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事業や経営の在り⽅を変⾰するデジタル・トランスフォーメーションの潮流
テクノロジーの急激な進化が、私たちの社会を⼤きく変えようとしている。社会はいまどこ
に向かおうとしているのだろう。
l デジタル・トランスフォーメーションが社会を変える
歴史を振り返れば、⼈類は新たなテクノロジーの登場をきっかけに、劇的な変化を⽣み出し
てきた。
18 世紀後半のイギリスで起こった産業⾰命は、蒸気機関を利⽤した動⼒源の発明により、
⽣産⼒の劇的な向上を成し遂げた。20 世紀初頭、動⼒源は電⼒に置き換わり、統計学を基
にした科学的管理⼿法と相まって⽣産⼒はさらに向上した。
1960 年代、コンピューターの登場とともに⼈⼿に頼っていた業務プロセスを機械に置き換
える動きが始まる。そんな機械による⾃動化の範囲は拡⼤し、さらなる⽣産性や品質の向上
が実現する。1990 年代にはインターネットが登場し、その普及とともに⼈々は PC やスマ
ートフォン、Web やアプリを介して、「サイバー空間」と呼ばれる社会や産業の新たな基盤
に組み込まれてゆく。2010 年代に⼊り、クラウドの普及や AI の進化とともに、デジタル・
テクノロジーが私たちの⽇常に広く浸透し、社会の仕組みやビジネスの在り⽅を⼤きく変
えようとしている。そんな現在の社会やビジネスの有り様を著す⾔葉が、「デジタル・トラ
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ンスフォーメーション(Digital Transformation)」だ。
「IT の浸透が、⼈々の⽣活をあらゆる⾯でより良い⽅向に変化させる」
「デジタル・トランスフォーメーション」とは、2004 年にスウェーデンのウメオ⼤学のエ
リック・ストルターマン教授らが提唱した概念だ。この⾔葉は、デジタル・テクノロジーを
活かした新規事業を実現するとか、業務の⽣産性や効率を劇的に改善するということを意
味するものではない。デジタル・テクノロジーを駆使して、変化に俊敏に対応できる経営の
在り⽅やビジネス・プロセスへと変⾰することを意味する⾔葉だ。結果として、⼈と IT と
の関係は⼤きく変化し、事業の範囲や業績の上げ⽅、顧客との関係や従業員の働き⽅などを
⼤きく変えてしまう。
デジタル・トランスフォーメーションによく似た⾔葉として、「デジタライゼーション
(Digitalization)」がある。この⾔葉は、既存の製品やサービス、あるいはビジネス・プロ
セスを、IoT や AI、クラウドといったデジタル・テクノロジーを活⽤して、その価値や効
率を⾼めることが⽬的だ。これはデジタル・トランスフォーメーションではない。
デジタル・トランスフォーメーションとは、技術の話しではなく、企業の在り⽅やそこで働
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く⼈たちを変化させること、すなわち企業⽂化や体質の変⾰だ。もちろんその前提として、
デジタル・テクノロジーがあり、これを駆使して事業や経営を⾼速・俊敏に変化できるよう
にして、ビジネス環境や顧客のニーズの変化に即応できるようにすることを⽬的としてい
る。
「デジタライゼーション」の先に「デジタル・トランスフォーメーション」があるわけでは
ない。両者が⽬指すものは異なっている。
l デジタル・トランスフォーメーションの3つのフェーズ
ストルターマン教授らは、このデジタル・トランスフォーメーションに⾄る段階を次の 3 つ
のフェーズに区分している。
Ø 第 1 フェーズ:IT 利⽤による業務プロセスの強化
Ø 第 2 フェーズ:IT による業務の置き換え
Ø 第 3 フェーズ:業務が IT へ、IT が業務へとシームレスに変換される状態
各フェーズについて、整理してみよう。
第 1 フェーズ:IT 利⽤による業務プロセスの強化
業務の効率や品質を⾼め、それを維持してゆくために、業務の仕組みや⼿順、すなわち業務
プロセスの標準化が⾏われてきた。それに合わせてマニュアルを作り、現場で働く従業員に
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そのとおりを守らせることで、標準化された業務プロセスを徹底させ、業務の効率や品質を
維持してきた。しかし、⼈間がそこで働く以上、完全な業務プロセスの遵守は難しく、ミス
も犯す。そこで、標準化された業務プロセスを情報システムに置き換えて、現場で働く従業
員にこれを使わせることで、業務の標準化をすすめ、効率や品質を確実なものにしようとし
た。⽣産管理システムや販売管理システムなどの情報システムと⾔われるものは、そんな時
代に登場している。⾔葉を換えれば、紙の伝票の受け渡しや伝⾔で成り⽴っていた仕事の流
れを情報システムに置き換える段階と⾔えるだろう。
第 2 フェーズ:IT による業務の置き換え
第 1 フェーズは、標準化された業務プロセスを現場に徹底させるために IT を利⽤する段階
だった。その業務プロセスを踏襲しつつも、IT に仕事を代替させ⾃動化するのがこの段階
だ。これにより、⼈間が働くことに伴う労働時間や安全管理、⼈的ミスなどの制約を減らし、
効率や品質をさらに⾼めることができた。昨今、話題となっている RPA(Robotic Process
Automation)もこの段階に位置付けることができる。
第 3 フェーズ:業務が IT へ、IT が業務へとシームレスに変換される状態
Web やスマートフォン、モノや機械に組み込まれたセンサーが、様々な物事や出来事をデ
ジダル・データとして広範に捉えることができるようになった。いわば、現実世界のデジタ
ル・コピーがリアルタイムに⽣みだされ、ネットに送り出される社会基盤が作られつつあ
る。私たちは、このような仕組みを IoT(Internet of Things)と呼んでいる。
そんな仕組みから⽣みだされた膨⼤なデータ(ビッグ・データ)は、もはや⼈⼿に頼って解
釈することはできない。そこで、AI 技術のひとつである「機械学習」を使って解釈し、ど
うすれば無駄なく、効率よく、⾼品質にビジネスを動かせるかを探り、機械を制御し、⼈々
に情報を提供する。そうやって収集されたビッグ・データから、いま時点での最適解を⾒つ
け出し、業務プロセスをリアルタイムでアップデートし、IT と業務は渾然⼀体となって、
ビジネス⽬標の達成に邁進する。
つまり、IT と業務の現場が⼀体となって、改善活動を⾼速で繰り返しながら、常に最適な
状態を維持し、業務を遂⾏する仕組みができあがることになる。もはや両者を分離すること
はできない。こうして「業務が IT へ、IT が業務へとシームレスに変換される状態」が実現
する。
デジタル・トランスフォーメーションとは、この第3フェーズの状態を⾔う。
l 競争環境の変化とデジタル・トランスフォーメーション
⽶コロンビア⼤学ビジネススクール教授、リタ・マグレイスは、⾃著「The End of Competitive
Advantage(邦訳:競争優位の終焉)」中で、ビジネスにおける 2 つの基本的な想定が、⼤き
く変わってしまったと論じている。
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ひとつは「業界という枠組みが存在する」ということ。業界は変化の少ない競争要因に⽀配
されており、それを深く学習し動向を⾒極め、それに応じて適切な戦略を構築できれば、⻑
期安定的なビジネス・モデルを描けるという考え⽅がかつての常識だった。業界が囲い込む
市場はある程度予測可能であり、それに基づき 5 年計画を⽴案すれば、修正はあるにして
も、計画を遂⾏できると考えられてきた。
もうひとつは、「⼀旦確⽴された競争優位は継続する」というもの。ある業界で確固たる地
位を築けば、業績は維持される。企業は確⽴した競争優位性を中⼼に据えて従業員を育て、
それに⻑けた⼈材を組織に配置すれば良かった。ひとつの優位性が持続する世界では当然
ながらその枠組みの中で、仕事の効率を上げ、コストを削る⼀⽅で、既存の優位性を維持で
きる⼈材が昇進する。このような観点から⼈材を振り向ける事業構造は好業績をもたらし
た。この優位性を中⼼に置いて、組織や業務プロセスを常に最適化すれば事業の成⻑と持続
は保証されていた。
この 2 つの基本想定がもはや成り⽴たなくなってしまったというのだ。事実、業界を越え
た異業種の企業が、業界の既存の競争原理を破壊している。例えば、Uber はタクシーやレ
ンタカー業界を破壊してしまったし、airbnb はホテルや旅館業界を破壊しつつある。Netflix
はレンタル・ビデオ業界を破壊してしまた。それもあっという間の出来事だった。
「市場の変化に合わせて。戦略を動かし続ける」
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そうしなければ、企業のもつ競争優位性が、あっという間に消えてしまうこのような市場の
特性を「ハイパーコンペティション」として紹介している。いまビジネスは、このような状
況に置かれている。
デジタル・トランスフォーメーションは、このようなビジネス環境の変化に対処するために
実現しなければならない「あるべき姿」として注⽬されている。
l DX とはデジタルテクノロジーを駆使して変化に俊敏に対応できる企業⽂化や体質を
作ること
異業種の参⼊に加え、市場の流動性が⾼まり、顧客嗜好が多様化している。すこし先を予測
することも難しい状況だ。まさに「不確実性の増⼤」という⾔葉が、いまの時代を象徴して
いる。
このような時代に⻑期を⾒据えて綿密な計画を⽴てても、そのとおりに事が運ぶとは限ら
ない。だから、直近の課題に、あるいは、変化が起きたら直ちに対処できるビジネス・スピ
ードを⼿に⼊れる必要がある。そのためには、意志決定サイクルの短縮、現場への⼤幅な権
限委譲、ビジネス・プロセスの流⽔化が不可⽋となる。
Ø 意志決定サイクルの短縮
現場や顧客をリアルタイムにデータで「⾒える化」すること前提となる。⽇報や週報
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など、終わってしまった結果、すなわち死亡報告書を⾒て、どうすれば蘇⽣できるか
を考えるのでは、ビジネス・チャンスを逸し、深刻な事態を招いてしまう。だから、
常に現場の状態をリアルタイムに把握できる仕組みを持つことが必要となる。
例えば、次世代型の ERP は業務トランザクションをリアルタイムで分析しダッシュ
ボードに分かりやすく「⾒える化」してくれる。Slack や Teams などのチャット・ツ
ールを使えば、現場の様⼦が感情や雰囲気まで含めてリアルタイムで伝わってくる。
⽂学的な表現を駆使して書き上げられた報告書では、このような⽣々しい現場の様
⼦を「⾒える化」することは難しい。
そんな現場の状況にリアルタイムに対処すれば、再び現場は変化する。それが、再び
リアルタイムでフィードバックされるので、試⾏錯誤が容易となり、変化への即応⼒
を⾼めることができる。
Ø 現場への⼤幅な権限委譲
現場が「⾒える化」されていれば、会議を招集しなくても、報告書を書かせなくても、
状況や成果は直ちに分かる。これを前提に、現場の個⼈やチームに権限を委譲し、意
志決定のスピードを加速する。
また、不確実性の⾼い世の中では、なにが正解かが分からないことも多い。リスクを
前提に試⾏錯誤を⾼速で繰り返しながら最適解を探してゆくしかない。徹底してリ
スクを排除するために事前の根回しや書類を必要とする稟議は、そんな試⾏錯誤の
重い⾜かせとなる。
指⽰が与えられなくても⾃律的に判断して⾏動する個⼈やチームを主体に組織を動
かすことが、不可避となるだろう。もちろん、いつでもどこでもビジネスの状況は共
有されていること、そして、お互いに協⼒し合って迅速に対処できる信頼関係を築く
ことが前提となる。そうすれば、ビジネスの現場で直ちに判断し⾏動に移すことがで
きる。
Ø ビジネス・プロセスの流⽔化
ひとつひとつのビジネス・プロセスを最適化し、そのスピードを加速しても、プロセ
ス間の連携に⼿間や時間がかかっていれば、全体のスループットはあがらない。この
ような状況に対処するには、全社のビジネス・データを⼀元的に管理できるデータベ
ースを中核に於いて、様々なアプリケーションが連係する仕組み、すなわち ERP シ
ステムの「あるべき姿」を⽬指す必要がある。つまり、プロセス間の連携を⽔が流れ
るがごとく、遅滞なく円滑におこなわれる仕組みを作ることだ。
残念ながら我が国の ERP の現実は、会計システムや⼀部の業務アプリケーションに
限られて使われている場合も多く、「あるべき姿」にはほど遠い。結局は、様々なア
プリケーションが個別にマスター・データベースを保有し、それを必要に応じて、
ERP システムと連係させているのが実態だ。これでは、流⽔化の実現は難しい。
この状況を変えるためには、業務プロセスの変⾰を前提に、ERP の「あるべき姿」
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を⽬指すべきであろう。
このような取り組みを実現し、圧倒的なビジネス・スピードを⼿に⼊れるにはデジタル・テ
クノロジーを駆使するしか⽅法がない。これが、「デジタル・トランスフォーメーション」
である。すなわち、DX とは、「デジタル・テクノロジーを駆使して、変化に俊敏に対応でき
る企業⽂化や体質を作ること」であり、決して、IoT や AI を使って新しいビジネスを⽴ち
上げることではない。
l DX はテクノロジーだけでは実現しない
DX の実現にとってデジタル・テクノロジーは⽋かせないが、それだけで DX が実現できる
わけではない。合わせて、加速したビジネス・スピードに対応できるアナログな⼈間系の仕
組みや考え⽅も変⾰する必要がある。たとえば、次のようなことだ。
Ø 販売実績の報告を⽇次からリアルタイムへ
Ø 労働時間の把握を⽉次からリアルタイムへ
Ø 意志決定サイクルを短縮し⼀部⾃動化へ
そのためには、IoT や AI を駆使しデータ主導で意志決定やビジネス・プロセスが実⾏され
るメカニズムを作る必要がある。そのためには、現場に近い社内で試⾏錯誤ができる「シス
テム内製化」体制が必要になるだろう。また、そうやって作られた仕組みを前提に、組織の
役割や働き⽅、業績管理の⽅法を変⾰する必要もある。さらには、経営⽬標の設定や意志決
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定の変⾰も必要になるだろう。
デジタル・テクノロジーと⼈間系の仕組みを共に変⾰できてこそ、変化に俊敏に対応できる
企業⽂化や体質を作ることができる。
l デジタル・トランスフォーメーションで何が変わるのか
「データを駆使して、リアルタイムでビジネスの最適化を実現する」
デジタル・トランスフォーメーションを実現する取り組みをこのように表現することもで
きるだろう。
例えば、お客様や店舗、営業や⼯場など、ビジネスの現場は時々刻々動いている。その変化
をデータで捉え、現場が“いま”必要とする最適なサービスを即座に提供できれば、ビジネス
の成果に結びつけることができる。ビジネス環境がめまぐるしく変化するいまの世の中で、
企業として⽣き残り、成⻑を持続させるためには、こんな能⼒が必要だ。
いままでの⼈⼿に頼るアナログな業務⼿順をデジタルな⼿順に変えればいいとか、IT を使
って迅速な業務処理ができればいいというレベルで実現できるものではない。それは、組織
の役割や機能にも及び、組織体制も変わらなくてはならない。ビジネス・プロセスや業績評
価基準も変えなくてはならない。また、製品やサービスのあり⽅、つまり収益のあげ⽅やお
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客様に提供する価値の中⾝、つまりは事業⽬的も変えなくてはならないだろう。
そうやって、ビジネスの現場の変化に即応し、ダイナミックにサービス内容を変化されるこ
とや、現場の要望に遅滞することなくジャストインタイムでサービスを提供できる仕組み
が実現できる。
そんな変⾰がデジタル・トランスフォーメーションだ。
l デジタル・トランスフォーメーションによってもたらされる2つの⼒
デジタル・トランスフォーメーションによって、ビジネスは2つの新しい価値を⼿に⼊れ
る。
Ø 不確実性が増⼤し、スピードが加速するビジネス環境に対応するために、製品やサー
ビスをジャスト・イン・タイムで現場に提供できる「即応⼒」
Ø これまでの常識や価値基準を劇的に転換し、圧倒的な競争優位を⼿に⼊れるために、
⽣産性・価格・期間などの常識を覆す「破壊⼒」
「即応⼒」を⼿に⼊れるためには、ビジネスに関わる事実をリアルタイムでデータとして捉
え、それを「⾒える化」し、迅速な意志決定ができなくてはならない。そして、必要であれ
ば直ちに業務プロセスを実現している情報システムを⼿直しし、あるいは機器を制御し、対
処できなくてはならない。それらを⾃動化することも視野に⼊れておくべきだ。このように
して、ビジネスの最前線で必要とされるサービスをジャスト・インタイムで提供できる仕組
みを持つことが「即応⼒」の前提となる。
「破壊⼒」を⼿に⼊れるためには、ビジネスの価値基準を転換することができなくてはなら
ない。「価値基準を転換する」とは、いままでの常識を、新しい常識に上書きし、⼈々の⼼
に植え付けてしまうことだ。
例えば、いままで 1 万円が相場だった商品やサービスを 1 千円で提供でるようにすること
や、1 週間が常識だった納期を翌⽇にしてしまうようなことだ。そんな新しい常識を実現し
定着させてしまえば、もはや後戻りはできない。これによって、いままでの常識を覆す「破
壊的(Disruptive)」な競争⼒を⼿に⼊れることができる。
l デジタル・トランスフォーメーションに最も近い企業「Amazon」
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この2つの⼒を兼ね備えた企業は限られているが、そこに最も近い企業は、Amazon ではな
いだろうか。
Amazon は、企業理念として、「最⾼の顧客体験」を掲げている。例えば、Amazon の商品
ページには「1-ClickTM
で今すぐ買う」というボタン(ワンクリック・ボタン)がある。こ
のボタンを押すと、住所やクレジットカードの⼊⼒、確認画⾯に移って確認ボタンを押すこ
ともなく、即座に注⽂が成⽴する。しかもプライム会員であれば送料はかからない。この便
利さに、つい余計なものまで買ってしまう⼈もいるはずだ。そして、この便利さ故に、同じ
ものを買うのなら Amazon を使う⼈も多いだろう。この仕組みは Amazon の特許であり、
他の会社が同様の仕掛けを組み込むことはできない。また、そんな会員の注⽂履歴を機械学
習で分析し、次に何を買うかを予測して、配達先のそばの倉庫に予め置いておくことで、他
社にはまねできない短納期を実現している。
また、ダッシュボタンという、ネット・ショップにあるワンクリック・ボタンを物理的なボ
タンに置き換えたものがある。そのボタンを指で押すだけで即座に商品が注⽂できてしま
う。例えば、カミソリの刃やマウスウォッシュ、洗剤などのドラッグストア商品、シリアル
やミネラルウォーターなどの⾷品・飲料、ほかにも美容関連、ペット関連、ベビー関連の商
品など、頻繁にリピートする商品のダッシュボタンが⽤意されている。それを冷蔵庫や洗濯
機に貼り付けておけば、商品が少なくなったり、なくなったりしたら、その場でボタンを押
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すだけで、最短で当⽇には⾃宅に届く仕組みになっている。ダッシュボタンの利⽤者は、広
告や宣伝を⾒ることなく、その簡単さ故にボタンを押すだけでその商品を買ってしまう。こ
れまでのマーケティングの常識を破壊してしまうサービスと⾔えるだろう。
Amazon Echo と呼ばれるマイクロホン付きスピーカーがある。これに話しかけるだけで、
キーボードでの⼊⼒やスマホで画⾯を操作しなくても⾳声の指⽰だけで様々なサービスを
実⾏してくれる。もちろん商品の注⽂もできる。また、Kindle という少し⼤きなスマート
フォン程度のデバイスを使えば、重たい紙の書籍を持ち歩かなくても、どこでも即座に読み
たい本を⼿に⼊れて読むことができる。
Amazon は、ネットのサービスばかりではなく、リアルな世界にも進出をはじめた。2017 年
にシアトルにレジ無しのコンビニ Amazon Go を開店させたのはそのひとつだ。ここでは、
商品を⼿に取り、⾃分の鞄やポケットに⼊れて店を出れば決済は完結する。⽀払いのために
混雑したレジに並ぶ必要はない。Amazon は 2021 年までに、全⽶で 3000 店舗を展開する
計画を持っているようだ。
また、Amazon Fulfillment というサービスは、何かを販売したい企業が Amazon の倉庫へ
商品を送り届けておけば、その後の在庫管理、販売、決済、配送などの⼀切の業務を代⾏し
てくれるというものだ。商品を販売したい企業にも「最⾼の顧客体験」を提供することで、
⽣産者をも顧客として取り込んでしまっている。こうやっと倉庫業や運送業などの企業に
対する破壊的競争⼒を⽣みだしている。
これら以外にも「最⾼の顧客体験」を実現すべく、デジタル・テクノロジーを駆使して圧倒
的な利便性を実現し、他社にまねのできない新しい価値基準をお客様に提供しつづけてい
る。もはやお客様は、その利便性ゆえに Amazon の様々なサービスを使い続けてしまう。
こうして、ネットにもリアルにも顧客接点を拡げれば、それぞれの顧客についての膨⼤な
⾏動データが集まってくる。これを機械学習で分析して、商品の品揃えを最適化し、適切
なタイミングで買ってくれそうな商品を推奨し、注⽂が⼊れば即⽇配送する。こんな仕組
みを⽀えるために、徹底して⾃動化された百数⼗ヶ所の倉庫、40 機の航空機と数千台のト
ラックを所有している。
このようにして、Amazon は、「最⾼の顧客体験」を追求したサービスを拡充し、顧客接点
を拡げ、多様で膨⼤な顧客の⾏動データを収集し、それを活かして「最⾼の顧客体験」に磨
きをかけている。まさに Amazon は、「業務が IT へ、IT が業務へとシームレスに変換され
る状態」、すなわちデジタル・トランスフォーメーションの第3フェーズを実現し、圧倒的
な「即応⼒」と「破壊⼒」を実現している。
l Amazon の戦略から⾒えるデジタル・トランスフォーメーションの本質
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Amazon の戦略を改めて整理してみると、「最⾼の顧客体験」を提供することで、多くの顧
客にサービスを使ってもらう、そうすれば⼤量の顧客の⾏動データが集まる。このデータを
機械学習で解析し、レコメンドや品揃えなどの顧客体験を⾼めるための短期・戦術的な顧客
関係の最適化を⾏い、事業施策やマーケティングなどの⻑期・戦略的な施策の最適化に活か
している。つまり、短期・戦術的施策と⻑期・戦略的施策の最適化を顧客の⾏動データを中
核に据え、⾼速で回してゆくための事業基盤を構築していることが分かる。
⼀旦このような基盤ができあがれば、これを様々な事業へ横展開することも容易だ。例え
ば、銀⾏や保険といった⾦融業、運輸や倉庫などの物流業は、もはや Amazon の圧倒的な
「即応⼒」と「破壊⼒」の前に、厳しい競争を強いられている。そんな Amazon の絶⼤な影
響⼒を称して「Amazon 効果(Amazon Effect)」という⾔葉も登場している。
Amazon の事例からも分かるようにデジタル・トランスフォーメーションを実現するとは、
「ビジネス環境の変化に即応するために、事実であるデータに基づき、短期・戦術的施策と
⻑期・戦略的施策の最適化を継続的に実⾏できる事業基盤」を実現することといえるだろ
う。それを活かして新しいビジネスを⽣みだしている。AI や IoT などの新しいデジタル・
テクノロジー使ってはいるが、それはあくまで⼿段であり、その根幹をなす「事業基盤」こ
そが、「即応⼒」と「破壊⼒」を⽣みだす源泉となっている。このような仕組みを作り、そ
れを動かすことが、デジタル・トランスフォーメーションの本質である。
不確実性が益々⾼まっている時代に、企業が⽣き残るためには、ビジネス・スピードを加速
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して変化に即応し、ビジネスの現場に必要なサービスをジャストインタイムで提供できる
能⼒を持たなくてはならない。デジタル・トランスフォーメーションの実現は、そのために
取り組まなければならないテーマになろうとしている。
l デジタル・トランスフォーメーションを⽀えるテクノロジー
テクノロジーの視点から DX を整理すると次のようになるだろう。
まず、現場の事実を知るための仕組み「IoT」が前提となる。IoT はモノに組み込まれたセ
ンサーによって、モノそのものやモノの周辺で起きる「ものごと」や「できごと」をデジタ
ル・データとして取得する仕組みだ。講義に捉えれば、Web やモバイル・デバイスなどの
デジタル接点を介して集められるデータも含めと考えてもいいだろう。そこで得られたデ
ータを機械学習によって分析し、最適解を⾒つけ出し、それを再び現場にフィードバックす
る。例えば、機械の制御、現場への指⽰、情報提供などだ。これによって現場が変化すれば、
それは再びデータとして捉えられる。この⼀連のサイクルを回すことも IoT である。
このような仕組みを⼟台に、様々なアプリケーション・サービスを実現することになるが、
それらを全て⼀から作ることは時間的にも費⽤的にも現実的ではない。特に、ビジネス・プ
ロセスのデジタル化が求められる DX に於いては、開発すべきシステムのテーマは膨⼤に
なり、⼀⽅で、ビジネス・スピードを加速することが求められるといった、相反する要件を
同時に満たさなければならない。そのためには、ビジネス・プロセスの実現に必要な機能が
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予め部品として⽤意されているプラットフォーム・サービスを活⽤することが前提となる
だろう。他の機能やアプリケーション・システムとの連係に必要なインターフェースも⽤意
されたプラットフォームを駆使して、現場のニーズにジャストインタイムでサービスを提
供する必要がある。
それらは、クラウド・コンピューティングで⼤規模なアプリケーションを実⾏し、データを
管理することになるだろう。また、低遅延での処理やネットワークに送り出すにはリスクの
⾼い認証といったアプリケーションはモノやモノの周辺に置かれたサーバーで処理される
ことになる。これをエッジ・コンピューティングと⾔う。
この両者をつなぐ仕組みとして低遅延、⾼速、膨⼤な端末接続を実現する 5G(第5世代)
通信網に期待が寄せられている。
また変化に即応し臨機応変に現場のニーズに応えるためにアジャイル開発と DevOps は前
提となるだろう。
l DX の実現を⽀える 4 つの⼿法と考え⽅
テクノロジーを使いこなすためには、その価値を産み出す発想法が必要となる。それがデザ
イン思考だ。現場を丁寧に観察し、ユーザーに共感し、デザイナー的なクリエイティブな視
点で、ビジネス上の課題を解決するため⽅法を⾒つけ出す⼿法である。
しかし、そこで⾒つけ出した解決⽅法が最適かどうかは分からない。特にイノベーティブで
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新しい取り組みとなると不確実性も⾼い。そこで、ユーザーやそのニーズが明確であり、効
果が期待できる最⼩限の機能に絞って短期間で開発しフィードバックをうけて完成度を⾼
めるアプローチを採るのが現実的だ。この考え⽅がリーン・スタートアップである。
これをシステムとして実装しなくてはならない。そこで、ビジネスの成果に貢献するシステ
ムを、バグフリーで変更にも柔軟に対応できる開発⼿法が必要となる。これが、アジャイル
開発だ。
そうやって作られたシステムを直ちに本番環境に投⼊できなければ、ビジネスの変化に即
応できない。しかし、⼀⽅では、システムとしての安定稼働も維持しなければならない。こ
の両者の対⽴を解消し、開発されたシステムを直ちに、そして、頻繁に本番環境に移⾏する
ための開発と運⽤の連携が必要となる。この取り組みを DevOps という。
デザイン思考とリーンスタートアップでイノベーションを創発し、アジャイル開発と
DevOps を駆使してジャストインタイムでビジネスの現場にサービスを提供する。この⼀連
の取り組みを連続、継続させることで、DX を進化させてゆく必要がある。
l DX 実現をビジネスに転換する「共創」戦略
Ø 「共創」という⾔葉の起源
2004 年、⽶ミシガン⼤学ビジネススクール教授、C.K.プラハラードとベンカト・ラマ
スワミが、共著『The Future of Competition: Co-Creating Unique Value With Customers
(邦訳:価値共創の未来へ-顧客と企業の Co-Creation)』で提起した概念と⾔われてい
る。企業が、様々なステークホルダーと協働して共に新たな価値を創造するという概念
「Co-Creation」の⽇本語訳である。
Ø 共創が必要な理由
先に紹介したリタ・マグレイスの著「競争優位の終焉」に述べられているように、現在、
企業は「ハイパー・コンペティション」の状況にある。この状況では⼀企業だけで競争
優位を⽣みだし続けることは難しく、「共創」によって競争優位を⽣みだし続けようと
いう考え⽅に期待が寄せられている。
Ø 共創の 3 つのタイプ
「共創」は、相⼿との関係によって3つのタイプに分類することができる。
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² 双⽅向の関係
価値の提供者である企業が、お客様と対等の関係で議論を進め、共に価値を
⽣み出していく取り組み。⾃社商品やサービスを売り込むのではなく、お客
様の事業課題に共に向き合い、解決⽅法を考え、新たなビジネス・モデルを
作る取り組みである。お客様を駆け引きや交渉の相⼿ととらえず、私たちが
共に当事者としての視点を持つことが重要である。
² 共有の関係
コンソーシアムやコミュニティのようなオープンな関係を築き、テーマを
共有して知恵を出し合い、議論していく取り組み。特定の誰かに依存し、成
果の⼀⽅的な受容者となるのではなく、参加メンバーがそれぞれの役割を
果たし、⾃律的にリーダーシップを発揮して、参加者全員で新たな価値を⽣
みだしていくものである。
² 提携の関係
価値を⽣みだしたい企業が、⾃社に不⾜する要素を他社の協⼒を得て解決し
ていく取り組み。この関係は発注者と提供業者という関係ではなく、共に課題
に向き合い、アイデアを出し合って新たな価値を⽣みだすパートナーシップ
の意識が必要となる。成果をあげるためには、企業の規模や業界の違いなどに
よる上下関係を排除する必要がある。
Ø 共創の原動⼒となる「オープン」と「イノベーション」
これら3つのタイプに共通し、⽋かせない思想が「オープン」である。参加者が成果を
共有し、さらに改善して価値を⾼め、再びその成果を共有するといったサイクルを維持、
拡⼤してゆくことが前提となる。こうして新たな組合せを、組織を超えて創り出し、従
来にない新しい価値を⽣みだすこと、すなわち「オープン・イノベーション」が、共創
を⽀える原動⼒となる。
共創とは、お客様やパートナーと共にオープン・イノベーションに取り組み、新たなビ
ジネス価値を⽣みだす取り組み
このように捉えることができるだろう。
「オープン・イノベーション」という⾔葉は、ハーバード⼤学経営⼤学院の教授だった
ヘンリー・チェスブロウ(Henry Chesbrough)によって提唱された概念。組織内部の
イノベーションを促進するため、企業の内外で技術やアイデアの流動性を⾼め、組織内
で⽣みだされたイノベーションを組織外に展開し、それを繰り返すことで⼤きなイノ
ベーションを⽣みだすことを意味する。
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チェスブロウはオープン・イノベーションに相対する概念として、⾃前主義や垂直統合
型の取り組みを「クローズド・イノベーション」と名付けた。こうした⼿法は競争環境
の激化、イノベーションの不確実性、研究開発費の⾼騰、株主から求められる短期的成
果への要求から困難となり、社外連携を積極活⽤するオープン・イノベーションが必要
になったとしている。
また、イノベーションという⾔葉は、20 世紀初頭に活躍したオーストリア・ハンガリ
ー帝国⽣まれの経済学者シュンペーターが、初期の著書『経済発展の理論』の中で、「新
結合(neue Kombination/new combination)」という意味で使っている。これは、クレイ
トン・クリステンセンによる「⼀⾒、関係なさそうな事柄を結びつける思考」という定
義とも符合する。
つまり、モノや仕組みなどの「これまでに無い新しい組合せ」を実現し、新たな価値を
⽣み出して⼤きな変化を起こすことを意味する。「発明(Invention)」することとは異
なる概念だ。
Ø DX と共創による顧客価値の創出
DX に決まった正解はない。お客様から与えられた「これをやってほしい」を実現する
ことでもなければ、お客様から依頼された製品や技術、⼯数をどうすれば、QCD(品
質・コスト・納期)を守って提供できるかでもない。お客様と私たち、あるいはパート
ナー企業と私たちが、⼀緒になって新たな顧客価値を創出するための最適解を探索し
ていかなければならない。共創とはそんな取り組みのことだ。
Ø 「共創」の実践
共創とは、「技術の共有」、「価値の共有」、「体験の共有」という3つの関係をお客様と
の間に築くことだ。
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² 技術の共有
お客様にはない圧倒的な技術⼒を提供すること。IT を武器に事業の差別化や競争
優位の実現を⽬指すお客様は、IT をコア・コンピタンスの1つと捉え、⾃らの本業
として内製化に舵を切るだろう。しかし、⾼い技術⼒を持つ⼈材が揃っている訳で
はなく、それを補う需要が⽣まれる。
「技術⼒」とは、少ない⼿間で最⼤のパフォーマンスを発揮できる⼒のことを⾔う。
例えば、実現したい機能を可能な限り少ないステップ数でコーディングできる⼒
やクラウドを駆使してシステム運⽤できる環境を1⽇にいくつも構築できる⼒で
ある。ビジネス・テーマが決まれば、AI や IoT を駆使して、これらを実装したビ
ジネス・プロセスをデザインできる⼒も必要とされる。お客様はそんな「共創」の
パートナーを求めている。
² 価値の共有
お客様のビジネスを成功させるための共通の価値観を共有すること。お客様から
すれば、⾃分たちの⼀⼤事を⼀緒に取り組もうというわけであり、熱意や真摯さ、
共感を前提に、⾃分たちと同じ価値観を共有できる信頼に値する⼈格の持ち主で
なければ、「共創」のパートナーとして、受け⼊れてはもらえない。
² 体験の共有
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企業の成⻑や⽣き残りには、不確実性への対処が必須である。アジャイル開発や
DevOps、クラウドが当たり前となり、コンテナやマイクロサービス、サーバーレ
スなどの技術がこれほど注⽬されるようになったのは、そのためだ。私たちは IT
を駆使しスピードを実現する働き⽅を実践し、お客様の模範となってこの取り組
みをリードしなければならない。そうした体験を共有することが、「共創」のパー
トナーの役割である。
これら 3 つの関係構築をリードすることで「この⼈たちと⼀緒に取り組みたいと」と相⼿
を惚れさせなくてはならない。そして、こういう⽣き様や働き⽅、考え⽅を感染させること
で、お客様と⼀緒になってお客様の改⾰に貢献することが共創ビジネスの実践である。
DX は、このような「共創」戦略がなければ、ビジネスとしては成⽴しないだろう。

LiBRA 06.2019 / DX解説