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発表日:2015/08/22 並木宜史 
クルド問題の基本 
隠れた中東問題再考 
 
はじめに 
 
今日クルド人はダーイシュの拡大に対処しうる力として、また最近のHDPの躍進に見られ
るようなトルコ政界に新風をもたらす存在として、新たに注目されている。クルド人に関す
る報道は断片的であり、イスラームと比べても一般的な解説は少ない。特に中韓以外の政府
には甘い日本の報道環境ではトルコが親日的であることからもトルコ政府に反抗的なクルド
人は否定的に報道されることが多い。人口も多くまた数多くの中東の国際関係のなかで大き
な役割を果たしてきたことから大きな転機を迎える今日の中東事情を理解する上ではクルド
への理解は欠かせない。本稿はクルド問題の歴史的経緯の解説を通じてクルド問題理解のた
めの国際関係、基本用語の理解を目的とする。しかしクルド問題は普通の少数民族問題の範
疇では捉えることが難しい。そこで基本的な歴史的事項だけでなくクルド人が自己のアイデ
ンテティを主張することにいかなる意味があるのかということを、クルド社会の構造特に階
級関係から理解していくという視点も盛り込んでいる。 
 
基本データ 
 
クルド人はよく民族国家を持たない世界最大の少数民族と言われる。彼らは主にトルコ、イ
ラク、イラン、シリアの四カ国に居住し、それぞれの国でマイノリティとなっている。クル
ド人の分布が数カ国に及んでいることもありクルド人の人口統計のうちで正確なものはない
ものの、大体2500万人から3000万人に及ぶ人口を持っていると言われる。彼らはの人種系
統は人類学の分類的にはインド・アーリア系に属するとされている。トルコの政府及び御用
学者はクルド人を「山岳トルコ人」であると主張しているが、クルド人はトルコ・チェルケ
ス系に属してはいない。また言語に関してもいくつか方言が存在するが、代表的なクルマン
ジー語をはじめいずれも印欧語系である。宗派人口分派に関してはスンニ派ムスリムが多数
であり、全ムスリム人口と同じくシーア派ムスリムは少数である。またスーフィズムも浸透
していてそれが歴史的に大きな役割を果たしたこともある。またその他に輪廻転生的な教義
をもちダーイシュから「タクフィール」(逸脱者)として特に激しい攻撃対象にされるヤジー
ディのような、イスラームとは異なる宗教の信徒も存在する。一般的に言ってクルド問題の
理解において宗派が鍵になることは少ないと言える。クルド社会は他の中東社会と同じく女
性蔑ろにされてきた。しかしPKKは女性が運動に加わることによる急進化作用を重視し、女
性の活動が幅広く認める努力を重ねてきた。そのような背景もあってかPKKやPYDの女性
部隊のように独立運動には現在も多くの女性が関わっている。イスラーム原理主義者の影響
も少ない今ではチャドルやへジャブ等を着用せずに髪を露わにしている者も多い。エスニッ
クカラーは赤・緑・黄色であり、汎アラブ旗の赤・白・黒に対して独自性がある。 
 
 
1 
クルド前史 
 
最古のクルド人からムスリム化まで 
歴史上最古のクルド人に関する記録は古代ギリシア人クセノフォンの有名な小アジアからの
撤退劇「アナバシス」に登場するとされている。ペルシャの王位を狙う王子キュロスに雇わ
れたクセノフォン率いるギリシア人傭兵達はキュロスの死により目的を失い故地ギリシアを
目指していたが、途中カルドゥチョイ族と呼ばれる野蛮な山岳部族と交戦し損害を負った。
このカルドゥチョイ族が現在のクルド人の祖先にあたる部族ではないかという説がある。ク
ルド人自身はアッシリアを滅ぼしたメディア王国のメデ人の子孫だと思っている人が多い。
クルド人は7世紀には拡大するイスラームと出会い、そして抵抗を経ながらムスリム化され
ていった。11世紀にセルジューク朝を建てたトゥグリル・ベクは「クルディスタン」とい
う言葉を使用し、オスマン帝国のセリムやスレイマンも常にクルドと手を組んだりしながら
その存在に一目置いていたと言われている。*1十字軍から聖地エルサレムを奪還したのイス
ラームの英雄サラディンの出自はクルド系であると言われている。 
 
オスマン帝国時代 
オスマン帝国の時代になると現在のクルド人にあたる多くの部族はオスマン帝国の支配下に
入り、一部はイランのサファビー朝の支配下に入った。この時セリムとイスマイールに結ば
れたカスリーシーリーン条約は最初のクルディスタン分割であると言われる。オスマン帝国
は容易に手懐けることができないクルド人に対して土地所有の権利を利用した封建的分断支
配を行った。それは「パシャリク」という土地所有が可能になる称号を同一部族内の一方の
勢力に与えもう一方には与えないというものである。オスマン帝国は18世紀以降財政的苦
難から徴税権を地方の有力者に切り売りするイルティザーム制を徐々に施行し実質的な土地
の私有を認めていった。オスマン帝国は帝国各地において部族社会の共有財産であった土地
を部族長の私有財産とする土地証書を交付していき、多くの部族民は地主たる部族長に経済
的に隷属する小作人となっていった。クルディスタンにおいてはこれまでのシェイヒ(部族
長)以外に新たにアー、アガと呼ばれる地主層が誕生し部族民は小作人に転落した。そして
共有財産制に基づく伝統的な部族社会は崩壊に向かっていった。これに加え帝国主義の侵入
によって、これまでの狭隘な部族意識に代わる「クルド人」というより広い民族意識が生ま
れるようになっていった。 
 
二つの世界大戦とクルド人 
・新生トルコ独立に貢献したクルド人 
第一次世界大戦はトルコが中央同盟国に参加したことにより中東地域も戦争に巻き込まれる
ことになる。そして戦中戦後においてクルディスタンもオスマン帝国とそれに対峙する英露
の協商勢力の動きに翻弄される。クルド人騎馬部隊がアルメニア人虐殺に関与した背景には
ロシアがアルメニア人に反乱を焚きつけたことに一因があり、またイラクにおいていわゆる
3州が成立した時も英の石油利権に関する目論見からクルディスタンが独立した州にならな
かったのは僅かな例である。オスマン帝国はセーブル条約の時点ではレバント、イラク、湾
岸地域は勿論のことアナトリアまでもが列国に分割されることになっていた。イスタンブー
ル政府に反対するアンカラのケマルは条約を実力で変更することを考えたが、アナトリアに
侵攻したギリシャ軍が立ち塞がった。アンカラのケマルは苦境を脱するためアナトリアのク
ルド人に独立をちらつかせ、クルド人は独立を目指してケマルに協力しギリシャ軍の駆逐に
大きな役割を果たした。しかしローザンヌ条約が締結され新生トルコ国家の基礎が固まると
ケマルは約束を反故にした。 
2 
 
 
・マハーバード共和国建国 
第二次大戦後イランでは英国の力が後退しそれをソ連が埋める形になった。そこでソ連は大
油田バクーを狙ってイラン北部をイランから切り離すためにアゼルバイジャン共和国を成立
させたが、実は同時期に力の空白に乗じてクルド人自身による史上初のクルディスタン国家
であるマハバード共和国も成立していたということは見落とされがちである。石油に関する
幾つかの陰謀論があるもののソ連はマハバード共和国を支持した。マハバード共和国建国ま
でイランではレザーシャーによって民族衣装の着用は禁じられクルド人としてのアイデン
ティティを表明することは不可能だった。そのような状況下のイランではコマラ(クルディ
スタン復興委員会)という都市のクルド人青年層による文化協会的組織があり、ソ連が「革
命的勢力」として利用を見込んでいた。コマラは1944年には政治組織としての活動を広げ
るために在地の部族長層を加え始め、その中にマハバード共和国の大統領となるカジ・モハ
ンマドもいた。カジが結果的に主導権を握ったのはソ連が彼を子飼にしやすかったからとい
う見方もあるが。しかしより歴史的に考察するならばクルド人が単なる仲間内の討論会の運
営を超えて独立を目指す政治勢力として変化するために、結果的にあの段階ではまだクルド
地域で支配的だった部族勢力の頭目を頭に戴くことが必要だったのだろう。コマラを新たに
牛耳ることになった部族長中心の支配層はソ連と協議をし、党名を「クルド民主党(KDP)」
にすれば武器と資金を与えるという提案も受けた。その後提案を受け入れたクルド側はソ連
から武器の支援を実行され、またイラクから追われた精強な戦士集団のバルザニ一派がイラ
ン入りしマハバード共和国に協力するという幸運にも見舞われた。そして1946年マハバー
ド共和国の建国が宣言され、クルド語の使用と教育や民族衣装の着用の自由を一時的に謳歌
することになった。史上初のクルディスタン国家という歴史的名声に対し、クルディスタン
国家としてやっていくための基盤作りはお粗末だったといわざるを得ない。部族に頼らない
軍隊の建設にはある程度成果を挙げたが、中東各地で課題となっていた土地改革は殆ど実施
されることはなかった。ソ連とイランの石油採掘権に関する妥協が成立するとソ連はイラン
への民族運動への協力を取りやめイラン軍の進駐によって共和国は崩壊した。 
 
各国のクルド人問題 
 
トルコ 
・クルド人の存在の全否定 
トルコには全クルド人の中で最も多い人数が住み、またトルコはクルド人の権利獲得のため
に長く急進的な闘いが続けられてきたクルド運動を理解する上で最も重要な国である。トル
コは第一次世界大戦時のアルメニア人虐殺*に見られるように、チェルケス系以外のマイノ
リティに対して厳しいトルコ化を要求し容れられない場合激しい弾圧を行う国家である。ト
ルコ政府及び支配層は特に東部において強力な勢力をもつクルド人を敵視している。トルコ
政府はクルド人を「山岳トルコ人」と呼び、公式的にその存在を否定してきた。そして殆ど
の報道機関、学術機関はこの見解に追従した報道、研究を行っている。 
 
・PKK 
トルコ・クルディスタンにおける代表的な政治勢力はクルディスタン労働者党(PKK)であ
る。彼らは武装闘争を厭わず多くの支持者をもちトルコ政府が最も恐れている存在である。 
3 
PKKはマルクス・レーニン主義を掲げクルド人内部の封建的階級に対する貧農、労働者の階
級闘争を基盤にして多くのクルド人の支持を集めている。まったく不合理なイスラーム系テ
ロ組織でさえもそれが成立する理由があるが、PKKにはそれ以上に大きな存立の基盤がある
ことを忘れてはならない。そうでなければ数万のゲリラを集めジリ貧の状態の中で何十年も
続けることはできなかった。トルコ政府の見解を垂れ流す日本の報道機関は彼らを「武装勢
力」とか「テロ組織」と呼ぶことが多いが、彼らは武装闘争を目的としているのではなくあ
くまで政治的解決を望んでいる。トルコ政府は開発に全く積極的ではなく、それもあり彼ら
はクルド地域の封建勢力を支持するトルコ政府に反抗している。元大統領のオザールは現職
時代にクルド人の存在を認めクルド問題に政治的な決着をつけることに取り組んだものの軍
出身の首相の反対もありうまくいかなかった。クルド地域に軍事的圧力は軍関係者の政治力
維持と利益誘導にかなり役に立っている。そのために軍出身の実力者はクルド問題の平和的
な解決を求める政治家や政治勢力に圧力を加え、わざとPKKを挑発して「テロ行為」に及ば
せ軍の方針の正しさを示そうとする。 
 
・議会内勢力 
トルコのクルド運動というととにかくテロ、武装闘争が連想されるうが、議会内にもクルド
人としてのアイデンティティを表明しその権利拡大を目指す政治勢力が多数存在する。トル
コ政府は平和的な議会内勢力に対しても議員の投獄、政党の解散等実力行使を辞さない弾圧
的な対応をとってきた。クルド系政党は既成政党内にクルド人の政治的権利拡大のための僅
かな政治活動も認められないという制約から、クルド人としてアイデンティティを持つ議員
は独自の政党の立ち上げを行うようになった。そのきっかけとして1989年にパリで開かれ
た「国際クルド人会議」に左派系社会民主人民党から数人のクルド人議員が出席し、その後
同党から除名処分を受けるという事件がある。この事件はSHPからのクルド人議員の集団
離党騒動に発展して、結果的にこの一連の騒動が新たにクルド政党の人民労働党(HEP)結成
につながった。その後も民主党(DEP)、人民民主党(HADEP)、民主人民党(DEHAP)等の類似
した政党が誕生していった。クルド政党の設立と閉鎖は常に政府とのイタチごっこである。
クルド政党に政府は議員の不逮捕特権の剥奪や理由無しの閉鎖・解散の弾圧を加えるが、ク
ルド政党の関係者側も常にそれに備え新政党の設立を行う。トルコは議員が「クルド人とト
ルコ人の和解」といったソフトな内容の主張でも容赦なく政党の閉鎖、議員の投獄を行う国
である。その議会制民主主義を蔑ろにしていく姿勢は欧州各国からも非常に問題視されてお
りEU加盟の大きな障壁になっている。著名なクルド人女性国会議員レイラ・ザーナは投獄
や脅迫の弾圧を受け、悪名高い「DEP裁判」後サハロフ賞を受賞しノーベル平和賞候補に
もなった。武装闘争を主軸にする勢力と議会内での勢力拡大を求める勢力は対立的に見るべ
きではなく、両者は相互に補完しあっていると見るべきである。 
 
・対クルド政策 
トルコは独立運動の切り崩しのためにクルド人内部の封建制ないし部族制の残滓を利用して
いると言われる。その代表的な施策がキョイ・コルジュ(村落防衛隊)の創設である。これは
トルコ政府が金でクルド人の中からPKKと戦う兵を雇うという方法で、ハッカリのようにま
だシェイヒの勢力が強いところでは政府の意を受けたシェイヒが部族民を動員するというこ
とが可能になるのでこのような方策はクルド運動封じ込めにとても効果がある。というのも
クルド運動の敵の一つはクルド人内の封建勢力でもあるからである。クルド運動が盛んに
なってくるにつれトルコ政界ではマイノリティ運動のアイデンティティを切り崩すためにイ
スラーム系政党が伸びるようになっていった。これまでケマリスト達は「トルコ化」要求一
辺倒であったが、それが民族的抵抗に直面するとトルコ人・クルド人双方にマジョリティで
あるムスリムとしての意識に訴えクルド人意識の相対化を呼びかけるように支配層のやり口
4 
も変化した。この背後には米国の調査団によるトルコのマイノリティ支配にはムスリムとし
てのアイデンティティを利用していくべきという報告も後押ししている。**トルコのクルド
運動はクルド人内部におけるアー・アガ・シェイヒのような地主・部族有力者の封建的支配
者に対する小作人・無産者の階級闘争でもある。これらの封建的指導者は地域の宗教的リー
ダーでもあるので、イスラーム政党の勢力拡大は彼らを政治的に助けることになる。代表的
なイスラーム政党としては過去に福祉党があるが政権与党となった後軍の圧力により解党さ
せられた。福祉党の民族主義的傾向が強い党員が中心となって、イスラーム主義とトルコの
公式イデオロギーとのバランスをとって設立されたのが現在の政権与党公正発展党である。
トルコ政府はさらに汚い手も使っている。イスラーム原理主義的なテロリストを育成しクル
ド人に差し向けるという方法である。このテロリスト達はコントラまたはヒズボラと呼ば
れ、その名によって混同されるニカラグア・コントラ、レバノン・ヒズボラに劣らない卑劣
で残忍な集団である。彼らは運動家の拉致・殺害やヒズボラと軍・警察との関係を取材しよ
うとしたジャーナリストの暗殺を行っていたが、ある日突然アジトが警察によって襲撃され
メンバーの殺害生き残りの秘密裁判による処分等により闇に葬られた。ヒズボラへの告発が
増えてきたので彼らが政府の息のかかった組織という実態が公になる前に政府が先に彼らを
切り捨てたのであった。 
 
イラク 
・バルザニとKDP 
イラクのクルド運動はムッラー・ムスタファ・バルザニとマスード・バルザニ親子のゲリラ
闘争における伝説的活躍を中心に語られることが多い。そしてまたバルザニ一派とタラバニ
一派の対立のコントラストがある。今KDPといえばバルザニというイメージがあり、実際
KDPの礎石となったのはマハバード共和国に参加したバルザニ一派がイラン・KDPからイ
ラク・クルディスタンに持ち帰った組織であった。バルザニ一派はカーシムがクーデタを起
こしたと知るとイラクに帰国し、カーシムもバルザニをKDPの指導者になることを提案し
クルディスタン統治に利用しようとした。バルザニ一派は部族的な要素が非常に色濃いが、
クルド人の部族勢力の中では大土地所有に基づいた支配関係を基盤にしていないという特殊
性がある。まずバルザニ一族はシェイヒ、アー、アガのような地主層ではなく、またバルザ
ニ一族もそのような階級に隷属する存在ではない。そしてもちろんバルザニ配下の部族民は
バルザニ一族の小作人や隷農ではない。これは彼らがオスマン帝国の統治が及ばない山奥で
生計を営んでいたことに由来している。そのために部族民間の紐帯は強く、政府との戦闘で
は力を発揮しまた撤退においても粘り強く離散しにくい。バルザニはトルコのPKK指導者オ
ジャランと異なりクルド社会の積極的な改革には乗り気ではない。KDPはカーシム時代の
不十分な土地改革で土地を得た僅かな農民には権利を認めたがそれ以外のアガの勢力がある
地域では積極的な改革を行おうとはしない。 
 
・KDPの分裂とPUK 
1964年にこれまで戦闘を行ってきたアーレフの政府と対クルド強硬派が多いバース党急進
派を締め出すとバルザニは何の見返りもない停戦に応じた。これにはKDP書記長アフマド
やタラバニを中心にKDP党員の非難を呼び起こしたが、これに対しバルザニはKDP党員の
追放という暴挙で応えた。ジャラル・タラバーニはKDP内の重要人物であったが、1964年
の分裂騒動からバルザニによる党の私物化に嫌気が差しKDP去り75年にクルド愛国同盟
(PUK)を設立した。政治的方針に基づかない反乱や政府との安易な妥協、そしてなによりも
KDPの党員の多くが求める土地改革にバルザニが無理解なことが和解しがたい溝を生んだ
のだろう。当初イラクでは活動の余地がなかったが、シリアのアサドがイラクのバース党を
揺さぶるために基地を提供し後にスレイマーニヤに拠点を移した。バルザニの勢力を抑える
5 
ためにイラクの政権から利用されることが多かった。アーレフ(兄)を追放し権力を握ったバ
クルは僅かだか閣僚にクルド人を加え、彼らを上手くバルザニ派とタラバニ派で色分けし
た。サダムもイランイラク戦争の際に自治をちらつかせながら、イランに協力するバルザニ
牽制のための駒として使った。クルド勢力を使うことでサダムに揺さぶりをかけたい米はク
ルド勢力間の対立を望まず、バルザニ派とタラバニ派の争いに介入し両者をワシントン合意
にまでもっていった。 
 
・サダムの対クルド政策とクルド地域政府設立 
サダムはクルド人をイランや米の陰謀を遂行する反乱分子とみなし常に軍事的措置を中心に
した厳しい措置をとってきた。バース党に多い対クルド強硬派を上手くまとめ、また自分の
直接的な勢力下にない軍に任務を与え自身の政権維持のためにクルド問題を扱ってきたふし
もある。クルド人にサダムはクルド勢力の反乱時には容赦せず毒ガスを使うことも厭わな
い。***イランイラク戦争末期にはイランと協力する反乱地域を平定するという名目で、イ
ラク軍によるクルド人村落への毒ガス攻撃である有名なハラブジャ事件が起きている。湾岸
戦争後連合軍はサダムを背後から牽制する存在としてクルド人の自治拡大をサダムに認めさ
せクルド地域政府が設立されイラク・クルディスタンにはかなり高度な自治が許された。 
 
シリア 
シリアのクルド人はトルコほど激しいものではないにしろアサド政権による同化政策を強要
されてきた。他のクルド人居住国と同様シリアにおいてもクルド人は政権によって差別的な
扱いを受けてきた。よくあるアラブ系住民に対しての戸籍上の差別は生活に不安をもたらし
不満は溜まるであろうが、それよりクルド人にとって許しがたかったのはアラブ化政策では
ないだろうか。この同化政策は「アラブ・ベルト構想」と呼ばれ、1960年代後半から70年
代後半まで続いた。具体的な内容は一部地域からのクルド人農民の追放とアラブ人農民の入
植、クルド起源の市名のアラビア語名への変更、一部都市でのクルド語使用の禁止等が挙げ
られる。内戦前に改革の機運が盛り上がった時期にクルド地域ではサッカー試合会場での暴
動が発生しそれが「カーミシュリーの春」と言われる改革運動に発展した。クルド勢力はア
サド政権に平和的に要求を提出したがそれが容れられることはなかった。シリアの主要なク
ルド政党は人民民主党(PYD)であり、その指導下の武装組織として人民防衛隊(YPG)があ
る。これは名前が示す通りトルコのPKKの影響を受けていると言われている。 
 
イラン 
イランのクルド運動はイラク・シリアにおけるダーイシュのように関連した注目される要素
がないため最近の動向は報道では耳にしない。しかしクルド運動の歴史の中では見逃せない
位置を占めている。まず史上初のクルディスタン国家「マハーバード共和国」はイラン・ク
ルディスタン内に樹立されたし、イラクKDPの元祖はイランKDPである。イランのクルド
人はパフラヴィー朝において弾圧されており、シャーの打倒にも大きな役割を果たした。中
央でシャーへの抗議が拡大し革命の兆しが見えると、かつてクルディスタン国家の中心に
なったマハバードでは再び独立の機運が盛り上がった。イラン革命の初期においてクルド人
は左派の指導により生まれ変わったイラン・KDP、民族派ではないもののクルド系の共産
主義組織フェダイン・ハルクや宗教勢力の協力体制の元で革命に参加した。ホメイニは最初
は静観の姿勢を見せていたが中央での体制が固まり始めると対処に乗り出し、マハバードの
クルド人がイスラム共和制承認の国民投票をボイコットしたことを口実にKDPの非難を開
始した。マハバード共和国の時と同じようにホメイニは軍隊を派遣し鎮圧に乗り出したが、
6 
クルド人の反撃に直面すると懐柔のための自治案を提案した。これによるとイランは憲法で
クルド人の自治を認め、クルド語を認めることになっている。 
 
日本との関わり 
 
抑圧の共犯者としての日本 
クルド問題との関わりに限らず、日本は難民の受け入れには及び腰である。先進国の多くは
年間数万、数千の単位で難民を受け容れているが、日本は年間僅か数十人である。これで難
民条約に加盟しているというのは見事な看板倒れであるが、これから母国を脱出しようとす
る難民は難民受け入れの看板を信じるしかないので悲劇が起こる。日本に亡命しようとする
クルド難民はなにも特別日本を贔屓にして来ているわけではない。一応難民条約に加盟する
先進国という体面を保っているからに過ぎない。難民の多くはできることなら難民受け入れ
に名高い欧州、特にドイツや北欧に行きたいと願っているだろう。しかし限られた選択肢を
ギリギリの状況で選ばなければならない中で、一定のクルド難民は不幸にも行き先を日本に
してしまうことになる。ここで日本政府をクルド人抑圧の共犯者と呼んでいるのは日本が単
に難民の受け入れに及び腰だからというわけではない。そう呼ばれるべきであるのは日本は
入管による外国人収容や抑圧国への強制送還を通じて間接的にクルド人の弾圧に関係してい
るからである。もし自国で難民を受け入れることが難しいのであれば、難民条約に加盟して
いる国のせめてもの勤めとして他の条約加盟国への亡命を斡旋すべきである。しかし日本は
それもせずに期間まで劣悪な入管の収容所に押し込め、ある日突然本国に強制送還する。本
国での暴力や不正から逃げてきた人々をまたその当事国に戻すというのはその国の人権侵害
に手を貸しているといっても過言ではない。 
 
 
お上に弱い日本人中東研究者 
日本の中東研究界では先輩の助言としてクルド関連の事をを研究テーマにすることはやめろ
という伝統があるらしい。というのもクルド関連のことを専門にしていると現地政府の協力
が得られないし日本政府がクルド人抑圧国と友好関係にあることもあって研究費がおりにく
いからということである。なんとも情けない理由であるが、日本は欧米各国に比べてクルド
学の貧困状態にある。勿論クルド関係の研究をトルコようなクルド人抑圧国でし難いことは
日本以外の中東研究者にとっても同様のことである。ただその壁を乗り越えようとする努力
が日本の中東研究者の多くに欠けている。研究よりもお上の協力、認可を得ることがまず大
前提にあって、良い研究材料があってもお上の気に触れれば直ちにそれを犠牲にするのであ
る。トルコの学者の多くも恥ずかしげもなく、クルド人を「山岳トルコ人」だのクルド語を
トルコ語方言だのという戯れ言の拵えを学術研究と称しているが、日本もこのようなあり方
を笑うことはできないだろう。 
 
最近の動向 
 
人民民主主義党(HDP)の躍進 
トルコでは6月に行われた選挙でトルコ政治史の転換点となり得るクルド政党の大勝利が
あった。当該選挙ではクルド系左派政党の人民民主主義党が議席を大幅に増やし一方の政権
与党公正発展党(AKP)は議席を大幅に減らし与党から滑り落ちた。その指導者セラハッティ
7 
ン・デミルタシュは清新な政治家イメージを有権者に与え、エルドアン一族に代表されるよ
うなトルコの汚職政治に嫌気がさした有権者にとって新鮮だったのがHDPの勝因であると
分析されている。*またクルド人だけでなくアルメニア系、アラブ系等抑圧されるマイノリ
ティの幅広い支持を集めたことが躍進の背景にあるとされる。HDPはPKKのような武装闘
争は行わずおそらくこれまでの議会内勢力の流れを汲む政党であろう。PKKはこれまでトル
コにおけるクルド人自治獲得のために多くの犠牲を払い粘り強く闘争をおこなってきたの
で、いくら今度の選挙で躍進したとはいえ性急にトルコのクルド運動のイニシアティブが
HDPに移ると断言することは憚られる。しかし今回の国政選挙での躍進から大きな政治的
発言権を手にしてクルド問題の政治的決着がつけられていくとしたら、トルコのクルド運動
はPKKが卵を生みHDPが孵したということになるであろう。AKPの現大統領エルドアンは
クルド政党が合法的に勢力を拡大していくことに危機感を覚えたのか、HDPの支持率を減
らすためにこれまでのトルコ政府のお家芸PKK挑発に乗り出した。そのため突如これまで静
観していたダーイシュ問題に突如介入する姿勢を見せ、ダーイシュよりもPKKの拠点に多く
の空爆を加えている。 
 
事実上独立状態のクルド地域政府 
湾岸戦争におけるイラクの敗北以来イラク・クルディスタンは地域政府のもとでの自治を認
められてきたが、ダーイシュの支配地拡大によるシーア派政府のますますの統治能力低下に
乗じてさらに自治を拡大している。域内は治安も良好でほぼ退避勧告で染まっている外務省
渡航情報のイラク領内でもクルディスタンだけは比較的危険でないとされている。安定した
環境の中で経済活動も活発に行われイラク国内では例外的にかなり発展した地域になってき
ている。しかし往年のKDPとPUKの対立は健在で、最近もクルディスタン地域政府の議長
(大統領職と同等)マスード・バルザニの再選にタラバニその他が反発している。 
 
ダーイシュに反撃するYPG 
シリア騒乱が始まってからクルディスタンではPYD主導の事実上の独立状態にあり、アサ
ド政権と反体制派との共闘をしないことを盟約した上で政権軍の撤退させることに成功して
いる。シリアにおいてダーイシュが進撃すると一時的に勢力を後退させたが、2015年1月に
コバニ防衛戦に勝利すると反撃を開始し、トルコ国境沿いを東進し6月にはダーイシュが首
都と称するラッカに近い国境沿いのテル・アビアドを自由シリア軍系武装勢力と共同で奪還
した。実行支配下においた都市の名前をアラビア語の「アイン・アル=アラブ」からクルド
語の「コバニ」に戻したあたりはクルド勢力のアラブ化政策への反発と自治獲得への強い希
求が感じられる。ただダーイシュ支配地域に住むアラブ系住民は必ずしもクルド人の進撃を
喜んでいるわけではない。というのもYPGは奪還した地域においてアラブ系住民を追放し
ているという報告があり、クルド系武装勢力により財産を奪われることを恐れるからであ
る。**これが民族浄化と呼べるものかそれとも戦時において一般的な敵方につきやすい集落
の破壊なのか詳細は定かではない。彼らは最近盛んに報道特集やドキュメンタリーの題材に
なっているが、ダーイシュとの関わりの中で国際的なプロパガンダ路線を強化していると思
われる。彼らは女性部隊の活躍の特集やイラクのクルド難民キャンプでの子供の映画制作の
特集等、外国人ジャーナリストによる取材やドキュメンタリー制作の協力を盛んに行ってい
る。いずれの報道機関に提供された映像でも登場するクルド人は独立への強い意志を頻繁に
表明している。 
 
 
 
8 
 
 
 
 
 
【注】 
クルド前史 
* 「レイラ・ザーナ―クルド人女性国会議員の闘い」 のレイラの「獄中からの手紙」においてそのことが一般的
事項として言及されている 
 
各国のクルド人問題 
* 因みにこの時の虐殺実行者は皮肉にもクルド人騎馬部隊のハマディヤ騎兵隊である 
** 「クルディスタン=多国間植民地」(p162)では調査結果からさらに突っ込んで宗教政党をつくることまで提案
されていることが記されているが、米はトルコを反共の基地としてたので親トルコ政府的でありそれがこの提案
の背後にある理由かもしれない。 
*** フセインがこのような暴挙に出ることができたのは周辺のアラブ国家がいずれもクルド人への行動は不問に
する慣習があるからだとされる。 
 
最近の動向 
* 選択2015年8月号 「世界のキーパーソン〈62〉セラハッティン・デミルタシュ」 
** Civilians In ISIS ‘Capital’ Raqqa Trapped Between ISIS Brutality And Syrian Kurdish Fighters’ Advances 
http://www.raqqa­sl.com/en/?p=1271 
 
 
【参考資料】 
クルディスタン=多国間植民地 イスマイル ベシクチ (著), Ismail Besikci (原著), 中川 喜与志 (翻訳), 高田 郁子 
(翻訳) 柘植書房 1994/1 
クルド人とクルディスタン―拒絶される民族 中川 喜与志 (著) 南方新社 発売日: 2001/12 
クルド民族「中東問題の動因」S.C.ペレティエ (著), 前田耕一 (翻訳) 亜紀書房 1993/4/30 
クルド人もうひとつの中東問題 (集英社新書0149A) 川上 洋一 (著) 集英社 2002/07 
レイラ・ザーナ―クルド人女性国会議員の闘い (クルド学叢書) 中川 喜与志 (著), 大倉 幸宏 (著), 武田 歩 (著), 
ファイサル・ダール (著), イスマイル・ベシクチ (著) 新泉社 2005/12/10 
混迷するシリア――歴史と政治構造から読み解く青山 弘之 (著) 岩波書店 2012/12/20 
 
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