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免疫原性の非劣性検証
思春期児のBNT162b2コロナワクチンの効果検証論文
NEJMoa2107456の非劣性を紐解く
社会福祉法人聖母会 聖母病院 総合診療科
南 郷 栄 秀
2021年7月13日
思春期児のBNT162b2コロナワクチン
の効果検証論文
N Engl J Med. 2021 May 27:NEJMoa2107456
研究の主要目的
12~15歳のコホートにおけるファイザー社
BNT162b2コロナワクチンの
・安全性(副反応,有害事象)
・有効性
を評価する
この論文は,2つの研究から構成されている
P :12~15歳の対象者
I :BNT162b2ワクチンを2回接種
C :プラセボ接種
O :副反応 Reactogenicity
有害事象 Adverse events
有効性 Efficacy
研究A(今回新たに実施) 研究B(先行研究の再解析)
P :16~25歳の対象者
(先行研究からランダム抽出)
I :BNT162b2ワクチンを2回接種
C :プラセボ接種
O :副反応 Reactogenicity
有害事象 Adverse events
N Engl J Med. 2020;383(27):2603-2615
N Engl J Med. 2021 May 27:NEJMoa2107456
今回の論文では
研究Aと研究Bから新たなPECOを立てている
N Engl J Med. 2021 May 27:NEJMoa2107456
P:ファイザー社BNT162b2コロナワクチンを2回
接種した対象者
E:年齢が12~15歳
C:年齢が16~25歳
O:副反応 Reactogenicity
有害事象 Adverse events
有効性 Efficacy
免疫原性 Immunogenicity
ランダム化比較試験ではなくコホート(集団)間での比較
12-15歳のコホート V.S. 16-25歳のコホート
真のアウトカム
代用のアウトカム
なぜ代用のアウトカムである
免疫原性Immunogenecityに注目しているのか
• 研究Aを行うときには,現実世界において先に成人
がワクチンを打っている状況でCOVID-19に罹患
する人が少なくなっていたりして,限られたサン
プルサイズでは有意差が出にくく,有効性Efficacy
の検証が困難になっていることが予想される
• そのような状況下では,すでに中和抗体が感染
防御能の代用のアウトカムとして十分信頼度が
確立されているので,中和抗体価でワクチンの
効能を検証することが一般的に受け入れられる
• そのため本論文では,思春期児におけるワクチン
の効果について,中和抗体価で成人における効果
に対して非劣性であるかを検証している
N Engl J Med. 2021 May 27:NEJMoa2107456
N Engl J Med. 2021 May 27:NEJMoa2107456
論文を読んでいて,謎だった
非劣性は幾何平均比の95%信頼区間の下限が>0.67と定義??
0.67はどこから来た?
ウイルスに感染しないために
ワクチンで抗体を作る
この中和抗体はワクチ
ンによって生体が作る
物質なので,単一構造
の分子(免疫グロブリ
ン)とは限らず,複数
の異なる構造の分子が
混在している可能性が
ある
とにかくウイルスの
結合を阻害する働きを
持つ物質
ウイルスの感染力または
毒性の活性を中和する
ので「中和抗体」と呼ぶ
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Viral_plaque
ウイルス増殖の程度を測定する方法
• 中和抗体は異なる複数の
構造の分子(免疫グロブ
リン)が含まれ得るため,
単一構造の分子を単離
するのは困難
• 代わりに中和抗体を含む
血清があれば,その存在
によりウイルスが増殖
しなくなる
• そのため,ウイルスがど
れだけ増殖したかを計測
することによって,間接
的に中和抗体の存在を
証明することができる
• ウイルスに感受性のある細胞(例えばVero細胞)シート中でどの程度ウイ
ルス増殖が起きているかを測定する方法として,「ウイルスプラーク法」が
ある
• 細胞シートにウイルスを接種して放置すると,数日後にウイルスによって
破壊された細胞群が「人の肉眼でも見えるような塊」を形成し,これを
「プラーク」と呼んでいる
中和抗体によるプラーク形成の阻止
• Vero細胞にウイルスを接種して放置すると,数日後に「プラーク」が
できる
• ウイルスに中和抗体を含む血清を混ぜて接種すると,「プラーク」は
できなくなる
• ウイルスに混ぜる血清を希釈すると,中和抗体がウイルスを中和
しきれなくなり,「プラーク」の形成が阻止できなくなる
プラークができない
プラークができる
幾何平均中和抗体価(GMT)って?
• 中和抗体を含む血清をさまざまな希釈濃度で
「プラーク」ができるかを観察し,肉眼で
カウントできるプラーク数がコントロールに
比して何%減少しているかを各希釈濃度ごと
に算出して相関曲線を描き,その曲線から
50%減少に相当する希釈濃度を算出する
• この希釈濃度を,被験者ごとの50%中和抗体
価(50% neutralizing titer)と呼ぶ
• 同じワクチンを打っても,人によって中和
抗体価は異なるが,倍々希釈していっている
ので,相加平均(単に平均値)を求めること
はできない
• そのため,幾何平均中和抗体価(Geometric
mean titer : GMT )を用いる
• 被験者数 n に対して、全員の力価 (xn) の積の
n乗根を計算することによって得られる,
被験者群の平均力価( )
• 被験者ごとの50%中和抗体価を幾何平均した
値を,被験者全体の50%中和抗体価と呼ぶ
https://www.pmda.go.jp/files/000208196.pdf
本研究の免疫原性の非劣性基準
幾何平均比(Geometric mean ratio : GMR)
• 16-25yrのワクチン接種後のGMTに対して,
12-15yrのそれがどの程度かを示すもの
1
0.67
0
成人での中和抗体価を1とした時,GMRの95%信頼
区間の下限が0.67を下回らなければ非劣性とする
成人での
中和抗体価
Geometric Mean Ratio
幾何学的平均比
非劣性とは
いえない
非劣性
論文p3右段
本研究における免疫原性の非劣性基準
Protocol p.253
1
0.67 1.5
×1.5
÷1.5
幾何平均比GMR(Geometric mean
ratio)が0.67を上回ることが必要
1.5倍マージンは,劣っている方から見て
優れている方が1.5倍,優れている方から
見ると劣っているのは1/1.5=0.67
Vaccine 2015;33(12):1426-1432
一般的にワクチンの非劣性の検証に用いられる
非劣性マージン
177件の非劣性性の検証をしたワクチンのRCTのSRでは,ほとんどの研究で
非劣性マージンは
・血清抗体価やリスク差10%
・幾何平均価(GMT)比 1.5または2.0
が用いられている
この基準には根拠があるのではなく,慣習的に決められているらしい
PMDAのSARS-CoV-2のワクチン効果評価の原則
PMDAの基準では,コロナウイルスに対するワクチンの評価は,
抗体獲得率の-10%かGMT比(=GMR)の95%CIの下限が0.67を
下回らないことをもって非劣性とする,と決められている
https://www.pmda.go.jp/files/000240416.pdf
思春期児の免疫原性Immunogenicityの結果
• 今回の研究では,GMRが1.76(1.47-2.10)であり,信頼区間の
下限が0.67を下回っていなかったため,非劣性が証明された
• それどころか,むしろ成人よりも思春期児のほうが中和抗体
価が1.76倍高くなるという結果だった
• しかし,95%信頼区間の下限が「優越性」マージンの1.5を
下回っている(=95%信頼区間がGMR 1.5をまたがない)ので,
本研究の結果をもって成人よりも思春期児のほうが中和抗体
価が高くなる(=抗体ができやすい)とはいえない
N Engl J Med. 2021 May 27:NEJMoa2107456
参考文献
• Frenck RW Jr, Klein NP, Kitchin N, Gurtman A, Absalon J, Lockhart S, Perez JL, Walter EB, Senders S,
Bailey R, Swanson KA, Ma H, Xu X, Koury K, Kalina WV, Cooper D, Jennings T, Brandon DM, Thomas
SJ, Tureci O, Tresnan DB, Mather S, Dormitzer PR, Şahin U, Jansen KU, Gruber WC; C4591001
Clinical Trial Group. Safety, Immunogenicity, and Efficacy of the BNT162b2 Covid-19 Vaccine in
Adolescents. N Engl J Med. 2021 May 27:NEJMoa2107456. doi: 10.1056/NEJMoa2107456. PMID:
34043894; PMCID: PMC8174030.
• Viral plaque. Wikipedia. https://en.m.wikipedia.org/wiki/Viral_plaque
• 厚生労働省医薬食品局審査管理課.感染症予防 ワクチンの臨床試験ガイドライン.平成
22年5月27日.https://www.pmda.go.jp/files/000208196.pdf
• Donken R, de Melker HE, Rots NY, Berbers G, Knol MJ. Comparing vaccines: a systematic review of
the use of the non-inferiority margin in vaccine trials. Vaccine. 2015 Mar 17;33(12):1426-32. doi:
10.1016/j.vaccine.2015.01.072. Epub 2015 Feb 7. PMID: 25659273.
• Office of Vaccines and Blood Products, Pharmaceuticals and Medical Devices Agency. Principles for
the Evaluation of Vaccines Against the Novel Coronavirus SARS-CoV-2 (Appendix 1). Evaluation of
vaccines against variants. April 5th, 2021. https://www.pmda.go.jp/files/000240416.pdf
謝 辞
本資料の作成にあたり,ワクチン専門官守屋章成先生に多大なご助言を賜った.ここに深く
感謝の意を表します.

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