うことがあっても、決して
奉仕団体ではないということ。与えられているのは私達学生であって、多くの善意と協力、
努力と苦労に支えられた活動の中で、そして多くの人々と出会う活動の中で得た体験を、
自らのものとすること。それを決して忘れることなく、ゆくゆくは何らかの形で、人に、
そして社会に還元すること。」これこそが今も医事振興会の理念となっている。
活動のもう一つの柱になっているのは、歴代報告書が理念の冒頭に掲げている、第1
回報告書に記されるところの「学問的に何らかの調査を行い、結果を得んとすることが目
的ではない」と云う一条である。地域にてフィールドワークを行っている団体の尐なから
ぬ割合が、このような疫学調査を行っている。だが我々は、疫学調査が必ずしも冒頭に掲
げた理念の実践には向かない、そればかりか時に弊害になりさえもするという考えの下、
之を敢えて排し続けている。
学生団体をして社会の変革を求めることは、現今の社会情勢を鑑みるに所詮無力であ
るかもしれない。一方で「学生だからできること」に目を向ければ、やはり 45 回報告書が
指摘するように、学生は社会的な様々な利害・しがらみからある程度自由な立場にいるこ
とができるし、視点を潤色されることなく様々な問題を見つめることが出来るという、社
会人には望み得べくもない特質がある。医事振興会は、冒頭の活動理念の下、現存する問
題を認識し、医学的な視点だけでなく、他の様々な観点から問題を捉え、未来を模索して
いく姿勢を貫くべきである。さすれば必然として、将来その経験はもとの部員たちにより、
大きく社会に還元されるであろう。
(第 48 回代表)
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5. ○活動報告 ~個人感想~
【 高須 正太郎 医学部 1 年 】
1日目
JR 小海駅の建物に併設された形で駅診療所はある。1 階で診察をし、2 階に職員さん方
の部屋がある。以前は 2 階に入院施設があったのだが、現在は障害者施設になっている。
◇ 活動 … 外来診察の見学・病院内見学・往診見学
午前中は長先生と水本先生の外来診察を見学させていただいた。この日はお盆の時期
であり、患者さんが非常に尐なかったため、残りの時間長先生や臨床検査技師の方に案内
していただいて病院内を見学した。午後は小池先生につかせてもらい、往診を計 3 件ほど
見学した。そのうちの一軒が、デイサービス施設のすぐそばにあったので、小池先生のご
好意でそこを案内していただいた。
◇ 感想
外来診察は今まで自分が医者にかかったときに経験しているので、初体験というわけ
ではないが、自分がかかるというのと他人がかかっているのを隣で見るというのは全く違
い、新鮮な経験になった。診察全体の流れや、患者さんと医師との対話の仕方など様々な
ことを学んだ。例えば、長先生のもとに 7,80 代のご夫婦が訪れた。その奥さんがここ最
近ずっと頭がいたいと訴えていらして、前に行った検査でも全く異常がないとのことだっ
た。実はその方は軽度の認知症を患っていて、「よく物忘れをして主人に怒られている」と
おっしゃっていた。さらに、「寝ているときはいいんだけれども、起きるとだるくて何もや
る気がしなくなる」とも訴えていた。ここで先生はこの方は認知症の初期で、最近物忘れ
をよくしてしまい、ご主人に叱られることに自分でも戸惑いを感じており、この不調を頭
痛と結びつけて考えていると考え、奥さんには、
「だるいからといって家にこもっていると
余計悪化してしまうから、なるべく外に出て気分転換しましょう」と、ご主人には(奥さ
んには部屋を出てもらって)「年齢からして物忘れは仕方ないことだから、あまり怒らない
でやってください」とアドバイスしていた。もちろん、これがベストな対忚だったかは誰
にも分からないが、尐なくともお二人とも安心した表情で帰られていた。短時間でこれほ
どたくさんのことを考え、対忚できるのは素晴らしいとただただ感心するばかりだった。
病院見学では、処置室や検査室、超音波検査や胃カメラ検査のできる部屋を見学させ
てもらった。病院の規模からいって検査の機械はかなり充実しているとのことだ。しかし、
近くに分院があり、一度分院にかかった患者さんはそちらに移ってしまうことが多く、駅
5
6. 診の患者さんも減尐傾向にあるのだとか。
午後は小池先生につかせてもらい、往診の見学をした。1 件目のお宅の近くに、数ヶ月
前に自宅で看取った方の家があり、線香をあげに伺った。お盆の時期ということで、親戚
の方々がたくさんいらっしゃり、かなりにぎやかであった。小池先生によれば、この方は
老衰で亡くなったそうで、亡くなる直前にうまく親戚一同が集まることができ、親戚皆に
看取られながら亡くなったそうだ。だからこの方の奥さんも、小池先生に「主人を大往生
させてもらい、感謝しています」と目に涙を浮かべながら何度も言っていた。実際は、大
往生ではなく長い間体力の衰退でかなり苦しまれていたそうだが、親戚皆に囲まれて亡く
なるというのはとても幸せなことだと思うし、当人も奥さんも安心していられたのは往診
のおかげだろうと思う。
その後伺った一軒目のお宅は、小児麻痺を抱えた 30 代の男性だった。その男性の母親
が介護を続けているらしいが、母親もお年をめされていたためかなり体も辛そうにされて
いた。見学したときには特に体調に異常はなかったが、もしもこの方の母親が体調を崩し
介護できなくなってしまった場合、いったいどうなるのだろうと思うとむなしくなった。
次に伺ったお宅は、80 代の高齢者の方で、認知症を患い、勝手に外に出てしまうこと
を防ぐため娘さんが仕事で出ている間、夏だというのに窓を閉め切った状態だった。その
ためか、この方は血圧が低く、軽い熱中症状態だった。一人で介護する家庭では仕方ない
ともいえるが、もしも重度の熱中症にかかってしまったら、と考えると難しい問題だと感
じた。
◇まとめ
この一日は、外来見学・病院見学・そして往診見学と様々な体験が出来、非常に濃い
一日となった。これほど医療に密着して見学できる一日は、夏・春活動では体験できない
のでは、と思う。忙しい中いろいろなお話や解説をしてくださり、見学にもつかせていた
だいた長先生、水本先生、小池先生をはじめとする駅診療所の職員の方々には厚く御礼申
し上げたい。
JR小海駅からバスで約 20 分行ったところにある南相木村診療所で、佐久総合病院地域ケ
ア科の色平哲郎先生につかせていただいて研修をした。この診療所はすぐ隣に保育園があ
るものの、それ以外は民家が点々とあるだけで、周りを畑と山に囲まれたまさに自然の中
にポツリと存在する診療所であった。
2日目
◇活動内容 … 色平先生からのお話・機織りで有名なちづさんのお宅を訪問
診療所に到着してしばらくすると色平先生も到着され、色平先生を取り上げたラジオ
の録音を聞かせてもらった。そのラジオ番組では先生の経歴や活動、そして地域医療につ
6
7. いて 10 分弱取り上げていた。その後、先生から 30 分ほどお話を伺った。まず、ラジオに
ついて、この番組は尐し誇張しており、メディアリテラシー(メディアの情報を識別・評
価する能力)を身につけることが必要だとおっしゃっていた。次に、care と cure の言葉に
ついて教えてもらった。care,cure の語源はラテン語の“クーラ”=「憂い」であり、
「他人
のクーラを自分が引き受ける」という概念が care.cure にはあるとのことだ。ちなみに、ク
ーラの反対語は“セクーラ”であり、これが語源になって secure(つまり、他人の憂いを
寄せ付けないように自分を守る)という言葉が出来た。
お話の後、実は先生はその日講演に行かなければならないために、先生に付いて研修
することが出来ず、診療所から尐し離れたところにある、機織りで有名なちづさんという
方のお宅に連れて行ってもらった。先生のところに研修に行った学生は必ずちづさんのお
宅にお邪魔するとのことで、家には今まで来た学生達の写真や送られてきた葉書などがた
くさんあった。ちづさんのお宅では、機織りを見せてもらい、自分でも機織りにチャレン
ジしてみたり、ちづさんとご飯を食べながらお話をしたりと、平和な時間を過ごした。
◇感想
先生の往診についていくことが出来ず非常に残念ではあったが、先生からお話を聞け
るだけでも貴重な体験になったと思う。先生からいただいた講演会のスクリプトには、「リ
アルな感覚を持つには『ぶつかりの体験』が必要」と書いてあった。確かに、日本という
衛生的で医療設備も充実している、いわばぬるま湯にどっぷりと浸かっているままでは、
医療のありがたみなど分かるはずもなく、一度衛生状態の悪い国に行ってみて下痢でもし
たほうが自分の見聞も広まるし、何より違った見方で日本の医療を見られると思った。
その後うかがったちづさんは、とにかく元気な方だった。初対面の私たちを笑顔で迎
え、気さくに話しかけてくださり、まるで自分のおばあちゃんと話しているような懐かし
い気持ちになった。そして何より、ちづさんは元気であると感じた。機織りにしてもそう
だし、畑に収穫に行った時は、男の自分でも思いと感じるような大きなスイカをちづさん
は軽く持ち上げていて驚いた。
◇まとめ
今後医療に従事する者として、医療を提供する側のみならず、医療を提供される側の
立場になって考えることは非常に重要なことだと思う。そしてこの点で今回、予想外のハ
プニングがあったものの、地元の方の生活を垣間見ることが出来てとてもよい経験になっ
たと思う。お忙しい中私達を受け入れ、お話をしてくださった色平先生、そして私たちを
暖かくもてなしていただいたちづさんには、ただただ感謝するばかりである。
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8. 佐久活動で学んだこと
医学部1年 中村 匠
長野県佐久地域で、佐久総合病院やその管轄の病院が行っている訪問診療、訪問看護
などを体験することで、地方の医療の現実や、佐久総合病院が主となり整備を進めている
地域医療を学び、今日本の地域医療が直面している問題の解決策を考える活動である。
◇活動内容…ガイダンス・訪問診療(小海)
・訪問看護(小海)・訪問看護(八千穂)・反省
会
まず初日は、佐久総合病院でガイダンスを受ける。ここで、佐久総合病院が行ってい
る地域医療の概略を説明していただいた。また、佐久総合病院内を案内してもらい、スペ
シャリスト(外科の手術など)分野での佐久総合病院の機能を学んだ。
二日目からは、班ごとに分かれて実際に訪問診療などを体験することで身をもって佐
久地域での地域医療を学び、その優れている点、改善すべき点を学んだ。私は、二日目午
前は水本先生の小海地域での訪問診療に同行し、二日目午後は看護師さんの小海地域での
訪問看護に同行した。三日目は、午前は看護師さんと、午後はケアマネージャーさんと一
緒に八千穂地域での訪問看護をまわった。
最終日は、長先生とともに全員で活動全体の反省会を行い、またその時にゼネラリスト
(診療所や訪問診療など)の立場から見た地域医療についての話をしていただいた。
◇感想
佐久地域での医療活動は、自分が今まで見たこともないようなことばかりで、非常に
驚いた。私は、子供のころから比較的都会といわれるところに住んできて、病気になれば
歩いて行けるくらいの距離にある病院に行き、そこで診察してもらい薬を飲む。そういう
生活を送ってきたので、近くに病院がない、そのため医師や看護師が患者の家まで行って
診察を行うというような行為を見たことが無かったからである。
そして、二日目、三日目と実際に訪問診療や訪問看護に同行させていただいて一番大
変だと思ったのが、患者の家での診察や看護では医師や看護師はアウェーで戦わなければ
いけないということである。例えば訪問診療の場合では、普段の病院での診察ならば患者
は自分でどこが痛いかなどの病状を伝えられる状態で来るし、それが無理な場合でも代わ
りに説明できる者がいる。しかし、訪問診療では訪問した際に患者の家族が外出中であり、
また患者は言語障害があるため自分の病状を伝えられず、診察に非常に苦労することもあ
る。しかも、病院とは違い十分な検査器具もない。このような状況で正確な診断を下すに
は、医師自身がいつも以上に患者を観察し、尐しの異変も見逃さないことが重要になる。
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10. 【氏名:長沼 由佳・看護医療学部1年】
今回は川上村の訪問看護と小海の老健で活動をしました。
◇活動内容 …
川上村の訪問看護:訪問看護の看護師さんと同行し、5件ほど患者さんのお宅に訪問。
そこで患者さんや家族の方とお話をしたり、行き帰りの車内で看護師さんと村のことや患
者さんのことを話しました。訪問前後に訪問看護ステーションにて患者さんの看護計画書
や訪問看護記録、疾病や処方されている薬などの情報を見せていただきました。また空い
た時間には施設の見学をさせていただきました。一日の終わりにケアマネージャーや診療
所の看護師、デイサービスの方など様々な役職の方が集まって情報交換するカンファレン
スに参加し、各役職同士の連携の様子を拝見しました。
小海の老健:まず初めに職員さんと共にデイケアの利用者さんを6人程迎えに行きまし
た。その車内で職員さんや利用者さんとお話を伺いました。老健に到着すると利用者さん
を広間へ連れて行き引き続きお話をしました。その後利用者さんの衣服の着脱を手伝う入
浴介助を行いました。また入浴後の利用者さんの髪をドライヤーで乾かしました。昼食の
時間には昼食の配膳や食事の介助をさせていただきました。私が訪問した日はちょうど迎
え盆の日だったため、利用者さんの一部を玄関先まで誘導して一緒に迎え盆をしました。
最後に一日お世話になった利用者さんを職員の方と共に家まで送り届けました。
◇感想
2日間の活動を通して患者さんや利用者さんにとって家族の存在が大切なものだと思
いました。例えば家族のバックアップがしっかりしていたり、家族が本人のことを気にか
けているかによって利用者さんや患者さんの環境が大きく変わると思いました。また精神
的にも及ぼす影響が大きいと感じました。施設では固い表情だった利用者さんが家に着い
て落ち着いた瞬間、表情が和らいだり言葉を交わすようになったことより、やはり住み慣
れた環境が一番いいのかなと思いました。
また看護師だけでなく医療事務やケアマネージャー、医師やデイケアの職員の方々が患
者さんに関わることで多方面から本人や家族を支えることができると感じました。それだ
けではなく患者さんの状態が変化するにつれて主に利用する施設が変わる際に、施設間で
の引き継ぎが円滑になされると思います。その点で佐久地域の医療体制は優れていると思
いました。
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13. たように感じた。在宅での看護には家族の協力が必要なのだと改めて実感した。
また、訪問看護では、利用者の家族関係や生活など、利用者の全体像を把握すること
が非常に重要なことであると学んだ。訪問看護師が利用者の家族関係からその人の人
格まで、把握しており、病棟の看護師以上に、利用者のことを理解し、一歩踏み込ん
だ看護をしていることが印象に残っている。更に、訪問看護は24時間体制で行って
おり、家族の相談も快くのっていることから、家族にとっても訪問看護師は心強い存
在であることを知った。利用者だけでなくその家族との信頼関係を築くことも大切な
ことなのだと思った。
今回、初めて「ヘルシーパークかわかみ」で実習して、訪問看護、デイサービス、ヘ
ルパー、宅老所、診療所、地域包括支援センター、居宅が一括している施設を初めて
見学することができ感動した。一括していて連携しやすく効率的な施設だと感じた。
毎日の連絡会も重視しており、今日の利用者の様子、変化などをメモでのやり取りで
はなく実際に報告でき、話し合うことができることで、それぞれ次の日の看護やケア
により生かすことができているのだと感じた。
○まとめ
訪問看護の実際やさまざまな職種が一括して連携し合っている施設を見学すること
ができ、たった1日という短い実習でしたが、学びは大きかった。今回の実習で学ん
だこと、感じたことを、今後の看護に生かしていきたい。
忙しい中、「ヘルシーパークかわかみ」さんが学びの場を提供してくださったおかげ
で、多くのことを学び、それを将来の自分に生かしていこうと思うことができました。
1日、ありがとうございました。
看護医療学部2年 岡井芙喜子
佐久総合病院産婦人科病棟で実習させていただきました。
○活動内容
看護師についての実習、妊婦の状態確認、新生児のおむつ交換、授乳援助、分娩の見学
妊婦の状態確認は機械やレオポルド触診法を使い、陣痛の有無や胎児の心拍、位置な
どに異常はないか観察していた。新生児のおむつ交換では、泣いている新生児をあや
しながら、また、黄疸の様子を観察しながら素早く行っていた。授乳の援助では、う
まく母乳が出せなかったり、新生児の口に乳頭がうまくフィットしていなかったりす
る母親にアドバイスをしてしっかり授乳が行えるようにしていた。分娩の見学では、
実際の分娩やその後のケアや処置を見ることができた。
○感想
今回、初めて産婦人科での実習をさせていただき、産婦人科では具体的にどのような
看護がなされているのか学ぶことができた。何を見学するにもすべてが初めてのこと
ばかりで、とても勉強になった。また、坐学で学んだことを実際の現場で実践したり
13
14. 確認したりできて理解が深まった。
特に印象に残っているのは、分娩である。初めて分娩を見て、生命が誕生する時間に
立ち会うという非常に貴重な体験をすることができ、感動した。一生忘れられない経
験をすることができた。
また、理想と現実について痛感した。私は、学校で母子同室のメリットを習い、母子
同室を勧めていくべきだと自分なりに考えていた。佐久総合病院でもおそらく母子同
室であると期待して行ったが、実際は母子別室であり、残念に思った。看護師から、
母子同室が理想的であるが、場所が狭いなどの理由により母子同室にできないのが現
実である、と伺い、医療の場で理想を現実に生かすことの難しさについて思い知った。
産婦人科の地域性についてだが、私にとって病棟のことが新鮮過ぎて地域性について
多くの学びを得ることができなかった。これが私の一番の反省点である。そんな中で
も、お産をしてくれる産婦人科の減尐で妊婦のたらい回しが問題となっていることに
ついてお話を伺ったところ、佐久総合病院では断らずすべての妊婦を受け入れている
と教えてくださった。産婦人科の減尐により産婦人科の病棟に収まり切れないほどの
妊婦が入院したこともあったというエピソードより、地域の人々にとってこの病院が
最後の砦となっていること、地域の中核となっていることを改めて実感した。どんな
に忙しくても地域内の困っている人を助けようとする精神を強く感じた実習となった。
○まとめ
産婦人科の減尐に伴い、入院してくる妊婦が増えてきても受け入れを拒否せず、看護
する、という佐久総合病院の素晴らしい一面を見ることができ、勉強になった。
忙しい中、佐久総合病院産婦人科が学びの場を提供してくださったおかげでたくさん
のことを学び、将来進みたい道を見つける糧となりました。ありがとうございました。
【芝田 友紀・看2】
「南相木村に行ってみて」
活動2日目に、南相木村に行かせていただきました。南相木村は、道を尋ねると優し
く教えていただいたり、挨拶をしてくださったり、温かい雰囲気の方々が多い印象を受け
ました。
◇活動内容 … 色平先生の紹介(ラジオを聞いたり、おすすめの文献を読む)、色平先生の
お話を伺う、ちづさんの家に訪問する。
色平先生が紹介されているラジオを聞かせていただきました。おすすめの文献(ヘル
14
16. 移動している時から景色に見入ってしまいました。福祉施設の充実しているところや、連
携の素晴らしさなど、見習うべきところがたくさんありました。
◇活動内容 … ヘルシーパーク全体の見学、デイサービスの見学、訪問看護の見学、報告会
への参加
ヘルシーパーク全体の案内をしていただき、訪問看護の時間が来るまで、デイサービ
スの見学をさせていただきました。見学中、利用者さんの体温と血圧を測らせていただき
ました。訪問看護の時間になり、午前中に2人、午後に1人の患者の訪問看護に同行させ
ていただきました。午後の訪問看護が終わり、看護師さんのお話をうかがい、訪問看護・
デイサービス・ヘルパー・診療所などの担当者が集まる報告会にも参加させていただきま
した。
◇感想
デイサービスでは、初めて利用者さんの血圧を測らせていただき、緊張しました。朝
のバイタルによって、その利用者さんが入浴できるかどうかなどが判断されるため、責任
を持って行わなければいけないのだと感じました。
訪問看護では、3人の患者のところに同行させていただきました。訪問看護は、その
場で判断することが数多くあります。それだけ責任の重い仕事なのだと分かりました。ま
た、この時期はレタスの収穫時期なので、家族が農作業に行ってしまい、普段は自宅で生
活していても、この時期だけ施設に入所される方が多いのだと分かりました。学校の授業
では、医療従事者の分業が大切だと学びましたが、訪問看護の看護師は「看護師は何でも
屋さんだ」とおっしゃって、実際の現場では難しいことも分かりました。診療所・訪問看
護・デイサービスの連携が取れているので、私は、デイサービスの送迎車でデイサービス
に来て、そのまま診療も受けることができるのだと思っていました。そうすれば、自力で
診療所に行くことが難しい利用者さんも受診することができるからです。しかし、そのよ
うなことはしないと訪問看護の看護師がおっしゃっていました。過剰なサービスは本来看
るべき家族が役割を放置してしまう可能性につながるからです。どこからが過剰になるの
かが難しいと思いました。
都会は便利だけれど、福祉の連携が薄いように感じます。暮らしている人の数が多い
ので、連携を取り、把握することは不可能に近いと思います。川上村では、最後の報告会
で、「○○さんが今日は××でした。」と言うだけで、誰のことか把握し、対策を立ててい
ました。都会で暮らすのがいいのか、川上村のように福祉施設が充実しているところがい
いのか、どちらにも善し悪しがあり、結論を出すのが難しく出ませんでした。
◇まとめ
疑問を抱いてすぐに質問でき、多くのことを学ぶことができました。また、川上村の
16
17. きれいな空気・自然に触れ、元気をもらうことができました。福祉の連携についてどこか
らが過剰な福祉になってしまうのかなど、今回難しいと感じた点を考えながら、過ごして
いきたいと思います。ありがとうございました。
「全体の感想」
初めての佐久活動に参加して、夏活動とは違うものが見られて勉強になりました。地
域医療のことは、今まであまり知らなかったので、今回の活動を通して、興味を持つこと
ができました。これから学校の授業でも、学んでいきたいと思います。
佐久地域は、高齢化率が高く、これからの日本の姿を先取りしていると考えると、最
先端の医療と言えると思います。そのため、もっと見たいことがたくさんあったので、こ
れからも継続して参加していきたいと思いました。
長先生を初め、佐久地域の方々には大変お世話になりました。ありがとうございまし
た。
【中園 紗希子・看 2】
老人保健施設 小海
小海訪問看護ステーション
◇感想
老人保健施設、小海では、ほかの老人保健施設と異なる点が多々あり、とても面白い
発見ができた。例えば、通常の平均滞在日数が 1 か月のところを、小海では約 6.5 日であっ
たり、ベッドに空きがなくても緊急受入れが可能なことなどである。これらは、地域住民
同士のつながりが強く互いに助け合おうとする精神が根付いている地域だからできたこと
かもしれないが、やはり、利用者さんが在宅になっても援助体制が十分整っていることも
大きな理由の一つだと思う。今回、訪問看護ステーションでの活動の際に、A さん宅へ訪問
入浴をさせていただく機会があった。その際に一緒に訪問入浴を行ったのが社会福祉協議
会の方たちだった。その他にも、老人保健施設の中では、分院から来られた医師もいらっ
しゃったりと、普通、分離されてそれぞれ独自のサービス提供を行っている機関が、とて
も強く結び付いていて、それによりサポート体制がしっかり成り立っているのだと思う。
今回私は事前の希望調査で、佐久の病院での活動を希望していた。それは、看護師になる
のだから、医療現場を見て、看護実践を学ぶべきと考えてたからだ。でも、老人保健施設
小海では、医師、看護師、ケアワーカーさんもみな同じ服装をしていて、職種に関係なく
自分のできる範囲のことはやっていると知り、今まで自分が看護師になるのだから看護だ
けに気持ちが集中してしまっていたのかもしれないと考えさせられた。これからは、一対
17
22. ものと同じくらい重要なことだと思う。この話についてこれ以上この場で議論するのは私
の領分ではないが、この考えに至った時、先の課題に解決の兆しが見えてきたように思え
た。
「佐久病院開設以来、貫かれてきた医療の理念を習得すること」。これでは目標として漠
然に過ぎる。では、
「その理念を習得し、将来自分が如何にその理念を活かし、その理念を
以てどのような医療を行うのか、その答えを見つけること」。これならばどうであろうか。
当初考えていた具体性とは異なるものの、これもある意味具体化であり、目指す目標とし
て安定感が飛躍的に増したように思えた。偶然ではあるが、これは私たち医事振興会が創
設当初から掲げる、
「活動で得たものを、ゆくゆくは何らかの形で社会に還元すること」と
いう理念にも通ずるところがあった。もちろんこの目標は一度や二度の活動で達成できる
ようなものではないであろう。今後活動を継続していき、目標に向かって最大限努力した
結果として達成できればよいと考えている。そのほうが自分の性分に合っているし、目標
とは本来そのようなものであろうと思う。
このような経緯を経て、私は佐久活動の目標を設定することができた。結論のみ見れば
誰でも思いつくような陳腐な目標に見えるかもしれないが、重要なことは私が昨年の二度
の活動において佐久の医療に直に触れ、長先生をはじめとする佐久の最前線で活躍するさ
まざまなスタッフの方々と触れ合う中で佐久の歴史や現状を知り、そのうえで、上述した
ような思考の結果としてこの目標を見出したことだと思う。だからこそ他の全てに優先し
て、この経緯を活動報告書に記したのである。
この目標を持って臨んだ三度目の活動は、非常に実りの多いものであった。今回は初め
て佐久本院での実習を行わせて頂き、佐久の先端医療を肌で感じるとともに、その対極と
しての村での医療の重要性も学んだ。両者が如何に連絡を取って医療を行っているのかも
学ばせて頂いた。また、小海の訪問医療では、医師や看護師が直接お宅まで訪問し、お宅
に上がって医療を行う在宅医療の重要性を確認することができた。長先生からこれらの学
びに対する理論的なフィードバックも頂いた。特に今回は、専門化された先端医療と、村
で行う在宅医療という二つの視点から両者を眺めることができたという点が重要であった
と思う。また、今回の活動では、昨年の活動で学んだことを再確認するという場面が多々
あった。このようなことの中には、昨年一年生のときに、先入観を持たずに我武者羅に学
んだからこそ得られた学びもあったであろうと思う。その意味で昨年無我夢中に活動した
意義を実感できたと言える。それでは今回、目標を持って活動に臨んだことによって新た
に得られたことはなんであろうか。それは、今まで学んできたこと、今回新たに学んだこ
とが、独立した一つの知識ではなく、目標を達成するための掛け替えのないピースとして
得られたことであろうと思う。各医療職間の連携の重要性、本院と診療所との連携の意義、
在宅医療の本質、これまでの三度の活動で学んだことは数え上げればきりがなく、それぞ
れが非常に重要な医療の知識の一つであるが、これらを独立した知識として扱っていては
それぞれが持つ医療的な重要性を十分に発揮することができないように思える。このよう
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26. 今回、8 月 11 日~15 日に小海などで活動。初日に、佐久総合病院の全体の説明。2 日
目に訪問看護と往診に、3 日目に川上の診療所、4 日目に長先生に教えを請い、勉強させて
頂いた。佐久での活動は 2 回目であり、初回時は訪問看護と訪問診療に付き添わせていた
だいた。
先ず、初日の佐久総合病院に説明では病院スタッフの方々の強い熱意を感じることが出来
た。地域医療という理想について歴史とともに詳細に教えて頂いた。その内容について全
てを理解出来たとは思わないが、その熱意やその理想について尐しでも触れることが出来、
私自身も強く感銘を受けた。
先生は様々な問いにも直截的にこたえて下さった。
「農民と共に」
この事が最初から与えられていたヒントであり、答えであった。
二日目、訪問看護と訪問診療は 2 度目であり「無計画でなく、計画的に学習しよう」と心
に決めていた。
共同体の中に訪れる異物である、私がどのようにして入れるか。
恥じらってはいけない。
こちらから踏み込みすぎてもいけない。
単に愉しい話だけではいけない。
相手の事を慮らなくてはいけない。
前回の反省を生かして、出来るだけ相手の立場を考えて相手と同等になる。言葉が過った。
「農民と共に」
訪問診療では、バイタルを測らせていただいた。SPO2 や、血圧などの機器は思ったよりも
重く、その意味を知るには及ばなかった。
「for じゃなくて with って考えに共感出来たんだよね」
付き添わせて頂いた先生はそうおっしゃっていた。
訪問診療/看護の終わりに長先生とお話させて頂いた。
「他の地域に佐久をモデルとして同じようなシステム作りたいのか、地区それぞれに合っ
たシステムを作るために佐久の作り方のアルゴリズムを真似るのか」
医療者として政治にはそこまで興味を持っていなかったが、それではいけないと思った。
それは、単に上に立ちその人の事を考えるのではない。その地域の立場になれば否忚なく
来る問題なのだろう。長先生は長先生のやり方で先に進まれていた。
「農民と共に」
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30. ○おわりに ~活動を終えて~
本活動に参加することにより、私たちは地域医療の特徴や地域医療らしさや特長を
重々感じることができました。また、小海町、川上村、佐久市という今回の私たちの活動
地は、地域の連携や、医療職の連携がとても分かりやすい地域であったように思います。
そのおかげで、よりいっそう地域医療の現状が見やすい場を提供していただけたのではな
いかと考えています。活動した者はもちろん、本活動に参加できなかったメンバーも含め、
本会の意向としてもまた機会を見つけ、人数に限りはあると思いますが、ぜひ活動させて
いただきたく思っております。また、可能であれば今回とは異なる時期にも訪れ、佐久地
域を多面的に見つめることで、よりいっそう深い地域医療の様子の理解や経験につなげる
ことができればと考えております。そして、この活動で感じ考えたことを、いつか各々の
形で己の目指す目標に生かしていきたいと思っております。
学生の身分でありながら、誠に勝手な希望や今後のことなど、各々の意見を述べさせ
ていただきました。ただ、医療についての己の思考をめぐらす上で今回のような活動は、
私たちに非常に大きな意義をもたらしてくれたことは、活動メンバー全員が一致して感じ
ていることであります。今回このようなチャンスを与えて頂いたこと、また、このように
感じさせてくれた、この活動で出会った多くの方にとても感謝しています。
活動運営の準備から活動中、活動後も含め、ご協力いただいた方々に、いま一度厚く
御礼申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。
慶應義塾大学医事振興会
2009年度活動代表 田沢 雄基
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