五十川長屋(現保坂邸)
古井戸 底浚遺物記録
2
五十川家は、石高が110石、70石、300石など土方家老の500石、700石に
次ぐ高禄です。それで屋敷が城内にあったのでしょう。
ご存じのとおり水野家が松本藩7万石の時享保10(1725)年、藩主が城中で刃傷
事件を起こし改易(7千石の旗本になる)となったが、五十川家は離散之処引続家
臣として奉公していたようです。
資料「駿藩仕録・水野藩士転籍者名簿沼津藩士」より 五十川家 高百拾石
先祖三州苅屋被 召抱亨保之度御留人左次馬養子 五十川左次馬 寛政十一
年四月廿一日 死
高百五石 左次馬実子 五十川音藏 文化二寅年三月 死
実子 五十川治部之介 文政七申年十二月十三日初而 御目見
高七拾石 先祖苅屋被召出離散之処引続
武左衛門実子三勇 初 源九郎 五十川武左衛門
外御足高百三十石 寛延二巳年六月六日御徒(士)被 召出金五両弐人扶持
被下置御供方同年九月御勘定所見習被 仰付其後御人少ニ付又々御供方兼
御用部崖御物書 亨和二戌年三月朔日御年寄役被 仰付本高七拾石ニ被成下
御足高百三拾石被下御在所勝手被
仰付之初 徳之進 五十川啓助 寛政九巳年三月 死
3
保坂邸古井戸(概ね、直径120センチ・深さ7メートル・六角形)遺物の鑑定
令和3年2月19日(金)、沼津歴史民俗資料館にて鈴木裕篤上席学芸員が鑑定した。
持ち込んだものは古い井戸の底、約15センチに埋まっていた遺物。
①木板(長さ131・5㌢短幅6・5㌢長幅13・5㌢厚さ13㌢)を調べた、重量がかなりある。
年輪がないが節(短端から51㌢)くぼみ(短端から38㌢~40㌢)穴(短端から42㌢~45
㌢)がある、半分割れた部分のようだ。
②岩石 大ぶりの凝灰石(伊豆石)(14㌢×10㌢×11㌢)(10㌢×9㌢×6㌢)2個で、
火を受けている。(大正二年三月三日の大火の火か?)
③砂利石(円礫)数個 1)大部分砂岩頁岩 富士川からの石。2) 3個の安山岩
箱根、黄瀬川からの石。
④金属類 1)3点 繋がる事が確認された。2)ポンプ部品の一部。
⑤瀬戸物 1)花瓶の底の部分(5㌢×3㌢)、表は釉薬あり、中は素焼きのまま。
2) 電気絶縁管(2・5㌢×1㌢)の一部
⑥ガラス類 ガラス欠片2点・メガネレンズ片方。
⑦木片 古井戸の基礎木枠(桝)の一部を削りとってきたもの。
※③の円礫はこの古井戸を築井した時代(1778年?)にその深さの石層まで達して井戸
として利用したと考えられる。(井戸の地下水が湧くため)⑦の木片はやはり築井時代の
石積みの為の基礎木枠(桝)の一部を削ったものと思います。然るに③⑦以外の遺物は
大正・昭和時代の最近のものと考えます。
※この古井戸は万延元年(1860年)沼津城絵図では五十川長屋に表示されております。
万延元年沼津城絵図時代の五十川家当主は五十川武左衛門
令和3年2月20日(土)記 史談会会員 長谷川徹
4
保坂邸古井戸(五十川長屋古井戸)
5
6
金属類・鉄洋釘・ガラス・ポンプ部品・井戸底基礎木枠木片・電気絶縁管一部・瀬戸物・メガネレンズ
7
8
9
3つの金物を合わせ繋いだもの
10
11
ポンプ部品の一部(空気抜きか?)↑
12
↑古井戸底の基礎木枠を削った木片↑ ↑電気絶縁管
13
↑井戸底の基礎木枠木端この枠(桝)上に石積みが組まれる ↑電気絶縁管の一部
14
↑花瓶の底一部 表 釉薬 ↑裏 素焼きのまま
15
16
ポ
ン
プ
部
品
空
気
抜
き
か
?
17
↑井戸底からの砂利 (円礫) ↑凝灰石(伊豆石)
18
凝灰石(伊豆石)(14㌢×10㌢×11㌢)(10㌢×9㌢×6㌢)2個で、火を受けている
19
20
21
砂利石(円礫) 1)大部分 砂岩頁岩 富士川からの石
22
23
24
3
個
の
安
山
岩
箱
根
、
黄
瀬
川
か
ら
の
石
。
25
石英が多い石(火打ち石に使われる)富士川からの石
26
①木板(長さ131・5㌢短幅6・5㌢長幅13・5㌢厚さ13㌢)を調べた、重量がかなり
ある。年輪がないが節(短端から51㌢)くぼみ(短端から38㌢~40㌢)穴(短端か
ら42㌢~45㌢)がある、半分割れた部分のようだ。
27
令和3年2月15日発掘 2月18日記録 沼津史談会 会員 長谷川徹
28
木板の厚さ13㌢
ご清聴有難う御座いました

Hosakaidosiryou